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昨日は1時から6時過ぎまで、日本学術会議シンポジウム「世界のグーグル化とメディア文化財の公共的保全・活用」という会議へ、東大教授・吉見俊哉氏のつながりで行ってみた。吉見氏は学習院大学の遠藤薫教授とともに、コーディネーター、司会をされていた。1時を少し過ぎて行くと、250名くらい収容できる会議室はけっこう埋まっていた。講演はまず国立国会図書館館長・長尾真氏のお話から始まった。日本の知的財産をどうやって保存し、活用できる形で提供しようとしているのか、その現状と今後の展望といったお話である。国立国会図書館では1867年から1925年の所蔵図書のほぼすべての本文が、デジタル画像で読めるそうだ。貴重な画像もカラーで見られるというので、驚いた。しかしアメリカの国会図書館は4000人いて、日本では約900人。ヨーロッパや韓国に比べても圧倒的に少なく、人手不足に悩んでいるとのこと。わざわざ国会図書館まで足を運ばなくても地元の図書館に行けば、同様のサービスが受けられるようにしたいという長尾氏のお話。児童の学費を無料などにしないで、こういった日本の知財を守る根本のところにお金と人を投入していただきたいものだ、と思う。続いて、グーグルについての説明があり、グーグルの何か一番の問題なのか?という点に論点が移る。なんといっても、グーグルという一企業に世界の情報や知財が独占され、各国の文化や特性に関係なくランキングされ、コントロールされるということの弊害が懸念されるということである。著作権の問題も大きい。講演者は情報セキュリティ大学院大学の名和小太郎先生。名和氏のお話がとっても興味深く面白かった。彼の知見によると、本は冊子という形態ではなくなり、デジタル化され、索引語が残る。つまり索引で検索され、必要な部分だけが読まれる。読者は本の間をネットサーフィンしながら、自分で編集を行い、新たな価値を生み出す。研究者にとって研究資料は冊子体からパラグラフになり、読み方はリニアからランダムな索引読みになる。シソーラスは消失し、書き方はSEO方式。ピア・レビューは学会からページビュー数に。そして出版コストは読者ではなく、著者が負担することになる。本を売ることでなく、名前を売ることで講演会などほかの部分で収入につなげる。小説や漫画などの場合はストーリーをリニアに追う必要があるので、この範囲ではないだろうが、紙媒体か電子媒体になるか?はわからない。でストーリーはコンテンツになり、いったん電子媒体になってウエブ上に流れたら著作権は守れないだろう。東大教授の上野千鶴子氏は「紙に印刷された本はマニアの伝統工芸品になるでしょう」と語る。本は文章と映像の組合せになり、さらに知りたい部分は検索することによって、理解を深めていく。しかし大学でのゼミなどはライブに価値があって、このコンテンツをデジタル化して云々ということには、反対である、という。私は東大に行けないので、授業の一部分でもデジタルコンテンツとして流していただきたいと思うのだが…。デジタル化への流れのなかで、ネックになっているのが著作権である。現在国立国会図書館でも著作権者を探し出し、許諾を得る、ということに多大な労力が使われている。公共のものに関しては著作権を放棄してもらう、あるいは公共の著作権のページに告知しておき、ある一定の期間が過ぎて申告のなかったものに関しては、許諾したものとして作業を進め、著作権料などは申し出のあった時点で支払う、といったスタイルにできないか、という提案があった。 後半は映像のお話で、東京国立近代美術館フィルムセンター主幹・岡島尚志氏が、オリジナルフィルムがどんどん捨てられている現実を憂慮し、保存の必要性を訴えた。昨年復元された黒澤監督の「羅生門」はオリジナルフィルムがあれば100万円単位でできるものが、なかったために6000万円もかかったという。日本が世界に誇る溝口健二監督作品もほとんどのフィルムが失われてしまっている。岡島氏の弁舌は熱かった! 貴重な映像を紹介してくれたのは、オーストラリア国立大学教授、テッサ・モーリス-スズキ氏。ニュースフィルムなどの映像をアーカイブ化していれば、歴史を多元的に観ることができると語る。会場からの質問が殺到したのは、NHK放送局ライツ・アーカイブスセンター長・大路幹生氏。NHKでのオンデマンドの状況や他国との提携はどうなっているのかなど、気になるところだ。また、CMについては、会場にいた財団法人 吉田秀雄記念事業財団の方が語ってくれた。ここでは貴重なCMを保存し、東京・汐留の「アド・ミュージアム東京」で企画展を開催している。「現在のインテグレートなCMの保存は技術的に難しい」という。映像にかかわっている方たちが口々におっしゃる「デジタルは劣化しやすい」というのは、私にとって目からうろこであった。結局、情報は誰のものか?そしてこれからも増え続けていく知財をどうやって保存、活用していくのか?そもそも保存する必要のある情報は何なのか?誰が選ぶのか?といった疑問が、コーディネーターの遠藤氏から投げかけられ、この問題の難しさが浮き彫りにされた。講演した先生方と会場が一体となって、盛り上がったシンポジウム。とても面白かったです。でも…出版社の未来は、暗いですねぇ。。。。
2010年01月31日
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今日は朝からくみちゃんが、お父さんの作った野菜を持って、我が家に来てくれた!小さな小松菜とヤーコンと里芋とみかん。ランチに小松菜とヤーコンを生でいただきました!なるほど、小松菜は味がぎゅっと凝縮してる。ヤーコンは自然の優しい甘みがある。「これから真言密教のお寺で寒修行があるの。そのあとで合唱の練習なんだ」という。ミラノに真言密教のお寺があって、そこのお坊さんのお話を聞いて、すっかりファンになったらしい。スペイン人を引き連れて高野山にも行ったそうだ。「空海の書も見たよ。空海ってかっこいいよね」本格的である。「世の中不思議なことばかりだよ」くみちゃんのご実家は静岡なのだが、彼女のおばあちゃんは地元で有名な背がすらりとした健康美人だったとか。「おばあちゃんのお墓に行くと、いつも黒アゲハが来るの。不思議だよね、いつも黒アゲハがいるんだよ、だからおばあちゃんが来たと思うのよ」じゃ、おじいちゃんは?「おじいちゃんは、カナブン。かわいいでしょ」一緒に話を聴いていた息子が、「くみちゃんて、30歳くらいにしか見えないね。不思議な人だし」小林秀雄のお母さんも蝶になって現れたんだっけ?くみちゃんについての以前の日記
2010年01月30日
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友達が仕事帰りに駅を間違えて途中下車しちゃった、という。私も本に夢中になっていて、ひとつ手前の駅で降り、しかもぼーっとして改札に行くまで気付かなかったことがある。しかし、最大の失敗は15年くらい前にフランスでやらかした。私には40歳で亡くなったフランス人の友人がいた。パリの彼のアパルトマンに一週間の予定で泊めてもらっていたが、彼と奥さんがケンカして、居心地がよくなかったので、急きょどこか一泊で小旅行に行くことにした。そこで地球の歩き方で小さく紹介されていたストラスブルグへ、行くことにした。宿は彼に電話で予約してもらった。自慢じゃないが、私はフランス語といえば、「ボンジュー」「シュブプレ」「ウン ビリエ」「メッシー」「ウ、ソンラ トワレット?」しか、知らない。地下鉄の駅は勝手に読み仮名をつけて呼んでいるのである。当然、ストラスブルグの綴りなど知らない。だから、窓の外に突然現れたスラスバーグという駅にびっくりして、荷物をまとめて降りてしまった。電車が去って辺りを見回すと、そこはほんとに何もない田舎の駅だった。しかも次の電車は半日後。仕方なく街を歩く。うらぶれた街で美しい田園地帯でもない。観光するところはないかな~と、若い男の子たちがいたので、英語で話しかけてみるが、まったく通じない。小さな食堂を発見して昼食を食べる。回りの人にじろじろ見られるが、ここでゆっくり時間をつぶす。店を出てスーパーマーケットに行く。野菜や果物を自分で量って買うスタイルが面白かったのでやってみたりして。夕方、やっと電車に乗ってストラスブルグについたが、あまり観光する時間はなくなってしまった。きれいな街だったと思うけれど、今となってはベルギーのブルージュと、街の記憶がかぶってしまった(笑)なぜか、スラスバーグのほうが想い出、深い。
2010年01月27日
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友達から券をもらったので、仕事の帰りに「アバター」を観た。新鮮だった。3Dってリアルだ。なんだか自分の今の生活が、嫌になった。最近の私は、こんなふうに誰かと心が通じあう(感じあう)ことがあっただろうか?こんなふうに自分をゼロにして、教えを請うことがあっただろうか?こんなふうに自分を信じて、何かに挑戦することがあっただろうか?こんなふうに「やっほー」と心から叫ぶことがあっただろうか?20代~30代の頃、北海道で気球に乗った。グライダーに乗った。大雪山にも上った。沖縄で泳げないのにダイビングに挑戦して、一人はぐれて、死にそうになった。長瀞の急流でカヌー下りをして転覆、やっとのことで脱出した。あるいは、スキーで崖のような斜面をドキドキしながら滑り降りる感覚とか、英語もろくにできないのに、香港を歩き回って取材したり。あるいは秋田を車で取材中に大雪が降ってきて、ノーマルタイヤでやみくもに走って夜中にやっと宿を見つけたり。学力もプライドも安定した仕事もなかったから、なんでも必死でやるしかなかった。どうしていいかわからずに「え~っ、どうする?どうすりゃいいんだ!?」と走りながら自分に訊くしかない、といった状況とか。あるいは、三島由紀夫の「潮騒」の舞台になった島のてっぺんで、深呼吸したときの、感動とか。久しく、忘れていた。そんなことを思い出させてくれた映画。
2010年01月23日
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会社にクルミとアーモンドを持参して、ときどきつまんでいる。昨日も本を校正する傍ら、ちょっと口に入れていると、机の前に座っている課長が「ニコルさん、ナッツが好きなんですね」と、お話してきたので、「あ、これはミスユニバースの食事管理などをしている人が、世界一の美女になるためにオススメしているものなんですよ。まぁ、今さらミスユニバースを目指すわけじゃありませんが、ははは」と、答えると、「いや、ニコルさんは、今でも十分きれいですよ」「…」や、やられました。あまり世間話もしないまじめな課長から、いきなり真顔でこんなセリフを言われてしまうと、自称”リアクション芸人”の私でも、返す言葉がみあたらない。「そんな、課長の奥様だっておきれいな方じゃないですか、写真で見ただけですけど」なんて、つまらないリアクションを返したことが、悔やまれる。虚数と無理数の区別もつかず、燃焼の三原則も忘れてしまった私が、「分数の中に分数があるというのは間違いじゃないですか?」「ろうそくは息をかけるとなぜ消えるの?」などと、質問しながら、理数系出版社でなんとか働いていられるのも、この優しい課長あってのものです。感謝、感謝!
2010年01月20日
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友人にディズニーランドが大好きな人がいる。遊びに行く時は泊りがけで朝からラストまでだし、寒いわ混むわの年末カウントダウンにも行っている。カタログ通販でグッズも集めている。ま~、彼女の周りはなんでもディズニーなわけだ。私はブランドやキャラクターにはあまり興味がないし、ディズニーランドやシーも好きだけれど、年間パスポートを買ってまで頻繁に訪れるほどではない。先日彼女の娘さんがセーターを落として連絡したところ、宅配便で送ってくれた、と言って喜んでいた。「普通は着払いでしょ。それがきちんと元払いで送ってくれたんだよ。さすがオリエンタルランドだよね~!感激!」まぁ、安くない入場料を払っているのだから、それくらいサービスしてもいいんじゃないかな?と私は思った。すると彼女が「あのね、あるカップルがジャングルクルーズに乗っていて、女の子がとっても大事な指輪を水の中に落としちゃったんだって。そしたらね、その指輪が届けられたんだって。全部水を抜いて探して。それってすごくない? 大事な指輪のためにあの水を抜いて探してくれたんだって」というので、「わざわざそんなことするかな?たまたま点検工事とかあって、水を抜いたときに発見したんじゃないの?」と冷静に言うと、彼女が「ニコちゃん、心が汚れてる。ごめん、悪いけど信じさせてくれる。この話」そっか、ディズニー教、あるかも。佐藤優氏も書いているけれど、誰でもみんな何かしらを信じて、それをよりどころとして生きている。科学であれば科学の信者だし、親の言うことなら間違いないと思えば親である。他人に被害を及ぼさない限り、何を信じようが勝手だ。少なくともディズニー教は、地底人の世界よりも楽しそう。
2010年01月14日
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今夜は会社が大変な状況にあるメンバーの方と、特別に易経勉強会をやりました。辛いとき、あるいは大きな人生の岐路にたったときに、易経の教えが力を発揮するんだなぁと、あらためて実感しました。40歳からの仕事術2さんの易経ブログを読んでいると、見事にビジネスに生かしていて、素直に素晴らしいと思います。頭の良くない自分ですが、少しは前に進んでいきたいものです。
2010年01月13日
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今夜は40歳からの仕事術2さんと4時間も語らってしまいました~~~~!とっても楽しかったです。息子も一緒でした。詳しくは書けませんが、とにかく目から鱗のお話ばかりで、これまでの価値観がひっくり返りますね。「福沢諭吉」や「空海」から「ムー」まで、山本さんて、最高のエンタテイナーです!ニコ:「外資系のコンサルタントとして活躍されてきた山本さんは、 やっぱり旧約聖書などの勉強はされたんでしょ?」山本さん:「そりゃあ「十戒」という映画を十回見るとだいたいわかるね。 いや、ほんと。おすすめですよ」ただの「おやじギャグじゃん」なんて失礼は申しませぬ(爆笑)
2010年01月12日
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昨日は仕事に行く前に歯医者で歯を抜いた。診察台に横になると麻酔を打たれてしばらく待ち、口がしびれてきたところでガガガ~とやるわけだ。朝、起きたときは左の五十肩が痛くて、ちょと扉に触れようものなら、「いででで~~~」と肩を押さえて涙目になっていた。しかし、病院では風邪の咳が残っているのに、歯の治療中ずっと咳をこらえているのが、ものすごく辛く、五十肩などすでに忘れている。咳をしたら先生の手元が狂うという恐怖に目を白黒させながら、浅い呼吸ではぁはぁしていると、先生が、「気分悪くないですか?」「大丈夫ですか?」などと心配してくれるが、なんとかこらえて終わった。口のなかが気持ちわるい。口をすすいでも、半分しびれているので、水がそこからピュ~と漏れてしまうため、思いっきりブクブクできない。ううう、歯が~~。咳もでる~~。治療後に、口を押さえながら病院のトイレに入る。そうだ、朝家で硬めの大が出たので、ウオッシュレットで洗おうと、スイッチを押したら…勢いよくシャワーがお尻にあたった。「ひえ~~」切れてた、飛び上がるほど痛かった。朝から抱えていたあらゆる痛みを凌駕するピンポイントの痛み。会社に向かって、一気にお茶の水の坂を駆け下りていった。人はそれを「元気だね」という。マタンキ!
2010年01月09日
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「ホームレス中学生」がベストセラーになったきりんの田村くん。先日放送の「すべらない話」にもまた出演していた。彼がホームレスになったのは、家が差し押さえにあって、父親に家族を解散する!と宣言され、ひとり行くところもなく、公園で暮らすしかなかったからである。その本が売れて、彼は父親を探し出し、その父のために家を買ってあげたのである。最初は堅実に小さな中古マンションを考えていたが、父親が勝手に一軒家を決めてしまったという。この人、いいな~~~。亞っほ~とはこういう人のことなのだろうか?なんか感動した。すごく感動した。心の狭い、こざかしい私には、とてもこんな心境になれない。
2010年01月08日
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会社では私の島はフロアーの一番端にあり、私の背中に会議室が2部屋ある。横には郵便の箱と梱包などをする作業台、そして島の周囲には胸の高さのロッカーが取り囲んでいる。机もロッカーも白くて、老舗の出版社のイメージからすると、意外なほどきれいな感じである。私は散らかっていると落ち着かないタイプなので、自分の島の周辺は、拭き掃除をしたり、片づけたりしている。会議があったり、著者の先生がいらしたときに、コーヒーを注文することも多々ある。日に何度もコーヒーの出前が来たりする。出前にきたオヤジは個数が少ないときは、会議室のドア前でトレイを片手に、カップにポットからコーヒーを注ぐこともあるが、だいたい作業台にトレイを置いて、コーヒーをセットしたり、ロッカーの上でコーヒーを注いだりしてる。すると、彼が帰ったあとで、コーヒーがちょっとこぼれていたりするのだ。これって、ムカつきません?ダスターを持ってきて、こぼしたら拭いたらいいのに、と思いつつ、仕事の手を休めて、私が雑巾がけしている。この前はついに見かねて、席を立って隣でにらみをきかせてみた(笑)すると…はねたコーヒーを手のひらでこすっているじゃない!?飲み終わったコーヒーカップは給湯室の横に飲んだ人が片付ける。先日、私がコーヒーをいれようと給湯室に行くと、コーヒーやのオヤジが会社の給湯室でカップを洗っていた!給湯室は一人しか入れない狭さなので、入口に仁王立ちして、待っていると、一応「すみません」と言うが、給茶機でしっかり熱湯消毒までしちゃってるのである。しかも、スポンジは流しに放りだしたまま、ペーパータオルも使いっぱなしである。何だ、あのコーヒーやは。でも、冷静になって考えると、店やモノをとったら、器は洗って返すのが常識なんじゃないのか?そのまま置いておくのも、おかしいだろう。そうか、自分が飲んでなくても、洗っておけばいいんだな。そしたら嫁姑のような気分にならずに済むのかもしれん。
2010年01月07日
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お正月にさんまと玉緒の「あなたの夢叶えます」という番組を見た。みんなよかった。見ていて一緒に涙が出てしまった。特に、沖縄は宮古島の女子高校生3人の「あこがれのユッキーナに会いたい」純粋な心がキラキラしていた。宮古島の女子高校生は初めての東京である。渋谷の109の前に立っただけで、感動、大騒ぎ。そしてユッキーナ御用達の店で感動。その店の店員さんを見るや「かわいい~!」と大騒ぎ。そしてユッキーナを目の前で見て、「きゃ~~~~」涙を流して喜びあう。この宮古島の女子高校生たちの姿を見て、やっぱり、こういう気持ちを忘れてはいけないな、と思った。彼女たちにとっては、見るもの出会うもの、みんな感動である。かつて私もそうだった。みんなそうだったのである。感動というのは、謙虚な気持ちから生まれてくるんだな、としみじみ思った。そして自分もなんとか頑張ってその高みまで登っていこう、そう、自分を押し上げる力でもあるんだな。したり顔でその感動をせせら笑い、揶揄する人もいる。そうだ、つまらないことに感動し、誰かを好きになっている姿は、彼らには滑稽に映るのかもしれない。でも、そんな冷笑に負けてはいけないのだ。感動できるというのは、そんなふうに曇りそうになる心の鏡を、磨き続けるということのような気がする。私も内田樹さんがずっと大好きで、遠くから見ているだけで、一緒の道場で稽古できるだけで、同じ空気を吸っているだけで、とっても満たされた気がしたことがあった。それを宮古島の女子高校生たちが、思い出させてくれた。ありがとう!
2010年01月06日
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夕べ遅く息子がお寺のバイトから帰宅。私は今日から仕事だったので、顔を合わせたのは今夜、久しぶり。すると…お寺のバイトが辛かったという話を延々と。手はあかぎれ、いつもの料理を美味そうに食べる姿など、まるで「おしん」のような(笑)お寺は忙しく、朝6時半に起こされ、本堂の掃除や、墓石を磨くなどの冷たい水仕事の重労働が夕方まで。食事はインスタントの簡単なものしか出されず、夜は住職の説教と酒飲み放題の宴会だったとか。あまり飲めない息子には宴会も苦痛だったようだ。寒さも堪えたらしい。でもそのお寺の宗派を訊いて驚いた。亡くなった母がお世話になっている宗派である。「お墓を磨いたのも何かの縁。きっとおばあちゃんの供養になったね」いい経験になったようだ。
2010年01月05日
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彼女の話題になると決まって親子で笑うことがある。息子が小学生のとき一緒に歩いていたら、近所にいるおしゃべりな友人と会った。私よりも10歳余り上だが身長は150センチほど。彼女がしゃべりはじめると、彼女の頭の辺りに、一匹の蚊が飛んでいるのが見えた。話に夢中になりながらも、蚊が気になるとみえて、手でときどき追っていたが、蚊はやがて彼女のおでこに止まった。それを教えてあげようとするのだが、ずっとしゃべっているので、口をはさむ余地がない。息子もじっと蚊の行方を見つめていて、私と目があってもまた真剣なまなざしで蚊を見ている。すると彼女はおでこがかゆくなったとみえて、手のひらでおでこをこすったのである。お食事中に不意打ちをくらった蚊は無残にバラバラにひきずられ、おでこの上で張り付けの刑である。息子も突然の急展開にあっけにとられてそれを見つめている。こうなったらますます「蚊がおでこに」とは言い出せず、彼女の話が終わるまで待ったが、話をするとすっきりしたらしい、「じゃ、急ぐから。またね」と去ってしまった。「すごいね、あのおばちゃん」「確かに!」彼女の話題になると息子の脳裏には「蚊の張り付いたおでこ」が浮かぶらしい。
2010年01月04日
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息子が28日からお寺のバイトに行っているので、まったくの一人暮らし。体調不良のために引き籠っているからあ~、きっと仕事もない老人になったらこういう暮らしなのかな、などと思いつつも、駅伝でつぶやきまくり、興奮していた正月3が日である。お寺に行く前に交わした息子との会話をふと思い出した。ニ:「理工学部の子は就職心配ないって言われたんだってね」息:「あ~、先輩もゼミの先生と会社の人とお食事会して、 それが面接だと言ってたよ」ニ:「すご~、どんな会社?」息:「石油会社。でも入るとすぐに海外に飛ばされるんだってさ」ニ:「それは寂しいから嫌だな」息:「でも海外勤務だと手当てがついて、ほとんど給料は手をつけなくても暮らせるらしい」ニ:「お、いいね、それ。だけど、勤務地はナントカスタン、だったりして」息:「トルクメニスタンは石油じゃなくて天然ガス。やっぱ行先はアラブでしょ」ニ:「え~、危険じゃないの。そんなところはだめだよ」息:「ドバイとかじゃないかな」ニ:「ドバイ!?あのクルクル回るビルとかあるところ?いいかもドバイ。なんかいいね」息:「何がいいんだよ。もっとまじめに仕事とか人生、考えた方がいいよ。ま、僕は理工じゃ ないからドバイにはいかないけどさ」理工学部は学費も高いし、勉強も大変なのでほとんどバイトもできないということです。皆さん頑張っているので、やっぱり就職もいいのはあたりまえですね。犬や猫とはこういう会話ができないので、憎まれ口をきく息子でもいたほうが張りがあります。
2010年01月03日
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毎年お正月は駅伝です。自分の息子と同年代の子どもたちが一生懸命に走っている姿を追っているだけで、ほんとに元気がもらえる気がするし、涙なしにはみていられません。ここでは早く走るということ以外には、イケメンもお坊ちゃんも関係ありません。それにしても東洋大学の柏原くん、すごいです。走りが違っていますね。圧倒的な速さと余裕。ほかの選手と一番違うのは「余裕」のように思えました。「精神力」が強靭といいますが、その「精神力」とは?「絶対負けない」「追い抜いてやる」「自分の記録を上回ろう」「プレッシャーなど感じない」という言葉からは、よくわかりませんでした。ただ、「陸上が楽しいと思えるようになって自分が変わった」というところにヒントがあるのかもしれません。苦しい=楽しいというか苦しさを乗り越えたところに楽しさがある。それはハードルを高くして苦しさが大きいほど、楽しさも大きくなる。ゴールを見ていると、ほかの選手が倒れこんでくるのに、彼は笑顔で手を振っている。自分の限界まで走りきっているはずなのに、この「余裕」は何なのだろう?また、選手たちの追い抜かれたときの気持ちはどんななのだろうか?「あ~、追い抜かれちゃった」「追いつけないよ~」「どんどん差がつけられてる~」「あ~、また抜かれるんじゃないか?」たぶん、そんなことを思っていないことは確かで、私は抜かれる選手たちの「精神力」もすごく強靭だと思うんです。やっぱり「平常心」でしょうか?自分の体力、自分の能力、そしてタイムを冷静に判断しながら、「このくらいなら総合優勝は狙えるだろう」などと計算しつつ、全力で走る…みたいな。ほんとに、どの選手も素晴らしいと思います。
2010年01月02日
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サントリーホール ジルヴェスター・コンサート2009に行ってきました。私は初めて行ったのですが、周囲の様子をみていると、けっこう毎年楽しみにしている方も多いようです。2009年はヨハン・ シュトラウス2世の没後110周年ということで、全曲J.シュトラウスIIの作品をウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の演奏でという趣向。オペレッタ『ジプシー男爵』序曲で始まり、皇帝円舞曲 op. 437まで。ソプラノ:ナターリア・ウシャコーワテノール:メルツァード・モンタゼーリ指揮とヴァイオリンのオーラ・ルードナー氏が楽しく、盛り上げ上手。そしてウィーン・フォルクスオーパー・バレエ団のバレエが華を添えて、気分がウキウキするコンサート。バレエ、素敵ですね。踊るスペースが狭くて、指揮者の脚を蹴飛ばしそうで、ハラハラドキドキでした。子供連れもいましたが、これなら退屈しないと思います。0時が近づくとハンドベル隊が登場して、演奏中断、カウントダウンが始まり、「あけましておめでとうございます!」クラッカーパンパン!!!そして演奏再開。観客も手拍子で参加ですラデッキー行進曲いいですね~。今年も行きたいです。風邪をひいていなければ、そのまま初詣がしたかったのですが、大人しく帰宅しました。楽天ブログでお付き合いいただいている皆様、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします!
2010年01月01日
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