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年末に冷蔵庫を徹底的に掃除した。特に冷凍室で何年も眠っていた魚や野菜屑など、掃除というのはやはり捨てることになるらしくて、分類とは違う。結局はなにも残らなくて、まあ、その状態がかろうじて今も続いていて、出来るだけ余分なものは買わないようにしているのだけれど、なにか寂しい。妻が突然逝ったときは、激しいいたみのようなものを感じたが、その事に関しての一通りのことをなんとかこなしているうちに、夏でずっと青い空が続いていたのだが、なにかそのいたみも減殺されていったのだが、夏の終わり頃から、妻の買い置きしていた調味料とか粉石けんとかの生活必需品がどんどんなくなり、補充していた頃のような、からっぽに近い気持ちだ。 過ぎた時間や失せた変容したりした風景や、あるいは経験はしなかった祖父母のいた時間などを想起する仕組みなど、すべてを言葉で表現しつくせないものをため込んでいる心というものは、この手の掃除(捨てるということ)などは出来ないのだから、時々分類するしかの生理しかないのだろう(忘れたものというのも、きっと心の中ではひとつの分類に値するものだろう) 水 御幣 水脈 長く続いた村が子どもに仕掛けた罠 地下動物園 鵺の鳴く夜中の小学校地下道 地下鉄のトンネル 前世には北欧の石工だった男 地の磁力 閉じない円環 もう二十匹ほどの猫に関わっているミニ豚に横顔をみつめられながら夕食の支度 樹齢千年の杉 ザド ホイド
2007年01月24日
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正月以来、なんというかのんびりとしていて、朝なんかも、仕事のために二年前から持ってはいる携帯電話が六時に鳴るのだが、いったん切ってまた寝てしまう。それでも胎内時計のようなものは働いていて、ほぼ四十分頃にはしっかりと目をさまし床を離れる。こうなると、出勤までにやる事がつまってくるのだがどこかで手抜きするのだろう、近頃は六時にぴったりと起きていた頃よりのんびりとした気分になれるのだ。でも動物には堪らないらしい。寝ている部屋と、間に八畳間を挟んでの居間に犬を繋いでいる。居間と中の間はしきりがないし、寝ている部屋は猫の出入りのために襖を開けてある。携帯電話が鳴って、慌てて起きだしとめてまた布団いもぐり込むおれを見ているのだから犬もたまったものではない。しかし、よくしたもので二度寝(?)の癖がつきはじめた頃はしきりに吠えていたが、もうあきらめたらしい。居間からトイレや風呂に行く短い廊下に平行して、壁を隔てて戸口に向かう廊下がある。階段下のもの入れる部屋の半分を寝場所にして、戸口に向かう部分を板囲いしているミニ豚は別格で、携帯の音などには動ぜず、湯たんぽと抱え襤褸切れをすっぽりと被った前夜の体勢のままひたすら惰眠を貪っている。そのかわり、おれが勝手に入りどんな些細な音でも立てると牙の辺りに襤褸切れを引っ掛けたまま柵板に前足をかけてしきりに餌をせがむ。柵はホームセンターで買った一センチほどの厚みの板で、そこに体重をかける。心配なのは二つに割れているひずめなのだが、器用ににせている、たまにタイミングが合わずにすべり落ちる事もあるのだが。 ま、そんなところから一日は始まるわけで、それを近頃のようにのんびりとした気分で始められるのは悪い事ではない(実際は出勤時間までの間、動物の世話やら簡単な掃除などビデオで記録し、後で観察すればかなりハードな動きをしていると思うのだが。そんなのも風景といえるのかもしれない、しかし、こちらの方は、おれが死ねばそこでぷっつりと途絶える、いや消える。残った動物や、処分にも困るガラクタの中、そう、家の中にはというよりも、家はそんな風景を記憶するのかもしれないが、いつかは壊れるし消滅する。それから、その記憶というか風景のようなものはどうなるのかと考えると、家の周辺の光や雑草の生命力などに吸収されていくのかもしれない。そんな事を追っていくと閉じる事ない円環をなぞっているようで解決がつかないから輪廻のようなことを考えるのだろう。 そんな概念というか宗教的に収斂される以前の知覚で、風景や記憶のようなものを考えたいとも書いてみたいとも思うのだが。 仕事もからんで、旧市街地部を通す道路計画の騒ぎの渦中にある。宿場町として栄えたまちは、経済的には沈下しているものの、それなりの時間の蓄積は感じるし、心象のシンボルというか、古い蔵造りの商家なども少しだが残っている。反対の声は多いし、立場など離れて思えば、商店街の活性化・広域交通アクセスの確保・防災とかのメッキ塗りのような大儀をかざしてやるような事業なのかしらと思う。道路はまちの、なんというか基幹で額縁ののような」ものだから、作って三十年もすればそれなりに沿道の新しい物語ができて、まちは更新する。その頃には、誰も今の騒動を思い出しもしないし、もしかしたら、また新しい計画が持ち上がっているかもしれない、そなことが際限なく。経済が発展するし、発展することがいい事だというのだから、これは避けられない。昔の面影とみどりとか、まちの原点とかいっている人たちも、こうした土地の継続した時間や風景などをずたずたにした他の広い道路を必要以上に立派な車で走ったり、新しいまちで、今ふうの出逢いや悩みを抱えて暮らしている。おれもそれに近いというか、外見の生活ではほとんど区別がつかないのだが。 ただ、ここで考えてみたいのは、形のなくなったまちの記憶や風景というものなのだが。新しいまちの、新しいシンボル的なものに、その記憶や風景が宿るといったオカルト的なものではなくて、それを喚起する作用のようなものを考えてみたいのだ。 新しいまちに来て、ここの空気や光や土地の呼吸具合は、なにか自分の深いところで感じたことがあると思わせるようなまち、はとてもいい。そんな事をしきりに言ってみたりしたことがある。最初は(今も心情的にh)、家を建替えするとき、古い家の一部を組み入れるとか、昔の道の曲がりを、そのまま新たなまちに組み込むとか。 しかし、このごろ考えているのは少し違う。時間の持て余した休日に、あまり詳細なイメージもないままに日曜大工を始める、いやしているようなものに近い、心象の際限や継続のようなものがあるんじゃないかという事だ。材料は目につくもので使えそうなものはなんでも使うし、作っている時間になんの意義もなく、きっと、完成しても百パーセントは満足しなくて、一年もたてば捨てられてしまうようなもの、あるいは行為。でも、しっかりと心層に刻み付けられるというもの。そんな、場というより、やはり行為の中にしか時間や風景のようなものは継続しないのではないかと。
2007年01月24日
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土・日は久しぶりに朝晩の動物の散歩と、少し畑を耕して食料を仕入れただけで家にいた。掃除もいい加減で、というよりあまり散らかっていないせいもあって、ずっとアリステア・マクラウドの「彼方なる歌に耳を澄ませよ」を読んだ、読みごたえがあった。一年半ほど前に若い友人のS君に教えられて「冬の犬」と短編集を読んでいた。寡作で、この長編も後書きによると、メモ用紙を持って生まれた島の廃屋で書き始めて、13年間も費やしたという。以前の二冊から容易に想像できる作品で、今回は中野美津子訳のすばらしさに感心しながら、構想は単純ながら「遠い彼方の声」をずっとB・G・Mのように感じながら堪能した。ここで、その作品の内容を披瀝したりするつもりなどはないが、日ごろ頭にかかっていr靄のような屁理屈なんか吹き飛んで、とにかく満足した。おれは影響を受けやすいものだから、この半年の迷いなどには蓋をしてマクラウドの作品だけを二ヶ月も読み続ければ、きっと気持的には物語の活力のようなものが蓄積するような気がする。文句なしに感動したし、あの充足感は他のものでは得られそうにはないのだから、それはきっと人間にとっては、というよりおれにとっては美しいものなのだ。 13年間、小説というものを書きながら思考し続けるのと(それも構成は出来るだけ単純な形で)、小説という形式をいつも念頭におきながら思考するのとでは、どこがどう変わってしまうのだろうかなどと、ぼんやりと考えてみた。マクラウドほど、厳密にある意味では純粋にでなくとも、散歩していて突然に思いついた出来るだけ単純な構成にのっとり、毎日八百字ほど書き続ける。仕事をしたり、テレビを観て考えたり、動物の餌が適量かどうか心配したり、それから食事の支度や掃除などをしながら。1週間分をまとめて、NO1とし、月曜日からまた同じように過ごして、週末にNO"と記す。悩むのではなく、食事をするように、風景に触れるように書いていれば、少しは美しいものとしてまとまるのではないかなどと思ったりする。そうして継続していく13年間というのは、七十一になるまでの時間であり、そんなに悠長に構えられるかという気持にもなるのだが、あくせくしても、しなくても時間は過ぎるわけで、継続した思考が、もしかして記憶にない記憶を掘り起こしてくれたりしたならば、きっと倍以上の時間の量を感じる事ができるのかもしれない。 これは、長編を意識してのことだが、このことを、例えば13年間を13分割して、それをまた12分割して短編の思考ですというわけにはいかないし、なによりも土・日の読書の影響がつよいので、今は借りた本だがクロード・レヴイ=sトロースの野生の思考を拾い読みしているのだが。
2007年01月23日
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娘が「小説家業」などというたいそうなステージを用意してくれたので、今はそれにノッてみようかと素直に思う。稼業などとというと、なにかその事で金を稼いで、己はもとより一家の糊口を凌ぐとかの、昔に流行った人生劇場などをつい口ずさんでしまいそうになるのだが。おれの場合は決してそんな事ではなく、上京後の五・六年は何かと足踏みはしたものの、今は勤続三十余年の全うな勤め人である。かといって自負しているわけでもなく、いつもその間には小説というものを真剣に考えていて、いくつかの習作にも挑んだりしながら、ここに来て、純文学はどうの小説の未来はどうだこうだの時勢に毒されたわけではないのだが、どうやら昨年夏頃からいろんなものが崩れてきているらしいのだ。 それは、小説とはこうあるべきだなどと実作もないくせにうじうじと考えていた頃に比べてなのだから、何も問題はないのだが、どうにも物語的に組み立て考える事が嘘っぽく感じられるようになってしまったのだ。だからといって、脈絡もないことをだらだら書いたものを、誰が読む気niなるだろう、なんて事を考えると、ああ、以前の通りしっかりと設計を熟成して書いた方が楽で、他人にも説明しやすくていいな、などどと安易に走りかける。 不思議なもので、おれの中で確かに何かが崩れてしまったと思うようになってから、以前なら毛嫌いまではしないものの、あまり時間を割こうとはしなかった大河ドラマや小津安二郎の映画や寅さんを観たりする事が多くなった。このあたりの変化については、また別な機会に考えてみたいと思う。 昨日書き込んで、登録されなかったものだが、何か毀れてきた、小説ってなんなのだと考えるようになった時期に、急に五十肩になった。その辺りを時系列に並べてみると、一昨年の年末休暇にパソコンで一気に百枚ばかりの小説を書いたのだが、フロッp-への登録の仕方が悪かったというか、とにかく印刷されなくて文学界への応募を見送った。昨年前半はこの習作のことばかり考えていたのだが、手書きで再現しょうとしてもなkなか進まなかった。理由は簡単で、たぶん書き込んだ文章と自分の距離がなくて、一通りはパソコンで短日とはいえ仕上げたのだが、仕上げた気になっていただけで、二月・三月と悶々し、何かパソコンで書く以前の状態より悪くなったような気がする。そうなれば病気みたいなもので何とか辻褄を合わせるように(またパソコンで)書き上げ、文学界に応募したのが六月。 その頃に、小島信夫の「逆光」を読んだり、おれの唯一のもの書き仲間のS君に勧められて保阪和志の「その人の閾」なんてものを呼んでいたら、えらく納得できたのだ。その半年前に村上春樹の「海辺のカフカ」や「東京物語」を読んだりしたのだが、どうも、根源的に違うのである。 小島信夫は森敦の弟子か友人で、森敦の作品も読んだが、どうもそれとも違う。この辺りからおれの混乱は始まって(もちろん、それまでは村上春樹などには心服していた)、九月に北日本文学新人賞に応募した作品は手書きで、内容など組み立てずに一行ずつ実に新鮮な気分で仕上げたのだが、たぶん満足度に反比例して小説(?)にはなっていなかった。 九月末に突然左肩から上腕にかけて疼痛が走るようになり、尻や脛の肉などの削げ具合などが気になりだしたのもその頃からだ。 我慢ができなくて近くの整骨院に駆け込んで、茶髪の青年にマッサージやら電気治療などを二度ほどやってもらったが、肩甲骨が磨り減っているとかでどうしょうもないとの事。あとは、自分で運動を心がけ、磨り減った骨に合う筋肉をつけるだけだという。普段はなんともないのだが、わづかな腕のひねりなどで疼痛が走るし、なによりも首から肩にかけて凝りというのをはじめて知った。青年のアドバイスを守って夜寝る時には左肩甲骨にクッションを当てるのだが、痛くて何度も目が覚める。 元来は骨が太くて丈夫な方で、青年期には並み以上の運動もしていたから筋肉質である。それが六年前(短日で四キロほど痩せた)に事があって、二キロほどは回復したのだがだんだんといけなくなってきたようである、それが精神のというか内部の毀れに拍車をかけていたようだ。 十二月の発表では、一次予選さえ通らぬ惨憺たる結果で(一昨年の北日本文学賞は三次予選までいったのだが)、おまけに風邪をこじらして年末は一行も書かないで過ごしたのだ。 一週間ほど前の朝方の夢なので定かではないのだが、どうも昔住んでいた土地の地形というものではなく、たとえば小川の一部分は鮮明に思い出す事ができるが、それがどこから、どう流れていたかというと憶えてはいないのだ。道にしてもそうだ、おれの育った家のある村は後で聞いたら区画整理のような事をやったらしい。一面が田なのだから、どんな文字を当てるのかは知らないが、ホボ整理と逝った父に教えられたことがある。それが、記憶では小学生の低学年の頃で、今時の土木工事のようにブルドーザーなどはなくて、せいぜいトラックで土砂を運んだり(そのトラックの記憶もないのだが)道普請の延長のように、めいめいの畦を築き直して、新しい道をつけただけではなかったか。整理前の道や田んぼの曲がりや、小川のたまりや、流れをせき※この続きは二度かいたが、登録はされなかったようです。なにせ、まとまった時間の確保が難しい事と、自分専用のパソコンがない、よく操作が分からない、こういった要因が輻輳しているのですが、とにかくがむしゃらにでも続けてみるつもり。 流れをせき止めて小魚捕りをしている姿は思い浮かぶのだが、全体の記憶の風景となるとなんとも覚束ない。十八で上京し五十七になる。子どもも育ち両親も逝ってしまうと帰省する機会も少なくなる。記憶力はいいと思ってはいたものの、ここにくると、はなはだ心もとなく、それを年齢のせいにすることもあつたが、なにか少し違うようなのだ。 夢の話にもどすが、おれは、南向きの四畳半に寝ていて、狭いところに、戸板ほどの一枚板を机がわりに置いて家、マッサージ機などもある。もとは義母の部屋で、六年前に妻が逝った後、西側の壁を括りぬいて御霊舎を祀ってある。義母はあの時以来、頭が壊れていまは市内の施設に入っていて、なんとなくおれの居場所になったのだが。だから、鴨居には妻や義父や両親の遺影もあって、御霊舎とはいっても、心情的には神仏混交で榊はもちろん線香も毎朝備えたりしている。そんな部屋で朝方、この半年の間に慢性化した肩の痛みに目覚めて、そんな時にはそれまで布団の上でめているモモが、枕元からかならずもぐりこんで来る。その朝も同じで、いつもは身体をぐりぐり動かしたり、寝返りを打ったりしてまた寝入るのだが、モモの高齢でしんなりとした冷たい毛と生臭い口臭がいつになく気になったか、すんなりと二度寝に入れずに悶々としていた。だから、たぶん夢というより覚醒しかかっての幻覚だったのだろうが、ぼんやり妻の遺影をながめていたら、生後十ヶ月から六歳まで過ごした伯母の家の前の道(農道)を思い出して、そこにあった栗か柿の木は憶えてはいないが、それを含めておぼろではあるが断片的風景が蘇った。いちいち頭の中では、これはあれはと思いはしていたのだが、なんのまとまった思考もないまま、その周辺の風景を再構築しょうとするのだがうまく像というか、物語となって完結しないのである。いま考えれば理由は簡単で、伯母には四人の子どがいて、従兄姉達とはずっと年の離れたおれの面倒を見てくれたわけで、近いとはいえ小学校に上がるとおれは実家にもどり、伯母が子育てから開放された頃には上京してた。伯母が逝ったのは、上京してすぐだったから物語をしてもらう機会が少なかった。 それでも、昔は従兄姉達と会う機会がおおかったから、それなりの物語は聞いていた。その朝もそんな断片的なものから湧きでた記憶なのだろう。 物語と唐突に書いたが、今の時間と向き合うように、記憶に向き合うにはそれなりのリアリテイというか、おかしな表現だがエネルギーやオーラのようなものが欠かせないような気がする。記憶などというものはあっても邪魔にはならないけれど、なくとも現前の過ごし方には支障ないわけで、頭の中だけで再現した仕舞い込んだりしているというのは、どうも違うような気がするのだ。それは、同じ土地で一生を過ごす人にもいえるわけで、土地を離れた人と比較すると、記憶の確認というか語る(思い出す)機会が多いから記憶も蓄積するのだろうと思う。だから、人と人の話には思い出話が多いのはそのせいで、いろんな席で耳を傾けているとその事がよく分かる。近未来の話や思考にしても、今度の日曜日にはどうするとか、帰りにいつもの豆腐屋によるとか、かなりの部分がそういったことで占められているのが、いまという事ではないだろうか。だから、大人が子どもに小さい頃のことをくどいほど語ったり、法事なども欠かさずやるというのはとても大事なことなのだ。
2007年01月16日
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間違いがなければ、というのは、年末・正月と過ごしてみればなんとなく忙しかったので、先日ジュンク堂でいっぱい本を買って、枕元や風呂場において乱読しているのだけど。もちろん、ジュンク堂の珈琲サービス券を貰った(こんなに一度に買うのは年に何度もないし、そのほとんどが文庫本) 吉本隆明に糸井重正が聞いた話をまとめている中に「HP上では、送り手川には決定稿という概念はない」とあるのに、そうだ、そうだとやたらに感心し、再度このブログなるものに挑戦したのが昨日。ところが、今日ひらいて見ると、なにもかきこまれてはいないのだ。 愚痴になるかもしれないが、仕事・家事・動物の世話・時々は町会の用事。それでなくとも、たぶんに多動症爺のところがあるので、なかなかまとまった時間などはとれない。プログというものは、少し書いて、日をさかのぼって書き直しやら出来ないのかなと悩んでしまいました。それにしても、画面にはいろんな編集機能がちぃていて、なにやら根源的な、哲学のようなものを無視して始めたのだから、ひたすら書き込んで、いつの間にかそれなりになっていた、という奇跡を待つよう思いで、進めてみようと考えています。 年に二作ほど、小説のようなものを書くわけですが、いつも予定のとおり進まなくて、あげくにパソコンを使うと、作業ムードがいいというか内容はとにかく文字を打ち込んでいる間は大変気分が高揚するのだが、印刷して直す、それを際限なく繰り返すことになる。推敲などというのは形だけのことで、いつまでも達成感がなく脱稿しても書き終えたという満足感が訪れない。それどころか、文章がというより言葉が頭の中で分解してしまい、また書き出す前のどろどろとした状況になっている。こんなのは創作でも何でもなく、それでも、寸暇を惜しんで休むことなくパソコンに立ち向かっていれば、なにかにはなるのだろうが、多動症爺の一番苦手な「勤勉」という気の抜けたアルコールに酔ったふりをして満足するのが関の山だろう。 それでも、その事なりに世界は動いている場面とか部分は多いわけで、それに蓋して頑固になってもしょうがないわけで、それをやったからといって(この場合はこのプログなわけだが)持ち前の何かが変わるわけでもない。だらだらと垂れ流して、すこしは清涼感の味わえるような気もする。 むしろだ、観念というか、六十年紡ぎ続けてきた己の蜘蛛の糸のような、この世界のくくり方のような頑固さを吐き出し続けていつも空にし、それでも響いてくるものがあったら、ひと晩に一文字でもいいから書いてみようと思う。 取り合えずは、これが無事登録される事を祈って。
2007年01月16日
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そんなタイトルつけても、今どき読む人がいるかいと、この正月に、僕がたぶん5パーセントも理解はしていない(ホームページもブログも区別がつかない)のに、彼氏と喧嘩でもしたのか娘が猛烈な勢いで立ち上げてくれたこの世界は、やっぱり六十近い男には、気取ってみても「荒野」なわけで。 二十六にもなれば、童顔づくりとはいっても落葉の兆しのようなものは感じるわけで、しかし、その侘しさに浸る隙なく、間(つまり彼女の中では理屈抜きに連結している部分)をとばしての、早口、すっぴんの面で巻くしたてられると、せっかく憶えた気になった知識が霧散し、ふと見るといつもは威勢のいい愛犬(雄柴一歳)が壁の蔭から成り行きを窺っている、都合のいい愛という虐待にあったか、情けない顔。 本日をもって、娘は本来の棲みかに帰るものだから、とにかく二時間ばかり慣れないパソコンに向かってみたのである。三日坊主を恐れることなく、なぜか、遭遇したこともない大砂漠に向かって、不毛の鍬を振るい始めた気分。どうせ、若衆の考える事なす事など理解の及ぶはずもなく、知ったふりしてもの言う空しさよりも、とりあえずはぶち当たってみることにする。 いくらか理解したかいという娘の言いように、幕府から未開地の絵図を貰って開拓しろと下知されたような気分と素直に口にし、表題のような気分になった次第。
2007年01月10日
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今日のひるやすみは
2007年01月10日
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今日は楽しかった
2007年01月02日
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