遠方からの手紙

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

戦争ビジネス国家 New! AZURE702さん

それだけじゃないだ… New! FAM5220さん

ポピュリズムの行方 七詩さん

ありゃりゃ 森栄徹… シャルドネと呼ばれた三浦十右衛門さん

🔴🔴🔴カーグ島沖で… alex99さん

『百まで生きる覚悟… ばあチャルさん

私の爪が 普通の爪… 吉雄777さん

Comments

王島将春@ 擁護するに足る背景事情があったと信じたい (つづき2) 私のコメントを読んでいる…
王島将春@ タルムードに想像を絶する女性蔑視の文言が収録された背景事情 (つづき1) 次に女性蔑視の文言につい…
王島将春@ タルムード祝福論60b 今から記事とは関係のない事を書かせて頂…
王島将春@ 聖書預言 はじめまして。福井市在住の王島将春(お…
effelpist@ kilovermek.es effelpist &lt;a href=&quot; <small> <a href="http…
クロワッサン@ Re:物言えば 唇寒し 秋の空(10/08) 空ではなくて風なのでは??
夢野久作孫@ Re:玄洋社とカレーの関係(04/07) ‪本来の玄洋社は国権派ではありません。戦…

Archives

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01
2025.12
2025.11
2025.10
2025.09
2025.08
2010.02.18
XML
カテゴリ: 歴史その他

遊びをせんとや 生れけむ
戯れせんとや 生れけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ ゆるがるれ

後白河天皇 といえば、平安末期から鎌倉初期にかけての人で、父親は鳥羽天皇、もともとその四番目の皇子という気楽な立場だったので、若い頃は遊蕩三昧の日々を送っていたという。慈円という坊さんが鎌倉初期に書いた 『愚管抄』 にも、彼が父の鳥羽天皇から、あいつは遊んでばかりで、とても天皇になれる器ではないと思われていた、というような一節がある。

 この天皇が、当時、遊女や白拍子など一般庶民の間に流行っていた、「今様」 と呼ばれていた歌謡にこっていたというのは有名な話で、天皇の位をおり出家して法皇となっていた後年、ちょうど鎌倉幕府が成立するかしないかのころに、 『梁塵秘抄』 という今様を集めた書物を自ら編纂している。

Wikipedia によれば、今様とは今で言う 『現代流行歌』 といった意味だそうだ。吉本隆明は 『初期歌謡論』 の中で、 「『新古今和歌集』 の歌は、とぼけた心酔者がいうほどけんらんたる和歌の世界などではない。いわゆる大衆曲謡に浸透されて俗化し崩壊寸前においこまれていた危機の詩集である」 と書いているが、そういった伝統が重んじられる上流社会にも浸透していった雑芸の代表が、後白河が熱中した今様ということになる。

 若い頃のその熱中ぶりときたら、とにかく朝から晩まで一日中歌いどおしで、声が出なくなったことも三度ある。おかげで喉が腫れて湯水を飲むのもつらかったとか、一晩中歌いっぱなしで、朝になったのも気付かず、日が高くなってもまだ歌っていたなどというのだから、尋常ではない。親父殿から、 「即位ノ御器量ニハアラズ」 と呆れられたのももっともな話だ。

 そういう伝統や伝統的価値観の崩壊というのは、信仰の世界でも同様で、平家は清盛にはむかった奈良の東大寺や興福寺など、「南都」 の大寺院を軒並みに焼き払っている。さすがに、後に信長が比叡山でおこなった皆殺しほどではなかったろうが、これが王朝貴族らに与えた衝撃には、同じようなものがあっただろう。

 堀田善衛の 『定家名月記私抄』 によれば、藤原定家はその日記 「明月記」 で、この事件について 「官軍(平氏の軍のこと)南京ニ入リ、堂塔僧坊等ヲ焼クト云々。東大興福ノ両寺、己ニ煙ト化スト云々。弾指スベシ弾指スベシ」 と書きしるしたそうだし、藤原兼実の日記 「玉葉」 には、 「世ノタメ民ノタメ 仏法王法滅尽シ了ルカ、凡ソ言語ノ及ブ所ニアラズ」 とあるという。

 現世の生を終えたら、次は極楽浄土に生まれたいという浄土信仰が、貴族の間に広がったのは末法思想によるものだが、やがてその教えは、とにかく 「南無阿弥陀仏」 とただ一心に唱えよという法然の教えとなり、中には 「とく死なばや」 などと、物騒なことをいう者も出てくる。一遍などは、身分の上下や男女の区別なく、大勢の信者を引き連れて、踊りながら各地で布教を行った。

 こういった状況は、天台座主であった慈円のような、頭コチコチの伝統主義者の目には、きわめて由々しき事態として映っていたのだろう。法然と彼の教団について、 「ただ阿弥陀仏とだけ唱えていればよい、ほかに修行などいらぬなどといって、なにも分かっていない愚か者や無知な入道や尼に喜ばれて、大いに盛んとなり広がっている」 などと憤慨している。

 慈円は、安楽房という法然の弟子が 「女犯を好んでも、魚や鳥を食べても、阿弥陀仏はすこしも咎めたりはしない」 と説教していたとも書いている。実際、この安楽房という坊さんは、後鳥羽上皇が寵愛する女官との密通という嫌疑により斬首刑に処せられ、さらに法然や親鸞も京都から追放される憂き目にあった。ちなみに、後鳥羽上皇は後白河の孫にあたる。

 伝統に挑戦するような新しい教えとかが広まると、正統派を自認する伝統主義者の側から 「異端」 だの 「淫祠邪教」 といったレッテルが貼られるのは、世の東西を問わず、よくあることで、この事件もまた、伝統的勢力の側による誣告が影響した可能性が高い。だが、少なくとも、彼らの眼には、新興の念仏教団が現代の怪しげな 「新興宗教」 のように、なにやらいかがわしいものと映っていたのは事実だろう。

 そういったものが、最初から 「無知蒙昧」 な下々の民の間に広がるのはしかたないとしても、それが仏典なども読み、それなりに教養もあるはずの宮中にまで浸透してくるとなると、伝統や文化の守護者を自認していたであろう慈円のような人にとっては、たんに宮廷の保護を受けてきた既得権益者としての利害というだけでなく、まことに世も末というべき 「文化の乱れ」 であり、上流階級としての 「品格」 が問われる事態でもあったのだろう。

 若い頃は、「即位の器量にあらず」 と父親からも見放されていたような後白河が天皇になれたのは、先に即位した異母弟の近衛天皇がはやく死んだためだが、親父様からたいして期待されていなかったのは、このときも同様で、後白河をとばして、まだ小さいその息子(のちの二条天皇)を即位させるという案もあったらしい。

 しかし、それはあんまりだろうということで、とりあえず中継ぎとして即位することになったのだが、院政をしいて実権を握っていた鳥羽上皇がなくなると、とたんに宮中のいろんな対立が噴き出し、まずは兄の崇徳上皇との間で保元の乱が勃発する。その後、平治の乱から源氏の挙兵、さらに同じ源氏の義仲と頼朝の争い、次は義経と頼朝、頼朝による奥州藤原氏討伐と、次から次へと戦乱が続く。

 その中での後白河の行動は、つねにその場しのぎをやっていただけの無定見と見る人もいれば、武士の台頭という大きな歴史的変動の中で、なんとか諸勢力のバランスをとって、朝廷の力を保とうとできる限りの努力をしたと評価する人もいる。ちなみに、頼朝は後白河のことを 「日本国第一の大天狗」 と評したそうだ。

 とはいえ、「諸行無常」 という言葉のとおり、次々と諸勢力が勃興しては滅びていく中で、天皇退位後も、子や孫にあたる二条、六条、高倉、安徳、後鳥羽の五代に及んで院政をしき、後鳥羽をのぞく四人の夭折した天皇より永らえて、65歳まで生き続けたのは、当時としては十分に天寿をまっとうしたと言えるだろう。

舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり)
舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴させてん
踏みわらせてん
まことに美しく舞うたらば
華の園まで遊ばせん






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.02.21 14:25:50
コメント(20) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


Re:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
alex99  さん

私も私のブログでこのふたつの歌謡をのせました
なんともいい歌謡ですね

「まいまいつぶろ」と言う名称は、ここから来たのでしょうか



(2010.02.18 20:29:49)

Re[1]:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
かつ7416  さん
alex99さん
子供に限らず、人間は遊ぶために、戯れるために生まれてきたのだ、ということでいいのだと思います。
額に汗して働かなければならないのは、楽園から追放された報いなのだそうですが、ほっといても、いろいろと厄介なことは起きるものですし。

>「まいまいつぶろ」と言う名称は、ここから来たのでしょうか

柳田国男に「蝸牛考」というのがありますね。
柳田はカタツムリを表す方言の同心円的な分布から、都で新しく生まれた言葉が地方に次々と伝播したという仮説をたて、辺境にいくほど古い言葉が残っていると論じています。

これ自体は読んでませんが、「日本の方言地図」(中公新書)によれば、ナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デデムシの順に変化したそうです。
「まいまい」はこの歌ではなく、むしろ殻が巻いているところから来ているのでしょう。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/maimai/htmpage/nayurai1.htm
(2010.02.18 21:12:18)

Re:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
alex99  さん

私、政治的立場は別として、かつさんの書いているもの
好きで、たまりません

本当は、くだらないことを
いろいろ書き込みたいのですが

本当にこの人生なんて
胡蝶の夢
ですね


(2010.02.19 03:03:57)

Re[1]:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
かつ7416  さん
alex99さん
>私、政治的立場は別として、かつさんの書いているもの
>好きで、たまりません

どうもです。
しばらく、生臭い話はやめようと思います(笑)


>本当は、くだらないことを
>いろいろ書き込みたいのですが

>本当にこの人生なんて
>胡蝶の夢
>ですね
-----
ですね。
どうぞ、どんなくだらないこと(?)でも歓迎します。
(2010.02.19 04:03:27)

Re:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
薔薇豪城  さん
 定家の明月記を読みたくて図書館にはないので、堀田善衛の「定家明月記私抄」を借りてきた所です!NHK土曜時代劇の「咲くやこの花」で、進行役の定家くんのせりふを、梅雀が語っているのです。
 ドナルド・キーンの「百代の過客」には、定家くんの姉、俊成の娘の建御前の日記についての記述もあって、この家族っていいなあと思います。
 定家くんが「紅旗征じゅう」はキライ!って言ったのは、ほんとに政治や世の事は関係ない立場でいたい、っていう意味なんでしょうかね。本人は文学的知識こそ、政治を執る人間に一番必要だと思っていたんじゃないかと推測するんですが。ともかく、面白い時代ですね。 (2010.02.19 09:16:36)

Re[1]:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
かつ7416  さん
薔薇豪城さん
「明月記」そのものは、ほとんどが日常の細々とした記録で、おまけに難しい漢字ばかりの漢文なのでとても素人には読めたものではないと、堀田さんもおっしゃっています。なので、やはり「定家明月記私抄」がお勧めでしょうね。

定家の家は藤原氏といっても傍流で、それほど家格が高いわけではなかったので、結構苦労したようですね。それこそ、和歌しかおのれの身を立てる道はなかったので。

それでも、若い頃には自分より身分の高い者を、腹を立てて蝋燭で殴ったなんて話があって、結構かんしゃく持ちでもあったようです。おかげで、しばらく謹慎させられたそうで、昔も今も宮仕えは大変なのでしょう。

「紅旗征戎 吾が事にあらず」は名文句ですが、実際には人間はそういう時代や政治の動きに翻弄されざるをえないので、やっぱりやせ我慢かもしれません。

時代といえば、西行や鴨長明、法然や親鸞などもほぼ同時代になります。時代は人を作るというのは、やはり真理といえるでしょう。もっとものほほんと生きたい人間にとって、「乱世」というのは、けっしてお勧めではありませんが。
(2010.02.19 17:58:25)

全ては新古今から湧きだした  
kuroneko さん
ふーむ。パパバナナ(吉本隆明)がそんなこと言っているんですか。
「新古今」は狭い貴族社会の中で、平安の貴族社会が崩壊するときに生まれた、芸術至上主義の孤高の歌集、ってイメージがあるとすれば、錯覚ではあるでしょうね。
ただ、「俗化」というのも俗ではない「ハイブロウ」なものを前提としている言い方だろうし…。ちょっと違うかな。

中世和歌の世界へ向かって、ということは連歌が隆盛する時代へ向かって、それまでのなだらかな「和歌」の世界から尖って、きしむ音がしだしたような歌集とはいえるでしょう。体言止めの緊張感とか。
日本の詩歌の、とくに新古今の「華麗さ」って、「パルナッソス性」(今作った言葉)ではないんでしょう。きっと。
そしてその言葉の「戯れ」と「揺らぎ」は中世の連歌、近世の俳諧を通じて江戸時代の俗謡まで続いていく。
(2010.02.25 20:22:54)

Re:全ては新古今から湧きだした(02/18)  
かつ7416  さん
kuronekoさん
最近、不景気のあおりか、仕事が少ないもので、書棚に放りっぱなしの本をいくつかつまみ出して読んでおります。パパバナナの「初期歌謡論」も10年以上、積んだままでした。

吉本の「新古今」解釈が斬新なのか、それともそうでないのかは分かりませんが、後白河の話は当時の宮廷が民衆の文化に追い上げられていたことを象徴していますね。そういう関係は、室町での能楽の勃興とかにも当てはまるでしょう。

庶民の世界から生まれた「俗」なものを洗練させて、ひとつの芸術に仕上げていくというのは、俳諧でもそうですね。そういうのは、中世以降、繰り返し現れているパターンのように思います。
(2010.02.25 22:19:34)

やせ我慢  
はやとも さん
「やせ我慢」というのは、いかがなものかと思えます。
あの時代は、業平からはじまって、不可避的に貴族の間に政治に対する拒否反応が生まれてきた時代だと思います。
武士に利権をどんどん奪われてゆく時代にあって、それでも未練たらしく政治の話ばかりしている貴族がたくさんいて、文学の才能があるものたちは、そういう風潮にうんざりしていた。定家もそのひとりで、彼は、西行に対していささかのコンプレックスと対抗心があったという話を聞きます。彼は、立場上、そこまで思い切ったことはできなかった。でも本心は、政治のことなんかぜんぶ投げ出してしまいたかったのだろうと思えます。
そうしてその後、すっかり武士の世になってもまだ政治の話がやめられない貴族がけっこういて、そういう連中の不満や愚痴を吸い上げながらやがて南朝を立ち上げた後醍醐天皇が登場してくることになる。
少なくとも新古今集においては、政治に対する拒否反応が強いものほど才能が豊かだったというような傾向があったのではないでしょうか。で、それが、この国の文学の伝統になってゆく。業平・西行から芭蕉まで。
政治に文学が必要だと思っていたのではない。政治なんかくだらない、というのが文学だった。
この国で、西洋人を真似て文学者も進んで政治の話をするようになってきたのは、明治以降のことであり、それでも、川端康成や吉行淳之介は、そういう話をするのをひどく嫌っていた。 (2010.02.28 10:13:44)

Re:やせ我慢(02/18)  
かつ7416  さん
はやともさん

コメントありがとうございます。
「やせ我慢」という言葉は、たしかに一般には嘲弄的な語感がともないますね。

しかし、私は必ずしもそうは思いません。福沢諭吉も言ったように、「やせ我慢」とは時流の力を知りながらも、それに乗ることを肯んじない「抵抗」の精神のことでもあります。

芸術に対する大衆的な市場が成立した近代ならいざ知らず、中世では「非生産者」たる芸術家は、まずは生活のために、政治的権力者や富裕層に寄生せざるを得ません。政治的な動向、権力の消長は、今よりもはるかに、彼らの生活に直接影響を及ぼしたことでしょう。

その中で、定家のように自立した表現者として生きることは、必然的に「やせ我慢」を必要とすることでもあったのではないかと思います。
(2010.02.28 15:06:50)

やせ我慢のレベル  
はやとも さん
だったら、あなたたちはななぜそうやって政治のことを語るのですか。「遊びをせんとや生まれけん」であるのなら、どうして政治のことを語るのですか。あなたたちに、定家の「わがことにあらず」というつぶやきを肯定する資格や能力があるのですか。あなたたちは、どうして政治のことを語る能力のない「無能」で「無用」な人間になることができないのですか。「やせ我慢」なんかじゃない。しんそこ「政治なんかくだらない」と思っていた。「やせ我慢」で言うから、福沢諭吉みたいに中途半端な言説になってしまうのでしょう。
政治の庇護をあてにするほかない現実なんか、どうでもよかった。
その生きてあるかなしみが、政治のレベルにあるかぎり、文学的才能もはんぱなレベルになるほかない。政治などというものに「やせ我慢」しているかぎり。
そんなことをいちいち気にして見栄なんか張っていたら、文学なんかできない。おまえらが俺を庇護することなんか当たり前だろう、と思っていただけなんじゃないですか。
そんなことを気にするのは、「近代」の意識だろうと思えます。
彼らは、もっと深いところで「やせ我慢」していたから、「わがことにあらず」といったのではないのですか。
(2010.03.01 00:45:47)

平安貴族のどこが非政治的なんだろう  
kuroneko さん
藤原定家って、「政治」を諦めたり傍観したりなんてしていないんじゃない? 少なくとも官位の昇進は熱烈に願って猟官運動はしているし、実務だって勤めあげていて(たしか式子様の家宰の立場だっけな)、出家などしないでしょ。
新古今の有力な作者で「政治」に関係、関心のない人って、出家か女性でしょう。後鳥羽上皇は大天才の歌人だけど、政治への意欲満々ですもんね。(その方向には才能ないけど)
藤原良経も立場上、政治から逃げられなかったろうし。

そもそも、平安時代に今と同じ「政治」なんて観念はなかったろうけど(「文学」観念は、近代的ではなくても、今と似たものはあったと思う)、でも、貴族社会にはいくら武士が台頭しようとも、その固有の「政治」があったので、政治を放擲して風流三昧なんてできるわけはない。

だいたい「紅旗征戎」って字面の上では少なくとも、「政治」と同義ではありません。むしろ軍事です。
源平の世の戦乱に対する忌避感ではあっても、政治や社会に対する関心を広く指しているのかどうか、(そして「紅旗征戎非吾事」が、政治や社会参加の拒絶かどうか)はそれほど自明ではない。

たしかに日本文学は恋と花鳥風月に偏して、杜工部の「兵車行」も白楽天の新楽府も生まなかったけど、平安や中世の貴族が、政治を疎んじたり軽んじたりしていたとも思えず。
鎌倉、室町の御代でも、京都の貴族は「政治」をしていた。「武士に実験が奪われた」なんて中学の教科書みたいな記述は大雑把な話でしょう。 (2010.03.01 02:46:53)

政治のこと  
はやとも さん
たしかに京都の貴族も「政治」をしていた。だから南北朝が生まれてきたのでしょう。しかしそんなことはどうでもいいことで、この国の文学のテーマはいつだって政治にはなかった。
政治を語らずに花鳥風月や恋のことを表現していたということは、彼らの生きてあることの煩悶が、政治とは別のところにあったということです。
政治や戦争が「労働」だとしたら、花鳥風月や恋は「遊び」でしょう。
その「遊び」の部分に生きてあることのテーマがあった。
定家の才能や生き方が中途半端で政治的なこともしていたとしても、彼の文学のテーマは、あくまで「遊び」のことにあった。
女や坊主だけじゃない。縄文時代以来日本人の生きてあることのテーマは、いつだって「遊び」という「実存」の問題にあった。
定家だって、政治のことに「やせ我慢」していたのではない。西行と同じように、人間が生まれてきて死んでゆくという問題をつねに抱えていて、そのレベルで「やせ我慢」していたのだと思う。
必死に猟官運動をしていたということは、それほどに自分の文学的才能を枯らしたくなかったからでしょう。才能のある人間が清らかな清貧に甘んじると思ったらとんでもない話で、才能があるからこそそういうこともなりふりかまわずできるのですよ。
太宰治だって、なりふりかまわず芥川賞を欲しがった。だからといって、太宰の生きることのテーマやアイデンティティがそういう「政治」にあったかというと、そうじゃないでしょう。 (2010.03.01 13:33:04)

わたしは日本にも叙事詩があると思うんですが  
kuroneko さん
 「政治」と「文学」という割りきり方をすると、文学が政治的な主題を扱うなんて世界標準だったり、日本以外はみんなそうで、日本だけ特殊なんてことあるのかな? 文学ってどこの文化でも「遊び」なんではないか。
まあ中夏は官僚が詩歌もつくる文化だけど。
政治を主題にした文学って、たとえばヨーロッパ中世だとどんなものがあるだろう。騎士物語とか武勲談はは色恋だけではないから、広い意味の政治を扱っているんでしょうが、でもそれなら本朝の「平家物語」も、歴史を扱って政治と軍事のことに明け暮れている。横笛とか袈裟とかエピソードはあるでしょうけど。
全く世界文学に疎いけど、政治だの思想だのをテーマにした文学、特に詩歌って、かなり特異なんではないかな。もとより近代以前の「文学」、詩歌に叙事性、物語性はあったでしょう。昔は「うた」がルポルタージュで、吟遊詩人は「あんなことが
あったよ」という情報を伝達していたのかもしれないから。
でもそれなら琵琶法師の語る日本の語りものも叙事詩分類できて、日本の韻文も色恋と花鳥風月だけでなく社会現象を叙述していたといえるのではないかなあ。
近代みたいな思想はなくて、せいぜい「無常感」だけど、でもヨーロッパだってもともとはたいした思想はないんじゃないかしら。近代になって頭でっかちになったからあーだこーだいうようになったけど。 (2010.03.01 15:23:00)

Re:やせ我慢のレベル(02/18)  
かつ7416  さん
はやともさん
今はちょっと忙しいので、すべての論点について答えることはできません。ただ、ひとつ申し上げると、あなたには、いささか一方的で乱暴な決め付けと、飛躍しすぎるところがあるように思います。「あなたたちは」などと、どこのどういう集団を指しているのかも分からぬ語り方をされても対応のしようがありません。

文学が「非俗」な世界を描きうるものだとしても、そのような世界を生み出す人間までが超俗的でなければならぬわけではありません。ですから、定家が猟官運動をしていようと、太宰が賞ほしさに佐藤や川端に手紙を送っていようと、それは別に構わないでしょう。「才能のある人間が清らかな清貧に甘んじる」べきなどとは、おそらくkuronekoさんも思っていないでしょうし、私も思っていません。

しかし、文学が人間のすべてを描きうるものだとすれば、その中から時代や社会のことをことさら排除しなければならぬ理由はないでしょう。ただ、個々の作家がなにを主題とするかは、それぞれの資質と好みの問題としか言いようがありません。「花鳥風月」を題にしているのは高級で、世俗の問題を扱っているのは低俗だという話ではありません。またその逆でもありません。

なお、諭吉の名を出したのは、彼に維新後の勝や榎本の身の処し方を非難した「痩我慢の説」という小論があるからです。生涯、官職につかなかった福沢には、彼なりの「痩せ我慢」があったのでしょう。もっとも、そこで非難された勝や榎本の側にも、当然ながら、言い分はあったことでしょう。ご存じなければ、「青空文庫」で検索してみてください。
(2010.03.01 17:47:14)

Re:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
alex99  さん
いや~

出だしは良くても,熱が入ると,勝ち負けにこだわり,本来のコアな論点からスピンアウトして,OBしてしまう人がいますよね

「やせ我慢」という言葉の奥行きを無視して、一元的にネガティヴにとらえながらロジックを進めたら,その時点で、話が薄っぺらくなってしまいますよね

私など,先祖の殆どが武士でしたから,「高楊枝」と共に、無条件に美しい言葉だと信じてきました(笑)

話は変わりますが,明治維新の身分制度、特に士族階級の廃止と,俸禄のストップって、ものすごく過酷な革命ですね
それまでの日本を支えたエリート・テクノクラートが,瞬時にして路頭に迷ったんですから
武士の商法という、悲劇を暗示する言葉を残して
おかげで私など、先祖で金持ちは一人もいない(笑)

それにGHQの農地改革も,日本の農業を壊滅させた(細切れ農地ばかりになってしまって、大規模農業が出来なくなった)という点で、米国の陰謀だという陰謀説です(笑)


(2010.03.06 08:19:53)

Re[1]:遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん(02/18)  
かつ7416  さん
alex99さん
まあその、自分で作ったステレオなイメージを投影して、非難されてもちと困るという話ではあります。そういう単純なことは言ってないんだけどな、みたいな。

いろいろと誘惑に満ちた世間の中で、道を踏み外さずに生きていくには、痩せ我慢も必要な美徳のひとつでしょう。もっとも、霞ばかり食ってるわけにはいきませんが。

西行でも利休でも芭蕉でも、けっこう俗な生き方をしてますね。それを「漂泊の詩人」というような超俗的イメージで塗りつぶしたのは、むしろ明治以降に輸入された近代的芸術観の影響を受けたものでしょう。

漱石なども、死後に弟子からすっかり「聖人」視されてますが、そんなことはない。生きてるからには、当然俗な部分もあるし卑小な部分もある。俗な部分があるからこそ、それを超えた世界への希求も生じるのでしょう。それを指摘することは、なにもそういう人を自分らのレベルまで引きずりおろして嘲笑おうということではないのですが。

>話は変わりますが,明治維新の身分制度、特に士族階級の廃止と,俸禄のストップって、ものすごく過酷な革命ですね
>それまでの日本を支えたエリート・テクノクラートが,瞬時にして路頭に迷ったんですから
>武士の商法という、悲劇を暗示する言葉を残して
>おかげで私など、先祖で金持ちは一人もいない(笑)

うちは母方のほうは武士だったらしいですけど、たいしたものは残ってません。日本の近代は、そういう点では結構流動性が強いですね。三代たったら、ただの人みたいな。戦後も、没落貴族や没落地主は多かったようだし。
むしろ、最近の方が階層の固定化が進んでいる感じがしますね。とくに政界とか。
(2010.03.06 12:31:10)

コメント失礼します☆  
masashi25  さん
ブログ覗かせてもらいましたm(__)m
もし差し支えなければ見に来て下さい♪
http://ameblo.jp/sapurimania/
マメ知識とかも書いてます!
http://sapuri.shop-pro.jp/
ちなみに愛用してるお店です☆
いつの間にか常連になってました(笑) (2010.03.17 01:38:14)

「誰が」の政治  
南郷力丸 さん
 今頃になってナンですが。
 この当時の「政治」って何だったのだろうか、調べるのも簡単じゃないんで、考えてみました。それで思ったのが、単に「人事」じゃなかったのか。そして、実権をどの人、どのグループが握るかということだったのじゃないか。実権を握ってどうする、じゃなくて、実権を握れば自分はどうなるが「政治」の意味するところなんじゃないかと。
 おそらく、今の「政治」というのが、本来は「政策」やその「体系」のあり方についてであるはずなんですが、それに対し「誰が」というのが当時の「政治」の主題だったんじゃないか、ってことです。
 そう思うと、現代においても、本来の「政治」を語らずに、「誰が」の話ばかりで終始している自称政治ブログなんてのもありますが、何なんでしょね。「政治」に無関心じゃない、けれども、そんな話が「政治」論議だと思われてるのなら、それよりは、遊びをせんと思いますね。 (2010.03.31 21:55:41)

Re:「誰が」の政治(02/18)  
かつ7416  さん
南郷力丸さん
最近、更新が滞っております。忙しいのもあるし、ネタが尽きたのもあるし、少ない自由時間をもっと有効に使いたいというのもあります。なにしろ、積読本がたまってますから。

たぶん、その当時の「政治」ってのは、それにまつわる利権が一番の関心だったのでしょうね。いつの時代でも、地位には利権が付き物ですから。国政の方針なんてことは、誰も考えてなかったと思いますよ。

>「政治」に無関心じゃない、けれども、そんな話が「政治」論議だと思われてるのなら、それよりは、遊びをせんと思いますね。

まったくおっしゃるとおり。なに党がどうした、かに党がどうしたというような話には付き合いきれません。
(2010.04.01 05:43:05)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: