真理を求めて
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最近の日記で「暗い」という言葉がたくさん出てきて、気になった人もいるかもしれないけれど、これはちょっと皮肉を込めて連発したところもある。世間ではどうも暗いというのをマイナスイメージでとらえているようなところがあるから、そんなことはないという想いを伝えたいのと、自分は暗いんじゃないかと思って気持ちが沈んでいる人がいたらエールを送って応援したい気持ちがあったのでちょっとこだわって何度も書いてしまった。明るい人は、愛されて応援されるのは簡単だから、わざわざ僕が元気づける必要もないからね。僕は、どっちかというと誰も応援しないような人を応援したくなっちゃんだ。この歌も、明るいか暗いかをイメージすれば、暗い方に近くなりそうだな。心がうきうきするような歌じゃないからね。でも、かなり古い歌だと思うけれどこれはよく覚えている。<うたまっぷ>で歌詞も検索出来るから、きっと印象に残っている人も多いだろう。海の底というのは、非現実・非日常の世界というイメージが浮かんでくる。どこの誰かも知らないうちに想いだけが募ってくるんだから、どこかに一目惚れしちゃったんだろうと思うけれど、やさしい瞳が特に印象を残したんだ。言葉がなくても、瞳は何かを伝えてくれるのかもしれないね。「私たちの行方は誰も知らない」という歌詞は、ちょっと悲しい雰囲気も持っている。あまり祝福されない恋なのかなとも感じたりする。そこが、明るさよりも暗さを少し感じるところかな。穏やかなメロディーが、この悲しさを微妙に感じさせてくれる。人魚のような人という言葉もあるけれど、これはどんなイメージだろう。人魚といえば、アンデルセンの「人魚姫」も、小川未明の「赤いローソクと人魚」も、ともに悲しい物語だ。優しい心を持ちながらも、最後ははかなく消えてしまう。やがて消えてしまうかもしれない、悲しみの人というイメージだろうか。それとも、単純に可愛い人と受け取ればいいのかな。最後の歌詞だけ引用しよう。 私達が逢ったのは静かな海の底 緩やかに燃えてゆく私達の愛 (作詞 尾崎 きよみ)激しく燃える愛は、やがて燃え尽きて消えてしまいそうな感じがするけれど、「緩やか」な愛ならいつまでも燃え続けることが出来そうだ。緩やかではあるけれど、海の底で燃えるんだから、水の中でも消えたりはしないけっこう力強い愛なんだなと思う。今度の日曜日(16日)の午後に、上野界隈へ来られそうな人は、フォークソングが好きな人なら、ちょっとフォークソング談義でもしていきませんか。そんな気持ちになった人がいたら、メール機能でも使ってご一報ください。
2003.02.10
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