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聖和1周年直前に起こった惨劇から早ひと月が経ちました。その被害に会われ、暫く入院されていた小野教区長が数日前に聖和され、今日聖和式が行われました。他の参加者から話を聞きながら、故人がどれほど周囲から慕われてきた方であったかを改めて知りました。若い頃に父親をなくされ、そうした中で自分たちを育ててくれた母親を、一日も早く楽にさせてあげたい、孝行してあげたい、、、それが小野教区長の若かりし頃の思いだったそうです。しかし、大学時代に御言と出会い、神様・父母様と出会って、親に孝行したいというその思いを、神様・父母様に捧げられたのだ、といいます。周囲の食口も、そうした教区長の心情に触れ、深い尊敬の念を抱いていたようです。復帰歴史を振り返ると、いつの時代においても、犠牲の道、十字架の道を歩むのは立派な人物ばかりでした。私たちはいつも「なぜこんなことが?」という疑問を抱かざるを得ません。遺族の方々のことを思うと、ただ単に「祭物だった」とか「蕩減だった」といった解説で終わらせて欲しいとは思いませんし、だからといって、ただ「不運な事故に遇った」と思いたくもありません。相手の女性を恨んで済む問題でもありませんし、かと言って、「怨讐を愛せよ」という教訓話で片付けて欲しいとも思いません、、、私たちが、責任ある方々の口から聞きたいことは、単なる事件の解説でも、合理的な解釈でもない、今回のことに対する、教会としての強い責任心情と心の痛み、「今回のことを通して私たちは『変わって』いかなければならない!もう2度と起こしてはいけない!」という、そうした言葉が聞きたいのです、、、しかしまた一方で、聖和式の報に触れながら、私たちもまた、今回のことを、決して、単なる教会の批判材料にしてはいけないのだ、とそう感じました。それは、聖和の間際まで真の父母様を深く愛された、故人の願うところではないからです!教会の課題は教会の課題として、私たちはまた、父母様を愛して御旨の道を歩まれた、一人の牧会者の生き方から学ぶべきことを学び取らなければならない、と、そう感じました。小野教区長のご冥福を心からお祈りします…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー>若い頃に父親をなくされ、そうした中で自分たちを育ててくれた母親を、一日も早く楽にさせてあげたい、孝行してあげたい、、、それが小野教区長の若かりし頃の思いだったそうです。しかし、大学時代に御言と出会い、神様・父母様と出会って、親に孝行したいというその思いを、神様・父母様に捧げられたのだ、といいます。周囲の食口も、そうした教区長の心情に触れ、深い尊敬の念を抱いていたようです。神戸教区辺りは良い教区長を戴いていたようです。神戸教区で一日も早く楽させてあげたい人は何方だったのでしょうか。ここでは、神様・父母様に捧げられたそうです。周囲の食口も、そうした教区長の心情に触れ、深い尊敬の念を抱いていたと。彼と彼の居た神戸教区にとって、大切な人は父母様だけなのでしょう。どんなに多くの人がいたとしても、大切な人は父母様だけ。そのような人に良い人はいません。悪い人です。極悪非道人とはこの様な人の事を言います。そうした教区長の心情に触れ、深い尊敬の念を抱いていた人も極悪非道人です。大切で無い人などどこにもいません。ですが、彼には大切で無い人がいたようです。彼の周りの人にも大切で無い人がいたようです。大切で無い人に過度な献金を要求しただけの事ですが。大切で無い人とされた人には、彼は大切な人ではありません。彼は、彼の蒔いた種を拾っただけの事。29日かけて神はあってあるものにほんブログ村
2013.09.28
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日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様は、今日の統一の幹部の腐敗に心苦しく思っておられるやも知れません。責任ある立場の方は一般信者様の代表としてその志を代表して当然ですが、とてもその志を受け継いではいないという姿をさらして数十年、いまさら自浄などできようはずも無いと知っています。堕落した人に賢人代表を決める事など元々有りようは無いのですが、教義ゆえに自浄作用が働きません。ですが、それを放置したとしても、神の身旨を進めるなど絵に描いた餅に終わるだけです。神は95%責任をはたされたとしても、人の5%の責任分担でいかようにでもなってしまうのですから、その5%を確実に達成する事に傾注する事です。責任あるもののその責任を曖昧にして達成などでできようはずも無い神の身旨を、責任あるものの責任に帰することにより、後の事にまで思慮の有る人の責任分担の5%を完遂させてあげる事も身旨に添うものでしょう。腐敗した者にとってその責任を明確にされる事は嫌な事でしょうが、全ては神の身旨のためです。協会本部は腐敗した者の砦でしょう。そこから神のみ旨は成されません。しかし、その組織の中枢から少しずつ浄化していく事ができなければ麻痺した四肢五体は正常に動く事ができません。日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様が一つと成って正常な組織にと変換してください。その為に、日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様の直接の婦人部長と教会長が、いつからいつまで勤めたかを記録する事です。全国の日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様が記録されたものを一つにするだけでも、自己中心な責任あるものを排除できます。いつからいつの間に起こった不祥事は誰であるのかを明確にするだけです。それを全国の日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様で共有する。一つになる。それは協会本部の腐敗した者に依頼するものでは有りません。全国の日々の生活を慎ましく神様のためにと思って献金に励んでおられる信者様のすることです。末梢神経まで死んでいるのなら無理は言いません。止める事です。死人には出来ません。辞める事です。にほんブログ村
2013.09.17
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2013.9.3 19:28 [中国] 中国外務省の秦剛報道官は3日、中国が「抗日戦争」と位置づける日中戦争の終結68年に合わせ、「抗日戦争の勝利は、正義が邪悪に勝ち、光明が暗黒に勝った偉大な勝利だ」などとする談話を発表した。 秦氏は「日本の侵略の歴史を覆すためのいかなる企ても、被害を受けたアジア諸国の人民や国際社会の断固とした抵抗と反対に遭う。日本側に、歴史と未来に対して責任ある態度を取り、真剣に反省を示し、実際の行動でアジアの近隣諸国と国際社会の信用を得るよう促す」と強調した。 「節目の年」とはいえない今年、談話を発表した背景には、尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐって対立する日本を牽制(けんせい)する狙いがあるとみられる。(北京 川越一)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー牽制になるなら良いだろうが、それこそ、嘘つき中国のアキレス腱になる可能性の方が遥かに高い。と言ってもずっと前から嘘は嘘なんだが、もう矯正できないだけ。「網易」という民間サイトが「日本の歴史教科書と中国の歴史教科書、どちらの方が嘘をついているのか」というネット上の討論を開始し、一般ユーザーにも意見を求めた。その結果、「日本の教科書の方が嘘をついている」と答えた回答者数が2730人であったのに対し、「中国の教科書の方が嘘つきだ」と答えたのはその数倍以上の8949人に上ったのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー抗日戦争で勝利したのはどう考えても蒋介石(或いは国共合作+連合軍)であり、戦勝国が集まったヤルタ会談でもカイロ会議でも毛沢東は招待されていない。毛沢東が中国本土を支配し、蒋介石を台湾に追い出したのは戦争が終わって3年以上経った48年であった。この簡単な論理の整理さえ行われていないのは、譲ったが最後、戦後一貫して国民に説明してきた自らの存在理由、そして一党独裁の正当性、が否定されてしまうからだ。だから、今の中国ではそもそもそうした確信的利益を譲るようなリーダーは選ばれない。中国共産党が全国の土地を所有し、民主主義ではなく一党独裁を正当化する「抗日戦争で中国人民を植民地支配から解放したのは共産党」というレトリックを考えると、彼らが歴史を直視しない限り日本との関係が友好的かつ互恵的になることはありえない、と知るべきである。だからこそ日中平和友好条約の交渉に当たった田中角栄・周恩来は多くの懸案を棚上げにした。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー破滅、崩壊しか残されていない中国共産党なのだわ。にほんブログ村支那との間にある、田中角栄・周恩来が日中平和友好条約の為に棚上げした多くの懸案が棚から落ちれば、どちらも譲歩しなければならない。譲歩できない案件を持ち出したが最後、衝突しかない。とは、その昔から言われている事。その道を走り出した支那、とはいっても、ずっと前から走り出してるけどね。中国共産党は世界を相手に世界史を嘘で作り直さねば生き残れないとは思うけど。まず無理だわ。ーーーーーーーおっと、、どこかは知らないが、一緒に嘘ついてる国が有ったような気がしたが、、大丈夫かな?ま、大丈夫だろう。嘘を吐かないなら。
2013.09.15
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日本は太古の昔から良い国だった。今はどうだろうか。徒党を組み、私は神側、貴方はサタン側。この世に完全無欠な人間などどこにもいない。それなのに、自分だけが完全無欠であると思い込んでいるとしたら、それはよほどの思い上がった錯覚と言うべきだろう。およそ人に私心があれば必ず自他に恨みの感情が生まれる。恨みがあれば心からの協調ができない。協調ができなければ結局、私的な事情で公務の遂行を妨げることになる。・・・そして派閥的なこだわりを捨てるためには、まず私心を去る必要があるというのだ。にほんブログ村
2013.09.05
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母親が子供を大切にしてお世話する事。それは犠牲と言う言い方も出来ますが、喜びとつながっていますね。犠牲と言う言葉は自分を殺すという意味になりがちかと思いますが、統一原理の考え方は単純に自分を殺す事だけではないと思いますね。 (2013.08.25 01:09:58)と、ご意見を賜りましたが、本当にそうでしょうか?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー原理講論には合目的的という言葉が突然出てきます。>人間を中心とする被造世界の場合も、これと少しも変わるところはない。すなわち、人間が存在して、被造物を形成しているすべての物質の根本とその性格を明らかにし、分類することによって初めて、それらはお互いに、合目的的な関係を結ぶことができるのである。さらにまた、人間が存在することによって初めて、動植物や水陸万象や宇宙を形成しているすべての星座などの正体が区別でき、それらが人間を中心として、合目的的な関係をもつことができるのである。それから物質は人間の肉体に吸収されて、その生理的な機能を維持させる要素となり、森羅万象は人間の安楽な生活環境をつくるための材料となるのである。これらはみな、人間の被造世界に対する形状的な中心としての関係である、、、、ま、書いてる本人も何言ってるのか判らない様な文章ですが、シックは理解できます。この在る世界を「分類すること」「正体が区別」で「合目的的な関係をもつことができる」と言っている訳です。??????何言ってるのか判りません。分類、区別しなくても相互に関係を持ちながら、在るものは有るのです。で、二重目的?まずは、何処にそれが出てくるのでしょうか?教えて下さい。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、振ってみましたが、元々捨て台詞ですから何もなしの礫です。>「それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。また、すべての存在は二重目的をもつ連体である。既に述べたように、すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがあって、それらの関係は性相と形状との関係と同じである。そして、性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという関係をもっている。それゆえに、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。」 原理講論より二重目的、さて何でしょう?>すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがあって、それらの関係は性相と形状との関係と同じである。要するに主体と対象の主体(中心)が持つ目的も主体と対象が有ってその関係も主体と対象の関係だと言います。>性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという関係をもっている。要するに主体的な目的は全体のために、対象的な目的はそれ自体のためにある。全体の目的は主体であり、それ自体の目的は対象である。>全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。要するに????どうした?おかしいぞ!すべての被造物は全体の目的と個体の目的とが同じ合目的的存在である。ゆえに、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはないのが統一の真理。>個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。???対象の目的は主体の目的に従順に準じている。のが統一の真理。それで全てが天国に繋がっているのです。保障なんて言葉が統一原理にあるのだろうか?日本人向けの改竄だろう。どこかの、ブログがハングルから日本語への翻訳を研究していた。是非、ここの部分のハングルを教えてほしいものだ。にほんブログ村信者様の会話で人を評する時に天敵、いや失礼、天的という言葉が出てきます。今回の事件は、まさしくこの事です。小野正博さんは、統一の全ての存在は合目的存在という事をよく理解しています。個人の存在目的も全体の存在目的に合致してこそ生きる価値があるのです。全体(文鮮明)が金を出せといえば、出してこそその存在が生きる。という訳です。あなたの事情など個人的な対象的な、、、全体的な目的を離れた、個体的な目的があるはずはない。何の事は有りません。統一の原理が逝かれているだけです。天運など有りはしません。教区長は其の天運の無さに、同期しただけです。また、同期できる人しか残れません。ーーーーーーーーーーーーーーーーー彼女も、その身を捧げた天運の有ろうはずの無い集団に同期などできないにもかかわらず、其の噓が見抜けなかったか故の事件でもあるでしょう。彼女の天運の良さ故に、ある意味、用いられた様なものです。其の命をもって、信者様の目覚めを速しているのでしょう。時が迫っています。
2013.09.01
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