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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2022.01.29
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 ”ニッポン巡礼”(2020年12月 集英社刊 アレックス・カー著)を読みました。

 「隠れ里」は、日本の魅力が隠されているかくれ里を、滞日50年を超える著者が自らの足で回った、全国津々浦々から厳選した10カ所を紹介しています。

 猟師が深い山中に迷い込み、偶然たどり着いたとか、山中で機織りや米をつく音が聞こえた、川上から箸やお椀が流れ着いたなどという話が見られます。

 住民は争いとは無縁の平和な暮らしを営んでおり、暄暖な気候の土地柄であり、外部からの訪問者は親切な歓待を受けて心地よい日々を過ごしますが、もう一度訪ねようと思っても、二度と訪ねることはできないとされます。

 一方「かくれ里」は、東奔西走する姿から「韋駄天お正」とあだ名された白洲正子の随筆のタイトルです。

 世を避けて隠れ忍ぶ村里であり、ひっそりとした寺社、山間の集落、海沿いの棚田、離島の原生林、城下町の白壁、断崖に囲まれた自然の入り江などを指しています。

 著者はかくれ里の、 吉野・葛城・伊賀・越前・滋賀・美濃などの山河風物を訪ね、美と神秘の漲溢した深い木立に分け入り、自然が語りかける言葉を聞き、日本の古い歴史、伝承、習俗を伝えています。

 アレックス・カーさんは1952年アメリカ生まれで、1974年にイェール大学日本学部を、1977年にオックスフォード大学中国学部を卒業しました。

 イェール大学在学中の1972年に、国際ロータリー奨学生として慶應義塾大学国際センターに留学して、日本語研修を受けました。

 同年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励んでいます。

 景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀町などで滞在型観光事業を営んでいます。

 本書は、季刊誌「kotoba」2018年夏号から2019年夏号まで、および、ウェブサイト「集英社新書プラス」で2019年8月から2020年7月まで連載したものを新書化したものです。

 日本の文化には「表と奥」、「顕と密」のように、常に二つの要素が備わっているように思うといいます。

 そこでは「表」より「奥」が、「顕」より「密」が、神秘的で深い意味を持つとされています。

 つまり、簡単に見ることができず、人目を少々忍ぶくらいのものの方が、すばらしいのです。

 1971年に、白洲正子が「かくれ里」という本を新潮社から著しました。

 当時は高度成長期の只中で、観光ブーム幕開けの時でしたが、白洲正子は金閣寺、銀閣寺などを避けて、主に山奥を巡り、あまり知られていない寺や神社から、日本美の神髄について思考を巡らせました。

 著者は1994年に、「本物とは何か」というテーマの対談で知り合って以来、彼女のものを見る厳しい目から、たくさんのことを教わったといいます。

 白洲正子は1910年生まれで1998年に亡くなった随筆家で、東京市麹町区に父樺山愛輔と母・常子の次女として生まれました。

 祖父は海軍大将で伯爵だった樺山資紀で、母方の祖父に海軍大将で伯爵だった川村純義がいます。

 1928年にハートリッジ・スクールを卒業し聖心語学校を中退し、1929年に白洲次郎と結婚しました。

 白洲次郎は1902年神戸市神戸区生まれで、連合国軍占領下の吉田茂の側近として活躍しました。

 終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めました。

 吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業役員を歴任しました。

 白洲正子は1964年に随筆「能面」で第15回読売文学賞を、1973年に随筆「かくれ里」で第24回読売文学賞を受賞しています。

 アレックス・カーさんはメリーランド州ベセスダで生まれ、父親はアメリカ海軍所属の弁護士でした。

 父親に付き添って、ナポリ、ホノルル、ワシントンD.C.に滞在し、1964年に来日して横浜の米軍海軍基地に居住しました。

 国際ロータリー奨学生として留学中にヒッチハイクで日本中を旅して、旅の途中で訪れた徳島県三好市東祖谷に感銘を受け、1973年に約300年前の藁葺き屋根の古民家篪=ちいおりを購入して、修復した上で居住しました。

 庵の名は趣味のフルートから竹の笛の意で名付けたもので、現在、国の登録有形文化財に指定されています。

 1998年から2007年まで、旅行記者のメイソン・フローレンスさんとの共同所有を経て、現在は特定非営利活動法人により管理がなされており、冬期を除き宿泊体験ができます。

 アレックス・カーさんは、1974年から1977年までローズ奨学生としてオックスフォード大学ベリオール・カレッジへ留学し、中国学学士号と修士号を取得しました。

 1977年に宗教法人大本国際部基金により再来日し、1997年まで日本の古典美術研究を行いました。

 1989年より、庵での生活や歌舞伎、美術コレクションなどに関する自身の経験に沿って、変わりゆく日本の様子を執筆し、「新潮45」にて連載しました。

 1993年にそれらを1冊にまとめた「日本の残像」を出版し、1996年には、英訳版「LOST JAPAN」を出版しました。

 同著書が日本での執筆家活動のはじまりとなり、以降数々の著書を出版しています。

 2001年には日本の景観、自然環境、公共事業のダメージに伴う観光の低迷など、日本が抱える諸問題について研究したものを、「犬と鬼」にまとめて出版しました。

 1986年から1993年まで、米国系不動産開発会社トラメル・クロー東京代表、1996年に国際日本文化研究センター客員助教授を務めました。

 1997年からタイに第二の活動拠点を設け、タイを中心にミャンマー、インドネシア、ラオスなど東南アジアの文化研究を進めています。

 現在は、日本とタイを行き来しながら、文化活動の幅を広めています。

 日本では京都の町屋再生事業、コンサルティング事業を手がける株式会社庵=いおりを2003年に創業し、講演、執筆、コンサルティング事業も手がけています。

 これまで古民家再生の仕事で全国を走り回ってきましたが、それはほぼ僻地巡りの日々だったといえます。

 加えて、この数年は白洲正子の跡を辿るように、神の力、仏の力とは何か、ということを考えながら、折あらば、かくれ里を探し歩くようになったといいます。

 今日では表となる社寺や町並みには大勢の観光客が押し寄せて、特別感が薄れてしまっています。

 それゆえに、誰もが行けるところより、知る人ぞ知るちょっと隠れた場所が魅力的に感じられ、それを見つけた時に心は大きく癒やされるそうです。

 日本にはお遍路のように、何世紀も昔から巡礼の習慣がありますが、古民家再生もかくれ里を訪ね歩くことも、どちらも一種の巡礼であり、その中で数々の発見があったそうです。

 そのような隠された本物の場所を紹介したいという思いをもとに、2017年から2年をかけて、あらためて「ニッポン巡礼」の旅に赴きました。

 ジャーナリストと写真担当者と三人で、秋田の奥地、奄美大島の突端、伊豆諸島の青ヶ島と、長い時間をかけて辿り着く地は、文字どおり現代の「かくれ里」といえるところばかりです。

 もう一つ、「かくれ里」とは「忘れ里」の意味もあると考えていて、大津市の日吉大社と三井寺、山口県の萩市、東京近郊の三浦半島など、僻地でないところにも足を運びました。

 名だたる観光地を訪ね歩いているという人でも、そこから少しはずれた場所は素通りしていることが多いものです。

 となれば、その人は日本の真髄を見逃しているのかもしれないと思うそうです。

 そこで、読者のみなさんと一緒に巡礼に旅立ちたい。「人が知らないところは、人に知らせたいし、知らせると、たちまち汚されてしまうのは、ままならね世の中だと思う」(白洲正子)といいます。

 それゆえ、ここで紹介する場所には、ぜひとも行かぬよう、最初に心からのお願いを申し上げておきます、とのことです。

1 日吉大社、慈眼堂、石山寺(滋賀県)/2 羽後町田代、阿仁根子(秋田県)/3 能登半島(石川県)/4 八頭町、智頭町(鳥取県)/5 奄美大島(鹿児島県)/6 萩(山口県)/7 三井寺(滋賀県)/8 南会津(福島県)/9 青ヶ島(東京都)/10 三浦半島(神奈川県)

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ニッポン巡礼 集英社 アレックス・カー / 集英社新書ヴィジュアル版【中古】afb






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Last updated  2022.01.29 08:24:51
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