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小岩井農場から苗木を買ってきたカエデ品種名はよくわからないが、ヤマモミジとの札が付いていた。無論学名もわからない。葉はカエデの中では大型の方、イロハモミジの倍程度の大きさか。玄関前にあり、シンボルツリーの一本といって良いだろう。カエデの類は日当たりによって実に綺麗なグラデーションを見せる。その中でもこのカエデは抜きんでている。緑の葉もあれば黄緑、黄色、薄紅色、そして紅とこれだけ様々な色彩をまとった木は他にない。
2025/11/21
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仲代達也さんが亡くなった。「生涯修行」を「しょうがいシュウギョウ」と7時のニュースで読んだNHKアナウンサー思わず画面を見てしまったさすがに番組内でお詫び訂正していたが、最近こんなこと多いぞNHKいつだったか「花散里」と「ハナサンリ」と読み、びっくり仰天市井を「いちい」たまには漢字の読み方テストでもやったらと言いたくなる
2025/11/11
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先週を盛りに金木犀が匂ってきた金木犀は「咲いてきた」よりも「匂ってきた」なのだ。匂いに気付いて梢を見上げるとオレンジ色の可憐な花が咲いている。沈丁花、クチナシとならぶ我が家の三大芳香花沈丁花は庭に何本か植えているので、その香りで春の到来を実感する。クチナシは鼻を寄せないとわからない。拙宅には銀木犀もあり、これも芳香を漂わせる。一説には金よりも臭いは勝るともいわれるが、同じ場所に植わっているわけではないので何とも言えない。銀木犀は金木犀ほど花が密集していない。このため金木犀の方が華やかだ。金木犀の花が散り、樹下のコンクリートはオレンジ色におおわれる。それもほんの数日。秋たけなわの10月
2025/10/22
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昨日、私の住む地区で大雨による洪水が発生したと全国ニュースで報じられました。何人かの方から気遣う連絡をいただきました。ありがとうございます。 洪水の地区から3kmほどしか離れていませんが、拙宅は通常より少し強い雨程度で道路の汚れが洗い流されると喜んでいたくらいです。局所的な豪雨は怖いですね。今日、秋晴れの空を背景に桜の老木がそそり立っています。今月末には赤や黄色に色付いてくるでしょう。
2025/10/02
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今年、群馬県伊勢崎市の気温が41.8℃となり、日本の最高気温記録を更新した。今から50年も前になるが、伊勢崎の会社に勤めていたことがある。職場は倉庫を改造したような事務所だったからとにかく暑いのだろうが、幸い冷凍冷蔵ショーケースメーカーだったから、冷やすのはお手の物。製品の性能評価をするのは26℃の雰囲気温度で、データ収集をしていることにして実験室は常時26℃、暑さ知らずだった。 ところが退社するとこの恩恵には浴せない。最初の2年は会社の独身寮に入っていたが、1970年代、冷房なんてない。昼間の灼熱の太陽に焼かれたコンクリートは夜になっても熱を放出し続けていた。廊下の一隅に会社の製品である冷蔵庫があったが、あまりにも暑く、結露して霜だらけ、冷却のための放熱で廊下を増々暑くしていた。 寮を出て伊勢崎とは利根川を隔てた埼玉県本庄市に家を借りた。川向こうと言っても数キロメートル離れただけで暑さは同じ。金目のものが家にあるわけではなく、窓を開けたまま出社していたが、帰宅後の暑さは寮と変わらない。低層階になり風の通りも悪くなった。 扇風機をフル稼働させても熱い空気を攪拌するだけ、安サラリーではエアコンなんて贅沢品だった。何とか涼しくしようと知恵を絞り、風呂場で水道水を霧にして散布してみた。その風呂場の空気を居室に導いた。確かに気温は下がった。2度。理論的には当然なのだが、気温が下がった分湿度が上がり、少しも快適にならず、ばかばかしいので止めた。 最後の手段は24時間営業のスーパーに行って涼むこと。スーパーは食品の関係で必要以上に冷やしているから、しばらくすれば汗は引く、しかしいつまでも居るわけには行かず、体の内部から冷やそうとカキ氷を作る機械を買った。そんなものを毎日食べても汗は出る。睡眠の質は下がり、仕事中も眠くて仕方がない。 大学卒業後最初の職場だった。初めての一人暮らし、初めての土地で何とも惨めな毎日は、あの猛烈な暑さの記憶と共に今は懐かしく思い出される。
2025/09/25
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どういうわけか縁がなかった須川温泉露天風呂初めは露天風呂が素晴らしいことを知らず、旅館の内湯に入ってだけで満足して帰った。二度目は近くまで行ったにもかかわらず、わずかの違いで冬季の道路閉鎖に引っ掛かり断念。三度目は去年の五月、霧が一帯を覆い寒く、露天に入る気になれなかった。今回は四度目。下界で猛暑日だ、真夏日だと騒いでいるのにここは23.5℃、快晴。絶好の入浴日和。露天風呂を一目見て驚いた。こんな色の風呂を見たことが無い。なんと表現すれば良いのだろう、石垣島の海のような色だが透明ではない、ブルーハワイのカクテルに牛乳を少し垂らせばこんな色になるかもしれない。硫黄泉と言えば白濁しているのが普通だが、水色の硫黄泉と言うだけでもわざわざ行く価値があると思う。pH2.2、どちらかと言えば強い酸性、それでも体がピリピリするようなこともない。湯温推定40℃、ちょっと温めで気温が下がれば寒いだろうが、湯量で温度を管理していると思う。いつか一泊したい宿風呂撮影禁止なんて野暮なことは書いてありません。「人がいるときは許可を取って」と粋な計らい。背景に岩山を入れると人が写るので、つまらない背景になりました。散策しても楽しそうだ
2025/09/05
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夏の暇なこの時期、何となく高校野球を見ていることが多々ある。 選手の氏名が表示され、普通に読めるのは1チーム20人中せいぜい3人か4人、難読漢字の読解のつもりで考えれば数名の読み方は思いつく。後はきらきらネームのオンパレードで逆立ちしたって読めやしない。 よそ様が自分の子供にどんな名前を付けても、私にはどうでもよいことなのだが、何かの申込書類やホテルにチェックインするときの書類で「氏名」の上に「フリガナ」を要求するものが近年増えたように思う。 昔は誰でも読めたから、いちいちフリガナなど書く必要が無かった。フリガナを要求する最近の傾向は、平凡な名前の当方にとっては甚だ迷惑な話だ。私の友達と言えば、「アキラ」「キヨシ」「カズオ」「ススム」等々わかり易く簡単で便利だった。 今、最近の名前の字を音声だけで伝えるのは難しい。公式書類は、跳ね、止めまで登録された書類と同じであることが要求される場合があり、難しい字は十分注意して書かねばトラブルになりやすい。 私の「氏」にも難しい漢字があり、保険証などの公的書類はすべてその字になっている。最近、私はあえて略字で通している。同じ字であるなら、楷書で正確に書いても略字で簡単に書いても同じ扱いになるべきだ。草書が一般的であった時代を考えれば、そうあって然るべきだ。
2025/08/17
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私は外出するとき、次の物を必携とし決めたところに入れている。1.財布(クレジットカードと現金):胸ポケット2.スマホ:ズボンの左ポケット3.車、時には家のキー:ズボンの右ポケットこの三つさえあればどこに行っても何とかなるし、入れる場所もこのように決めておけば、何かを忘れると違和感があり、大抵すぐに気付く。泊まりで外出するときは上記に加え、常用薬の箱が加わる。基礎疾患があるので必ず飲まなければならない薬がある。先月、三泊でつくばに出張した際、なんということか常用薬一式忘れてしまった。今までこんなことは一度もなかった。念のため予備をもう一セット用意したこともあったが、そんなことはないだろうと用意もせず、肝心の薬箱を最後に入れようと思っていて忘れてしまった。夕食後、薬を飲もうとして気付いた。一日くらいなら何とかなった経験はあるが、二日、三日となるとどうなるかわからない。かなり真剣に対処法を考えた。送ってもらうと入手できるのは三日目、明日中に入手するには、医者に行き処方してもらう他ない。薬を飲むときは薬の名前を唱えながら飲んでいるので、常用薬の名前は何とか憶えている。量はわからないので家に電話してカミさんに確認してもらった。翌日、仕事の合間に抜け出し近所の内科医へ行った。申告した薬を即座に出してくれるのかと思ったらそうは行かないらしい。一応診察を受け、よくぞ訪ねてくれた、飲み忘れると面倒なことになるかもしれないと脅かされた。希望する薬の一覧を書いて行ったので、間違いないか念を押されたが断言してもよい。マイナ保険証では薬の履歴もわかるらしいが、今必要な薬は自己申告した方が早い。時間はかかったが、ようやく必要な薬を入手できた。昼前、いつもは120mmHg程度の血圧は140mmHg程度まで上昇していた。忘れないようにするのは言うまでもないとして、万一忘れたときのために常用薬リストをどこかに入れておく必要性を感じた次第。この出張中は忘れ物が連続し、いささか老化したかと少なからずショックだった。その話はいずれまた。
2025/08/10
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盛岡の仕事帰り、花巻南温泉郷大沢温泉に投宿するのが習慣になってしまった。今更新規開拓するのも面倒で、一番気に入っている大沢温泉に足が向く。ここは昔ながらの湯治屋、少し近代的になり鉄筋、鍵付きの若葉荘、近代的な温泉旅館山水閣から選べる。湯治屋は本当に水戸黄門が泊まっていたか、あるいは寅さんが泊まるような隣の部屋とは襖一枚の宿、当然一番安いが隣の音は漏れるし、木造だから廊下を歩くたびに軋む。上の階で人が歩くと、怪獣が暴れているような音がする。若葉荘は上下に部屋が無いし、隣との音もほとんど聞こえない。鍵がかかるのも一安心。初夏なら窓下の川面からカジカガエルの鳴き声も聞こえる。ただし、部屋は少し古く部屋にトイレも洗面所もない。食事なしが基本だから、自炊するか食事処「やはぎ」(安くて美味い)へ行く。若葉荘を含め湯治屋の方は冷房はない。暖房もこたつと石油ストーブであり現代の冷暖房になれると辛く、真夏と真冬は近代的な山水閣しか私の選択肢にはない。最近は自炊の方に泊まる元気がなく、年中山水閣だ。その中で私は一番東にある部屋が気に入っている。とても気持ちの良い川沿いの露天風呂は西の端にあり遠い。どのくらいかかるかゆっくり歩きストップウォッチで測ったら5分45秒だった。往復11分半だ。露天は遠いだけではなく、その道筋が楽しい。自炊部の帳場、売店、食事処、自炊用の台所、築220年というギシギシいう廊下をたどり、階段を数段上がったり下がったりした先にある。撮影禁止との札が貼ってあるので、さすがに正面からは写せない。この葉隠れに一枚。こちらの対岸から露天風呂は丸見えだが、そういうことを気にしていると個々の風呂は楽しめない。
2025/07/27
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仕事で「つくば」まで行ってきました。帰りは急ぐわけではなし、常磐の海を眺めながら海岸沿いにのんびり走って来ます。この辺りは遠浅の砂浜が広がり、三陸の海とは違った魅力があります。写真右端は有名な塩屋崎この日は天気が良く、かみの乱れを気にするようなことはありません。灯台まで10分ほど歩いて登らねばならないようで、今日もパス
2025/07/15
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3週間前のヴァイオリン部門に続き、昨日はピアノ部門のファイナル4人を聞いた。ピアノ協奏曲 モーツアルト20番、21番、チャイコフスキー1番、矢代秋雄 の4曲もう一つ楽しみだったのは天才小学生と言われている天野薫さんの演奏。この少女には全く驚いた。小学6年生で身長は他の参加者の胸の高さしかない。椅子はごく浅く掛け、右足はほとんど曲げずにペタルを踏んでいる。フォルテッシモになれば体を浮かせるようにして鍵盤を押さえる、それなのに音が割れることもない。度胸でも音量でもフルオーケストラと堂々と渡り合っている。矢代秋雄作曲のピアノ協奏曲なんて難解な曲は、お金を出して聞きたいとは絶対に思わない曲、それなのにすさまじい集中力で瞬きもできないほどの緊張を強いられた。結果は3位だったが、私には間違いなく1位に聞こえた。日本を代表する世界的なピアニストの誕生を目の当たりにしているのかもしれない。演奏は大人、所作はまさに小学生、何とも可愛らしい。その演奏https://www.youtube.com/watch?v=qsSYI-3KXksこれだけ聞けて4,000円、実にお安い。左から1位・・・・6位 天野さんの体格で大人を相手にしている。驚きでしかない。
2025/06/29
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昨日は知能ロボコンで仙台市科学館へ選手としての知力、体力が衰え、十数年前からは末席ながら審査員特等席で見物させてもらうと、技術の変遷、伝承がよくわかる。コロナ禍で休止した3年間をようやく取り戻しただろうか暇な時間はリニューアルした科学館見学。家族ずれで大賑わい。体験型に触るのは遠慮した。ここの目玉はウィングノーツの人力飛行機だと思う。実機を見られるのはここだけでは?リニューアルになって興味を引くものも多くなったが、残念なものも多少あり。ロボット関係が減少。子供たちが懐かしがっているのは、繊維の違いを説明した紙芝居。何年も調律されていなかった自動演奏ピアノが新調され、一安心。
2025/06/16
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NHKe放送の「3か月でマスターする 絵を描く」をたまたま見た面白そう、自分でもできそうというわけで実に半世紀ぶり以上に画材を求めたテキストで取り上げているのはアクリル絵の具、こんなものは使ったことがない絵の具、筆、パレットなどがセットになったものを買ったテキストのお手本通りに描いてみると、昔取った杵柄とはこういうことを言うのか、だんだん勘を取り戻し何とかそれらしく描けるしかし、どうもアクリル絵の具の素性がわからず、昔の水彩絵の具のようには描けない近所のスーパーで学校用の絵の具を買ってきたちょっといたずらした作品がこれ。一時間余で何とかそれらしく仕上がった思いのほか楽しい。そのうち嫌というほど暇ができるだろう(憶測)老後の趣味の一つにしたいものだ。飽きやすいのが問題だが
2025/06/11
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ファイナリスト4人の演奏を聞いて来ました仙台フィルも緊張感がみなぎる好演、モーツアルト、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を堪能しましたファイナリスト6人、中国と韓国が独占、恐るべし日本のタレント化したヴァイオリニストよりはるかに素晴らしい演奏でした日本で一番権威のある国際コンクールとのこと、知らなかった指揮は広上淳一氏 小柄な体を大きく使った指揮、審査を受けるソリストへの心配りも感じられたました四人のうち二人は特に上手いと感じましたが、コンクールの結果は一位なし。ちょっと納得がいきません
2025/06/08
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今朝、家から徒歩圏のダイシン幸町店で政府放出米を2,160円で店頭販売した。約100袋の米を求め、大勢の人がつめかけ瞬く間に売り切れたという。家には在庫があるし、安いコメを求めなければならないほど家計もひっ迫していないし、雨だし、当然買いには行かなかった。米を入手し販売したアイリスオーヤマは仕事が早いことで有名だが、今回ほど見事にやったことは無いと思う。随意契約で逸早く手をあげ、玄米の入荷から2日で白米を店頭に並べたのは見事としか言いようがない。全国ニュースでもしばしば取り上げられ、宣伝効果は計り知れない。こうしてみると、入札で購入したJA等からの米がさっぱり流通しないというのはどういうわけだ!たまたま近所にあるアイリスオーヤマ傘下のダイシンで安いコメを販売し、行列ができたわけだが、全国ニュースで大きく報じられると、何だか貧民街と思われているのではないかと不安になる。パレスチナや震災直後の東北が連想されてしまうかもしれない。安価で販売する食料品は、本当に困っている人に優先的に販売できないものだろうか?6月2日追記今日も政府放出米の話題でTVワイドショーは持ちきり。なんだか安い放出米を買うのがブームになってしまったか、食べ比べて楽しんでいる人の何と多いことよ。家に米があるなら、安い米なんて買うなと言いたい。ところでアイリスオーヤマが契約したのは玄米1万トン。白米にするとどのくらいになるのか知らないが仮に8千トンとし、5kgに小分けすれば何と1600万袋。昨日売ったのはたった100袋、何もならばなくても在庫一掃の大セールが始まると思う。8月まで売り切れと言っているのだから、90日として一日17万袋売らねばならなくなる。そんなに売れるのか販売能力の方が心配になる。ついでに調べたので、備忘のために記す。日本の年間米消費量 790万t、一日2.16万t、一人当たり一日178g単位が大きすぎてわからなくなる。
2025/06/01
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高齢になってからこの車と巡り会い、車の行動半径は飛躍的に伸びた。とても車では行けないと思っていた富山や松本まで行き、500kmをトイレ休憩だけで帰って来れるのだ。9年目の愛車、、その割にはピカピカ、新車と言っても良いくらい。昔の車はひどかった。8年も使えば塗装にはチョークが浮き、ドアの下部は錆が発生していた。鉄板のメッキと塗装のグレードが上がったおかげだ。昔、8年前の車は新型車に比べ性能や装備が見劣りし、そろそろ買い替えようか、と言う気にさせた。我が愛車、ACC、自動ブレーキとレーンキープも付いている。新型車と比べても見落りしない。多少高くても新型車を買っておけばその後数年最新装備と胸を張れる。良い車を買ったものだと思う。
2025/05/28
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宮城だか仙台だか知らないが、当地方では穴が開き肌が見える状態の靴下を「おはよう靴下」と言う。「アッ、靴下に穴が開いているよ」と言うより、遠回しで上手い言い方だと思う。これは家の子供たちが小学校に通い始めた30年も昔、初めて知った言葉で宮城育ちのかみさんが子供の頃にはこんな言い方は無かったという。今日靴下を履こうとすると、直径5mm程度の小さな穴があり肌が見える。かみさんに言うと繕ってくれるのかと思ったら、黙って黒のフェルトペンを渡された。なるほど、肌を黒く塗れと言う事かと瞬時に理解し、靴下を脱いで穴のあたりの肌を黒くした。これで一日くらいはなんとかなる。靴下が黒くなかったら・・・諦めなさい。
2025/05/10
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庭で勝手に成長しているタラの芽もそろそろ終わりカミさんを拝み倒し、大量の天婦羅を作ってもらったこれに野沢温泉で買った本場物の野沢菜漬け松本や長野で買った土産物とはまるで別物 ぼくが子供の頃の味おかずはこれだけ なんだか幸せになる春の贈り物
2025/05/04
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高校時代に友人から軽井沢の魅力を教えられ、50年近く経つ。信州を離れ、北関東を離れて40年経った今でも、通過するときは少しの時間でも立ち寄りたくなってしまう。昨年、高校恩師の奥様からおいしそうなイタリアンレストランの写真が届いた。どうも聖パウロカトリック教会の向かい側にあるらしい。この教会なら50年近く前から知っている。旧軽銀座通りから一本北にある道で、どんなに旧軽銀座が人でごった返していても、林間の静かな佇まいを保っており、キリスト教徒ではないが祈りを捧げてきた。久しぶりに行ってみようか。ナビ無しでもすぐにわかる。観光客と思しき人たちが、潮が引くようにまばらになった瞬間があった。礼拝の注意書きや公開時間の看板が無ければ、50年前との違いがわからない。堀辰雄の「風立ちぬ」の終章にこの教会が登場する。林間に忽然と現れた小さな教会のような描写だった。それは昭和10年代。件のレストランでピザとパスタを食す。上手かった。あまりに俗化したならがっかりだが、このロケーションでこの味ならありかなとも思う。奇跡的に人がいなくなった瞬間1970年頃の同所ピザとパスタ デザートにアイスクリーム 美味かった
2025/04/27
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越後から北信濃を走ってきました。仙台→米沢→新潟→小千谷→野沢温泉→小布施→菅平→軽井沢→高崎→宇都宮→仙台新潟:弥彦山に登る野沢温泉:温泉に入る、野沢菜漬けを買う軽井沢:気になっていたイタリアンレストランでピザを食す朧月夜で有名な北信濃の菜の花畑と満開の桜を愛で、たけなわの春を楽しんできました。目的地の野沢温泉までの時間が余ると思い、弥彦山に登る低い山だと思い込み、15分で往復できると見積もったが、標高は600m以上。往復に1時間近くかかり、旅程に間に合わなくなるのではと慌てた野沢温泉大旅館が無いので昔ながらの温泉街が残っている中央やや左 外湯:河原湯 ものすごく熱い山はほとんどがスキー場飯山の千曲川沿いの国道は菜の花と桜に彩られて春を満喫できる。ぼくにとっては最も軽井沢らしいと思える三笠通り60年も前から自転車で、あるいは車でここを疾走するのが好きだった旧軽井沢銀座通り50年前は7月でも、40年前は5月の連休でも数えるばかりの人しかいなかった。車でここを遠い抜けるのは気が引け、わき道から裏道に回った
2025/04/26
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さまざまの事おもひ出す櫻哉 芭蕉
2025/04/12
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大船渡の森林火災、被害面積は2900haなのだそうな。どのくらいの広さか見当の付く人が一体どれくらいいるのだろうか。1ha=100m×100mだから、10,000㎡ 3,025坪 2,900ha=29,000,000㎡=8,772,500坪 これでも良くわからない29,000,000の平方根を求めると、5,385 となり、2,900haは約5,385m×5,385mとなる。これならわかる。一辺約5.4kmの正方形の土地の広さと言うことになる。広さの単位は㎡(平方メートル)、坪、a(アール)、ha(ヘクタール)、㎢(平方キロ)とありすぎる。これに反だとか町歩なんかも加わることだってある。もっとわからないのは東京ドームの面積とか、東京23区の面積を基準にされることだ。面積は正方形の一編の長さで示したらどうなのだろう。東京ドームは46,755㎡、東京23区は622㎢だから、東京ドームは一辺216mの正方形と同じ東京23区は一辺25kmの正方形と同じ正方形とした一辺の長さ、とてもわかりやすいと思うのだが。
2025/04/05
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3・11 今日この日は何かを書かねばならない朝から流れていた特集番組を見ているとき、ふと震災後1年ほどNHKから「ねえ ここにいて」という歌が流れていたことを突然思い出した。その後、復興ソング「花は咲く」に置き換えられたが、私は「ねえ ここにいて」も好きだった探しましたありましたよhttps://www.youtube.com/watch?v=anKE8pHYS1E そう、この曲、福島、宮城、岩手、青森の女子高生の競演ものすごく上手いというわけではないが、清楚で朴訥としていて実に良い。私は、「少しだけ ねえ ここにいて キミに会ったら何を話そう」このフレーズが好きだった。当時の映像もそのままで何とも懐かしい。この映像を見ていると、この14年前を思い出す崩れたのり面に土盛りをして平坦にし、水が湧きだしていた庭を50smも掘り、割れていた水道管を修理した片道にも足りないガソリンで盛岡まで向かった津波で壊滅した海岸に何度も足を運び、その復興を見てきたがんばったなと思う。すべての被災者、そして私も
2025/03/11
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私が震災後に初めて大船渡に入ったのは、2011年の8月だった。山間の国道から一気に視界が開ける沿岸部に下り、中心部と思しきあたりを進むと、次第に津波の被害を目の当たりにするようになる。壁が破壊された鉄鋼作りの建物がわずかに残るだけ、木造の建物は跡形もなく流されていた。街はずれまで来た時、突然大きなショックがあり動けなくなった。左前輪を50cmもの段差のある低地に落とした。道路の安全施設が整備されていない当時は、危険がいっぱいだった。この時の顛末はこちらをご参照ください。https://plaza.rakuten.co.jp/kozoeng/diary/201107250000/これ以降、何度か大船渡を訪ねた。大規模な港湾工事が行われ、大型船も見られるようになった。脱輪した箇所もフェンスで覆われ、すっかり奇麗になった。脱輪しジャッキアップしていた場所は、大船渡湾の西側だった。対岸の山が今燃えている。。
2025/03/01
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電話で自分の名前の漢字を伝えようとすると、一昔前より伝えづらくなっていることに気付いた。昔ならその漢字を使った熟語を言えばすぐに通じた。しかし、現在その熟語自体が死語になっていたり、熟語として知らない人が多く、単一の漢字でも音、訓どちらでもすぐに通じる人も少なくなった。普通だと思っている私や妻の名前でさえこうなのだから、キラキラネームをつけて複雑な当て字を使っている人はどうやって説明するのだろう。とにかく度が過ぎたキラキラネームは後で本人が恥ずかしい思いをしたり、面倒に巻き込まれることは多々あると思う。キラキラネームではないが、有名人と同名なのも困ってしまう。病院などでは氏名で呼ばれることも未だに多く、「ヤマモトフジコさん」では皆一斉に注目してしまった。
2025/02/03
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両親の年忌のため菩提寺参詣、コロナ禍もあり何と6年ぶり。真宗仏光寺派西徳寺 今話題の吉原の西側、酉の市で有名な鳳神社の筋向い。樋口一葉はお寺の裏に住んでいたらしく、「たけくらべ」で周辺を描写している。樋口一葉記念館も近い。こんな大江戸下町の中心のようなところに墓があるのに、なぜ仙台に永住しているのか、今となっては誰にもわからない。本堂 関東大震災で焼失し、1928年再建、最も古い鉄筋コンクリート作りのお堂の一つ。初めから椅子席で、私はここで足が痺れるという経験をしたことが無い。築百年に登録有形文化財に指定されるとか。内部は建設された時期が同じで、両国被服廠跡に建設された東京都慰霊堂を彷彿させる。春らしい花を供えてもらいました。ここから50m程のところに中村勘三郎さんのお墓があり、赤いバラが手向けられていたこともありました。隣のお墓との間に空き地が無いほど狭いが、上野駅からタクシーで2メーター、今となってはものすごい贅沢だと思う。鳳神社酉の市の混雑が想像できないようなこじんまりとした神社達筆すぎて読めないとにかくこの辺りが縁の地吉原弁財天 以前来た時は誰もいなかったが、今はブームなのか、そこそこ賑わっていた関東大震災時の吉原の悲劇は、吉村昭著「関東大震災」(文春文庫)に詳しい関東大震災の火災から逃れた人々が飛び込み、何百人も圧死、溺死した弁天池の片鱗が残っている。当時は大きな池だったが、その後埋め立てられ20年ほど前に来た時は、どこにでもある庭の金魚池になっていた。
2025/01/27
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空路で大阪往復、私が最も好きなコースの一つ大阪行きは日光、前橋・高崎、甲府上空、富士山の北を通り伊勢湾を横断、紀伊半島を北上して伊丹空港に到着する仙台行きは京都、琵琶湖、岐阜、北アルプスを横断、松本の南方から軽井沢上空を通過し、東北に至る見どころ満載、お茶なんか飲んでいられない。三河湾上空左知多半島 中央左にセントレア空港、中京工業地帯の工場群や発電所が見える伊丹空港を出て間もなく京都の町並みが目に入る。ほどなく琵琶湖南方。残念ながら雲が比叡山を隠してしまった岐阜市上空左端に琵琶湖、中央付近関ヶ原。俯瞰してみると関ヶ原はそれほど広くない地域だ御嶽山上空から見ると火山であることは一目瞭然松本平 中央付近に松本空港が見え、地域を特定し易い。右の雲の下が美ヶ原。一面の雪原だった浅間山麓は軽井沢、左上に広がるのは佐久平、遠方に左右に広がるのは善光寺平宮城県角田市上空あの光るのが阿武隈川機はここから太平洋に抜け、機首を西に返して着陸態勢となる
2025/01/15
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あけましておめでとうございます。昨年もこんな与太話にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。ことしもあまり変わり映えしないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。今年は年賀状仕舞いやネットで済まされる方がかなり多くいらっしゃいました。私に言わせると、「こんな面白いこと、何で放棄するの」なのですが、人それぞれ考え方も違うし、もとより年賀状は書かない主義の方もいらっしゃるのでしょう。e-meilやLINEで年賀状をくださった方には同じ方法でお返しするのですが、これがちょっと面倒なのです。一斉配信なら無視しますが、一部分とはいえ私のためにわざわざ特別に書いてくださった方には、その返事をいちいち書かねばなりません。はがきであればPCで写真なりイラストなりを載せ、「謹賀新年」と書けば、後は勝手に量産してくれ、手書きで気の利いたことでも書けば立派に完成です。住所だってPCが全部自動で印刷してくれます。返信を期待していないのですから、これで完結です。やはり何と言っても重みが違うのです。NET配信の方は、来年はもう出さなくて良いかな、と思っています。
2025/01/03
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心筋梗塞で倒れちょうど10年になる。この間加齢による体力低下はあっても、心臓に起因する致命的なトラブルはほとんどなかった。薬漬け医療と揶揄されることがあっても、薬で健康を維持できたことは間違いない。 血管に問題が生じた場合、血液サラサラ薬が処方されると思う。それは大きく分けて二つ、抗血小板薬と抗凝固薬、前者の代表がアスピリン、後者はワーファリンということになるのだろうか。抗血小板薬は動脈系の血栓、抗凝固薬は静脈系の血栓に使うのが基本らしい。 ワーファリンに代わる抗凝固薬として直接経口抗凝固薬(Direct Oral Anti Coagulants、DOAC)というものが最近盛んに使われるようになった。10年前に心筋梗塞になっとき、アスピリンが処方された。その6年後、心房細動を起こしたのを機にDOACの一つであるエルキュースに変更された。ドクターがこちらの方が良いと判断したのならそうなのだろうが、驚いたのは薬価である。アスピリンが一月400円以下であったのに対し、エルキュースは何と25,000円(3割負担で7,600円)程度。命を守るのならこの程度は致し方ないが、この価格差には愕然とする。 いろいろ資料を見ると、エルキュース(等のDOAC:以下同様)は出血が予想される事に対するリスクが他の血液サラサラ薬に比べ低いらしい。たとえば抜歯、他の薬は数日の休薬、あるいはテストを要求しているのに、エルキュースは特に制約がないようだ。今年、前立腺肥大と診断された。薬で緩和できる程度の症状であったが、これ以上内服薬が増えるのを嫌い手術を選択した。手術自体は非常に巧く行き、同時に抗凝固剤の効果を身をもって知ることになる。 理由は聞きそびれたが、普通の人は局部麻酔、抗凝固薬を飲んでいる人は全身麻酔とのこと。手術前日から休薬。手術当日も休薬、手術後わずかであるが尿に血が混じる。手術翌日も休薬で尿の赤みは薄らぎ、普通の色になってきた。手術二日目から投薬再開、するとまた尿は赤ワインを薄めたような色になってきた。その後色は薄くなったり濃くなったりを繰り返しながら、気にならなくなるまで二ヵ月程度要した。もう一つ下半身の話で恐縮ながら、現在痔の症状がある。切羽詰まった状態ではないため真剣に治療をしなかった。しかし、前立腺肥大の手術を受けた際に痔が悪化し、手術当日は思うように体を動かせず自分で処置できなかったため、看護士さんの手を煩わせることになってしまった。治療する順序を間違えたと思った。現在治療中であり、便秘予防のため古典的な部類に入る酸化マグネシウムが処方されている。古典的と言っても心臓や腎臓には負担がかかるらしい。 ならばあっさり切ってしまう覚悟はしていてもドクターは「エリキュースを飲んでいると手術はリスキーだ」と言って、現在は様子を見ている。 ネット情報に寄れば、エリキュースは他の抗凝固薬に比べダメージは少ないようで、それでも手術による出血のリスクは低くない。前立腺や痔のような簡単な手術でさえこのような制約を受ける。大手術であったら少々面倒なことになるのかもしれない。毎日この薬を飲み続けても日常生活で特に不具合は無い。時々薬局で「出血しませんか」と聞かれる。歯を磨いて歯ブラシがちょっと赤くなるとか、鼻をかむと少し赤いものが混じるなんて事は大したことはない。この先大事に至らず命を全うできれば良いのだが。
2024/12/10
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今でも親しくしている大学時代からの友人がいる。その彼の主治医MA先生、、出身地は私が育った地方中都市らしい。お医者さんになるくらいだから私と同じ小中学校の可能性もある。さっそく卒業生名簿を引っ張り出してみると、まさに予想通り、小中とも私の5年先輩であったから小学校では会っているはずだ。 一方、私の小学校中学校で同級だったMO君、家業を引き継いでパン作りを生業にし、批評してほしいと試作のパンを時々送ってく「れる。食レポをFacebookに載せたところ、あそこのパンは美味しかったとMA先生が思い出を載せてくれた。詳しく聞いてみると、MA先生とMO君のお兄さんとは小中学校の同級で割と仲の良い友達だったとのこと。これでMO君のお兄さんとの関係は2ルートできたわけだが、話はそれで終わらなかった。大学の話をすると今度はMO君が驚いた。お兄さんと私は大学同窓ではないかという。同窓会名簿を調べると同大学同学部で私より4年先輩。しかも誰でも知っているマンモス大学ではなく、地方からの入学者はあまり多くない中規模大学。これで三つの関係で私とMO君のお兄さんは繋がってしまった。ここまで来るとなんだかややこしい関係になるので図にしてみた。 図内で私の大学友人I君以外は小中学校の同窓だから、その関係も考慮すると四つの関係で繋がっている。想像以上に世の中は狭いのかもしれない。
2024/12/08
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このところあちこちの食料品店やホームセンターに駄菓子コーナーがある。その中に懐かしき明治マーブルチョコがあった。うれしくなってついつい買ってしまう。近所のドラッグストアのお菓子の棚に、普通にマーブルチョコが置いてあるではないか。それもまた買ってしまう。1961年誕生と書いてある。私が小学生の時。中にシールが入っていた。折から放映された鉄腕アトムのキャラクターでアトム、ウランちゃん、お茶の水博士などのシールが入っていたと思う。チョコレートよりもそのシールが欲しかったのかもしれない。それから十数年、就職試験で"marble"を含む英文の和訳問題が出た。私はちゃんと「大理石」と訳したが、一緒に受験した同級生は「円柱」と訳してしまった。マーブルチョコの連想だったに違いない。まあ、致命的な誤訳ではないと思うが。
2024/12/05
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昨日、あるところにちょっとした申し込みの電話をした。「お名前は?」と聞かれるので、姓だけを名乗ったところ「下の名前もお願いします」ときた。いつの頃からかこういう聞かれ方をすることが多くなった。昔は「下」だなんて言わなかった。一体誰が言い始めたのだろう。姓は上で、名は下なのか、親だか誰だか偉い人がせっかくつけてくれた名なのに、「下」扱いされている。欧米では名はファーストネームで姓のファミリーネームより重く見られているのに、日本では「下」。名前というと姓をさす場合もあるため、名だけを特定する適当な言葉が無い。「下の名前」を聞きたいときは、「フルネームでお名前を教えていただけますか」と言うのが誤解もなく無難だと思うのだが・・・・
2024/11/15
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小学校、中学校の同級でパン作りを生業にしている友人※からパンが送られてきた。以前お土産にいただいたパンの感想を言ったところ、私のことを少しは役立つ奴と思ってくれたようだ。そりゃそうだ、普通貰ったものの悪口を言う人は居ない。「とても美味しかった」というのがデフォルト。しかし、これでは製造者にとって何の参考にもならない。ぼくは粗探しの名人ではあったけれど、美味でケチをつけるような傷はない。甘いの辛いの、硬いの柔らかいの、とちょっと食感を書き送った。というわけで今回もまた大量のパンをいただいてしまった。メロンパンは絶品、こんなに美味いメロンパンにお目にかかったことはない。サブレのような味わい。難しいのがドイツパンだ。あまり食べつけないからどうやって食べれば良いかよくわからないし、とにかく硬いのでそのままでは食べられない。想像力を働かせ、美味しく食べられそうな方法をいくつか試してみる。切ったり、焼いたり、何かにつけたり・・・これは結構楽しい作業だ。ちょっと組み合わせを変えるだけで味わいが微妙に変わる。私の舌はまあまあ肥えていると思うのだが、それほど自信があるわけではない。だから素直な感想を言うようにした。一応科学で飯を食っている者の端くれとして、栄養成分表示は見る。栄養成分表示とパンの名前、味の相関がわからないので尋ねたところ、そういえば名前がミスマッチだとのこと、私の言う事もそれほど見当違いではなさそうだ。こう言う事は栄養学を専攻した同級生の方が得意だと思うけれど、素人の意見でも参考になるなら幸い。※発酵パン工房マルショウ (松本市)
2024/10/28
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満73歳、二人の義理の伯父、恩師、英語を習っていたカナダ人のブラザー、その人たちが亡くなったのが72歳ぼくにとって72歳は一つのハードルのようなものだった。それを越えたからと言って長寿が約束されたわけではないが、いくらか気が楽になった。だから今日はお祝いの日であると同時に、72で亡くなった人たちを弔う鎮魂の日。ぼくらが子供の頃は、七十代の人と言えば安楽椅子で新聞を読んでいるような御隠居さんが主だったと思う。若い頃のように無理はできないが、ぼくは未だ現役、終活なんて考えている間もない。
2024/10/26
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10月、暑くもなく寒くもなく、と書きたいところだが今年は暑かったり寒かったり、体調が狂うのも致し方なし。晴れ渡った日、庭に出るとどこからともなくやってくるスズメバチ、こいつがいるだけで家の中に入りたくなる。図体が大きい分見つけ易く、気付かずに刺されるという可能性は低いが、とにかく目障りだ。少しでも減らそうと毎年トラップを仕掛ける。天気が良いと面白いようにかかる。中に仲間の死体があるのだから、頭の良い動物ならそこで警戒するだろうが、腐りかけた死体の中に飛び込んでくる。トラップを回収するとき、気を付けないと陰に隠れている奴がいる。中に入っても動いている奴がいたら、蓋を開ける前にガス(酸素以外何でもよい)を注入し、窒息して動かなくなるまで待つ。回収した死体、何かに使えないだろうか。佃煮にでもすれば美味いかどうかは知らないが、とにかく毒液を持っている奴、取り扱いは慎重に。さてこれだけ集まるからにはどこかに巣があるに違いない。それをが見つかったからといって全滅させようなんて大それたことは考えない。少なくとも注意して庭に出られるようになり、少しは安心だ。
2024/10/23
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気を付けていたのにクチナシの葉をごっそりやられた犯人はわかっている、オオスカシバだ匂い消しというわけではないが、トイレの窓から見えるところにクチナシを植えただから一日数回は見る雨模様で数日窓を開けず、今日開けてみると葉がほとんどない毎年の事ながら、うっかりするとあっという間に葉が無くなってしまう観察しに行くといましたよ、しかもかなり大きくなって一番安い家庭用の殺虫剤で良い適当に吹きかけると何カ所かの葉が揺れ出すもだえ苦しんでいるところを見れば、さすがに可愛そうだと思うしかし、残念ながら君たちよりクチナシの方が大事なのだ。許しておくれこれがチャドクガやイラガなら「ざまーみろ」と言うところなのだが・・・毎年やられてもクチナシは枯れずに頑張っている。健気なものだ
2024/09/25
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昨年46年ぶりに再会した高校の先生が昔のことをとても懐かしがってくれる。何をしていたか当時の日記を紐解いてみると、なんとまあ遺書の下書きのメモのようなものが出てきた。今書いたらどうなるだろうか。若干の修正はあるかもしれない。戒名は要らない:葬式とセット料金だろうから、要らないというわけには行かないのだろう。今はご住職ともすっかり気心が通じ、私の戒名も考えているようなのでありがたく頂戴しましょう。フォーレのレクイエムを流してほしい:高校の時に知ったレクイエム、その後モーツアルト、ブラームス、ベルディ 等のレクイエムを聞いたが、やはりレクイエムと言えばフォーレ遺品の遺贈先:当時の資産と言えばLPレコード(当時も2,000円、今も2,000円)くらいこのレコードは誰に、これは誰にあげる、相手の好みも考慮しないで決めているから、貰った人は迷惑だろうな。さて実際のところ、資産はいくらか増えた。だからこそ遺書は書かない。遺書による相続で揉めた例も聞いているし、死んだ後のことまで指図するのはどうかと思う。残った人たちの意思に任せたい。さて50年前に書いた遺書は有効か、もし正式に公正証書にしていたなら、一番最後に書いた遺書として今でも有効なのだろう。米国籍の知人は毎年夫婦そろって書き直しているという。一年の間に気持ちが変わったのなら、波風は立たないのかねえ、と思う。
2024/09/15
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一昨日の台風接近、少し強い風、ちょっと多い雨、というだけだった。嵐の中ではかわいそうだと、かみさんと娘が家の周りを徘徊する猫を三匹保護した。保護というのは口実、手懐けたかっただけだ。保護と言っても実態は拉致だ。一番左、最古参の姉さん。このブログに何度か登場している。シバワンコのゴンを見送ってくれた優しい猫チャミ。白は屋根に上って降りられえなくなっているところをチャミに助けられたチビ。昔は小さかったが、今では一番大きく私はブーと呼んでいる。喧嘩っ早いがいつも負けて帰ってくる。一番右は去年の夏ころからこの二匹の間に割り込んできたチョビ小さいくせに気が強く、先輩二匹の食料を強奪しているので、今では一番重い。
2024/08/15
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庭に変な穴が無数開いているのをかみさんが見つけた直径1cmほど、こんな穴、今まで気付いたことが無い何だろう?この節だからセミ? ネットで検索してみればまさしくそれ。凄まじい勢いでセミが鳴いている木立の下を歩いていると、セミが激突してくることもある今年は異常にセミが多い気がする猛暑のためだろうか 卵から孵るのが7年前だとすると、7年後のことを予想できるはずがない不思議だ
2024/08/05
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象潟や雨に西施がねぶの花何とも艶っぽく、芭蕉の句の中では一押し家の合歓の木も淡い紅色の花を咲かせているこれは雨の日に見ても背景に沈んでしまう。やはり快晴の日に見たい午後5時30分撮影、葉が閉じかかっている葉に触ると葉が閉じてしまうと思っている方が多いようだ。それはオジギソウ、どちらも同じマメ科ネムノキ亜科だが、ネムノキ族とオジギソウ族の違いがある。まあかなり近い親戚だ。
2024/07/08
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有朋自遠方来、不亦楽乎就職したころの友人が千葉より訪ねてくれた。こんな時、希望しようとしまいと案内先は松島に決めている。家から片道1時間弱あまりに天気が良いので昼食は海鮮から予定変更ホテル松島大観荘 7Fのレストランへ予約せず、11:50に着いたが窓際の席に通された松島で一番眺望が良いのではないかと思う行き交う船を見ているだけで楽しい左 瑞巌寺のある松島の町並み 正面 福浦島ランチ 昼食はこの程度の量でちょうど良い
2024/06/17
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米国にいる先輩の帰国に合わせ、前学園長が我々をランチに招待してくださった。指定された場所は六本木の国際文化会館https://ihj.global/中央線の南側、特に赤坂、六本木界隈には疎く、非文化人の私は国際文化会館なんて聞いたこともなかった。 旧岩崎小弥太邸だった敷地に1955年、前川國男、坂倉準三、吉村順三の巨匠三氏の共同設計により本館が完成し、現在は登録有形文化財になっているという。何とも敷居が高くタクシーの運転手さんも門の中まで入って良いのか躊躇していたが、何のことは無い、普通の人でも自由に入れる。 ここは穴場かもしれない。レストランも喫茶も混んでいない。立派な日本庭園があり、それを眺めながらおいしい食事を堪能できる。ここの会員になると割引料金で施設を利用できるようだが、それはやはりちょっと敷居が高い。一般人としてもここを利用しただけでも、ちょっと文化人になったような気になる。
2024/05/17
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新聞の投書欄に小学校の先生が書いた面白い記事があった子供に「今何時?」ときいたら、「3時10分前です」しばらくして他の時計を見たら時間の経過が早すぎる。先ほどの子供に「3時10分前って正確には何時?」「3時9分くらい」他の子供たちにも聞いてみた。3時10分少し前と思っていることもがいっぱいついてに先生方にも聞いてみた50歳以上の先生は全員2時50分と言うらしいが、それ以下の先生の中には子供たちと同じ答えも何人かいたそうな試しに家の子供たち(30代)に聞いてみると、2時50分と言えた私自身子供の頃は5分前、10分前、15分前 というような言い方をしていたが最近そんなふうには言わないことに気付いた。昔はアナログ時計で、ほとんどの時計は多少の誤差があったものだ。ところが最近はデジタル時計で、狂いもほとんどない。だから5分刻みではなく分刻みで時刻を言うようになったこんなことから、アバウトな何分前というような言い方をしなくなったのだと思う中一で英語を習い始めた時、10 to 3 とか、past と習った。ところが実際は two fifty が普通のようだ。道具や社会によって言い方が変わる、少し寂しいがそれはそれで良いのだろう。
2024/05/05
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快晴の連休、どこにも行く予定がない関東に住んでいたころ、もう50年も昔のことだが、連休に郊外に出かけるととんでもない目に合った。軽井沢の帰りは大渋滞、高速道路もない時代、下道は延々と車列が続く。箱根に合宿で行ったときは、帰り強羅あたりで路線バスが動かなくなった。運転手さんが、急ぐ方は降りて登山電車に乗ってくれという。どこへ行っても混んでいた。それが嫌で地方都市に終の棲家を構えたのだが、ここ仙台だって同じようなものだ。松島は動かない、みちのく湖畔公園方面はいつもなら20分のところ1時間かかる。こんな時はどこへも行かず、家のTVや交通情報で渋滞状況を高所の見物をしているに限る。平日も休日もない自営業だが、仕事をしなくても後ろ指さされずのんびり過ごせるのは事実。のんびりと言っても基礎疾患のある身では、病院が休みというのが気になる。保険の一つが外れたようで、無茶な生活は控えなければならない。
2024/05/03
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去年の桜開花は記録的な早さだったそれに比べてもことしはちょっと変だったまず、ソメイヨシノの開花が去年より5日は遅かった。しかし、その他の桜は例年通りか?すると珍しいことが起こった。ソメイヨシノとシダレザクラがほぼ同時に咲き誇った。例年にない豪華さだった。道行く人がみな写真を撮ってゆく。これだけにするのにどれほどの手間がかかっているかわかるのかなあ。東京では大木に対し緑化協力金?が出るらしい。いくら田舎とはいえ、維持の手間、コストがなくなるわけではない。南斜面の北側に自宅があり、家から眺めるより道路から眺めた方が迫力がある。桜は自分の家には植えてはいけない。他人の庭の桜を見て楽しむべしとにかく桜が咲くと幸せな気分になる。生きていてよかったとつくづく思う上 ソメイヨシノ、下 シダレザクラ 撮影4月15日シダレザクラは大木のように見えるが、川の方に枝垂れている分得をしていて、人がぶつからない高さで枝を切ったら大したことは無い。左下 カスミザクラ 苗を買ったわけではないから鳥が種を落としていったのだろうこれもなかなか良い感じ花筵雨が吹かず、強風が吹くとこうはならない。楽しめるのはせいぜい数日。花弁が茶色になって、へばりつきやがて朽ちて行く
2024/04/22
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年齢とともに頻尿になり勢いも無くなってきた。かといって切羽詰まった症状というわけでもない。蜂に刺され皮膚科に行き、ついでに泌尿器の方も見てもらった。この時は肛門から指を突っ込み、触診で前立腺肥大症と診断された。薬で流量は増したが、エコー検査で残尿が多いという。0にならなければならないのに、100ccもあるらしい。そこでちょっと大きな病院を紹介され、膀胱検査のために膀胱内圧測定を受けることになった。その時に渡された案内文章がこれ、 なんだか怖い検査のようだ。尿道と肛門からカテーテルを入れ、圧力を測定するらしい。よくわからず調べまわったところ、下記のサイトが一番わかりやすいと思う。https://www.kango-roo.com/learning/1916/シニアになっても恥ずかしくないわけがないし、痛いのなら覚悟しなければならない。どのサイトも医療者が書いたもので、心配ないと言うばかり。患者の立場で書かれた体験記が全く見つからない。仕方ない、一肌脱いで私が書くか。検査予約は13:30から。排便を済ませて来いと説明書に書かれている。念のため9:00に浣腸をかけ、空にしておいた。そこまでしなくても当日排便があればそれで良いようだ。検査担当は女性の看護師さん二人、一人は30代の手慣れた感じの方、もう一人は助手か見学か不明。検査室に入ると、ズボンとパンツを脱ぎ、検査用のパンツに履き替える。前と後ろに大きな穴が開き、履かないのとあまり変わりないような気がする。始めにベッド上で仰向けに寝る。この状態で尿道にカテーテルを通す。触られているのはわかる。何をしているか頭をもたげれば見えるのだが、見ないで力を抜いていた方が無難なようだ。尿道を通すとき、時々ウッと声を出したくなるような痛みはあるが、瞬間的に数回あるだけ。想像したほどではなく、膀胱まで通ると異物感はあるものの痛くはない。次に椅子に手をつき、お尻を突き出して肛門からセンサを入れる。たいへんな格好だが、これはどうということはない。尿道が蜂に刺された程度とすれば、蚊に刺された程度の違いがある。二本の管がつながると洋式便器のようなものに座らされる。チューブと電極を繋ぎ、測定開始となる。生理食塩水500cc?のパックからはチューブポンプを介し、食塩水を膀胱へ送り込む、流量は毎分50cc程度ではないかと思う。尿意を感じた時と、そろそろ限界の時に知らせるように言われ、心を無にしポンプと食塩水パックを見つめている。尿意はほどなく感じた。しかし限界というのがよくわからない。頑張ればいくらでも溜められそうな気がするが、いつもの畜尿量から考え250cc程度入ったと思われるところで止めてもらった。その後、排出する圧力と流量を調べていたようだ。「残った尿を出してください」と言われ、チューブが入っているのでどうするのかと聞くと間から流れて行くという。しかし、異物がある状態で、看護師さんが観察しているときに出るわけがない。凝視しているわけではないが、横目でちらちら見ているのは百も承知。時間はかかったが、何とか排出できた。検査はこれで終わり、看護師さんがチューブや電極を外してくれる。尿道カテーテルを抜くときは入れるときに比べ、半分以下の痛さで抜けた。チューブを尿道近くに固定していたテープは自分で外せという。しかしこの粘着力が強力で、体のデリケートな部分に張り付けたため自分で外しても結構痛かった。このテープに血のようなものが付いているし、便器にもほんの僅か桜色がかったおしっこが溜まっている。看護師さんに皆こうなるのか聞くと、「なる人も居ますよ」と軽く答える。大したことではないのかもしれない。着替えて感染予防のため抗生剤を一錠飲んで終わり。案外簡単に終わってしまった。人はどう思うかわからないが、私にとっては胃内視鏡を飲むより簡単だったような気がする。血尿と感染症予防のためいつもよりたくさん水を飲み、おしっこを出せという。また、尿道の違和感は二三日あるかもしれないが、すぐに治ると説明書に書かれている。終了後30分ほどで血尿を心配しつつトイレに行ったが、きれいな尿で安心した。2時間後には違和感も無くなっていた。結果膀胱は十分弾力があるから問題ない。前立腺肥大も大したことはないが、残尿が多いのは肥大した前立腺の形が悪いのではないかと先生の診断。どうしますかと問われ、尿閉だけは避けたいしこれ以上内服薬が増えるのも抵抗がある。数秒考えたが、手術する方向でお願いすることにした。最短6月、心の準備があるので7月ということで調整してもらう。心配するほど痛くない検査だということはわかった。この年になると恥じらいなんてものはほぼ無いから、特別恥ずかしいとも思わないが若い人なら相当抵抗がある検査だと思う。この恥ずかしさを軽減するため、男の患者なら男性の医師か看護師、女性なら女性の看護師が検査をするとうたっている病院もある。しかし、どうなのだろう。男性同士なら一層恥ずかしいような気もする。この先はご自分で判断してほしい。
2024/03/27
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またあの3月が巡ってきた。あれから13年、毎年惨状の痕跡は薄まって行く。気付かないところも多くなった。多くの人にとっても特に悲しいところ、石巻市大川小学校。今年はどうしようかと思ったが、やはり足が向いてしまった。校舎の周りはすっかり奇麗になり、整然となった。こうなるとかえって校舎の惨状が際立つ。矢印部に津波到達点を示す白いプレートがある。学校の裏にあるこの斜面、入園前の子供でも簡単に登れる傾斜と高さだ。残念で仕方ない。決断のできない人に、判断は任せられない。
2024/03/19
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ワンコがいなくなってからというもの、確かに寂しくなった。私の今の年齢を考えると、次に子犬を買ったらどっちが先か? ということになりかねない。家の周りをほっつき歩いている、いわゆる地域ネコを手懐けられないものか。家の周辺を縄張りにしているような奴が三匹いる。最初に来た白黒がお姉ちゃんらしく、家の女性方はチャミと名付けたその弟分のようなグレーの縞にはチビと名付けた。今ではぶくぶく太って私はデブと読んでいる。この二匹は家の周りを徘徊していたが、しょせん野良猫で家には侵入してこなかった(ただし、ワンコが家にいたときは恐る恐る敷居を跨いでいた)去年の夏あたりから白黒の子猫が先輩二匹の間に割った入ってきた。こいつはかなり図々しく、先輩二匹がうるさがっていたのにどこまでもついてきた。家に入ってこないかとエサで釣ると、恐る恐る入ってきた。それを捕まえ、怖くないことを教えると躊躇なく家に入ってくるようになった。帰り道を塞いでから、家の中で夜明かしをするようになり、今では何をしてもされるがまま、こうなってくると責任が生じるから、仕方ない、正式に飼ってやるかそれでこいつの名前はチョビだそうな。口の周りの黒い毛が泥棒さんみたいで可愛くないリラックスするとこの格好で眠る
2024/03/03
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水曜に帯状疱疹ワクチン接種を受けたその日、倦怠感、熱感翌木曜日 倦怠感、睡魔、若干の発熱(平熱より1度ほど高い)、接種した腕の酷い痛み金曜日 倦怠感続く 接種した腕は未だ痛く、体の下にして眠れない土曜日 軽い倦怠感、腕を押すとかなり痛い日曜日 接種部分を押すとちょっと痛いこれでほぼ終わりだが、コロナワクチンの接種よりはるかに副反応は大きかった二か月後、二度目のワクチン接種、費用は合わせて44,000円昨今帯状疱疹にかかる人が多く、あの痛さを思えばその程度の費用は安いものだという真偽は罹ったことがないのでわからないかみさんは同じ日に肺炎球菌のワクチン接種をした私より腕の痛みはひどいらしく、眠れないほどだそうな4日たった日曜、いくらか痛みは和らいできたと言う人の痛みはわからない私が肺炎球菌のワクチン接種をしたときは、翌日ちょっと熱っぽく、腕が少し痛いだけで特に問題になるような副反応は無かった人によってずいぶん違うものだ
2024/02/19
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1月11日に今年の年賀状「ロウバイに雪」を公開この賀状は割と評判が良かった調子に乗りまた同じような写真を狙っていたところ、25日にようやく積雪があった考えてみれば当然ながら、雪の日は寒い。寒い日に外に出て写真なんて撮る気になれない日が差し、ようやく温度が上がった午後になって外に出てみると、なんとほとんどの雪は解けてしまっていた残念!今の節、花はロウバイだけ目を楽しませてくれる。その上香だってなかなか良い12月から咲くこともあるが、今年は1月になってからだったイヌフグリが咲くようになれば春を確信するのだが、まだまだ「春は名のみの・・・・♪」
2024/01/31
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