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かつて私が世話人をしていた、不登校やひきこもりの親や当事者の話し合いの会に参加していたHさんと久しぶりにお会いした。その会に参加してくれたのは、娘さんが中学一年生の時に学校に行かなくなった時。そのAちゃんは、中学では学校に行かなかったけれど、音威子府美術工芸高校を卒業後、京都の専門学校に進学し、現在は高山市にある仏像彫刻工房に弟子入りをして、自分の作品も制作しているとのこと。その作品を譲ってほしいとお願いしたら、このお地蔵さんを娘さんが実家に届けてくれて、お地蔵さんを受け取るために近くのファミレスで久しぶりにお会いし、近況報告やかつての思い出話、現在の学校のことなど沢山お話しすることができた。そのことについて、Hさんがご自分のFacebookに書いてくれたので、ご了解を得て転載させていただきます。今から10年程前、中学生だった娘が不登校になり、その頃お世話になった不登校や引きこもりの親の会で当時の世話人をされていた方が、娘の作った作品を購入してくださりました。その作品を渡すためにお会いしてランチをしながら色んなお話しさせて頂きました。学校に行けなくなり、外に一歩も出る事が出来ずに、食欲もなく弱りきっていた娘を見ながらこの先どうなってしまうのか、先の見通しもつかず、不安に押しつぶされそうになっていた頃、市の広報誌で目にしたその会の例会の案内。三ヶ月悩んでとりあえず参加してみようと思い、夜の部の例会に参加させて頂きました。そこで娘の状況やその時の私の気持ちなど聞いてもらい、胸に溜め込んでいた思いを一気に吐き出させて頂きました。その後も毎月例会に足を運び、少しずつ私の気持ちも整理され、娘を受け入れて見守り寄り添う力を私にくれたとても大切な場所でした。何より私自身の思いを吐き出す場所があったことで私自身が一番救われていました。子供を見守り寄り添う事の大切さと難しさも感じながら、私も娘も忍耐の時でした。不登校だった時期に、娘も自分の気持ちと向き合い、自分のやりたい事を見つけて、高校は親元を離れて北海道の音威子府美術工芸高校に進学し、そこで彫刻に興味を持ち、卒業後は京都の大学で仏像彫刻を学び、現在は岐阜県高山の工房に弟子入りし、自分の作品作りもしながら生活しています。木彫刻に出会い今の娘の生き方があるのは、あの時の不登校の時代があったからなのかなと思います。 不登校時代がなければ音威子府の学校に行くこともなければ、京都の大学にも岐阜県に行くことなかったかもしれません。そう考えると人生の巡り合わせで今とは違う道を辿っていたのかもしれないなあと感じます。娘の作ったお地蔵さん我が家にもおいてあります。とても穏やかで優しい顔のお地蔵さん。このお地蔵さんのように穏やかで優しく生きていけたら最高ですね。昨日お話をしながら、親の会の役割は安心できる場所で心の中の思いを吐露し、共感しあい経験を共有しあうことなのだとあらためて思う。不登校になるいきさつは人それぞれだし、親の性格も家庭環境もみんな違う。それでも、子どもが苦しんでいる時の親の不安や戸惑いは、今も昔も変わらない。会がスタートした約30年前とは、不登校に対する理解も広がり、その後の選択肢も増えたとは思うが、親の気持ちや子どもの育ち方には変わりはないはずだ。何でもAIに相談したり、ネット環境での相談や仲間づくりも増えてはいるが、人間である限り直接顔を合わせて話をして、聴いて、対話をする中で自分の気持ちを整理することは、このような時代だからこそ大切だと思う。現在の学校は教員が人手不足なのに学校のありようはほとんど変わらず、それに加えて教師に求められるものが多すぎる。これでは、先生たちのゆとりはなくなり、疲弊し、課題のある子に目を向けることは益々難しい。学校にゆとりがなく楽しい場でなくなれば、子ども達もゆとりはなくストレスはたまる一方。少子化なのに学校に行きたくない子が増えるのも必然だと思う。それに関して色々と思いを話し合ったのだが、そのことについてはまた別の日に書きたいと思う。このお地蔵さんは、優しい表情ながら凛としています。「彫刻は自刻像なんだよ」と、私の中学く時代の担任である彫刻家の恩師が言っていました。人を癒し励まそうとしながらも凛として立つ姿は、きっとAちゃんの心を表しているのだろうなと思います。最初にあった頃のAちゃんも、自分の意志をしっかり持っているように感じられる少女でした。その姿勢のまま、自分の道をまっすぐ歩いてくださいね。
2026年09月02日
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早朝、まだ布団の中にいた私に、長男からラインが入る。(6時前です)「そろそろ蕎麦を刈っていいと思うのだけど、天気と自分の予定を考えたら、今日しかない。急だけど、蕎麦刈りに来れますか?」慌てて夫に話すと「もちろんいいぞ」。ということで、大急ぎで朝食を済ませ鎌を研ぎ、作業用の服に着替えたり息子たちに渡すものなどを準備して出発。いつも昼食は私達が用意することになっていて、前日から決まっている時には煮物や漬物などを用意するのだけど、あいにくこの日は何も準備しておらず、前日の大根サラダの残り物だけ。途中のコンビニでお弁当やおにぎりなど適当に買いそろえて向かう。このような時にコンビニ(我が家はセコマがお気に入り)は本当にありがたい。この日は曇りの予報だったのだが、やはり私には天気担当の守護神がいるようで、爽やかな1日となった。息子夫婦、次男、孫、そして私達の3世代家族での蕎麦刈りも、何年続いているのだろう。今年は風雨で蕎麦が倒れることもなく、春先に肥料を撒いたとのことで背丈が高く、とても刈りやすかった。さらに、気温も23℃くらいで爽やかな風も吹いていて、本当に楽な蕎麦刈りとなった。例年、蕎麦を刈る頃には気温が高く、私は何度かバテたり熱中症未満になったりしていたが、今年はそんなこともなく本当に良かった。午前中に刈り終えて昼食後に蕎麦立てをして終了。今年も元気に蕎麦刈りができたことをありがたく思う。これで収穫量が多ければ最高だけど、それは微妙。とにかく、みんなありがとう。
2026年08月31日
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児童向けの科学の学校シリーズの一冊です。とてもわかりやすいので、親子で楽しめますよ。「人類の学校 」篠田謙一出版社内容情報科学の学校シリーズは、科学雑誌『Newton』が贈る児童向けの書籍シリーズです。科学に関係するさまざまなテーマをわかりやく解説しています。第23弾のテーマは「人類」です。わたしたち人類はいつ、どこで生まれたのか。最初の頃の人類はどんな姿をしていたのか。実は人類とは多くのなぞに満ちた生き物です。この本では、「人類学」の視点から、人類に関するさまざまななぞにせまります。案内役のかわいいキャラクターのぶートンとウーさんと一緒に、人類の進化の歴史をひもといてみましょう!【目次】ぶートンとたどる 人類の進化の道すじ人類進化の大事件!事件1 二本足で歩きはじめた!事件2 道具を使いはじめた!事件3 脳が大きくなっていった!事件4 火を使いはじめた!1じかんめ 人類のはじまり「猿人」01 ヒトはサルから進化したってホント?02 チンパンジーから分かれて人類になったやすみじかん 人類学って何?03 最古の人類サヘラントロプス・チャデンシス04 2番目に古い人類オロリン・ツゲネンシス05 森で暮らしていたラミダス猿人やすみじかん ”きゃしゃ”な猿人と”がんじょう”な猿人06 ”平たい顔”が特徴のケニアントロプス07 進化の途中にいたアナメンシス猿人08 よりヒトに近づいたアファール猿人やすみじかん 猿人の足跡09 手先が器用だったアフリカヌス猿人10 石器を使っていたかもしれないガルヒ猿人やすみじかん がんじょうなあごをもつ猿人11 ヒトと同じ特徴をもっていたセディバ猿人やすみじかん 「歯」のようすをくらべてみよう2じかんめ 火を使いはじめた「原人」01 人類の脳が大きくなった02 長い腕をもつハビリス原人03 はじめて火を使ったホモ・エレクトスやすみじかん そもそも「進化」って何?04 インドネシアで暮らしていたジャワ原人やすみじかん ジャワ島で進化をつづけた原人05 大むかしの中国にいた「北京原人」06 島で体が小さくなったフローレス原人07 背の高い男の子の原人化石トゥルカナ・ボーイやすみじかん 原人は仲間とどう過ごしていたの?08 海を渡ったかもしれないルソン原人09 原人はいつアフリカを出たの?やすみじかん 遺伝子研究で進化のなぞにせまる3じかんめ 「旧人」そして「新人」へ進化01 「旧人」と「新人」はどうちがうの?02 旧人や新人につながる原人ハイデルベルク人03 共食いをしていた!? ホモ・アンテセッサーやすみじかん 猿人と新人の特徴をもつホモ・ナレディ04 虫歯になったあとがあったローデシア人05 シベリアにいたなぞの人類デニソワ人やすみじかん 骨の化石はレアなお宝06 高い能力をもっていたネアンデルタール人07 現代人に残るネアンデルタール人の遺伝子やすみじかん ネアンデルタール人はなぜ滅んだの?08 現代まで生き残る人類ホモ・サピエンス09 初期のホモ・サピエンスが東アフリカにいた10 洞窟に壁画を残したクロマニヨン人やすみじかん でっちあげられた人類の化石4じかんめ 世界へ広がるヒトの道のり01 最初のホモ・サピエンス内容説明地球で最も高い知能をもつ生き物、それがみなさん「人類」です。人類は、約700万年の歴史のなかで、ほかの生き物にはないすごい能力をたくさん備えていったのです。そんな人類の進化のようすを、ぶートンやウーさんがやさしく楽しく紹介してくれます!わかりやすくておもしろい!!著者等紹介篠田謙一[シノダケンイチ]国立科学博物館館長。博士(医学)。1955年、静岡県生まれ。京都大学理学部卒業。専門は分子人類学。DNA分析による日本人の起源と新人の世界拡散についての研究を行う(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
2026年08月30日
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以前、友人から「AIの夢判断が面白い」と聞いていたので、ちょっと試してみた。いくつかAIに問うてみたのだが、その一つを覚え書きとして記録しておこう。少し前なのだが、私が中学生の頃に亡くなった祖父の夢を見ていたので、それについて聞いてみたら…。ブログにも書いてあった。祖父の夢を見たAIの解答仏壇の前という場所は、あなたの気持ちの中で供養や対話の場になっていることがあります。また、何かを読んでいる姿は、厳しい知らせよりも、静かにそこにいてくれる感じや、普段通りの存在感を表しているとも考えられます。これは夢の一般的な心理的な見方としての解釈です。「祖父に声をかけたら、穏やかな笑顔で言葉はなかったが頷いてくれた」と追加投稿した時の返事声をかけたときに、お祖父さまが穏やかに笑ってうなずいたなら、あなたの心の中でお祖父さまが安心や受容の形で生き続けている表れとして受け取れます。死別のあとも故人との絆が続くという見方は心理学や死別研究でも語られています。言葉がなくてもうなずいてくれた場面には、大丈夫だよとかわかっているよのような気持ちを、あなた自身が感じ取っていた可能性があります。故人は思い出の中で、会話よりも表情や気配として現れることがあります。私自身がその夢を見た時に感じていたのと同じような答えだったが、なかなかAIは良い答えをするものです。
2026年08月27日
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高市首相も赤根智子さんに負けずに気概を見せてほしい赤根智子ICC所長への制裁に「日本当局の姿勢も決定的に重要」前所長が指摘〈高市首相の弱腰な対応には批判が集中〉8/26(水) 国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長(70)が米トランプ政権から経済制裁の対象に指定された問題を巡り、ピオトル・ホフマンスキICC前所長が「 週刊文春 」の取材に応じ、「日本当局の姿勢が決定的に重要になる」と指摘した。高市首相は「大変残念に思っています」 トランプ政権は8月19日(日本時間)、赤根氏を経済制裁の対象に指定したことを発表した。この異例の措置に、ICCは「圧力に屈することはない」とする声明を公表し、欧州諸国も「あからさまな攻撃」などと強く非難。日本政府の対応が注視されたが、高市早苗首相が報道陣に語ったのは、「大変残念に思っています」という言葉に留まった。「日本政府の一歩引いた対応が目立つ形となり、『弱腰すぎる』と批判が相次ぎました。首相は8月25日、『日本政府の立場と相容れず、深刻に受け止めている』と述べ、『弱腰との批判は当たらない』としています」(政治部デスク)トランプ政権の反発を招いたきっかけ 赤根氏は1980年に東京大学法学部を卒業、1982年に検事に任官された。法務省法務総合研究所所長などを歴任。2018年にICC判事となり、2024年3月に所長に就任した。2025年6月には、法の支配への想いなどを綴った著書 『戦争犯罪と闘う 国際刑事裁判所は屈しない』 (文春新書)を上梓した。「ICCが2024年11月にイスラエルのネタニヤフ首相への逮捕状を発行したことなどが、トランプ政権の強い反発を招き、今回の制裁につながったと見られます」(同前)「ICCの破壊を望む者たちの圧力に対抗すべき」 こうした状況を受け、赤根氏を判事時代から知るピオトル・ホフマンスキICC前所長が「週刊文春」の取材に応じた。「彼女は冷静で、タフで、自らが果たすべき役割を理解している人物です。極めて困難な局面ですが、最も重要なのは、ICCの存続を確保し信頼性を維持すること。そして愚かな制裁に対する強靭さを示すことです」 そして、次のように指摘する。「設立当初からICCを支持してきた日本当局の姿勢も決定的に重要になるでしょう。違法な制裁を前に日本が持つ影響力を行使し、ICCの破壊を望む者たちの圧力に対抗すべきです」《8月26日(水)12時配信の「 週刊文春 電子版 」および8月27日(木)発売の「週刊文春」では、ホフマンスキ前所長の指摘のほか、保守派論客や元防衛相らの高市政権に対する厳しい見解、IOC所長になるまでの赤根氏の半生、高市首相が米トランプ政権を非難できない理由、茂木敏充外相と赤根氏の面会が実現しなかった背景などについて詳報している》内田樹氏は下記のブログを書いている。ICCはリヴァイアサンか?2026-08-25
2026年08月27日
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昨日は、孫が「空知グルメフォンド」にした。「空知グルメフォンド」孫はいつの頃からかサイクリングと温泉巡りを趣味としている。山形で働いている時も、休日にはあちこちを自転車で走り、温泉に入っていたようだ。私達が孫に会いに山形に行った時に泊った温泉宿も、自転車で走っていて山間の温泉旅館を見て気になったという温泉だった。高校時代には、家から10キロの高校まで毎日通学していたし、中学生の頃も休み期間中の部活には、山を越えて結構な距離を走っていたらしい。というわけで、今回のサイクリングイベントにはロングコース121キロをエントリーしたとか。前日は農業祭で暑い中をずっと焼き鳥を焼いていて疲れているだろうにと心配した私だが、所々で何か食べたりして、二時半頃には到着のラインが入った。「平坦な道が多かったからスムーズに走れたよ」なんて書いてあったが、コースを見る限り山坂も結構ある。本当に健康な体を持っているなと感心しつつ、とても嬉しく思っている。そういえば、夫も退職してからテントを持ってあちこち走っていたな。自転車好きは夫に似たのかな。
2026年08月24日
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昨日は息子たちが住む町の農業祭に行ってきた。息子たちは、地域のヴィンヤードやワイナリーのブースでワインの試飲の担当。孫は、地元の青年団で焼き鳥を販売するというし、夫の運転で行けるのは今年限りということででかけた。孫たちが小学校から高校生の頃までは、孫たちがステージに立ったりしていたので、この農業祭にも何回も通ったものだ。この日は30℃を超えるような良い天気で、大勢の人達で賑わっていた。息子たちのワイン試飲ブースは、おなじみの顔ぶれのお客さんも来てくれていた。ほとんどが札幌圏からの人達のようで、いつも畑にボランティア作業に来てくれる人たち。この地域は米どころで、地元の人たちのおなじみのアルコールは日本酒やどぶろく文化なので、ワインは新参者らしく、地元のワイン好きはさほど多くはないらしい。それでも、最初の頃よりは立ち寄る人たちも増えているのではないかと希望的観測。私達は、ワインのおつまみセットや孫が焼いている焼き鳥や、地元の野菜を目当てである。それと、「お米すくい」があるというのでそれも目的だったのだが、ワインブースで知り合いとおしゃべりしているうちに、「お米すくいは完売になりました」のアナウンス。あーあ、最初に行くべきだったかと少しがっかりしたが、お米は最近安くなっているのでまあいいか。大きな公園の中に、沢山のテントが囲むように並び、四分の一くらいはキッチンカー。最近、本当にキッチンカーが増えてきたような気がする。夫は地元の蕎麦打ち愛好会の人達がやっているらしい手打ちそばもお目当てだったので、それはワインブースに行く前に一緒に食べることができた。ということで、果物や野菜なども少し買って、暑いので長居せずに帰宅。あの暑さの中で、一日中焼き鳥を焼いたりワイン試飲の接客をしていた息子や孫は疲れたことだろう。
2026年08月23日
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地元発着のバスツアーがあったので、夫と二人で参加。夏の積丹巡りと海鮮丼一週間前から、この日は雨模様予想だったので、何とか晴れないかなと願っていたのだが、お天気の守護霊が私には憑いているようでこの日も予想以上の良い天気となった。見学場所メインは島武意海岸と神威岬。夫は小樽で育ったこともあり、積丹半島には息子たちが小さい頃には数えきれないほど行っている。夏は積丹半島のどこかで海水浴やキャンプが恒例行事であったが、息子たちが成人してからは数年に一度行く程度だった。しかし、もう少しで夫は完全に免許返納なので、良いツアーがあれば行こうと思っている。島武意海岸に最初に行ったのはもう40年も前のことだと思う。その頃は、海岸に抜けるトンネルも手彫りの背丈くらいのもので、真っ暗で手探りであるいたような気がする。しかし、トンネルを抜けると目の覚めるような積丹ブルーと入江が広がり、当時はまだ船を引き揚げる装置などがあったような気がする。当然、海岸までの粗末な階段があり、その入江で子ども達は歓声をあげて遊んだ。まだあまり有名になっていない場所だったのか、家族で独り占めのような感じで思えば贅沢な話だった。夫は、その時に岩場の影のウニを取って子ども達に食べさせたと言っていた。最近行ったのはいつかと調べたら、もう5年も前のことだった。その時はまだ下に降りることができたように思うが、今回は降りることができなくなっていた。残念ではあるが、降りることができたとしても多分行かなかっただろう。次は昼食会場の神威岬の根元にある「食堂うしお」へ。ここで海鮮丼をいただく。このお店は、ずいぶん以前からあったと思うが、ここで食べたのは初めてだと思う。子ども達と一緒に積丹に遊びに来ていた頃は、いつもお弁当持参だったり浜辺でバーベキューだったのだ。海鮮丼は私にはちょうど良い量で美味しかったけれど、物足りない人(分量が)もいたかも。神威岬に初めて行った時は、今のように道路は整備されていなくて、このお店のあたりに車を止めて山道を歩いて行ったはずだ。私の記憶では小一時間ほど歩いたような気がするが、今は神威岬の近くまで車で行ける。この日は予想以上に天気も良くて暑く、それでも岬までは快調に行くことができた。ここも、天気が良くてこその景色なので、こんな日に来ることができて本当に感謝。ここに来たのも多分五年ぶりだが、多分これが岬の突端まで行くことができた最後の日のような気がする。しかし、帰る途中で暑さがこたえてきて次第にバテテきた。つまり、熱中症予備軍状態の気配がしてきて、まずいなと少し急ごうと思って足を速めたのが悪かった。貧血のような状態になってしまい、少し休もうと日陰にしゃがむと、追い越す人たちが次々と「大丈夫ですか?」声をかけてくれる。「少し休んだら大丈夫です」と答えていたのだが、内心は(まずいなー、気を失ったら最悪!)夫はさっさと前を行ってしまっていたので、とにかく休んで落ち着くのを待つことにする。すると、追い越していった同じバスの人が「塩飴なめなさい」と渡してくれる。これは本当にありがたかった。口に入れてしばらくしたら、血液が動き出したような感じがした。その頃、バスの添乗員の人が心配して戻ってきてくれて(飴をくれた人が伝えたのだろう)私も立ち上がってゆっくりと歩きだすことができた。やはり、神威岬への細い道の途中で倒れるのは危険すぎるので不安だったのだ。ということで、その後夫とも合流し水分補給をして無事にバスに到着。大量に汗をかいていたので、水よりもスポーツドリンクがいいと売店で購入したのだが、私はスポーツドリンクはあまり好きではないのだが、そんな時には体に沁み込んでゆく感じがするものだ。(ただの水ではそんな感じにならない)帰路は、古平の道の駅に立ち寄り、新しくできた余市からの後志高速道路で札幌経由で帰宅。この道路は、小樽を通らないので札幌までは本当に早くなった。高速道路がない時代を知っている私には、夢のような時代である。今なら、ちょっと積丹に行ってこようという感じになる。昔の積丹は遠かったな。と、ちょっと皆さんに心配かけた時はあったけれど、良い一日となりました。
2026年08月20日
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人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」古人骨に残されたDNAを解読し、ゲノム(遺伝情報)を手がかりに人類の足跡を辿る古代DNA研究。近年、分析技術の向上によって飛躍的に進展を遂げている。30万年前にアフリカで誕生したホモ・サピエンスは、どのように全世界に広がったのか。旧人であるネアンデルタール人やデニソワ人との血のつながりはあるのか。アジア集団の遺伝的多様性の理由とは――。人類学の第一人者が、最新の研究成果から起源の謎を解き明かす。一昨年、友人と一緒に東京上野の科学博物館の「古代DNA―日本人のきた道―」に行ってから、世界中で発掘された古人骨に残されたDNA解析で人類の発生から近年までの研究が飛躍的に進んでいることを知った。旅行備忘録③ 国立科学博物館の見学以前から日本人の成り立ちや縄文時代や北海道のアイヌ民族の歴史などについて関心はあったのだが、科学博物館の元篠田 謙一館長のYouTubeなどを見て、いよいよ面白くなってきて、この本を読んだ。私の力では本の内容をすべて理解するのは当然無理なのだが、現在の研究結果が伝えてくれる人類の歴史を、ザックリとではあるが納得できるようになってきた。もう本を返却しなくてはならないので、とりあえずここまで記録しておこう。
2026年08月19日
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今日は終戦記念日。あの戦争で、多くの人達が理不尽にも命を奪われた。生き残った人たちはそれぞれの立場で運命と向き合い必死に生きた。戦争によって親や家族を失った子ども達「戦争孤児」は、12万人以上だという。その子たちが戦後をどう生きたのかと、ずっと気にかかっていた。その一端を教えてくれる本があった。「戦争孤児」を生きる ライフストーリー/沈黙/語りの歴史社会学解説第2次世界大戦で親を失った戦災孤児・戦争孤児は、戦後70年にあたる2015年まで多くを語らず、「沈黙の半世紀」「沈黙の70年」を生きてきた。彼・彼女たちはなぜ沈黙してきたのか。これまでの人生で何を経験してきたのか。なぜいま、自らの足跡を語れるようになったのか。これまで沈黙してきた戦争孤児の当事者たちにロングインタビューをおこない、浮浪生活、自殺を考えるほどの親戚宅での冷酷な処遇、教育にアクセスできない困難、就職の難しさ、家族をつくることの願いと拒否感など、これまで歩んだ生活実態を明らかにする。戦争孤児が自らを語り、社会的な承認を求める契機になった東京大空襲集団訴訟などについての思いも聞き書きして、「戦争で親を失った子どもたち」が、抱え続けてきたスティグマとどう向き合い、自らの来歴をどのように語るのかを検証する。目次はじめに第1章 問題の所在 1 本書の視座 2 「戦争孤児」たちがたどった道程 3 研究視座――ライフストーリー研究と「語りの産出/不在」を分析すること 4 理論枠組み 5 調査対象 6 本書の構成第2章 「戦災孤児」のメディア表象――敗戦後日本の自画像としての 1 「戦災孤児」、浮浪児の飢餓と貧困 2 「親がない子ども」をめぐる新聞記事件数の推移 3 「慈しむべき哀れな孤児像」 4 「不良化し犯罪化する危険な浮浪児像」 5 「平和への祈願としての原爆孤児像」の形成 6 「戦災孤児」たちの「親探し運動」と「親子再会の物語」第3章 語りの制約――沈黙の背後にあるもの 1 調査対象者の生活史と出身階層 2 なぜ自分の「戦災孤児」経験を語れない/語れなかったのか 3 「戦災孤児」だったことの沈黙 4 語り始める契機第4章 社会的信用の失墜と孤児たちの経験――浮浪生活、施設生活、親戚宅での生活をどのように語るのか 1 「戦災孤児」というカテゴリーを付与されること 2 疎開経験、空襲経験、親の死を知る 3 浮浪生活(に至った経緯)/施設経験をどのように語るのか 4 里親宅/親戚宅での生活をどのように語るか――いちばんつらい時期として 5 自殺を考える 6 他家での家族関係で先鋭化するスティグマ第5章 「戦災孤児」を生きること――学校生活、就職、そしてその後の人生 1 就学/進学 2 就職 3 体の不調 4 「家族」をつくること、「子ども」をもうけることへの願いと拒否感 5 その後の人生第6章 「戦災孤児」から「戦争孤児」へ――カミングアウトと裁判 1 アイデンティティの承認をめぐる闘争 2 語りだすきっかけ 3 「戦災孤児」から「戦争孤児」へ 4 信念 5 ライフストーリー産出をめぐる政治と闘争終 章 沈黙と語りの歴史社会学 1 社会的カテゴリーとしての「戦災孤児」「戦争孤児」 2 承認をめぐる闘争とループ効果 3 戦争社会学との接点 4 「語りの不在」自体を問題にする視座 5 戦争の記録、記憶、語りの継承 6 東日本大震災の経験、子どもたちの脱スティグマ化のために戦争で孤児になった子ども達は、その人生のなかで自分が戦争で孤児になったと語ることはほとんどなかったという。また、孤児になった後に親戚に引き取られたり、施設に入ったり、浮浪児として生き延びたりしているが、ほとんどの人は親戚宅や里親家庭での暮らしが一番みじめで辛かったという。それはなぜなのか、そしてその体験を口にすることでどんなめに逢ったのか、想像できる人はいるだろうか。この本で体験を語った人はほんの一握り。語ることなく子どもの頃に打ち捨てられたように死んだ子供も多かったことだろう。心に様々な思いを秘めながら、這いつくばるように生きて死んでいった人もいるだろう。未だに、子ども時代のトラウマや苦しさを抱えたままに生きている人もいるはずだ。戦争とは、このような人たちを大量に生み出すものなのだ。ぜひ多くの人に、特に政治家たちには読んでほしいと思う。
2026年08月15日
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息子たちも一緒に実家の仏壇にご挨拶してから、市内の墓苑で我が家と義兄のお墓参り。その後、実家の檀家寺の納骨堂に手を合わせる。昨年北海道に戻った孫は、高校時代以来の墓参りだった。その後、川崎に住んでいる姪一家も我が家に集合し、夫の誕生祝を兼ねた中集合。姪の子どもも小4と保育園年長さん。子どもの成長は本当に早く、都会っ子のマンション暮らしなのだけど、趣味は野菜作りという男の子は素朴さをちらつかせながらも私達大人と話す時には、ちゃんと言葉遣いを変える。年長さんの女の子は、甘えん坊なのにおしゃま。姪の小さい頃と似ているので、何だか不思議な感じがする。息子たちと姪が一緒に話すのはもう二十年以上ぶりだと思うが、幼い頃に楽しく遊んだ従妹兄同士というものは、簡単に年月を超えるものかもしれない。楽しそうに話している姿を見ると、いいものだなと思う。姪の子ども達はお蕎麦が大好きなので(もちろん姪夫婦も)、夫は腕によりをかけて蕎麦を打ち、私は旬のトウモロコシやカボチャなどの天婦羅、カボチャの甘煮、煮物などを用意、妹はポテトコロッケとお稲荷さん、長男の家からは夏野菜のジュレ寄せ(?)次男は小玉スイカ三種類を持参してくれた。その上に、姪たちに食べさせようと昨日買って茹でておいたとうきびなどなど、久しぶりの贅沢なパーティーである。もちろん、息子たちからの誕生日ケーキがメインイベント。夕方になったのでそろそろお開きと庭に出たら、野菜つくりが趣味の男の子は、見たことがないヤーコンや菊芋、そしてブルーベリーに大興奮。ブルーベリーはもう終わり頃なのでさほど残ってはいないのだが、食べられそうなものを(ちょっと酸っぱいのが美味しい!)なんて食べ尽くしてしまった。ミニトマトも当然のことである。彼にとっては、ケーキよりも収穫できるものの方が嬉しかったようだ。ともあれ、台風で大変な思いをしている千葉県をはじめとする本州の人達には申し訳ないが、こちらはチビッコ豆台風でとても楽しい時間を過ごすことができた。きっと、あちらの世界の両親も祖父母も、私が会ったこともないご先祖様たちも子孫の元気な姿に喜んでくれていることだと思う。おかげさまで私達はこのように元気です。いつも見守ってくださってありがとうございます。
2026年08月14日
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一週間ほど前に、面白いテレビがないのでたまにはプライムビデオを見てみるかと思った。Amazonプライムに登録しているのだが、実はあまり利用していなかったし。少し探したらこれが出てきた。以前、テレビドラマとして放映されていたような気がするが、多分遅い時間帯で見ていなかったのだと思う。「ライオンの隠れ家」私は、発達障害やハンディのある人たちの映画やドラマにはつい注目してしまう。このドラマも、そんな興味から見始めたのだが、一気に引き込まれた。次が気になって少し時間があると見てしまい、この一週間はこの登場人物たちとハラハラ・ドキドキ・ウルウル・イライラなど、久しぶりに感情が揺さぶられていた。基本的にはサスペンスヒューマンドラマというところなのだろうが、私には様々な事情の成育歴の問題や、ハンディを持つ人と生きる家族の問題に考えることが多かった。それぞれの登場人物の背景や感情の動きが丁寧に描かれ、まったく違和感がなかったのは俳優の人達の実力の賜物だろう。みんなに拍手である。久しぶりに感動をもらったドラマだった。もっと詳しく感想を書きたいが、今は覚え書きだけ。
2026年08月12日
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昨日、今日と、夫のお姉さんの家に盆参り。上の姉は96歳。二世帯住宅に住んでいるが、今もなんでも一人でやっている。最近は、お嫁さんに言われて一日一食は冷凍宅配のおかずを利用しているようだが、まだ近所のスーパーに手押し車でちょっとした買い物に行き、洗濯・掃除・調理もするというのだから本当にすごい!耳が遠くなって会話は少し大変だが、一対一なら大丈夫。次の日に車で一時間の次姉の家に行くが一緒にどうかと聞くと、長時間の車の移動は疲れるからと言っていた。二人はもう数年は会っていないはず。それでも、別れる時に何度も言う。「いつもありがとうね、私はいい弟夫婦がいてくれて幸せだ」。(市内なので、時々煮物などを作った時に届けていることのお礼だ)悪い気はしないし、また作ったら届けようと思う。(届けるのは夫の仕事)そして今日、二番目の姉の家に行く。こちらも94歳なのにまだ元気いっぱい。本人は「すぐに疲れるし、腰は痛いし、やっぱり年だねー」なんていうが、94歳の言い分ではない。一番上のお姉さんは97歳で亡くなったのだが、その数年前までは元気だった。夫も85歳だけど、同年齢の人達から見たら元気な方だと思う。夫も、今月が誕生日で免許更新の時期だが、もう更新はしないという。今は、次男の車(元々は夫の車で去年の雪が降った頃に譲った)を誕生日までということで借りているのだ。だから、姉の家に盆参りに行くのは今年限りとなる。二番目の姉も一人暮らしをしているのだが、去年長女が近くのアパートに越してきた。ご主人が定年になったので、母親のことも心配なので越してきたらしい。やはり、歩いて一分のところに娘が来たことがとても嬉しいようで、「私は幸せだー」を繰り返していた。姉二人とも、決して平穏な人生ではなかった。しかし、いつの時も兄弟姉妹が仲良くて、何かあれば集まってご飯を食べて、お互いに元気に集まれることを楽しみにしていたし、喜んでいた。最終的にいつも我が家が集まる場になった頃には、幸せなことだと自分に言い聞かせながらも、心のどこかでは面倒だと思っていたのも正直なところだ。しかし、それでもお役目だと思って何とかやって来たから、今に至っている。幸せだと思える人には、それなりの理由があるように思う。幸せのハードルが低いし、何より家族や身内への思いやりが強い。自分の言い分をごり押しすることもなく、欲張らない。義姉たちをみているといつもそう教えられる。「ありがたいねー」といつも思っていたら、ありがたいことが集まってくるのかもしれない。
2026年08月11日
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気付けば、日々の出来事をほとんど書いていなかったので、備忘録。7月28日 NさんとJさんと近くのファミレスでランチ。 二人は私抜きで会うこともあるようなのだが、「二人だと人の悪口や愚痴になっちゃう。みらいさんが入ったら中身のある話になるんだ」 ありがたいことです。(中身があるって程の話もしてないけど) そんなみらい効果があるというなら、これからもお付き合いしましょう。7月29日 久しぶりのブドウ畑作業で、葛と格闘。ファン付きベストは効果あり。熱中症未満にもならなかった。8月1日 春風亭一之輔落語会に夫と聞きにいく。一之輔うまいなあ。8月2日 またまたブドウ畑。葛に巻き取られているブドウ救出の続き。8月4日 かかりつけクリニックに行き、骨密度改善のための注射治療開始。 骨折で寝たきりになることだけは避けたいので、やってみることにした。8月8日 町内会植樹桝除草作業。汗ダラダラ、熱中症寸前。8月9日 午後から孫とお嫁さんと一緒に鶴の湯温泉のハスの花を見に行く。蓮って、想像以上に迫力があった。 帰る途中で千歳の道の駅サーモンパークに立ち寄るが、休日のせいかとても混んでいた。孫が「ここのソフトクリームが有名なんだって」というので、ボンボンソフトとやらを購入しようとするが、長蛇の列。それは孫に任せてメロンや野菜などを買う。ボンボンソフトは、ジェラートっぽいアイスで美味しかった。
2026年08月11日
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椋鳩十の絵本三冊「母ぐま子ぐま」「しんでは いけない。しんでは いけない」はげしく襲う痛みに気が遠くなるなか、母ぐまは二ひきの子ぐまを思い、のうみその奧の方でさけびました。命のきけんと隣り合わせの野に生きる、くまの母子の愛をえがいたお話です。「藤吉じいとイノシシ」山の斜面に住んでいる藤吉じいさんは、町で育った一郎にこういいます。「かみさまが、おつくりになったままの姿で生きているやつは、なんだってすばらしいのよ」おじいちゃんと孫とイノシシの、ちょっと変わった出会いのお話。編集者コメント自然と共に生き山で暮らす登場人物・藤吉じいが、町暮らしの孫に語る「かみさまが、おつくりになったままのすがたで生きているやつは、なんだってすばらしいのよ」という本書のなかの言葉には、作家・椋鳩十の、いつの時も力いっぱい今を生きるものたちの命を尊ぶ姿勢が貫かれています。命を全力で描きつづけた作家の作品を、低年齢から味わえるように、気鋭の画家が絵で応え絵本化したシリーズ「えほん・椋鳩十」の第二弾です。「ひとりぼっちのつる」家族で行動する鶴たちの群れのなかに、ひとりぼっちで暮らすこどもの鶴がいました。ある時年を取った狐に狙われます。ひとりでたたかうなか、ある一家のお父さん鶴が向かってきました。ひとりぼっちでない初めての経験でした。椋鳩十の絵本三冊を借りてきた。どれも生き物の姿を通して、生きることの厳しさや全力で生きる尊さがストレートに伝わってくる。中でも、「ひとりぼっちのつる」は一人ぼっちの孤独を耐えて生きなくてはならない切なさや寂しさが伝わり、それを助けてもらった時の驚きや嬉しさが心に刺さる。きっと椋鳩十は、戦後孤児になり必死で生きている子ども達の姿を見ていたのだろう。椋鳩十は図書館の仕事にも携わり、のちの日本の図書館ネットワークと相互貸借につなげたんだと知った。私は、ずっと椋鳩十氏のおかげで図書館を一杯活用させていただいていたのだ。本当にありがとうございました。
2026年08月07日
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【広島・平和記念式典】広島市長 平和宣言 被爆から81年が経過した今、私たちが暮らすこの地球上では、核を脅しの道具に使った軍事侵攻や国際法をないがしろにする大国の横暴な振る舞いが繰り返されています。また、今年開催されたNPT(核兵器不拡散条約)再検討会議では、過去2回に続き成果文書が不採択となりました。その原因は、他国に責任を転嫁し自国の行動を正当化する為政者の言動にあります。また、こうした為政者の言動は、NPTが定める義務を無視するに等しく、世界の平和と安定を根底から揺るがすものです。 このままでは世界中で不信の連鎖が進み、欲望がむき出しになっていた第二次世界大戦の時代に回帰してしまいます。核兵器の非人道性を軽視し、自国の繁栄のための武力行使を認めることは、暴力を伴う報復の連鎖を許容し、第三のヒロシマ・ナガサキを作り出すことになりかねません。 皆さん、ここで再度、あの惨禍を生き抜いた被爆者の体験に耳を傾けてください。当時16歳だった女性は優しかった姉のことを振り返ります。まるで骸骨のように皮膚が崩れてなくなり、唇のない口から歯がむき出しになっていた姉の顔は、悪夢のようで信じられなかった。また、3歳で被爆した後に次々と病に襲われ、55歳で白血病を発症し原爆症と診断された女性は、いつも次にどんな病気がくるのかという恐怖と隣り合わせの日々だったといいます。また、別の当時9歳だった男性は、多くの一般人が犠牲になっているロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにし、争いが起きない世界を創るため、自分の中の争いの心を乗り越え、相手の考えを受け入れる気持ちを持ってほしい、とりわけ若い世代には、そのために身近なことから考えてほしいと訴えます。 市民社会は、こうした被爆者の声や被爆者の思いを伝承する活動に鼓舞され、核兵器廃絶と平和を願う行動の輪を、国境を越え世代を超えて広げてきました。しかし、多くの為政者は現実的な対応として核抑止力に依存し続け、暴力を肯定する国際社会が出現し、核兵器のない世界は遠のくばかりです。戦争の記憶が薄れることで核兵器の使用が容認されかねない時代を生きる私たちは、今改めて、国連を創設し核兵器廃絶を決意した過去の教訓を学び直す必要があります。そして、一人一人があらゆる暴力を否定し、核兵器廃絶という理想を理想で終わらせない国際社会を創り上げるための行動を起こす必要があります。 そこで、若い世代の皆さんに提案があります。価値観の異なる人々との国境を越えた交流を深めてください。そうすることで、嬉しさや楽しさ、夢や希望を共有することができます。既に世界の多くの若者が、広島を始め様々な場で被爆の実相を学び、交流を深めています。皆さんも平和のために日常生活の中でできることを実践し、自らの思いを発信することで、その行動の輪を広げていってください。こうした取組は、お互いを認め合う平和文化を世界中に根付かせ、核兵器廃絶を国際社会の常識にすることにより、為政者が核抑止力に依存することを認めない環境づくりにつながります。広島市は、平和首長会議の8,589の加盟都市と連帯し、平和文化を世界中に広め、次の世代に伝える活動を後押しするとともに、「ヒロシマの心」を世界に訴え続けます。 世界の為政者の皆さん。市民社会は一日も早い核兵器廃絶を願っています。いったい、いつまで失望させ続けるのですか。核兵器の使用が人類に壊滅的な被害をもたらすこと、そして核軍縮・不拡散は、多国間で取り組むべき課題であることを十分理解されているはずです。また、核保有国の為政者の皆さんは、核軍縮に大きな責任を有しているのですから、自ら範を示す必要があることを十分認識されているはずです。世界の為政者の皆さん。自ら被爆地を訪れ、ヒロシマ・ナガサキの悲劇と真剣に向き合い、被爆者の平和への思いを受け止めてください。私たち市民社会は、為政者の皆さんが被爆地から核兵器廃絶への決意を世界に発信し、そのための政策を実行することを心から待ち望んでいます。 日本政府には、日本国憲法が掲げる崇高な理想を深く自覚し、国際社会において名誉ある地位を占めるための歩みを止めないでいただきたい。とりわけ、各国との分断や対立が生じかねない厳しい安全保障環境にあるからこそ、国民に犠牲を強いることのないよう、したたかで粘り強い外交に徹する中で、国際社会の平和と安定に向けて貢献し続けることを表明し、実行していただきたい。そのためにも、まずは今年11月から開催される核兵器禁止条約の再検討会議にオブザーバー参加し、そして、一刻も早く締約国となっていただきたい。また、平均年齢が86歳を超えた被爆者の支援策については、今なお抱えている様々な苦しみや苦悩に寄り添い、在外被爆者を含めた被爆者援護のあり方を踏まえた上で、その充実を図ることを強く求めます。 本日、被爆81周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、力を尽くすことを誓います。そして、改めて市民社会に呼び掛けます。世界中の皆さん、被爆者の切実な思いが込められた「ヒロシマの心」を胸に、共に行動することで世界を変えていきましょう。令和8年(2026年)8月6日広島市長 松井一 實毎年、この日の広島市長の言葉は心に響くが、首相の言葉はいつも同じに聞こえてしまう。(私の偏見か?)核兵器を使う事になったら無差別大量虐殺になることは誰もがわかっているが、それでもその核兵器を持つことが平和を維持することには必要なんて、究極のジレンマ。私はずっと、「非核三原則」と「平和憲法」が日本の一番の武器だと思ってきたし、多分それを何とか守っていることが、今まで戦争に巻き込まれなかったのだと思いたい。見えないところで戦争に関与しているかもしれないけれど、そこは目をつぶる。しかし、ずっと目をつぶっているといつのまにか危険は忍び寄り、抜き差しならないところに行ってしまうのではないかとそれはとても不安だ。毎年この時期に、広島と長崎のことを思い出し、私達が未来の日本のために何が必要なのかを考えさせてもらっている。その時に目に浮かぶのは、一歳になったひ孫のこと。あの子が大人になった時に、私は何を見るのだろうか。もうその時にはこの世にいないかもしれないが、平和な場所で明るく元気に生きていてほしい。多くの原爆犠牲者たちの霊も、子孫たちが自分たちと同じような苦しみを味わうことがないようにと祈り続けているだろう。その祈りと願いを無視しないでほしいと政治家たちには願うばかりだ。
2026年08月06日
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熊本市は今日も暑そうだ。それに比べてこちらは涼しい夏である。6月頃に一時暑い日が続いたが、その後エゾ梅雨のような湿っぽい日が続き、それが過ぎたら一気に爽やかな天気が続いている。色々な気象状況でこうなっているのだろうが、毎日テレビで熊本の様子を見ていると暑さの上に水がないなどの映像が流れ、「北海道においでよ」と呟いてしまう。それにしても、熊本の災害対策については首をかしげてしまう。これほど大地震が各地であり、特に10年前には熊本で地震災害があったのに、その教訓が十分生かされていないような気がするのだ。現地が混乱するのはわかっているのだから、全国からの支援体制の構築はもっと素早くできないのだろうか。ボランティアセンターの設置の多くは地元の社会福祉協議会なのだから、各地の社協にいるであろうボランティアセンターコーディネーターの派遣をもっと早くできないのか。ニーズ把握ができないというが、これほどスマホが普及しているのだから、災害時に市町村の災害対応アプリなどすでにできていそうなものだけど、そうでもないらしい。未だに、体育館のような場所に仕切りもなしにごろ寝状態の避難所を見たら、その地域の防災対策はどうなっていたのかと腹立たしい。どうか、各地の市町村では災害時の対策を「先手先手」で進めてください。「先手先手の対応」ってそういうものではないのか。
2026年08月06日
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天気も良かったし、サヤエンドウもツルナシインゲンももう終わりなので、ジャガイモ掘りと一緒に片づけた。ジャガイモは、まあまあの収穫量。種芋一袋でこれだけ収穫できたので、満足満足。さやえんどうも随分食べさせてもらったし、インゲンも何度も煮て妹にもおすそ分けした。実家てせ母が作っていた頃は、こんなに作ってどうするのという感じで、母から「取りにおいで」と声がかかるたびに少しうんざりするくらいで、あまりありがたいとも感じていなかったけれど、自分で育てた野菜は少しでも無駄にしないようにと食べるものだ。これからはミニトマトがどんどん赤くなりそう。食べるために買った菊芋を二個だけ植えたら、ビックリするほど巨大に育っている。調べたらやはり芋なので、茎が枯れてくる頃が収穫時期とのこと。どのくらいの芋が取れるのかと楽しみにしている。ヤーコンも同じように二株なのだが、これもいつも以上に育っているのだが、芋部分は大丈夫かと少し心配。実は、実家で育てた時は立派な葉と茎だったのに、芋の方はやせっぽちだったからだ。早々に終わってしまったが、サラダカブと小松菜も美味しく食べさせていただきました。ご馳走さまでした。とまあ、我が家の家庭菜園は今年も元気です。
2026年08月05日
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【熊本地震】避難所エアコン設置率20.9%…木原官房長官の地元で住民の怒り爆発「10年何やっとったん」7/31(金)最大震度7の「令和8年熊本地震」の発災から4日目の7月31日。熊本県の災害対策本部の発表によると、県内では災害との関連を調査中の人を含め34人の死亡が確認されたという(31日午前8時現在)。「熊本県によると、30日午前7時30分で、県内415カ所の避難所に、計1万467人が避難しているということです。避難所以外にも駐車場などで車中泊をしている人も多数いますが、気温は連日40度近くにもなり、熱中症予防など体調管理が喫緊の課題になっています」(社会部記者)もちろん、被災地の苦境を前に、周囲は手をこまねいているわけではない。「エアコン設置」の支援が広がり始めている。「防衛省は29日、県内の避難所などで使用するスポットクーラー約300台を家電量販店から調達、航空自衛隊のC2輸送機で熊本に運び、順次設置しました。また、ダイキン工業も29日、県内の避難所などに、台数は未定としていますが、業務用の移動式エアコンを提供すると明らかにしました」(経済部記者)ところが、政権を担う自民党への批判が地元では強まっているという。なかでも、木原稔内閣官房長官(56)への風当たりは強いようだ。「熊本県内の衆議院選挙区は4区あり、2026年2月の衆院選挙では、すべての選挙区で自民党議員が当選しました。まさに『自民党王国』です。木原さんは熊本市の中心部、熊本1区を地盤にしています。今回、避難場所に指定された公立小中学校の体育館などでのエアコン設置が注目されましたが、文部科学省によると、2026年5月1日時点の避難所エアコン設置率は、全国平均の33.1%に対して熊本県は20.9%にとどまっています。東京都の95.9%は突出していますが、熊本県は全国レベルでも低位と言っていいでしょう。そのため、『自民党は何をやってるんだよ』という県民の怒りが、高市政権の中枢を担う木原さんに向かっているのです」(政治担当記者)Xにも《10年間何やっとったん?10年前となんも変わらんじゃないか》《東日本大地震から15年、熊本地震から10年、能登半島地震から2年半経ってるからね。「今まさにエアコンを運んでいます!」がまずおかしい》など政治の不作為を非難する声が殺到している。政治アナリストの伊藤惇夫氏は「被災者は高市政権に対して期待が持てていないのでしょう」とし、その理由をこう語る。「高市首相はリーダーシップをとっているようにも見えますが、地震発生から4日になるのに、いまだに被災者は体育館で暑さを我慢し、車中泊を強いられている方も多くいらっしゃいます。被災者用のテントすら満足に準備ができていない。『高市政権は何もしていない』という批判が出るのも、仕方ないところです。それでいて高市首相は被災地に入るという。地元は首相の警備に人員が割かれ、復旧作業にも遅れがでます。私は常々、『災害が起きたとき、ダメな政治家ほど早く現地に入りたがる』と思っています。視察は迷惑だから、やめていただきたいですね」高市政権に求められているのは、「目に見える、実感できる成果」ではないだろうか。このニュースには本当に驚いた。北海道のエアコン設置率が低いのならまだわかるが、夏は猛暑が当たり前の熊本で、そのうえ10年前にも大地震災害で避難所開設の経験もあっただろうに、本当に何をやっているんだか。実は、避難所のニュースを見ていた時にちょっと疑問に感じたことがある。体育館のような場所にブルーシートを敷いた上で寝ているようだったのだ。さらに、仕切りも全くなくてプライバシーは無視。この避難所は、災害時の準備などはしていなかったのだろうか、それともここは急に避難所になったのか。それが率直な感想だった。福岡といい熊本といい、九州の国会議員は何をしているんだ。他の県はどうなのか検証が必要だと思う。
2026年08月01日
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けんぐゎい朝倉かすみ【内容紹介(「BOOK」データベースより)】利発だが酷い痘痕の姉ふゆ。逆上せ癖で縹緻よしの妹りよ。幼くして父を亡くし、ふゆは手習い師匠の手伝いに、りよは船宿の下女奉公に出された。師匠の養子で禍々しいほどに歪んだ性癖をもつ宗三郎から手籠めにされたふゆは懐妊するが、現人神と崇められる女医者と出逢い、彼女の人生は大きく変わっていく。自我に目覚めた主人公が、女の生と向き合う、時代小説の新しい扉。【著者情報(「BOOK」データベースより)】朝倉かすみ(アサクラカスミ)1960年、北海道小樽市生まれ。2003年「コマドリさんのこと」で第37回北海道新聞文学賞を、2004年「肝、焼ける」で第72回小説現代新人賞を受賞し、作家デビュー。2009年『田村はまだか』で第30回吉川英治文学新人賞を受賞。2019年『平場の月』で第32回山本周五郎賞受賞、第161回直木賞候補に。映画化もされ話題となる。2024年『よむよむかたる』が第172回直木賞候補に(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)朝倉かすみさんが直木賞を取って間もなくこの本を注文したのだが、注文が殺到していたようでちょっとだけ時間がかかった。朝倉さんのお話を地元の図書館で聞いたのは、何かの賞を取った時だっただろうか。とても気さくなお姉さんという印象だったので、ずいぶん以前のことになるのだろうか。小樽から札幌までの通勤時間に沢山読書をしたという話や、小説の書き方講座を受講してから小説を書き始めたなど、親近感を覚えた。それまで彼女の本を読んではいなかったと思うが、講演会を機に何冊か読んだ。今思い出すのは、「田村はまだか」「平場の月」くらいかな。どちらも、私達と等身大の物語だったような気がするし、さほど強い印象や感動を覚えた記憶がない。しかし、今回はそんな朝倉かすみの印象はひっくり返った。とにかく、色々な面で「けんぐゎい(圏外)」なのだ。圏外…つまり普通の人達の枠から外れているという意味では、登場人物みんながマイノリティーだ。また、そのマイノリティーも規格外れすぎて、ちょっとついていけない感じがすることすらある。さらに、文体も今までの小説から見たら圏外で、読みにくさを感じることもある。内容は、私は女性なので理解できることもあるが常識人の私には読むには辛いこともあり、感情は結構揺さぶられてしまう。しかし、読みながら、これは朝倉さんが書きたいことをぶつけているんだなという印象だ。平均的な人間なんているようでいないものだ。時々このブログでは書いているが、人間というものは善悪美醜がごちゃまぜで、ひとくくりにはできない存在。人間は誰かとつながりあわなくては生きていけないから、誰でも周囲に自分を合わせながら生きている。時に自分の中のどす黒いものを感じたら、何とかそれを抑え込みながら生きている。抑え込み続けたらそれが時には爆発して取り返しがつかないことになったり、抑え込んだ感情などを別の何にかの手段で昇華して美しいものに転化させたりもする。多様性が大事だといわれながらも、みんなが理解しやすい範囲なら受け入れるけれど、その範囲から外れたら敵視したり排除するのが人間社会でもある。そんなことをこれでもかこれでもかと書き暴いている感じがする小説だ。朝倉さんは今、圏外で認められて立派に圏内に入ったけど、それからどうする?という、いい加減な感想はさておき、また立派な道産子女性作家が誕生したのは実に嬉しい。
2026年08月01日
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久しぶりに内田樹の研究室を覗いてみた。最近の下記の文章に共感したので、載せておこう。内田氏の書いたものを読むと、私の中のモヤモヤが整理されるような気がする。「戦争を甘く見る空気」2026-07-29 戦史研究家の山崎雅弘さんが『戦争を甘く見る空気 1930年代と似た道を進む現代日本』(朝日新書)という新刊を出した。「戦争を甘く見る空気」というのは現代日本の薄っぺらで、上ずった気分をみごとに言い当てていると思う。 1990年代、戦中派の人たちが鬼籍に入って、戦争の実相を語る人が姿を消すと同時に「歴史修正主義者」たちが登場した。戦争の反省を「自虐史観」と罵り、「あれはアジア解放の戦争だった」とか「南京大虐殺はなかった」とか言い出した。 確かに客観的な歴史的事実を確定することは難しい。だが、「蓋然性の高い学問的推理」と「主観的妄想」の間には天地の差がある。その程度の差を「所詮は程度の差にすぎない」と軽んじるのがポスト歴史修正主義の風儀である。 今回の皇室典範をめぐる国会審議でも、「皇紀2686年」とか「2600年続く皇統」というような「主観的妄想」を平然と口にする国会議員たちがいた。 歴史学が示す学問的推論と自分の選んだ「物語」は彼らにおいては等価なのである。「私は私の物語を信じる。あなたはあなたの物語を信じればいい」というのが彼らの(一見すると)公平な構えである。なんと民主主義的な態度ではないか。後はどちらの物語の信者の数が多いかを競うだけである。信じる人間の頭数の多い物語が「支配的な物語」になる。国民の過半数が喜ぶ物語は「よい物語」である。国民に反省や自己点検を求めるのは「悪い物語」である。この「ファクトを甘く見る態度」が「戦争を甘く見る空気」を醸成している。山崎さんによると「戦争を甘く見る」ことの際立った特徴は「戦闘」と「戦争」の違いを無視することにある。 「戦闘」とは「数人から数百人の兵士や戦闘員が交戦する、短期的かつ局所の戦術的交戦」を意味し、「戦争」は無数の戦闘とそれ以外の要素(国力、経済力、外交関係)によって構成される「戦略的な概念」である。いわば、戦争とは戦闘を俯瞰する視座に立つことである。 今の日本で軍事について語る人のほとんどはミサイルとか潜水艦とかいう兵器の話以上のことを語らない。そういう兵器で「どう戦うか」については語るが「どうやって戦争目的を完遂するのか」については誰も語らない。俯瞰的視野は誰も持っていない。 東京裁判の戦犯たちは25人全員が戦争責任の引き受けを拒んだ。自分は戦争を始める気がなかったと口々に証言したのである。「他に択ぶべき途は開かれていなかった」と平然と主張したことに検察官キーナンは驚愕した。何と大日本帝国戦争指導部は意に反して戦争に追い込まれたのである。だから、戦争目的がなかった。達成すべき理念もヴィジョンもなかった。いかなる条件が整えば戦争を終えるのかも知らなかった。 この点については今日本を「戦争ができる国」にしようとしている人たちも変わらない。「我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応する」という以外の説明を私は聴いたことがない。そうやって戦争を始めた時、敗れたら何が失われ、勝てば何が得られるのか、それについての俯瞰的な見通しを私は一度も聴いたことがない。 今、戦争を甘く見る人たちが戦争を始めようとしている。そのことをもっと恐れるべきだ。「象徴天皇制の思想」2026-07-29 皇室典範の改定を急いだ理由は何かについていろいろな説明をなされている。自民党やその同調者が男系男子に固執するのは男尊女卑のイデオロギーに動機づけられているからだという説明もその通りだと思うけれども、それだけでは足りない。これは象徴天皇制に対する歴然たる挑戦なのだと思う。 天皇は「日本国民統合の象徴」である。だが、「国民の統合」はいかにして果たせるのかについての踏み込んだ解釈を下したのは2016年の上皇陛下の「おことば」が最初だった。 上皇陛下はこの中で「象徴」という言葉を8回使い、「象徴的行為」という、それまで日本の政治語彙に存在しなかった新しい概念を提示された。 天皇は日本国民統合の象徴的行為として「戦没者を慰霊すること」と「被災者に寄り添うこと」の二つの行為を果たさなければならない。さらに、それは死者たちが命を失った現場、被災者たちが悲しみと不安のうちに置かれている現場に足を運んでなされなければならない。二つの条件を上皇陛下は示された。 そのため上皇陛下は在位中に激戦地ペリリューを訪れた時には海上保安庁の巡視船に宿泊するという過酷な旅をされた。さすがに80歳を過ぎた身には無理がある。そういう理路で上皇陛下は生前退位を求められたのである。 ペリリューで陛下は戦闘で命を落とした「すべての人々」を追悼した。もちろん米兵も現地の人も慰霊の対象だった。マニラでの戦闘について言及した時には、陛下は「フィリピン人、米国人、日本人」の順で犠牲者を列挙された。この順序には周到な配慮があったと思う。 つまり、上皇陛下は「天皇が国民統合の象徴であるためには、選択的に『身内』だけを追悼するような狭隘な民族主義を掲げてはならない。『敵』をも霊的に包摂しうる道義的な高さを示すことで初めて天皇は国民統合の象徴たり得る」という全く新しい天皇制解釈を下したのである。 私はこの志の高さを多とするものであるが、皇室典範改定をめざす人たちはこのような「象徴天皇制」思想を決して受け容れないであろう。日本が「敵」を持たない道義性の高い国になってしまったら「もう戦争ができない」からである。どちらも、(なるほど !)である。
2026年07月31日
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熊本地震、被災地に酷暑が追い打ち 8月2日は40度超える可能性7/30(木) 5:307/30(木) 5:30 熊本地震の被災地周辺では、30日以降も厳しい暑さが続く見込みだ。熊本県では今後1週間、平年を上回る気温が続く予報で、8月2日は40度に迫る可能性があるという。気象庁は熱中症を防ぐよう呼びかけている。 同庁によると、29日は最大震度7の地震の震源に近い甲佐町で、36・8度の猛暑日となった。 30日は、震度7を観測した宇城市と氷川町で最高気温が35度に達する見込み。救助活動が続く「イオンモール熊本」のある嘉島町でも、35度の予報となっている。 被災地周辺は高気圧に覆われ、8月2日は熊本市で40度以上の酷暑日となる可能性があるという。熊本県内では夜間も気温が下がりにくく、最低気温が25度以上の熱帯夜が続く見込み。【森田采花】【熊本地震】「初めてこんな現場見た」分かってきた被害状況…12人死亡 6人心肺停止 被災地襲う“危険な暑さ”7月28日に熊本を中心として震度7という大地震が起きた。ニュースで前の熊本大地震が10年前と聞いて、もうそれほど経ったのだなと思うと同時にやっと復興が進んで落ち着いてきただろうこの時期に、またこんな地震になったら、心が折れてしまうのではないかと思っている。今確認したら、10年前は4月だったので、気候的にはさほど厳しくはない時期。それに比べて今回は、酷暑日が続くような暑さが厳しい季節。ただでさえ熱中症に気をつけなくてはならないのに、電気や水が止まってしまったならどうなるのか。以前に東北大震災の時の原発事故が起きた時のように、お年寄りや病気の人達だけでも近隣の県などの安全でエアコンがある場所に、移動するような措置をするべきではないのかと思う。全国からは勿論、看護師や保健師、介護士などの応援の人達を派遣してほしい。とにかく、関連死を増やさない措置対策を緊急に行ってほしいと思っている。それと、今は夏休み期間なので、縁故のある人たちは子ども達を安全な場所に疎開させるのも良いのではないか。あるいは、お母さんと子ども達だけでも、北海道などに一時避難はどうでしょう。地方の町の公営住宅などは、きっとゆとりがある地域もあるのではないだろうか。そんな情報網も構築してほしい。私は、せいぜいこんなことを呟きながら、多少ばかりの支援金くらいしかできませんが、心から皆さんが安全であることを祈っています。令和8年熊本地震 募金・寄付受付先一覧
2026年07月30日
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図書館で椋鳩十の絵本をみつけた。小学生の頃だったと思うが、椋鳩十の何かのお話を読んで、突然内部が突き動かされたように涙が溢れた。今、何のお話だっただろうかと思い出そうとするのだが、思い出せない。動物の話だったような気がするけれど。その後、何か読んだのかもしれないが、どういうわけか浮かんでこない。この絵本コーナーで椋鳩十の文字を見た時に、懐かしくなって借りてきた。蛇に卵を盗られたり巣を焼かれたり……。何度もかなしみがおとずれようと、絶望せずにすずめは前をむいて、ただ見まもるしかないわたしをおどろかせる。ひなを必死にまもる、母親のすずめの、強くやさしいすがたをえがいた話。編集者コメント蛇に卵を盗られようと巣が煙にまかれようと、決して絶望せずに前をむく母親雀の姿。昭和16年に書かれたこの作品は、戦争という死を賛美さえする世にあっても動物に託すことで屈っさずに、椋鳩十が「命の重み」をこどもたちに伝えたくて書いた作品です。そのため「生きること」への切実な想いがどこにもにじんでいます。本質を描いた椋作品を低学年からも味わってほしいと、気鋭の画家が全力で絵を描き絵本化したシリーズの第3弾。そうか、そんな思いでこのお話を書いたのか。もう少し彼の作品を見たいと思う。私が読んだのは絵本ではなかったような気がするが、絵本になったら子どもと一緒に味わえるからいいね。
2026年07月29日
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この日は涼しかったので、前日に親戚の農家で買ったトウモロコシを届けがてら、次男の畑の手伝いを半日だけしてきた。夫が運転を控えるようになったのと、暑い日には行きたくないので、本当に久しぶり。しばらく蒸し暑い日が続いていたので、病気や虫の対策に頭を悩ましていた。(できるだけ農薬は使いたくないけれど、手遅れになったら被害甚大になるから)前日は30℃を超えていたのに、この日は20℃を切るような気温。この落差にはビックリだ。しかし、本州の方は真夏日・猛暑日・酷暑日なんて場所も。みんな北海道に避暑に来て下さいな。作業は、言わずと知れた「除草作業」。特にこの日は、場所によって「葛畑」みたいな感じで、葡萄に葛の蔓がからまって大変なことになっている。蔓に絡まれた葡萄を助けるのがこの日のミッション。その場所は、畑にする以前から葛が密生していて、耕す時も本当に大変だった場所。あの時はまだ若かったし好奇心もあったので、「これが葛か! 葛粉を作ってみよう」なんて、掘り出した葛の根を切り刻んで水にさらし、葛粉にすることを試みたが、「労多くして功少なし」という感じで、本葛が高価なことがよくわかった。そんなことを思い出しながら、涼しい風が吹く中を作業したのだが、やはり作業しているとだんだん暑くなり、汗も噴き出てくる。それでも、久しぶりの労働に充実感を覚えた。葡萄の方は、場所や品種によって違いはあるが、結構元気に実をつけている場所もあり、これが収穫まで元気でいてほしいと願った。
2026年07月25日
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ヤマザキマリさんの本二冊。彼女、本当にたくさん本を書いている。本当にエネルギッシュな人だ。「扉の向う側」自分に見えてる世界なんてほんのちっぽけ地球の片隅で凛と生きる人たちーー「ku:nel」人気連載エッセイ、オールカラー画で待望の書籍化。時に歓喜し時に悲しみ時に途方に暮れて。生きることを諦めない。完全な偶然の中で知り合う他人というのもまた、見知らぬ土地への旅と同じく、自分の人生観や生き方を変えるかもしれない要素を持った、未知の壮大な世界そのものなのだということを、自分の人生を振り返ると痛感させられるのである。(本文より)『扉の向う側』著者、ヤマザキマリさんインタビュー。「愛すべき側面を持つ人の姿は絵になります」CARPE DIEM 今この瞬間を生きて【内容・概要】ヴィオラ母さん、猫、昆虫、そして老いの先人たち……私の生き方の原点がここにあった――コロナ禍、母の死を経て見えてきたヤマザキマリ流、老いと死との向き合い方。●寿命が何歳であろうと、その時までを思い切り生きていけばいい・なぜ人は、老いや死に対して大きな拒絶感を抱くのか?・なぜ人は、若さにばかり価値を置きたがるのか?・なぜイタリア人は、新車より中古車を好むのか?・なぜ、「何者か」にならないといけないのか?・なぜ、イタリアは老人を敬い、日本は老害扱いするのか?・なぜ、夕焼けは雲があるほど美しいのだろう?・人に備わる知性、感性、命の機能を十分に使いこなすには?幼少期から老人と触れ合い、親の介護、そして死を経験し、多種多様な「老いと死」に触れてきた真の国際人・ヤマザキマリが豊かな知見と考察をもとに語った、明るくて楽しい、前向きな人として生き方。若い頃からエネルギッシュに人の何倍も生きてきたような人だからなのか、私より若いのだけど同世代に感じてしまう。ますますヤマザキマリという人のファンなってしまうけれど、これで少しマリさんの本はお休みしようかな。
2026年07月21日
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先日手にした川端誠さんの絵本が面白かったので、また借りてきた。「お化けのおもてなし」【この絵本の内容紹介】お化け屋敷へ、座敷わらしと袖ひき小僧が遊びにくることになりました。みんなは大喜び。さっそく、日本各地のお化けたちが食材を送ってくれ、ごちそうの準備がはじまりました。ふたりは喜んでくれるでしょうか。おもてなしの気持ちが伝わってくる作品です。【みどころ】『じゅげむ』など落語絵本で人気の川端誠さん。川端誠さんの絵本で同じく人気なのがこちら、「お化けシリーズ」。お化け屋敷で、たくさんのお化けたちが一緒に暮らしているようすがおもしろいシリーズです。久しぶりに、お化け屋敷に、座敷わらしと袖ひき小僧が、はるばる遊びにくることになりました。はりきるお化けたち、おもてなしの準備で大忙し。日本全国、各地のお化けたちが食材を送ってくれて、ごちそう作りがはじまります。作るのはごちそうだけではなくて、竹を割ってつなげて、あの長ーい装置も……。夏のおもてなし、竹を割った長いもの、と言えばピンとくるでしょうか?流しそうめん!と言いたくなるかもしれませんが、本を読んでのお楽しみ。小麦粉をこねて、足で踏んで…。やっぱりそうめん? いやいや、ちょっとちがうんです。それにしても、朝から粉をこねて、鰹節を削って、ゆうべから水につけておいた煮干しのなべでだしをとって……。薬味はしょうがにみょうが、すだち、大根おろし、とろろ、青ねぎ。みんなお化け屋敷の畑でとれたもの。おいしくないわけがありません。三つ目の大入道に、ひょろけに、一つ目小僧。ろくろっ首に、小豆とぎに、小豆あらい。みんな働き者!働き者でないのはのっぺら坊だけ…? 用事もないのになぜちょこちょこ顔をだしているのか、最後のオチをお楽しみに。日本のお化けによる、日本の風土が伝わってくるおもてなし。楽しそうなお化けたちの一日に、じんわり、懐かしさとあたたかさを感じる絵本です。(大和田佳世 絵本ナビライター)「お化けシリーズ」があるのですね。子ども達は怖がりのくせにお化けが大好き。日本には大勢のお化けたちがいたんだなあと改めて思います。電灯のない昔は、子ども達に色々なお話をしながら、生活や生きてゆくための大切な知恵を一緒に伝えていたのでしょうね。下手な説教よりは、このような形の方が子どもの心に深く残るだろうななんて、あまり昔話を聞いた経験のない子ども時代を過ごした私は思ったものでした。子ども達が幼い頃には、寝る前に絵本を読んだりお話をしたりしましたが、あの頃こんな絵本があったら、子ども達は喜んだだろうな。「クマと少年」あべ 弘士【内容紹介】かあさんのおっぱいをいっしょに飲んで、本当の兄弟のように育てられた少年とクマのキムルン。いっしょに野の花で遊び、虫や魚をおいかけた。キムルンが大きくなった頃、アイヌの人々にとっての最高神であるクマを天に帰す儀式、イオマンテがやってきて……。山の神クマとアイヌの少年をめぐる壮大ないのちの物語。北海道に生まれ、長年旭山動物園の飼育係をしていたあべさんの絵本は、動物への愛情や生態を熟知して描いているので信頼できます。それに何よりも、北海道の自然やそこに生きている動物たちへの愛情に満ちているので大好きな作家さんです。あとがきに、飼育員として子熊を育てた体験や、アイヌのおばあさんに聞いたイオマンテの話などのエピソードが書かれています。アイヌの人たちの世界観や哲学を、一緒に味わってほしい絵本です。
2026年07月20日
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皇室典範改正の論議が続いている中、下記の本を読んだ。出版社内容情報血と家と藝が密接にむすびついている歌舞伎の世界。明治以後、現在にいたるまでの複雑怪奇な「巨大ファミリー」を読み解く。当代の役者はいかなる歴史を背負っているのか?明治から現在まで、歌舞伎の世界には、世襲と門閥が織りなす波瀾万丈のドラマがあった――。歌舞伎を観るのがもっと楽しくなる本。○市川團十郎家はなぜ特別なのか?○松本幸四郎家は劇界の毛利三兄弟?○中村勘三郎の死は何を意味するか?○偶数系片岡仁左衛門の悲劇とは?○栄華を極めた二人の中村歌右衛門の戦略とは?○尾上菊五郎家の歴史は繰り返す?○新しい歌舞伎座を担うのは誰か?「二〇一三年四月二日、歌舞伎座新開場柿葺落の初日に出かけた。この日、いちばん盛り上がったのは、人間国宝や藝術院会員たちの重厚な演技ではなく、中村勘九郎の息子・七緒八が花道を歩いて出てきた時だった。セリフを言うわけでもなければ見得を切るわけでもない。ただ歩いて出てきただけだ。……それなのに、「中村屋」との掛け声と万雷の拍手――こういう光景は歌舞伎ならではのものだろう。こういう世界は、たしかに入りにくい。だが、入ってしまえば、ひとりの幼児の背後にいる何世代にもわたる歴史が見えて、それだけで面白い。」(あとがきより)第一部 劇聖とその後継者たち 明治から大正 第一話 歌舞伎史との並走――市川團十郎家その一 第二話 養子と実子――尾上菊五郎家その一 第三話 東西分裂と襲名争い――中村歌右衛門家その一 第四話 兄弟の明暗――片岡仁左衛門家その一 第五話 フランス系アメリカ人の子――市村羽左衛門家第二部 新興と凋落 大正から昭和戦前 第六話 血統のない家――中村歌右衛門家その二 第七話 歴史は繰り返す――尾上菊五郎家その二 第八話 周縁からの出発――中村吉右衛門家その一 第九話 劇界の毛利三兄弟――松本幸四郎家その一 第十話 孤児たちの苦難――守田勘彌・坂東三津五郎家その一 第十一話 大空位時代――市川團十郎家その二第三部 神なき時代 昭和戦後から平成 第十二話 二度殺された役者―片岡仁左衛門家その二 第十三話 早過ぎる死――市川團十郎家その三 第十四話 第二の帝政――中村歌右衛門家その三 第十五話 王朝交代――尾上菊五郎家その三 第十六話 再び、帝劇へ――松本幸四郎家その二 第十七話 分裂した一族――中村吉右衛門家その二 第十八話 二組の三兄弟――片岡仁左衛門家その三 第十九話 復権――守田勘彌・坂東三津五郎家その二 第二十話 中村勘三郎の死第四部 新たなる希望歌舞伎役者の家系はゴチャゴチャで何が何だかという感じがするし、芝居さながらの刃傷事件やそれにまつわるドロドロの歴史もあるとは何となく知っていた。それに対しての興味もあってこの本を借りたのだが、読めば読むほど頭の中が混乱。こんな重い歴史を背負いながら芸を磨き続けているのかと思うと、伝統をつなぐべくその家に生まれた人たちの葛藤や責任の重さを想像してしまう。北海道に生まれ育った道産子の私が「縁やしがらみが鬱陶しい」と思ったところでたかが知れている。そんなことと現在の皇室典範改正問題でうんざりしているせいか、なんと今朝は愛子さまと会話している夢を見てしまった!目が覚めてあまりにもビックリしてしまっていたので、その前の夢がはっきりしないのだが、間違いなく私に何かの質問に答えるように、穏やかに微笑みながらこうおっしゃったのだ。「この家に生まれましたから…」ご自分の人生や夢への選択の余地のないような状況を気にもせず、この家に生まれた私はこの中で自分らしく生きるのだとおっしゃっているように感じた私は、ただただ感動して言葉もなかったようだ。愛子さまのほほえみは、いつも無理を感じさせない。かつての雅子さまは無理に無理を重ねている印象だったけれど、現在の天皇ご夫妻と愛子さまはいつも穏やかな笑顔を私達に見せてくださる。運命をしっかりと受け止めて、その中で自分の人生を豊かに愛情深く生きる。今後、象徴天皇制がどうなっていくのか、どのように天皇家が続いていくのかわからないが、天皇ご一家が今のような穏やかな姿を見せてくださる時代に生きていることをありがたいと思う。同時に、歌舞伎という面白い芸能世界を、劇場だけではなくテレビや映画でも触れることができることを感謝するばかりだ。
2026年07月19日
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昨年春に倒れて、意識がほとんどないままに入院していた中学時代の同期のF君が亡くなったという知らせが共通の友人から届いた。随分若い頃から手術や入退院を続けていたと聞いていたので、昨年の春に「倒れて意識不明が続いている」と聞いた時には、そうか…と重いものが心をよぎった。それから一年四か月、本人はもとよりご家族も苦しい日々だっただろうと思う。彼は、私と同じように中学時代のクラス会の万年幹事だった、同じクラスではなかったので接点はあまり多くはなかったが、小・中・高と同じ学校に通っていたので、病気のたびに心配はしていた。私は葬儀には参加しなかったのだが、きっと同級生たちが集まって見送ったことだろう。私は今のところ元気なので、もう少し幹事役を担えるだろう。私のクラスも、ずいぶんあちらの世界に旅立った人がいる。彼のクラスも同様だろう。きっとこれからは、あちらの世界のクラス会の幹事をするんだろうな。できれば、あちらの世界の同期会を開いて、そのうちに仲間入りする私達を待っていてね。ともあれ、こちらの世界でのお役目、本当にお疲れさまでした。もう、痛くも苦しくもないね。ご冥福をお祈りします。
2026年07月18日
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「思わず涙する感動秘話」というFacebookで見つけました。【永久保存版】 人生の大切な教え ①空っぽのバケツほど蹴るとうるさい② 置かれた場所で咲けない時は 環境を変えなさい。根っこが腐る前に ③道に迷う者が、 一番道を覚える ④難が無ければ無な人生。 難が有れば苦 難の人生 。難有ればこそ有り難し⑤楽しい時ほど短所を見直せ、 辛い時ほど長所を活かせ⑥ 出来ることからやる人が 出来ないことをやれる人 ⑦毎日の小さな努力のつみ重ねが歴史を作る思わず笑っちゃいますが、至言だと思います。
2026年07月16日
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7月12日は、友人のEさんに誘われてウォン ウィンツァンさんのピアノコンサートに行ってきた。会場は札幌の中島公園内にある豊平館。誘ってくれたEさんは先天性の障碍があるのだが、努力してピアノ教師をしていた音楽家なので、三十年も前からウォンさんのことは知っていてファンでもあるようなのだが、私は今回誘われて初めて彼を知った。だから、YouTubeなどで彼の演奏を聴いたりして予習(?)したのだが、NHKのいくつかの番組のテーマ曲や挿入曲などを作曲しているということで、何曲かは耳にしていた曲があった。とても優しい心に染み入るような曲なので、ひょっとすると会場で眠くなるかもとちょっと不安になっていた。演奏会の前に、キタラのレストランで彼女のお友達など私を含めて6人で、顔合わせを兼ねて早めのディナー。私が以前から知っている人は彼女を含めて二人だけだった。この会場でのコンサートは、友人のクラシックギターのコンサート以来で、もう30年も前のこと。なんだか懐かしい気がしたのは、私が年を取ったからだろう。さて、コンサートである。画像を回転させられない😢どれもとても優しい曲なのだが、やはり本物の音色はYouTubeで聞いたのとは全く違う。これはどんなコンサートでも感じることなのだが、会場に響く波動が直接体に伝わって、体と心に直接届くのだろうと思う。ウォンさんは、おしゃべりではないけれど口調は穏やかでウィットがあり、笑顔も優しい。演奏する曲の説明をしてくれると、音楽とイメージが重なるので、私にはとてもありがたい。Eさんは彼のピアノを聞くと指先が温かくなってくると言っていたが、私にはそんな変化はなかった。でも、途中からとても体が熱くなってきて汗が出てきてプログラムで扇いでいたら、隣の人に「暑いのですか」と聞かれて、その人は暑くないのだなと思い「自律神経が乱れたのかも」と言ったのだが、ひょっとするとあれは彼の演奏のせいか?ともあれ、とても良い時間を過ごすことができた。Eさんとお仲間たちの話では、ちょっとビックリするような話を聞いたのだが、それはそのうちに…。
2026年07月14日
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「国境のない生き方 -私をつくった本と旅-」ヤマザキマリ著〈 書籍の内容 〉ヤマザキマリの名言満載、体験的人生論!14歳で1か月間、欧州を一人旅。17歳でイタリアに留学し、どん底のビンボー生活も経験。様々な艱難辛苦を経験しながらも、明るく強く生きてこられたのは、本と旅、人との出会いのおかげでした!この新書に登場する本は、三島由紀夫に安部公房、『百年の孤独』のマルケスに、『蜘蛛女のキス』のブイグ、漫画界からは手塚治虫に藤子・F・不二雄、つげ義春に高野文子など。旅は、欧州一人旅に始まって、キューバ、ブラジル、ヴェトナム、沖縄、地獄谷のサルの温泉などが登場。膨大な読書経験と、旅の記憶、強烈な半生に支えられたヤマザキマリの人生論は強くて熱い! 本書に登場する、ヤマザキマリの名言をさわりだけ紹介します(一部、要約しています)。「ガンガン傷ついて、落ち込んで、転んでは立ち上がっていると、かさぶたは厚くなる。その分、たくましくなる」「他人の目に映る自分は、自分ではない」面白くて、勇気が湧き出る体験的人生論です!〈 編集者からのおすすめ情報 〉発売前の本書の原稿を読んだ人から、すごい反響が寄せられています。曰く、「『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさんって、こんなに教養人だったの?」「ヤマザキマリさんの半生自体が、漫画みたい!」などなど。「漫画になりそうな劇的な半生」と、「驚くほどの教養人」「心を揺さぶるような言葉の持ち主」といったイメージは、どれも私の想像をはるかに超えていました。ぜひ、本書でご確認ください。ヤマザキマリさんの「ヴィオラ母さん」を読んで、もう少し彼女の本を読んでみようと図書館にあった本を借りた。いや、ヤマザキさんは凄い人だなと思ってはいたけれど、私の想像以上の読書家で、それも私のように「ああ面白かった」などの軽い読み方をする人ではないことを再認識。つまり、読書の幅広さと深さが半端ではない。このような読書ができていれば、私ももう少しひとかどの人間になっていたかも。いやいや、私と彼女の共通点は読書が好きなことくらいなのだから、そんな夢想はバカげている。内容のことは脇に置いておいて、この本を読んでみたいと思ったのは「国境のない生き方」という書名に惹かれたから。現実世界は国境のある世界であることによる争いや駆け引き、トップの人格によってその国の人々が被る様々な困難などなど、うんざりすることばかり。しかし、一人の個人の生き方は、そんなことにできるだけ振り回されたくない。せめて、精神だけは国境を取り払って、フラットに人や物事を見る目を持ちたいと思う。それを自分の生き方にすることは私には難しいかもしれないけれど、せめて方向だけは心の中心においておこう。彼女はずいぶんたくさん著書があるんだなとあらためて感心する。できるだけ最近の本を読んでみようと思う。
2026年07月09日
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7月6日は午後からの文化講座だったので、午前中は久しぶりに映画でも観ようと思い、シアターキノに行った。事前に、ちょうど良い時間に見ることのできる映画を探して、この映画を観ることにした。「ザ・コラール…希望を紡ぐ歌」【STORY】第一次世界大戦下のイギリス北部ヨークシャー。徴兵で多くの団員を失った合唱団は、存続の危機に瀕していた。若者や町の人々を迎え入れ、“歌うこと”を通して再び心を結び直そうとする。新たな指揮者に選ばれたのは、敵国ドイツで活動していたヘンリー・ガスリー。偏見と不信を背負いながら、彼は退役軍人、売春婦、敬虔なボランティア、徴兵を控えた少年たちなどの寄せ集めの団員たちと向き合い、熱心な指導のもとで、失われたつながりと希望を取り戻していく。やがて彼らは、前代未聞の“ある挑戦”へと踏み出す。しかし、再び徴兵通知が届き始め、ようやく芽生えた平穏は、戦争の影に呑み込まれていく。予備知識のないままに見たのだが、とても良かった。第一次世界大戦下のイギリス北部の町で、団員が次々と徴兵され、新たな指揮者となったドイツで活動していたガスリー。ただ、敵国で仕事をしていただけで冷たい視線やあらぬ噂にさらされる。これはどこの国でもあることなのだろうが、敵国のものではない合唱曲を探したら、みんなドイツの作曲家のものだったというのには少し笑ってしまった。音楽には国境はないと言われるが、戦時下になると音楽にも国境線が引かれるのか。ということで、彼らが選んだ曲はイギリスの作曲家エルガーの、「ゲロンティアスの夢」。団員は少なく寄せ集めだし、オーケストラなんてものは望めず数人の室内合奏。それで可能な合唱曲にするための演出や編曲に取り組み、やっと発表の日を迎えたその日、何と作曲家のエルガーが現れてその編成や編曲に怒り心頭。しかし、それがために団員の心は一つにまとまり、素晴らしいコラールとなる。団員はもとより家族も恋人も戦争に行き、あるものは命を失い、あるものは心身が傷つき、あるものは自分の限られた今の時間を意識する。やんちゃな若者たちの真実の一面が、何だか人間臭くて切なかったし、これが人間なのだろうと思った。その中で、共に歌い音楽に心を合わせる時、希望が生まれ未来を信じようとする。いつまでたっても戦争が途切れないことでも証明されるように、人間ってものはいつまでたっても愚かで悲しいけれど、何とか希望を見つけて生きようとするときに、人の美しい側面も現れてくる。そんなことを感じながらの心を一つにした合唱を聞くと、鳥肌が立つような気がした。
2026年07月08日
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昨日は、北海道文化塾で千住真理子さんのお話を聞いてきた。演題は「挫折がエネルギーにかわるとき」。ひょっとすると、講演だけではなくて演奏も聴けるかも…と、多くの人は期待していたと思う。その期待に応えるように、登壇してすぐにごあいさつ代わりにと、「タイスの瞑想曲」が演奏された。何とも透き通った柔らかな調べで、これを聴けただけでも来て良かったと思うくらい。そして講演が始まったのだが、彼女はお話もとても上手で、奏でる音楽のように心にスーッと入ってくるような気がする。やはり、一流の本物の人は違うな…、それが全体的な印象だった。さて、彼女は言わずと知れた「千住三兄弟(いや、三兄妹)」の末っ子。ご両親は芸術家でも音楽家でもなく、お父様は数学者、お母さまは結婚前は薬の研究者だったとか。以前、このお母様の子育てがこの三人を育てたというような話を聞いたことがあるが、今回のお話でさもありなんとも思った。千住真理子さんはお兄さんたちがバイオリンを習っていたので、ついていって「私もやりたい」と二歳三か月でバイオリンを始めたとか。なぜバイオリンかと言えば、当時テレビで流れていた「バイオリンのおけいこ」の講師が素晴らしいと思い、このような人に習わせたいと思われたとか。バイオリンではなく、その講師の人格に惹かれたということで、何を習うかではなかったらしい。その後の様々なエピソードでも、このご両親あっての兄妹なのだろうと感じた。詳しいことははしょるが、どのような人にも挫折はあり、深く傷つくことがある。あまりに深く傷ついた時には、立ち直るにも大変な時間がかかるものだと思うが、傷が少しずつ癒えてきたときには、本来の自分が持っていた力が沸き上がり、本当に自分がやりたいことや目指す方向も見えてくる。その時に、それまでの雌伏の時間でため込んだエネルギーが爆発するのかもしれない。何よりも、それから辛いことがあっても、「あの苦しい時間を乗り越えた」という思いが、きっと背中を押してくれるのだと思う。最後に弾いてくださったのは、アメイジング・グレイス。色々なお話を聞いた後だからだろうか、彼女の奏でる音楽は間違いなく辛い思いをしている人に寄り添えるものだと感じた。(千住さんが深く傷つき音楽から離れた数年後、再度バイオリンを手にしたのは、余命わずかの人の願いにこたえた時だったという)心と体に沁みこんでくるような音色だった。
2026年07月07日
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記録として残しておこう。日ハム2軍本拠地、恵庭市に移転決定 30年か31年開業 商業施設や住宅も2026年7月2日 北海道新聞 プロ野球北海道日本ハムと関連会社のファイターズスポーツ&エンターテイメント(FSE)は2日、千葉県鎌ケ谷市の2軍本拠地を恵庭市に移転すると発表した。40ヘクタール以上の土地を一体開発できる利点などを高く評価した。 建設予定地は西島松地区の46ヘクタール。JR千歳線沿いで、1軍本拠地のエスコンフィールド北海道(北広島)と約10キロの距離にある。現状では農地のため、市街化区域に編入した上で、2028年にも着工し、30年か31年の開業を目指す。 FSEの小林兼(とも)・執行役員コーポレート本部副本部長は同日にエスコンフィールド北海道で開いた記者会見で「用地に十分な広さがあり、ファーム施設の周辺に商業施設や住居などを段階的に整備できる大きなポテンシャルがある」と恵庭市を選んだ理由を説明。「子供やシニアが日常的に集う場所、地域資源とスポーツが結びついた魅力的なエリアを形成していきたい」と語った。恵庭市が日本ハム2軍の移転候補地としている西島松地区
2026年07月03日
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「風来坊の子守歌」 川端 誠 作【出版社からの内容紹介】戦火の中、 両親とはぐれた赤ん坊をたすけだした風来坊。その子を「風(ふう)」と名付け、親さがしの旅をつづける。ふたりはまるで親子のように心をかよわせるが、突然別れがやってきた…。1991年に 『風来坊の子守唄がきこえる』(教育画劇)として出版された作品。今回、 絵をすべてあらたに描き、テキストも加筆修正しました。人情厚い風来坊の物語。川端誠、渾身の感動作です。図書館の絵本コーナーに、落語絵本というのがあったのでそれを二冊ほど読んで、絵本から落語入門もいいなあと思いつつ、同じ作者のこの絵本を手に取った。時々であるが、不意打ちのように絵本で心が揺さぶられ、胸に熱いものがこみ上げてくることがある。久しぶりのグッとくる絵本だった。もう少し川端誠さんの絵本を読んでみたいと思った。風来坊シリーズもあるようです。
2026年06月29日
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私は現在の天皇ご一家がご健在である限り、天皇制はそのままで良いと思っている。しかし、この制度はあきらかに当事者無視であるし、もっと言えば人権無視で男尊女卑の面があるので、状況が変わったら皇族は残してもいいけれど、象徴天皇制はいかがなものかと思う。現在の皇室典範改正の論議には、正直なところうんざりしている。せめて、当事者である皇族たちの意見を少しは聞いたらどうかと思うのだが、それすらもしないらしい。憲法には、「第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とあるのに、現状では多くの日本国民の総意になるとは思えない。そんな状態で、こんな人権無視、男尊女卑、国民無視の天皇制が続いたとすると、それが日本の象徴なんて絶対に嫌だ。皇室典範、実質改正は初めて 皇族確保へ制度変容6/28(日) 時事通信 政府は皇族数の確保に向けた皇室典範改正案を30日にも閣議決定し、国会に提出する。婚姻後の女性皇族の身分保持や、旧宮家の男系男子を養子に迎え入れることを可能にする内容で、実質的な改正は初めて。皇室制度は大きく変容することになる。―皇室典範とは何か。 日本の皇室制度に関する基本法だ。1889(明治22)年制定の旧皇室典範に代わり、連合国軍総司令部(GHQ)の影響下でつくられ、1947年5月3日に現行憲法と同時に施行された。憲法第2条は「皇位は世襲のもので、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」と定めている。 旧典範は大日本帝国憲法と並ぶ最高法規として扱われたが、現在の典範は他の法律と同様に国会の議決で改正できる。 ―何が書かれているのか。 全5章37条と付則で構成される。第1条は皇位継承資格を「皇統に属する男系男子が継承する」と定め、2条は継承順位、5条は皇族の範囲を規定している。このほか、継承順位の変更、摂政の設置、重要事項を協議する「皇室会議」の在り方などが記されている。 ―どうして改正するのか。 皇族数の減少に歯止めをかけるためだ。47年10月に旧11宮家の51人が離脱して以降、94年の26人をピークに減り続けている。現在は天皇、皇后両陛下を含めて16人(男性5人、女性11人)で高齢化も進む。皇族数確保は「喫緊の課題」との危機感が与野党に高まっていた。 ―議論の経緯は。 2005年に小泉純一郎首相(当時)の私的諮問機関が「女性・女系天皇」を容認する報告書を提出した。しかし、06年に秋篠宮妃紀子さまのご懐妊が判明し、改正案提出は見送られた。 その後も「男系で血筋をつないできた」ことを重視する保守派と、女性・女系天皇の容認派との溝は埋まらず議論は足踏みしていた。今月、「立法府の総意」がまとまり、政府が典範改正要綱を作成した。 ただ、女性皇族の夫や子が皇族の身分を持つかどうかなど与野党の対立点は先送りした。木原稔官房長官は26日、養子として皇室に入った男系男子に男の子が生まれた場合、皇位継承権を持つとの見解を表明した。
2026年06月28日
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今週は、必要があってパソコンメンテナンスで二日にわたって隣町のJさんに来てもらった。夫は随分前からN証券で多少の株の売買や投資をしていたのだが、新たにパスキー設定の必要があるということで、パソコンが苦手な私達ではどうも心配だったのだ。(変なところを触って変なことになるのが怖い)そのほかにも、色々と聞きたいこともあったので、数年ぶりにお願いをした。Jさんは個人でパソコンのメンテナンスなどの仕事をしているのだが、彼から現在使っているパソコンやノートパソコンを買って、設定その他もしていただいた。あれから何年も経っていたので、色々と更新しなくてはならないこともあったようで、私達が気になっていたことは全部解決することができた。最近うるさくて嫌になっていた広告や、詐欺誘導型広告も出なくなって、これが私には一番うれしいことだった。ついでで申し訳なかったのだが、スマホの使い方もあれこれ教えてもらい、その中でAIについても色々と話した。私は、なんでもAIに依存するようになっていることに抵抗感を抱いていたのだが、先日のテレビで高齢者がAIになんでも相談したり、話し相手にしている様子を見て、少しばかり考えが変化してきた。私だってスマホもパソコンも、今では手放せなくなっているのが現実だ。Jさんは、「AIは日々進化していますよ。最初の頃は話し方も違和感があったけれど、今では本当に自然な話し方になっています。さらに、以前聞いたこともちゃんと記憶していて対応するので、本当に便利です」という。確かに、パソコンプロでもよくわからないことがあるようで、スマホで聞いて「あー、なるほど」なんて言っている。そうか、これはこれから使わない手はないなと思った。私達はどんどん高齢化するので、できないことも増えていく。一人暮らしになって外にも出られず寂しくなった時は、AIに話し相手になってもらうのも悪くない。少し前に、AIが恋人になっている若者(?)の話を聞き、頭を抱えた。やっぱり恋人は人間だろうと思ったし、人間同士での様々なやりとりや葛藤や悩みを体験しなくては、考える力も試行錯誤の力も衰え、思い通りにならないとすぐパニックになったり昨今の事件のようにとんでもない暴力的なことが起きそうで、これからの人間社会は恐ろしいと思った。今でも基本的にはそう考えているのだが、私達のような高齢者や、様々な障碍で不自由さを抱えて生きる人たちには、とても良いツールになるのは確かだ。ということで、私もAIへの抵抗をやめて、もっと仲良くすることにしようかと考えている。
2026年06月26日
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図書館の分館の絵本コーナーで、久しぶりに何冊かの絵本を借りてきたのだが、これもその一冊。いもとようこさんの絵本が何冊か目についたので、借りてきた。彼女のことについてはあまりよく知らないままだったが、息子の子育て時代も孫の子守をしている頃も、いもとさんの温かく可愛い絵にひかれてよく手に取ったような気がする。さてこの絵本は…「かぜのでんわ」いもとようこ 作絵つたえて、あのひとに・・・・・・岩手県大槌町にある「風の電話」。線はつながっていない・・・・・・。電話にこめられた「想い」を絵本に。山の上に置かれた電話。だれもが自由に使えて、今はそばにいない人と話すことができます。でも実はそれは電話線のつながっていない電話でした。岩手県大槌町に東日本大震災のあと設置された風の電話ボックスをモデルにした絵本。昨日紹介した絵本は御巣鷹山の航空機事故でお子さんを亡くした母親の思いを絵本にしたもの。「かぜのでんわ」は、東日本大震災後に大槌町に設置された風の電話を絵本にしたものだそうだ。この電話ボックスについては、以前にテレビ番組で紹介されていた。突然のように大切な人を失った気持ちは、どれほどの悲しみや喪失感、あるいは後悔を伴うものなのか私には想像することしかできない。この世界からいなくなっても愛する人は心から消えるはずもないし、ひょっとすると失って初めて自分の思いに気付くこともあるだろう。それを電話を通して語りかけることで、お互いの思いは通じ合う。いもとさんの優しく暖かいイラストは、人の心が通じ合うことの大切さと、それが生きる力にもなることを伝えてくれる。ふと、あちらの世界に先に旅立った人たちのことを思い浮かべた。私が本ばかり読んでいることを肯定して、私が好きそうな本を示してくれたN先生。若くして旅立って、夢の中でニコニコと赤ちゃんになっていったMさん。いつも私の応援団になってくれて、なんでも協力してくれたTさん。私が生まれたことをとても喜んでくれたというおじいちゃん。書いていくときりがないほどたくさんの人たちがあちらの世界に行っているが、私はその人たちを時々ふっと思い出し、その瞬間に私を見守ってくれていることを感じる。そう、私は数えきれないほどの星々になった人たちに見守られて今を生きている。いつか私も、そんな星の一つの仲間入りをするのだろうが、まだもう少しは、この世界で出来るだけたくさんの人を応援したいと思っている。いもとさんの絵本、もう少し借りてこようかな。
2026年06月23日
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「けんちゃんのもみの木」作: 美谷島 邦子/絵: いせひでこ【出版社からの内容紹介】あの日 たくさんの星が山に降った。1985年8月12日、群馬県御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落、520人が亡くなる史上最大の航空機事故となった。事故で9歳の息子を亡くし、心が迷子になってしまったお母さんは、焼けただれた山の斜面にもみの木を植え、くる年もくる年も、息子に会いに山に登り続けた。もみの木は、悲しみを聞き、悲しみに寄りそい、35年で空にとどくような高さになった…。空の安全を願い、ひたむきにいのちと向き合いつづけた母の軌跡を、いせひでこが精魂込めて描く。【みどころ】「きみはどこにいるの? どこにきえたの?どの星なの? みつけたい さがしたいきみのところに いきたい」大切な人が目の前から突然いなくなって、その人を探し求めてやまない心を、もみの木の姿に託して描いた切なくも美しい絵本です。ひまわりを育てていた9歳の男の子は、花が咲いた一週間ののち、飛行機事故でこの世を去ります。「お母さんがやいたマドレーヌ、だいすき」「お母さんのにおい、だいすき」そう言って両手を広げて飛んできた男の子。名前はけんちゃん。同級生のみきちゃんも、けんちゃんのけしゴムをたいせつに持っていてくれている。けんちゃんが過ごした、消えない日々。けれども突然の事故でいなくなったけんちゃんを探して……お母さんとお父さんは山に登ります。その山の名は、御巣鷹山。そう、1985年8月12日の日航ジャンボ墜落事故で山に消えた520のいのちのひとつだったのです。焼けただれた山に、けんちゃんのお父さんが植えた小さなもみの木は、長い年月で空にとどくような高さになっていきます。涙を受け止め、枝をゆらす大きな木に……。いせひでこさんのすばらしい水彩画は、儚くも美しいこの世の色を描き尽くすかのよう。美谷島邦子さんがせつせつと綴る言葉は、悲しみをたたえつつも、いせさんの絵に寄りそわれ、いのちを受け止める真摯なまなざしに満ちています。けんちゃんに会いに、もみの木に会いに、御巣鷹山に登り続ける美谷島さん。美谷島さんはけんちゃんのお母さんです。そして美谷島さんと親交が深く、自らも御巣鷹山慰霊登山を続けてきたいせひでこさん。おふたりだからこそ作ることができた、大切ないのちの灯りへ、祈りをこめた絵本です。久しぶりに図書館で絵本を手に取った。いせひでこさんの絵の絵本は、つい手に取ってしまう。親交の深いお二人が祈りをこめて出来上がった絵本は、見ているだけで心を打つ。年を重ねるにつれ、この世に生まれたことはそれだけで奇跡だと思うようになったが、その命はとてもはかないものだとも思う。しかし人間は、その命をいつまでも愛おしむこともできる。いつまでも輝かせることもできる。きっと、どこの図書館にもあると思うので、ぜひ多くの人に手に取ってほしいと思う。
2026年06月22日
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昨日の北海道文化塾の三回目は、谷口真由美さんだった。彼女はニュースワイドショーなどでのコメンテーターとして顔をみているし、法学者というので少し期待して行った。演題は「おばちゃん目線で見る社会の問題」たしかに、大阪のおばちゃんであることと、北海道との縁などを前面に出したおばちゃんの話だった。つまり、法学者でありジェンダー問題や現在の憲法改正問題、人権問題について、もっと深い話を期待していた私にはちょっと物足りなかった。まあそれでも、話としては面白いのだろう。だけど、聴きに行った多くの人達は、面白い話ばかりを期待していたのではないと思う。そうなってしまったのは多分、主催者が説明した聴講者の対象を少し勘違いしたのではないだろうか。聞きに行く人の多くは私のような高齢者だ。ひょっとしたら、高齢者の関心や理解力を少し低レベルに見ているのではないかと勘ぐってしまった。久しぶりにちょっと残念な回だった。次回は千住真理子さんというので、期待しよう。
2026年06月20日
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今、管理画面をふと見たら…。開設日数 8401日(開設日:2003/06/19)日記記入率 44.6%我ながらよく続いている。さて、いつまで書き続けることができるでしょうか。記念すべき最初の記事は。「 これは簡単・・」2003年06月19日とにかく、私にとって簡単だったことが長続きの要因だろう。
2026年06月19日
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「ヴィオラ母さん 私を育てた破天荒な母・リョウコ」 ヤマザキ マリ「生きることって結局は楽しいんだよ」 音楽と娘と自分の人生を真摯に愛する規格外な母リョウコの まるで朝ドラのような人生! ****** 「リョウコ」とは、漫画家・ヤマザキマリの今年で86歳になる「規格外」な母親のこと。昭和35年、リョウコが27歳の時、勝手に仕事を辞め、新設された札幌交響楽団で 音楽をやるため、半ば勘当状態で家を飛び出した。 新天地・北海道で理解者となる男性と出会い結婚するものの早逝され、 シングルマザーとしてふたりの幼い娘を抱えることとなる。 戦後、まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代。 ヴィオラの演奏家という職業を選び、家族を守るために、大好きな音楽を演奏するために、 リョウコが選んだ道は平坦ではなかった。鼻息粗く自分の選んだ道を邁進し、 ボーダレスな家庭の中で子供を育てあげた破天荒・母リョウコの人生を、娘マリが語る。見本となるような「いい母親」ではなかったけれど、 音楽と家族を愛し、自分の人生を全うする、ぶれないリョウコから 娘マリが学んだ、人生において大切なこととは? 昭和を駆け抜けたリョウコの波瀾万丈な人生!出版社からのコメント「リョウコ」とは、漫画家・ヤマザキマリの今年で八十五歳になる「規格外」の母親のこと。 昭和三十五年、リョウコは二十七歳の時にそれまで務めていた会計事務所を辞め、オーケストラで音楽をやるため実家を飛び出した。新天地・北海道で理解者となる男性と出会い結婚するものの早逝され、シングルマザーとしてふたりの幼い娘を抱えることとなる。 戦後、まだまだ女性が仕事を持つのが難しかった時代。ヴィオラの演奏家という職業を選び、家族を守るために、大好きな音楽を演奏するために、リョウコが選んだ道は平坦ではなかった。鼻息粗く自分の選んだ道を邁進し、ボーダレスな家庭の中で子供を育てあげた破天荒母リョウコの人生を、娘マリが語る。決して、見本となるような「いい母親」ではなかったかもしれない。 音楽と家族を愛し、自分を貫きとおす、ぶれないリョウコの背中を見て、娘マリが学んだことは何か。 ヴィオラを手に、昭和を駆け抜けた一人の凄まじき女、リョウコ一代記。 第1章*リョウコが母になるまで 第2章*働く母・リョウコ 第3章*リョウコに教えてもらったこと第4章*リョウコと衣食住 第5章*リョウコと家族 第6章*リョウコという母親著者について1967年東京都出身。17歳の時、絵の勉強のためフィレンツェに留学。海外生活の中、マンガを描き始める。その後、中東、ポルトガル、シカゴへ移住。現 在は北イタリア在住。『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)でマンガ大賞2010、第14回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。著書に『スティーブ・ジョブズ』(講談社)、『プリニウス①~⑦』(新潮社)、『オリンピア・キュクロス①』(集英社)、『男性論 ECCE HOMO』(文春新書)、『国境のない生き方』『仕事にしばられない生き方』(小学館新書)など多数。ヤマザキマリさんは千歳市で育ったので、少し親近感を抱きながらその活躍を見つめている。先月、北海道文化塾でヤマザキさんのお話を聞いて、この本を図書館に予約して借りた。 北海道文化塾初回…ヤマザキマリさん 2026年05月07日いや、本当に面白かった。この母にしてこの子ありって本当だなと思った。それは、持って生まれた気質を受け継ぎながら、マリさんを育てたお母さんの生き方・育て方が、現在のヤマザキマリさんとなっているのだなということだ。本を読みながら、これは今の時代にとても大切な育児論・教育論でもあると思った。彼女が育った時代では、このような生き方を貫くのは大変なことだっただろうと思うし、今の時代ではさらに難しい生き方・育て方なのかもしれないが、価値観が大きく揺らいでいる時代にこそ、自分の好きなこと大切なことに向かって、まっしぐらに生きることができる人を育てることがとても大切だと思う。周囲の顔色をうかがいながら自分を押さえて、普通や常識という幻想に向かうばかりでは、せっかく与えられた命を大切にすることにはならない。と、この本を読み終わった次の日に、昔からの友人と会った。彼女は障碍を持って生まれたのだが、自分のやりたいことを道しるべとして充実した生き方をしている。彼女はピアノ教師として働いていたし、そのパートナーはヴァイオリンを弾く人なので、ひょっとしたら知っているかと聞いたら、ヤマザキさんのお母さんがお元気だった頃には親しくされていたとか。それから、当時のエピソードなどやそれに関する色々なことを話して驚いたこともいっぱい。やっぱりねとも思ったけれど、本当に縁のつながりって不思議だ。気付かないだけでつながっている人や物事の多さに、年を重ねるにつれて驚く。人間って、複雑なネットワーク(縁)の中にあって、それで生かされ合って生きているんだ。それは、人間だけではなくて動植物や地球環境のネットワークの中にあるということでもある。それは、今はやり(?)のITネットワークどころではないはずだ。人間が長く生き残ってきた大本であるネットワークの大切さを忘れてはいけない。ヤマザキマリさんのお母さんが北海道中に撒いた音楽の花の種は、こんなに近くでも咲いていましたよ。
2026年06月19日
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囁かれる「プーチン大統領のオワコン化」…暖房も電気も止まるロシアで始まった“国家崩壊”の現実「3か月で20万9000社倒産、体感インフレ16.4%」習近平はもはや「台湾統一」どころではない…中国共産党を自滅させる「日米包囲網」という"最強の切り札"トランプ氏、地方での支持率が過去最低の50%=ロイター/イプソス調査大国(領土が大きいという意味で)にかげりが見えているようだ。今後の推移が気になるので、今日時点でのメモとする。
2026年06月17日
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1人で「浄財」管理、15年 5回の監査でも不正見抜けず 「赤い羽根」使途不明1億8千万円北海道新聞 2026年6月15日 北海道共同募金会(札幌)の赤い羽根共同募金などの寄付金に生じた使途不明金は、6年にわたり約1億8千万円もの巨額に膨らんだ。同会は15年ほどにわたり会計管理を男性事務局長1人に任せていたほか、5回にわたる会計監査でも不正の実態を把握することはできなかった。市民の善意を集めながら、ずさんな管理があらわになった形で、早期の信頼回復が求められている。 「長期間1人で会計を任され、その地位を利用したのだと思う」。15日の記者会見で、同会から調査を請け負った弁護士はこう説明した。 事務局長は、事務局次長に就任した2010年ごろから経理業務をほぼ1人で担当するようになり、22年に事務局長に昇任した際に会計責任者に就いた。不自然な引き出しは20年ごろから確認されているという。 事務局長は23年度以降、理事会の承認のない議事録を作成した上で同会名義で金融機関から現金を借り入れ、寄付金を集める口座に入金させていたほか、年度末に取引業者から一時的に現金を借り入れ、決算後に返済するなどしていたとみられる。同会は事務局長がこれらの行為で、不足金を一時的に穴埋めし、決算や監査をすり抜けていたとみている。 同会の経理規定によると、本来、経理担当者が出入金を行った際には会計責任者の承認を得る流れとなっているが、事務局長の場合は、事実上これを1人で行っていた。同会は管理体制が甘かったとして体制の見直しを進める方針。 「着服と偽装」を繰り返した異例の不祥事に、市民が募金運動への不信感を抱くのは必至だ。瀬尾英生会長は記者会見で、「会の活動は福祉事業に欠かせない。改めて信頼される組織に生まれ変われるよう、再発防止を進めたい」と語り、辞意を示した。 瀬尾会長は、例年10月から3月の赤い羽根共同募金について「(今年も)実施、継続したい」と語った。善意の付託を再び受けられるかは、今後の取り組みにかかっている。このニュースには本当に驚き、かつ怒りがこみ上げてくる。かつて社会福祉協議会で多少なりとも共同募金の事務にかかわった経験があるので、赤い羽根共同募金がどのように集められ、それがどのように配分されているのかを少しは知っている。お金を集める苦労も、それを地元の福祉活動に活用されるように配分申請し、事業を実施して活動報告、決算報告をする一連の仕事をしていた。その経験で知ったことは、赤い羽根共同募金が本当に多くの善意の人達の寄付に支えられそれを配分してもらうことでどれほど多くの福祉法人や福祉団体、ボランティア団体の仕事や活動が支えられていることか。そのことは、募金活動や福祉活動、福祉系の仕事に関わったことのない人はよくわからないのではないか。このような不祥事があると、多くの人は「前から募金のお金の流れは疑問だった」とか、「そんな募金にはもう協力しない」と思うことだろう。私だって、以前深く関わっていなければそう思うはずだ。しかし、こうも思う。北海道共同募金会や中央共同募金会の運営体制についてはよくわからないのだが、市町村共同募金会の仕事についてはよく知っている。(もう30年も前の経験だが、体制はさほど変わっていないはずだ)共同募金の事務局は社会福祉協議会の職員が担うのがほとんどであり、社協の職員は社会福祉協議会、共同募金会、各種の関連福祉団体の事務を兼務することが多い。つまり、複数の通帳や帳簿や印鑑を管理していて、不正のストッパーは担当者のモラルだけだ。日々の入出金や印鑑管理の最終責任はほとんど事務局長か会計責任者で、この2つの役目が兼任されていたら不正は実にやりやすい。これは、そもそも社会福祉協議会が多くの事業を抱えているのに職員体制は常にぎりぎりなのが一番の要因。人間は間違いを犯しやすい。目の前に自由になるお金があれば、悪魔のささやきが聞こえ始めるものだ。だから、不正ができない仕組みをちゃんと整備しなければ、不正は必然になってしまう。こんなことがあっては、もう共同募金への市民の信頼は地に落ちたことだろう。信頼回復などできるのだろうかとも思う。しかし同時に、それを財源として計画を立てている福祉法人や団体はどうなる。残念なことに、現在の日本の福祉施策はまったく十分ではない。その足りない部分を募金配分金、寄付金、各種助成金で何とかやりくりしているのが現状だろう。考えれば考えるほど暗澹たる思いで気が滅入る。今回の不正を行った元事務局長は万死に値すると思う。それにしても、この人の実名を私はまだ目にしていない。こんな犯罪人に配慮なんか不要。家族には気の毒だけれど、早く実名報道してほしい。
2026年06月16日
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息子たちがエスコンでの交流戦のチケットを買ってくれたので、午後四時頃に迎えに来てくれてエスコンへ。エスコンで野球観戦するのは、オープンから間もない頃に行って以来二回目。お嫁さんがチケットを買ってくれたのだが、Fビレッジのアプリがあれば私のスマホに送ってくれるという。私は「持っていない」と言ったのだが、良く調べたら何故か持っていた。不思議だなとよく考えたら、昨年友人とエスコンに行った時、スタジアムツアーに思いがけず行けることになった時、予約券を分けてくれた人がスマホで何かやってくれた時にアプリを入れてくれたのだと思う。「エスコンフィールド北海道見学」2025年05月12日私は全く自覚していなかったのだが、そのせいか日ハム関係のメールが時々届いていて、普段はスルーしていたのだが先月末に、交流戦のチケットを買うことが条件でのユニフォームプレゼント抽選のお知らせが届き、ちょうど行く日だったので申し込んだら当たった!駐車場は遠い場所というので私たち夫婦と孫をエスコン近くで下ろしてもらい、まずはプレゼントの引き渡し場所へ。孫は高校生以来の日ハム野球観戦で、もちろんエスコンは初めて。その孫の希望で今回の観戦となったのだ。孫がエスコンを見上げた時の第一声は「デカイ! 思っていたよりデカイ!」でしょうね、丘の上にあるのでエスコンが遠くからでも山のように見えるのです。時間がないので詳細は後で書くかもしれないけど、かいつまんでいえばデカイエスコンの中を見学含めて食べ物探してウロウロ、グッズ売り場でウロウロ、座席探してウロウロして、並んでいないお弁当を見つけて手に入れ、やっと座席についてしばらくして息子夫婦も到着。外野席だったので全体を見渡せて、合間合間のお楽しみなどでも盛り上がり私達の応援のせいか孫君の初勝利。ヒーローインタビューが初勝利の孫投手は当然としても、犠打の野村選手にはちょっと笑ったが、貴重な先取点だからそれでいいのか。楽しい一日となりました。
2026年06月11日
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午後からの受付担当だったのだが、本州からの友人がご夫婦で来道し彫刻展にも寄るというので、お昼頃に会場に行った。そこで久しぶりのKさん夫婦の再会と、共通の幼馴染とも少し話をする。その後、以前仕事で知り合って以来友人のEさんとお母さんが来てくれたので、ランチしながらおしゃべり。彼女は先天性の身体の障碍を持って生まれ、四歳くらいまでの命と言われたというが、ご両親の懸命の育児や子育て、医療の進歩のおかげと彼女の生命力で、60代になる現在まで自分の能力全開で前向きに生きてきた人。彼女は私に対して「出会えて本当に良かった」と言ってくれるが、それはこっちの台詞である。彼女との出会いと活動で私が学んだことは数知れない。私は宗教を持ってはいないが、時折神仏を信じていいかなと思うことがある。彼女との出会いは、私にとってどれほど必要不可欠なものだったかと思う時、神仏に感謝するしかない。その後は、たまたまその日に来て下さった先生の奥様とたっぷりとお話ができた。先生が結婚してから、まだ高校生だった私達は新婚のご家庭にしょっちゅう遊びに行って、きっと奥さんのMさんは戸惑っていたことだろう。私は、遊びに行くたびに「結婚て女にとっては大変だなあ」と思っていた。以来50年以上のお付き合いになるが、このような時間を持つことができることに、先生との出会いと交流のありがたさを感じる日であった。
2026年06月10日
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富良野・美瑛ノロッコ号には一度乗ってみたいと思っていて、バスツアーを見つけて随分前に申し込んでいた。なのに、日にちを間違ってメモしていて、彫刻展の受付当番とダブルブッキングしてしまった。大慌てで友人や他の実行委員にお願いし、無事にツアーに行くことができた。この日の天気予報は雨模様。晴れ女であると確信している私も、さすがに「私が旅に出る時は晴れる」というジンクスもこれまでかと思ったが、結果的には雨に当たらず旅を終えることができた。富良野・美瑛ノロッコ号詳しいことは後日加筆予定とする。
2026年06月09日
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五月末から中学時代の恩師の彫刻展が開催されている。私も彫刻を見る会のメンバーの一人なので、同級生や先輩後輩たちと受付などの手伝いをしている。この日はギャラリーコンサートで、私は受付担当ではなかったが友人たちを誘っていたこともあり参加した。この日の演奏はヴァイオリニストの伊藤光湖さん。彼女とは先生を通じて知り合ってからもう随分経っている。知り合った当時はパリと日本を行き来しながら活動をされていたが、十年ほど前にご実家とご両親を火災で失い、ご本人も大変な時期を過ごされてきた。でも、いつもお会いする時は以前と変わらぬ元気なご様子と演奏に、本当に強い人だと感心している。今年は十年ぶりに本格的なコンサートを開催するというので、本当に良かったと安堵している。何人もの友人知人と言葉を交わしたりして、素敵な時間を過ごすことができた。
2026年06月07日
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昨年は色々あって、恒例になっていた寿都で牡蠣やホタテを買ってきての合同誕生会バーベキューができなかったのだが、今年は山形から戻ってきた孫が行きたいというので、一緒に後志方面へのドライブなどを兼ねて行ってきた。実は、孫は北海道に戻ってきてから、道の駅のステッカー集めと温泉巡りが趣味になっている。だから今回も、ニセコや真狩等の道の駅に立ち寄り、バーベキューで使う野菜などを買いながら寿都に向かうことにした。真狩道の駅、ニセコ道の駅でアスパラやパセリの根、カラー人参(赤・白・黒)やジャガイモなどを買い、黒松内へ。実は黒松内町には、夫が以前から気になっていたというお蕎麦屋さんがあるので、そこで昼食にすることにしていたのだ。そば屋この花とても人気のお店ということで、開店の11時半前に到着。民家を改装したような店構えが、私には懐かしい雰囲気。私達はしいたけせいろ、孫はとろろそば、それと3人で食べようと蕎麦がきを注文。待っている間にトイレに行ったら、玄関の待合室には人が待っている。ちょうど良い時間に行けて良かった!お蕎麦も美味しかったのだが、ここの蕎麦がきは予想以上に美味しかった。実は、以前に本州のそば処で蕎麦がきを食べて、蕎麦がきはこんなものかと思った記憶があり、私はあまり気が進まなかったのだが、ここのは美味しかった。蕎麦湯も蕎麦を飲んでいるような感じで美味しくて大満足。近くの道の駅黒松内にももちろん立ち寄り、人気だというパンを購入。次は、孫が自宅のワイナリーに来るお客さんがお勧めしていたという和菓子屋さんへ。和生菓子 すずやここは、ナビがなければ絶対に行けないような場所で、かつお店をやっているのかどうかもわからぬままに通り過ぎそうな風情。戸を開けて声をかけると奥さんが出てきて、鎌倉から移住してきてここで開店したのだという。この写真で表示されている「6月の詰め合わせ」は一つしかなく、鮎のお菓子は三本。こだわりのいちご大福も4個だけあったので購入。黒松内に移住に至ったお話や、ここの冬には驚いた話など、色々お話をした。紹介してもらって来たというととても喜んでくださり、ちょっとしたおまけまでいただいた。1個400円は決して安くはないので、ここでお店を続けて子育てをしたご苦労を想像した。いくら技術があり美味しいと言っても、庶民にとってはなかなか…だから。でも、もう来ることはないだろうと思い切って購入。この日のお菓子はほとんど買占めてしまったんじゃないかな。でも、帰宅してから食いただいたらとても美味しく、特にイチゴ大福は絶品だった。その後は目的地の寿都町の森越水産へ。2日前に牡蠣とホタテを買いに行くと電話をしてあったのに、着いたら「臨時休業」の張り紙が噓でしょ!と大慌てで電話をしたら、向かいの自宅から奥さんが出てきてくれた。聞くと、今年の牡蠣は実入りが悪くて特大があまりないので、土日営業に向けて休んでいるのだという。私は事前に注文していたのでちゃんと取ってあるということで、目的の牡蠣とホタテを購入できた。「こんな年は初めてだ」ということで、どうしてなのだろう。その後は寿都の道の駅→海沿いの蘭越道の駅→岩内道の駅とめぐり、その後は仁木から高速に入って息子の自宅に向かい、到着は午後5時頃。息子一家と私の妹、実習生夫婦の8人でのバーベキューが始まり、食べに食べて解散は午後8時。そうそう、道の駅で買ったパセリの根や、ゆり根、人参などの根菜がとても美味しかった。「美味しいねー、幸せだねー」と何度も言う私に妹が言う。「そんなこと、誰にでも言ったらだめだよ、幸せ自慢じゃない」私だって誰彼なく言うわけじゃありません。でも、家族内や仲間同士では幸せは共有しなくちゃと思っている。そして、その幸せの気持ちを何かでどこかにお返しをしていけば、幸せはつながっていくはずと思う。
2026年06月05日
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昨日は安岡先生の講座の最終回。今回は、前の三回までのお話のまとめと、現在安岡先生がこれから生きる人に伝えたいことだった。 札学コミュニティカレッジ…安岡誉先生の講座 2026年05月14日札学コミュニティカレッジ…安岡誉先生の講座② 2026年05月21日札学コミュニティカレッジ…安岡誉先生の講座③ 2026年05月28日日本人は単一民族どころか、縄文時代に現在の日本の土地に住んでいた人達を、中国大陸や朝鮮半島などからやってきた人たちに縄文人が押し出され、多様な民族がミックスして出来上がった国であり、それにより様々なく技術や思想などを輸入して形成された国なのだ。まず、そんな日本の成り立ちを押さえたうえで、現在へとつながる日本人の特性を考える必要がある。現在は、「日本独自の文化」なんて考えられたりしているが、もともとは輸入文明を自分たちに合った形で発展させたものばかり。知識や技術は外国のものであっても、それを本家本元よりより優れたものにしてきたのが日本人。確かにその傾向は今でもある。しかしそれは、常に外国に対するコンプレックスが原動力にもなっている。今回のお話で一番なるほどと思ったのは、様々なコンプレックスが個人や集団に与える影響についてだ。それは、常にアンビバレンツな感情を抱えた二面性となる。人間はどんな民族でも多かれ少なかれアンビバレンツな感情を抱えていると思うが、民族によって、あるいは形成された国家の成り立ちによって、その方向性も変わってくるだろう。今回のお話で、「アメリカ人にはインディアンコンプレックスがある」とは初めて知ったことだ。アメリカが建国に際して多くのインディアンを銃と知で殺害した。その時の罪悪感を否認し「建国神話」で美化し正当化しても、無意識的には彼らから復讐される不安と恐怖が生じ、びくびくしているというコンプレックスだそうだ。なるほどなあである。つまりは、理不尽に相手を殺害した歴史をもつ国は、相手に対して常に不安と恐怖を抱いてしまうという集団コンプレックスを持ちやすいということだ。これは、現在の世界の争いの無茶苦茶さを理解する手掛かりになりそうだ。先生は、レジメ最後にこう書いていらっしゃる。「日本人の精神は複雑である。野蛮人と文明人の心を持っている。その二面性をはっきりと自覚し、理性と知性を優位としつつも、情性も大切にする。そのバランス感覚を持ち、世界に先駆けて平和と人類愛を主張し、自らの努力によって真の文明人となって、世界の人々から尊敬される日本人の精神を、『中庸の精神』というかたちで形成していくことは、日本民族の崇高な課題と考えられる。それには、純朴な精神を取り戻し、自然と調和した謙虚な生活を送ることによってしかなりたたぬことであろう」そうそう、日本人の成り立ちの歴史の中で形成された集団的無意識が現代にまで精神の基層にあるようなことをお話になっていたと思うが、それは縄文時代から続くようにおっしゃっていたと思う。集団的無意識ということは心理学などで知ってはいたが、そんなにしつこく個人の意識に影響するのかと思うと、なんだか疲れるような気がしている。集団的無意識と、集団的(国家的)コンプレックスと、個人的・家族的な経験による様々なコンプレックスから、私達はとうてい逃れられない。しかし、それによる影響を少しでも回避するためには、その存在を強く強く意識して自覚することが第一歩なのだろうが、…疲れるなあ…。
2026年06月04日
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