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昨日のオレオレ詐欺事件で名前を使われた弟は、今日実家に行って自宅電話と母の携帯の指定以外の電話の着信拒否する設定をするといっていた。
実は携帯からも犯人に電話をしていた母は、直後、携帯の電話番号もメールも全て変更するはめにもなったのだ。
多分本人なりにショックだろうから今日は何も言わなかったが・・。(昨日言いすぎたようで、途中で怒って電話を切られたし・・・。)
でも、もし被害に遭っていたら、金額は結構大きかったのだ![]()
ところで、実家の隣の家にも、すでに3回このような電話が来ている事が解ったのだが、いずれも次男の名を語っていると言う。
次男はこうした事件を引き起こす・・・と言う「立ち位置」なのだろうか・・・。
フランス(France)パリ、(Paris)
オルセー美術館(Musee d Orsay) part 4
オルセー美術館 4 (モネとモネの庭)
クロード・モネとモネの庭(ジヴエェルニー)
戸外で描くと言う事は、印象派の画家達が始めた新しい制作方法です。
カンヴァスと絵筆を持ってアトリエを飛び出した彼らは、自然の中の絶えず変化する光や色を追い求める事を好みました。
特に、少年時代をノルマンディーの田舎で過ごしたモネにとって、田舎の自然は絵画への情熱を与えてくれたものであり、生涯変らぬ素材対象だったようです。
ところで、自然の移りゆく太陽光を捕らえ、瞬時にカンヴァスに描く事はたやすい事ではありません。画家達は新しい手法として、予備デッサンもせずに素早タッチで直接絵の具をカンヴァスに乗せるやり方で、見たものを写し描いたのです。
左を向いた日傘の女(1886年)

モネの母港となるジヴェルニーで描かれた日傘の女は左右向きの異なるものや、子供のいる風景もある。彼が好んだモチーフで、女性は彼の夫人らしい。
セリー(連作)
季節や天候、時間の経過が同じモチーフでも異なる効果を出す・・と言うアイデアが生まれたのがこの頃とされる。
そして、季節や時間の連作が次々生まれる事になるのです。
ルーアン大聖堂 正面玄関とサン・ロマン塔 の連作
1892年~1894年までの間に、晴天、雨天、夜明け、日没、春夏秋冬といったあらゆる時間の中でこれをモチーフに30点ほど描いています。
主題は、大聖堂そのものではなく、大聖堂に降りかかる日差しなのです。
そう言えば、私も写真を整理していて、季節により、建物の映え方が異なる事に気がつきました。
夏の青空は美しいのですが、建物がまぶしく光って見えにくい。冬の空はばっとはしないけれど、建物を鮮明に浮き上がらせるのです。
両者の写真は、例えば寺院で言えば外壁の石の色が全く異なるのです。どちらを採用するか・・どちらもある意味真実の色なので、悩み所となるのです。
モネはそれを絵の具で示して見せた。確かに印象で捕らえる彼らのやり方だと、写真よりもはっきり別物になるでしょう・・。
「朝日 青の調和」
1890年頃からリューマチを患っていたモネは戸外での活動に無理があり、この作品92年~93年、大聖堂向かいにアトリエを借りて窓辺から描いているそうです。
(仕上げは94年~95年、ジヴェルニーのアトリエです。)
茶の調和
ルーアンのタイトルはオルセー美術館発行の案内書のものを使っています。
ルーアン大聖堂をモチーフにした作品はテーマ・ペインティング最たるものとして評価されています。
食料品商と船具商を営んでいたモネの家はそこそこ裕福で、幸せな幼少期と青年期を過ごしている。
彼の絵の才を見つけたのは叔母で、オンフール出身の風景画家ウジェーヌ・ブータンとの出会いは彼が戸外で描く画家となる道を決めた人のようです。
パリで画学生をし(1859年~)、アルジェリアに兵役(1861年~1862年)に就いた後に故郷ル・アーブルで知り合ったオランダ人画家ヨンキントンも彼に影響を与えている。
「私の視覚教育はヨンキントンに追うところが多い。」とモネ自身が言うように恐るべき早さで第一印象を描き留める技術を持っていたと言う。
モネの絵画は風景画家ウジェーヌ・ブータンと オランダ人画家ヨンキントン無くして生まれなかったかもしれない・・。
ジヴェルニー(Giverny)
パリから西方約80キロ地点。モネの晩年の住みかとなる場所です。
特 に庭は連作「睡蓮」を制作した場所として、モネの庭として知られています。
1883年にジヴェルニーに居を構え、そこで「水と反射光の諸風景」と言う研究を続けるのです。
1900年頃 庭園の日本風の太鼓橋を描いた連作の1つ
同
ジヴェルニーの今
青い睡蓮(1917年以降)
この頃の作品にはまだ花の形があります。
後年、睡蓮の形はだんだん無くなり、オランジュリーの大作睡蓮となると、もはや花の形も葉の形も輪のようになり、近くで見ると何の絵かわからないくらい抽象化されています。
例えるなら音楽のような絵画です。
それがモネのたどり着いた究極なのかも知れませんが、オルセーには無いのです。
モネの絵が売れ出すのは40才を越してからで、長命だった彼は、晩年は名声も得て、裕福な暮らしをした
そうです。
今回は簡単に終わりますが、モネもジヴェルニーもまた別の機会にもう少し紹介するかも・・・。
もう一回くらいオルセーはつづく
リンク オルセー美術館 5 (セザンヌとバーンズ・コレクション)
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