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ヴァージニア州で大学生をしていた頃の話ですが大学のある小さな町から車でしばらく走った山の中にワイナリーを経営されている高馬さんという日本人のご夫婦がいらっしゃいました。お嬢さんがアメリカに嫁いだのを期に、引退されたご夫婦も渡米、永住を決めたのでした。遠い異国の地の、山しかない片田舎で留学生をしている私達を高馬さんご夫婦は、よくワイナリーのある自宅へ招いて心のこもった和食でもてなして下さいました。日本の新聞、本、座布団に、和食器、出汁のきいたお味噌汁、日本食レストランなど一軒も無いアメリカの片田舎で大学生をしていたワタシ達にとって高馬さんのお宅は「ふるさと」そのものでした。親元を離れているワタシ達の話に、優しく耳を傾けてくれる高馬さんご夫婦の暖かさに、ワタシ達はどれほど支えられていた事でしょう。卒業式には毎年参列して下さり、日本から親が来られない生徒もいるのですが彼女たちは皆、高馬さんご夫婦を両脇に記念写真を撮ったものです。両親が参列したこのワタシだって、高馬さんご夫婦との写真があります。6歳年下のワタシの妹も、同じ大学へ留学しました。ワタシは在学中、高馬さんのお宅へは一度しか伺ったことがなかったのですがワタシの妹は元来の甘えん坊も手伝ってか高馬さんご夫婦には、それはそれはお世話になり卒業後も日本から、頻繁に手紙のやり取りや電話までをもしておりました。それが昨年、いつもはご主人が手紙も電話も担当なのに最近は奥様が手紙を書いて、電話の対応もしてくれる、ご主人の身体の具合が良くないらしい、会いに行きたい。としきりに心配しておりました。ワタシ自身も心配で近況報告がてら手紙を出すと「双子の誕生を祝いにNYまで行きたいところですが夫婦共々80歳を迎えそれも叶いません」という内容のお返事がありました。日本に帰国した卒業生達に声を掛けると、中には「仕事の休暇をとってヴァージニアまで会いに行く」とまで言い出す子も数人いたのですが、高馬さんに連絡をとると「もう皆さんに会える状態ではないのでごめんなさい」というお返事だったそうです。そして、先日8/26(日)に高馬さんのご主人がお亡くなりになられました。こちらは高馬さんの訃報です。本来なら、大きなお葬式を出すべきような方なのですがひっそりと近親者だけで見送られたそうです。奥様は、ブドウ園に囲まれたあのお宅で今頃どうされているのかと思うと、なんとも胸が痛いです。お父さんのようだった高馬さん、お疲れ様でした。これからも奥様を見守ってあげてください。ご冥福をお祈りいたします。実は、高馬さんの訃報の丁度2週間前にはニュージャージーにあるレストラン松島のオーナー松島さんが亡くなられました。夫が15年以上お世話になっている方の知り合いで在日韓国人の松島さんはワタシの夫を可愛がってくれていました。20年前から、大腸がん→胃がん→肺がん→肝臓がんを患いご自身が闘病されていたのですが、ワタシの母の病気の話を聞きとある気孔の先生を紹介して下さったのでした。母が長島に滞在中、松島さんの計らいで、母はその先生に会いました。日本在住の先生なのですが、日本では多忙過ぎて新しい患者さんを診ることは出来ないため休暇で渡米している間に、松島さんや母に治療をしてくれたのです。藁にもすがる思いの母は、松島さんが20年頑張ってこられたなら自分ももしかしたらこの先生に診てもらえば延命できるかもと期待で一杯の様子でした。帰国後も松島さんとはファックスで連絡を取り合い互いの病状を報告し合うと言っておりました。そこへ突然の訃報。母は今、一時退院しており自宅にいるのですがこの訃報を知らせたら、弱った身体にとどめを刺してしまいそうでとてもとても、母に伝えることは出来ません。「連絡がつかない~」なんて言い出したらどうしようかとワタシは気が気ではありません。。。亡くなる丁度2ヶ月前にお会いした時はうちの重たい息子を抱っこ出来るほどだったのに。まさか、あの抱っこが身体に障ったのでは。。。松島さん、お疲れ様でした。今、松島さんは母の心の支えです、夫ともどもどうぞ見守ってやって下さい。ご冥福をお祈り致します。ああ~、はかないものですねぇ。しかし、こんな知らせが続くと、気も滅入るものですがハイパーな双子のおかげで、変わりなく日常を過ごしております。
2007/08/30

先週の長島は、長袖にチョッキを着るほど涼しい日が続きました。庭のホタルもいつの間にか姿を消し、秋の虫たちが鳴くようになりました。昼間の高い雲も、夜空の月も、随分秋めいてきました。家庭菜園に可憐な花をつけていたオクラは↓今月の頭にこんな実をつけて↓2週間後にはこの通り。(ピンボケで失礼)↓恵みの秋ですねぇ。↓「自給自足の食卓」が始まりました。↓こちらは散歩コースに咲くナス科の「ツルハナナス」でしょうかねぇ。 赤い実は「アカナス」に似ていますが。清楚で和風な花に心洗われている間もなく↓母ちゃん、これ食える? by息子 (母、涙。。。)長島の南にあるファイアー・アイランドヘ野生の鹿を見に行きました。鹿の親子はハイパーな双子に驚いて10秒ほどしか姿を現してくれず↓そのまま隣接する浜で遊ばせました。↓サリーをまとったインドの女の子達が波と戯れておりました。微笑ましく見ていると、↓ずぶぬれ&砂まみれ、になっていらっしゃいました、ワーオ。↓でも、ボクらのほうがワイルドだぜ。裸族なのん。by双子おまけボールが大好きで、よその子のボールまで追い掛け回す双子を見かねたご近所のおばさんが、ボールをプレゼントしてくれました。。。(恥)
2007/08/27

前回の日記に、沢山の暖かいコメントやメールを皆様どうもありがとうございます!只今、逃避していた現実にしっかり向き合って頑張っております!ところが先日、頑張っていた矢先に3日間ほどダウンしました。医者に行ったり、ERに行ったりと、夫は文字通り双子と妻を「抱えて」色々と良い経験が出来たようです。ワタシも胃の激痛に七転八倒した挙句、生まれて初めて麻酔ナシでunconsciousになるという貴重な経験が出来ました。検査結果は「問題ナシ」でしたので、どうやらただの「夏バテ」だったようです。今はすっかり元気になり、現実と相撲をとる毎日です!先々週の話になってしまうのですが階下の奥さん妹 ジャネットのサプライズ・ブライダル・シャワーに呼ばれました。↓我が家の庭でパティーでした、準備中の図。ワタシもそういえば、結婚が決った時にサプライズ・ブライダル・シャワーをしてもらいました。夫の職場に不自然に呼ばれたので、行きの車の中でソレと悟り、抜かりなくスピーチの準備をして行ったのでした(笑)。懐かしいのぅ。。。↓女性だけが招待されるのですが、娘もちゃっかり。腕にお花の飾りをつけてもらったのん♪↓あまりの暑さに皆室内に非難して、庭はガラガラでした。↓ヒスパニック系のパーティで、ご飯はもちろん肉と揚げプランテイン。この日は、あまりの暑さに、ワタシはそそくさとお暇して友人の新居に夕飯に呼ばれて行ってきました。↓ここんちのメシは旨い! by kang & 夫↓暑いよ~、プール入りたいよ~。By双子↓今日はコレで我慢しなさい。By父母 ザブザブby双子。でも先週は、お友達に水遊びに呼んでもらい、双子興奮の坩堝でした。☆お悔やみ☆この日チラッと登場したモンティー君が7月に天国へ行ってしまいました(涙)。うちのブロックは非常にご近所仲が良く、皆してそうとう落ち込みました。そこで皆のために、モンティー君の跡継ぎ登場!ジョーイ君で~す。早速、いい子いい子してあげるのん。by娘双子にいじくりまわされて、きっとモンティー君以上に強い子に育ってくれることでしょう。。。
2007/08/14

6月の半ばまで長島で孫達の相手をしていた母でしたが、日本に帰国後の検査で癌細胞がリンパや内臓器系だけではなく、脳にも複数転移していることが判りました。早々に入院した母本人も既に激しい頭痛や嘔吐などの自覚症状があったようで、長島滞在中、咳や息苦しさだけでも見るに堪えない状態だったというのに、今はいったいどれ程の苦痛なのだろうと思うとこちらが気の遠くなる思いでした。手術を受けた2005年4月に「余命2~3年」と宣告されてから2年3ヵ月後、私が「命のおつり」を数え始めてからプラス3ヶ月になった日、私たち家族は医師から遂に月単位での余命宣告を受けました。覚悟はしていたのでさほど動揺はありませんでしたが「遂にきたか」と思うと、これからやらねばならない事、今すぐやらねばならない事が全く頭に浮かばず、日常の雑用に逃げる毎日でした。母は肺がん発病後、鬱になり安定剤や睡眠剤を服用している事が考慮され、母本人には「○ヶ月」とは告げられませんでした。母は「あと5年生きられたらもう悔いは無い」と言っています。つまりは「あと5年は生きたい」と言っているのです。孫達が「ばーちゃん」と呼べるようになる日、七五三姿を見られる日、小学校に上がる日、そして願わくは次女(私の妹)の結婚を見届けようと頑張っています。鬱がひどかった頃の「どうせ私は苦しんで死ねばいい」と言っていた母に比べると非常に前向きで、これで免疫力も少しは上がるだろうと家族が安心できる精神状態になった直後の「あと○ヶ月宣告」でした。実は5月に父親も乳癌(男の癖に)が見つかり手術をしており、そちらの再発の心配もせねばならず、7月頭に母の○ヶ月余命宣告があり、年内に帰国するようにと言われ、なんだか考えねばならぬ事がいちいち重くて、7月中は現実逃避ばかりしておりました。ワイルドな双子との日常にかまけて、心ここにあらずな状態で過ごしたような気がします。双子が寝静まる夜になると、インターネットで癌患者の家族が集うコミュニティーを覗いては、勉強になったり、共感したり、羨ましかったり、気の毒に思ったり、今日も又一人亡くなったと落込んだり、壮絶な最期の様子を我が母に当てはめては先行き不安になったりと、過ごしておりました。こんな時に限ってリリー・フランキー氏の小説を読んでしまい、数ヵ月後にわが身に降りかかるであろう現実を見せ付けられ更に眠れなくなったりと。そんな夜更かしのせいか体調も優れず、まるで母と同じ症状なのが可笑しいのですが、頭痛と嘔吐に苦しんだ日が幾日かありました。それでも双子は容赦なくワイルドで。。。実は私は、不妊治療中に甲状腺異常を発病しました。母の余命の事があり、病気を治してから妊娠という時間の余裕が無く、医師の定期モニタリングの下、病気を抱えたまま双子を妊娠出産したというハイリスク妊婦でした。甲状腺異常の原因らしい疲れやストレスを、あの頃特に何も感じてはいなかったのですが、もしかしたら、不妊に関してあまり知識の無い人々が戯れついでにくれた夫婦生活をネタにした指摘やアドバイスなど、些細で何気ない一言が私の心の琴線に触れていたのかもしれません。「あと○ヶ月の命だって」と夫に話した時、「でも母はあと5年は生きるつもりなのよ」と告げると夫は「ははは~、それは困ったね~」と笑いました。いつもなら「そうよ、ホント困ってるのよ」と一緒に笑う私なのですが、この時ばかりは「あんた無神経だね、よく笑うね」と軽蔑しました。自分の余裕の無さに気付きましたが、逆にこれで良いのかもと思いました。今ここで小さなストレスを蓄積させ、甲状腺異常なんぞで倒れてしまってはならないような気がしたのです。何せ時間が無いのです。それにしても体調の優れない日が続きます。体重が一気に落ちたのは暑さのせいで、疲労感は寝不足のせいなのですが、不調だと気分も滅入ります。7/6付け母の主治医からの病状説明書によれば、イレッサ(癌患者が最後の最後に頼る薬)は母の場合肺炎も併発して患っているために使えない。もう施すすべが無いといった所見でした。それでも放置することなく、母に希望を持たせるために治療を続けてくれるようでした。私としては、抗がん剤の有用性が20%しかない肺腺癌を患っていて、更には脳や全身に転移している母の場合、苦しい副作用に耐える意味があるのか?ホスピスケアにすればよいのにという意見でした。しかし、モルヒネですっかり認知症のようになってしまった患者さんの話を読んだり、今、母本人が「あと5年生きたい」と目標を持って頑張っている様子を見ると、今はもう、ただ応援するしかありません。娘のズボンを見れば、母が糸と針でウエストを詰めた後があり、スーパーへ行けば母が「次に来た時はこれ買って食べてみるわ」と言っていた食材があり「見ているだけで楽しい」と言っていた台所用品が並び、ご近所さんに会えば「お母さん今度はいつ来られるの?」という話題になり。母は、少なくとももう一度来春に、孫たちを訪ねて渡米するつもりでした、今もするつもりでいます。母からのメールには「来春の渡米のために」が繰り返されています。「近所の○○さんが宜しくとの事」とメールすると「来春お会いしましょうと伝えて下さい」と返事が来るのですが、なんとも複雑です。私も実を言うと、もしかしたらもう一度位は来られるかも、と本気で思っており「次来たときに連れてこよう、食べさせよう」と先送りにしてしまった物事が沢山ありました。まさか前回が最後になるとは思っておらず、もっとこの狭い我が家を目に焼き付けておいて欲しかっただとか、もうこの車の後部座席にばーちゃんが座ることは無いのかだとか、何をしても何を見ても、同じ事を考えてしまいます。こんな事より、今せねばならないことが沢山あるのですが、それを行動に移してしまうと母の死期がさらに近くなるような気がしたり。今聞いておかねば一生謎のままであろう事柄たちも、今本当に聞いてしまったら母が不審に思うのではと躊躇してしまったり。その反面、不謹慎にも「母亡き後のこと」をしきりに想像し、本番慣らしをしている冷静な自分があったり。4月に帰省した際に、古新聞と一緒に束ねられた、母の小学校時代の文集、高校でテニスのインターハイに出場した際の冊子などなどを、私は母が眠った後に暗い玄関でこっそりとそれらを抜き取り自分の旅行かばんの底に隠さねばなりませんでした。私の居ぬ間にはもっと多くの、母の生きた証、思い出たちが破棄されてきた事でしょう。母は多少前向きになったとは言え、未だに病気を受け止めきれず、ちょっとしたことで激しく落ち込み、薬に頼ってなんとか立っている状態です。メディアや柳田邦男の本に紹介されるような立派な癌患者さん達のように、逆に自分の周囲を励ましたり出来るような悟りの境地には程遠い所におります。それでも、退院して家に帰れば家事をこなし、父と妹の目をはばかって身辺整理をしながら、日常を過ごしています、死を覚悟しながら。こちらは8/5に、入院中の母の携帯電話から届いたメールです。*********************今の化学療法は親切で、できるだけ苦痛を和らげてくれます。特に吐き気です。これは助かります。でも全然ない訳ではありません。母は今腰から下の関節痛と全体の脱力感と手先のしびれがあります。医師は「よく頑張っていますね、一緒にがんばりましょう!」と言ってくれます。関節痛以外は対したことなく過ごしています。今薬が身体の中を走り回っています。今回のは強いのでまた脱毛もはじまります。これがね一番いやかな。でも大丈夫。何か今回は乗り切れそう。あなた達のおかげです。*********************今年還暦を迎えた母「一巡りできた」と悔いなく満足して逝って欲しい、と願うのは酷でしょうが、どんなに励ましても「この病気はなってみた者にしか分からんよ」と言われてしまった一時期よりかは、母は悟っているようです。誰にでも限りある命、どれだけ生きたかではなく、どう生きたか、それを少しづつ自分の言葉にしていっているようです。孫達が「ばーちゃん」と呼ぶ日を待てないかもしれないけど、七五三姿も見られないけど、孫たちをこの腕に抱けて幸せだった、と感じながら逝って欲しいものです。その前に、どうか年が越せますように、少しでも良い状態で。それまでに、双子が「ばーちゃん」と言えるようになりますように。今日も「ばーちゃん」特訓ですがなにせうちのワイルドな双子ですので、手ごわいです、ああ。。。。↓そういや、ばーちゃんと海水浴してないな。。。by息子↓ばーちゃんに「おさげ」も見せなきゃなのん。By娘取り留めなく長く書いてしまいました、あ~疲れた。
2007/08/06

我が家の住んでいるブロックには12軒家がありそのうち小さな子供のいる家庭が4世帯あるのですがなんと、その4世帯中3世帯に双子が住んでいます。よく考えたら、とても稀なことだと思ったので、書いてみました。↓こちらはそのうちの1軒、我が家と同じく 男×女の双子(7歳)と。ちなみにもう1軒は5歳の男×男の双子くん達です。もちろん、我が家の双子が最年少ですが、一番ワイルドで有名です。。。(涙)うちの双子は本が大好きです。↓いえ、正しくは「本を食べるのが大好き」です。ヤギだってここまで食べんだろうと思う位本という本の角っこを食べ尽してしまいます。「1日15分、本を読み聞かせて育てましょう」と言われているのですが本を見せると狂ったように食べ始めるので生後3ヶ月以降は、本を読んで聞かせたことがありません。どうしてこんなにワイルドなのでしょう。。。↓こちらは日本から持ってきた、ワタシが子供の頃に読んだ 「日本昔話シリーズ」です。双子に読み聞かせてやりたいのですが見せたら最後、狂喜乱舞して食い尽くされてしまいそうで未だに見せられません。実家の母によると、どうやらワタシも赤ん坊の頃は本が大好き、いえ、本の角を食べるのが大好き、だったそうです。おそるべしDNA。。。↓こちらは4月に帰省した際の写真ですがワタシが子供の頃に遊んだ「いろは積み木」です。双子は、なんとこの積み木の角にも必死に歯を立て、更には積み木を人や物に打ち付けて大はしゃぎするので長島に持ってくることを断念しました。。。どうして、こんなにワイルドなのでしょう。。。。↓こちらは、我が家の家庭菜園のインゲンを収穫している図ですが双子は(とくに娘)もぎたてインゲンを生のまま食べます。収穫したては、スーパーで売っているインゲンとは違いフサフサと毛が生えているのですが、お構いなしでかじります。たくましいです。。。おまけ↓今日はプールで遊ぶのん、ガー子ちゃんにポッポなのん。↓立ち泳ぎの練習してます、ボク。↓また海に来ちゃったのん。↓今日は水着持ってきてないから水に入ったら駄目らしいぞ。 By息子↓We don’t care なの~ん。らりほ~だぜ! (父母、涙。。。)↓おかーさん、アタシのこと「野生児」って呼んだ??↓母ちゃん「野生児」ってソーセージより旨い??親譲りと言われればそれまでですが、もう少し、おとなしく品のある子供に育てたい。
2007/08/03
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