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カテゴリ: 国内出張
・ まずは、北陸の某都市のY旅館である。この旅館は、町の中心地にある老舗の料理旅館で先輩達から受け継がれていたが、殆どの担当者は旅館など使わず新しく建てられたホテルに泊まっていた。晩飯を取引先と食べたあと寝に帰るだけの宿泊であればホテルが便利である。 旅館の人達との濃密な関係を敬遠してホテルに泊まる社員が殆どであった。しかし私は先輩から聞いたそのY旅館の料理伝説のとりこになった。建物は古いが清潔である。特に立派な庭があるわけではない。風呂は共同である。トイレは、旅館の人が「離れ」と読んでいる一部屋だけ申し訳程度に独立した部屋には専用のものがある。しかし、その旅館には、その昔商品展示をしながら商談したであろう、或いは町の名士が集まって夜な夜な宴会が開かれた往時を偲ばせる50畳は超える大広間がある。
ここの晩飯は、地元の山海の素材を使ったフルコースである。特にお魚は旬のものの御造り、揚げ物、煮物、焼き物全てが出てくる。私は、入社してしばらくの間この地区を担当し毎月のように出張した。着いた午後に1軒翌日の午前に1軒の商談をして次の町に向かうという日程であった。入社したての小僧であるから商談が終わると取引先も私などに気を使って接待するということもなかった、また反対に私が接待することも僭越であったし第一予算も持たされていなかった。商談が終わると夕刻前に放免された。私は、仕事は上手くいったのであるから文句はないであろうと商談が終わるとその当時新しく出来た県営プールに向かった。そして充分に泳ぎ、汗を流してからその宿に入ったりするようになった。風呂に入ったあと座椅子に座り肘掛けに片肘をついてビールを飲む。次々と運ばれる料理を肴に7時のNHKニュースを見ながらビールを飲む。こういうのは当時20代前半のガキには似つかわしくなかったかも知れない。しかし、私個人は至福のときであった。そして夏であればナイターを見ながら、冬であれば掘りごたつに入ってしんしんと降る雪を見ながら…。
いい気なもんだと言われても仕方がないがそういったことをしていた。これは、偉大な先輩達が残してくれた遺産であるから、私は先輩達とその先輩達に感謝して一人前として扱ってくれる旅館に感謝し、そしてこのことはきっちり後輩に引き継がなければならないという使命感に燃えていた。そのすばらしい料理を作っていたのは天下に名の知れたその地で一番の料理人ではなくその宿のおばさん達であった。しかし、その包丁の切れは抜群であんな美味い御造りはなかなか頂けない。また、煮物、焼き物。揚げ物の味加減焼加減煮加減揚げ加減も絶妙であった。私は、若干の好き嫌いはあったが使命感に燃えていたので残さず食べた。宿の人達は、毎月必ずやってきて出されたものを残さず食べ尽くす他の宿泊者とは違う若輩の私に大変優しくしてくれた。1980年代の半ばであったが、1泊2食ビール3本で¥9,000~¥10,000であったと思う。当時の出張時の宿泊代としてこれを高いと見るか安いと見るか。私は絶対安いと思った。実際には先輩達の功績から特別価格であったことは間違いないが、あの時代、この地方の条件を考慮しても絶対お値打ちな料理であった。しかし、私の担当が変わり通わなくなってから数年後この宿は廃業し割烹になった。割烹になってから何回か訪ねたが、私はあのおばさん達の料理のほうが絶対美味しいと思う。

(続く)





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最終更新日  2006.01.16 17:33:06
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