2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全16件 (16件中 1-16件目)
1

ふしぎなことがあります。 ふしぎなことは理解や説明ができないことです。 ではないのかというと、あるからふしぎです。 ふしぎなことをふしぎと思える感性がたいせつと思います。 それでなければ、現実という既成概念の中に埋没してしまいます。 私たちが生きている世界は物質世界です。 5感という感覚を通して認識していますが、5感には限界があります。 見えるものは可視光線の範囲であり、聞こえるのは可聴範囲でしかありません。 その範囲以上も以下も認識できないのですから、ないことになります。 しかし認識できない=存在しないと短絡的に決められません。 長大橋の周辺で原因不明の症状が多く報告されて調査したところ、長大橋が揺れてできる超低周波が原因だったことがあります。 聞こえないからないと思っていましたが、聞こえない超低周波が頭痛や体調の不調を起こしていました。 このように見えない、聞こえないからないとは言えません。 物質世界に住む私たちは、他の次元の存在にとってなんなのでしょう。 見えないからなにをされてもわかりません。 なにかを感じても気のせいで済ましてしまいます。 高次元に住む存在がそれを私たちにしらせようと、私たちにアクセスするには、周波数を低下させなければなりません。 私たちもアクセスを可能にするために、周波数を上げる必要があります。 双方の努力によってやっとアクセスが可能になります。 それも光が無い夜間では闇の存在とアクセスしてしまいます。 朝日が昇るところを見ながらのワークで光と繋がることができます。
2006年01月29日
コメント(0)

富士市は富士山の南麓の町です。 富士山は日本一の高さがあり、裾野の広さも広大です。 地下水も豊富で柿田川湧水は東洋一の湧水量を誇ります。 北風を富士山が防いでくれますから気候は温暖です。 このような好立地条件を見逃すはずがありません。 製紙工場のような大量の水を使う工場が60社あまりもあります。 製薬会社(藤沢、興和、旭化成)や自動車会社(日産)、電気製品製造(東芝)などがあり、その関連企業が多くあります。 雇用があるのはいいのですが、環境汚染は心配です。 富士市の空は煙突の排気ガスで覆われています。 石炭、重油を燃やしていた時代は去り、現在は液化天然ガスです。 それでも排気ガスであることには変わりがありません。 いつまで生活重視が続くのでしょう。 しかし現在の生活を変える勇気がなければ改善は不可能です。 痛みを嫌っていては改善はできません。 自分の子どもや孫の代に困らないようにしなければなりません。 人間はどうして変わる勇気を持てないのでしょう。
2006年01月28日
コメント(2)

昨日、一昨日は雲もないすっきりとした東の空に朝日が昇りました。 今朝は雲が低くあったため、雲の中からの日の出でした。 雲の向こうにはいつも同じ輝く太陽があります。 この雲は自分のこころと同じだと思います。 私たちがこころに迷いがあれば、太陽の光を見ることはできません。 希望がなくなり、エネルギーがなくなります。 時には豪雨や強風、大雪で交通が全面的に止まることもあります。 毎朝輝く日の出を見るためには、自分のこころの中の雲を無くすことが必要です。そのためには平常心でいることが必要です。いつも平常心でいるためには、感情を開放し大地にしっかり根が張っていなければなりません。 幸運を待っているだけでなく、いま可能なことを全力で取り組むことも必要です。 考えていては何も始まりません。行動がすべての変化をおこします。毎朝海岸まで片道30分の道を歩き、海岸で瞑想しています。
2006年01月27日
コメント(0)

インターネットの新聞を時々読んでいます。かっては新聞6誌を購読していましたが、ある時から新聞もテレビも見なくなりました。瞑想を自分流に始めてから、外の世界と自分の内なる世界がはっきりと分かれました。今朝も海岸へ行って朝日が昇るのを見ながら瞑想しました。毎朝海岸で朝日瞑想する習慣は何年間も続いています。マスコミで取り上げている記事はすべて他人のことです。自分は有名人ではありませんから、3年前にある文学賞の奨励賞をいただいた時以外に新聞へ掲載されたことはありません。他人のことばかり見ていたら、自分のことには気づきません。他人の価値感覚、他人の評価、他人の常識などに振り回されてしまいます。自分は本当はなにをしたいのか?自分はなにをしにここに来たのか?なぜ自分はここにいるのか?いったい自分は誰なのか?こんな疑問に誰も回答を与えることはできません。なぜならこの疑問は自分自身にしか答えられないからです。社会は最大公約数的な意見しか持ちません。ですから個々の問題には自分が解答を出す他はありません。テレビや新聞を見ていると、自分が見えなくなってしまいます。自分という個人は社会に溶け込まされてしまいます。それで自分が行方不明になります。ですから自分がどう生きていいのかわかりません。自分がわからないのですから、自分に責任が持てません。責任がないから、すべての結果を誰かのせいにします。自分が幸せになれないことも、健康でないことも誰かのせいです。どうにもならなくて、自分は努力しないで神さまに救いを求めます。神さまは「天は自ら助ける者を助ける」と言っているのに。他人のこと=他人の現実ばかり見ることをやめませんか?そろそろ自分のことを始めませんか。自分の幸せも、自分の健康も自分に責任があるのです。ですから自分が早寝早起きをし、運動して健康になりましょう。過去を振り返らず、自分を大切にして幸せになりましょう。他人の評価を気にしないで、他人を羨まないで、心穏やかにいきましょう。自然豊な土地に住み、自分とゆったり仲良く生きましょう。あなたがこころ豊かに、健康で楽しく生きられたら、周囲の人がきっとあなたを羨むでしょう。あなたのような人が増え、社会は穏やかになるでしょう。人類はこうして大きな平和を実現できると思います。
2006年01月25日
コメント(0)

今朝もすばらしい日の出を見ることができました。 私は毎朝日の出を見ることにしています。 朝日の光を浴びることによって体内時計のリセットがされるそうです。体内時計は1日が25時間なので、リセットしないと毎日1時間づつ遅れてしまうそうです。それでなお早起きが困難になるそうです。 朝日の光には脳内物質のセラトニンを分泌させる作用があると言われています。セラトニンは幸福感や満足感を感じさせるので、朝日の光を十分に浴びていれば幸福感に満ちた生活を送ることが可能です。 今から100年前には電気も大都市しか普及していなくて、石油ランプの生活でした。夕食を食べれば8時でも9時でも眠るほかはありませんでした。 いつの間にか24時間テレビは放映され、ヨーロッパでのサッカーの試合などをジャストタイムで見ることができます。深夜に起きて見ることになり、体内時計と一致しなくなります。朝日を見ることもできませんからセラトニンも分泌されません。若い人に無表情、無気力な人が多いのはこれが原因かも知れません。 昔の生活がベストとは思いませんが、早寝早起きは何万年も前からの生活により、体内時計が決めたことです。僅か10~20年間の夜更かし型の生活で体内時計を変えることは不可能です。 テレビを消せばすむのですから、お金はかかりません。自分の健康の為にも早寝早起きの生活に戻したいものです。
2006年01月24日
コメント(0)
真実とはなんでしょう。誰にも真実があります。いまあなたが生きていること、それが真実です。ですから特別に真実を求めなくても、あなた自身が真実です。では「あなたは真実を生きていますか」と尋ねられたらどう答えますか。「真実を生きています」と答えられる人は少ないでしょう。そう答えた人の中でも、自信を持って言える人は少ないでしょう。真実を生きるということは、自分自身の意志によって生きるということです。自分自身の意志とは「本当の自分」の意志のことです。「本当の自分」とは自分以外の人やモノ、カネ、常識、宗教、教育などの影響と、自分の感情などを除外した真の自分のことです。ですから、真の自分を知ることさえとても難しいのです。真の自分を知ることを、仏教では「悟り」と言います。「煩悩の塊の自分」と「真の自分」の差を取ること=悟りと言います。真実を生きる人はとても少数でしょう。真実を生きる人は生存するだけで満足していますから、お金に関心がありません。他人に評価を求めませんから、他人と付き合いません。喜怒哀楽などの感情に支配されませんから、いつも淡々としているでしょう。権威に関心がありませんから、相手を説得しようとしないでしょう。いつも同じ服を着て、まるでなにもしていないように見えるでしょう。ですから誰も「真実に生きる人」とは思わないでしょう。殆どの人が真実に生きていません。ですから「真実に生きる人」を見つけることもできません。「真実に生きる人」を見ても、変な人と思うだけでしょう。自分に真実の意味がわからないのですから、無理もありません。しかし殆どの人は不安で生きています。健康や生活、愛情、お金やこれからのことが不安です。不安を少しでも軽くしてくれそうなモノにしがみつきます。お金、保険、健康食品、健康法、恋人、結婚、仕事、資格、宗教などです。宇宙の真理や宗教まがいの精神世界などにもしがみつきます。それでその手の大家(たいか)の大先生が大人気です。単に知識と情報を仕入れて販売しているのですが、まるで本人のような顔をして本を書き、講演をしています。しかし殆どの人は真実に生きていませんから、本者かどうかも分からないのです。こうして本者でない方が大盛況ですが、これでは誰も真実に生きることができません。その結果殆どの人の現実は変化が起こらないので、現実の改善が進みません。もしあなたが「真実に生きる人」になることを望むなら可能です。いやあなたは「真実に生きる人」になることを決意して転生してきたのでしょう。生きる方法にばかり関心を持って、いつの間にか目的を忘れたのでしょう。あなたが「真実に生きる人」になれば世界は変わるでしょう。環境破壊も戦争も人口爆発も解決するでしょう。あなたが「真実に生きる人」になることを、すべてが待っています。どうぞ今から始めてみましょう。LORAN神様のつぶやき NO.87 2006/01/16(Mon) No.142
2006年01月23日
コメント(1)

1月14日~15日は名古屋1日リラックスワークと第1回ぎふすぴこんでした。1月18日~19日は千葉県銚子市犬吠埼へ瞑想に行きました。1月20日~21日は第5回福岡すぴこんでした。8日間に3つのツアーを6日間でしていました。6日間のツアーで車を合計1650kmを運転し、羽田から福岡までの往復は飛行機でした。もちろんセミナーやセッションが目的ですから、その前後の時間に移動しました。1月21日の福岡すぴこんの帰路は予約してあった20:40が羽田空港の大雪のために欠航し、21:35に振りかえて貰いました。19:30にすぴこんが終了してからタクシーで福岡空港へ向かうと、その飛行機も20分遅れると言われましたが、ANA260便が4時間遅れで出発することになりそれに乗ることができました。結局、予約した時間より5分早い20:35に出発できました。羽田空港では成田空港へ着陸できない飛行機が来ていたため少し待たされました。 東名高速道路はインター閉鎖だったのか、時折車が通るだけでほとんど無人でした。自宅へはAM1:30に到着しました。私たちには大雪もなんの影響もありませんでした。自分が決めたこととは言ってもとてもハードな日程でした。今回のツアーで自分のことをもっと重点にする必要を感じました。犬吠埼で姿を見せてくれて、お声をかけてくださった存在(神様)と出会って痛感しました。すべての結果は自分の意識の結果です。自分の意識が変化しないで結果を求めるのは、長い棒で星を叩こうとするのに似ています。現在はすぴこんへ毎月2回は参加していますが、今までに申し込んである東京すぴこんと仙台すぴこんへ参加したら、遠いところのすぴこんへの参加の回数を減らそうと思います。それにかけている時間を自分の瞑想などのために使うことにしようと思います。今日はなにもしないでゆっくり休養します。体もハートもお疲れさまでした。(LORANのHPより転載 http://www.loran.jp/ )
2006年01月22日
コメント(0)

昨年暮れ、急に千葉県銚子市犬吠埼へ行きたくなりました。正月元日前後の数十日だけは地軸の関係で日本中で最初に朝日が昇ると書いてあったからです。インターネットで調べましたが、当然のように満室でした。日本中から日本一早い初日の出をみようと押しかけてくるのですから。それでやむなく犬吠埼で初日の出を見るのを諦めました。今年になり仕事が始まると、また行きたくなってきました。そこで犬吠埼灯台の隣のホテルへ予約しました。昨日(1/18)犬吠埼へ車で向かいました。朝9時過ぎに出て、夕方4時半ごろ到着しました。1日中雲っていましたが、夕日は雲が切れて見ることができました。今朝(1/19)早く起きて瞑想しました。私の中から究極の大きなモノが出ていきました。日の出の時刻、6:45に合わせて灯台の下へ行きました。水平線に低い雲があり、その上に朝日が昇ってきました。すべてに感謝と祝福を捧げました。私の中で大きな笑い声がしました。誰かと思うと、「お前の本質だよ。」と答えてくれました。私を導いてくださる神々が、次々と姿を現してくださいました。そしてそれぞれのお声で語りかけてくださいました。神様のお声を初めて聞きました。そして九十九里浜で祈りを捧げて帰宅しました。新しい段階へ入りました。歓びでいっぱいです。車の走行距離は2日間で640kmでした。 (LORANのHPから転載)http://www.loran.jp/
2006年01月19日
コメント(0)

あなたの頭の中で考えていることは、エンドレス・テープが殆どです。そのエンドレス・テープは、あなた自身が作ったものです。私はヒーラーです。お客様の頭の中にあるエンドレス・テープを取り外すことができます。すると「静かでなにも音がしない。」、「なにも考えられない。」と言われます。「困った、困った。」、「どうしよう、どうしよう。」と言っていたのは、あなたの頭の中で回っているエンドレス・テープだったのです。つまり、今まで考えていたと思っていたのは、エンドレス・テープが回っていただけなのです。はじめから考えていたのではなかったのです。あなたは自分が作ったエンドレス・テープを聞いていただけなのです。このようなことが起きたのは、頭の使い方を間違えたことが原因です。「頭はなにをするところでしょう?」と質問すると、「考えるところです。」と答えます。これが間違いです。頭は知識や情報などを記録し保存しておくところです。パソコンと同じです。ファイルやフォルダを作り、フロッピーやCD-ROMで整理して保存するところです。ですから必要に応じて検索し取り出すことができます。また文書を作ったり、絵を書いたりもできます。パソコンは考えることができません。入っているデータ以外は取り出せません。それで外部と光ファイバー・ケーブルでつないでデータを取り入れます。頭もまったく同じです。天才や芸術家はひらめきを大切にします。天才・アインシュタイン氏が一般相対性理論を思いついたのはベッドの中でした。ひらめきは外部から無線で送られてくる情報です。ひらめきを受け取るには頭の中を静粛にしなければなりません。頭で考えていては受け取れません。なぜか「頭で考える」ことを教育してしまいました。そのためにパソコンはフリーズしてしまいます。キーボードを叩いても全く動かなくなります。これはパソコンの能力以上に記憶素子を使ったことが原因です。これを繰り返せば部品は壊れパソコンは使えなくなります。頭は壊れても修理できません。知識や情報の倉庫を考えるために使えば、血圧が上がります。脳は体重の10%以下ですが、酸素は全身の33%も使います。脳をフル稼働させれば酸素を供給するために血液が集中します。それで血圧が上がり、細い血管はパンクしてしまいます。血圧は電気で言えば電圧に相当します。電気部品には定格電圧があります。パソコンや電話などの情報機器は、弱電と言って24V(ボルト)か12Vです。そこへ100Vもの電圧がかかれば、当然ショートして破壊されます。これが頭のフリーズの原因です。脳を自分で破壊しているのです。日本は世界一の「うつ病」大国です。5人に1人が生涯に1度はかかるそうです。東京では4人に1人の割合だそうです。すでに国民病です。これは頭で考えることを教育したことが原因ですから、もうやめましょう。頭で考えないのではどこで考えたらいいのでしょう。実はインスピレーションで知識を得るのですから、考える必要はありません。考えるのではなく、データを比較し、選択し決断するだけで十分なのです。その決断は「はら(腹)」でするのです。頭ではありません。あなたはそれでも疑問を持つでしょう。考えなくてもいいのかと。考えなくてもいいのです。あなたが考えていると思っているのは、エンドレス・テープが回っているだけなのですから。
2006年01月17日
コメント(0)

昨日(1/15)初めて岐阜へ行きました。新幹線や名神高速道路で毎月数回は往復していましたが、通過するばかりでした。今回は車を運転して長良川国際会議場へ行きました。駐車場の隅には溶けていない雪の小山がありました。前日の雨が雪だったら車では来れませんでした。ぎふすぴこんで「光の卵」のワークショップを開催させていただきました。参加してくださったお客さまが「神様のつぶやき」を購入してくれました。持参した本は帰りには1冊が残っただけでした。いつものように本へサインさせていただきました。一人づつ座っていただき、私がお客様のハートへアクセスすると、ハートからメッセージが届きます。それを本の見開きに書かせていただきました。今回お目にかかった方の多くがハートに大きな光の輝きがありました。特に最も高齢のご婦人(80歳位)の方のハートは大きな光しかありませんでした。すばらしい光の存在でした。年齢を重ねてこそ価値が上がります。それを実践されているすばらしい方と出会うと本当に頭が下がります。
2006年01月16日
コメント(0)

明日(1/14) 名古屋1日リラックスワークを名古屋国際会議場で開催します。明後日(1/15) 第1回ぎふすぴこんが長良川国際会議場で開催されます。この両日は名古屋と岐阜へ出張します。昨年1月に福岡すぴこんへ参加してから、毎月二回は全国のすぴこんへ参加しています。今年は自分個人のワークを中心にしようと思います。それですぴこんへの参加は半分程度になると思います。今月は15日の岐阜に続いて、21日に福岡すぴこんが開催されます。2月は東京と仙台(名取市)へ、3月は北九州と神戸へ行く予定です。すぴこん会場で皆さまとお目にかかれたら嬉しいです。
2006年01月13日
コメント(0)

外には雪がしんしんと降り積もっています。部屋の中にはやかんの湯がしんしんと蒸気を上げています。テレビもなく、ラジオもつけないでいると、置時計の時を刻む音だけが響きます。時は雪が降る夜には止まっています。あなたがいなくなってから 時は止まったままです。私は置時計の時を刻む音を聞いています。こうして雪の降る夜は更けていきます。雪は思い出を包むように降り積もっています。時の止まった世界で 静寂は揺りかごのように私を夢路へいざなってくれます。この夢路が果てしなく続きますように。この静寂がすべてを支配しますように。こんなに平穏な夜が来るなんてこんなに静かな夜が来るなんてあの頃は想像することもありませんでした。あの人が私に残してくれたのはこんなに静かな夜でした。だから私はこの静けさの中にいます。こころ穏やかに過ごしています。いつかこの雪が溶けて春の陽射しが野山を照らすとき、私にも時間が戻ってくるでしょう。草が伸びて 木の枝に花が咲き小鳥がさえずり 蝶が舞うとき私も一緒に 舞い踊るでしょう。時間と静寂から開放されたすべてに生命がよみがえるでしょう。また忙しく出会いの歓びがあり短くも燃える恋のときがきてすべてを忘れて 燃え尽きるでしょう。だからいまは止まった時の中で静寂を揺りかごにしてやかんのお湯のしんしんと蒸気を上げる音を聞いています。雪はしんしんと降り積もります。
2006年01月11日
コメント(2)

12月28日、静岡市では朝の気温が-2.5℃まで下がり、この冬一番の冷え込みとなりました。 12月の月間の最低気温が氷点下2度を下回ったのは、前回が1995年、前々回が1985年でした。つまり、大寒波は10年に一度やってくる訳です。(静岡新聞より)1月5日の小寒から1月20日の大寒、そして2月4日の立春までが1年間で最も寒い時期です。今年は10年振りの大寒波だそうですから、一層寒さが身にしみます。どうぞお体を大切にしてください。季節は暦のとおりに過ぎて行きます。大寒波は10年毎にぴったりと来ています。地球の自転も、太陽の周囲を回る公転も寸分の狂いもありません。月の満ち欠けも潮の満干もまるで計算し尽くしたかのようです。人はその中に身を置きながら、自らの健康でさえ思うに任せません。それは自分のエネルギーを守ることができないからでしょう。飽食の時代とかでダイエットが必要なほど太っていても、健康ではありません。科学の進歩で便利なツールを揃えても、結局は自分を駄目にしています。例えば電気が点いたおかげで夜は明るくなりましたが、夜更かしのせいで朝起きることができません。テレビを見ているせいで家族の対話はなくなり、運動不足になりました。そんな便利な生活をするために、遠方の勤務先まで通わなければならなくなり、母親もパートで働く必要があります。子どもは幼児期から保育園へあずけられ、寂しい思いをさせられます。こうして便利は家族の絆を細くし、崩壊へ向かわせています。自分と家族が大切なことを知っていても、方法である便利を得るために家族の絆が切れてしまっては本末転倒です。なんのために働くのか見失っています。もし本当に家族のことを思うのなら、勤務時間だけで帰宅できる労働環境を選ぶでしょう。所得が少なくなるなら、所得以内で生活できる環境へ移転すればいいでしょう。例えそこが田舎でも離島でも。本当に大切なものを知っているなら、躊躇することも悩むこともないでしょう。その選択ができないのは、自分の大切なものが分かっていないからでしょう。分からない原因は自分の考え、自分の基準がないからでしょう。他人の考え方を借りているから、自分のことなのに決断する勇気がないのでしょう。いつも人に依存しているから、そうならないことやできないことを人のせいにするのでしょう。もし自分が決断していたら、人のせいにはできません。自分に力を取り戻すことが必要な理由は、自分の責任で生きていく勇気にあります。自分の人生で起きるすべての責任を自分が負う勇気があれば、きっとあなたの人生はとても愉快で楽しくなるでしょう。
2006年01月08日
コメント(0)

明日になれば涙も涸れるでしょう。明日になれば涙も乾くでしょう。明日になれば嵐も去るでしょう。明日になれば雨も止むでしょう。どんな長い夜もいつか終わるでしょう。凍える寒い冬もいつか終わるでしょう。たとえどんなにつらい日々でもいまがどんなに悲しい夜でもきっと明日は朝が来るでしょう。冬のあとには春になるでしょう。夜が深いほど朝は明るいでしょう。冬が寒いほど春は暖かいでしょう。雪深い山にもきっと春は来るでしょう。陽が昇れば氷も溶けるでしょう。だから今夜は静かに眠りましょう。暗い夜には目を閉じていましょう。柱時計が時を刻むように川のせせらぎの流れのように明日になれば朝が来るでしょう。冬が終わって春になるでしょう。長い夜を過ごしたあなたは冬の厳しさに耐えたあなたはためていた思いを一つにして永い間の思いをいまここで朝日の中で手放すでしょう。思い切り爆発するでしょう。それは一瞬の間に光となるでしょう。あなたもまた光となるでしょう。あなたが朝日となって輝くでしょう。春の陽射しとなってすべてを照らすでしょう。そのときすべてが目覚めるでしょう。冬の眠りから目覚めるでしょう。間もなくそのときが来るからすべてが終わる時が来るからそれまで静かにいまは眠りましょう。明日を信じていまは眠りましょう。 (作詞 LORAN)
2006年01月06日
コメント(2)

こんなに愛しく思うのはなぜだろう。こんなに優しく思うのはなぜだろう。溢れる陽光の中に、流れるせせらぎの前に座り、きらめく水の光を見ています。地球は表面を平にすれば1500mもの海になるそうです。海が太陽の光に暖められて水蒸気となり、雲を作ります。雲は山を越えるとき雨を降らせます。雨は冬には雪となって、山の頂きに降り積もります。溶け出した水はせせらぎとなって山を下ります。地中へ浸透し地下水流となって麓で湧き出る水もあります。雨や雪は自分が生まれた海へ帰ろうと一直線に向かっています。自分の仲間がいる海が恋しくて、「帰心矢の如し」です。そんな水が野山を潤し、木や草を育てています。田畑に野菜や果実を育て、川に魚を育てています。人や獣や鳥を育て、歓びが躍動します。地球に住むすべてが水の作品です。人は体重の70%が水です。海に住むくらげはほとんどすべてが水です。水はすばらしい創造者であり、芸術家です。水と太陽の光と空気は地球上へ奇跡を起こしました。約46億年間に創造したものは正に芸術です。そこに生命の歓びが躍動しています。静かに地球を見つめる目があります。そこにあるもの、そこに生きるものを見つめています。あるがままを、生きるがままを、誕生し、成長し、繁殖し、役目が終わるものを、創造し、崩壊し、繰り返しているものを、それが地球のありのままの姿であり、絶え間なく変わり行くのが生きる姿であり、生きる地球とともに生き、ともに成長しています。いつか数十億年もの未来に、この地球も寿命が尽きる時が来るでしょう。その時まで地球は私たちとともに生き続けるでしょう。その時を静かに見ている目があるでしょう。地球の誕生も、その最後も見守る目があります。それは宇宙の創造主の目です。その目はいつも存在するすべてに注がれています。私たちがすべてを忘れて自然の中にいるとき、その慈愛の目を感じます。私たちがどのように生きていても、私たちを慈愛の目で見つめていてくれます。私たちは宇宙の創造主の一部であり、子どもなのです。その子どもが笑い、泣き、成長し、いつか亡くなるのを、じっと見つめていてくれます。大いなる宇宙よ、大いなる創造主よ、大いなる地球よ、大いなるすべての存在と生命よ、そのすべてに祝福あれ。
2006年01月03日
コメント(0)

西暦2006年になりました。21世紀になって5年が過ぎました。21世紀には物質文明が終り、精神文明になると言われていました。2月4日の立春になっても、まだまだ寒い日が続きます。本格的な春は梅が咲き、桜が咲いてからでしょう。そうなるまでには1ヶ月が必要です。1年間でも1ヶ月を要するのですから、1世紀では約8年かかるのでしょう。いままで5年間がたったのですから、あと3年間かかるのでしょうか?冷たい吹雪が舞う日もありますが、雪の下には草が芽を出しています。枯れたように見える梅の枝先に、固い蕾があります。表面的にはなにも変わらないようですが、日1日と日差しは伸びています。気温は寒くなるのに、太陽は明るく見えます。こうして季節は確実に歩を進めています。太極思想にあるように、「陰極まれば陽を生じ、陽極まれば陰を生ず。」です。冬至は陰極まる状態ですから陽を生じ、陽は夏至まで成長します。夏至は陽極まる状態ですから陰を生じ、陰は冬至まで成長します。20世紀は「分離」が極まる状態でしたから「統合」を生じました。お金が力であり、権力であり、軍事力であり、国力であり、ぜい沢を可能にしました。ぜい沢は便利で快適であり、幸せであると信じました。西洋資本主義先進国は競って植民地を拡大し、搾取を続けました。植民地が独立して半世紀たっても、旧宗主国は支配を続けています。資源の売り先や技術の指導、工業製品の輸入に頼っているからです。莫大な債務を持つ旧植民地は、貧しさを改善できないでいます。このような貧富の差を「分離」と言います。「分離」は容認されるべきではなく、すぐにやめなければなりません。「分離」は人々を経済力の強弱でピラミッド化しています。上の段の人が下の段の人を支配する構造です。その頂点の人に富が集中するような構造になっています。20世紀はお金が人を支配する時代でした。資本主義と言います。これからの世界はお金を人が使う時代になります。人間主義です。お金に与えてしまった力を取り戻すことが必要です。お金があれば幸せなどという言葉は無くならなければなりません。お金よりも大切なものがあることを確認しなければなりません。お金に支配されることを拒否しなければなりません。その為には会社という「商業法人」を抹消しなければなりません。「商業法人」とは営利を得ることを目的に設立された法人のことです。法人とは法務局へ届出することにより認められた人間でない人格=法人です。「商業法人」は株式会社や有限会社という名前で人を雇用し営利を得ています。設立した発起人はいつか役員を辞めますが、「商業法人」は何十年も成長を続け、何万人、何十万人も人を雇用していきます。「商業法人」は巨大な怪物なのです。営利を得るためならなんでもします。法人であって生きている人間ではありません。正に血も涙も無いのが法人です。このような怪物が資本主義の主人公=王様です。ですから世界はどんどん悪くなるばかりです。環境破壊や汚染がどんなに悪化しても、法人は人間ではないので平気でいられるのです。このような世界を終わらせなければなりません。「商業法人」という怪物の支配から脱出しなければなりません。賃金という餌に頼っていたら、いつまでも奴隷でいなければなりません。いま人類の叡智が試される時が来たのです。
2006年01月02日
コメント(0)
全16件 (16件中 1-16件目)
1


