「人生100年 生きなきゃ損」さんの ブログ

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2024.10.13
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カテゴリ: 人生論


まあ、家族の一体感っていうのは、昔から姓を揃えることで強化されてきた部分があるよね。夫婦が結婚して同じ姓を名乗ることで、社会的にも「一つの家族」って認識されてきたわけ。でも、夫婦別姓が当たり前になると、この「家族の形」っていうのが、もっと柔軟なものに変わっていくかもしれない。例えば、夫婦がそれぞれ別の姓を名乗ることで、「個人」としての存在感が今まで以上に際立つようになると思うんだよね。それが悪いことだとは思わないけど、これまでの「家族」という単位での結束が弱まる可能性もあるよな。

で、もし夫婦別姓が当たり前になったらさ、そもそも結婚って必要なんだろうか?って疑問が出てくるわけ。だって、今の結婚制度って、二人が一緒になることで同じ姓を名乗り、法律的にも家族として認められるっていう形が基本じゃん?でも、姓が違うままでも夫婦として認められるなら、もう結婚って形式自体がそこまで重要じゃないんじゃないかって思わね?結婚しなくても一緒にいることが「普通」になったら、社会的な圧力もなくなるし、個々の自由がもっと尊重される時代が来るんじゃないかってワクワクする部分もあるぜ✨。

さらに深く考えるとさ、今の日本って、夫婦が子供を育てるっていうシステムが基本的に大前提になってるよね。だけど、もし夫婦別姓が進んで、さらに個人主義が強くなったら、「夫婦が子供を育てる」っていう考え方自体が古くなるかもしれないって思うんだ。そこで出てくるのが、国が子供を育てるっていう新しいシステム。これってどういうことかって言うと、結婚とか夫婦っていう枠組みを超えて、国家が子供たちの教育や育成を担うことで、もっと平等で安定した未来を作るっていう考え方だよね。親の経済状況とか、家庭環境に関係なく、国が一貫して子供たちに必要な教育を提供する。そうすれば、もっと多くの子供がチャンスを平等に掴めるようになるんじゃないかな?って思うんだよね。

それに加えてさ、婚姻制度そのものも見直される可能性があると思う。結婚っていう制度が、これまでの「家族を作るための形式」だったのに対して、もし夫婦別姓や国が子供を育てるってシステムが進んだら、結婚しないカップルや個人で生きる道を選ぶ人がもっと増えてもおかしくないじゃん?そしたら、婚姻制度自体を廃止してしまうのも一つの選択肢かも。結婚しなくても、お互いが自由に生きて、必要な支援や教育は国が提供する。そんな未来が来たら、今よりもっと自由で柔軟な生き方ができるようになるかもしれないね🌟。

そういう風に考えると、夫婦別姓の議論って単なる「名前」の問題じゃなくて、結婚の在り方とか家族の形そのものを問い直すきっかけになるんじゃないかなって思うんだ。みんなも、どう感じる?





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最終更新日  2024.10.13 20:30:08
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