昨日、津波の被害があった場所に行ってきました。
町は壊滅状態。
津波で押し流されてきた砂で地面は覆われ、一部には海水がたまっていました。
いたることろに波に呑み込まれつぶれた家や車が不自然な形で転がっています。
瓦礫の山。このような瓦礫をどこにどのように廃棄すればいいのか。東北の沿岸部はすべてこのような瓦礫に覆われ廃棄方法が問題になっています。撤去しなければ復旧は進みません。
土台から剥がされて流されてきた家。2階部分が道路に一部乗っかった状態で道端に崩れていました。
家の土台だけが残っています。奥に見える4階建ての建物は小学校です。
松が津波に流されてまばらになっています。奥が見えないくらい密集して立っていた松も根こそぎ流されています。
奥には仙台の街並み。沿岸沿いとの差がありすぎます。
宮城県の死者は8360人に及びます。行方不明者は7790人。
宮城県は岩手や福島県と違い沿岸沿いは平地になっています。津波をブロックする山がなく、一気に津波は家を押し流しながら襲ってきました。
逃げる高台もない場所です。
これまで津波が来たという情報がないため津波警報は「オオカミ少年」の童話のようになっており、油断をして逃げ遅れた方々も多いようです。
津波が来る5日前に夫とこの海岸に遊びに来ていました。
上の写真のように奥に仙台の景色など見えないくらい家や建物が並んでいたのです。その面影は今はありません。
海を見ようと恐る恐る車から降りると私のように被害を見に来た人々が無言で呆然とした顔をしていました。
奥には青々とした海が横たわっていました。静かです。
防波堤には花や飲み物が供えられていて大切な家族を無くされた方々の心を思うと言葉になりません。
こんなにおとなしい海なのに黒々としたひとつの塊となって襲ってきたのです。
右側に見えるのが高速道路の仙台東部道路です。
この道路が防波堤となって奥の街並みを守りました。
この丘をよじ登って助かった方々もいらっしゃいます。
この道路がなかったらもっと被害が大きくなっていたことと思います。
今回このような写真と動画をのせることを悩んだのですが、悪く思わないでください。
現状を伝えたかったのです。室町時代に襲ってきたという津波は平成のこの時代に再び襲ってきました。
時代が変わり技術が進んでも自然の猛威にはかなわないです。
自分と家族をどうやって守るか、災害から学ばなくてはならないことはたくさんあります。
みなさんの置かれた環境の中で想定される危険なこと、身を守るすべをもう一度考えてください。
自然の猛威には太刀打ちできません。
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