四ツ谷と言えば怪談だが、お岩さんのお墓を訪ねたことはなかった。都内に出る機会があったので四ツ谷周辺を歩いてみた。
四ツ谷はかって甲州街道の要衝として多くの武家屋敷が建ち、街道沿いには商家が並び、神社の門前町も広がって賑わいを見せたという。今なおこの界隈には古神社が多い。若葉町には伊賀忍者が住んでいたというし西念寺には服部半蔵が眠る。
タイヤキ若葉→須賀神社→お岩稲荷→田宮神社→新宿歴史博物館→外堀公園→市ヶ谷鶴岡八幡宮とルートを考えた。地図を念入りに見てJR四ッ谷駅を出た。タイヤキ若葉に寄って名物の尻尾まであんこが入っているタイヤキを買うのを楽しみにしていた。しかし出てきたのはタイヤキ屋ではなく壮麗な建築物!!これは何だぁ?明らかに最初から道を間違えている。迎賓館だった。


迎賓館の門 火付け盗賊改め方長谷川平蔵供養の碑
意気消沈しつつ、隣の道を歩くと学習院初等科と表示がある。おお!、よく週刊誌の雅子さま関連記事で見る学校はここにあったのか。焦ってしまい、犬の散歩をしていた女性に道を尋ねて軌道修正。しかしその後もよく分からず交番に聞き、通行人に聞いてやっと鬼平犯科帖長谷川平蔵の供養碑を見つけ、須賀神社に到着した。


須賀神社は四ツ谷の総鎮守で茅の輪が素敵だった。本殿の中には見事な36歌仙絵が天井近くに奉納されていた。近寄ってもっと詳しく見たかったが、上に上がるにはご祈祷して頂かねばならず諦めた。須賀神社から少し歩くとすぐお岩稲荷に着く。怪談のおどろおどろしいイメージは全く無く整然として明るいたたたずまいだった。お岩さん縁の井戸というのがあり、四谷怪談のあの場面を連想するとちょっと生生しかった。

お岩霊堂の門と奥にお岩稲荷 こじんまりして可愛いお岩稲荷


お岩さま縁の井戸 田宮神社
しかしである。第11代宮司 田宮 均 氏の解説によると実在の田宮 岩さんと夫・田宮伊右衛門は仲睦まじく、彼女は貞女の鑑としてあがめられていたという。1636年に田宮 岩が没した後、お岩さまが信仰していた屋敷跡がお岩稲荷と呼ばれるようになり、崇拝者が多数あったという。この神社は現在でも福を招き、商売繁盛、芸能の成功などご利益があるらしい。
あの怨念すさまじい東海道四ツ谷怪談は鶴屋南北が大きく脚色して全く別の物語にしたものであると書かれていた。東海道四ツ谷怪談は歌舞伎で大当たりをとったのだが、天下一品と言われた市川左団次の移転要望で中央区新川にもここと全く同じお岩稲荷神社があるという。とても興味深い話だった。詳しくは岸乃青柳著「東京のお寺神社謎解き散歩」をごらんあれ。
そこから細い路地を歩いて新宿歴史博物館を訪ねた。良い企画展があったが時間の関係で外観とエントランスだけにした。アスファルトの上にお江戸四ツ谷らしいデザインの下水蓋を見つけ、足元にも美を見つけ嬉しかった。


新宿歴史博物館外観 四ツ谷大木戸水番屋構天図
三栄通りをまっすぐに下ると甲州街道にぶつかり、更に市ヶ谷方面に歩くと外堀の池を見るようになる。外堀公園の春先は桜ですばらしいが今はすべてが立ち枯れて、堀の向こうに総武線の黄色い電車が走っているのが唯一の動きだった。


外堀公園と総武線 市ヶ谷亀岡八幡宮
最期に訪ねたのは市ヶ谷駅のすぐ近くにある市ヶ谷鶴岡八幡宮である。ここも茅の輪が出されていた。大田道灌が城西の鎮護として創建したと伝わる神社である。ホント、お江戸はどこもかしこも史跡ばかりである。
四ツ谷を歩いてみての感想は裏道に入れば全く気取りのない下町だなということだった。これからは現代的東京ではなくお江戸の名残を感じる町をのんびり歩いてみよう。
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