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さてさてサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ですが、この巡礼の最後の山場であるオ・セブレイロ峠を越えるとあと少しで終着です。
この峠は一回目に写真を紹介したので飛ばそうかと思いましたが、普通のガイドブックにこの峠は出ていないので簡単に載せる事にしました![]()
それにしても資料が無くて手間取りました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 9 (オ・セブレイロ峠)
ガリシア州、ルーゴ県ペドラフィータ・ド・セブレイロ
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼街道でレオンとガリシア間にあるオ・セブレイロの峠越えは最後の難所です。
昔からこの峠越えでは体力、精神力がちょうど尽きる頃でもあり、天候の悪さも相まって足を滑らせて滑落したり・・と事故も多くサンティアゴ・デ・コンポステーラを目前にしてここで果てる者も多かったと言います。
標高1294m。このあたりは牧畜と農家が多いようです。
峰と
峰を結ぶ山稜にあたるセブレイロは強風、豪雨、降雪など気象状況の悪い土地
のようです。
たいていの方のブログを見ても曇っていたり小雨が降っていたり・・と雨の多い土地であることを示唆しています。9月のこの日もどんよりして小雨が降っていて肌寒い日でした。
かつてはケルト人が住んでいた場所だそうですが、今も住居は少なく20軒くらいだとか・・。
ローマ時代にはガリシアへの交通路となり、その後巡礼者が増えるとここはサンティアゴ・デ・コンポステーラへの主要な巡礼路となり人の行き来も増えるのですが、巡礼8の「巡礼路の盛衰」で紹介したようにペストの発生、や戦争などで巡礼路も荒廃。
復活するのは近年の話です。
今は車道が整備されて車や自転車の通れる道もできて観光バスがたくさん来ています。
峠だけ歩いて上る人達もたくさんいるそうですし、バスで立ち寄る人も多いです。
サンタ・マリア・リアル・ド・セブレイロ(Santa María Real do Cebreiro)教会

この教会の来歴は正確にはわかりませんが、 9世紀頃にアストゥリアス王国の庇護の元に建設
されたようです。
これは推察ですが、サンティアゴ・デ・コンポステーラを建設したアストゥリアス王アルフォンソ3世(848年頃~910年)の頃ではないかと思います。
その後 サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼が人気になる11世紀、アストゥリアス王国の末裔にしてカスティーリャ王アルフォンソ6世とフランス・ブルゴーニュのクリュニー修道会によってここは整備され、救護院や修道院を建設
。巡礼者を助けたようです。
フランスからの巡礼者はかならずこの峠の道を通る事になるので、まさしく「フランスの道(カミーユ・フランセーズ)」なのです。
3廊式バジリカ様式をもったプレロマネスク建築のようです。
もちろん当初の姿ではないと思います。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の教会はほとんどがロマネスク様式で建設されています。その時期11~12世紀は巡礼者だけでなく人の行き来も増えて国際交流が盛んになり、文化の伝播、建築も技術も一気に広まったからのようです。
祭壇部分のみ
教会には聖遺物とそれにまつわる話がありますが、正確な文献を見つけていないので今回はやめました。
この峠超えの辛いところは、標高の高低差よりもアップダウンの多さと上り勾配の角度にあるようです。
疲れ果てた所にきて山稜の天候は変わりやすく、霧も発生。道を見失い滑落する者が後を絶たず見かねた教会の司教が夜通し鐘楼をならし続けて教会の場所を巡礼者達に知らせ続けたそうです。(ガイド談)
下の写真は教会と修道院につながる庭の一角にある墓所です。
件の神父だったような気がしますが名前の確認もとれないので不明です。
サンティアゴ・デ・コンポステーラのホタテ貝がついているので功労者なのは間違いないです。
歴史の重みを感じる鐘楼です。
前に紹介した写真ですが、今やお土産屋もあらわれたセブレイロのヤコブ像です。
パジョーサ(Palloza)

アンカーレス地方に特有の石を積みかさねた壁と藁葺き造りの円形母屋は人と家畜が共に住むようにできているそうです。
紀元3世紀以前ローマ人が入植する前、ここはケルト人の居住区だったそうで、パジョーサ(Palloza)はかつてのケルト人の時代より伝わる住居
だったと言われています。
さて、次回サンティアゴ・デ・コンポステーラです。
コゾの丘は最初に簡単に紹介したので飛ばしました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの街。そしてあれがサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂です。
つづくリンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 10 (聖ヤコブの墓地)
Back number
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 1 (巡礼)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 2 (中世の街)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 3 (ブルゴス 1)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 4 (ブルゴス 2)
リンク ブルゴス(Burgos)番外編 エル・シド
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 5 (ブルゴス 3)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 6 (ブルゴス 4)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 7 (レオン)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 8 (オスピタル・デ・オルビゴ橋)
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 9 (オ・セブレイロ峠)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 10 (聖ヤコブの墓地)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 11 (栄光の門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 12 (聖域、ヤコブ像)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 13 (聖ヤコブの棺、聖なる門)
リンク サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼 14 (ボタフメイロ・プロビデンスの眼)
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