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●●●父のことでは、みんなたくさんのコメントをありがとう。本当は一人ひとりにお礼を書きたかったのだけど、うまく言葉も見つからずこの場をお借りしてみんなにお礼を言わせてもらいます。優しく、温かい言葉、本当に本当に嬉しかったです。ありがとうm(_ _)mそして今回思ったのが、コメントいただいた方の中にも、知り合いのママたちの中にも、同じように親を亡くしている人たちが、また、悲しい思いをしている人が、たくさんいるんだな。。ということでした。私も3月には31才。もういつまでも親が元気でそばにいてくれると安心して過ごせる年ではなくなってきているんだな・・・なんてさみしく思ったりして。それでも日々はどんどん過ぎていくわけで、私も毎日泣き暮らしているわけでもなく、案外普通に元気です。そして1日のどこかで父を想い、思い出し、そんな風に過ごしています。で、タイトルの「夫婦の壁」なんですが・・・。今回、父が亡くなって、なんとなく、夫との距離が勝手に開いちゃってます(汗)この感情をなんていったらよいのか分かりませんが、「超ぶっちゃけ」て言えば、なんとなく他人に感じるんです。。いや、夫はホントによくやってくれてます。私は父が容態が悪い時、東京と高知を行ったりきたりしてひどい時には子供を夫に預け、置いて帰ったりもしました。その間も子供の面倒見てくれたり、亡くなった時は子供と一緒に駆けつけてくれたし、お葬式なんかの時もぐずる次女を式にもほとんど参列せずにあやしてくれたり。。本当に感謝してるんです。でも、その感謝の気持ちとは別に、私が父を思い出して悲しい時、その悲しみがどうしても一緒に分かち合えないというか・・当たり前なのは分かるんだけど。私も正直、もしも義父母が亡くなった時に、夫と同じ悲しみの深さではないだろうし(--;あ~。結婚生活8年。親と暮らしたのが20年。まだまだ「父」という最初の恋人には勝てないのか!?夫よ・・・(どんだけファザコンだよ~・・とひかないでください・・T▽T*)父も、昔はよく母にブツブツ文句言ってたけど、私と姉が遠くにお嫁に行ってからは、すっかり仲良しになってよく「どこに行くにも一緒だね~」なんて言われる夫婦になってました。最期の方は、病室に母がいないと「おかあさんは?」とすぐに言って、あまりしゃべれなくなってからも「おーい、おーい」と呼んでは手を握ってもらって安心してました。娘の私たちでは、母の存在にまったくかないませんでしたね。私たち夫婦も、これから先、何十年も連れ添えば、そんな風になれるかな?って、その前に、支えてくれた夫を他人呼ばわりしているようじゃダメだよね~(^^;今日はもう少し、「壁」を割って歩み寄ってみますか!●●●Designed by unamama
Jan 30, 2007
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●●●ご無沙汰しています。実は、ずっと闘病中だった父が今月亡くなりました。12月に誕生日を迎えて60歳になったばかりでした。父は10年前、私が20才の時に大腸がんになりました。かなり大きな手術で、その時に5年後は分からない、とお医者さんに言われました。それでも、2年ほど前までは、再発したりもしましたが、その度に手術を受け、回復し、元気に暮らしていました。でも、腰の骨に転移してしまってからは、入退院を繰り返し、痛みもひどく、とくにこの1年はとてもつらそうでした。昨年、12月に入ってからさらに容態が悪くなって、私もお姉ちゃんも、実家と自分の家をいったりきたりしていました。お姉ちゃんは産後だったのに大変だったと思います。最期の方、もう父は意識もほとんどなかったのですが、玉こ屋お姉ちゃんが先月12月に生まれた赤ちゃんを見せた時は、言葉は出せなかったけど、顔をくしゃくしゃにして今まで見たことのないような嬉しそうな顔で笑ってくれました。亡くなってからは、お通夜、告別式、と悲しむ間もないくらいに時間だけが流れていって、やることはいっぱいあるし、ただただ実感のないままに現在に至ります。正直、本当に見ていられないほど苦しみましたし、かわいそうで、つらくて、私を含め家族のみんなが「これだったら早く楽にしてあげたい」と願っていた気がします。でも、やはりその一方で、意識もなく、話もできない状態でも「お父さん」と呼んで手を握れば、ぎゅっと握りかえしてくれるその手が、温もりが、なくなってしまう事がなによりも怖かった気もします。私も、姉も、多分世間で言うところのファザコンで(笑)、本当にお父さんが大好きだったのです。お父さんと話すのは楽しかったし、子供たちもじっちゃんが大好きでした。あー。。さみしくなりますね。。。今はもうこちらに帰ってきて、子供たちの学校・幼稚園も始まり通常通りの生活が始まっています。私は連絡不精で、前から実家に電話もメールもほとんどしませんでしたから、この家にいると、高知に帰れば普通に父がいるような気がしてなりません。新年早々、悲しい話におつきあいくださってどうもありがとう。もうPCもまったく開いてなくて、このままやめてしまおうかとも思ったのですが、やっぱり、ここに遊びにきてくれているみんなには知っておいて欲しかったのです。・・・なんて、コメントに困るのに甘えてしまってごめんね。あとは、なんといっても、まるちゃんママのお腹に宿った新しい命に励まされたんだよ~。、、勝手に名前出してごめんね(笑)一時期、闘病中の父を毎日見ていて、「生きていく勇気」が私の中で崩れそうになった時期があって。これから先、こういう風に父は苦しむばっかりで、つらいことしかなくて、そんなに非道なことしてきた人生じゃないはずなのに、なんでこんなに苦しまなきゃいけないんだ、どうして。。こうやって、みんな、最期は苦しみながら逝くんだろうか、私も、夫も、子供たちも、私の大好きな人たちも苦しむのだろうか。。・・って、そんな事ばかり考えてて。でもそんな考えは、それは父の死に顔を見た時に、すべて消えていきました。娘が言うのもなんだけど(笑)、ホントに綺麗な顔で、あんなに苦しかったのが嘘のように微笑んでいる顔なのです。その顔は、「ああ、お父さん、満足してるんだね。幸せだったんだね」って、胸を張って言える顔をしてました。やっぱり生きるって素敵な楽しいことなんだ。生まれて来る命は嬉しい喜びなんだって。今世間では自ら命を絶ったり、人の命を殺めたり、そういうことが簡単に行われてるような気がするけど、そういう人たちに見て欲しい。知って欲しい。父がどれだけ頑張ったか。生きていようとしたか。そういう私も、やっぱり日常に戻るとバタバタで子供をどなったりイライラしたり、日々反省で生きています(^^;それでも、父の娘に生まれたことを誇りに思って、これからも頑張っていこうっと!えらい長々書いてしまいました。読んでくれてありがとうm(_ _)m リアル友のみんなもお知らせしてなくてごめんね。今年は次女も幼稚園入園です。また少しずつ、ここでみんなにお話聞いてもらえたらいいな~って思ってます(*^^*) ●●●Designed by unamama
Jan 26, 2007
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