全137件 (137件中 1-50件目)
まだ小学生のころからガッコに行けなくなるって、さぞやおっかないことだろうなあ。(もちろん当人が)息子は中一の夏だった好きなものがあり暇つぶしの種があり何より自転車に乗れた。親が不在の昼間、不安や恐怖を紛らわすためにゲームに飽きくれ、ネットにまみれて自転車でゲオとかツタヤとかブックオフとか市内を走り回って何とか恐怖やら不安やらを紛らわして過ごせたんだろうなあ、と今だから思う。(思える)ごく小さいひとはどうやって誰もいない昼間を過ごしているんだろう。きけば彼はネットもテレビも禁止され時間割通りに過ごすことを強いられているんだそうだ。きちんと過ごしなさい、と厳命されているんだそうだ。規則正しい生活を、と。勉強も遅れないように、と。彼はどんな思いでおうちにいるんだろう。たったひとりで。罪悪感にきっとまみれて。普通じゃない、と自身を否定しないで過ごせていればいいんだけれど。そして帰りを待ってたおかあさんがようやく帰ってきたときに。最初にどんな言葉を出すんだろう。そしておかあさんはどんな言葉を彼にかけるのだろう。
2024.09.19
コメント(0)
まだ小学生なんだけどがっこ、いけなくなったんだそうだ。娘ヒトゴトじゃなく(身内にいますので・(笑))ダイジョブですよ、うちの兄もあーでこーでいろいろありましたけど今はなんとかやってるみたいですよ?といったらいつから復帰できたのと返ってきたのではて。と思ったそうだ。復帰、とは。
2024.09.19
コメント(0)
勤務内容に不満はなく人間関係も良好でソコソコ、評価されていて残業は多いものの、理不尽な給与体系ではなく。だけどね、というのだ。俺40過ぎて今の仕事やってる自分がイメージできるんだけどなんだか、ほかの仕事やってみたくなったんだよね・・・・・。ほかにやれること、ないかな、と思ったんだよね・・・・・。こうあらねば、ではなく、こうありたい。自身を「試して」みたい。若いうち、失敗したってなんとでもなるし、なんとかなる。だいたい、もう駄目だってこと何回もあったじゃんそれでもなんとかなってきた。それは息子がきっと何回も「失敗」してきたからなんだろうなあ、と思うし。賛成も反対もなく。そんな発想はみじんもなく。あんたの人生だ思うようにいきなはれやりたい、と思ったら動けばよろしそう思えるようになった私はシアワセ、だな、と思ったのでした。
2024.09.19
コメント(0)
その「言葉」に引っかかる、なあ。不登校関連の記事を最近見かけることが多くて「やり直せる(人生は)」みたいなのにうっすらと嫌悪感。例えば学校に行けなくなってしまった人たちに「いつでもいつからでも(人生は)やり直せる」というお声がけが気に食わない。ひっかかるなあ・・・。なぜ引っかかるのか。例えば息子は履歴書的には「高校中退」なわけで。その後公立通信に入りなおして4年で卒業しその後2年サービス関係の「専門学校」にいってそこは無事に2年で出してもらったけど新卒で入社した会社は学んだはずの「専門」とはまったく違う業種業界を選びわずか2か月で逃げるように退社してそのつどそのつど彼が言うには「人生積んだ」ってなったわけだが。(「まさにきっと大丈夫だよ、やり直せるよ」という事態。)それでもその時「(人生は)いつでもやり直せる」という言葉が私の中に浮かんだことはない。だってその時のチョイスはその時に必要だった(んだろうたぶん)わけなんだろうからむろん無意識で。だとするなら「やり直す」とは。やり直すことなど一つもないよ人生上その時には必要なことだったんだろうからそしてそれがたとえば「しまった」「ああ」という出来事だったとしてもその「出来事(経験)」があったから、きっとまた違う景色をながめることができる。自己肯定というのも何やら最近の私には懐疑的な言葉、なのだが。自己肯定というよりは「必然」のほうがしっくりくるし何より「やり直す」という概念こそが自身を否定してる(それがたとえ過去のことでも)ということではないのか。還暦過ぎても理屈っぽいあいかわらずのわたくし。
2024.09.06
コメント(0)
今現代女性作家熟読期が到来していて(私比)よしもとばなな角田光代井上荒野姫野カオルコ山田詠美山口恵以子金井美恵子原田マハを順繰りに読んでいる。とくにうむ~ってなってるのは原田マハ。大昔(から)(活字中毒)文学少女であったわたくし太宰治からはじまり近代の小説はほぼ読みつくし昭和の時代はむろん、三島ついで谷崎もちろん遠藤周作。北杜夫のタイトルの秀逸さにうなり(「楡家の人びと」「輝ける碧き空の下で」)宮尾登美子にも有吉佐和子にもどっぷりはまった・・・・・ので。ちょっとね山田詠美とよしもとばなな以外の女流作家、なぞ、などと。すいませんでした!という気分です。はいすいませんでした。原田マハは学生時代小説など全く読まなかった娘に激すすめられ。不承不承、よんでみたのではあるが。いや、やさしい作家さんもいるんだなあ、と心にしみました。おひとへの視線が優しいんですよ。もちろん、山田詠美やばななさんも優しいな、という読後感はあるのだが。原田マハは全人類にやさしい。(ちなみにたぶん大宮エリーもそんなかんじ)で、おもいだしたこと。息子が就活してた時(一度目の会社を辞めた後)履歴書をながめながら「きみはじぶんがあるの?」と問うたという面接担当の方。おそらく、専門卒、ではあるものの一度目の会社はそれとは全く縁のない、学んだことがいかせない業種で。で、今履歴書を提出して入社を希望しているまさに就職面接をおこなっている当の会社も、学んだことはおろか新卒で入社した会社とも全く違う業務内容である、ということにその面接担当の方は不快に思ったんだろう(と思われる)うん。うんうんうん。そうだよね、まあそういう見方もアルワナ。で、そういわれた息子は案の定わかりやすく落ち込んで厭世的でネガなので「俺には自分がないなあ・・・」などとますますどんどん落ちていったわけなのだが。(きつかったなあ、あの時期。わたしも。)(モラトリアム(平たく言うと不登校)のころのほうがだんぜん楽だったなあ)(今思えば。当時はむろん絶望と不安といらだちとやるせなさにめげてましたけどね)10代のころは周りの目も優しい、いやなんだかんだいって優しかった(と思える人も登場した)だけど20過ぎてさあ社会で給与所得者になろうとするやいなや。世間は自分の物差しで測る人で満ち満ちている。ですが今の会社で面接した時に担当して面接官の人は「相当自信をなくしてますね、きみは」「うちの会社できちんと自信をもてるようになってくださいね」と、おっしゃってくださったそうです。(ちなみに業種は息子の専門で学んだことでもないし最初の会社とは全く違う業種であります)で、原田マハ、なのです。自分を低く見てお相手を仰ぎ見るのではなく。あなたはそうなのね、わたしはこうなのよ、と一見境界線を引いて尊重してる風を装うでもなく。むろん自分の物差しでお相手を測るのでもなく。なんというかなあ。しいていえばお人に対する好奇心?興味?面白がる姿勢?それが優しさ全方向なのかもなあ、と思ったのでした。厭世的でネガな息子が「そういってもらえたんだよ」とほのかにうれしそうに言ったときの顔、を私はいつでも思い出せる。そしてああああああ!ってなったときにその時の息子の顔を思い出し僭越ながら私もその面接官の方のようにおひとと接していきたいなあと思ったことを原田マハで思い出した・(笑)
2024.05.30
コメント(0)
我が人生に一抹の悔いもなし、とまでは思わないけれど。老後を意識する年代になった。私は公共機関にほぼ毎日顔を出す仕事をしているのだけれどここで働いてる正規の職員はみんな私より若いんだなあ、と思うと働き始めたころに周りの諸先輩方がすごおおおおおおく怖くて大きく見えたことを思い出す。歳をとったからこそ、気づくこともあり、わかることもある。経験こそ学びだなあ、と思う。それにしても息子が疾風怒濤の時期あの頃に疾風怒濤でよかった。いまなら、ムリ。絶対にムリである。案外うまいことできてるのかなあひとの人生って。と思ったりするのだ。あの経験がなかったら老親の老境を今のような心持で過ごせなかったかも。いわく、私の人生じゃない。それは誰の問題か?線を引く。自分が好きでやっていると思えることしかしない(自分が後悔したくないからやっている)「よかれとおもって」には手を出さない。あなたのためにじゃない。すべては「わたし」のためである。そう思いながらいまだに正社員フル勤務の生活を送りながらいまだ健在の親の「介護」をになってるわたくし。まわりはみんな「たいへんねえ」といってくれるけどいやいやぜっんぜん、と答えられる。子どものあれこれに比べたら先が見えてる老人のあれこれなど・笑。不自由なのは「旅」ができないこと、かなあ。行くけどねたぶん。待ってて、友よ。
2024.04.24
コメント(0)
とりあえず「いま」は「ふつう」の「社会人」となった息子がいまだにおそらく抱えているのかもしれない「葛藤」の部分。そしてそれは彼が自分で何とか折り合いをつけていくしかない、という部分。はたからみたら十分がんばってきた。今もがんばってる。もう、いいんじゃない?と思うんだけどきっと彼の中にはいまだにくすぶるなにか、があって時折その何か、に飲み込まれそうになる瞬間があっるんだろうなあ。でも、わたしはもうなにもできない。何かしようとしてはいけない。彼が自身で「なんとかしよう」としているのだからそれを邪魔してはいけない。どんなチョイスも本人のもの。親だから、といって踏み込んではいけないのだ。ということを久しぶりに感じたのは朝日新聞8/28の文科省職員の藤井健人さんという方が寄せられているコラムを読んだから。あのころ、「あなたはあなたのままでいい」「ありのままでいい」という定型の言葉をどうしても息子にかけられなかった「私」の気持ちの理由を教えてくれました。機会があったらぜひ。かつての当事者の気持ちが見事に言語化されてます。
2023.08.31
コメント(0)
ちいさい人や経験のない人に当たり前のように「よかれとおもって」「周りに迷惑をかけない」ってお題目のように深く考えずに告げる場面はよくあると思うんですけど。そもそも「迷惑をかける」って?例えばどういう場面をそういうのだろう、と昨日はちょっと考えてしまった。息子がうちから離れた場所に転住しそこは、なかなか気持ちの良い場所みたいでいろいろ手当がついた結果ちょっと経済に余裕がでたらしい・・・・・・。最初は意気込んで「出稼ぎだ」「金貯める」と鼻息荒く口走っていたものの。大きな乗り物に乗りたくなってきたようではい、お買いになるそうです。大型バイク・・・・・・・。車買うと思えば維持費もお安いし何より自分の稼ぎでそうされるならわたくしが何ら物申す権利はない。そこで、話になったのが「保険」ですね。息子がバイクに乗るのはこれで2回目。以前400ccに乗るってなったとき高額な任意保険に息子は目をむき。俺がけがしたりなんかする分にはいらない。相手をどうかした時のだけのにして、と。若さゆえなのかものを知らないせいなのか世間知らずなのか、相当やりあったことを思い出します。ところが今回はすんなりと当然のように任意保険を検討してるらしい様子を見て(ま、あたりまえなんですが!)「俺がプライベートで怪我したりなんかしたら会社でみんなに迷惑かけるから」と、つるっといったのでした。「迷惑をかける対象」がいなかったんでしょうね、その昔の息子にしてみたら。自分がどうこうなっても「困る人」はいない。ひょっとしたらそう思っていたのかもしれないなあ、とまあ、そんなに深くはなくチラッと思いました。「迷惑をかけないように」って結局「周りを困らせないように」ってことでもちろんそれは大切なことなんだけどその「周り」が自分にとっても「大切な」場所、や人、じゃないとしたらそういわれても、ピンと来ないかもしれないなあ。とくに小さい人にはよくわからないかもしれませんね。「自分の行動や言動」の「何」が「迷惑」なのか。そして「なぜ」困らせてしまうのか。言葉は金言でもありますが。きちんと使わないとそれは刃にもなりますから。
2023.02.27
コメント(0)
息子の「不登校」体験で私が過ごして感じて考えて整理してひいふう、ぐちゃぐちゃ、あ~れ~。よよよ、となった日々は確実に私の糧になってる、と思う。うちは夫の両親も私の両親もいまだ健在、でいまだ自宅で過ごしているんです。怖いでしょ。全員85オーバーなのである。幸い、というかどっちがいいんじゃろ、というかうちの親は、介護認定も支援1,だったのです。昨年の秋までは。オットのほうに至っては介護申請もしていなかった!(繰り返しますが全員、85オーバーであります)ところが昨年末私の母が圧迫骨折オットの母も骨折してしまい双方とも入院、ということになり。あっという間に舅も私の父親も独居老人、になってしまいました。これが「介護」という事態なのか。ま、めんどくさいですね当然病院、介護申請、主治医とのやり取り母の愚痴、母の要望、母のわがまま(きりがない)すーべーてー私が担うことになり。そのうえ息子の環境も激変する(転勤、それにともなう愚痴、不安.&これからは帰省できなくなるから、と毎週毎週帰ってこられる。)このさきどうなるのか母は回復するのかまたうちでこれまで通り過ごせるようになるのかそうできなくなったら、次にどうすればよいのかそして、父はそうなったときにどこまで私は手伝わなきゃいけないのか・・・・それ以前の私ならまあ、きっと「ねばならぬ」「こうあるべき」で凝り固まった私なら。ああ、想像するだけで萎える。ですが、あの頃の経験は無駄じゃなかった。それは誰の問題か。頼まれたことだけ、きちんと。良かれと思ってはわたしのものさし。なにより、やりたくない、無理なことはしない。結局のところ誰でも老いるのだ。運命にゆだねる。親を信じる。物理的な手助けはするけど、立ち入らない。任せる。なるようになる、のだから。生きていたいと思っているならまたおうちで暮らしたいとおもっているならきっと母も「がんばる」だろうしもう「頑張れない」と思うなら、それも母のチョイスである。頼まれたことだけ、淡々と。親子は縁の深い別の人、なのだから。わたしの「こうしたい」「こうあってほしい」と親のそれは違うのだから。息子の「不登校」は大変つらいことだったけど確実に私の人生を楽にしてくれたなあ、と改めて思うのです。
2023.01.25
コメント(0)
みんながマスクをする時代。接触を避け、移動が制限された数年間。あの震災のときもそうだったけど今図書館に行くとそれ以前さなか、そしてその結果心持のあれこれ、がつづられた読み物が並び始めている。「ふとうこう」も増えているというしわが在住県の公立通信、定時制へのニーズが増えているため新たに増設去れることが決まったという。同時に「発達特性」専門の外来病院が創設されるらしい。娘が年末に母校の集まりに出席したそうだそれはごくアカデミックなあつまりで現役生やらOBOGが集い、100人単位のものになるはずだった(らしい)ところが現役生のあまりの「気の利かなさ」「こどもっぽさ」に名だたる先輩がたが辟易し、挙句、たいそう怒られせてしまった、という。束ねる教授もかなり憔悴しておられたそうだ。ふむ。そういえば、彼らはもろコロナ世代。入学と同時に大学が閉鎖され通常の学生生活がおくれなかったであろうひとたち。講義はオンライン、サークルも活動できず友人はおろか、バイトすら不自由だっただろう。つまり、彼らは歳こそ成人だけどいまだに「高校3年生」のままなのかもしれない。18歳と22歳。高校3年生と大学4年生。大学に入ったばかりのころきれいにメイクしてすいすいお酒を飲んで男の人たちを軽くあしらう先輩がずいぶんおとなっっぽく見えたことを、思い出す。気が利かず、子どもっぽく、大学の3回生だというのに平気で教授に生意気な口を利き。大先輩の話も木で鼻をくくったような態度で。それは彼らのせいなのか?未曽有の状況の被害者にしか思えない。これからしばらく「社会」(学校も含めて)はちょっとめんどくさいことになってゆくかもしれない。でも、それでも、そうなったこと、は誰の責任でもないのだ。
2023.01.19
コメント(0)
褒められるのが苦手なんです、居心地が悪くなる。といううちの新人をかわいがってます・笑32歳。紆余曲折を経てきたであろう、その若いのは生真面目で、いい加減なことをいうのが嫌いで(何時に帰るかわからないのに。帰社予定など書けません)私があなたのご両親は大切にあなたを育てたんだろうねっていうと(ぜっんぜん、そんなことありません!)という。でも、ちゃんと敬語、つかうんですよ。つかえるんですよ。さっきも「今年は大変ご迷惑をおかけしました」とあいさつして帰るんですよ。ああ、なんか自信なくしてるんだろうけどそんなこたないよ、あなたの目には周りが立派で大きく見えるかも、しれないけど。あなたに足りないことがあるとするなら、それは「経験」だけ。そう繰り返し繰り返し伝えてます。部長が、「あいつ迷惑かけてるだろうけど、大目に見てやってくれな」というので「息子だと思えば腹も立ちません」といった。うちの息子も、きっと社会に育ててもらってるはず。息子は人生お初の転勤がきまりました。シマオクリか?ひょっとして、サセンってやつか?とわたくしドキドキしたんですけど。なんと先方からのご指名だそうで。そりゃそうだよ、あっちの人みんな俺のこと好きだもん、としれっといった息子が実にとても、感慨深い。思い返せば入社にあたり「きみはいま、相当自信、なくしてますね。うちできっちり自信をつけてくださいね。」と、いわれたっていってたなあ。ありがとうございます。なので私も微力ながら。ほぼほぼ放置のこの場所です。でも閉じることを今のところ考えてもいません。ひっそりこっそり、来年も思いついたら書いていこうと思う。
2022.12.27
コメント(0)
今朝朝の情報番組で元校長先生が「明日は宿題をやってこなかった生徒(でも遅れても提出する、と約束したなら)を怒らないでください」「9月1日に(子どもたちが無事に)登校できたことを喜んでください。(褒めてやってください、というニュアンスか?」と発信されたというニュースをちらりとみた。(ちらり、ですからうろ覚えですよ)昔々、息子がずいぶん久しぶりに登校した時担任の先生が「ほめてやってください」「よく頑張ったと思います」と、おっしゃったことがあるけどその通り「ほめて」みたら息子は激怒したのだった。みんな当たり前に学校に行ってる。俺が久しぶりに学校行ったからって何を褒めることがあるんだ?と。(ハレモノアツカイ)(&上から目線)(もちろん無意識なんだろうな)9月1日に「学校へ行く」ことはそんなによろこばしいこと、なのか?おっかなびっくり、という言葉が浮かぶなあ・・・・・・。宿題をしてこなかったこと、には確かにそれぞれ事情があるんだろう。頭ごなしにしかりつけるのはたしかにちがう、とはおもうけどでは、「がんばって」「宿題をやってきた」子どもに対してのフォローも考えながら対応してほしいもんだなあ、とは思った。かな。
2022.08.31
コメント(0)
うちの息子は「こうありたい自分」があるのにいつまでたっても「そうなれない自分」が情けなくて嫌になる・・・んだそうだ。なるほどねえ!それじゃ世間でいうところの「ありのままの自分」とか「自己肯定」とかとは、縁遠いわねえ。「自己肯定」を手に入れるには?というお言葉が呪文のようにとびかってたころ。「ありのままの自分」をそのまま受け入れる、そのためには?なんてったって「あなたはあなたのままでいい」わけだし。「世界で一つだけの花」なわけだしな!「どんなあなたもたいせつ」ってのもあったな。(ほぼ自分で書いてきました・笑)でも、そんな思いや言葉も他者(たとえそれが親でも)(いや親だからこそ)からかけられたとしても、本当にそう思われていたとしても当人にしてみたらイラン世話だろうなあ。なので葛藤してる息子には「あんたも大変ねえ!」といってます。それ以外かける言葉はない。当人に「こうありたい自分」があるのだろうからその中身を他者がどうこういう権利はない。がんばってくれ、ということしかできない。
2022.08.17
コメント(0)
スポーツにはからっきし興味がないのですが。スポーツの祭典の入場式はみることにしてます。各国のユニフォームがみたいのと先週入場の際の各国の選手のたたずまいがみたいから。おちゃらけてんなあきまじめだなあ容姿端麗だなあ、どうなってんのこの国の人たち、とか。微動だにしないよ、わらっちゃだめ、っていわれてんのかしら、とかとか。その国のお国柄が垣間見れてたのしい。アメリカのユニフォームはラルフローレンだろうなあ。やっぱりスタイリッシュだなあ。こういう骨太肩幅あるスポーツの方こそラルフローレンなんだろうなあ、とか。フランスはラコステでしたね。かわいかった、おフランスっぽかった。我が国のはああ、まあ、いつものこの感じね。つまんないねえ。デザインしたのだれかしら。と、思ってたら「AOKI」だったんだね・・・・・。もうさあ、こういうとこ、なんとかしてほしい。わたし、我が国(のえらいひと)はその昔「権威主義」と「建前主義」かとおもってたのですが金権主義、になってたのね・・・・・他国は自国のデザイナーでスタイリッシュなそのデザイナーらしい(しかも、その国の人たちをとても素敵に見せるためにデザインされているであろう)スタイルで入場されているというのに。何だかなあ、と。で、あとでばれちゃうのもださいなあ、と。なんだか、いやになりますね。いまにはじまったことじゃないけども。
2022.08.17
コメント(0)
幸い軽症で2日ほどはつらかったようですが、わりとすぐに軽快しました。ただ、コロナが通常の流感と違うのは同居親族が「濃厚接触者」となり、罹患者とともに自宅待機を余儀なくされる、ということ。少し前には、保健所から食品が届いていたそうですが今は(うちの自治体では)もうそれはなかったし指定の「発熱外来」で検査していただき、判明してもそのまま、おうちで様子見てね、って感じでした。発覚してわたくしも、会社に報告。(ヤナ顔されましたねえ)(月初めだった)濃厚接触者、なので、罹患判明した日を0日としてから都合5日間、出社停止、でした。オットは当事者ですので10日間出社停止です。「夏休み」です。ちょっと離れたとこで一人暮らししてる息子の会社も関東のほうの支店はえらいことになっているらしく息子は本社所属なんだが、とにかく、気をつけろ、気を付けていけ、と号令がかかっている、と。オットの陽性が判明し「念のため、夏休みだけど、帰るのやめとくわ」「金もないし、当てにしてたんだけどなあ」とのこと。あの息子も社会を意識するようになったか、と私はとても感慨深い。同時に一週間近くも何もすることなく一人でいるなんてカワイソウ・・・とまたもやカワイソウおばちゃんになりそうになり。いやいや、ほんとに困ったらなにかいってくるだろう、とだから私はいつまでたってもアレなのよ、と。「万が一考えて(息子は)夏休みは帰るのやめとくらしいよ」とオットにいったら「べつに帰ってきてほしいなんておれはいってない」と相変わらずのことをいうので。コイツはいくつになっても変わらんなあ、となんというか、幼稚、というか。もっと他にいうことあるやろ。オットはいつまでたってもアレですわ。客観的にものごとを眺めてみるって大事だとおもう。オットには「私はそういう言い方どうかとおもう」と、きっちり言わせていただいております。
2022.08.12
コメント(0)
マズローの欲求段階の5番目(てっぺん)にいる。と、息子が昨夜宣言しました・・・・・。あんた、そんないつどこでそのことばを。無粋な言葉は飲み込んで「あ、そうなの」「それはなにより、がんばって」と返しました。報われるっていうのともまた違うけどがんばってきたなあ私(あ、息子も)と思って昨夜は私をほめることにした(私が)
2022.04.13
コメント(0)
先回の日記からだいぶ間があいてしまいましたが。(もっとも、最近は以前のようにみずみずしくくらくらとアツい衝動に駆られて文章を書く、というという気持ちがめっきり薄れております)みずみずしいくらいアツい衝動に駆られてたんです!2回書いておきます)せんだって1年ぶりに美容院にいったら(はい、私は年に一度しか美容院にはいかないのです。)(あまり必要性を感じないからです)(でもそろそろそんな無頓着ではやばいお年頃になってきてるなあ、とは思います)(が、いまのところ、一年に一回、サロンできちんとかっと、きれいにカラー感じの良いパーマ、腕のいいスタイリストさんのおかげで驚かせております。「ええっ一年に一回しか行かないんですか!」)・・・・・はい。余談ですがスタイリストさんには2種類の方がいると思いませんか①自分を際立たせて、「あんなふうになりたい」とお客に思わせることがあるべきスタイリストの姿だと思っている。②とにかく、お客のためにお客の満足のために、たとえお客がそれ、絶対似合わない、と思える希望をいってきたとしても、とりあえずその希望を優先する。(主義主張をしない。雰囲気もスタイリストっぽくない)私な長年①タイプとおつきあいしてきたのですが、(だって行くたびに髪の色が変わっててゆかい)(あとどんどんどんどんアヴァンギャルドになっていって興味深い)数年前から①タイプのパワフルさ、探求心さ、とんがってなきゃ!みたいなエネルギーになんだか疲れてしまいまして。②タイプの方とたまたまご縁があり、1年に一回とはいえ、そこで老後もお世話になろうかと思ってます、いまのところ。(老後お世話になる、というのはグレイヘアに移行するまで、ということです。訪問美容を願ってるわけではない、念のため)実に謙虚で、ナチュラルで感じのいい人です。ではまた来年、とかいたずらっぽくいわれます。腕がいいので伸ばしっぱなしにしてもそこまでだらしなく見えないように(原形はとどめてないけど)カットしてくれます。むろんしばらくたったら私がまとめちゃう(でごまかす)というのもあるけど。で、ほぼ一年ぶりに施術してもらいに行って昨今の「不登校事情」を憂いておられて。(彼女の息子はまだちびです。だからこそ不安がっておられる)結論から言うと多いそうですね!とっても増えてるんだってね!で,以前と違って無理に登校を促さない。それどころかガッコの中に自由にでいるできる教室まである、と。給食だけ食べに来てもいいし、いつ来てもいつ帰ってもかまへん、と。へえ。そこまできましたか。息子の時には「わが校は保健室登校は認めてません!」ときっぱりいわれたもんですが。同時におうちにこもってる方も非常に身近に見聞きする、と。なるほど。うちの息子も中学の時いかなかったよ3年間、といったらとっても食いついてこられたのでなるほど「その後」が気になるんだろうなあ、とそりゃそうだわねえ、と思った。「だって学校はきてもこなくてもいいよ~っていうけどその後の子どもの責任は取ってくれませんものね」「そんな風に自由にさせておいてその後大丈夫、なんでしょうか」う~ん。とにかく登校させてください!といわれて悲しい、という十数年前と。来ても来なくてもいいですよ~といわれて無責任、と感じる今。子どもをめぐる環境は悩ましい、ということだけは変わらないもんですねそりゃそうだよね。で、本題です。先回の引っ越しの結末。ほぼ衝動的に引っ越しを決め、特に内見もしないで部屋を決め借金して(貸主はわたくし)諸費用をおさめ、引っ越し業者もきめて引っ越し日時まであと一週間を切り。契約を済ませカギを受け取り新居にほぼ初めて入った瞬間。「なんかこの部屋、やばい」と思ったんだそうです・・・・・・・。幹線道路沿い。両隣のビルには飲食店(しかも一軒は中華料理店。しかも繁盛店)もろもろの好ましくない生物の痕跡をそこかしこに感じた、と。派手な身なりの男女の姿も見かけた、と。あ~あ。ほれみたことか、です。でも失敗した、と思っているのは本人なんだろうしいまさら私があれこれいったって、ねえ。問題が解決するわけじゃなし。ただ、解約すると敷金しか返ってこないかもよ~とはいっといた(わかってる!といわれました)そこから息子は頑張った。結論から言うと、交渉したら、無事にお金も返金され事情を話したらいたく同情してくれた別の不動産屋さんが超スピードでよさげな物件を紹介してくれ、おまけに順番すっ飛ばして審査を通してくれ。結果絶望の日から一週間後にはなんとかなってました・・・・・・。「詰めが甘い」「衝動的」と私にはいつもそう見える息子ではあるけれど(私なら絶対にそんなことはありえない)そういう息子だから私には経験できない経験、を重ねることができるのかもなあ、と思いました。何事もどんな経験でも、その人の知恵になる。そう信じて親は控えていたらいいのではないでしょうか。そして、ひょっとしたらそれが「信じる」ということなのではないのかな、と思います。「なんとかなるとおもうよ」と親が口にする言葉を素直に受け取ることができるそして本当に「なんとなると思える」と親が思える。子どもに対して。そういう関係を目指すにはどうしたら?ということなのではないかと思います。
2022.02.16
コメント(0)
通勤時間が長い・・のがこの頃本当につらいらしく。(乗り換え3回、スムーズにいっても一時間半はかかる。)この夏から始めたお稽古(体鍛える系)に平日にも通いたいのに、その気力がわかない(帰宅するだけで疲れきる)で、息子の職場から一本で到着するとこにも姉妹店があるらしく、そこに変わったら?とトレーナーさんにも勧められ。しばらく懸案だったのでした。(まずは引っ越し費用ためなきゃ!)職場の先輩たちにその話をしたら先輩たちにも大プッシュされ(遠すぎると思ってたんだよ~)(朝むちゃくちゃ早くでなきゃいけない時もあるじゃん?)(それさあ、通勤っていうより旅だよ~)関東圏の方にはなかなか理解しづらいことと思いますがこちらでは、電車通勤が、まずメンドイ、という意識がある。そして乗り換えがあるってのが次のストレス、なのである。まして一人暮らし・・・なので、こちらでは、親と同居って、わりとメジャーです。逆に私んちなぞ、「なぜわざわざ一人暮らしさせてんの?」といわれる・・いや、「させる」って、さあ。ま、これは別の話。で、先輩たちのほうが盛り上がっていろいろ物件を探してくれたらしい・・(賃貸物件って見るの楽しいですよね、すむわけじゃなくても。その土地の相場とかわかるし。)ついては、と。どうしても、少しばかりお金足りない。貸してくれない?いや、ボーナスで賄えるとは思うんだけど足りなかったときに。ええですよ、と私は答えた。子どもが「こうありたいなあ」「こうしたいなあ」と思ってることには少しもケチじゃないわたし。むん。ただし、その「こうしたい」「こうありたい」の中身が私にとって????っておもっちゃうことには思いっきり渋ってしまうのも、わたし。出ていくものは変わらないのにその「はい喜んで!」と「えええええええええ!」の違いはそうですまさしく自分の物差し。・・・・・・であるなあ、と久しぶりに思ったのでした。
2021.11.17
コメント(0)
わたくし、楽天市場のヘビーユーザーでなおかつ、クレカといえば、楽天カードほぼ一択の昨今なので毎朝とりあえず、ここから明細を確認するのが日課となっております。まず、ここをひらき、次に管理ページに移動しカードのとこを開くわけだが。こんなほぼほぼ放置のこの日記を毎日覗いてくださる方がいらっしゃるようで。あらあらどうもありがとうございます。不登校の数がとんでもなく増えているようで同時にお若い方が悲しい選択をする‥というケースも増えつつあるようで・・ということなんで、なんかなあ?それとも、うちの元不登校、引きこもり、ペシミストのその後をきにかけてくださっているのかなあ?それにしても、未曽有の事態、かつて経験したことのない時代。この先、どういう風に社会が変貌していくかそれは、「きっとこうなる」「はず」とは誰にも言えない事態であることは、間違いない。(内親王が、諸儀式すっとばしてご成婚あそばすなど昭和生まれの私にしてみれば、これこそ「誰にも予測できなかった」事態、である)(そしてこれは、このケースだけ、今後はありえん。レアケースである・・はず、ということかどうかも、神のみぞ知る)なので、こうしましょう、こうしたらいいいですこういう風に導いていきましょう、などという言葉を真に受けていい時代なのか?ともおもう。見守りましょう、任せましょうそういう言葉だってすでに「操作」であるじゃないですか、ねえ。極端な話、今学校に行けないからといってそれこそ「かつての常識」(学校に行かないということがすべての不運の始まり、という「常識」がこの先も続くことはないかもしれない・・ってことだとするとやはりあんまり一喜一憂しないで穏やかに暮らせばいいのではないか、とおもう。私も年取ったし。平均寿命まであと数十年。そう思うともう、すきににしなはれ、しか、うかばん。これはわが子のみならず、周りの人すべてに。かまけるのは自分に。自分を「好きだ」と思えるような生き方過ごし方をしたいもんだなあ、とおもう。それだけ、だなあ。閑話休題。私には就職して間もなく、精神的な病を患いそれ以来働けてない今、50歳になる従弟がいるのですが。このたび、叔父に重篤な病がみつかり。なので、高齢な叔母に成り代わりその長年ひきこもりの彼が病院通い、主治医との面談、役所での介護保険認定に係るなにもかもの手続きその他を一手に引き受けて、でなにもかもうまくやってのけたようで。(日常雑事のたいていのことは誰でもできるのだ。違いは早いか遅いか。あとやりたいかやりたくないか。)(あと、わかんない、できないことを自分で調べたり、誰かに教えてもらうスナオさはあったほうがいい)(←実践してる。わたしは)長年不仲だった彼の兄から「〇〇が、うちにいてくれて(引きこもっていてくれて)よかった」と、言われた話、とか。何がそのおうちにとって、そのこにとってベスト(という言い方はちょっと違うけど、それしか思い浮かばん)か、というのはやはり流転するわけで。この度おじや叔母の役に立ってて、自分に冷ややかだって兄のその言葉を聞いて従弟がどう思っているか、どう思ったかも、私にはわからないけどでもまあ、勝手なこと言ってるな、とはおもう。数年前には私に従弟についても泣き言をわざわざ愚痴りにやってきた叔母であり40になっても働きもせん!と苦々しく口にした兄、である。(私は忘れん)だからダメなんだよ、あんたら、と思いました。子どもを道具にしてんじゃないよ。あと自分の物差しで評価してんじゃないよ。しかもその物差しって自分たちの「都合」じゃん。とかまあ、私も日々、いろんなことがあります。息子も娘も元気でいますちゃんとコロナワクチンも、自分で検討して(ファイザーかモデルナか)接種したらしいです。やたらゲリラ帰省してきた息子は最近習い事(体動かす系)を始めたらしくそれが思いのほかたのしいらしく(今現在の話)(来月はわかりません)「俺体動かすの好きだったらしい」と・(笑)今の目標は、そのジムに仕事帰りにも通えるように近所に引っ越すことらしい。自分で「やってみたいこと」を見つけてその上行動できて、よかったね、と思う。そんな感じです。私は老後に向けて今筋力アップに励んでます長生きしたいわけではないけど、歩けなくなると困るなあ、と思って。あとは、もうすぐ収入が減るので(定年はないけど、あと4年くらいかな、正社員として働けるのは)最後だとおもって、思い切って大きい車、買いました。中古だけど。70で免許返納するつもりなので。最後に気持ちよく運転したいなあって思って。元気でいます。来月には娘のとこに遊びに行きます。頑張ってませんけど、穏やかに暮らしてます。嵐があったから、今の凪をとことん満喫しようと思ってます。経験上、凪は続かないことも知ってますから。
2021.10.22
コメント(0)
文系院生。就活がうまくいかず、3か月ほど引きこもったそうだ。彼は、「問題のない子」おそらく、親にとっては自慢の息子。(一般的な物差しで)走れば県大会にすすみ塾にも行かないで県下トップ高に合格し早々に学内推薦で偏差値の高い大学に合格し。(あまりにもお金がかからないので自動車学校にいかせてもらったそうだ高3の秋に)ゼミでももちろん、教授たちの覚えめでたくすんなり院にすすみさて、というところで就職活動がうまくいかなかったそうで出遅れてしまいきっと彼のこし方には「ありえない」「想像もできない」事態になってしまったということは想像がつく。ようやく、外に出ることができて就活、再開しようかなあ、と思ってるんだけど。でも、イマサラ、だよね。もう、きっとろくなとこしか残ってないよね、といった、という彼にいろんな意味で痛々しいことだなあ、と思ったのでした。彼にとって「経済活動」とはなんなんだろう。あと、その「ろくなとこ」ってセリフに彼の自負と、かたくなな物差し、を感じたのでした。
2021.09.08
コメント(0)
一番危惧していたのは「経験値」です。将来がどうとか学歴がどうとかそんなもの何とでもなる。ほんとです。言い切る。だけどやはり「やなことがあっても学校に行ってそのやなことが案外大したことじゃないことを知る」とか「お友達とけんかしても時間がたてばまた関係性は変わる」とか「理不尽なことがあってどうしても許せない!ってなってもそれはそれ、と流していかなきゃいけないことはある」とか「失敗した!と思っても、案外問題を大きくしてるのは自分かも」とか。そういう経験値がねえ、やはり足りない。息子はお人が怖いし自身に自信がないのでまあ、ほぼびくびくしている。大きい声で皆さんの前で「自分の意見」を発信した経験もないのでそういう場面を強いられそうになるとすぐに逃げようとする。大きい声で叱られた経験もほぼないでしょう。(あっても、逃げてた。バイトバックレ、とか)なのでそういうことがあると、震えるほど怖い。逃げたくなる。(実際逃げたし)(一年前ですけど)だけど、幸い、今の会社のひとたちはやさしくて。ちゃんと教えてくれて。それはそれ、ということを体感させていただいてるみたいで。むろんそれは息子が通常の業務を真面目にこなしているのだろう、と思うけど。5年目になりスキルアップのテーマが息子が一番避けて通りたい「こうしていきます」と発信すること。部署のメンバーすべての方に主旨を伝え、そのためのタスクを伝え割り振って、問題が出てくるとまた話し合う・・・という。あれあれ。最初は自分だけでやります、っていったみたいなんだけどそれは認められず。大騒ぎの5月でした(いやまだ騒ぎは続いてるけど)でも、経験値っていくつになっても、本人の状態が整えばつめるもんなんだなあ、と思いました。社会が人を育てるってほんとだわ。家庭は安心安全な場所に徹すればいいのね。わたしもいまだに経験値上げてます・笑
2021.06.08
コメント(0)
繰り返し繰り返し教えていただいたこと。「頼まれたことは100パーセント」「頼まれてないことにはいっさいやらない。(どんなことでも。)(先回りしない。)(よかれと思って、が浮かんだ時ほど注意して)(その良かれと思ってこそが「私」の「価値観」なのだから)」その100パーセント、を13年目で75パーセントくらいにできるようになりました。わたしには「過干渉」「過保護」のモデルしかいないのでで、ともすればそういう風に流れていく自分を自覚しているので頼まれたことは、本当に「頼んでいるのか」「お試しなのか」「それともそんなに切実な頼み」ではないのか、ってとこでいつも迷うんです。これでは「腫物扱い」と変わらないなあ、とも思ってました。どこかで、いまだに息子に対して罪悪感の残滓がのこっているんでしょうね(この罪悪感の正体はコンナワタシガコドモヲモッタ、というほんとに持て余してしまう思い、であります)(ちなみに、これはきっとなくせないと思います)だけど、この頃ようやく「それは無理」「きょうはだめ」といえるようになりました。息子も「そうかあ、じゃあまたね」と軽く返すようになりました。幼いころ、息せき切って母に言いたかったこと悲しかったことや悔しかったことや辛かったことまたはうれしかったことや楽しかったこと。それらを聞けない母だったんです。言わせない母でした。だから、今やり直してる、と思ってる。いいことも、わるいことも。遠慮なくどう思われるか抜きで何でも言える。人間関係の基礎はそこから、ではないかと思うんです。どんな自分でもお母さんは自分が大切。そう思える子どもが、お人を信じることができるのではないかと、私は思います。頼んだことを100パーセントかなえてくれなくてもそれはお母さんの都合で自分が迷惑だからじゃないんだ。おそらく息子は今そう思っているのではないか、と思います。そして、息子がそう思えるようになるまでに親子の関係がこじれるまでの年月と同じ時間がかかりました。
2021.06.08
コメント(0)
今朝の情報番組で、台湾の天才のひとがその高い知性(おそらく)ゆえにいじめられていたそうです。で、彼女はどうやって「それ」をやりすごしたか、というと専門書や心理学関係の文献をよんで、「いじめる方」の気持ちを理解しようとしたそうです。なるほどねえ!優秀な政治家の資質の持ち主なんですねえ・・・ですが、それ、凡人がまねしたら、やばいよなあ、と少し思った。なぜならそれは「自分の感情にふたをする」ってことだからねえ。理性で感情を飼いならす、ということは一見合理的ではあるけれどとても危険、なことでもある。「いじめ」というのは「いじめる方の不安なきもち」から始まるのではないか、と思っているんですけど要は「理解できない」のと「自分(たち)と違う」ってとこからが根っこにあるのでは?と思う。あとは「怒り」からくる「やつあたり」しかもその「怒り」の中身を本人も気が付いてないから始末が悪い。いじめをなくすって無理だよなあ、とおもうから(これはだからいじめを容認するってことじゃないですよ)そういう場面にもしあたっちゃったら相手を変えようとするより、自分で対処するしかないよな、と思う。で、その対処法を編み出すのも、本人にしかできないんだよねだってさあいじめ行為って、学校のなかだけじゃないもんね。
2021.06.04
コメント(0)
そしてそれから一か月もたったというのに相変わらず脳の中でリフレインしているので書いておく。生きていく、ということは小さな石ころにつまずくことなど茶飯事で躓いて、ころんではたちあがり汚れを払ったり、けがを手当てしたりそしてまた何とか歩き出しては、又躓く‥ということの繰り返しであるなあ、とわが身を鑑みてもそう思うししんどいなあ、苦しいなあと思ってきたからこそできたらわが子には、平坦で安全で石ころ一つない道を歩んでいってほしい、というのがきっと、親心、というものなのであろうなあ、とは、思う。だけど残念ながらそんな道は「ない」ので(躓く石ころの大小は人によって違うんだろうけど)わが子がつまずくことなく大けがなどすることなく「平坦で」「安全で」「安心な」道を親が整えるべく苦心するのではなく。何とか子どもが転んでもケガしても汚れてもまた立ち上がって歩き出す、ために苦心するのが結局のところ案外親にとっては「らくちん」なのではないか、とおもう。息子はしばらく前までは職場での人間関係にいちいちいちいち躓いておりましたが何とかその段階はクリアしたみたいではあやれやれ、と思っていたら今度は職場以外につながりを求め始めた・・・・らしい・・・ああ、そうなんですかそれは喜ばしい(とは思えない・(笑))(だってまた絶対に躓くことは予想がつく)したらやっぱり、なかなかうまくいかないようで。プライベートはダイレクトにただ「相性」の問題ですからねえ。で、仕事と違って「いやなら会わない」もあり。仕事は考えようによってはプライベートより方法がある。なぜなら「いやでも会わなきゃいけない」ということはお互いに妥協や歩み寄りでお互いを理解しよう、という努力をして何とかなる場合もある。もちろん何ともならない場合もある。でもそうなると、それはそれで「執着を手放す」(つまり、この人はこういう人なのだ)(理解できないけど、まあトモダチじゃないし)という経験値を得ることもある。だけど、純粋に利害関係ないと(まあトモダチの場合、ですけど)なかなかに、距離感つかむのが難しいしで、息子はまだまだ距離感とるの苦手だし。そしたら案の定3か月ほど密につきあっていたおともだちとけんかになって「縁を切られた」そうなのでした。なるほどねえ!そして「いつもそうだ」「俺はすぐに嫌われる」というのでまあ、私からみると「嫌われる」というよりあまりにもあけすけにさらけ出すから(しかもごく初めから)なのではないかしら?と思うんだけど。(いわないけど)でも、おれは自分を変える気はないの。なぜならこんな俺でも気に入ってくれてる人もいるの。だからね、そう思ってくれる人がいるのに自分を変えようと思うのは違う気がする。といったのでなるほど、やはり「自己肯定感」というのは「他者ありき」なんだろうなあ、と思ったのでした。
2021.04.07
コメント(0)
と、先だって帰省してきた息子が言った…(笑)「こもる」「必要以上の会話をしない」「密を避ける」「大人数での会食は控える」無茶苦茶快適、なんですけど、だそうです。基本、人付き合いが苦手だし飲みに誘われても、できることなら行きたくないし。今の会社の人たち、休日に野球やっててわりとしつこく誘われてて困ってたんだけどそういうのも、今は自粛らしいし。昼休みももみんな黙々と食べてるし。俺、いいわ助かってるわそういうの。電車の中はそこそこ混んでるけど(以前の緊急事態宣言のころとは違うらしい)すげえ静かだし。なるほど。事情が変われば事象の価値観も変わるってことねえ。朝テレビ見てたら大都会の若者は、夜お店やコンビニでご飯や飲み物を調達して道端や、公園で集まってるそうだね。寒いのに・・・・やはり、そこまでしても、「誰かと会っていたい」「話したい」という若者はいるんだろうねえ。そしてそういうことを「ホホエマシク」眺められない今の状況を鑑みるとなるほど、「孤独」が平気、「一人で遊べる」って案外大切なことなのかもなあ、とかつて誰とも遊ばず、じっとひとりでこもってた息子の姿を思い出す。あの頃、誰かと会わせなきゃ!つながらさせなきゃ!とやきもきしてた私のことも思い出す(笑)寂しかろう、不安だろう、置いてきぼりになってしまうかも、と思ってたのは「私」であって案外息子はそこまで「不幸」ではなかったのだろうな、と思う。そういうのも、渦中はまったくわからないんだけどもね。ただいま息子は歴史小説に夢中で全く素養がないので読みながらスマホで調べては読み進めている・・らしい。(そういう姿を見た)知りたい、面白い、そう思えるものがあれば人は自分で工夫する。昔なら辞書とか参考書を片手に、なんだろうけど今は便利なググる、というのがある。今は国盗り物語を読んでて燃えよ剣、と竜馬がいく、が控えているそうです。先は長いなあ。時間足りないなあ、だそうです。
2021.01.27
コメント(0)
少なくとも私の半径5メートル以内のことなら書けるなあ。先日面接に来た18歳。おだやかそうでおとなしくて差し出した履歴書は「まじめ」そのもの。「仕事がしたい」という気持ちは十分伝わった。ただ、通常の流れと違うのは「母親同伴」だった、ということ。聞けば軽い障がいをもっておられるとか。「作業所、みたいなところでもいいし」「無理して働かなくてもいいんだけど」「でも、本人がどうしても働きたい、というので」これらはすべて付き添ってきたお母さまのお言葉。本人は隣でにこにこしてるだけ。「こういうことはできます」「こうしてくれたらだいじょうぶなんです」一人で彼の状態を説明する、おかあさま。何とも言えない気持ちに、なったなあ・・・・字もきちんとしてるし真面目そうだしどの程度ハンデがあるのかわからないけど今までであったひとたちと、そんなに違いがあるようには見えなかった・・・けど。とにかく、彼の「言葉」が聞こえない。彼の代弁者の「お母さま」の言葉しか提示されない。不器用でも、言葉足らずでも本人の言葉がききたかったし「自分の状態」をたとえ親とは言え「自分ではない人」に説明されている、ということの奇矯さをきっとこの子は気づいてないし、もちろん親のほうも気が付かないんだろう。「守ってあげなきゃいけない」「助けてあげなきゃいけない」「導いてあげなきゃいけない」だってこの子は私の大切な子どもだし。彼が生きやすいように。笑って過ごせるように。でも、でもでもそれはひょっとしたら彼の重し、になっているかもしれないよ。「こういう仕事ならうちの子でもできると思うんです」無邪気にそうおっしゃったおかあさまにはあ、そすか、と力なく苦笑いしかできなかったのでした。
2021.01.25
コメント(0)
お金の使う順位もそれぞれ、なわけで例えば娘は休み~ってなると車を飛ばして近くの温泉などにいったりなじみのビストロに出向いてワインを楽しんだりなんせ地方なので話題になった大都会では即完売のユニクロの例のアレも余裕で買えたりするらしいので(逆に選択肢もあまりないわけだが。ざらもないし。)まあ、まあまあ「社会人生活」をそれなりに満喫してるらしい。家賃補助もあるしな。ガソリン代は支給されるしな。最低賃金が700円台の町なので物価も安いしな。翻って息子はというと最初の勤務先に合わせて住まいを決めたので今の職場からは1時間半弱かけて通勤している。しかも、乗り継ぎ3回。都会の人にとっては当たり前なのかもしれませんがなんてったってそれまでほぼ電車でどこかに通った経験のないひとである。今年の状況でもありがたいことに、仕事は忙しいようで残業は必ずあるらしく帰宅時間は早くても8時過ぎ、下手すると9時過ぎ。おまけに、8時に出社せねばならぬときもあるらしくそういう時は6時には家を出るという・・・まあまあ、ほぼ10年間寝太郎だった息子が「俺は一度も遅刻したことがない」とえばるので人は変わるものだなあ、と思うしいやいや、変わったのは「人」ではなく「状況」か?とも思う。起きなきゃいけない、と思うと起きるんだろうし起きる必要がなければ起きないんだろうし。そういえば昼夜逆転を繰り返していた息子が「だって俺が今早起きして何するの」といったこともあったなあ。で、私はすぐに「それもそうか」と納得したのだ。いや、本題はここからなのだが。まあ、なので息子はどうしても外食が増えるらしい。昨今のコンビニの総菜はなかなか優れものらしいけど長年コンビニでバイトしてきた息子は「もうあきた」という自分で作ったもののほうがうまい、とこないだは豪語しておった。だけど、疲れて帰ってきてそれからとてもご飯を作る気になどなれない、というわけでどうしても外食が増え、ということはお金をつかうこともふえ・・・ゆえにしょっちゅう金欠・・・らしい。こないだ帰省した時にももう5年は着てるわねえ、とおもわれるダウンをきてきたので(パンツも似たり寄ったり)洋服でも買ってやろうか、と思ったりしたんだけど息子はとっても好みがうるさいのでへたに買ったところで気に入るかどうかは8分2分である。息子に比べると夫は私の拵えたものを文句言わずに食べてえらいなあ私が買ってきたものを喜んで着るのでえらいなあ、と息子を知って夫を知る・笑息子も結婚したり彼女ができたりしたら彼女の拵えたものや、買ってくるものを喜んで着るのだろうか。(だったらいいけど)(うーん。楽観はできない)なので私は息子には下着しか買わない。しかも、気に入ってるブランドを知っているので買えるだけ。感謝祭に合わせて毎年家族の下着を購入するのだけれど「今」は彼らの好みを把握してるつもりなので(下着に限るが・・)当たり前のようにさっさと選んで購入している、わけだが「来年」は状況が変わっているかもしれない。家族だから!親だから!って声高に主張するつもりなどさらさらないけど当たり前のように自分以外のひとの「下着」を買うって当たり前じゃないよね。そんなことを思ったのでした。
2020.12.22
コメント(0)
その年齢になったのに、ココロは童女のままである。(ほめてない)きっと鬱屈した怒りが彼女の中には燃え盛っていて普段「我慢」してるんでしょう(他人には。)(世の中の理には)なのでいつも当たり散らす。父親に。そしてわたくしに。お父さんは少しも私の言うことを聞かない!何もしない!弟は私が大けがをしたというのにお見舞いにも来ない!近所の誰それに、失礼なことを言われた!近所の誰それは私が足が悪くなったというのに、これ見よがしに朝っぱらから散歩をしている!あんた(わたくしのこと)の作るもので私の口に合うのはだし巻き卵だけ!これらのことを朝、病院に送る車の中で(私は出勤途上)わずか10分たらずのうちに息もつかず捲し立てる「母親」(しかも、84歳)きっとわたしがそうなの、大変ね、気の毒ねえかわいそうにねえといえば気が済むんだろうけど(いやすまないだろうな)(さらに拍車がかかるんだろうな)私は黙って聞いている(ふりをしている)母にものを言ったところで私の気持ちを伝えたところできっと状況は変わらない、んだろうし。84になったというのにこの元気さはどうよ、と思いつつきっと母の生きるエネルギーは「怒り」なんだろうからもう、どうでもいいのだ。子どもが親に盛大にものをいうとき感情をぶつけてくるとき親を責め立てるとき。それはきっと自身の親をあきらめず、見切ってない、ということなのでと、いうことは子どもは親を信じたい、わかってほしい、と思っているということなんだろうなあ、とおもう。私は私の母親のような母親に成り下がらなくて済むようで本当に良かった。せんだって息子が帰省してきたときに「もうさ、ばあさんにかかわるなよ」といった。(親の家に届けるためにお菜をこしらえていた)「ばあさんにかかわると、エネルギーつかうじゃん?」「したら俺に使うエネルギーが減って俺が困る」心の中で言葉の変換ををして心の中でありがとう、と思った。
2020.10.07
コメント(0)
新卒の時は同期の中で一番「できるひと」になりたかった。組織の中で認められるにはそれだろう、と思ってた。「仕事ができる」と思われたかった。若い間はそういうもん、なのかもしれない。結婚して退職するひとや結婚する人がうらやましくて仕方なかった。結婚したら仕事は「片手間」になってもいいんだろう、と思ってた。早くこの、「徒競走」から抜けたかった。「子どもを信じましょう」とよくいわれてたとき「何を信じるの?」って思った。毎日ダラダラしてるように見える息子を見て昼夜逆転して毎日毎日ただただゲーム三昧の息子を見て。この子の何をしんじるの?って。一生懸命考えて。頭がキン!ってなるほど考えて。出た答えは「きっと、この子は幸せになりたいんだ」と思った。「幸せに生きていくために今、ここでこうして居るんだ」それを「信じる」私の「子どもを信じる」の定義はそれだ、と思った。徒競走から早く降りたかった私は思いもかけず40過ぎて正社員として仕事を始めておかげさまで子どもとのあれこれやらそのおかげで出会った方やなんかとのあれこれで「承認欲求」やら「比較」やら「どう思われるか」とはようやく縁が切れたらしくおかげさまで無事に仕事をやれております。「楽しくて仕方がない」わけではもちろんないが「逃げ出してしまいたい」とおもうこともなく。「怒られること」など日常です・笑こんな私でも、今こうして居られるのだからきっとそのうち、何とかなるし自分で何とかしていくでしょう。いまだにやらかしてくれる場面は多々ありますし「こんどはこうきましたか」みたいな事態は起こりますけど。「信じる」の定義をきちんと言語化したので時々思い起こしてやり過ごすことができます。やらかしても、こうきましたか!でもきっとそうしないと「幸せになれない」からなんでしょうから。
2020.09.04
コメント(0)
うちのが二人とも「組織」に属する給与所得者になってなるほど~って思うこと多くて。娘は社会人2年目、なのだが同業他社の同年代が相次いで「休職」しているらしい。すごい倍率を勝ち抜いて、「こうありたい」と願い、そのためにきっといろんなことに「頑張って」「成果」をだしてきたはずのひとたち。「成果主義」で鼓舞され、叱咤激励され、それまではきっと、親を喜ばせてきたであろうひとたち。どうして、なのかなあ、とおもったときにひょっとしたらお仕事も「勝ち負け」で臨んでいるのかしら、とおもったり。(同期の中でも一番成果を出したい)(出世したい)(褒められたい)(すごいね、といわれたい)仕事を自身の「承認欲求」の道具にすると、そして誰かと「比較」してしまうと「働くこと」は永遠に徒競走になってしまう。それはきっと、しんどい。あとは、「叱られること」が「とっても」「怖い」みたい。ミスして怒られるのがこわくてしかたない、みたい。なので「言い訳」したり「責任転嫁」してみたり最悪怒られるのが怖くて逃げだそうとしたり。(うちの息子のほうに顕著なわけだが。)それはまあ、長い間おこもりだったので経験値がたりないわけで怒鳴られたり理不尽な目にあったことが比較的少ないのでしかたないことだなあ、とおもい本人もその自覚があるのでああ、キタキタ~なんてその都度何とかやりすごすべく自分なりのツールを会得しようとしているらしいのだが。これは「学校に行ってなかった子」「経験値が足りなかった子」の弊害なのかなあ、とおもってきたのだがどうも、そうじゃないように感じる。(学校に行ってなかった)息子に限らず、なようなんですよ!ははあ、これはひょっとしたら学校が、社会が子どもに対して「寄り添いすぎ」「共感しすぎ」た結果なのかもしれない、と思い始めてる。社会は、理不尽なもんである。残念ながらそうなのでだからこそ、この度もただの「運」で雇止めにあったり、失業してしまう人がいるのだ。対して今の学校、というところは子どもが親が「理不尽だ」と感じたら堂々とものが言える。そればかりか、子どもが、学校や教師や社会に対して「まちがってませんか?」などと自身の言葉で言えることが奨励される場合すらある。そんな「正しいことは正しく」「間違ったことは間違ってる」というある種夢のような(いやそうなんですよ、そうなんだけどさ)場所からはじめて「理不尽な事態」に身を置いたとき。残念ながら「正しいこと」がまかり通るはず・・・ではない「社会」を知って「頑張ったからって必ず成果が出るわけではない」事態を知って一種の「カルチャーショック」を感じてる若い人はきっと少なくないのかもしれない。じゃあどうしたら?というとわたしも答えなんてもちろんないんだけど。例えば「会社のこういうルールがおかしい」と子どもがいってきたときにこちらは、どうこたえるか。「上司に理不尽な物言いでしかられた」といってきたときはどうするか。それまであくまでも「子ども側」にたってその子どもを傷つける相手を子どもと一緒に攻撃してきたり子どもに共感して慰めてきた、とするなら。その相手が「学校」や「教師」や「バイト先」のだれかから「会社」や「直属の上司」に変わったとしても同じスタンスでいないとあかんのやないか。と、なると、うむ。
2020.09.04
コメント(0)
「ごめん、もう仕事しきらん」と、子どもが言ってきたときにその時の(あの話題の親の)対応をまねるのではなく。「困ってる」と子どもが素直に言える親子の関係をめざす、ということ。
2020.07.22
コメント(0)
おととい、目にした記事(はっきりは覚えてない、その時はちょっと印象的だったけどああ、よくある感じ、と思った。のでどこで目にしたかもあんまりおぼえてない)(なんせおばあさん、なので。←最近よく使う。べんり。ずるい。でもそういうと大抵の人は黙る。べんり。ずるい。)その記事の中の主旨、というか、私が一番印象に残った言葉が「そのこはきっと「ふつう」になりたかったのでしょう。」(コロナ禍で、長い間の休校がようやく開け、学校が再開されるタイミングでの新聞の記事だったかな?「学校に行けなかった子は、何とか学校に復帰しようと必死でがんばっているはず。だからこそ、みたいな内容だった)その言葉が脳内にリフレインしている。そういえば、うちの息子もよくつかう。「ふつうそうだろ?」「おれはふつうになりたいんだよ」「ふつうにいきていきたい」ふつう、ってなに?とはおもうけどそこはつっこめないな、とおもう。たぶん、おそらく、だけど「普通ではない道(不登校という道)を歩いてきたんだ、と息子は自身をそうおもっているんだろうな、とおもうから。「普通」に学校に行って「普通」に友達と遊んで「普通」クラブ活動などして「普通」に塾に通い模試をうけ「普通」に受験して・・・・きっと「普通」にあるいていた人には「普通」はそんなに大事なことではない。だけど、そうではないからこそそうじゃなかったからこそ、「それ」をしらないから、こそきっと息子にとっては「ふつう」が一番大切なこと。だからこそ、周りは「ふつう」を強いないでいること、だわなあ。だって、「ふつう」なんて人の数ほどあることだし。みんな自分の歩いてきた道しか知らない。で、その道はもちろん誰にも押し付けられない道。わたしたちは、せいぜい、周りを明るく照らす努力をすることくらいしか、できないのではないかしらね。(こないだ息子に生めんは冷凍できると教え、オムレツがうまくできない(具を上手にくるめない)といったときには具の粗熱をとって、卵に混ぜこんでやいちゃえばいいのでは?、といったらいたく喜ばれた。ま、そんな程度でいいのではないでしょうかね)そうしていたらきっと息子も気が付く時が来るのではないかな、と思っているのですよ「ふつう」は「自分のこだわり」であるのではないか?と。そして「ふつう」こそ、「しばり」でもあるのではないか?と。
2020.06.11
コメント(0)
そしてそれをへいちゃら、のふりをしてカミングアウトしているらしいので(道化を装って自分を守ってるわけだわね。いわないけど)お仕事で送り状とか書くときに先輩たちにかるくいじられているらしい。(大丈夫か?かけるか?みたいな)気分が沈んでいるときは「俺はいつも馬鹿にされてる」と泣き言をいうけど気分が喜ばしい時には「悪気、ないんだよ、先輩たち」「みんな優しいよ」 という。私も息子とのあれこれが長いので「ああ、今はそう言いたい気分なのね、ナルホド」と思い「ああ、そう思えるようになってきたのね、ナルホド」と思う。ずいぶん一喜一憂とは縁遠くなってきたことよなあ、とおもう。今の会社に入れていただいて今年の秋で4年目になります。この度の騒動でも「ありがたいことに売り上げがある」といい「交代勤務だったんだけど、それでは回らなくて時短になった」といい「会社がマスク配布してくれたんだよ~。」と自慢げに言う。先の日記で「価値観は各々」という趣旨のことを書いたけど「働かせてもらっている」という風に思ってるらしい息子にはやはり「コンプレックス」が潜んでいるんだろうな、とおもうのだけどその小さく抱きしめてる「コンプレックス」ゆえに見える景色もあるのかもしれない。まあ、その「コンプレックス」こそが大きな爆弾に変容することもあるのですけどね!むろんね!
2020.05.26
コメント(0)
というひともいるし学童が部分的に閉鎖されてしまい子どもを預ける場所がなくなってしまったのでお仕事をお休みしたいというひともいるし何よりも今後の生活が心配。休職を迫られたらどうしよう、というひともいるし医療従事者に準ずる人の子どもしか、預かってくれない、私は医療従事者ではないけれどそれに近いお仕事なので会社にお願いしたらきっと交渉してくれるだろうけれど「私の仕事」のために、コロナが蔓延してる(かもしれない)現場で働いてる人のこどもたちと今は一緒に過ごさせたくない、というひともいるし(最低だな、とわたしはおもった)「命より大切なものってある?」勉強やら将来のことやら。そんなことはまずは命あってからのものでしょ!というひともいるし。世の中の道理やら,理やら。そういったものは「想定外」で「未曽有の事態」をまえにすると吹っ飛んでいくもんですね。大昔ナチスが台頭した時にいち早く危険を察知してドイツを脱出したユダヤ人を「おおげさだ」といって、ドイツに残ったユダヤ人。財産も仕事も、自らの故郷をも捨ててにげだしていったひと、とまさか、命が奪われるようなことはないだろう、とおもって相変わらずドイツで暮らしていたユダヤ人(富裕層がおおかった。もちろん脱出できる資金のない人もいただろうけど)渦中では「正解」はみえないし何十年もたたないと、そのチョイスの結果もわからない。どんなお考えも「正しい」ジャッジもできない。だからこそ、今は自分が「どうしたいか?」「どうありたいか?」をきちんと自分の頭で考える、チャンスなのかもしれないですね。大人が不安になると子どもはもっと不安になるし大人がぶれると子どもはもっと不安定になる。コロナも怖いけど、不安も移りますもんね。
2020.05.26
コメント(0)
うちの会社で働いてくれている22歳。中学卒業後、紆余曲折ののち、うちに来てくれて4年目。彼が「定時制高校」に行きたい、といっていると聞いたのが昨年の秋。定時制、かあ・・・働きながらではちょっと大変だよね。「公立通信」というとこもあるよ?そこはレポートと月3回程度のスクーリングで頑張ればちゃんと卒業できるよ。あなたは「勤労学生」だから、様々な恩恵もあるはずだしなんといっても費用が安い。そう伝えてみたのが昨年末。そんな学校があったんですか、と驚いた彼は自分で調べて、卒業した中学にも相談に行ってこの度、受験することに決めたらしい。昨日、願書もろもろの書類のことで私を訪ねてきました。うちの息子が受験したのは10年近く前になるなあ。きっと希望者がふえているんだろうね中学時に30日以上お休みした子には強制ではないけど「なぜか」「でどうしたいか」みたいなことを書いてもいい書類がついていて。体調がすぐれない子には「特別な配慮が必要か」ということを申告できる書類がついていた。甘くないよ。卒業できるのは3割程度ってきいてる。自主自立だからねレポート出さなきゃその時点でもう単位がとれない。そして誰もおしえてくれない。自分で気を付けて、ちゃんと計画して進めていかなきゃいけないだけど彼は「出来たら3年で卒業したいんです」といったので「できることがあれば、喜んで手伝うよ」と、返しておきました。私が経験してきたこと、息子が経験したこと。実際経験してみないとわからないことはたくさん、あるものね。中学1年までしか勉強してないんです、ほとんど中学にはいってません、と少し恥ずかしそうにそう言った彼。だけど、その来し方が、「人生を取り返しのつかないもの」にはならない。きっと、大丈夫。何よりも、彼が「こうしたい」と思えたこと。そして卒業して以来、7年近くもご無沙汰だって中学にちゃんと相談に行けたこと。自分で調べて決められた、こと。そして「私」を思いついてくれたこと。誰かに助けてもらってもいいんだ。世の中はそんなに悪くないんだ。自分でも頑張れるかもしれないんだ。そう思える若い人が増えていきますように。
2020.02.21
コメント(0)
「傾聴」ですね自身「ゴミ箱」になる、ということですねいわゆる「吐き出し」を「重くなく軽くなく」聴く、ということですね。なかなか難しいです。そんなことないよ、といいたくなるしあなただけじゃないよ、と返したくもなる。じゃあどうするの?とせっかちに切り上げたくもなる。だって、「愚痴」って不毛、だもんね。わたしはたぶん合理的なほうだと思う。長い間「感情」も、合理的に処理するのが、ベストだろうと思ってた。大昔娘がめそめそ泣いてたら「泣いていいことあるの?」と言い放ったぐらいである。(鬼だ)でもほんとにそう思ってた。愚痴や泣き言をいうくらいならそんなもんに時間をとるくらいなら善後策を考えたほうが効率的である。オオバカヤロウ、でしたね。急がば回れ、なのである。そもそも、私がなぜこんな風に生きてきたかというとそりゃもう、子どもの、「涙」や「愚痴」を聞くのが堪えられない母親のせいだったのだ。還暦近い娘に「あなたは元気だから!」(だから頑張れる)としかいえないそうやって励ましているつもりの親に育てられたせい・・だったのですな。いまさら責めるつもりはないけどはあ、とおもう。ほかにないのか?とおもう。「あなたは元気だから!」と決めつけられたら、おちおち病気にもなれないじゃないですか、こちらは。まあ、自身の親についてはもう散々書いてきたのでこれ以上はかくまい。ほぼ、整理もついたし、ほぼ気もすんだ。ではなくて。最近息子が会社で、先輩やら上司やらの愚痴を聞かされることが多いらしく目を白黒させている・笑「いや、もちろん俺も言いまくってるんだけど」みんな同じなんだな、とおもったよ。重くなく軽くなく、というのはその負の感情に「引きずられることなく」かといって「突き放すこともなく」たんたん、とそのまま「聞く」ということであり。そうされたことのない子が、そうできることなど難しくまたは、そうされたことのない子が、ナキゴトを重くなく軽く「いえる」というのも難しいことなのではないか、と思うんですよ。私はもう、長いこと「黙って聞く」は「修行」で「返済」だと思ってきたんだけど(だから「苦行」だったんだけど)そうではなくて、ひょっとしたら、それは人生の「知恵」と「コツ」を伝えるためのものだったのかもなと思った次第。もっとも「そうされたことのない子ども」だった私だから「苦行」であったわけで昔からその知恵を伝えられていた人にとっては当たり前のこと、だったのかもな、と思ったり。だから今子どもの「吐き出し」を聞くのが辛くて悲しいママたちはあなたのそのつらさは、むろん子どもが責められることではなくどちらかというと、ご自身の成育歴にあるのかもしれませんよ。(だから、責めないでね。自分も、むろん子どものこともね)
2020.02.12
コメント(0)
令和2年、オリンピックイヤーのはじまりですね。このたびの年末年始は長期休みでしたがそのあおりで、ばったばた、の年明けとなりました。長いお休みでも毎月の給料日毎月の支払日は決まっておりますのでねえ。ということで、。いつものように一人きりの年越し、でした。正月休みの間ちょこちょこと出勤しなくてはいけないからです。遠く離れた場所の娘は、年末年始7連勤だそうで息子は諸事情あって、は年末は帰らず。予定が立たない、といい。私は三が日の間ずっと「一人の年越しはなれているのに、なんだか寂しいなあ」と思っていて、ようやく気が付いた。犬がいないのだった。自分以外の生き物の気配がないって、さびしいこと、なんだなあ。それでも元旦2日は息子が帰ってきて(とはいってもモリモリ食べてぐうぐう寝て私の実家でまたモリモリ食べて、そのまま帰って行ってしまったけど)秋に割かし大きなことがあってそれまでは、毎月一回は帰省していたんだけどここ3か月全く音沙汰がなくて正月も帰ってくるのか来ないのか催促したほうがいいのか、それともきっと思うところがあるんだろうから「黙って」控えていたほうがいいのか。いまだに私は悩みます。いても「心配」いなくても「心配」結局いつまでたっても手を離せないのは「私」なんだろうなあ、と思う。というわけで、寂しいので、休みの間どんどん小説を読みました。「つみびと」も読んだ。「たそがれてゆく子さん」も読み直した。「初めからその話をすればよかった」という最近注目してる宮下奈都のエッセイも読んだ。中島京子も読んだし、酒井順子の「金閣寺の燃やし方」という水上勉と三島の「金閣寺」の放火事件を題材にした小説の比較的な、文芸論も読んでる。私はやはり「文章」が一番自分の中に入ってくるので本を読むのが一番楽しい。つみびと、は子どものいない山田詠美。たそがれゆく子さん、は子どもの「大嵐」を抜けて親を見取り配偶者を見取った「今」の伊藤比呂美。「初めから」はまさに「今子どもと暮らしてるさなか」の宮下奈都。環境も感覚も、全然違うこの3人の作家さんなんだけど。共通してる読後感はやはり「優しい」ということ。子どもにやさしく、女にやさしい。女と子どもにやさしい伊藤比呂美は思春期少女に「反抗的であれ」と説く。親に.ともすれば「いい子になりたい気持ち」を抑え全力で「親に抗え」と。「親の期待をできる限り裏切り、親の誇りになどならないように」がんばれ、と。子どもがきちんと「反抗できる」親でいたいもんだなあ、と思います。そしてその子供の反抗に、腹を立てたり傷ついたり、悲しむことがあっても心配や不安に飲み込まれそうになることがあっても「そういうときもある」「そう思って親にむかつく気持ち」になってる子どもをそのまま、そのまま淡々とでも、ないがしろにはせず無視もせず、なかったことにもせず。ではどうしたら?と考えている間にきっと、子どもは「なんだ親だってただの人間なんだな」とおもえるようになっていくのではないかと思ってます。
2020.01.15
コメント(0)
キムタクのドラマです。冨永愛の着てるお洋服が素敵ですばらしくてあれどこのお洋服なんでしょっておもってたら「アライア」だった・・・・大昔バブル華やかな頃、日本にも直営店をだしてた、むっちゃ人を選ぶラインのお洋服のブランド。あこがれはアライア、よね~というひとはこぞってジュンコシマダを着てたなあ。かっこいいなあ冨永愛。彼女が身に着けるとアライアがアライアに見えないつまり、普通に気負わなくすっきり着こなしておられるのでアライアが、「特別にゴージャスなお洋服」に見えない。(特別にゴージャスなのに)(アライアのHP眺めてみてください。)(まずは値段がゴージャス)「着こなす」ってこういうことかあ、と冨永愛を見て改めて思った。
2019.12.19
コメント(0)
報道によると。「発達障害に産んでしまって申し訳ない」といったという母親…と。「(本人に)もう少し才能が有れば」といったという父親・・大学に行かなくなった息子のために編入する大学を求めて奔走し就職先で不満を募らせているらしい、と感じて(ソースは本人のブログを読んで)息子が何か事件をおこすのではないか、と、危惧し、退職を促し。その後、少しでも生きがいになれば、とパンの学校や、コミケをすすめ・・・・お父さま、小石ひろいすぎ。「よかれとおもって」やりすぎ。そこまでケアしておいて、結果、挙句の果てに「親の財産で暮らしておいて・・」みたいなことを言われたら息子だってたまらんかったのではないか。、まさにぐうの音も出ない。おまけに父親は我が国の最高峰のエリートなのだ。息子にとっては「絶対に正しい人」だったのかもしれない。つまり、息子にとって父親は高くて大きな壁だった、と。精神的な意味で「殺せ」なかった、と。そして親のほうも「申し訳ない」という子どもに対する気持ちを手放せない限り精神的な意味での「子殺し」ができなかった、ということだったのかもしれない。結果、何十回も息子を刺した、という父親の中には抑え込まれた「怒り」はなかったか。「おれがここまでしてやったのに」という気持ちは隠れてはいなかっただろうか。寄り添わねば、助けねば、導かねば・・・ねばねばねば、の結果の暴発だったような気がしてならん。それにしてもこの頃、引きこもりの子どものいる老親に親が死んでも子どもがなんとかやっていけるためには、みたいな経済指南をよく見かけますが。昨今のSNSを駆使しての「かどわかし」事件を鑑みるとなるほど、人はお金があるだけでは幸せにはなれないのね、と思ってしまった。親の遺産で生活はできてたそうじゃないですか、あの人もこの人も。だけど、という部分。親が死んだらこの子はどうなるの?どうしてあげればいいの?ではなくて知らんがな、好きにしなはれ、が、大正解なのかもしれないなあ。後、冒頭の母親の言葉。久しぶりに思い出しちゃった「かわいそう、は虐待」という言葉。それと罪悪感はエゴかも、ということも。
2019.12.19
コメント(0)
報道によると同居を始めて息子は親の前で涙したという。「俺の人生は、なんだったんだ」と。その時、父親が「ごみをなんとかしないとな」みたいな言葉を口にして息子は激高し、父親に激しく暴力をふるったという・・・・思い切って気持ちを吐露したのに親は相変わらず自分の日常を否定する(という風に聞こえたのかもしれない)気持ちを伝えてるのに相変わらず親は自分を受け止めてくれない、わかってくれない・・・・(と感じたのかもしれない)他人事ではない。ほんとにぎりぎりのとこで生きてる人に対峙するのは親でも,いや、親だからこそ難しい。誰も、悪くない。わが子が幼く、愛らしく、いつも後追いしてくれた時の姿。そのころの写真を私はいつも目に付くところに貼っておく。わが子を「モンスター」にしない。かわいらしくて愛らしかったことを忘れないために。忘れそうになる時に、いつでも眺められるように。
2019.12.13
コメント(0)
年末年始休みが取れない娘が弾丸帰省してきまして。グチグチと吐き出す愚痴をふんふん、とききながら。でも最後、お初ボーナス出た!と嬉しそうでもあり。忙しすぎて使う暇がないから、思い切ってコートを二枚も買ったわ!とさらに嬉しそうにいってから「いいなあ、実家は。アゲゼンスエゼン。洗濯もしてもらえるし風呂も沸いてるし」なので、聞いてみた「実家から通える仕事に就く、という選択はまるっきりなかったの?」って。そしたら、きっぱり、そしてあっさり「まったくなかったよ」といった・・・・・この時を私は長い間待ち焦がれていたのではなかったか。自由と不自由をきっちり味わい自分で決められる、その代わりその結果も自身で引き受ける・・私自身もそうありたかったし、そうあってほしかったのだ。息子に「黙る」を始めたとき、娘は小学5年生だった「黙って任せる」と決めたとき、娘にもそうあらねばフェアじゃない、と思ったので同じように娘にも「黙って任せ」ることにした。高校に行くための塾も、高校見学も、受験する学校も娘は一人で決めてきた。文字通り、私は黙って任せてきた。結果娘は、私に「ネグレスト」されてきた、と思っていたらしい。きっと私のことなんて関心がなくて、(兄貴だけが母の大切で)私のことなんてどうでもいいんだ、と、思って過ごしてきたらしい。なかなかね、難しいですね。でもね、おかあさん私がそう思ってたということをお母さんに言えるってことが大事なことじゃないかと思うのよ。感慨深い。よろよろ、でもよちよち、でも子どもが自分の裁量で自分の生活を、自分の時間を、自分の人生を歩き出している、という姿を見るとうれしいより、さびしい。で、なんとなく、心もとない。奇しくも先日、がんを患った男性のコラムを読んだ。もともと、憂鬱質だった彼の奥様は彼がなんとか、病を克服し、日常生活を送れるようになったのちに自死を選んだという。「僕が闘病をしてる時は張り切って元気にささえてくれたんですけどね」そういうの、なんとなくわかる。で、わかるから、自覚してしっかり残りの「私の人生」を歩いて行こうと思う。とりあえず、コントロールしていこう。えーと。悪癖の数々を・笑
2019.12.11
コメント(0)
宮下奈都さんという方でご主人の強い要望で一年間だけ、北海道の国立公園で、家族5人で山村留学されたときのお話。中3、中1、小3のお子さんを見る目が本当に温かく、それぞれのお子さんの個性の違いも読み手にしっかり伝わり(ということはしっかり「観察」しておられるということでもあります、感情はいれないで)で、ここが一番大切なことだと思うんだけどお子さんのあれこれを、彼女はただただ、「おもしろがって」おられる。ああ、と思った。やりなおせたらな。もっともっとおもしろがっていればよかった。面白がって、楽しんで、手放す努力をするだけ。それができなかったんだよな。(今もできてるわけではありません)
2019.12.03
コメント(0)
母親が現在の私の年齢の時にはもう孫二人生まれていたのか、と思うとちょっと驚く。そうか、そうだよねあれからもう、20年以上たったんだもの母は老いて、ようやくおとなしくなり私の家に侵入することもほぼ、なくなりそれでも元気に「通院」している。わが県最大の盛り場まで。週一回の頻度で。私は毎日朝、お菜を少しばかり届けている母は、喜んで食べている(と思う)犬はいってしまったけど最後、昼夜逆転気味になってしまった犬に付き合った結果の私の超早寝早起き(20時にはねて4時には起きる)は相変わらずだけどそうか、年齢を考えると、「おばあさん」と名実ともに呼ばれてておかしくない年齢なんだ、と思うと、まあ、いいか、と思う。早朝4時から何をしているかというと弁当をこしらえているんです。ついでに親の分も作る。そのあと、犬がいたころと同じように同じ道をあるく。さっさと歩く。もう私は犬が飼えないからよその犬をかわいがることにしたのです。毎朝、かわいい人懐っこいチワワちゃんにあう。必ず駆け寄ってくれる。または、私を認めると、まっていてくれる。真っ白で器量よしでこぼれおちるような大きな目をして見つめられると、悶絶であります。小型犬もいいわねえ、などとおもってしまう。なつっこい子だな、小型犬ではめずらしいな、とおもっているとしばらくたってなんと彼女が「保護犬」だったことを知り、驚愕する。5年間ケージの中でくらしていたそうです。引き取って一年なんだけどね、ようやくお散歩に行けるようになって、ようやくようやくゲージに入りたがらなくなってきたのよ(それまでは、ゲージの中からでてこなかったそうなんです)怖がりで、人を見ると固まっててねえ。なのに不思議ねえあなたのことは大好きみたい。きっとあなたが優しくて犬が大好きだってことがわかるのよ、といってもらえて人生に悔いなし、と思いました。今の親の姿が20年後の自分の姿、だとしたらきっとできることがどんどん減っていって自分でコントロールできることもなかなか難しくなっていくんだろうな、と思うとこうやって、なんとなく、さりげなく、偶然出会えるなにもかも、にありがたいなあ、と思って過ごしていきたいなあ、と思う。今までなんとなく手に取らなかった同年代の女流作家のエッセイなど、ぼつぼつ、読んでます。
2019.12.03
コメント(0)
娘にもいってみた。あれです、ご飯粒一つ残さず食べるのが「マナー」の話。そしたら娘あっさり「私も言われたことある。高校2年の時」「残さず食べないの?」ってすごく、育ちが悪い、と思わせるような言い方でいわれたわ、そういえば。あら。その時どう思ったの?と聞いたら「どうでもいいやん」と思った、と・笑(笑うとこか?)(でも笑ってしまった)あれねえ、陰謀じゃないのお茶碗洗うとき、めんどくさいからあらかじめぴかぴかにしておきたいから、そうやって洗脳してるんじゃないのお?いや、あんた。だがしかし、昔は私も実はそう思ってた・・母親がやいのやいのいうとき。(そのわりに、やせなさい、少しは気を使いなさい、ともいっておったな・・・・〕恥をかかせた、どうして教えてくれなかったんだ、といった子も「どうでもいいやん」とスルーを決めた、という子も私の子ども、なんだよねえ・・・でもね、おかあさん私一人暮らし始めてからは、お茶碗ピカピカにするわよ。だって洗い物がめんどい。親の育て方、など、些末なことかもしれないなあ、と思った次第。
2019.10.28
コメント(0)
むさぼるようにネットを徘徊してたわたしは「思春期ブルー研究所」というサイトを見つけてその中で開設されていた「あいあい」という掲示板をなめるように眺めた。管理人の小児科医の先生のブログも文字通りなめるように読み込んだ。で、「黙る」をしったわけなのだが。逡巡したし、悩んだ。本当に「黙って」「まかせて」いいのか。その結果、いい方向に向かうのか。(数年たって、そういう成果のための「黙る」では意味がない、ということもわかったわけだが。とにかく、なすすべがなかった私は徹底的に「黙って」みたのだ。)数日前、息子が帰省した時に「あ、そういえば」といった。文句言いたいことがある、と。職場のみなさんに「ご飯をきれいに食べない」と指摘されたそうだ。お茶碗の中のお米は、一粒たりとものこしてはいけない、と。それがマナーで常識である、と。ずっと気になってたんだけどね、おもいきっていうね、といわれたそうです。その後、女子の友達にも、もうしわけないけど私もそう思ってたよ。それ聞いて、息子私を責める責める。どうして教えてくれなかったのそれ、しつけ、だよな大きくなって俺が恥かくと思わなかったの。う~~ん・・そういえば、私はその手の「しつけ」はしてこなかった気がする。昔昔、私の小さいころ私は親に、ご飯を食べたら、そのお茶碗にお茶をいれてご飯粒一つたりとも残しちゃいけない、といわれて育ったのです。昔から偏屈なわたしはそういう親の言葉を斜めに聞いてた。でも、肘ついてご飯食べるのは、すごく下品なことだと「私は」思っていたわけ。つまり、私の中では「一粒たりとも残しちゃいけない」<肘をついてご飯を食べるだったわけです。ぶっちゃけ、どうしても食べられない時もあるだろうし(体調とかね)残さず食べる、ということに私は重きを置いてはいなかった。ということであんまり関心はなかった。将来「恥をかくこともあるかもしれないなあ」とも思ったけどそしたら「恥ずかしい」と思ったときに「息子」が修正すればいい。ここで「黙る」とつながるんだけど「困ったら自分で考える」ということ。親のせいで、でもいい。しつけされてなかったから、上等。教えてくれなかったじゃん!すまないねえ。でも一番大切なことは「いいにくいけど、いうよ」といってくれる方をみつけられてその言葉を素直に聞けて「ああ。そういう風に思う人もいるんだ」と思えてなら、自分はどうしたら?と思えることなのではないか、と。息子はうちでは気にしないけどよそではピカピカにするそうです。どっちでもいいよ。あんたがそうしたいなら。「黙って任せたら」それが「自分の問題」になって結果自分で考えて、そうしてチョイスする。あいあいの北島先生、ほんとうにありがとうございました。あとやっぱり「しつけ」って「親の価値観の押し付け」ってことでもあるなあ、と思った。
2019.10.23
コメント(0)
帰省してた息子とぼんやりテレビを眺めてたら宝くじのコマーシャルが流れてて「あたんないかなあ」「当たんないよなあ」「当たったらどうする?」とオットと私、3人で妄想にふけった・・・まずはローン返して(これ私)うちを少し直そうよ(これ、オット)元金をどっかに分散して預けて、利子で生活する(これ息子)で、どうやって預けたら効率的になおかつ税務署に目を付けられずにすむか、とこそこそ3人で話し合う。例えば、「私」が当たって、一部を息子や娘にわけっこしたら贈与税がかかって、下手すりゃ半分持ってかれる、とかいう話でさらに盛り上がる。それを避けるためにはこうする、とこずるいオットが知恵を出し。息子と私はなるほど!と感心する・・・当たったら働かなくてもすむよなあ・・・・・でも、ずっとうちにいて、好きなことだけしてだらだらと誰ともかかわらずに生きてくってのも、飽きるよなあ・・・そういった息子の言葉に私は「ほお」と思ったのでした。昨夜ああ、10年前に戻りたいなあずっとうちにて、好きなことだけやってて、のんきでよかったなあ(息子は13~15までこもってました)と、いったばかりだったのですが。息子が引きこもっていた時識者の方々は「居心地がいいから、うちからでないんです」「もっと厳しくしなくちゃだめです」と、おっしゃる方が多かったのですがそんなわけないじゃん、と私は思ったしやっぱり、「居心地がいい」からうちからでなかったわけではなかったのね、と改めてそう思ったのでした。好んでなのか、しかたなく、なのか理由はほんとにわからないけど。本人が「今はうちにいたい」と思っているなら好きなだけそうさせておけばいいのではないかと私はやっぱり思います。ぬるま湯だって、そのうちさめる。サウナに行ってみたい気持ちにだってなるのではないか。
2019.10.08
コメント(0)
はじまりますねえ私は米倉涼子はごひいきです。ドラマの役柄も好きだけど時々バラエティー番組などで見る姿もすき。彼女はきっと幼少のみぎりから、「根拠のない自信」をもつことができた人なのではないかとおもう。容姿がやっぱり特別ですもんねえ。(と言ったら夫がでも彼女,ダメンズと一度失敗してるじゃん、といった・・・ああ、そういえば)(我が国のおひめさまも、これは庶民でも、ちょっとあの男子は‥って思ってしまう方との結婚をいまだ願っている、という)(天真爛漫で、お人を疑う必要のない生き方をしてきた女子は・・・・これ以上はかけない)さて、うちの娘ですがこの4月から働き出し、激務であります。「想定外」が「想定内」なので一日のスケジュールはいきあたりばったりです。(私はそんな仕事絶対に向いてませんが、娘はルーティンワークのほうが嫌だというんです)(というか、毎日毎日決められた業務を淡々とこなす、って私には向いてないと思う、といったんです正確に言えば)ということで、今年の9月、土日祝休みの仕事についてる人は出勤日数が19日でした。ところが不定休行き当たりばったり、の娘の職場は法定休日日数の6日、のみ・・・・これは気の毒でしたねえ。「働き方改革」といわれてますが、あれはどの職種にも適応されるわけではなく。例えば医者など、残業は無限大でも、まあしかたあるまい、という基準のままのようです。(勤務医は激務だそうですね。ずっと大学病院で勤務医だった私の主治医が言ってた)それなのに、ですよそれなのに、娘の職場ではやたら「飲み会」多し。「飲んべ多し」の地域にいるのでそれがまあ、不文律、らしく。「親睦を深める」ためとやらの、飲み会・・・・・まあ、私などはお酒好きだし、おしゃべりも好きだし、食いしん坊だし一人ではなかなか食べられない種類のものを少しづついただける宴会は嫌いじゃないです。たとえそれが職場の人たちとでも。(率先してはいきませんし、少人数の私たちだけよ、も行きませんが)だけど、そういうのが本当に苦手で、行きたくない人もいるんですよね。そういうひとはいかなければいいのでは、と思います。っていうか、「いかねば」と思う必要はないと思います・・・これはね、組織で働いた経験のある人なら覚えがあると思うんですけど新人の頃はわけもわからず、さあ今日はみんなで飲むぞ、といわれたらそれは「いかねば」だったんですよね。自腹でも。勤務時間外でも。だけど、そろそろそういうの「いたしません」してもいいのではないか。もちろんきれいに「嘘」ついて。「角」たてずに。そういう努力は必要だとは思いますけど「私そういうのいたしません」という米倉涼子方式は、新人には無理。おなじように、「なんか今日いきたくないなあ」ってときには自分がいなくても仕事回るなら(そしてたいてい回る)熱でたことにしてもいいんじゃないか。「なんか今日行きたくないなあ」というのは「心の風邪の引きはな」かもしれないし。わざわざ「仮病じゃないのか」なんていうひといませんよ。もしそんな風にいう人がいても「いえちがいます」っていっときゃいいんですよ。そろそろ、そういうう風にシフトチエンジしていかないと我が国の職場環境はますますストレスフルになっていくんじゃないかと思いますがねえ。状況によってシステムも変わっていきますよねちょっと前ならキャッシュレスなど、想像もできなかった時代だってあったんんです我々は大きな変革期にいる‥のかもしれない、という意識でフラットに先入観抜きで物事やお若い方を眺めることは必要なのはないかな、と思います。ちなみに、最近「職場のメンタルヘルスケア」関係のお勉強会が増えてます。わたしは衛生管理者なので、この秋3回もいきます。これはどういうことかというと、メンタルで、休職してる方がすごく増えている、ということです。
2019.10.07
コメント(0)
消費税上がりましたねえなんだかめんどくさいですねわたしのめんどくさいなあ、などの、理由はポイント還元とか、キャッシュバックなどの細かい規定なのだが。ここぞとばかりに、地場スーパーなどもそのお店独自のカードでお買い物してくれたら、キャッシュバックいたします!などと大宣伝をしておる。「そのお店独自の」ってのが、なにやらうさんくさい、と私などは思ってしまいまして。(実際のところはどうなんだろうね。自分とこのカード会員を少しでも増やしておきたいという魂胆なのでは。だってクレジットカードでも還元されるでしょ?)わたしも、コンビニ系のカードで払うていのはとりあえず、用意はしておきましたけどねで、10月1日、あらかじめチャージしておいたい、そのカードで支払うとあら不思議、増税分がほとんど増税されてませんという不思議。その場でちゃんと「お値引き」されてました。これは、増税対象じゃないものにも適用されるのでジュースとかコーヒーとか、テイクアウト商品でもちゃんとキャッシュバックになるんですね。だけど、この蜜月は、来年6月まで。期間が過ぎたらこんなバラマキみたいなことにはならない・・・・この制度を導入するって聞いて「よほどお国はわが国を、キャッシュレス社会にしたいのだなあ」「しかも出来たらオリンピック前にとりあえず、キャッシュレス、を当たり前にしたいんだろうなあ」と思いました。キャッシュレスになるとどんないいことがあるんだろう?これが私の、今の疑問です。あと、「みりん風調味料」は軽減税率対象だけど、「みりん」は増税対象なんだってねえ・・・そういうの聞くと、脱力しませんか。わたしはしました。
2019.10.07
コメント(0)
それはずばり「松尾スズキ」であります。演劇集団「大人計画」の主宰であり、小説を書き、脚本も書き監督もこなし、俳優であり。いまをときめく星野源やら阿部サダヲ、荒川良良、官藤官九郎などを発掘(芸名の命名者でもある)大人計画のHPながめてみてください、驚くよ、わたしは驚いた。いや、天才だね。ご存知でした?私は知らなかった。もったいないことした。彼が人生相談本を数冊だしておられるのだが自信を持ってお奨めしたい。迷子に読んでほしい。私の中では伊藤比呂美と並びました(相談相手としては、という意味だが。)
2019.09.11
コメント(0)
来年大丈夫なのか、オリンピック。「お・も・て・な・し」が「おもてなしされている」とよその国のかたがたにきちんと伝わるべく準備は万端なのか・・・・先月末、娘の移動が決まり、あろうことか引越し当日、電車がとまってしまった・・・・業者に荷物を託して、だけど、当人が赴任地にいけない、という事態勃発。早朝から泣きがはいる、その後も、随時ラインの嵐。だがしかし、こちらは何もできません。物理的にも、関係的にも。娘はもう、「社員」なので「所属してるとこ」の判断を仰ぐしかない。地縁もなし、知り合いもなし。頼れる親戚も、友人も皆無。同期もほぼ同じ時期に移動、なので相談できるひとはこわもての上司(男)のみ・・・最後まで何とか自分と引越し業者だけで事を納めようとしておったらしいのだが(娘のそういうとこが私にはよくわからん)(わたしならどんどん頼る)タイムリミットぎりぎりまで粘ったものの、復旧は無理そう、という時点になってようやく会社に連絡をしたらしい・・・・まあ最終的にはなんとかなったわけなのですが本人は「お初」だらけで、むちゃくちゃ消耗したらしい。が、それも「経験値」となっていくことでしょう。天災だけは、どうにもできない。(このたびの関東の大変な天災に見舞われたかたがたにお見舞い申し上げます)さて。少し前、ちょっとした知り合いの若いことはなす機会があったのだけど娘と同じ歳なので、この春大学をでて、きっと働いているのだろうなあ、と思っていたのだけどなんと、この春大学を辞めちゃって通ってた車の学校も仮免段階で放置しちゃってそのままフェイドアウトしちゃって~というええええええ!ということになってる、という話をその子のお母さんから聞いた・・・・わお、です。わお。奨学金をもらっていたので、借金はたんまりある(しかも、有利子)お母さんがどうするの!とつめよったんだろうなあ。彼は今、おうちを出て、寮にはいり、お金だけはたくさん稼げるが将来的には身分が保証されないかもしれない職に就いたらしい。お母さんからのラインには、既読もつかないというし「何を考えているのかわからない」とのこと。赤ん坊のころから知ってる子なのでへええ、と思いました。そんなチャレンジャーにはみえなかったしかわいくておとなしい子だったので意外、と思った。(でも、よそのこってそういうものかもしれませんよねうちの息子だって、オットの実家では、愛想よく、無駄口たたかず、むちゃくちゃおとなしそうないい子だったし)で、そのことさしで飲む機会があったので根掘り葉掘り聞いてみた・笑何で大学やめたの車の免許はどうするのお金はいいけど、契約社員でしょ、そのごどうするのお金がほしいの?早く奨学金返したいの?おうちを出たかったの?ええ、好奇心ですとも!彼はゆっくり、ボツボツ、と答えてくれました。一つ一つ、丁寧に。(結局、何も楽しいことがなく、働く意味がわからないだから何でもいい、見たいなこといったここにも迷子が・・・)(きっと大学いく意味がない、とおもったんだろうなあ。。)それで、わたしは割りと迷子(男子多し)と仲良くなりがちなのだがその理由はこれかも、と思った。自分のことを話したいのかも。迷子は。「自分」に興味を持って話を聞く相手のこといやじゃないのかも。傾聴ってね。敬意を払って「聴かせてもらう」っていう意識が大事かも、と思ったり。そして、一番肝心なことは、「本当に相手のことを知りたい」とこちらが思っていることが伝わらないと見透かされちゃうんだろうな、ともおもった。だって、わたしはあまり他人には興味ない。なので「わたしが本当に聞きたい」のは「本当に知りたい」から。それはもう、ずっとそうだし、これからもきっとそのままなんだろうと思う。
2019.09.11
コメント(0)
全137件 (137件中 1-50件目)