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私が小学生だった頃はトマトやピーマンはもっと青臭かった。だから給食の時間になると、トマトやニンジン、ピーマンが食べられなくて、5時間目の授業が始まっても、給食室に残されて、食べるまでは席を離れられずに、泣いている子が何人もいた。私は「食事なんてお腹がいっぱいになればいいんだ」という、戦時中に育った母のおかげで、家のご飯がまずかったので、鎖骨を折ろうが、足を怪我しようが、休まず学校へ通い、給食を堪能していた。給食が食べられない子供がうらやましかったな。お家でどんだけいいものを食べているんだろうって(笑)食い意地が張ってました。ちなみに息子は子供の頃、誰かの家に連れて行くと、まず、そこの冷蔵庫を開けてチェックするので、主婦仲間に恐れられていた。こういうしょうもない遺伝子は受け継がれていくようだ。食べ物と女性に対する嗜好は似ているという考えには、深いものがあると思う。今は接待などで儲けていたバカ高いお店は、ある程度淘汰されたのではないだろうか。私はたましか外食しないので、ちょっと高級なお店が好み。味さえそこそこならば、どんな雰囲気でもいい、とか、お腹がいっぱいになればとりあえず満足、とか、そういうのは残念だと思う。やっぱり、味だけでなく、お店の雰囲気や器や盛り付けや、サービスや景色など、いろんなものを含めて、一緒に過ごす時間を楽しめる人が理想。そういう人は、人生も豊かだと思うから。
2011年04月30日
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連休で息子が研修先から一時帰宅した。「景色はいいよ、いつも風呂屋の富士山が目の前にドーンとあるって感じだよ」ほー「すしがうまい!あなごのうまい店をみつけた」いいね!「どうして発電所から送られる電気が交流かわかった」大丈夫か!?なんて、話をしていると、なんか元気になる。今日は友達とドライブしてバーベキューだと出かけていった。楽しい人、やる気に燃えてるヤツと一緒にいると、それが伝わってくるんだなぁ。研修が終わっても東京勤務になって欲しい。今はそれを願うのみ。意外に子離れしてなかったな、自分。
2011年04月29日
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日々、校正の仕事などをしていると、人間はほんとに間違えることが多いものだと実感する。校正を書きこみながら、それがまた間違ってしまうこともある。あり得ない誤植も多々ある。例えば消防関係のライセンス本で防火設備→放火設備火災報知器→火災放置器なんてのがあったりする!著者名や社長名タイトルなど、もう絶対に間違ってはいけないものが、どういうわけか、数々のチェックをすり抜けて仕上がってきたときに、違っており、あ~っ、刷り直しぃいい~~~~!!!なんてことも。原発の安全神話もほんとに神話に過ぎなかった。本なら刷り直しができるが、原発はとりかえしがつかない。毎日、うんざりする事実の連続だ。ずっとたどり着けないプールのなかを泳いでいて、顔を上げると、欲に目がくらんだ人ばかりがおり、また水に潜って一人あがいているような、そんな気がする。醜いものを隠すためでない、芯から美しいものに出会いたい。
2011年04月28日
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暗誦している数少ない詩のうちのひとつ金井直さんは、10代の頃から大好きな詩人です詩集<飢渇>からあじさい 金井 直また季節はめぐりきて うすむらさきのほほえみはよみがえるあなたは思い出 いつみても懐かしい いつまでもあなたのそばにいると あなたの色が沁みこんでくるようだかけがえのない愛の色よ あなたの繁みの奥にこころのゆりかごを静かにゆり動かす手がある あなたの蔭に「時」のない影があるだがもう あなたの芯から名前は生れではしてもむかしのあなたではないあの日のいのちとともにうすれて いつか消えてしまったただひとたびの美しさよいまあなたにくまどられながら じっとあなたをみつめていると眼が痛くなり 眼を閉じると 急にまわりが広くなる遠いものは近くなり 近いものは遠くなるあなたの中に私が在るのか 私の中にあなたが在るのか わからなくなるそして 人というものが哀しくなってくる
2011年04月27日
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【送料無料】白い薔薇の淵まで価格:460円(税込、送料別)私はふだんあまり小説は読まないのだが、これはあるパワーブロガーの方が紹介されていて、印象にあったので読んでみた。同性愛の話である。著者の中山可穂さんは、ご自身も同性愛者だとカミングアウトしている。この小説はある作家の本から始まる。主人公の女性は青山ブックセンターでふと手にした本を戻した瞬間に「どうしてそれを買わないの?」と声をかけられる。声の主はその本の著者。店を出ようとすると外は雨が降っており、彼女からカサを借りることになる。それからは、このふたりの性愛が最後までず~~~~~と続く。第14回山本周五郎賞を受賞したというだけあって、その心のひだや、細やかな愛撫の表現力たるや、圧巻であった。主人公の「私」は初めて彼女と愛し合ったときに「今までいろんな男性とつきあってきたが、それは単なるスポーツのようなものに過ぎなかった」と、目覚める。人が人を愛するというのは、相手や自分の弱さやわがままを、どこまでも許して受け入れて、こんなふうに溺れていくものなのかなぁ。見栄も世間的な成功も、色あせてくる…同性愛に対する偏見も間違いだったのかも、とこの本を読んで思った。去年亡くなった広島の男友達は整体師だった。彼は人の体に触るときはその前に合掌行気という、自分の両手に気をおくる「行」をやっていた。たぶん彼にとって相手の「体」は単なる「物体」ではなく、今そこにある「命」そのものだったのだろう。細胞の一つ一つを呼び覚ますかのように、そっと優しく、大切にしかも、少しの変化も見逃さないように、触れていた。その、命に対する謙虚さや、誠実さに、身をゆだねる心地よさは、ほかで味わうことはできなかった。言うまでもなく、巷にあふれている整体とはまったく違う、体に響くのは、技術ではなく、彼の美しい心である。美しい心は欲によって汚れる。ただひたむきに磨かなければ、あなたの求める、ほんとうの愛情は得られない。
2011年04月25日
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昨日は友人とまつ毛パーマとネイルに行った。友人の回数券で私の分も払ってもらい、ほんとにありがたい。サロンの人も巻き込んで涙を流しながら笑ったあと、二人で買い物をして私の家でご飯を食べた。その間ずっとしゃべりまくり、アホ話しで笑い転げていたので、ほんとに楽しかった。息子がいないので、こんなふうに誘ってもらったり、一緒にご飯を食べてくれるとうれしい。独居老人の淋しさが少しはわかる気がする。金曜日は美容院で「滝川クリステルのような髪型」をオーダーしたので、月曜日は磨きのかかった私に課長もビックリかも(笑)中身は変わってませんが…
2011年04月24日
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会社帰りに地元のドンキホーテの家電売り場をのぞいたら、以前から欲しいと思っていたヘルシオが破格の値段で現品限り!だったので、衝動買いした。それが19時過ぎのこと。21時半頃に配達に来てくれたが、思いのほかデカイ。「申し訳ないけれど、家の中まで入れてもらえませんか?」とお願いして玄関の中に置いていただいたが、ビクとも動かない。それを見かねて、「部屋の方へ持って行きましょうか?」と配達の方が言って下さったので、リビングまで運んでいただき、段ボールの箱から出してもらった。さらに、部屋の中央の床にオーブンレンジがあっても使えないので、テーブルの上まであげてもらう。今までのオーブンレンジと入れ変えましょうと、彼が棚の高さを測ってくれたのだが、広げないと入りそうもない。「大変ですね。大丈夫ですか?もうちょっと高さがあれば入るのにね」なんて、優しい配達の方なのかしら♪ 感激!でも、しかたないので、後は自力でなんとかしますと、段ボールを解体してゴミに出し、棚の上の部分を外して幅を広げた、そして古いオーブンレンジを外まで運んだ。もう時間は22時半を回っている。は~、さて、どうするか。夜遅く申し訳ないが、デパ地下でお弁当を作っている隣の人に電話して、助けにきていただく。彼女は60歳を過ぎているのだが、私が動かせもしないヘルシオをひょいと持って、棚に乗せてしまった。「いつも重いおかまとか鍋を持ちあげているからね!」無力な自分にガクッとしながらも、ほんと、周りの方に助けていただいているなぁ。感謝、感謝です。昨夜は美味しいプリンを作りました。
2011年04月23日
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会社にコーヒーを運んでくる喫茶店のオヤジが、いつも机の上にコーヒーをこぼしたまま行くので、現行犯を捕まえて「こぼしたら、ダスターを持ってきて拭いたらどうですか?」と言ったら、返事もしないで行ってしまった。次に現れたときは、机にお盆を置かないで、持ったままポットからカップにコーヒーを注いでいた。そこまでして机を拭くのがいやなのかしら。どうしてダスターを持ってこないのか、不思議。棚の引き出しを最後まで閉めずに行ってしまう人がいるので、「○○さん、引き出しをちゃんとしめてください。今回は私が閉めますが、ときどきあるので気をつけましょう」「あれ?どうして閉まってないのかな?」「閉まるまで確認しないからですよ」なんてこともある。そのほか、速達や料金後納のはんこを押さない人や、海外便の伝票の不備やメール便の伝票を書かないで荷物だけ置いていく人などに、いちいちやり方を説明する。今日はほかの部署でアルバイトをしている男の子が、背広にネクタイをしているのに、擦り切れた革靴を履いているので、「靴を磨きなさい」と言ってしまった。「いや~、ちゃんとしたところには、いい靴を履いていきますから」「ふだんがちゃんとできてないと、いざというときにも、ちゃんとできないのよ。いい靴を履けとは言わないけど、靴ズミをつけて磨くの!」「でも…面倒だし」「男は足元を見られるの、靴のお手入れは大事なのよ」なんてやりあっていたら、後ろから「おかあさんの言うことをききなさい」(笑)ありゃ~会社でもおかあさんになっちまったよ!
2011年04月20日
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週末、春日部に住んでいる友人と食事をした。しばらく会っていなかったので、話題は地震のことである。彼女はご主人と子供2人の4人暮らし。息子はすでに社会人で、娘は大学生。都心まで仕事にきている。地震のあとで、原発が爆発するという騒ぎがあり、それを真に受けた彼女は、親子で富山まで逃げて、「旅館に2泊してうろうろしたから20万円くらいかかったわよ~」という。帰ってからも、何度も計画停電にかかり、「夕飯の支度をしていたら、バシッと電気が切れて、真っ暗。信号機も止まっていて怖い中、車で娘を迎えにいき、電気のついているレストランで家族で食事、その都度5000円の出費だよ」それだけではない。休日は水やトイレットペーパー、備蓄品の買い出しである。「家の近くのスーパーが5時に閉まってしまい、買い物ができないのよ」そんなこんなで振り回される毎日。やっと落ち着いたかと思われた頃、会社帰りにあった大きな余震。「あの日は東武線が動かなくてグルグル回って、家まで5時間もかかっちゃったw」ついに力尽きて、会社を休んだという。かと思えば、今日会った友人は、韓国に避難した知り合いが、放射能を感知するというキーホルダーを送ってくれたというので、それをつけて新宿歌舞伎町へ飲みに行ったら、警報が鳴り始めて、止めることができなくて大あわて。「歌舞伎町って、なぜかあそこだけ放射能がやばいんだよ」と、真顔で言っていた(笑)なぜ?あの変なカエルの鳴き声みたいな、地震警報も毎日そこらじゅうで鳴り出すし…「なんだか私、最近食事のあととか、お風呂の湯船につかったときとか、ふ~っ、って意識が遠のくんだよね。ウトウトしていたりしてさぁ」もう、歳かな?と私が言ったら、二人ともが、「いや~、疲れているんだよ!」そうだね、みんな心身ともに、疲れてるよね。
2011年04月16日
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めざましテレビでチェーンメールの発信元をたどる企画をやっていた。「コスモ石油コンビナートの火災で有害物質が…」という、デマの発信元はツイッターだった。この部分だけを見ているとツイッターが、あっという間にデマを広げていくツールみたいだ。でも、今回の地震関連で私はツイッターのすごさを実感した。確かにいろんな情報が流れてくる。なかには「え~そりゃないでしょ」というのも。すると、すぐにそれは正確な情報発信者によって否定される。見事だ。今は正確な情報かどうかを個人が瞬時に見極めること、なんて無理。そんなすごい情報リテラシーを持っている人は少ない。だから、ツイッターなら、どんな人をフォローしているのか。誰のブログをチェックしているか、どんなサイトを見ているか、つまり自分のニュースソースは誰、どんなところか、というのが大事なんじゃないかな?大スポンサーである東電とのからみで、マスコミは真実を報道することができなかった。東大だって、研究費をたくさん出している東電の肩を持つしかなかった。逆を言えば、そんな体質だから、原発の深刻な問題は起こったのだと思う。4月といえば新学期。小学校の役員決めも始まっているのだろう。私も息子が小学生のときは広報委員をやって、学校とPTAという組織にうんざりしたことがあったなぁ。広報誌に具体的なことを書くと必ずクレームがついた。給食の内容、楽器の数、体育道具の数。何をごまかしているんだか?そして先生方の写真のサイズ(教頭より学年担任が大きいとまずいとか)、内容よりも、そんなちまちましたことにこだわっている。どんな組織であっても、保身のために汲々としていたら、先細り。もうブレイクスルーをしていかないと、生き残れない時代になってきたんだね。
2011年04月12日
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頑張れ、日本は強い国だ、などと連呼されても、どこかウソ寒く感じてしまうのは私だけだろうか?わかりやすい言葉、単純化された耳障りのいい言葉、ちっとも論理的でない、感傷のベールに包まれた言葉。その言葉の陰で、どんな悪意が、事実が隠されているのか?お仕着せの、ぽぽぽぽ~ん! なんてものに洗脳されたくないな。韓国人の指揮者、チョン・ミュンフンは、音楽は人間の内なる力を呼び覚ますためにある、と語っている。ベートーヴェンやヴェルディは、人間の内なる力を信頼していて、その内なる力に促されて作品を書いた。だからこそ…人間の内なる力を呼び覚ます力がある。ステージに上がる前には必ず祈ります。一回の演奏を終えてしまうと、その演奏のことは頭から消えてしまいます。そうして、その次の演奏をどのように準備し、勉強するべきか考えるのです。音楽の道を歩みながら、もっとも大切に考える価値は謙遜=humilityです。メシアンのような方が目標と言えます。チョン・ミュンフンに少し力をもらいました。
2011年04月10日
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息子が学校へ上がる前のこと。どこかで将棋を覚えてきて夢中になっているので、千駄ヶ谷にある将棋会館へ、どうやって勉強したらいいのか、訊きに行ったことがあった。受付の女性が「じゃあ、ちょっと指してみましょうか」と、息子の相手をしてくれて「とても筋がいいから、なるべく通ってみてはいかがでしょう」と言って下さったので、親子で大喜びして、こちらへ通うことにした。ここにはプロの先生が教えにいらしていて、予約すると個人レッスンが受けられる。もちろん、いろんな方と対戦することもできる。若い棋士の先生が教えている、子供を集めた教室も開かれている。保育園に迎えに行ってから電車を乗り継いで将棋会館まで送って行くのだが、私はまったく将棋に興味がなかったので、隣で待っているのがとても苦痛で、おそらく送っていったのは2~3回だけで、あとは一人で行かせたような気がする。将棋会館の受付の女性も、棋士の先生方もとても親切で、ほんとにお世話になった。土日などはおにぎりを持たせると、朝から一日中入り浸っていた。小学生になってからも、5年生になって中学受験をするために、塾に通うまでは、野球やサッカーではなく、将棋三昧だった。私はゲームには興味がないが、スポーツや武道、将棋など、勝負をする人が好きなので、本はかなり読んだ。なかでも、もっとも好きなのは、永世棋聖の称号を持ち、紫綬褒章も受賞した、米長邦雄さんである。米長さんには、忘れられない名言が多々ある。女房を大事にしないような男は、よそへ行ってもモテない。今、目の前にあるものを、大事にしないということだから。というのもそうだが、私は相撲の八百長ニュースを見るたびに、この言葉を思い出す。自分にとって順位に関係ない試合でも、相手にとって落ちるか上がるかの重要な勝負の場合がある。そういう時こそ、相手に情けをかけたり、手心を加えてはいけない。むしろ全力をかけて、自分の力を出しきることだ。この言葉を読んだ時、正直にいって意味がわからなかった。でも今はわかる。勝負に臨む精神とは、こんなふうに研ぎ澄ましていなければ、どんどん汚れて行ってしまうものなんだと。山本真司さんが新刊を出しました。
2011年04月07日
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昨日、別れた元旦那が、数年ぶりに息子あてに手紙を送ってきた。息子はしばらくいないので、封を開けてみると、少しお金が入っていた。彼は糖尿病でありながら、自分は「太く短く生きるのだ」といって、私に隠れて大酒を飲み、好きなものを食べて遊んでいた。そのときつきあっていた女性は、私とは比べ物にならないくらい、優しくて思いやりに溢れているのだと、愛を語っていた。離婚後すぐに脳こうそくで倒れ、リハビリをしながら、田舎でひとり闘病生活を送っているという。最近は目が見えなくなって手術をしたと、その手紙に綴られていた。「お母さんと、何か美味しいものを食べてください」わずかな収入のなかから、コツコツと貯めたお金らしい。困ったな。息子はしばらくいないし、いたとしても、このお金で美味しいものを食べる気にはなれない。仕方なく電話をする。「みんな元気にやっているのか?就職はできたのか?自分はほとんど目が見えなくなって…」と彼は話すが…家族を捨てた人間は、時がたてばそのことを忘れるのかな?捨てられたものは、自力で懸命に生活しているのだ。甘ったれのお涙ちょうだいでは、やっていけない。そんな思いがこみ上げてきて、つい冷たい態度になってしまう。「こちらはちゃんとやっているので、もうお金の心配はいりません。お体に気をつけて、お元気で」さて。どうしたものか。ぜんさんのブログで被災地の方に必要なものを自分たちで直接届けていることを知ったので、ちょうどよかった。このお金で救援物資を買うことにした。仕事から帰ってあちこち回って買ってきて、箱に詰めた。お米も入れたら、重くなってしまった。ちょうど宅配便のお兄さんが配達に来たので、ついでに持って行ってもらおうとしたら、伝票を書いていないとだめだという。そこを無理やり頼み込み、コンビニまで運んでもらうことにして、クロネコさんの車の後ろから走ってコンビニに行き、ゼーゼーしながら荷物を送った。お腹すいた~。時計を見たら、すでに9時を回っていた。なんだか、すっきりしたなぁ。よかった!
2011年04月05日
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昨日は息子の入社式だった。東京の本社で式のあと、そのまま沼津の研修所へ行くということで、スーツ姿で荷物を引きずって出かけていった。どこから引っ張り出してきたのか、保育園のときにシーツを入れていた、セサミストリート柄の布の袋にスニーカーを入れて、カバンに入らないからとぶら下げていた。おしゃれの脇が甘いヤツである。息子のいない2ヶ月間、寂しいなぁ。今まで私のくだらない話につきあってくれただけで、ありがたかったのになぁ。思えば彼の世代は時代の波に翻弄されてきた。生まれたときにはバブルがとっくにはじけており、息子はずっと保育園生活である。小学校に入学したばかりで、父親がリストラされて引っ越し、転校。小学校時代には、円周率を3にするような、ゆとり教育。中学に入ると、父親の借金が元で離婚し貧乏暮らし(これはうちだけですが)そしてリーマンショック後の厳しい就職活動。さらに今年は震災で卒業式も中止、計画停電、原発の不安を抱えながらの、社会人スタートである。息子や友人たち、彼らは今の政治家や役人たちをまったく信用していない。マスコミの作り出している既成の価値観にも左右されない。人気企業ランキングなんて、気にもしない。独自のネットワークで情報交換しながら、わが道を行く、である。彼らはきっと、今までの日本ではなく、もっと地に足をつけた、きちんとした国づくりをやってくれるような気がする。こんな国を次世代の人に渡すことになって、本当に申し訳ないが、よろしく頼むよ、そう思いながら息子を見送った。
2011年04月02日
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