6月7日の朝にいきます

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2026年02月21日
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カテゴリ: 母との確執

母は私と電話で話すこともしたがらなかった。
最も私も話をしたいとは思わず、結果、亡くなるまで全く言葉を交わすことはなかった。

・・・・・・
お骨上げが済み、義弟の運転でターミナル駅まで送ってもらう道すがら、妹が言った。
「いらない子供だったんでしょうね。六女だもの」(言葉の選択自体は忘れたが、そのような意味だった)。

後継ぎの男児を望んで次々と出産。でも、ほぼ2年おきに12年間で生まれた子供は、すべて女児だった。
六女・・・またもや女の子⤵。親族は皆がっかりしたのだろう。
昔は「この子が最後の女の子ですように…」と「トメ」とか「末子」と名付けられた娘もいたと聞く。
期待されない子供だから、何事のトラブルもなく育ち、無事に嫁に行ければいいと思われていたのか…。

そして、こんなことも、妹は母から聞いた。
母の実家は元々は庄屋だったらしいが、大地主で村の中では誰もが一目置く家だった。
地元では六女であっても母は「おいとさん」と呼ばれ、お嬢さま扱いをされたようだ。
母曰く、村の端には川が流れており、でもそこにかかる橋を渡ってはいけないと、
母は両親から、それはそれは厳しく言われて育ったらしい。
「〇っ〇さんと話してはいけない」そう言われ続けたそうだ。「〇っ〇さん」は同和地区の差別用語。

ただ母の差別感情は同和だけでなく朝鮮人にも向けられていて、在日の韓国人&北朝鮮人をひどく嫌っていた。
そういえば、私は結婚で親元を離れた後に在日韓国人とかなり親しくなった。
それを知った母は、まるで私が穢れてしまったかのように冷たい目で見下した。

そのことも、母が私を嫌い、避ける原因の大きな位置を占めていたようだ。


今更、何を考えても、どうにもなるものではない。
母を理解しようと試みようにも、深い憎しみの感情は、どの方向から探っても癒されてはいかない。

ただ、もう忘れよう。 ・・そう思う。
ここから先は、今生での関係性の進展はもうないのだ。 あり得ないのだ。
続きがあるとしたら、あの世か、来世でのこと。

それまで自分はどう生きるか。今生の残りをどう生きていくか。それだけ考えて、ここから先を歩もう。
もう前を向くしかないのだから。





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最終更新日  2026年02月21日 16時04分11秒
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