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観劇週間の第3日目は、宝塚歌劇星組公演『さくら』/『シークレット・ハンター』。宝塚舞踊詩と題された日本物のショーは、明確なメッセージ性を有し、冗長さを排したすっきりとした構成、そして何よりも主演者の持ち味を十二分に引き出す演出が印象に残りました。また、第2部の『シークレット・ハンター』は、コミカルで、ショー的要素も盛り込まれた色彩感あふれる明るい作品、ハッピーエンドなおとぎ話風味ゆえの後味のよさでした。
最近疲れ気味で、なかなか評論意欲がわかなかった私ですが、今日は多少元気ですので、座付作者と主演者の不思議な関係について、感じたことを書いてみたいと思います。
主演の安蘭けいという人は、歌、芝居、日本舞踊のどの分野をとっても、その豊かな表現力に支えられた総合点の高いパフォーマンスを見せるスターであると思いますが、彼女がいわゆる宝塚の「ステレオタイプの正統派男役」であるかと問われれば、実は「否」と答えざるを得ないような気がしています。男役にしてはあまりにも華奢なその容姿、宝塚の男役にありがちな「スター個人のカリスマ性に役柄を引き寄せて舞台を造形する性向」からはおよそ遠く隔たったアプローチ。彼女は優等生のようでいて、どこか宝塚らしからぬところがあって、それがまた不思議な個性を形成しているように見えるのです。
しかし同時に、彼女もまた役者の性として、自らが演じる役柄に独創性を与えずにはいられないわけで、自らの個性をはっきりと自覚し、決して強引ではないけれども、しなやかな強さをもって与えられた役に個性を投影することを忘れない...。しかも、面白いことに、座付作者達は、そういう彼女の個性を知り尽くしていて、結果としてスターシステムを基盤とした宝塚ならではの、主演男役の個性を前面に出した演目構成になってしまっていたところが非常に面白く感じました。
今回の『さくら』(作・演出:谷正純)にしても『シークレット・ハンター』(作・演出:児玉明子)にしても、座付作者達の態度は、「はじめに作品ありき」というよりは、明らかに「はじめに安蘭けいありき」からスタートしているように見えました。にもかかわらず、演ずる安蘭けいの側は、座付作者達の意図を十分に自覚しながら、漫然と提供された場に身を委ねることを一旦棚上げにし、スターとしての個存在を白紙還元したうえで、全く異なる性格の二役を一から造形してみせる、しかも彼女のならではの持ち味を十二分に活かして、いかにも「当たり役」であったと観る者に言わせてしまう...。この公演では、こうした座付作者と主演者の実に奇妙な関係が、スリリングでありながらも全く嫌味なくごく自然に共存していて、それがまた不思議な感覚を呼び起こしたのでした。
ハンブルク・バレエの「人魚姫」 2009年03月01日
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