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「広告下げ」といわれる行為が嫌いです。広告下げとは、無料ウェブスペースで自動挿入される広告を、HTMLの末に改行タグを入れまくって実質的に隠してしまうことです。その他に、広告が表示されないようにするタグを使ったりする場合もあります。大した内容もないくせに、そんなにレイアウトが気になりますか?だったら有料版を使えばいいではないですか。有料版を使う金がなく、広告も嫌だと言うのならそもそもサイトなど持つな。そもそも規約を守ればいいだけの話です。規約を守るのが嫌ならそのウェブスペースでサイトを開設しなければいいのです。自動挿入の広告は比較的おとなしくなってきたと聞きますが、今でも、確かに広告のうっとうしい無料サーバーも中にはあります。でも、使うのなら規約を守れよ。それが対価なんだから。ほんの数行のテキスト広告でも我慢が出来ないのですか?だったら有料使え。某板で他人に直リンを指摘していた人がいたのね。ネットマナー違反だとか、決まりが守れないならわたしのサイトに来るなとか、かなり尊大な口調だったから、さぞかし立派なサイトを運営しているかと思って見に行ったのよ。そうしたら広告下げをしていました。「お前も規約違反してますよ」と言ったら「うざいししつこい。移転します。」だってさ。向こうもわたしのことをサイトに書いていたので、こちらも書きました。w
Apr 25, 2007
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「金色のガッシュベル!」の連載がそろそろ終わるという話がある。 漫画それ自体は、小学生も読んでいるくらいなので、幼稚な部類に分類されるのだろうなと思われる。だから、好きだと言うのが少し恥ずかしい。 けれども、わたしにとっては思い入れの深い作品で、能力的には「弱い」設定の魔物でも、色々な工夫をして戦いに勝ったり、均等でない条件下でも戦おうとする意思を見せたりするところが良いと思っている。 某板には、これを知力戦と表現なさった人がいた。 偶然や状況を味方につけることが上手である(単に都合の良い後付の展開?)というだけのようにも見えるので、知力戦と言うのが適切かどうかは分からないが、要は同じ点が気に入っているということなので、そういう人がいて良かったと思う。 わたしは、高校三年生のときに、未だに付き合いのある、やさしい友人に貸してもらってこの漫画を読んだわけであるが、登場人物同士の適度にぬるい交流が心を癒してくれた。人間が本を持ち呪文をとなえないと、魔物は魔法を使うことが出来ないという設定によって、「協力」の妙が効果的に表されている。 オープニングテーマだった「かさぶた」を聞いていると、大人になることを拒否していた(今も拒否し続けている…(汗))自分にとっては、「ガッシュ」の世界は、恥ずかしいけれども心地良かったのだなと改めて感じる。 この漫画の良さは、全体の雰囲気を構成している、ぬるさとやさしさと馬鹿馬鹿しさだと思う。友情や何らかのテーマを声高に主張するわけでもなく、清麿は何の必然性も無く天才少年という設定で、本が燃えれば魔物は魔界に帰るだけで緊迫感があまり無い。それを揶揄する向きがいるけれども、「だがそれがいい」のではないだろうか。 ぬるさ・やさしさ・馬鹿馬鹿しさは現実では不要のものと見なされる。加えて自分は、あまりぬるく物事を捉えられない性質で、それ故に誤解もあれば、見えない壁の前に無気力を感じることもある。現実はシビアなものだから、ずれが生じないという点では良いのかもしれないが、相当の実力が無いのに、ぬるく捉えられないとその内疲れてきてしまうのである。(^_^;) 少年漫画にしてはぬるく、それでいて、「面白く」しようとして低俗なギャグに走りすぎてもいない、という絶妙のバランスがわたしにとって居心地の良い世界を作り出している。雷句さんの感性が存分に発揮されている結果だと思う。 隙の無い論理展開を行えることは素晴らしいが、感性でものを書くのもまた否定されるべきことではなく、たまにそういった感性の世界に遊ぶ余裕があることこそが幸せなのではないだろうか。
Apr 12, 2007
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今日から新学期が始まるのだが、案の定、行けなかった。成績を見ることも出来ていない。こういう自分は何とかならんものか。理想の自分になりきるブログとして始めたのだが、趣旨を見失いつつある。もうやはり、自分の汚いところや情けないところを隠し続けていると負担で仕方がないからだ。今日も何となく、印象から引っ張り出してきた台詞の一つを書いてみる。「あんな星、なくなっちゃえばいいのにって、そう思うよ。」某小説(アニメを元にした)で、月から地球を見ながら…というシチュエーションで言うものであって、実際にどうかは知らないが、その小説の中では地球は「頭上を仰ぐと見える」ということになっている。地球の大きさは月の三倍なので、そんなものが頭上に存在していたら圧迫感があってしょうがないだろうから、邪魔に感じるのも確かにそれもそうかと思う。小説世界での地球が、そういう圧迫感を与えるものの比喩として存在しているんだったら結構深いなぁと思う。未来においてたとえ開発されたとしても、月が住みよいところだとは到底思えないから、住んでいる人が(半ば自由な意思で移住したとしても)「追いやられた」と感じていて、尚且つそうそう地球に帰れないのなら、(小説世界のように)意識が自然と歪んでくるのではないだろうか、とか思ってみたりする。その世界では月に住んでいる人たちの間に、要は選民思想が存在していることになっている。実際に月に人が住むようになれば、あり得なくは無いと思うんですが、どうだろう。住めば都というのは一種の強がりなのではないかなぁ。ここまでは良いけれど、民族独立運動が高まっているという設定もある(笑)。でもこの場合、人種も国籍も違う人の集まりなわけだから、どう民族を定義するんだろうね。もしかして作った人は、民族という概念が実はよく分かっていないのじゃないのかしら、と思ってしまったりもする(爆)。わたしにも分かっていないのかもしれないけどさ…難しいよねぇ政治って!敢えてその、実際の政治を扱った文脈に普通に出てきて、論点になり得る概念をアニメで取り上げた勇気には感心しないわけじゃない。普通はタブーじゃんね、普通は。
Apr 12, 2007
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もうご存じの方が殆どであろうが、このブログは理想の自分になりきり日常を美しく綴るという性質のものである。だから恐ろしく虚構的である筈だし、あまりにも馬鹿馬鹿しい記述がそこここに見られることだろう。それでも読者の皆様はきっとこのわたしを許してくれると信じている。むしろ楽しんでいただけるのではないかと思ってさえいる。さて、何年も前のゲームの話で悪いのだが、「ダンバイン聖戦士伝説」が結構面白い。第三者の視点からアニメを追体験できるゲームだ。思えば高校三年生の頃のことだ。弟が月に一度アニメのビデオを借りてくるようになった。わたしは学校が嫌で逃避モードに入っていたのだが、弟の借りてくるビデオは心に潤いを与えてくれていた。夏休みの辺りに借りて来たのが「聖戦士ダンバイン」で、初めから終わりまで通して見ることが出来た。どんな話か簡単に言うと、異世界バイストンウェルに召喚された主人公が、地上の技術を用いて作られたオーラバトラーという機体に乗って戦うお話である。第一話の終わりに主人公が「ここは、どこなんだ…?」と言うが(もっと早く言え!(汗))、当時は異世界に召喚されて聖戦士となって戦うという設定が、現在のように「お約束」ではなく、新鮮味のあるものだったらしい。しかもロボットで戦うとなるとこれが初めてだったようである。要するに、さきがけなんでしょうね。ロボットのデザインが虫っぽいとか変な台詞とかパロディネタとか、斬新で(?)素敵な試みもなされていて、アニメ自体が素直に面白かった。ゲームをしているとアニメの場面を思い出したり、そういえばそんな設定だったなぁと思ったりで非常に懐かしい。わたしの高校時代の、良いのか悪いのか分からないが、思い出すと「安息」の得られる思い出の一つである。
Apr 10, 2007
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新年度が始まった。今年から社会人になるわたしの知り合いも、善き人に囲まれて楽しく仕事をしているようで嬉しく思う。昨日は都知事選挙の投票日だったので、参政権の行使だからと真面目に考えることを忘れないようにしつつ、一票を投じてきた。政治というのは難しい………あなた、月面帝国でなくて、東京に住んでいるのですか?という問いは却下する!…のでご注意ください。
Apr 9, 2007
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