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cozycoach @ Re:徳川忠長 兄家光の苦悩、将軍家の悲劇(感想)(11/20) いつも興味深い書物のまとめ・ご意見など…
2022.06.25
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 ”ユーゴスラヴィア現代史”(2021年8月 岩波書店刊 柴 宣弘著)を読みました。

 かつてセルビア・クロアチア・スロヴェニア・マケドニア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェゴビナの6共和国で構成したユーゴスラヴィアの、各国の動向や新たな秩序について概観しています。

 14世紀からオスマン帝国の支配下にありましたが、第一次大戦後の1918年、南スラブ系の多民族最初の統一国家、セルビア・クロアチア・スロヴェニア王国が成立しました。

 1929年にユーゴスラヴィア王国と改称し、1945年に連邦人民共和国、1963年に社会主義連邦共和国となりました。

 第二次大戦でドイツ軍に占領されましたが、1945年に自力で全土を解放し、ユーゴスラヴィア連邦人民共和国が成立しました。

 1948年に民族主義的傾向によりコミンフォルムを除名され、独自の社会主義の道を歩み、1963年にユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国と改称しました。

 この国家は、後に、七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家と言われる程の多様性を内包していました。

 1991年から1992年にかけ、同国の解体・再編に伴い、スロヴェニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・マケドニア各共和国が分離・独立しました。

 そして、セルビアとモンテネグロの2共和国が、新ユーゴスラヴィアを構成していました。

 2003年に国名をセルビア・モンテネグロに改称しましたが、2006年に両国が分離して完全に解体されました。

 民族、国家、宗教、言語、ユーゴスラヴィアの解体から30年となり、暴力と憎悪の連鎖が引き起こした紛争は、いまだ過ぎ去らぬ重い歴史として、私たちの前に立ちはだかっています。

 柴 宜弘さんは1946年東京都生まれ、1971年に埼玉大学教養学部を卒業しました。

 1975年から1977年まで、ベオグラード大学哲学部歴史学科に留学し、帰国後、敬愛大学経済学部専任講師、のち助教授となりました。

 1979年に、早稲田大学大学院文学研究科西洋史専攻博士課程を満期退学し、専門はバルカン史です。

 1992年に東京大学教養学部助教授となり、1994年東京大学教養学部・大学院総合文化研究科教授を経て、城西国際大学特任教授となりました。

 2010年に東京大学名誉教授、ECPD(国連平和大学)客員教授、 城西国際大学特任教授となり、その後、同大学中欧研究所長を務め、2021年に死去しました。

 今はないそのユーゴスラヴィアに、念願かなって留学が決まり、古びたベオグラード空港に緊張気味に降り立ってから20年が過ぎたといいます。

 ユーゴスラヴィアという国にひかれ、この国の歴史を勉強してみようと思い立ってから数えれば、もう四半世紀を超えているそうです。

 当時、自主管理と非同盟の国ユーゴスラヴィアに対するわが国の関心は決して低いものではありませんでしたが、関心の大部分は独自の社会主義の理念にあったように思えます。

 実際に、ペオグラードでの生活を始め、各共和国や自治州に足をのばして感じたのは、風景や、生活習慣や、人々のメンタリティーがかなり異なる地域が、ひとつの国を作っている現実でした。

 北のスロヴェニア共和国から送られるスロヴェニア語のテレビ放送には、セルビア・クロアチア語のテロップがつけられています。

 テロップなしには、十分にスロヴェニア語を理解できないことを知りました。

 南の後進的なマケドニア共和国の首都スコピエから、最も豊かなスロヴェニア共和国の首都リュブリャナに飛行機で行ったときなど、その落差に改めて驚かされたといいます。

 ユーゴスラヴィアの魅力は、きわめて多様な地域がひとつの国を形成していることにありました。

 しかし、このようなユーゴは内戦を経て解体してしまいました。

 著者は、ユーゴスラヴィア研究者として、73年間で歴史の幕を閉じてしまったユーゴスラヴィアとはいったい、どのような国だったのかを現時点から検討し直してみようとしました。

 ユーゴスラヴィアとは、そもそも南スラヴを意味する言葉ですが、国家としてのユーゴスラヴィアは二度生まれ、二度死んだといわれます。

 一度は、1918年12月に王国として建国され、1941年4月にナチスドイツをはじめとする枢軸軍の侵攻にあい、分割・占領されて消滅しました。

 二度は、1945年11月に社会主義連邦国家として再建され、1991年6月にスロヴェニア、クロアチア両議会が独立宣言を採択し、翌1992年1月に、約50力国がこれら二国を承認して解体しました。

 三度生まれ変わることはできず、民族対立による凄惨な内戦を通じて、73年間の歴史の幕を閉じました。

 ユーゴスラヴィア紛争は、ユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国解体の過程で起こった一連の内戦で、1991年から2001年まで主要な紛争が継続しました。

 1991年には、スロヴェニアがユーゴスラヴィアからの離脱・独立を目指したスロヴェニア紛争が起こりました。

 規模は拡大せずに10日で解決し、十日戦争、あるいは独立戦争と言われています。

 1991年から1995年まで、クロアチアがユーゴスラヴィアからの離脱・独立を目指したクロアチア紛争が起こりました。

 ボスニア紛争と絡んで戦争は泥沼の様相を呈しましたが、4年の戦争の末に独立を獲得しました。

 1992から1995年までボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、1996年から1999年までコソボ紛争、2001年にマケドニア紛争が起こりました。

 第二次世界大戦後のユーゴは、「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字、一つの国家」という表現に端的に示される、複合的な国家でした。

 最終的に連邦が解体する以前、ユーゴスラヴィアでは、1980年代末から1990年代初めにかけて連邦制の危機が進行しました。

 第三の岐路に立つユーゴスラヴィアという表現が、当時のジャーナリズムを賑わせました。

 第一次世界大戦の結果、建国された南スラヴの統一国家を「第一のユーゴスラヴィア」、第二次世界大戦の結果、再建された国家を「第二のユーゴスラヴィア」とする言い方が一般化しました。

 「第一のユーゴスラヴィア」においても、「第二のユーゴスラヴィア」においても、最大の国内問題は民族対立であったといえるでしょう。

 このユーゴが位置するバルカン地域は、民族構成の複雑なことで知られています。

 その地理的な位置からも、歴史的に諸民族が混在し、混血もすすんでいました。

 人為的な国境線をどのような形で引こうとも、自国内に少数民族を抱え込むことになり、自民族が隣接する国々に少数民族として留まることになります。

 ユーゴスラヴィアは、このようなバルカン地域縮図ともいうべき特色を持つ国家でした。

 また、ユーゴスラヴィアははざまの国といわれました。

 冷戦期には東西両陣営に属さず、政治・外交的に非同盟政策を採っていました。

 歴史をさかのぼってみると、この地域が古くは東ローマ帝国と西ローマ帝国との境界線に位置していました。

 中世においては、ビザンツ・東方正教文化圏と西方カトリック文化圏との接点でもありました。

 さらに近代に至ると、ユーゴスラヴィアを構成することになる南スラヴの諸地域は、ハプスブルク帝国とオスマン帝国との辺境を形成し、イスラム文化との接触も進みました。

 第二次世界大戦期にナチスドイツの占領下で、民族対立を煽る分断統治が行われるにともない、大規模な兄弟殺しが展開されました。

 戦後、の「第二のユーゴスラヴィア」で、パルチザン体験をもとに社会主義に基づいて統合化が推進されましたが、ユーゴ人意識を徹底させることはできませんでした。

 したがって、文化の面でも、これがユーゴ的だと誇れる明確な文化を生み出すことはできませんでした。

 多様な文化が並存する状況から生み出される独自の表現は、容易に国を越える広がりを持っていました。

 ユーゴスラヴィアという複合国家がなくなってしまった現在、新たな独立国は政治的にも文化的にも、単一性や均質性を追い求めているように見えます。

 しかし、歴史を振り返れば明らかなように、この地域では多様性を排して単一性を追求することこそが危険であり、民族の悲劇を生み出してしまったのです。

 本書は、解体してしまった国家であるユーゴスラヴィアの現代史を、統合と分離の経緯を追いながら、内戦にいたる歩みを、決定論に陥ることなく見つめ直すことを目的としています。

第一章 南スラヴ諸地域の近代/第二章 ユーゴスラヴィアの形成/第三章 パルチザン戦争とは何だったのか/第四章 戦後国家の様々な実験ー連邦制・自主管理・非同盟/第五章 連邦解体への序曲/第六章 ユーゴスラヴィア内戦の展開/第七章 新たな政治空間への模索/終 章 歴史としてのユーゴスラヴィア/あとがき/新版追記/主要参考文献





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Last updated  2022.06.25 05:14:32
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