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前回奇しくも番外編となった「ロダンの地獄の門」は予定では使わない写真でした。
何があるか解らない世の中です。あんな形で載せる事になろうとは・・。
しかも、今回はスーラとモネを取り上げる予定だったのに予想外にスーラが長くなってしまった・・・。
フランス(France)パリ、(Paris)
オルセー美術館(Musee d Orsay) part 3
オルセー美術館 3 (ジョルジュ・スーラ)
新印象派のジョルジュ・スーラ
印象派は明るい光の下に絵を描きましたが、
モネやルノワールの表現ではスーラは満足出来なかった
ようです。
スーラは水面に写るキラキラとした、眩しい光を追求して実験を重ねてたどり着いた表現
がそれだったようです。
ジョルジュ・スーラ(Georges Seurat)( 1859年~1891年)
パリの中産階級の家庭に生まれて、 働かなくても暮らせるだけの財産があった彼は、売る為の絵を描く必要がなかったので、売れるような絵も描かなかった
そうです。
父ゆずりの 無口で、内気で几帳面
な性格は、彼の絵を見れば何となそれもわかります。
さらに、 人並み外れた集中力と忍耐力
を持って、脇目もふらずに絵画に没頭したのだそうです。
残念ながらオルセーには彼の代表作はありません。 短命な為に画業も12年間
しかなく、作品は緻密で時間もかかるので、数も少ないのです。知る限り 私がいいな・・と思う絵はほとんどがアメリカ
にあるようです。
来歴がないので解りません。
タッチを見るのに拡大しました。
点描主義or分割主義
学校では伝統的な構図を学びながら 色彩理論を研究し、視覚混合の原理や色彩配合に関する理論を学んで確立
した 、「点によって図像する方法」は彼の考案した独創的な手法
簡単に言えば、 小さな色の無数の斑点をキャンバスに置いて絵に仕上げる
と言うやり方で、 最終的に見る者が、絵の具を視覚的に混合して像や配色を組み立てて感知
すると言う作品です。
科学的、色彩論がベースにあるスーラの絵は、印刷紙を拡大すると見えるの色のドットの集合体とほぼ同じ理論になっているのです。
グランド・ジャット島の日曜日の午後(1884年~1886年)
下の作品は、
オルセーではなく、シカゴ美術館にある作品
です。
写真もウキペディアでパブリックドメインになっているものをかりてきました。この作品は スーラの作品の中でも代表される作品
なので参考の為に・・。(解像度が悪いです。)
1886年5月の印象派展に出展されたこの絵は、ほぼ3m×2mもある対策で、2年かけて根気よく作成した絵画です。
場所はパリ近郊、セーヌに浮かぶグランド・ジョット島ですが、実際島はこの絵で見るような静かな場所ではなかったそうで、この上品さと静けさは、彼の性格の現れ・・とか、好みのようです。
この作品はオランダのクレラー・ミュラー美術館の作品です。色彩の参考の為に美術書から持ってきました。
シャユ踊り(1890年)

おそらくこの絵のデッサンもブルーで描かれていると思いますが、事物の色は赤と緑、オレンジと青と言う補色関係で描かれているようです。
光を絵の具で表現
光のプリズムでは三原色はホワイトになるのですが、絵の具の三原色では、色は汚く濁る
のです。
スーラが考えたのは、 色は混ぜずにそのまま点で置くことにより、離れて見れば、視覚的iに混合色を造る
・・と言った発想のようです。
サーカス (1891年) 未完
オルセー美術館の作品ですが、写真に撮っていなかったので、美術書より載せました。
ウキペディアは発色が濃く出過ぎて、違う気がしたので・・・。

ブルーのラインで描かれた下絵も見つかっていますが、完成していたら恐らく上の「シャユ踊り」に近い色合いになったのでは? と想像出来そうです。
突然亡くなったそうです。原因は髄膜炎となっていますが、親友は、「働き過ぎで命を縮めた・・」と嘆いたと言います。
彼の作品は気が遠くなるような緻密さで、細部まで計算し尽くして、下絵を何枚も描いてから・・と言うこだわりがあり、真面目で実直で几帳面でなければ描けない絵なのは確かです。
探して見ると、なかなか面白い絵も描いていたようで、最後の2点は私が好きだから載せたのです![]()
次回はモネで・・・参考にジベルニーの写真も載せる予定です。
リンク オルセー美術館 4 (モネとモネの庭)
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