プロ野球情報館

プロ野球情報館

2005年06月28日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
伊良部秀輝
伊良部秀輝 いらぶひでき 1969~ アメリカ大リーグで6年プレーした日本プロ野球界屈指の速球投手。マウンド上での悪童ぶりなどで話題も多い。

沖縄県コザ市(現、沖縄市)に生まれ、兵庫県尼崎市でそだつ。若草中学時代にボーイズリーグでエース、4番打者として活躍し、香川県の尽誠学園高校に進学、1986年(昭和61)、87年の2年連続で甲子園(→ 高校野球)に出場する。88年ドラフト1位でロッテ・オリオンズ(現、千葉ロッテ)に入団。速球投手として将来を嘱望されていたが、強気のピッチングが災いしてか、93年(平成5)までの6年間の通算成績は23勝32敗とあまりふるわなかった。しかし、94年には15勝10敗、239奪三振を記録して、最多勝と奪三振王のタイトルを獲得、名実ともにロッテのエースになった。95年は239奪三振、防御率2.53で2冠。96年は防御率2.40でタイトルを獲得した。

1993年、西武戦で日本最速の時速158kmをマークして、日本プロ野球ナンバーワンの剛速球投手になった。そのころから野球の本場で実力をためすために大リーグ入りを熱望。96年オフに球団側はサンディエゴ・パドレスに独占交渉権を譲渡したが、本人はヤンキース入りを主張して日米の野球界をまきこんだ問題になる。結局、97年5月、新人としては史上最高金額の850万ドルで、ヤンキースと契約、念願のメジャー選手となった。

ヤンキースでは、1997~99年の3シーズンで29勝20敗の成績をのこし、99年末にモントリオール・エキスポズ(現、ワシントン・ナショナルズ)に移籍。エキスポズ時代は故障がつづき、2001年シーズン途中で解雇される。02年、テキサス・レンジャーズと契約、ストッパーとしてチーム最多の16セーブをあげる活躍をみせたが、7月に肺血栓がみつかり故障者リストに入った。11月自由契約となり、阪神タイガースに移籍。03年は13勝をあげ、阪神の18年ぶりの優勝に貢献した。

2005年3月、ヒザの故障のため現役を引退。日本での通算11年間の成績は、72勝69敗、防御率3.55。大リーグでの通算成績(1997~2002)は34勝35敗16セーブ、防御率5.15。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年07月17日 20時51分24秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: