日記

2003.01.27
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ふと、娘の言葉が気になった。

「おちがえ する」(お着替えする)

「おずぼん」(ずぼんのこと)

「お花」

「ごほん」(ご本)

「おくつ」(靴)

・・・・と、娘の言う言葉の最初に「お」がついていることが多い。

もちろん、私がそう言っているからなのだけど、

何で、私こんなに「お」を多用していしまったのだろうか?

自分でも、ふと不思議になった。

私は、言葉はそんなに丁寧なほうではない。

私の住んでいる静岡県東部の方言は、共通語と、大きな開きはないが、

語気が荒いため、よその人が聞くと、

普通に話していても喧嘩しているように聞こえるらしい。

昔の新玉美千代さん主演のドラマ「細腕繁盛記」で、静岡の方言を強調して、

意地悪役の富士真奈美が語尾に「~ずら」をつけて連発していたので、

静岡というと、語尾に「ずら」をつけるイメージがあると思うが、

(・・・というか、ドラマ「細腕繁盛記」を知っている人がそもそもいないか)

私の住んでいるところは、語尾に「ずら」ではなく「だら」がつく。

もちろん、生まれも育ちも静岡の私は、バリバリ現役の静岡弁。

語気は荒く、語尾には「だら」のオンパレード。

「これだら?」(これでしょ?)

「そうだら。」(そうでしょう。)

というかんじ。

普通の会話の中で、丁寧に「お」をつけて話すことは、まずない。

・・・なのに、何故か、娘に対しての言葉の始めに、

「お」がついてしまうのだ。

どうしてだろう・・・と記憶の糸を手繰り寄せてみると、

うっすらとした記憶ではあるが、幼い頃、母が私に語りかけた言葉は、

今、私が娘に使っているような言葉であったような気がする。

この言葉の最初に「お」をつけた、丁寧な言葉は、母が私に語りかけたものかもしれない。

子供が大好きで、優しかった母は、優しい言葉づかいで、

幼い私に語りかけていてくれたのだろう。

私が幼かった頃、どのように語りかけてくれたのか、

確かめたくとも、亡くなってしまった母に聞くことは出来ない。

だけど、私には、はっきりと自分でも覚えていない母の優しい言葉使いが、

幼い娘を前にして、自分の中からあふれ出てきたように思えてならない。

孫娘には会えなかった母ではあるが、

母の優しい言葉が、孫娘にちゃんと伝わっている。

私は、何だか、亡くなった母に、子育てを教えてもらったような気持ちになった。

お母さんありがとう。

あなたの孫は、あなたのおかげで、優しい言葉を使える子供になりました。





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最終更新日  2003.01.28 16:14:17


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