あの日が巡って来た
10年を超えても、あの記憶だけは薄らぐものではない
今日はあの日と同じ金曜日 春を思わせる暖かさ
あの日は寒かった 夕方から雪まで降り出した
すべてのライフラインが遮断された。夕食に何を食べたか思い出せない。
その日の手帳を見ると、「14:46大地震、停電、冷メシ」としか記されていない。
電池温存のためスイッチを入れたり切ったりしながら、ワンセグTVやラジオで断片的な情報を得ていた。
2日後の日曜に復電した。
心配してくれている友人、知人に無事を知らせようと最初に発信したのが次の短い投稿
なんとか無事
それから毎年、この日に何を思って来たか
2012年 あの日が廻って来た・・・・
2013年 祈りのとき
2015年 あれから4年、いろいろありました
2016年
まだ5年・・・・自力復興の痕
2017年 期限の悪い日々
2018年
3・11
2019年
8年目の3.11
2020年 9年前のあの日の記憶
2021年 東日本大震災 静寂の世界
あの時、50m程離れた駐車場にいた。歩行者は地面に座り込んでしまったが、私は倒れるものかと何とか両足で立っていた。おそらくスキーの経験が無ければば立っていられなかっただろう。
近所の屋根から瓦が土煙を上げながら落下するのを、唖然としながらただ眺めていた。
パニックになると思考がおかしくなるものらしい。真っ先に自宅に戻り、家族の無事を確認しなければならないのに、作業部屋に戻り10分ほど割れたガラスの片付けなどをしていた。
この先しばらく、考えること、やることが矢継ぎ早に押し寄せて来る。
目についた中でこの被害が一番大きいと思ってしまった。
3月、行かずにいられない大川小学校 2024/03/19
休みが終わった 能登で大地震があった 2023/05/09
関東大震災 火災旋風 朝鮮人虐殺 2022/09/01