沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

沢木遥の「幸せ力をつける練習日記」

2004.09.11
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カテゴリ: カテゴリ未分類
「何人くらい、男の人とつきあったこと、あるの?」
知人と呑んでいて、いきなり訊かれて焼酎をこぼしそうになった。
そんな質問、何年ぶりだろう(苦笑)。
「最初のひとは高校時代? 以前日記に書いていた、岡田有希子の?」

うわー、忘れてた、そんなこと、書いたっけ?
名前出してWEB公開日記なんかしてると、こういうのが恥ずかしい。
知り合いに読まれちゃうもんなあ。

そういえば、ずいぶん前に、そんなことを書いたことがある。
高校2年生のとき、某学習雑誌で読者モデルのようなことをして、そのときに、

その人は岡田有希子の大ファンで、彼女が自殺してひどく落ちこみ、
「ゴメン、君とはもうつきあえない」と電話でふられてしまったこと……。

アイドルが自殺したくらいで、と思われそうだけど、当時、現場に連日全国から
何百人もファンが押し寄せて泣き、27人も後追い自殺しちゃうくらい、
ちょっとした社会現象になったのだ。

1986年。
彼のおかげで、私はあの年のことをとてもよく思い出せる。
雪がたくさん降った寒い年だった。時ならぬ春の大雪で、電車が止まってしまって、
東横線で二駅くらい、雪道を歩いたこともある。
雪が解けてやっと春が来て、岡田有希子が死んだ。4月8日だった。

ちょうど、『「おたく」の精神史-一九八〇年代論』(大塚英志)を読んでいたら、


「だが80年代的な少女論が問題なのは、彼女たちの側が男たちの言説に
抗する言語を獲得できないままに、この男たちの語りに半ば身を委ねざるを
得なかったことにある。男たちが少女やアイドルを語り、女たちは少女や
アイドルであることを強いられた。しかもその違和を彼女たちは言葉にする術を
もたなかった。岡田有希子というアイドルの死から、今、読みとるべきなのは、


大塚が岡田の死因を、シュミレーショニズムの鋳型に自らをはめ込もうとするその内側で、
肥大化する自意識を言語化することができなかった、その苦しみゆえ死を選んだと分析する。
内面とはげしく乖離した身体を破壊しようとしたというのだ。

岡田がなんで死んだかなんて、とっくに考えなくなっていたけれど、
いわれてみると、そうだったかもしれないなあという気もする。
いつの時代でもそうかもしれないが、あの時代のアイドルは、
本当にキャラクターらしいキャラクターだった。
おにゃんこクラブが全盛期だった。
キョンキョンが「なんてったってアイドル!」を歌った。
「モモコ!」と、男の子たちが絶叫した。
カチューシャ、フリルのふくらんだスカート、段カット、くるんと内巻きになった前髪、
丸文字、少女マンガちっくな自画像……。
美人でも、きれいねでもなく、「カワイイ」といわれることが最大の賛辞だった。

当時の女の子たちはこぞって、「カワイく」なろうとした。
私も、そんな女の子のひとりで、カワイくしてデートに行った。

思えば、彼が好きになったのは、そういう女子高生な私。
そして私が好きになったのは、たぶん、大学生な彼。
「カメラマンで、クルマに乗っている大学生」
もうそれだけで、すごくかっこよく思えた。
アホだなあ。

ハーゲンダッツは何が好きかとかユーミンが好きだとか、舌の上にのせたとたん
消えてしまう綿菓子のような切れ切れのおしゃべりを繰り返しながら、
私たちは本当はなにも語り合っていなかった。

互いの間に言葉が介在していなかったから、
コミュニケーションがないのだから、関係とさえいえない。
恋愛ごっこ。

だから、彼は大ファンだったアイドルが死んだ痛みを私と共有しようとは
しなかったのだし、ぷち岡田だった私とこれ以上恋愛ごっこを続けるのが
つらくなってしまったのだろう。
そんな恋愛ごっこは、岡田が死ななかったとしても、早々に
続かなくなったにちがいない。

岡田有希子がなぜ死んだか。
86年の私がなぜふられなくちゃならなかったか。

ふうん。
ちょっと、ほったらかしにしていた宿題が解けたような気分で、
まあ多少はすっきりしたけど、でもだからなんなの?と思ったりする、
もはや少女でもカワイくもない、自意識ばかり肥大したひねこびた私なのだった。


★ごあいさつ
引越ししたり身体をこわしたりしていて、しばらくお休みしました。
またぼちぼちつづっていきます、どうぞよろしく。





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Last updated  2004.09.19 16:17:11
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当時の私  
ハルペコ  さん
岡田由希子さんが亡くなったとき、教室で泣いている男子が何人かいたこと思い出しました。
私も今では、恥じらいのなくなりつつあるおばさんになろうとしていますが、当時、大きなリボンのついたバレッタで髪をかざり、カワイイ女の子になろうと努力しました。
振り返ると笑っちゃうケド・・・ (2004.09.11 17:42:45)

Re:岡田有希子と86年のわたし(09/11)  
私も岡田有希子さんが亡くなったとき、本当にびっくりしたのを覚えています。数年前に、元モデル・芸能人をやっていた女性と知り合って、何故岡田さんが亡くなったのか、裏事情を聞きました。有名アイドルに恋人を取られたからだそうです。それを聞いたとき、ショックで、夜眠れなかったのを覚えています。
カワイイと言われるよりは、キレイと言われるようになりたいです。でも、顔がたるんできていて焦っています。 (2004.09.12 08:51:47)

Re:岡田有希子と86年のわたし(09/11)  
煙んパス  さん
私も岡田有希子の死については胸が痛みました。
そして、続々と後追い自殺をして行った若者達にも。

当時私は22歳。

彼女のことなんてほとんど知らなかったんですが、
なんか大きな喪失感を感じました。

自らの考えや主張を死によってしか表現できなかった少女と、
その表現方法を与えられた若者達が、相次いで彼女の後を追って
いく姿を見て、めちゃくちゃきっぱり自己主張出来ていた私は、

「そんなこともうやめようぜ!」と、半ば本気で怒っておりましたです。

> ハーゲンダッツは何が好きかとかユーミンが好きだとか、舌の上にのせたとたん
> 消えてしまう綿菓子のような切れ切れのおしゃべりを繰り返しながら、
> 私たちは本当はなにも語り合っていなかった。

これは、あまりにもうまい表現で、唸ってしまいました。すごい!

ということで、復帰おめでとうございます。

(2004.09.12 23:41:44)

Re:岡田有希子と86年のわたし(09/11)  
「十月の人魚」に、上記の内容について記載しました。
もしよろしかったらaccessしてみてください。



(2021.10.19 12:18:48)

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