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【【 ホスピス入院 2週間と5日 】】 ( 月曜 ) 気がついたのが・・・ 意識がハッキリしたのが夕方 妻の笑顔があった・・・ 今日は一日、色々あったのだろう 「堕天使」か「不死鳥」か 選択をしようとしてたけど 選択出来る状態じゃないかも・・・
2005.11.07
途中UP 項目のみUP 明日、内容を追加 【【 ホスピス入院 2週間と4日 】】 (日曜日 午前) M先生がお見舞いに来てくれる (日曜日 午後) 京都からN姫がお見舞いに来てくれる (日曜日 夕方) ヨハネSとパウロNが「最後の晩餐」に来てくれる (日曜 夜) 不思議な感覚 光るリングが身体を走る感覚 ・・・
2005.11.06
〇今週の進捗計画 「生前見積提示」(~9日)打ち合せ葬儀社の絞り込み 「会館見学」(~12日)会館の2社から1社の選択 ※ネットからのアプローチで現在の検討業者さん ・葬儀会館 2社 (今里会館・葬儀仏事センター) ・葬儀社 2社 (佐藤葬祭・ワンハートセレモニー) ・紹介経由葬儀社 3社 (川上葬祭・関井葬儀社・葬儀仏事センター) 〇葬儀関係見積資料作成添付の上5社へ メールで生前見積もり依頼発信中(11/5) (葬儀仏事センター・佐藤葬祭・ワンハートセレモニー・葬儀サポートセンター・キーパーズ) そのレスポンスで業者信頼性を判断する 11/7現在 見積もりに対する返答はない 〇会館見学 11/6 妻と長男が「今里会館」を見学 懸念項目を全てクリアーとの報告 ※現状、不測事態の場合は混乱回避の為から 家族には葬祭実施業者を「今里会館」に「仮指定」しているが 生前見積が出たら、 業者と詳細を詰める前に「仮指定」をし直す その判断基準は「印象」~信頼おけそうかどうかだけだ 実際の葬儀はその業者の力量でなく その葬儀担当者に拠る事が「大」である事は「よく」知っている 酷い担当者にあったら目も当てられない (社葬クラスの葬儀進行を素人同然の担当者が行っていた場を目撃した事がある) ただ、リスクを最小限にしたいだけ〇葬祭業者選定基準 (1)送付資料検討(11月4日検討済 2社除外) (2)会館使用または斎場使用かの判断 (11月6日妻会館見学予定 もう1施設も見学必要 大きな判断基準となるものと推測) ~公立斎場使用時・霊柩車・マイクロバス・タクシー等の費用は?~ (3)役所関係届代行有無 ~明細にコスト表示の有無~ (4)24時間対応有無 ~絶対条件~ (5)家族葬への担当者理解度 ~宗教葬のパターンスピークの場合はパス~ (6)希望式次第の担当者理解度(含サジェスチョン) ~実現可能性 力量の見極め 経験・写真~ (7)生花祭壇への説明度合 ~既存祭壇からの転換可能性・棺位置等・経験・写真~ (8)供花芳名板への理解度 ~既存花業者との関係調整・限度額の明文化~ (9)見積書検討 ~明細と総額と変動部分が明確か否か 不必要項目(遺影等)削除可能か~ パック料金の場合の柔軟性 「一式のサービス価格で含まれている(NGワード)」 のスピークでパス (10)NGワード使用業者 (会員価格・〇〇%オフ・葬儀協同組合標準価格・一般価格) 旧態依然の業者さんは検討時間のムダ ※ 葬祭業者紹介業者さんは当然仲介料を取るのだろうけど それは必要経費でいいと見てる でも紹介業者さんの言う「いい業者」さんって 紹介業者にとっての「都合のいい業者」さんかも・・・ 〇業者選定 現在候補6社 資料請求8社 ~現時点で2社を候補から除外・今里会館・葬儀仏事センター・佐藤葬祭・ワンハートセレモニー・葬儀サポートセンター・キーパーズ・ベルコ:11/4 送付資料が写真見開パンフのみ 説明文のない写真パンフレット一枚入れ、 互助会の月会費のだけを付箋で示し 「お電話下さい、ご説明します・・・」と担当者の名刺 こんな営業をまだしているんだ ある意味驚き! 電話番号を開示しなくて良かった・ファミーユ:11/4 (1)パック料金表示 (10)NGワード(会員価格~2重価格表示・〇〇%オフ) 生花祭壇(138万)高価過ぎ ~この場合葬儀関係トータル総額は250万を超過を予測 パック料金は項目別だったが単価は入っておらず 所謂「一式」と変らないとの印象 ビデオ資料は高印象で期待してたので残念 資料も・封筒も一番立派だった(笑) 〇業者内容整理(11/5現在) 〇葬儀関係見積資料作成添付の上 今里会館を除く、5社へメールで生前見積もり依頼発信 (葬儀仏事センター・佐藤葬祭・ワンハートセレモニー・葬儀サポートセンター・キーパーズ) (生前見積依頼文) お世話になります。 生前ではございますが、通夜・葬儀の見積もりをご依頼致します。 誠に自分勝手ではございますが、 出来れば「項目別」と「総額」あと「お料理等の変動費」についても ご提出頂ければ幸いです。 想定できる限りの情報を書き出したつもりでございますが、 なにせ素人ですので情報不備がございます ご提案も合わせてご指摘をお願い出来れば幸いです。 ご提出頂いた見積もりをご検討させて頂きました上で 改めて詳細ご相談させて頂きたく、どうぞ宜しくお願い致します。・今里会館: 葬儀会館・近隣利便性有 11/6 妻・長男 見学: 高印象との事 祭壇柔軟性、パック料金でなくチョイス料金体系、 家族葬への対応等はクリアーとの報告 フローラルホールと比較検討の上 早急な見積依頼・相談・打合を予定 ・葬儀仏事センター:06-6934-6951 会館フローラルホール(城東区城東区中央1-12-6)有り HPの家族葬のイメージ(祭壇・棺位置等)写真を好感している 近日見学が必要と認識 今里会館との比較検討の上、会館葬儀の相談・打合を予定 資料請求当初より メールにて斎場使用の会葬30人「概算」見積提示を受けている 変動費部分についても言及され、信頼度高い、高印象 夜間寝台車(病院~自宅)深夜割り増し3000~5000円程 搬送10キロを超えると遠距離割増 料理 通夜 10人前 12.600 おにぎりセット 精進揚げ 1人前 4.000×人数分 (斎場利用の場合)生前見積依頼中 ・佐藤葬祭:03-3468-0949 関東業者であるが資料「小冊子」から信頼度高く、高印象 ここの紹介なら安心出来そう・・・ 提携葬祭業者紹介及生前見積依頼中・ワンハートセレモニー:0120-17-4242 葬祭業者・斎場使用前提 折込チラシ風の資料1枚だが高印象 同者の情報から斎場利用時: 霊柩車 36,750 送迎バス 21,000 タクシー実費が不要と判明 生前見積依頼中・葬儀サポートセンター:06-6304-9289 葬祭業者紹介業・生前見積依頼中 11/5 川上葬祭:06-6717-3342 を紹介 2~3日で提出との事 (川上葬祭のHPが何故が表示されなかった・・・) ・キーパーズ: キーパーズが葬儀社総合案内センター(西田 0120-97-5655)を紹介し そこが 関井葬儀社 TEL 06-6934-3545 を紹介? 間に何軒も入ってる、大丈夫かな・・・ 葬儀社総合案内センターに生前見積依頼中 関井葬儀社よりメールで反応 11/6 関井葬儀社へ 再び 生前見積依頼 (?)
2005.11.05
【【 ホスピス入院 2週間と3日 】】 驚きと困惑・・・から一夜が明けた ぼくは「堕天使」か「不死鳥」か 選択するのは、ぼく自身だ (土曜日 午後) 今朝からお注射が内服に変更 さっそく影響を覚える 顔面の痺れの範囲が拡大 痺れの度合いも若干強い 〇痺れの範囲 右下 ~ 下唇横下に下降 口腔 ~ 右舌下まで降下 右上 ~ 右瞼横に上昇 顎 ~ 口を開き難くなる 入院前(お注射変更前)と同じ様相 「元のお注射に変えて」 とは言わず、 今後の対処についてナースに相談 それには三つの理由がある・・・ ホスピス・・・ 21床だけの天空前広場 選ばれし者の集う場所・・・ 自分自身に問いかける 『 おまえは「堕天使」か? それとも「不死鳥」か? 』 今、ドクターを怒鳴りちらす
2005.11.05
【【 ホスピス入院 2週間と3日 】】 貧乏性・・・ と言うか貧乏だから仕方ない事なんだけど ムダが嫌い ムダ遣いが大キライ 100円ショップで、 ちょっとしたものを買うのも躊躇する程の貧乏性・・・ でも・・・ 買おうと思っている 手帳・・・ 絶対要らない 来年のスケジュールなんて必要ない ムダの極地 でも・・・ 本屋さんへ寄って あれでもない これでもないって 時間を潰しながら 手帳を買いたい・・・ 必要ないのに・・・
2005.11.05
【【 ホスピス入院 2週間と2日 】】 (金曜日 夜) 身体の中の変調が気になり 妻に電話 緊急の場合の葬儀は 妻が持っている資料(日曜見学予定の葬儀会館)にお願いする様に・・・ 今夜もしもの場合は仕方ないが 内容等については 明日打ち合わせる事にする 長男はこのブログの存在を知っているがURLを知らない 今、葬儀について段取りを踏んでいるが 緊急事態の場合を考えていなかった 今夜どうなるか分らないのに・・・ こうしてPCに向かっていると 少し変調が収まった気がする 疲れているだけなのかな・・・ 見積りって大切だ ぼくの場合、残り時間の見積もりを誤ると ダメージが大きい 成り行きで考えていると何も出来ないままに終わる 「最長の場合」と「最短の場合」の2種類の見積もりが必要だ 「最長の場合」→ 今年一杯 約2ヶ月 「最短の場合」→ 今夜 「なりゆき」 → 3週間 心の何処かで 後3週間は大丈夫 ひょっとして年内生きられるかもと思っていた でも、ちょっとした身体の変調で その根拠のない思惑は消え去る 優先順位・・・ とても大切だ 今、プライオリティ1位は 家族への手紙を書く事・・・ 下書きしてる場合じゃないかも とにかく仕上げて それから推敲しよう 明日仕上げよう 2位は緊急連絡先の整理 これは時間さえあれば出来る 3位が葬祭業者選定 内容はほぼ固まった 明日、葬儀会館系以外の業者に見積もり依頼しよう ただ葬儀会館以外の業者は 祭壇のイメージがつかめないからな・・・ 白木祭壇じゃなあ・・・ 4位が仕事の段取り ちょっとしたトラブル発生 自分が出っ張って処理するのは 体力的に無理なので段取りをきっちりしなくては・・・ 身体の変調 少し落ちついたかな・・・ 精神的なものなのかな・・・ ちょっと気になる
2005.11.04
【【 ホスピス入院 2週間と2日 】】 「明日、食堂のモーニングを一緒に食べよう・・・ モーニングは何時までかな?」 昨夜、微笑夫人からメールが届いた 「モーニングは10時30分迄だよ・・・」 (金曜日 午前) 予想通りに微笑夫人は遅刻 笑いながら病室に入って来た 「ごめん、ごめん!」 「とりあえずお茶飲もうよ」 ぼくは彼女に車椅子を押して貰い食堂へ・・・ 1人だと自分で車椅子を操作するのに 誰かといると押して貰うのが普通になっちゃてる 珈琲を前にして 微笑夫人は最近の出来事を話す ヘルパーの資格を取得した事など いつもながら、この人は活発だ 近況報告が一通り済んで 話が何故か「うつ」に及んだ ぼくは以前「うつ」と言うものを知らずに 「うつ」状態の同僚を『励まし、叱咤激励』して その同僚を休職に追い込んだ経験を持つ その同僚は最終的には会社を辞してしまった ぼくがその同僚を潰してしまったのだ・・・ まだまだ「うつ」に対する社会の認識は低い その後、ぼくは「うつ」について見聞きする様になり 一応の事は知る様になった・・・ 以前勤めていた会社で ぼくは別の同僚の様子が気になりだした 彼をお茶に誘い ぼくから「うつ」についての話をした その彼は自分で気がつかない内に 「うつ」状態に陥っていた・・・ ぼくは心療内科に行く事を勧める 当初、彼は病院の門をくぐるの事に抵抗を示すが あまりのお節介ぶりに 心療内科を受診 程なくお薬を貰ったらしい 「カエルの面にしょんべんって感じ・・・ 」 お薬は彼にあったのだろう 彼の顔に少しだけ笑顔が戻った 良かった・・・ 「うつ」でひとり同僚を潰したけれど 「うつ」のひとりに手を伸ばせた・・・ そんな話を思い出しながら 微笑夫人とお話は続く・・・ (金曜 午後) 耳鼻科受診 右耳鼓膜をまた切開 溜まっていた水を抜く・・・ これから後何回切開するのだろう とっても小心者だから怖いんだ 理事ドクター回診 ホスピスのスタッフは皆やさしい表情だが この理事は本当に温かい笑顔だ 今後の治療方針について話を聞く 驚き・・・ 困惑・・・ (11・4) 睡眠 10時眠剤服用就寝~25時覚醒・眠剤再服用就寝~4時覚醒 結構眠れた感じがする 視力 ここ最近、光の減退を感じる 浣腸 毎夜浣腸とのパターンとなる 便量少量 出血を確認 筋肉 足の筋肉が落ちている トイレへの移動時 力の入りづらさを確認 お注射 リードが取れた 明日から内服に転換 葬式関係の整理に「覚え書き」を活用開始 早く業者を絞り込みたい
2005.11.04
※葬儀について 自分としては自分の葬儀を出したくない 義理がけ参列(参列者の7割が 故人を知らない参列者とも言われている) 故人を偲ばない形骸化した実態 宗教者に対する不信・・・ ぼくは 火葬だけですませたい のが本音だ しかし、葬儀は故人の為でなく 残された者たちの気持ち区切りだとの話を聞き 近親者と極く親しい友がぼく故人を偲ぶ場としての 「通夜」「葬儀」ならと 妥協 した 世間体とか、因習と言う話はしないでくれ 【【 葬儀関係現在覚え 】】◎葬儀前準備→(基本)エンディングノートに集約 大型付箋に注意事項書き込み エンディングノートは「定物定位」の徹底◎危篤・死亡 〇危篤時 ・危篤時連絡先に連絡 危篤時連絡先一覧(エンディングノートに集約 ほぼ完了) ~ 伝達雛型作成 事前に親族グループ毎にキーマン設定 但、問合せの一元化 → 長男指定 〇死亡時 ・葬儀社への連絡 → 長男指定(搬送依頼) ・遺体搬送 ・葬儀社との打ち合わせ (葬儀詳細現在未定→葬儀社選定を急ぐ必要) → 生前打合・見積の確認 ・役所届け関係(葬儀社代行) ・通夜式・葬儀の日時・場所の確定 ・死亡時連絡先に連絡 ・友人関係連絡係(中嶋さん指定)へ長男が連絡 式場・時間が決まり次第、長男が係に連絡 (友人関係への連絡一切は係に任せる) 係は死亡時連絡先一覧(事前コピー手渡し)に従い連絡 尚、係は友人関係の 問合せ受付係を担う ・会社関係連絡 → 妻指定 連絡時チェックシート:作成必要 優先順位・連絡先範囲等 ~ 伝達雛型作成 連絡時チェックシート(作成必要)に従い確認 ◎死亡後~葬儀への動き〇死後自宅搬送 夜間は公営斎場は無人となる為 自宅への搬送が与件となるかもしれない 葬儀会館を利用するかどうかは未定※予期はしてても死を迎えると動転してしまう そんな時「葬儀」の事で家族が煩わされてはいけない 静かに、じっくりとぼくとの別離の時間を持ってほしい※自宅へ搬送した場合、1階に床をのべ(東西で構わない) オルゴールのCDを流す※家族は取り乱す事なかれ、微笑む余裕を持ってほしい 連絡先に洩れがないかをエンディングノートで確認〇湯灌 家族で行う〇死装束 お気に入りの「甚平」(背に龍の刺繍)〇副葬品 葬儀出棺時に 通夜で使ったブログのコピー・論文の別刷り等 (スナップ写真は家族へ) 〇葬儀内容について〇近親者と極く親しい友が故人(ぼく)を偲ぶ場〇形式 家族葬(家族+親族+ごく親しい友人)〇場所 未定 (斎場か会館利用かは葬儀社との打ち合わせの中で)〇喪主 妻〇家紋 なし〇宗教 なし〇寺院 なし〇宗教者 なし〇宗旨 なし〇宗派 なし〇遺影 緊急用で証明写真を用意(妻保管) 但、遺影用「ポートレート」を撮影予定〇戒名 不要〇骨壷 必要〇位牌 不要〇導師 不要〇読経 不要※生前信仰がない者が死後宗旨変えするのは納得いかない!〇香典 原則受け取らない(香典返しが面倒) 例外:団体分や供花料なら受取可〇供花 受け取る(場合により芳名板にて掲示)〇通夜供養品 残らないもの(砂糖等):妻希望〇葬儀供養品 残らないもの :妻希望〇通夜料理 人数分(提供は桶)葬儀業者と相談〇当日料理 人数分(松花堂系)葬儀業者と相談〇参列概算予想数 通夜 39名(家族6 親族28 友人5) 葬儀 41名(家族6 親族28 友人7) 火葬 34名(家族6 親族28 )〇式中ミュージック オルゴールCD(最近聴いているもの)〇通夜 式次第 (現在希望) ・黙祷 ・焼香 ・スナップ写真や(妻用意) ・国際結婚家族写真集(妻用意) ・このブログのコピー(3部作成予定) ・以前のブログのコピー(3部作成予定) ・生前の映像(DVD画面付ポータブル)等 で偲んで貰いたい〇葬儀 式次第 (現在希望) ・黙祷 ・焼香 ・故人紹介(司会):原稿未着手 ・追悼の辞(兄:未依頼) ・子供への手紙朗読(長男):原稿下書き中 ・妻への手紙朗読(長女):原稿下書き中 ・参列者へ手紙朗読(司会):原稿未着手 ・献花 ・喪主あいさつ◎法要関係※基本的に宗教的な事一切避ける 不要〇初七日 不要〇月忌 不要〇四十九日 不要〇百か日 不要〇月命日 不要〇命日 家族だけで3年位かな・・・ お料理を作って「今日は命日だ・・・」と偲んでほしい お供え物は不要〇彼岸 不要〇初盆 不要 家族の誕生日に家族全員が集うと言う素敵な場(習慣)がある ケーキを囲んでハッピーバースディを歌うだけだけど・・・ その時一緒にぼくを偲んでほしい 子供たちがひとり一人独立しても、 たとえひとりになっても妻は子供の誕生会をやめないだろう・・・ 最後は2人だけでいい それがぼくへの法要だ〇墓 不要!当然墓参行為不要 ※遺骨を炭素ダイヤ化する技術を適用 妻がその遺骨ダイヤを常に着用予定 ライフジェム http://www.lifegem.co.jp/ サイズ・カラー・カット・台座等は妻に一任 ※妻の死後は2人の遺骨を海に散骨 散骨実施者 長男指名◎ブログ関係〇全体管理 長男指名 ID・パスワード 現在未伝達 ・本人死亡告知 ・メッセージ返信(週間集約返信で可) ・死亡告知1ヶ月後 ページ削除◎諸手続 〇生命保険受取人変更 本人受取→妻宛変更済 〇郵便定期貯金受取人変更 未実施 依頼(妻) 〇遺言状 自筆証書遺言 内容「妻宛一切相続」未作成 〇生命保険入院給付請求 未実施 依頼(妻)
2005.11.04
【【 ホスピス入院 2週間と1日 】】 (木曜日 午前中) 昨日からの全身の微熱感は回復しないまま・・・ 子供たちへの言葉を綴っていたら 興奮してしまったのか 眠れず朝を迎えてしまっていた 昨日、病室で 彼女はすこし戸惑っていた・・・ 最近のぼくの荒ぶる心にどうしていいのか分らず 怯えた子猫の風だった ぼくは優しい声もかけず ベットに身体を預け 天井を見ながら独り言の様に これからの事務的な事を呟く 優しくない時が流れていた・・・ そんな時、遺影や子供の喪服であたふた 良かった・・・ あたふたして 彼女との距離がいつもの距離になった ぼくは不器用 優しい声をかけてあげれない・・・ 彼女は戸惑い、怯え、途方に暮れる 心では分っている 頭では分っている 理屈では分っている・・・ それを表現できない 馬鹿な不器用者だ 今日は祝日 文化の日・・・ あちこちで大学の文化祭が賑やかなのだろうな ぼくはひとり レース越しに街を眺めて オルゴールCDを聴く なんだかズルイ・・・ ゴメンねとも言わず 優しい声もかけず 何もなかった様にベットに横になっている 甘えている 今日、駅前に証明写真を撮りにいく 緊急時の遺影用だ ぼくのスーツとネクタイを持って来て貰う (どのネクタイだろう? 彼女の趣味が分る) 出来るだけ男前に撮ってほしいけど ちょっと無理があるかも 今、ナースに外出届けをお願いした 駅までなら歩いてでもいけるけれど 車椅子外出だ・・・ 彼女に押して貰おう 今日は娘もお見舞いに来るらしい 帰りにデパートに寄って喪服を買う予定 “あたふた”してる 静かに時が流れる休日の午前・・・ (木曜日 お昼前) 扉にM先生の笑顔! 開口一番! 「外出して餃子と麦酒を飲み過ぎてはいけませんよ~ 」 お土産を頂く ピンクレディのペットボトルキャップ 「UFO!」のメロディ付き・・・ これがまた賑やかだ 佃煮や麦の漢方薬も鞄から出て来た 「△△さんにも、早めに会いに来る様に言うといたよ・・・」 「まだまだ、大丈夫ですよ ホスピスは一方通行で生還はありえませんけど」 「うん、聞いた事ないね」 笑顔で会話を楽しむ 大学の教授会の話 PETの話 非常勤講師の話 あと、ぼくの仕事の話も少し・・・ 昨日届いた“エンディングノート”に連絡先を記入して貰う 「最期の時に連絡させて下さいね」 「連絡してくれ・・・ 留守電の時は折り返し何処に連絡するか入れてくれよ」 「はい、連絡係を決めておきます」 今日は大学の文化祭 「こんどは“ういろう”を持ってくるからね」 M先生は手を上げ笑顔で 扉の向こうに消えていく ぼくはベットの上で笑顔で見送る ありがたいよな・・・ こんなぼくを気にかけてくれて M先生の去った後の部屋は 優しい光に溢れている・・・ (木曜日 午後) 両手に一杯の荷物を持って 笑顔がやって来た スーツ、Yシャツに革靴 タイピンにカフス ネクタイは4本もある グレーのスーツは今年初めに買ったやつだったかな・・・ タイピンとカフスは見覚えある 100円ショップで買ったやつだ 次女はマクドをほおばり 「ダイエットしなくちゃ・・・」 ぼくはこの子の面接試験(先週)の時のエピソードを思い出し そのいきさつを聞く 「試験官が“社会人として守るべき事は何ですか?”って 質問したから、 “悪い事して警察につかまらない事です” って答えたら、笑われた・・・ 」 あと2・3の事でやっぱり試験官に笑われたらしい 「もう、□□は無理やわ・・・ 絶対落ちてるわ・・・ イヤヤワ」 結構面接練習もしただろうに 普段通りで面接に臨んだんだな・・・ 次女らしいや 遅れて長女が合流 おいおい、もうコートを着てるよ 4人揃ったところで 荷物の中からビデオを取り出しセット 「お葬式」のビデオ 伊丹十三作品じゃなくて 葬祭屋さんの作成したビデオ 資料請求したら送ってくれた 前半はお葬式一般の説明 後半はその葬祭屋さんのコマーシャル的なもの・・・ でも参考になった 何よりみんなで同時に見るのはいい あと何社かの紙ベースの資料 ドキュメントあり パンフレットあり 小冊子あり 新聞折込チラシみたいなのもあった 色々だ・・・ 今度の日曜 比較的近くの葬儀会館の見学会があるので 「長男と見て来て・・・ 」 パンフレット写真は祭壇が白木仕様 「う~ん・・・」 この時点で ここはダメだな・・・って感じる業者さんもある (互助会ってもう時代錯誤なんだろうな・・・ パンフレットの写真はキレイだけれど 内容が全く伝わらないから、パスだ) 子供にぼくの葬式の概略希望を伝える・・・ (葬儀業者さんと打ち合わせに早く入りたいな) ぼくの着替えが始まる 久しぶりに着るスーツ やっぱり痩せたな・・・ 肩のあたりがしっくりこない ネクタイは4本ある中で ぼくの選択は却下され みんなの意見でエンジ色に決定 そんな着替え中もスナップ写真を撮ってる 鏡で自分の姿を確認 う~~ん やっぱり、冴えないサラリーマンだ 自分の姿にがっかりしながら、 耳は「ポートレート」についてのその後を聞く 彼女は昨日、色々と問い合わせてくれた 写真館は今どこも「七五三」需要で忙しいとの事 ただ撮影から「ポートレート」の引渡しまでの期間が 4週間の半分でいける写真館があったらしい 2週間・・・ う~ん微妙だ 撮影はぼくの「遺影用のひとり上半身」と 「夫婦2人:椅子と立姿:銀婚式バージョン」の2つがいいと言う 銀婚式? そんな歳かな? 彼女と2人でのちゃんとした写真は 結婚式以来スナップさえないと思う(結婚式の写真も何処にあるのやら・・・) 「その写真館に火曜日に撮影予約を入れておいてくれる」 ぼくは続ける 「写真だけの結婚式ってあるよね、あれはどうかな? しない?」 即、却下された(笑) 「ポートレート」が出来上がるまでの不測の事態には 今日撮る証明写真で対応する事にする 病室に留守番の次女を残し スーツ姿の車椅子でエレベーターホールへ 今日はお見舞いの方が多いみたい・・・ ホールで家族に囲まれてるベットの患者さんも なんだか照れている いい時間が流れているみたいだな・・・ 車椅子を押して貰い 病院玄関から駅へ向かう・・・ 途中、歩道の段差に手こずり 踏み切りを渡ろうとすると 半ばで遮断機が降りだす 駅に近づくと放置自転車の車列 商店から張り出したディスプレイ・・・ 今まで気がつかなかった事を思い知らされる やっぱり娑婆は優しくないや 商店街でDPEを探す 程なく見つかったけれど 証明写真はやってなさそうな雰囲気・・・ 「出来ますよ・・・」 店員さんは慣れた調子で対応してくれた 通されたのは、店の奥の倉庫の様なところ 丸椅子がひとつあり、バックはただのクロスの壁・・・ 「写真のサイズはどれだけになりますか?」 実は写真のサイズは重要なのだ 遺影へ四つ切サイズに拡大するので 元のサイズが小さいと少しぼやけた感じになる 「4×2ですから・・・」 証明写真だからそれでOKなんだけれど それはちょっと小さいかも 「出来るだけ大きいサイズが欲しいんですけど」 「それでしたら・・・」 お店の外にある証明写真の自販機を勧められた デジタルで取り直しが出来 モノクロ・カラーの選択ができる 長女は興味津々 なにより通常の証明写真の倍以上のサイズ(何かの大型免許用?)もある 料金を投入してトライ! 1回目の写真は普通に正面から撮ってしまって 指名手配書写真風になってしまった・・・ 取り直しだ(キャンセル操作はとても簡単だった) 2度目は反省を活かして、 右目をカバーする感じで少し斜めに構える 画面に映りだされたサンプルは結構いけてた 証明写真でなく、スナップ写真でもない感じ 遺影用の元写真にすれば及第点以上だ(と思う) 音声案内に従い、待つこと数分 自販機の取り出し口に写真が出て来た 長女も彼女も気に入った様子 自販機証明写真は700円~とてもお得だ 「ぼくが持ってるより、〇〇さんが持ってて・・・」 ぼくは彼女に写真を手渡した これで遺影の事で“あたふた”する事はないだろう 車椅子を押してもらい 商店街を歩く お惣菜屋さんの店頭で半額表示のパックを発見 天ぷらの盛り合わせ・・・ 夕食の補食にしよう 商店街を抜けると住宅街 休日の住宅街は静か・・・ 横を歩いていた長女が 「お父さん・・・ 手をつなごう」 と手を伸ばしてきた 「どうした?」ぼくは照れながらその手を握る 車椅子の後ろは見えないけれど ぼくの背中は ぼくと長女を見る 彼女の何かを感じていた・・・ つながり三人で歩く昼下がり ここで時間が止まってくれたらな・・・ このまま静かに逝けたらな・・・ 涙が流れないように 流れないように・・・ 長女は小さな時から絵が得意 いつもコンクールに入選し 高校も美術科に入った 高校時代は学生生活も楽しみ 造形にも興味を持ち出し 担任も進学を勧めてくれた そんな時にぼくが病になった 元々貧乏だったのに 生命も長くないと分らされた・・・ 長女の描く絵に 哀愁に満ちた背景処理された絵がある ラファエロ調の16号の絵 長女が就職すると言い出した時の絵だ・・・ 「心配するな、大学へいけ・・・ 」 親として言ってあげたかった 「まかせておけ・・・ 」 口に出来なかった そんな自分が不甲斐ない そんな事がフラッシュバックして こみあげる嗚咽をごまかすのに 意味なく声を上げて笑ったりした 何もしらない横の長女と 車椅子を押す彼女はつられて笑った・・・ 祝日の昼下がり 幸せをかみしめる 時よとまれ
2005.11.03
(子供たちへ) 両親のいない家庭に育ったぼくは、 正直、家庭と言う「イメージ」が分らないんだ・・・ 父親って何をするんだろう? 父親って子供にどう接するんだろう? 手探りどころか、何も出来ずに、 ここまで来てしまった。 もう最期の幕まで来てしまった。 みんなにとって、ぼくは父親として どう映っているのだろう? 仕事ばかりして、休みもなく、 貧乏なくせして、 30過ぎてから、学校行って、勉強して・・・ 外食なんて、ほとんど連れていかずに いい父親じゃなかったよな・・・ お母さんと話した事があるんだ 子供たちに残せるものって 何だろう?って 分っていたけれど、 お金や物質的なものは無理だね 貧乏なんだもの でもね、 お母さんは言ってくれたんだ お父さんの一生懸命に頑張る姿で、 みんな分ってくれてるよってね 「一生懸命に頑張る姿」 お母さんにそう言われて、正直うれしかった。 でもね、 それって自分が好きでやってただけなんだ 「家族の為に・・・」なんて 後づけの理由でしかないんだ・・・ お父さんは、負けたくなかった 貧乏で、学のない、馬鹿にされる朝鮮人だけど、 お父さんは、負けたくなかった お父さん頑張ったよ 人に騙された事もある 人を泣かせた事もある 泣きながら冷たいめしを何度食べた事だろう・・・ でも頑張ったんだよ・・・ 子供たちよ 自分の道は、自分で拓かなくていけない でも、その前にもっと大切な事がある 愛ある家庭・・・ これが一番大切なんだ もし、 あなたに子供が出来たなら あなたに愛する人が現れたなら・・・ ぎゅっと、抱きしめてあげて・・・ 無条件のあなたの愛を注いであげて下さい そしてその人に 優しく抱きしめて貰って下さい あなたが微笑むと あなたの愛するその人も微笑む 微笑の再生産だよ・・・ あなたが幸せだと あなたの愛するその人も幸せになる 幸せの再生産だよ・・・ あのね、 愛するその人と巡り逢うのに、 焦りはいらない・・・ どこかで巡り逢う その時まで自分を高めればいい その愛する人に 恥ずかしくない自分を 育んでいけばいい 子供たちよ、世の中は悪意に満ちているね そのひとつ一つに憤慨しないでおくれ・・・ 子供たちよ、悪意の可哀相な人たちから遠ざかろう ただ、ぼくたちはその悪意を遠ざけよう 力をためて、その悪意を遠ざけよう 幸せには努力がいるんだ 幸せは勝手に訪れてはくれないよ 幸せになっておくれ・・・ 今のぼくがそうである様に 幸せだと照れなく言える人になっておくれ それが父の願いだ・・・ 生きていくには この世は辛い事が多い この世に自分ひとりだけだと そんな思いもするだろう・・・ でもね、そうではないよ きっと分る日が来る 愛されていると・・・ 自分で自分の道を拓いていく 悩んだり、迷ったり・・・ そんな時にお父さんが力になって上げられないのは、 正直辛い・・・ でもね、大丈夫 ひとりじゃない 辛く、長い夜、 この世の終わりかと思える時でも 必ず朝はやってくる 辛く長い夜を過ごしたご褒美は 紫色に輝く東の空 明るい夜明けだよ 大丈夫、ひとりじゃない ぼくで良かった 病気になったのがぼくで、良かった 病気になったのがぼくで、お父さん幸せなんだ・・・ だって もし、ぼくの大切なみんなが病気だったら ぼくは耐えられない 痛がるその姿を見てられない 苦しむその姿を見てられない・・・ 自分の事は我慢できる でも愛する人に降りそそぐ不条理には耐えられないよ だから、お父さんは幸せだよ お父さんが病気になれて幸せだよ みんなの笑顔に囲まれて逝ける 最高の幸せ者だよ みんなありがとうね いいお父さんじゃなかったけれど みんなを愛してる いつまでも愛してる みんなは、ひとりじゃないからね ・・・・
2005.11.03
【【 ホスピス入院 2週間 】】 (水曜日 午後) 身体が少し熱い感じが続く・・・ 氷枕を貰い 電動ベットの背部分を少し高くして まどろみながら家族と会話・・・ 死装束は背中に龍の刺繍のある お気に入りの「甚平さん」にしてくれと頼む 快諾! ぼくはひとり話す・・・ そろそろ遺影の用意をしなくちゃ 写真館にポートレートを撮りに行こうか 上手に撮って貰って それを遺影にすればいいや・・・ 「それって無理っぽいよ」 「どうして?」 「あれって出来上がりに1ヶ月位かかるよ・・・」 「1ヶ月? 間に合わない・・・ よね」 「うん・・・」 「どうしよう・・・」 ぼくは自分の写真をほとんど持っていない 「机のとこにあるCD箱の中にね、 旅行の時の写真のCDがあると思うんだ 今日捜してみて、明日DPEに出そう・・・」 家族はぼくがホスピスに入院してから 毎日使いきりカメラでスナップを撮っているけど 家族の写真の腕前と 顔の痺れで男前が既に台無し状態だから 遺影に使うには無理があるな・・・ でも遺影用の写真を用意をしておかないと 臨終の時のドタバタが増幅しそう・・・ とりあえず街のカメラ屋さんで ブルーバックにスーツを着て証明写真を撮って貰い それを緊急用にキープし ポートレートはポートレートで 写真館に撮りに行く事にした 「(お葬式の)用意、何もしてないね」 「・・・・・・・・・ 」 「!・・・ 喪服! 子供たち、喪服持ってたっけ?」 「長男は黒のスーツは持っていたけど 長女はどうだろう?」 「黒のスーツより 社会人だから略礼服はいるよ 買ってあげて 長女の分も今週中に揃えようよ・・・」 死に逝くとは 色々と面倒な事がある・・・ 注文していた「エンディングノート」が届いたと メールが来たので 家族にコンビニ迄取りに行って貰う 身体が熱っぽいや・・・
2005.11.02
【【 ホスピス入院 2週間 】】 (水曜日 午前) エレベーター前ホール 今日もいい天気だ・・・ 温かい日差しの中、意味なくニコニコ出来る 明るいホールで 昨日見つけた万華鏡 目に当ててみる 暗闇・・・ !!!(爆) 自分ひとり相当受けた 光を失っている右目に覗き口を当てていたんだ・・・ 右目が利き目だったんだと今更認識 笑えた・・・ ナースはその日その日で担当が替わり 朝、夕、夜と「今日の担当の〇〇です」と挨拶してくれる 軽い冗談を交わす程、ぼくは調子がいい・・・ ホスピスにはボランティアさんもいらっしゃる 3時には手作りの「おやつ」を部屋に届けて下さる 勿論、挨拶を交わす 「まあ、ご陽気で・・・」 たぶんぼくはフレンドリーなんだろう・・・ 色んな事を話す それにスタッフは応えてくれる でも、聞かない事もある 昨日、ひとりの患者さんが退院された・・・ 確かめた訳じゃない お話を聞いた訳じゃない 噂なんてありえない・・・ 退院した気配を感じるだけ フレンドリーなぼくも 他の入院患者さんの事は一切知らない 殆んどの時間を部屋で過ごすし ホールでのイベントで顔を合わせても 次の機会には、その人の顔はない・・・ 患者さんの家族が付き添っている事も多いけれど 会釈程度で、会話はないらしい・・・ 聞かぬが花・・・ ここはホスピス 天空へ続く明るく優しい広場 ぼくはそこでまどろんでいる 今日、また新しい患者さんがここに来るのだろう 優しさに包まれに・・・ 人として生きるために・・・ そして、人として逝くんだ (今の症状) 〇股間接に若干の痛み 昨日の外出の影響だろう 〇浣腸による排便量が減少 〇浣腸による排便時に初めての出血 〇ベットサイド移動時に軽いふらつき 昨日の外出時の疲れだろう 〇背中、肩、腕から手にかけて熱感 いつもの血液が逆流している感覚 もう慣れちゃった 〇画像がうまく見えない時がある 左目の視力が落ちてきているのかな 〇光を失った右目映像にペイズリー柄の残像復活してるかも これはハッキリしない そんな気がするだけかも
2005.11.02
【【 ホスピス入院 1週間と6日 】】 このホスピスはケアしてくれる ぼくはここに来て 弱っていた体調が復調している (直前の病院では「胃ロウ」を検討してたのに・・・) お注射してくれてるホルモン注射がよく効いて 入院前と一転して食欲が出てきた。 病院食だけじゃ足りなくて 食堂で補食したり、 カップ麺やおやつ、 それに普通にコンビニのお惣菜を買って来てもらったりしてる 実際、体重が入院前と比して4kg増加した (土曜日にはお見舞いに来てくれたM先生と “別離の杯”と勝手に意味付けて麦の漢方薬 今日火曜日は“外出して”中華にあう漢方薬まで飲んだ) 入院で良化した症状 〇食欲が出て基礎体力が回復した 〇駅までの連続歩行が可能と判明した 〇顔面の痺れの範囲が縮小した 〇顔面と連動し、口腔内や舌の痺れも縮小:嚥下が容易になった 〇上咽頭部からの出血・逆流が著しく減少 〇右目上部の頭蓋部分の鈍痛が緩和された 〇右後頭部頭蓋部分の鈍痛が緩和された 〇右目神経奥の痛みが緩和された 〇右目の突出程度が少なくなった 入院後変化のあった症状 〇時々肩・肘から手にかけてが熱くなる (血が逆流する感じ) 〇その際、中指~小指にかけ若干痺れを覚える時がある 〇浣腸なしには排便が出来なくなる 〇便意と関係なく肛門からの出血がある (下着着替え時に判明する) 〇冷たい水分を多量に摂取する様になる (毎日、冷たいペットのお茶を4L程、 他に珈琲飲料を500ml イオン電解水を500ml) 〇鼓膜奥に水が溜まり、平衡感覚が落ちる時がある 〇鼓膜奥に水が溜まり、右からの音に膜が張った感じ 〇人や物の名前がなかなか浮かばなくなる 〇左眼残像に違和感:光喪失の前兆 以上、新旧症状のまとめ ただ、これは静かに朽ちていってる部分 ぼくの本質は上咽頭にある患部が既に頭蓋中に侵攻していて 色んな神経を圧迫している事の方が問題らしい 夜、突然痙攣を起こして、そのままって最期になるかもしれないし 痛みをコントロールしながら 首から下の頑張りが終わるのを待つ最期になるかもしれない 入院して2週間 息絶え絶えで入院したぼくも、 ナースに軽口叩く、どこか陽気なクランケ ドクターがこれからのぼくのケアの方針を検討してくれているらしい 今週中にはお話の機会があるという ここのホスピスは普通3週間で卒業・・・ 勿論、個人差は歴然と存在するだろうが 極端なブレはないだろう・・・ (何の根拠もなく、 最長11月で一杯(6週間) 普通に11月中頃(4週間)はいけるかもって思っている) ドクターに話しているのは 「締め切りを切られた方が実力を発揮する人っている ぼくはそのタイプだと思う 時期を示されても、 当然それが確定ではないと認識している ただ、ぼくは弱い人間だから 時期を示されないとだらだらと 怠惰に時を過ごしてしまうだろう・・・ ぼくは集中して残された時を過ごしたい・・・ 示された時間の長さは変らなくても、 その深さは自分がつくりだすものだから・・・」 残された時間は素直な時間でありたい・・・ すれ違った心の紐を解いて 心穏やかに笑顔ですごしたい・・・ それってわがまま? 自分ひとり荒ぶる心を静める事は出来ないの?
2005.11.01
【【 ホスピス入院 1週間と6日 】】 (火曜日 夕方前) 夕方前の病室 壁には誰かから寄贈された星野富弘の「コスモス」 オルゴールが奏でるその曲はジブリ作品に変っている 窓からの光はまだ優しい・・・ ここは天空に一番近い場所 光と優しさと善意に包まれている場所 娑婆の喧騒が入り込めない 悪意のない場所・・・ ただ、人間はそんな場所にも悪意を持ち込もうとする 先ほど、外出からの帰り、 ホスピスエレベーターホールのロビーに 中間管理職風のサラリーマン2人がソファーにいた 仕事の途中だとの雰囲気を出している お見舞いだろうな・・・ 出来るなら、その患者さんに 娑婆の煩わしさを垣間見せないでやってほしい・・・ でも、そのグレーのスーツで充分かもしれない ここには、その服装は不似合いよ・・・ オルゴールが「天空の城ラピュタ」に変る・・・ ナースが部屋に笑顔と共にやって来る 「外出どうでしたか? 息抜き出来た?」 「うん、天気が良かって助かった」 「何食べてきたの?」 「中華だよ」 「△△に出来た新しいお店に行ってきたの?」 「ううん、場末の汚い行きつけのお店 餃子を食べてきた」 「餃子? いいわね・・・ そうそう、〇〇さんが外出している時に お見舞いに来てくださった人がいらっしゃて・・・」 ナースは手にしていた可愛いスクエアビニールの袋を 微笑ながらぼくに手渡す 「お手紙はロビーで書いてらしたわ」 ナースから手渡されたスクエアビニールの袋の中には スクエアーの鉢に入った可愛いアレンジフラワーと 薄オレンジ色のお手紙 Hさんだ・・・ 土曜日にお見舞いに来てくださって 今日、旦那さんもご一緒に来てくださった お手紙には 急いで書かれただろうに そのメッセージに胸が熱くなる・・・ (火曜日 夕方) 外出の疲れからか ベットに身体を預けたままで過ごす 「大丈夫!」強がり言ってても 入院患者である事に変りない わがまま言った ナースに、ドクターに・・・ そのわがままに沿ってくれた わがまま言った 昔の同僚に・・・ 何も言わずに笑ってくれた 勝手した Hさん夫婦に・・・ 夫婦のやさしさを示してもらった ここは天空前広場ホスピス 明るく微笑みに溢れる場所 娑婆の悪意が届かぬ場所・・・ 選ばれし者が 少しの時間人間でいられる場所 ぼくは今ここにいる そして善意の人たちに包まれている 優しさに包み込んでもらってる ここは選ばれし者の場所ホスピス・・・ なのに、ぼくは心荒ぶる・・・ 言葉では分っているのに 頭では分っているのに 理屈では分っているのに 娑婆は悪意に満ちてると言った でも、その世界の中で 微笑もってぼくに接してくれる人たちがいる・・・ 何の損得じゃなくて ただいっぱいの慈愛を注いでくれている 包み込んでくれる 包み込んでもらっている・・・ (火曜日 夜) 家族に電話 「明日、来て・・・ 」
2005.11.01
【【 ホスピス入院 1週間と6日 】】 (火曜 午前) エレベーター前ホール ぼくは万華鏡で明るいテラスを見ていた 万華鏡は3つある 誰かが「退院」した時に置いていったんだろうな・・・ テラスからの光で キラキラ綺麗だけれど 20分もしたら飽きてしまった 明るい光の中、車椅子の上でウトウトしそうだ 車椅子・・・ 病室から離れる時は車椅子でないといけない・・・ 病室内でベットからトイレへ行く時は ナースを呼び出して 転倒しないかを横で見て貰わないといけない・・・ そんなぼくが外出を言い出した 車椅子外出じゃなくて 普通に歩いての外出・・・ ぼんやりしてたら人の気配 昔の同僚だ・・・ 何ヶ月ぶりだろう 笑顔だ 笑顔のナースは 優しい文字体で書かれた 外出時の注意事項を説明し終えると ぼくに午前中のお注射を打つ 1本、2本、3本・・・ お昼前と夕方の1日2回のお注射 夕方のお注射までの時間がぼくの外出時間 ナースはいつものお昼のお薬をぼくに示しながら もう一種類の痛みが出た時の頓服剤の説明をしてくれる そしてナースの自前と思われる巾着にお薬を入れて ぼくに手渡した 「無理はしないで下さいね・・・ 」 「大丈夫ですよ・・・ 」 「何かあったら、すぐ電話して下さいね」 エレベーターを降りると そこは外来病棟 ホスピスとはまったく違う空気だ 「人がいっぱい・・・ 」 昔の同僚がぼくに手を貸そうとするのを拒み ぼくはヨチヨチ玄関に向かう 大丈夫だよ ここ2週間ちゃんと歩いていないから 筋肉が縮んでるかもしれないけれど まだ歩けるよ 病院からはタクシーで行こうかと思ったけれど 空が明るくて、駅まで歩く事に・・・ 「大丈夫?」 「大丈夫!」 途中、ビル工事をしていて 段差に足元がちょっとだけふらついたけれど クリアー! 駅だ 駅のホームで 二人は話だす 「ブログ、携帯で読んでるよ・・・」 「ここに来て、調子いいんだ・・・ 普通は3週間でホスピスを“卒業”するらしいけど 1ヶ月はいけると思うんだ」 「ずっといけたりして」 「正月まで個室にいたら破産だよ」 二人は笑った 電車は空いていて 座席の端に2人並んで座れたけれど 優しい光の中 二人は言葉を交わす事もせず 流れる車窓に心を預けていた 駅に降り立ち 焼肉を食べようかと思ったけれど 結局、2人が目指すは 行きつけの場末の中華屋さん 「生2つ! 盛り合せ! 餃子!」 いつもの注文に 要領の悪い店員がのそのそ動くのも 何故だか懐かしいや 二人はニコニコと話しだす 出会った頃の話に笑い出す あいつはどうした? あの人はどうなった? 必ずオチがついて、また笑い出す 「生1つ!」 突然の電話に 理由も聞かずに 付き合ってくれる 仕事を休んで付き合ってくれる 何も聞かない ただ笑っている・・・ 「から揚げ!」 話題は去年馬鹿騒ぎした飲み会の話に・・・ 「〇〇は酷かったよな お客さんは帰るは マスターはいなくなるわ」 去年、この2人とぼくの友だちの3人で うどん屋さんでなんとなく飲み始めて いつの間にか馬鹿騒ぎ・・・ お店の女将さんがひとり必死に肴を作るのだけれど もうメチャメチャ・・・ 「飲み会はぼくは入院している時が一番面白いと思う!」 「なんか、弾けるものね」 「うん、もう後がないからね」 また大笑い ふと見ると 笑っている筈の目元が光っていた・・・ それを見て ぼくはこらえ切れなくなり 顔を伏せる 肩が震える・・・ 熱いものが身体中を逆流する 2人は黙り込む・・・ 「泣いている様に見えるけど・・・ 笑う事も出来るよ! アハハ・・・!」 いつものギャグだ 大笑い! 薄暗い店を出ると 外は明るい世界 「お腹いっぱい! 帰ろう」 来た同じルートをトレースする2人 ヨチヨチするぼくを 病室まで送ってくれて 昔の同僚は 軽く手を上げ帰っていく・・・ 何も聞かない 理由は聞かない ただ笑っていた オルゴールのCDを流し ベットに身を預けるぼく ここは優しい光に溢れている 包まれている ひとり荒ぶる心 包まれている ぼくは何故かユーミンの昔のナンバーを口ずさむ 包まれている ひとり荒ぶる心 素直になれずにいる 言葉では分っている 頭では分っている 理屈では分っている 素直になれないだけ・・・ どうなっていくんだろう・・・
2005.11.01
【【 ホスピス入院 1週間と5日 】】 (月曜 夕方前) 持っていきようのない心・・・ 「明日、外出したい・・・ 」ナースに相談 「ご家族と一緒ならOKですよ」 軽く返してくれる・・・ 「ひとりじゃダメ?」 「・・・ 」 暫くしてドクターが訪ねてくれる 「気分転換ですか? 息がつまりますものね・・・ 」 冗談めかして話をするぼく 「久しぶりに串カツにでも行きたいんですよ タクシーで、ドアtoドアでお店に行くだけなんですけど 病室から詰め所の距離の倍くらいの距離を 歩くだけですから・・・ 」 「ご家族はご都合が悪いのですか?」 「ええ・・・」 (外出したいのは家族への感情なんだよ・・・) 「我々も責任がありますから・・・ どなたかご一緒でないと 病棟からお出しする訳にはいかないですよ・・・ どなたかいらっしゃいませんか?」 「・・・ 捜してみます・・・ 」 Fさん・・・ Nさん・・・ 留守電モードだ 連絡のつく人がいない・・・ 1時間後 昔の同僚と連絡がつく 「明日、休んでくれ!」 「!?・・・ 」 ぼくはナースに外出届を出した
2005.10.31
ぼくは優しくなりたいと願っている それは本当のぼくが 優しくない事の裏返しなのだろう・・・ ぼくはいつも微笑んでいたいと願っている それは本当のぼくが いつもイライラしている事の裏返しなのだろう・・・ ないものねだりをしているのだろうか・・・ ふつう人は娑婆から天空に召される それは・・・ 不平・不満を抱きながらであったり 恐れに震えながらであったり あえぎ、痛みの中で苦しみながらであったりする ここにポスピスという天空前の広場がある 娑婆と違い 明るく、皆がやさしい、悪意のない世界だ・・・ ここは最期の場所 ここからの生還はありえない それが前提だ ぼくはここに来る前、 天空の別の門に手がかかっていた(と思う) すぐに召されておかしくない状態だったかもしれない それほど弱っていた ホスピスは治療の場ではない 苦痛を取る・・・緩和ケアする場だ それは肉体的な痛みであったり、 時に精神的な苦痛を取り除くお手伝いをしてくれる ぼくはここと相性がいい 入院してお薬を変えて、症状が良化していった まるで治療結果が良好だと言って差支えない 治療はしてないけれど・・・ (それに比して この2ヶ月の間に入退院した地域病院は このぼくに対して何をしていたんだか・・・ ぼくの症状に合わせて 適切な対処療法をしてきてくれたのだろうか、 パターンナリズムで 差障りのない薬を投与してただけなのかは明白だ 「様子を見ましょう・・・」ってね ~ ちょっと愚痴) ここはとても居心地良い空間・・・ ぼくの症状も以前と変わらなく良く感じる そうすると娑婆の煩わしさが ぼくの足を引っ張ってくる 娑婆に引き戻そうとして来る 作用と反作用ってある・・・ 娑婆は悪意に満ちた場所 みんなが自分を欺き それに気がつかないまま ただ、不平を述べる 自分を欺く理由を振りかざし・・・ でも、知ってるんだ 他人でも知ってるんだ 自分を欺く理由が「建前」で その本音が悪意に満ちたものであると・・・ 娑婆はそんな場所 そこでの優しさは悪意の標的になる そこでの微笑みは悪意の機会を与える 人は他人のゴシップ以外に関心を失い 他人のゴシップを別の人との話題のきっかけにつかう・・・ 人は自らの微笑みで悪意の人間にスキを見せない様に 怒った様な顔で街を歩く・・・ そんな娑婆で生きていくのは大変だ でもみんな生きている・・・ ぼくも生きてきた 負けないない様に 泣かない様に 今、天空の前の広場にいる 恵まれた環境 娑婆から隔離された世界・・・ の筈だった ぼくの症状が例外はあるにすれ、 体力的に著しく緩和されてくると 反作用が働く 娑婆が引き戻そうとする・・・ オルゴールの流れる 優しい光の部屋に 娑婆の「イライラ」を運んで来る もし、ぼくがホスピスに入った当時の容態だったら その「イライラ」は病棟前でカットされ、 万一、病室に侵攻してきても ぼくは対応出来なく無視せざるを得なかっただろう でも、ぼくの症状はそれに対応出来る状態になっていた 「もういいんです、今までに充分頑張ったから・・・ 」 ぼくは何度も口にした 「やりたい事はもうないんです」 色々な事柄がぼくを襲ってくる 心配な事じゃない 勿論、病気で自棄になっているのでない イライラする事柄がぼくを襲ってくる それは病棟のマークをかいくぐり 病室に侵攻してくる 〇精神的なイライラ 〇物理的なイライラ 〇精神的なイライラ 精神的なイライラは相手が存在するので厄介 (死にかけの人間にイライラさせるなよ) ~具体内容開示せずに文を続けるのは個人的文章そのまま~ ぼくが考えるには 理由はどうにでもつけれるという事 「仕方ない・・・ 精一杯やった・・・ 」 それは本当の事かもしれないし 本当はそう思い込もうとしているだけなのかもしれない でも、真実がどうかは別にして 残るのは事実の積重ねに過ぎない その事実の言い訳を口にするのは ある意味卑怯だ 「××だから〇〇しない」は言い訳で 「〇〇しない」と言うのが事実だ 相手に伝わるのは事実の連続だ 自分勝手な心の動きや言い訳は 相手に伝われない 「伝わらなくてもいい・・・ 本当なんだから・・・」 伝わらなくていいと口にした段階で 自分可愛さで無意識に作り上げた 自分の為の言い訳を否定した事になるのに 軽い悲劇の主人公になろうとしてしまう 伝わらなくていいのなら、 何故、理由をつける必要があるの? 何故、弁解する必要があるの? ウソっぱちだ 自分の心にウソをつく様な人間なんだ 「もう、いい!」 そして自分はキレているぞって態度をとる 何をしたかったの? ぼくをイライラさせたかっただけなの? (死にかけの人間に糾弾させるなよ) 〇物理的なイライラ いい人になろうとした 残された人が大変だから 死後の事を整理しておこうと思った 手をつけた オルゴール流れる部屋で ネットで問合せ・連絡・相談 ネゴシエーション準備の始まり・・・ やらなきゃ良かった ぼくが元気だと みんな自分を通そうとする (自分? 否ちがう 本当は思いなんてないのに・・・ 世間体を気にするだけなのに・・・ 思いつきなのに・・・) 挙句の果てに ぼくの行為を否定・・・ 1日目我慢を笑顔で隠した 2日目ダメだった やっぱり妥協はダメかも 優しいぼくじゃないかも ぼくは馬鹿にされたり、否定されたりすると 異常な迄にアドレナリンが出る それに対する反作用が著しく作用する 忘れていた ぼくの行動の源 溢れる力の源泉だ こんな事はしたくないけれど 残されるみんなの最大公約数の 死後の準備は一切しない 否 反対に誰にも手をださせない様に手筈を整える どれだけ ぼくが残る人の事を考えていたかが その時分かるだろう 元気があるうちにやる! 馬鹿にするな! 娑婆は辛い世界 自分勝手な悪意に満ちている そして、ぼくも今 邪悪な悪意に満ちている 辛いけれど、 人間、やっぱりひとりだ このホスピスは素晴らしい ぼくの体調を一時的かもしれないが戻してくれた ただ それがぼくの幸せにつながるのかどうかは分らない 体調が戻ると悪意に満ちた娑婆が手を伸ばしてくる 最期くらい 虚構の世界でいいから 優しさに包まれていたかった 微笑んで逝きたかった 体調が戻らなかったらよかった 今のままだとイヤなままの自分で逝く事になる それじゃ、 今からモルヒネ限度一杯投与してもらって うつら、うつら逝く方がいいかも イヤな世界から逃避できる方が幸せかも
2005.10.31
【【 ホスピス入院 1週間と5日 】】 精神的不安定 イライラしている・・・ 全てを破壊したくなる ここはこんなに恵まれた環境なのに 恵まれたぼくなのに 身体の血が逆流していくみたいだ・・・ 不安とかじゃなくて イライラが増幅していく 誰かを殴り飛ばしたくなる 危険な感覚と自覚している キーボードに感情を叩いて 平静を取り戻そうとしている イライラする・・・ 全ての関係を破壊したくなる 部屋の中で大声で叫びたい 「馬鹿にするなよ!」 誰に対してじゃない・・・ ただイライラする 不安とかじゃない 暴走しようとする感情をコントロールするのが精一杯 キーボードを激しく叩いて 抑え込もうとする どうしよう どうしよう どうしよう イライラが増幅していく 汗が出てくる 目が鋭くなっているのが分る 指に力が入っている イライラしている 平静と保とうとしてるのに 暴走したいと荒ぶる感情 過呼吸になりそうだ
2005.10.31
お葬式に関してネットを調べていたら、 「家族葬110番」と言うサイトに 「自分らしい死を迎える為に」と言うページがあった http://www.kazokuso110.net/hospice/jibun そこにある某ホスピスに関する記述を転記 (以下、転記部分) >一般病棟とこんなところが違いました。 >たとえば、八階建ての病院だとすると、ホスピス病棟は、八階、最も羨望のいい階にありました。ロビーやバルコニーには、光がたくさん差し込んでいます。 >とても明るい気持ちになれます。バルコニーには、こいも泳いでいました。何か、見ているだけでも心が和みました。 >お迎えに行った朝、ロビーで、ゆっくりくつろいでおられた高齢者の方がおられました。寝台車のストレッチャーが、八階に上がってくる前に、看護婦さんは、その方を「今から、ロビーのお掃除ですから・・・」とか声をかけられ、その方のお部屋に案内し、決して、ご遺体が運ばれる様子を見ることのないよう、素早く配慮されました。 >ストレッチャー到着時には、ろうかの反対側には、ついたてを立てられ、遠目にでもご遺体が運ばれる様子を目にすることがないよう、心を配られていました。 >八階、病棟を降りるときには、たくさんのお医者様 看護婦さんが見送って下さいました。 >病棟は、一般病院とは違って、家族との談話室、ファミリールームや家庭のキッチンさながらのファミリーキッチンというのもありました。何か、家庭にいるような、リラックス感と暖かさを感じました。 ぼくが今いるホスピスだとすぐに分った ここにいるのは 選ばれし者なのかもしれない
2005.10.30
【【 ホスピス入院 1週間と4日 】】 自分勝手だと・・・ と思っている 時間は充分にあったけど 目の前の生活に精一杯だった・・・ もっともな理由もつけられるかもしれない でも違う・・・ 面倒な事から逃げていただけ お葬式・・・ そして、 それに関する宗教的な事 宗旨はどうするか ご導師はどうするか 規模はどうするか 戒名はどうするか お墓はどうするか 位牌はどうするか 法要はどうするか 希望は述べてある でも親戚関係にネゴシエーションが出来ていない 希望・・・ それも文書化していない希望 残された家族が 色々な指摘の標的になる事が予想される 「本人の意思ですから・・・ 」 どこまで通用するかは疑問だ ぼくの本当の思いは・・・ お葬式は省略したい ぼくはお葬式で何度かもめている 通夜のお寺で僧侶を投げ飛ばした事もある 義理がけの参列者 故人を偲ぶにはほど遠い会話 お葬式には悪い印象しかない そんな儀礼は不必要だと考えていた ぼくはお葬式はせずに 火葬だけで済ませたいと思っていた しかし お葬式は本人の為でなく 残された家族の心のけじめの為のもの・・・ そんなお話を聞いて 今は家族の為にお葬式を出してもいいと思っている 火葬だけで済ませてしまっては 家族に迷惑がかかるし ぼくを本当に偲ぼうと思っている人に 申し訳ないかもしれない・・・ でもお葬式を出すにしても 譲れない事項がある ぼくは信仰を持たない 信仰に対して興味がないのでなく 学生時代には 信仰は哲学を超えるのでは・・・ とまで考えた事もある でも、数々の生活実体験から信仰を持っていない つきあいでも初詣には行かない 鳥居の下をくぐるのも拒否・・・ 普通にこだわっていた そんな自分が 死んでからの宗旨変えは 普通に変だ・・・ 何も調べてなかった 面倒だったから・・・ 面倒な事は残った家族に先送り 自分勝手だった 導師、読経、戒名、位牌、仏壇、法要・・・ すべて不要 お墓は遺骨を炭素ダイヤ化する技術があるらしいので それに代えたい 親戚にネゴシエーションするには まず文書化しなくては・・・ レポートに下書きしてノートに清書 その前に 項目をまず書き出さなくてはいけない・・・ お葬式以外の事もあるし 正直、面倒な作業だ その下準備に お葬式の事をネットで調べていたら エンディングノートと言う存在を知った 先ほどネット注文した もっと 早く動きだせよな 間にあうかな・・・
2005.10.30
【【 ホスピス入院 1週間と3日 】】(土曜 午後) 子供たち到着 揃ってお見舞いなのかと思ってたら ちょっと違うらしい・・・ 勿論、お見舞いは優先順位第一位なんだけれど 今日子供たちにホスピスから説明がある ぼくの容態の説明 このホスピスは 患者の肉体的痛みを緩和するだけでなく 精神的な安定と人間の尊厳 そしてその家族までケアする・・・ なんだかすごい 久しぶりに会う子供たちは いつになく緊張気味・・・ 無口だ 部屋をノックするナース 「〇〇さんと言う方がお見舞いに見えられていますが・・・」 (Hさんだ!) 部屋の空気が一変 扉に笑顔・・・ 「今朝の日記を読んで・・・ 心配で・・・ 来ちゃいました・・・」 涼風が舞う 2年前のオフ会 家族で参加して頂いた 誰も判読出来ない断層写真を持ち ぼくは中咽頭病変消失の奇跡の報告 楽しい宴だった それ以来のHさん 笑顔が相変わらず素敵だ ここまで来るのに どれだけ電車を乗り換えた事だろう Hさんはとても遠くに住む 会いに来てくれて恐縮してしまう・・・ 子供たちはドクターの説明を聞く為に 部屋をあとにする・・・ (末っ子はまだお子ちゃま、ぼくのベットで熟睡お昼寝・・・) 「顔色がとても良くていらっしゃって、良かったです」 いつもの優しい口調 Hさんとの笑顔の交換 ご家族との一杯の愛情の中で生活なさっている事が香ってくる そんないつもの雰囲気のHさん 「大丈夫ですよ・・・」 何度も繰り返すぼく とりとめない楽しい会話は10分程続く 「また来ますね」 Hさんは席を立つ 僅か10分程のお見舞い その為にHさんは今日1日を費やしたのだろう・・・ 「大丈夫、まだ今月は意識はありますから」 何の根拠もない見通しを口にするぼく 笑顔だ 涼風が舞っていった ぼくはHさんから手渡された絵葉書を見る 綺麗な桃花だ 大きく息をして窓を見る 窓の外は曇り空なのに 明るい気持ちがぼくを支配していく・・・ ナースが部屋をノック 「〇〇さんと言う方がお見舞いにこられていますよ・・・」 (M先生!) 扉に懐かしい笑顔 「お元気そうで・・・」 (病気ですよ・・・ と心で突っ込みをいれる(笑)) 「今、Hさんが来られていたんですよ お会い出来ませんでしたか?」 「それは、残念だな・・・ エレベーターホールで一瞬すれ違った方かな・・・」 残念そうなM先生 窓際の椅子にいつもの笑顔 M先生が来たと言う事は・・・ ひょっとして、あれかな!? 「お見舞い!」 M先生は鞄の中から取り出すのは麦の漢方薬 ドクターから許可を頂いているが 約束だからナースに申告 「別離の杯を交わしますので・・・」 プルトップを引き乾杯 笑顔で麦の漢方薬を口にする二人 話は弾む・・・ 二人で色々な話をする 病気の話なんてそっちのけ 大学改革、経営、清廉潔白・・・ 二人の話題は弾む 不思議だ・・・ リアルでは知り合う筈のない 住む場所も世界も違うのに HさんやM先生、それに多くの人たちと知り合い 心かよわせて頂いている M先生とお話の途中 ちょっと失礼して起したベットに背を預ける ・・・うれしくてはしゃぎ過ぎ? そうこうしているうちに 子供たちが部屋に戻って来た M先生に自己紹介する子供たち 子供たちに世間の常識と言うのを 教えた記憶がない 基本的なあいさつの仕方 目上の方への接し方・・・ 一瞬、親としての無責任さの後悔に襲われそうになったが 子供たちはぼくが思うよりしっかりしていた (ちょっと親バカ) 「それでは、来週また来ますね・・・」 来週も民間療法(麦漢方)だ M先生は麦の漢方薬の缶をぼくの手から取る 「許可があっても、 ここ(病室)でこれ(空缶)を処理する訳にはいかんからね」 ベットでM先生を見送る ぼくのまわりは笑顔のオーラーが溢れている 子供たちも緊張から解放されている様子だった 「どうだった? ドクターの話は面白かった?」 (面白い訳ないよな・・・) 長男が口を開く、笑顔だ 「うん、いつもお父さんから聞かせてもらってる話の内容と同じ・・・」 「う~ん~、死にゆっくり向かっているけど、 腫瘍の場所がややこしくて、 突然ケイレン起してサヨナラって事もあるって事?」 笑顔で問いかけるぼく 「うん」笑顔の子供たち 「私たちが聞いている内容と同じだけど ドクターとナースが子供たちに優しく話してくれたよ いい病院だね」家族はしみじみと言った 「CAREってこう言う事を言うんだね・・・」 ぼくは独り言の様に応える エレベーターホール前から外に出れるテラスに 「CARE」と言う 目立たぬオブジェの存在を知る人は少ないだろう このホスピス病棟の本質なのだろうか・・・ その意味がぼくの身体を包む それから子供たちに 自分の道は自分で拓かなくてはいけない事 幸せになってほしい事 そんなとりとめない話を 自分の失敗話を交え冗談脚色で話す 時間はもう6時に近づいていた 「今日は遅いから、早くお帰り・・・」 ひとり部屋に残り 色んな事に想いを馳せる 部屋には 涼風が舞い、笑顔のオーラーが満ち、優しさに溢れていた。 「幸せだ・・・」 呟いてみた ちょっと涙
2005.10.29
【【 ホスピス入院から 1週間と3日 】】 土曜 未明 窓から夜景もおとなしい 空調の室外機の音だけの静寂 昨日あたりから 時間経過の早さが早く感じる・・・ 動作が緩慢なだけかもしれないが 一日が早い このブログは 何のため? このブログは 誰のため? (1)自分の記録の為 ・・・ 何の為に記録するの 自分の存在がもうすぐ灰となるのに 意味ないじゃん (2)読んでくれている誰かの為 ・・・ アフェリエイトでカウンターは上がるけど 日記なんて読んでないよ 関係ない人には、興味ないもの 身近に癌の人がいても 家族とかじゃなかったら 所詮他人事だって知っているじゃない (3)個々への説明が煩わしいから ・・・ それは分かる それ程、関心もないくせに 遠い親戚や知人は知りたがる お喋りの材料の為にね 文字に残しておけば、自分で調べろって感じ 小声でコソコソと病室の外で 他の話のついでに病状経過の話は止めてくれ (4)表現するのが好き ・・・ これは自分勝手に好き ただ、人を意識はするけど 人の為に書くのはイヤ そう気持ちの中には 「どうだ、すごいだろう・・・」 「いい表現だろう・・・」 って気持ちは正直ある あまり他人のブログも読まないし 『 葛藤 と 昇華 』 教科書通りではないけれど 今、葛藤の中でグルグルしているみたい でも昇華の光は感じれている 別に昇華が目的じゃないから それまでに逝ってしまってもいいけどね 身体が熱いや 昨日 夕方 右顔面の麻痺 一時、鼻の中心線を越境してきた 麻痺の横拡がりの小競り合い しばらくの後、顔の痺れ縦前線である 鼻中心線攻防は戦前の形勢を保つに至る 左目の視力に問題が発生すると このブログは当然中止(終了) 去年の日記(HN白椿)の整理まで 手が回らないや
2005.10.29
【【 ホスピス入院 1週間と2日 】】 金曜 午後 耳鼻科外来で鼓膜切開の後処理 帰りホスピス病棟のエレベーターホール前 小さなテラスから外へ出る 車椅子はずっと家族が押してくれている 秋の空をながめてる どれだけ時間が経ったのだろうか 「お部屋に戻りましょうか?」 促され部屋へ お風呂の時間が近い 部屋に戻っても ベットへの移動が億劫 結局、腕のリードをカーバーして貰い そのままお風呂場へ お風呂は家族に介助して貰っている 昨日までは一部自分で洗っていたが 今日は全てをお願いした 気力が薄れていってるのかも・・・ 別に何をして疲れている訳でもないのに 部屋に戻り オルゴールの音色に包まれる頃 ようやくぼくに笑顔が戻った気がする ただ、 家族が病院の外のコンビニに 買い物へ出かけ 戻ってくる間も ぼくは車椅子から離れなかった まるで蝋人形の様に・・・ 蝋が溶けて、かたまっちゃたみたいだ 明日、土曜日は子供がお見舞いに来てくれるらしい マッサージをしてもらおうか(笑)
2005.10.28
【【 ホスピス入院 1週間と2日 】】 金曜 午前 朝食後 ひとり別病棟の食堂へ モーニング珈琲飲みながら 子供への手紙の下書き 車椅子の扱いにも若干慣れた 部屋に戻り ベットで休息 身体が若干熱い 体温が上昇しているのではない 首、肩、肘、腕が熱く感じられる 部屋でうつらうつらしていたら 理事ドクターの回診 この前報告した 左眼残像のペイズリ-柄の件は覚えていてくれた 身体の上半身で起こっている熱っぽい感覚の件 そして 右顔面の痺れの範囲が更に狭まって 口腔内の痺れにも影響し 嚥下が楽になったと報告 あと 右顔面痺れ範囲の上限も少し下がり 右眼球の外的感覚が戻りつつあると報告 瞼が開いているかどうかの感触が判る時がある 眼球に風が当るのを感じる時がある ・・・ すごい変化だ 理事先生とのお話の中で 少量なら(倒れない程度なら) 麦からの漢方薬は飲んで構わない と驚きのフレーズを耳にした・・・ 気丈にしていても 体力は相当落ちている様子だから 350mlはとても無理だろうけど 麦の漢方薬か・・・ 大切な人と別離の杯を交わせる・・・ 一口飲み干したら、 疲れて寝てしまうだろう・・・ 別れを交わす人も その方が部屋を去りやすいだろう・・・ 感謝・・・ (後から、ナースが声をかける 飲む時は、必ずナースに一声をかける様に・・・ 了解!)
2005.10.28
金曜 未明 ナースが布団を直してくれて (ぼくがベットのサークルを上げるのを忘れてた・・・) 目が覚める 元気があったから 1週間前の20日日付の日記に 病気の年表を整理し直しす 途中、なんだかつまらなくなった 不幸自慢してるみたいだから 知り合いや親戚に ひとりひとり経過説明するのが 煩わしいだろうからと整理・・・ と言うのが自分自身への説明 それだけかな? (誰も真剣に聞いちゃいないのに・・・ 興味半分で聞いているだけなのに・・・) 知らない誰かを意識してなかったかな・・・ 「大変だったね、頑張ったねって・・・」 そう言って欲しかったんじゃないのかな? ああ・・・ 朝から、自分のイヤな一面を突きつけられた感じだな あとから理由はどうにでもつけられる でも、自分の心に理由はつけられるかな? 自分の心は偽れるかな?
2005.10.28
先週の木曜日にこのホスピスに入ったんだ・・・ 木曜日 午前 車椅子でひとり食堂へ 車椅子での移動を 昨日、少しだけひとりで練習 そこで分った事 技術でなく、体力が要る・・・ 体力があるうちでないと 食堂行は無理 ナースに声をかけて別病棟の食堂へ 心配顔のナース 目標の食堂 食券の自販機をなんとかクリアー ガラガラの食堂でトーストとサラダに茹で卵 そして煎れたての酸味が抑えられた珈琲 モーニングサービスだ 月曜午後に立てた目標を 木曜朝にクリアー 木曜日 昼過ぎ 身体に熱っぽさを感じる 体温に変化はない ベットに横になっていた 脳裏に色々とフラッシュバック 軽く過呼吸に襲われる 深呼吸、深呼吸、深呼吸 20分程で回復 涙と鼻水・・・ 自分でコントロール出来て良かった ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今、ドクターとお喋り 過呼吸を報告 「あと、3週間位なのかな・・・」 ぼくの問いかけに 「正直、ぼくにも分らないんですよ」 正直なドクターだ・・・
2005.10.27
木曜日 朝 昨夕からベットでごろごろ でも就寝は22時頃 そして3時間後の1時頃の目覚め 眠剤の追加で6時頃までの2度寝 こうしてお薬コントロールの度合いが増していくのだろうな それは仕方ない事 それは望んだ事 ぼくはここに安穏を、平静を 心の昇華を求めている 治療じゃない(だって治癒しないし・・・) 感じている あと少しで、心の昇華が得られるかもしれない その形が見えはじめている 朝のモルヒネの時間 ナースとお喋り ナースにお願い ぼくが最期の時には 医療スタッフが何人かはこのベットの回りに集まる筈 その時には歌ってほしい みんなで「アメージングレイス」を歌ってほしい もう、ぼくは逝ってしまって聴こえない でも、歌ってほしい 聴こえないかもしれないけど 届くかもしれない・・・ 微笑んでいたナースは 微笑の中にもしっかりとした顔つきで 「はい、〇〇さんの思いを受けとめました・・・」 また微笑んでくれた あのね・・・ みんな気丈に振舞っている ぼくも 家族も 親戚も 友だちも ぼくは微笑んでいる 心配顔はイヤ 不安顔はイヤ どうしようもないから・・・ 思うんだ 貧乏ってやだねって思うんだ 親と一緒に住んでない子は、 人の3倍頑張って、やっと他人と同じだと刷り込まれてた 子供の頃から肩張ってた 弱みを見せまいとして来た 頑張らないといけないと強く思っていた 頑張ったと思う 他人にも厳しかったと思う でもね もういいかも・・・ もう優しい気持ちですごしてもいいかも 最期の時に「子守り唄」を歌って貰い・・・ 「アメージンググレイス」を歌って貰う・・・ その時、 誰にも照れる事なく 静かに頬を濡らせるだろう 意味不明かもしれないけれど “幸せだ・・・” って口にして微笑む事が出来るのかも 心の昇華のイメージ・・・ 優しさに包まれて 召される事かな・・・
2005.10.27
首から下は良好・・・ だと思う ただ、 家族が実家に帰る夕方以降に 身体中が熱っぽく ベットに座っていられない位の 倦怠感が波状でぼくを襲う その状態が3時間程続いたりする 水曜 夕方 電動ベットの頭部分を起して ベッドに背を預ける 午前中は右目奥の視神経部分の痛みと 右頭蓋中に痛みを感じ出したけれど 我慢出来ない痛みじゃないから ナースに報告だけ 自分の中では金曜日位に新しいお注射が増えるかも・・・ そう感じていた 夕方 右側だけでなく 左側に痛みは伝播 痛みの種類は同じ 左視神経奥部分の痛みと 右頭蓋中に痛みを感じ出す でも 持続的な痛みでもなく 断続的な痛みでもない 軽く襲ってくるだけ・・・ 首から上は、静かに朽ちていってる それをお薬でコントロール 進行を止めるんじゃない 痛みをコントロール ぼくの首から上は 今、大変なんだろうな 身体の熱っぽさ 体温には現れないのかも 神経的なものなのかな・・・
2005.10.26
子守り唄 この前の「お茶会」から気になってる ぼくは子守り唄を歌って貰った事がないみたい 歌ってほしい・・・ 最期の時には家族がこの病室に集うだろう その時に歌ってほしい 子守り唄を歌ってほしい 安らかな涙をこの頬に流させておくれ 子供が就学前には 兄弟姉妹が部屋で歌っていた そこに微笑んでいたぼくがいる 今は、実家で歌声を聞く事はない 最期の床に 家族に囲まれ 子守り唄を歌ってもらう・・・ その場面をイメージする 今、うれしい涙が頬伝うよ
2005.10.26
水曜日 朝 4時30分頃 目覚め ゆっくりと眠れたのに、 疲れてない筈なのに、 ふらつき度合いが増したみたい。 部屋内の移動でも注意しないといけないな。 (移動ってトイレしかないけど) 足を取られそうになっている。 家族が帰ってしまう 夕方~夜~お昼にも ナースには忙しい時間帯があって そんな時には、こっそりとひとりでトイレへ行ってる。 でも、倒れたりしたら、余計に迷惑がかかりそう・・・ 今日からは、 トイレの度にナースコールして 移動を見守ってもらおう・・・ 痛み・・・ ホスピスに入ってから お薬(鎮痛剤)を朝夕のお注射に変えて貰って 痛みが消えて、 助かっていた。 今朝から右目奥が痛み出している。 我慢出来ない痛みじゃないけど、 なんだかイヤだな・・・ 腫瘍は頭蓋に侵入していて、5cm程度の大きさ・・・ 神経が入り組んだところに入っているから 突然、痙攣が起る事もある・・・ (ホスピスに入る前から、何度も聞かされた) 断層写真を見せられて説明されても 素人だもん、よく分らないや 痛いのはイヤ 苦しいのはイヤ でも、仕方ないかな・・・ 頭蓋の痛みを緩和するお薬をお願いするのは 金曜日位になるかも モルヒネになるのかな・・・ 12時間毎に経口モルヒネは飲んでいるけど 鎮痛剤のお注射も朝夕打って貰っているけど お注射が増えるんだろうな・・・ まだ大丈夫 意識はまだ大丈夫 クリスマスが目標だった 正月は無理でも クリスマスは期待してた ホスピスに入る前は 「あと1月生きれるかな・・・」 って、それ位に弱っていた (食事が摂れなくて、体力が落ちていた) ホスピスに入ってホルモン剤注射を開始。 食欲が出っちゃた。 病院食で足らなくて、おにぎりやカップ麺・・・ 食堂での補食・・・ 体重も1週間で3kgも戻った 「あと2ヶ月はいけるよ・・・」 何の根拠もなく口にしてる でも分っている 静かに朽ちていってる いくら首から下が頑張ってくれても 静かに朽ちていってる クリスマス・・・ 昨日、家族におねだり。 病室に飾る小さなクリスマスツリーが欲しい 小さなおねだり。 ファイバー製がいいと付け加えた。 クリスマスツリーは豊かさの象徴。 去年1m位のファイバー製のツリーを買った。 自分のアパートに飾る為に買った。 オーナメントを飾りつけて微笑んだ。 キラキラ輝くツリーは昔を忘れさせてくれる・・・ イブ 仕事帰り デパ地下でクリスマス料理を買い求める チキンレッグは忘れない 部屋の電気を消すとツリーの輝きが増す クリスマスオルゴールのCDを流し イブをすごした 思い出しては微笑んでいる クリスマスはもう巡ってこないけれど ツリーは欲しいんだ おねだり・・・
2005.10.26
火曜日 午後 エレベーター前の小さなホール 週1度の「お茶会」 可愛いイベントだ 患者とその家族がボランティアさんと一緒に 歌と、お茶とお菓子を楽しむひととき ぼくは車椅子で参加だけれど、 ベットで参加された人もいる 歌集の中から何曲かをみんなで歌い ぼくは「ゆりかごの歌」をリクエストした ♪ゆりかごの歌をカナリアが歌うよ・・・ ぼくは子守歌を歌って貰った記憶がない 昔・・・ それ程、昔じゃないけど 家族が子供に歌っているこの「ゆりかごの歌」を聞いて 優しい気持ちになった事を思い出していた 歌いながら、頬が少し濡れる 部屋に戻る 大きな窓 秋の空 やさしい午後の光 部屋に流れるオルゴールのCD ベットに横になっている 家族に足ツボを押して貰いながら にっこり微笑んでみる・・・ 別にうれしい事があった訳じゃない 足ツボは気持ちいいけれど・・・ ナースとのお喋りを思い出す 「何か、やりの残した事ってありますか?」 「いっぱいあるんだ。 葬式の事なんかも、 ちゃんとしとかなくちゃいけなかったけど、 時間はあったのに、毎日の生活に流されちゃって・・・ だから、もういいです」 「“これが、したい”って事はありません?」 「もう一度、仲間と飲みに行って、馬鹿騒ぎをしたかったな」 「それなら、外泊して、出来るんじゃないですか? 先週、こちらにこられた時に比べて、 随分と調子が良くなってるから・・・」 「体調はとてもいいけど、もう飲み会は無理。 もう、殆んど歩けないから・・・」 「そうですね・・・」 ホスピスでは、一般病棟と比べものにならない程 ドクターやナースとお喋りをする ドクターなんて、 お喋りの時間が回診時の診察時間の倍以上かも ぼくは微笑んでいる オルゴールの音色に身をゆだねて 頬を伝う涙にさえ 微笑んでいる 心配な事・・・ いっぱいある 手がけたままの仕事の事 家族の事・・・ 一番下は小学生 働き出した長男・長女もまだサジェスチョンが必要 これからの生活費の事もある そして ぼくを気づかってくれている人もいる それでも、ぼくは 微笑んでみる 心配顔して、どうなるの? 不安な顔して、どうなるの? ぼくの心配や不安を前にして、 回りの人はどうしたらいいの? 大丈夫、微笑もう 目の前の誰かに微笑みかけよう ぼくが笑顔だと 笑顔が返ってくる その微笑み返しで ぼくはまた笑顔になれる 微笑の再生産 幸せになれる 幸せになろう 心穏やかに時を過ごそう このホスピスは 避難場所なのかも 病棟の外では 相変わらず煩わしい世界が動いている でも、ここでは外の世界とは関係なく 優しく微笑む事が出来る 時々、涙を流しながら ありがとう・・・ そっと言ってみる 何に? 誰に? ううん、言ってみたかっただけ 「ゆりかごの歌」ぼくの為に歌ってくれる?
2005.10.25
火曜日 午前 回診時にドクターとお喋り 今朝一番のトイレ移動時に覚えたふらつきを報告 静かに朽ちているとの感想を伝える あと重要な報告・・・ ぼくの右目は既に光を感じなくなっている そうなる過程での症状は覚えている 多重像は事前に知識として得ていたが その後 目を閉じた時に現れるペイズリー柄の残像 やがて目に映る緑色がグレーに映りだし 光を失っていく・・・ 今朝、そのペイズリー柄が現れた 記録を取っていなかったので 右目に映る残像にペイズリー柄が現れて 光を失う迄の時間は正確ではないけれど 確か2~3ヶ月だった様な気がする 「それは困りますね」 ドクターは続ける 「目が見えなくなったら不便でしょう」 「いいえ先生、光を失う迄に逝っちゃうから同じですよ」 ドクターは微笑む 「残された時間は、誰にも分らないのですが 〇〇さんは頸頭部(腫瘍)ですから 首から下(の身体)が頑張っちゃって なかなか逝けないかもしれませんよ」 「でも、突然痙攣を起しちゃって そのままって可能性も大きいのでしょ」 「それは誰にも分らない事ですね」 ドクターは優しく言葉を続ける 「我々も痛みや苦しみを出来るだけ取り除く努力を致します 場合に依っては、意識がボーっとするお薬を使う事もあります これから相談しながらやっていきましょう」 「モルヒネでも、なんでもバンバン打っちゃって下さい 痛いのや、苦しいのは苦手ですから」 ぼくも笑顔だ そうか、首から下が頑張っちゃうか・・・ 的確な表現だな 体調は以前に比べていいのに 静かに朽ちていってると感じるのは こう言う事なんだな 頸頭部の神経系統が腫瘍に侵されているのを感じても 首から下は頑張ってくれて 元気になってくれているから、体調は良く感じるんだ でも大丈夫 あと1ヶ月は意識もある筈 根拠も何もなく ただそう感じるお昼前・・・ もうすぐお昼ご飯だ 幸せは自ら感じていこうとしないといけないのかも ただ受身でいるのなら 幸せを感じる事は出来ないのかもしれない 心の昇華・・・ ただ待っていても 叶う事ないだろうな 最期の時 ぼくは自分から幸せになりにいく 誰よりも幸せを感じてみせる 涙がとまらない・・・ どうして
2005.10.25
体調はここに入る前と比べものにならない程、良好 胃の調子もいい 食事の摂取量も増えた 鎮痛剤も効いている 頭痛も軽減されている 出血もおさまっている ただ、静かに朽ちていってると 何故だか、そう感じる 火曜 朝 今、ナースが血圧測定 ぼくの腕に触れて 「少し、熱っぽいですね」 「うん、今日排卵日だから」 今日の調子もいいみたい
2005.10.25
建物からのオーラ 部屋の中のオーラ ドクターやナース、スタッフの言動・所作 全てが違う ぼくは マザーテレサの話を思い出す 人生の最期 人としての尊厳を与える・・・ マザーテレサの直面していた現実と ぼくの状況は違いすぎる でも、何かを感じる ホスピス 最期の時を過ごす場所 ぼくは自分の中で この時間を昇華させていく
2005.10.24
月曜 朝 ナースと雑談 「ここって皆さん、大体どれ位で“退院”されるの?」 「人によって違うけど、大体20日位かな・・・」 「ふ~ん、20日で“退院”か・・・」 ぼくはナースに微笑みかける 「ぼくは、もうちょっといけるかも」 「うん、個人差があるからね」 ここは特別な空間・・・
2005.10.24
ここに入る迄に少しづつ食べる量は落ちていった 直前の一日の食事の摂取量は 生ジュース3杯と麺類を半玉程度かな・・・ 食べたくなかったんだ 体力が著しく落ちていた 体重も2ヶ月で10kg落ちていた このホスピスに入って 少しづつ食事摂取量が増えている お薬を変えたからかな 月曜 午後 今日は補食として 家族と共に食堂に出向く 食堂はホスピスと同階だが別棟 車椅子ででも 病室の外へ出たいと言う気持ちがそうさせたのかもしれない カツカレー カツはオーダーが通ってから揚げている様だった サクサクでアツアツ・・・ 「美味しいや・・・」 家族にそう呟きながら、涙が止まらなかった なんでもない事が幸せと感じれる そう感じれる自分が幸せだ 今度はモーニング珈琲を飲みに来ようかな ひとり車椅子で食堂まで来る 大きな目標だ
2005.10.24
ぼくの抱いていたホスピスのイメージ・・・ 光優しい午後 あふれる緑の庭を 微笑みながら患者を車椅子で移動させるナース 何かをゆっくり口にする患者 それはイメージの世界 実際のホスピスは普通の病院の一部 病棟の中で区切られた空間 設備も一般病棟と何も変らない でも違う・・・ 普通の病棟にないオーラーがここにある 流れる時間の質が違う そう感じる そう感じようとしているのかな 緩和ケア病棟 治療が目的でなく 安らかなターミナルケアを目指す ここに入る為の数少ない条件 入所患者が自分の状態~病名とか~を知っている事 その中に、今、ぼくはいる ぼくの今のHNは Makkey これ「末期」から取った 笑える
2005.10.23
日曜 夕方 小学生以来の浣腸 ナースにしてもらった どれだけ出たか確認すると言うナース ちゃんと報告するから、ごめんして・・・ 室内移動中に倒れてしまわない様に 個室内のトイレへの移動も 昼も夜も、横で確認してくれるナース ありがとう・・・ ちゃんと出たよ
2005.10.23
土曜日 午後 離れて住む 長女がお見舞いに 久しぶりに会って すっかり娘さんになっていた長女 ベットから起き上がり談笑 食事の話 形見分けの話 身体のマッサージもして貰った 午後、 調子に乗って ずっと起き上がっていた 部屋にひとり残り 襲ってくる倦怠感・・・ 痛みはない ただ、身体が重くなっていく (危ないかもしれない・・・ ) そう思った
2005.10.22
レントゲン CT MRI 組織検査 ガリウムシンチ PET 放射線 抗癌剤 免疫注射 ティエスワン 鎮痛剤 ホルモン剤 モルヒネ・・・ 差額室料 どうにかなるさ・・・ 明日は明日の金が要るけど
2005.10.21
ホスピス・・・ 効率と言う経済原則では動いていない世界 (病院経営と言う側面から見れば成り立たない世界) 娑婆の喧騒を離れ、静かに時が流れていく世界 宗教上の信念がそうさせるのか 医療倫理の信条がそうさせるのか ブランド構築の手段なのか ぼくには分らない・・・ ただ、ぼくはこの特殊な空間を とても心地よく感じている この空間で昇華しようとしている自分を発見する たとえ時間は短く限られていても、 その深さは自分が決める。 『 幸せは いつも自分の心が決める 』 (相田みつお)
2005.10.21
〇体調異変は数年続いていた(呼吸困難) 「太りすぎだよ、ダイエットが必要だよ」 誰も口にするステロタイプの責任ない批判を浴び それもそうだと納得していた ただ、2000年12月頃から 夜、息苦しくで目が覚めたり、 上体を起した状態でないと睡眠がとれなくなったりしていた 〇かかりつけ医の病院は老人病院 肝臓の点滴なんかの融通はつけてくれるけど 病院はそれだけじゃいけないんだな・・・ ちゃんと診断してくれないと 胸に1分弱程、聴診器あてて いつもの点滴の指示をナースにするだけのかかりつけ医 緊張感ない・・・ かかりつけ医の現状って他でもそうなの? これで医療報酬が頑張っている機関と同じなの? おかしいよね。 かかりつけ医制度ってどうなの? ◎(マッキーの独白) あえてここでその老人病院(医療法人□□会△△病院) の名称は出さない その病院は行先なき暇な高齢者のサロンの役割は きっと果たしているのだろうからね 高齢者の医療費が高くなる筈だよ 元気な年寄りは病院を梯子して暇をつぶしている現実は みんな知っている筈じゃないか・・・ (知っていても建前が邪魔するのか・・・) 身体の弱いお年よりは入院という名の 老人病院(施設?)へ入所 それも3ヶ月単位? 家族は安心 介護からの解放 老人は呆けてて訳分んない・・・ 医療と福祉は同じ土俵なのかな? 経営は回転が大切なんだろうな ただ、ぼくは今の医療現場の矛盾はイヤだな・・・ まァ、病院経営も難しいという事だしね (経営センスがないだけなんだろうけれど) 今までは不景気で 福祉にも人が流れたけれど 景気が良くなれば、人手不足が顕著化して、 今の矛盾が噴出すだろうな 現に施設ヘルパーの求人が充足しなくなっている 5年前はあれほどもてはやされたに・・・ これからは福祉の時代だと にこやかに語った似非評論家達さん 何も調べず、ただ資料の「ひ孫引き」で話をする (酷いのは週刊誌記事から話を構成しちゃうもんね) あなた達はどうせ自分の言動に責任を持たないしね だから評論家風情なんだ・・・ でも、あなた達は自分の心に恥ずかしくないの? そんな気持ちを持ったらやっていけないか・・・ まあ、あとづけのもっともな理由をつけて見て下さい そうそう、「評論家」って単語は 一部(大部分?)で卑下する時に使われているのを知ってる? 年表中 入院期間は太字強調 入院と自宅療養以外は仕事継続 目の前の生活優先 ◎◎ 年表 ◎◎2000.1~11月 外来 かかりつけ医(内科)は気管支喘息と診断 (かかりつけ病院は老人病院化していた) 喘息に対する対処療法施術 (当然体調不良継続) (うさぎのペットアレルギーも疑う)2000.12月 別目的で整形外科開業医(大学同窓先輩)に診察時 咽喉狭窄音の異常さを指摘され 地域の総合病院(開業前勤務病院)診察を勧められる2000.12月 地域総合病院総合病院診察 外来 初診 問診後、ファイバーのカメラを鼻から入れられ患部確認 レントゲン、CT その場で高度医療拠点病院(大学病院)紹介手配される2000.12月 高度医療拠点病院(大学病院)外来 受診 問診後、ファイバーのカメラを鼻から入れられ患部確認 今後外来で検査をする方針となる2001.01月 容態急変 激しい呼吸困難 救急車で高度医療拠点病院(大学病院)搬送 緊急処置 同日同院 緊急入院 組織切取り検査 病名告知 中咽頭腫瘍 第3ステージ 2001.02月 (検査の日々) MRI ガリウムシンチ 今後の治療方法について打ち合わせ (部長先生は手術をしたくて仕方ない様子が伝ってくるが 担当のN先生の出すやんわりとしたブレーキサインを見逃さなかった) 中咽頭腫瘍摘出手術拒否 (他の患者のその後を知り、これは回避して正解だった) 但、リンパ節は摘出2001.03月 化学治療本格開始 放射線治療開始 69gy(照射限度)体重17kg減 CT MRI PET 抗癌剤治療 3クール(副作用に苦しむ) 高度医療(拠点病院)カンファレンス 余命宣告2~3年 ガリウムシンチ CT MRI 2001.06月 化学治療終了 退院2001.07月 高度医療拠点病院(大学病院)外来継続通院時 余命宣告1.5年2001.08月 セカンドオピニオン 大型総合病院副院長部長先生 外来受診 レントゲン CT MRI 同様の余命宣告1.5年 (諦めが支配)2001.08月 高度医療拠点病院(大学病院)外来診察 継続 免疫注射開始2001.11月 高度医療拠点病院(大学病院)手術入院 (気道確保のカテーテル咽頭装着手術に悩む) 冬場を乗り越えられない恐れ・・・ 手術予定日前日に拒否 6日後 退院 (無事 冬・春を乗り越える) 高度医療拠点病院(大学病院)外来診察 継続2002.10月 高度医療拠点病院(大学病院)外来検査 CT MRI (病変消失?)2002.10月 2日後 断層写真を持参の上、セカンドオピニオン確認 (奇跡?) (夢の様な日々)2003.05月 専門機関(ガンセンター)外来受診 免疫注射投与依頼2003.6月 専門機関(ガンセンター)外来受診 ファイバー確認で 上咽頭腫瘍発見 前回の原発? 組織検査 告知 第4ステージ(いきなり末期?) 6ヶ月の余命宣告 前回中咽頭放射線照射で限界69gy照射の事実から 同機関での放射線治療は 副作用のリスクが高く拒否される (骨が溶けてしまう?)2003・08~09月 高度医療拠点病院(大学病院)外来検査 CT MRI 放射線治療TRY 断念 (彷徨・・・) 2004・07月 様態急変 患部大出血 地域病院緊急入院 対処療法 CT MRI 余命宣告 3~6ヶ月 退院 高度医療拠点病院(大学病院)ベット空き待ち 2004・09月 高度医療拠点病院(大学病院)治療入院 CT MRI 抗癌剤治療2クール CT MRI 抗癌剤治療効果薄 抗癌剤治療1クール追加 CT MRI 効果なく治療終了 高度医療(拠点病院)余命宣告(12月次)2~3ヶ月 気休めティエスワン服用開始 退院2005・01月 高度医療(拠点病院)外来通院時 再度余命宣告1~3ヶ月2005・08月 地方にて様態急変 救急車搬送 地方拠点病院緊急入院 嘔吐、目眩、多汗・・・ 対処療法 4日で退院2005・09月 体力著しく低下 地域病院入院 CT MRI 対処療法(パターナリズム) 余命宣告 1~3ヶ月 退院目的 転院 2005・09月 体力低下継続 地域病院入院 ホスピタルジャニー CT MRI 対処療法(パターナリズム) 余命宣告 不良 退院目的 自宅療養 (この退院は 当該病院が老人病院で 充分な医療体制が望めなかったから 病棟患者の殆んどが寝たきりだもの・・・ この病院顧客の大部分が老人という環境の中で 経営とスタッフは 痴呆を含めた老人医療現場での効率を求め そのスタンスはぼくには合わなかった ・・・ 投薬も典型的なパターナリズム いつも「少し、様子をみましょう・・・」 (いつまでだよ! 死ぬぞ!) (一方ホスピスに来てからのお薬の効果は目を見張る) 受診課間の連携もなおざり 何より病棟スタッフが今の状態を 本来あるべきレベルではないと認識していない事 未明から早朝にかけて大声張り上げる痴呆患者に 「最近は多いからね、何処でもそうよ・・・」 のナースは一言で済ませる (ここは病院なの?特養なの?) 「眠れなかったら、眠剤だしておきましょうか?」と 現場を知らないドクター おかげで血圧が上が240 下が150 迄上がった 入院継続してたら病気になるよ もう、病気だけれど) 〇自宅療養 更なる体力低下 〇ホスピス入院 (ここのホスピスにはなかなか入れないらしい 人気があるんだって・・・ まず家族面談 (患者本人の診察でなくて 家族とスタッフが面談) ・・・ 紹介状、断層写真等を持参必須 その面談に予約申込み要 2~3週間先 ~ 正直面談のキャンセル待ち 面談 (とても優しい雰囲気の面談だったらしい) 面談の結果を検討 ~ 患者の容態等の総合検討で入院時期を設定 (あんまり待たせると、逝っちゃうものね) 入院の方向性が決まると 入院指示連絡待ち 具体的には(突然の)ベットの空き待ち・・・ 家族は自宅でぼくが衰弱していく姿をまのあたりにして 必死になってくれた・・・ 感謝 ) 余命宣告には慣れちゃったよ・・・
2005.10.20
木曜 朝 ホスピス入院
2005.10.20
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