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2007.03.07
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From: Date: 2007/02/19 月 午前 09:25:32 JST To: ??????@jcom.home.ne.jp Subject: 19日の日記
2007.02.19
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子供の頃の、つらくせつなくも 今の自分を創った大切な思い出を傷つけられた・・・彼は自分と友人達の尊厳のために行為に出た・・・愛するサッカーでこのような侮辱を受けることが悲しかった。どんなに削られてもいい。同じように罵られたことは数知れないけれど・・・。下馬評の良くなかった両チームが調子を上げて臨んだ決勝で、しかも、延長まで両者一歩も引かず戦っている好ゲームで、「その『手』はやめてくれ!」「マルセイユの路地裏を馬鹿にしないでくれ!あの子供達を侮辱しないでくれ!」「オレガどんな思いでサッカーをやってきたのか知っているのか!」彼は、「それ」はサッカーの世界では良く使われる汚い手であることは充分わかっていた。そんな挑発にのるほど自分は幼くない。でも、幼い時代の友人と、今もマルセイユの路地裏でボールを蹴る子供達を侮辱されることは許さない。この決勝のこの延長のこの試合内容で「その手」を使うことはサッカーを侮辱することじゃないか・・・許されない・・・。マルセイユの路地裏のサッカー魂でここまで来て、その魂の尊厳を守って引退する・・・彼は、そんな思いで行動に出たのではないかと思います。会社の親友の○○が発行してる長~いコラムの一部(それでも長い)から、ジダンに関する部分を紹介します。(サッカーとジダンに興味のある人に提供します。読むのに時間が必要です。それに、ちょっと思い込み強いです。)コラム 魂のフーリガンより・・・抜粋・・・・・・・・"犯行映像"を見て最初に考えたのは、ジズーとマテラッティが何を口論していたのかということである。ジズーはそのプレーと普段の控えめな正確で"いい人"と思われているが、決して聖人君子ではない。アルジェリア移民として差別を受けたであろう貧しい少年時代には、当然ケンカも強かったはずだ。1998年大会でも相手を故意に踏みつけ退場、しかも2試合出場停止という"重罰"を受けている。穏やかな顔の裏に狂気が潜んでいても不思議ではない。しかし、今ジズーはフランス代表のキャプテン・マークを付け、W杯の決勝を闘っていたのだ。しかも延長も後10分という所で勝敗の決着もついていない。それでも暴力行為に至ったのには間違いなく特別な理由があったはずである。しかし、どんな理由があろうとも、暴力は暴力。退場は免れない。ルーニーを一発退場にした勇気あるエリゾンド主審であったが、今回は経緯を見ていなかったこともあり慎重だった。タッチラインまで出向きラインズマンと話し合った末、パンツのポケットに手を入れながら、ジズーの元に走った。そしてジズーの前で、おもむろに赤いカードをベルリンの夜空に掲げた。ジズーもどういう沙汰が下されるかを予め理解していたはずだ。その証拠に、ジズーは場内いっぱいのブーイングの中、何の驚きも抵抗も見せずにピッチを後にする。頭突きを決行したときの険しい顔ではなく、いつもの穏やかな顔で。ゆっくりと、大股に。仲間達を残して、たった一人で。"ジズーと仲間達の旅"はたった今、終わった。そしてタッチラインを超えて、ロッカールームに消えるまでのわずかの間、仲間がいた旅は"一人旅"に戻った。そして最後は一人で、その旅を終えたのである。事件の真相は後に明らかになるであろう。ジズーが語らなくとも、マスコミはマテラッティから事情を聴取するじはずだ。どんな事情があっても、ジズーは弁解はしないだろう。そしてその旅の終わり方にも納得しているだろう。何故なら、既に彼は、彼自身の旅の目的を達成していたからである。思えば決勝トーナメント進出は愛する仲間達がくれた贈り物だった。一人で背負った重荷から開放されたジズーは、そこから"仲間と一緒の旅"を楽しみ始めた。事実、快進撃を続ける中でジズーは「サッカーが楽しくて仕方がない」と語っている。つまり、ジズーは気づいたのだ。多くの仲間達、友人達のおかげで、W杯を手にすることよりも、もっと重要なことに。それは「サッカーの楽しさ」。子供の頃にマルセイユの路地裏でボールを追っていた頃の「楽しさ」。一度は見失ったその"宝物"を現役生活の最後に再び手にすることが出来たのである。後悔などあろうはずがない。「サッカーは楽しい」、「ボールは友達」。キャプテン翼でも翼が苦しい時には、いつもこの真実が翼を救ってくれた。笑ってはいけない。これはサッカーの真実ななおだ。サッカーの試合を英語では"GAME"という。即ち闘いは真剣な"遊び"なのだ。ジダンは7試合目の延長戦で、ユーベ時代の最高の遊び相手であったデル・ピエロとやっと遊ぶことが出来た。もう、何も心残りはなかったのではないだろうか。タッチラインを跨ぎ、ロッカールームに向かう途中に、この試合の最終目的である黄金のトロフィーが飾られていた。当然目には入っただろう。しかし、ジズーは歩幅を変えるでもなく、一瞥するでもなく、その横を静かに通り過ぎた。通り過ぎた後に階段を下りるジズー。背番号10がトロフィーの横で、徐々に沈んで行く。その光景は寂しくはあったが、彼の背中には何の未練も感じることはなかった。私は思い出した。そう言えば、彼は8年前にもうその"おもちゃ"を取るゲームは十分に楽しんでいたっけ。マテラッティへの頭突きの理由も、きっと、マテラッティがちょっとだけ、ジズーが楽しんでいた"遊び"の邪魔をしただけなのだろう。私にはそんな気がする。ジズーの旅の最後の目的はサッカーを"楽しむ"ことだったのだから・・・魂のフーリガン
2006.07.11
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子供の頃の、つらくせつなくも 今の自分を創った大切な思い出を傷つけられた・・・彼は自分と友人達の尊厳のために行為に出た・・・愛するサッカーでこのような侮辱を受けることが悲しかった。どんなに削られてもいい。同じように罵られたことは数知れないけれど・・・。 下馬評の良くなかった両チームが調子を上げて臨んだ決勝で、しかも、延長まで両者一歩も引かず戦っている好ゲームで、 「その『手』はやめてくれ!」 「マルセイユの路地裏を馬鹿にしないでくれ!あの子供達を侮辱しないでくれ!」 「オレガどんな思いでサッカーをやってきたのか知っているのか!」 彼は、サッカーの世界では良く使われる汚い手であることは充分わかっていた。そんな挑発にのるほど自分は幼くないはずだ。でも、幼い時代の友人と、今もマルセイユの路地裏でボールを蹴る子供達を侮辱されることは許さない。この決勝のこの延長のこの試合内容で「その手」を使うことはサッカーを侮辱することじゃないか・・・許されない・・・。 マルセイユの路地裏のサッカー魂にかけて・・・彼は、そんな思いで行動に出たのではないかと思います。 会社の親友の○○が発行してる長~いコラムの一部(それでも長い)から、ジダンに関する部分を紹介します。(サッカーとジダンに興味のある人に提供します。読むのに時間が必要です。ちょっと思い込み強いです。) コラム 魂のフーリガンより・・・抜粋・・・ ・・・・・"犯行映像"を見て最初に考えたのは、ジズーとマテラッティが何を口論していたのかということである。ジズーはそのプレーと普段の控えめな正確で"いい人"と思われているが、決して聖人君子ではない。アルジェリア移民として差別を受けたであろう貧しい少年時代には、当然ケンカも強かったはずだ。1998年大会でも相手を故意に踏みつけ退場、しかも2試合出場停止という"重罰"を受けている。穏やかな顔の裏に狂気が潜んでいても不思議ではない。しかし、今ジズーはフランス代表のキャプテン・マークを付け、W杯の決勝を闘っていたのだ。しかも延長も後10分という所で勝敗の決着もついていない。それでも暴力行為に至ったのには間違いなく特別な理由があったはずである。しかし、どんな理由があろうとも、暴力は暴力。退場は免れない。 ルーニーを一発退場にした勇気あるエリゾンド主審であったが、今回は経緯を見ていなかったこともあり慎重だった。タッチラインまで出向きラインズマンと話し合った末、パンツのポケットに手を入れながら、ジズーの元に走った。そしてジズーの前で、おもむろに赤いカードをベルリンの夜空に掲げた。ジズーもどういう沙汰が下されるかを予め理解していたはずだ。その証拠に、ジズーは場内いっぱいのブーイングの中、何の驚きも抵抗も見せずにピッチを後にする。頭突きを決行したときの険しい顔ではなく、いつもの穏やかな顔で。ゆっくりと、大股に。仲間達を残して、たった一人で。"ジズーと仲間達の旅"はたった今、終わった。そしてタッチラインを超えて、ロッカールームに消えるまでのわずかの間、仲間がいた旅は"一人旅"に戻った。そして最後は一人で、その旅を終えたのである。 事件の真相は後に明らかになるであろう。ジズーが語らなくとも、マスコミはマテラッティから事情を聴取するじはずだ。どんな事情があっても、ジズーは弁解はしないだろう。そしてその旅の終わり方にも納得しているだろう。何故なら、既に彼は、彼自身の旅の目的を達成していたからである。 思えば決勝トーナメント進出は愛する仲間達がくれた贈り物だった。一人で背負った重荷から開放されたジズーは、そこから"仲間と一緒の旅"を楽しみ始めた。事実、快進撃を続ける中でジズーは「サッカーが楽しくて仕方がない」と語っている。つまり、ジズーは気づいたのだ。多くの仲間達、友人達のおかげで、W杯を手にすることよりも、もっと重要なことに。それは「サッカーの楽しさ」。子供の頃にマルセイユの路地裏でボールを追っていた頃の「楽しさ」。一度は見失ったその"宝物"を現役生活の最後に再び手にすることが出来たのである。後悔などあろうはずがない。 「サッカーは楽しい」、「ボールは友達」。キャプテン翼でも翼が苦しい時には、いつもこの真実が翼を救ってくれた。笑ってはいけない。これはサッカーの真実ななおだ。サッカーの試合を英語では"GAME"という。即ち闘いは真剣な"遊び"なのだ。ジダンは7試合目の延長戦で、ユーベ時代の最高の遊び相手であったデル・ピエロとやっと遊ぶことが出来た。もう、何も心残りはなかったのではないだろうか。 タッチラインを跨ぎ、ロッカールームに向かう途中に、この試合の最終目的である黄金のトロフィーが飾られていた。当然目には入っただろう。しかし、ジズーは歩幅を変えるでもなく、一瞥するでもなく、その横を静かに通り過ぎた。通り過ぎた後に階段を下りるジズー。背番号10がトロフィーの横で、徐々に沈んで行く。その光景は寂しくはあったが、彼の背中には何の未練も感じることはなかった。私は思い出した。そう言えば、彼は8年前にもうその"おもちゃ"を取るゲームは十分に楽しんでいたっけ。 マテラッティへの頭突きの理由も、きっと、マテラッティがちょっとだけ、ジズーが楽しんでいた"遊び"の邪魔をしただけなのだろう。私にはそんな気がする。ジズーの旅の最後の目的はサッカーを"楽しむ"ことだったのだから・・・ 魂のフーリガン
2006.07.11
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・・・後でわかった話だが、この日のベッカムは試合前から体長が悪く、後半にはピッチの上で2度"吐いた"と言う。元々具合が悪かった上に、ペースを上げた後半には蒸し暑さで脱水症状になっていたというのだ。妙に苦しそうな横顔の謎が解けた。前半の"半袖"もきっと体調によるものだったに違いない。しかし、ベッカムは、試合前に体調が悪いことをエリクソンに話さなかった。彼はこの試合、どんなに苦しくとも、闘わねばならない理由があった。「自分への批判を黙らせ、自分が正しいということを証明したかった」試合後の彼の談話である。試合毎に選ばれるMVP。このゲームではイングランドのDFテリーであった。決勝FKを決めたベッカムではなく。この試合でベッカムのパフォーマンスがいかに悪かったかが判るだろう。自らも「見苦しい内容」と語ったゲーム。しかし、いかに見苦しくとも、"勝利"という本当に必要な結果を、自らの力で手繰りよせて見せた。もう"貴公子"という形容は似合わない。"闘将"。その白い長袖にはキャプテンマークが良く似合う。・・・ベッカムは魂のこもったプレーヤーに成長したのです。
2006.06.28
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Oさんへ 中国農民報告(文藝春秋)を読めば、今の中国の実態がわかります。 中国の国と役人はヒドイですが、一般市民は悪くないですよ。ちょっとコミュニケーションは難しいところがあったり、強烈に主張をする傾向には日本人では閉口することもありますが、「世界にはいろんな人種があるなあ」の範囲です。Oさんも友人がいるようなのでおわかりでしょうが・・・。 幸いにも、私がつきあっている人達は、付き合い易い人です。 ちょっと、ここで書いていいのか迷いますが、北京大学とブリュッセル大学を出た大変可愛い中国の女の子が「日本人は鯨を食べる」とジョークに紛らせて非難したので、「中国人はサルを食べる」と応酬したところ、横で聞いていたベルギー人とオランダ人が倒れました。その女の子と私は、そういったことに神経の太いオランダ人は「倒れるな!」とつぶやきましたが・・・。 大西洋のクジラが死滅したのは、昔、アメリカがランプの油に鯨油を使うために乱獲したからだ・・・ということで、その場は収まりました。
2006.06.28
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オシム監督には、ワールドカップの試合前に、コンピューターゲームで遊んでいる選手を鍛え直してて欲しいと思います。ヒデの涙には、そんなことへの思いもあったと聞きます・・・。「リラックスするため・・・」という説明をするでしょうが、4年一度、地区予選を勝ち上がって選ばれたチームによる最高のサッカーをするための機会を前にしての心構えとして、自分達の置かれているポジションを考えれば尚更ですが、そもそもサッカーに対する尊敬があれば、準備の仕方は違ってくるでしょう。これから始まる試合に自分のベストパフォーマンスを発揮するためにはどうしたらいいか、静かに考え、確認し、気持を奮い立たすというものであろう。音楽家も同じだ。どんな巨匠であっても、音楽に対する尊敬が深ければ深いほどステージに立つのが怖い。というものだそうである。ピッチに出る選手の顔は一応に緊張して不自然である。(笑顔の選手もいるが、引きつった笑顔だ。決勝トーナメント進出を決めたあとの日本戦のブラジルだって、百戦錬磨のロナウド、ロナウジーニョも笑顔であったが、どこか不自然であったし、控えから先発に回ったメンバーは完全に引きつっていた)普通、控え室からあそこに出るまでに相当の覚悟をしてきたつもりでも、まだ落ちつかない。ピッチに上がって、芝に手をついて神に祈って初めて落ち着くというものであろう。 そんな試合に臨むにあたって、コンピューターゲームはないだろう。自分の力を100%出すために考え、思いを馳せることは沢山あるだろう。ゲームの終盤に疲れて足が止まるとはどういうことか?サッカーに対する尊敬はないのか?そんな奴にジャパンのユニホームは着てもらわなくていい。オシムになれば、当然そんな奴は選ばれない!私は、闘将ドウンガに鍛えてもらいたかったが!
2006.06.26
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小中学校同期生への書簡 朝から、長いメールで失礼しますが、昨夜の勉強会で、以前紹介した友人の○○○から面白い言葉を聞きましたので紹介します。(普通知っているのかも知らないけれど、私は知りませんでした・・・)言霊の幸ふ国"日本"(ことだまのさきはうくににほん)彼から聞いたことをここで書くぐらいまで理解できていないので、インターネットで調べた以下を紹介します。* 日本は言魂の力により幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされており、神代の霊体を継ぐ、独自の思想をもった、すばらしく秀でた民族「日のいずる国の霊族」なのです。ですから、言葉に魂が宿るとされる「言霊」は、言葉を発する者の心構えによって、「善」ともなるが、「邪」ともなるわけです。*霊(ことだま、ことたま)とは、一般的には日本において言葉に宿ると信じられた霊的な力のこと。声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発するとよいことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。そのため、祝詞を奏上する時には絶対に誤読がないように注意された。今日にも残る結婚式などでの忌み言葉も言霊の思想に基づくものである。日本は言魂の力によって幸せがもたらされる国「言霊の幸ふ国」とされた。万葉集に「志貴島の日本(やまと)の国は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」「そらみつ大和の國は......言靈の幸ふ國と語り繼ぎ言ひ繼がひけり」との歌がある。これは、古代において「言」と「事」が同一の概念だったことによるものである。漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられており、例えば事代主神が古事記では「言代主神」と書かれている箇所がある。自分の意志をはっきりと声に出して言うことを「言挙げ」と言い、それが自分の慢心によるものであった場合には悪い結果がもたらされると信じられた。例えば古事記において倭建命が伊吹山に登ったとき山の神の化身に出合ったが、倭建命はこれは神の使いだから帰りに退治しようと言挙げした。それが命の慢心によるものであったため、命は神の祟りに逢い亡くなってしまった。すなわち、言霊思想は、万物に神が宿るとする単なるアニミズム的な思想というだけではなく、心の存り様をも示すものであった。西洋でこれに当たるようなものには、霊的な力を含んだ「霊気」(プネウマ)というものが新約聖書に登場する。「風はいずこより着たりいずこに行くかを知らず。風の吹くところいのちが生まれる。」この「風」と表記されているるものが「プネウマ」である。一般に、音や言葉は、禍々しき魂や霊を追い払い、場を清める働きがあるとされる。 これは洋の東西を問わず、祭礼や祝い、悪霊払いで行われる。神事での太鼓、カーニバルでの笛や鐘、太鼓などはその例である。言葉も、呪文や詔としてその霊的な力が利用される。 ただし、その大本になる「こと」(事)が何であるかということは洋の東西で別れる。日本人は「その実体は不可知であり、知ることは出来ないし、また知ろうとしてもいけない」と考えていた。言葉などは、まさに「こと」の「端」・「枝葉」でしかなく、「こと」自体は我々には知りがたいとされた。西洋人が、「真理とは巌(いわお)のようなものであり、その上に教会を築くことができる」と考えたり(ヘブライズム-キリスト教)、あるいは「真実を知りたければ鏡に汝自身を映してみよ、それですべてが明らかになる」(ヘレニズム-ギリシア哲学)といい、それは知りうるものであり、また実感として捉えられるものであると看做したのと好対照をなしている。 ご参考下さい。
2006.06.23
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お早う御座います。皆さん、Early birdという言葉を知っていますか?早起きの鳥、一番鳥・・・ということで、「早起きの人」という意味です。今日は、この「早起き」について皆さんにお薦めしたいと思います。皆さんは、今何時に起きていますか、多くの人は、始業時刻の9時から通勤時間などを逆算して一番遅い時間に起きているということかと思います。私も、社会人になって7年間はそうでした。しかし、今は、大体5時30分に目を覚まします。前日寝るのが遅くても、お酒を飲んで帰ってもその時間に目を覚まします。そして、NHKのニュースを見ながら、体を少しずつ起こします。シャワーに入って、何やかやで6時35分前後に家を出ます。そして、会社には7時35分前後につきます。この間、2つの電車に乗りますが、最初の電車は、たまのラッキーな日以外は座ることは出来ませんが、立っている人も少なくゆっくりと本が読めます。次の電車は、必ず座れますので快適です。通勤というよりプライベートタイム(1)です。最寄の駅で降りて、コンビニに寄っておにぎりかパンを一つ買って事務所に入ります。大抵は一番乗りです。7時35分ぐらいです。ここから、9時までの1時間20分も、またプライベートタイムです。仕事はしません。就業規則では、会社事務所、機材を業務以外に使ってはいけないことになっていますが、こういった使い方に対してクレームするような会社なら先は長くないので転職したほうが良いでしょう。しかし、この17年間、そのようなことは言われていないのでご安心下さい。お茶を入れて、朝ごはんを食べながら、メールをチェックします。これは、仕事ですが、気になるからちょっと見るだけで返事は書きません。でも、本当は見ないほうがいいのです。なかには、9時まで返事を書くのを待てないようなムカッとくるメールを見つけてしまうからです。で、何をしているかといと、前日深夜の帰宅で読めなかった自宅で取っている昨日の朝日新聞を読むとか、本を読むとか、語学の勉強をするとか、インターネットで一般情報を見るとか・・・アダルトサイトは見ません。しかし、趣味のサイトは見ます。これは、マーケターにとっては、勉強、自己啓発ですから・・・。二日酔が激しい時には、趣味の世界が多いです。出張に出掛けないときは、こんな生活パターンです。これが、すごく快適なわけです。通勤ラッシュとは無縁でストレスフリーです。家には、書斎はありませんが、静かで広い空間を少なくとも1時間は独占できる。時間に追われるのではなく、時間を自分でコントロールしている感じがあり、大げさですが、自分の人生を意思を持って歩いて気分になります。では、9時ぎりぎりに出社していた私がそういった早起きが出来るようになったかというと、1990年に2つの出来事がありました。最初にも言いましたが、私は、入社以来7年間は9時ぎりぎりに出社していました。・ 前日は、大体遅くまで飲んで帰り・ 帰れば、新聞も読まずに寝る。・ 朝は、ぎりぎりで、朝ごはんも食べずに満員の電車に乗る。空いている電車を選んでいましたが、本を読めるスペースもない。態度の悪いおじさんや若者に小突かれムカッとしたり、近寄りたくもないお姉さんやオバサンに、電車が揺れて不本意にも触れて睨まれムカッとしたりといったストレスフルな通勤で漸く会社につくといった状況でした。人にもよりますが、人の創造力、創造性は、大体午前中に発揮されるものですが、そんな状況では力の発揮する余裕もありません。ただ、仕事は何となく成果を上げていましたが、ベストを尽くしていたか、これは自分のためにということで、結果として会社への貢献もベストであったかというと、そうではなく、まずいなあと思っていたのです。これでは、ただ流される人生を過ごしているなあと思っていたのです。そんな時2つのことに出会いました。一つは、指揮者の小澤征爾の言葉です。どんなのかと言いますと、「自分は、夜は、どうしてもお酒を飲むので、朝早く起きて勉強するようになった」という言葉です。若い頃、弟子としてカラヤン先生について勉強していた時、午前中のリハーサルは問題ないけど、昼のリハーサルはどうしても途中で寝てしまう。移動中も寝てしまう。それを見ていた、カラヤンが彼に言ったことは、「征爾お前オペラはやらないのか?オペラはすばらしいよ!音楽家として指揮者としてオペラをやらずに終わっていいのか?でも、オペラをするには勉強しなくてはいけないことが沢山ある。オペラは、音楽も、歌も、劇も勉強しなくてはいけない。第一、時間が長いし、数も沢山ある。そして、それぞれの作品が作られた時代背景や、思想、哲学が作曲家のことも勉強しなくてはいけない。さらにシンフォニーも好きならその勉強もしなくてはいけない。そんなに寝てばっかりしていて何時勉強するのだ」と言われたらしいのです。で、小澤は、「好きな音楽で知らないことを残して死ぬなんて耐え切れない。で、何時勉強するか?夜は、どうしてもお酒を飲む。じゃ、朝にしようという」ということで、彼は、前の晩がどんなに遅くとも4時頃には起きて8時ごろまで勉強するらしいのです。そして、その日のスケジュールによって違うのでしょうが、午前、午後とリハーサルをやって、午後に1時間程度の昼寝をしてまたリハーサルを行い本番を振るというような生活にしたのだそうです。もう一つの出来事は、1990年のアメリカ出張です。それは、私にとって初めてのアメリカでした。私のアメリカに対する理解の一つに、日本人をワーカーホリックと揶揄する働かないアメリカ人というものでした。1泊目は、シカゴのホテルでした。私は、時差で朝早く、4時頃目を覚ましました。それで35階のホテルからミシガン湖の様子を見ようと窓際にたって驚きました。湖岸の片側4車線はあるドライブは、ダウンタウンへ入ってくる車で一杯でした。それで、ホテルの横のビジネスセンターのオフィスビルの部屋の電気がポツポツと衝き始め仕事を始めている多くのビジネスマンが見えたのです。もちろん掃除のために電気が付いている部屋もありましたが・・・。それからしばらくしてアメリカの代理店と仕事をするようになって気づいたのですが、こちらへのFAXが発信される時間が、現地の5時から7時頃なのです。朝早くから働いているのです。それで、出張で訪ねたときにそのことに話題を振ったら、アメリカンエクゼクテイブは皆朝早くから働くということでした。朝は、一番頭が冴えているので、午前中に頭を使う仕事をして、昼からは、流れ作業をするとのことでした。つまらない会議は大体午後ということでした。私のミーテイングは朝でホットしましたが・・・。私は、この2つの出来事に出会って、それならばと思ってはじめたのが、Early birdです。やってみたら、先ほどみたいに快適なのです。別に会社に来ることはなく、朝ジョギングしてすっきりしてから時間の余裕を持って出社するのもいいし、会社の近くまで来て、スターバックスで新聞読んだり、本を読んだり、考えをまとめたりして、ゆっくりと出社するといったのも良いと思います。都会のストレスから解放され、時間をコントロールして生きる。私は、人生豊かになると思うのです。押し付けはしませんが、皆さんも、興味があれば、ぜひちょっと試して見てください。Early birdは楽しいですよ!
2006.06.21
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日本最大のチャンス、右からの加地の魂のセンタリングに、右足だけ前に出し、アウトサイドで合わせに行った選手が信じられない。もし、8年前のあの男なら、態勢を崩しながらでも、足でもどこでも、とにかくどこかに当てて、身体ごとゴールに押し込んだことだろう。彼は技術ではなく、魂でシュートできる男だった。魂のフーリガン
2006.06.20
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魅力商品の開発メーカーへの書簡ホントにねえ!PETの問題は、政財官の環境課題に対する認識レベル意識レベルがまだまだ低いところが「モロミエ」ってことでしょうか。午前中も、環境課題についてのセミナーがありました。課題は、山程ありますが、ここ数年続いた日本での家電リサイクル法、欧州環境規制(WEEE & RoHS)から米国各州法規制と中国の環境規制に移りつつあります。業界の集まりなんかに出て行って、副大臣や国会議員、上級役人、各社経営者、各社担当者の意見を聞くことがありますが、認識レベルの低い発言が結構あって驚きガッカリすることがあります。日本の指導層のレベルってこの程度かって情けなくなることがあります。(外形標準的な発言は立派なのですが、タテマエ的に考えているのではないかというフシが見える発言が結構多い)ここでも、国や企業の継続ってことに思いが到っていないなあと感じてしまいます。しかし、良く出来ている人、役所、企業もあります。そういう法人、団体は徹底して出来ています。日本の将来の可能性は、そういうことででもわずかに保っているとも思いますが、大事なのは、そういった法人や団体を離れた一人一人の国民の環境課題に対応した日常の営みだと思います。国民総生産という言葉がありますが、国民全体の環境課題に対する成果を指数で表す上手い表し方はないでしょうかねえ。「環境会計」ってのがありますが、ちょっと複雑で難しいと思います。○○さんはご専門なので、私なんかが言及するのは僭越なことを承知で書きますが、有機肥料を自家生産している農業経営者がおっしゃるには、各家庭で「生ゴミを完全分別してデリバリーしてくれれば、有機肥料による生産をもっと拡大して安全で高品質な青果を安く提供することが出来る」この時、分別は「完全」でなくてはならないということです。プラステイック包装資材の欠けらがちょっと混ざったから「まあいいか」というのはダメなわけです。我々国民の一人一人が、この「まあいいか」にならずに日常的に生活出来るかということかと思います。「まあいいか」を我慢すれば、環境負荷を軽減し、安全な食材生産を実現し、自分達の食の質について経済負担を軽減しながら高めることができ、余剰したものを他の生活向上に回せるという、善循環を実現できるということです。この活動は、国民レベルでの活動でないと意味がないわけで、国民レベルとなるとかなり難しい課題となりますが、日本人なら出来ると思います。今日は、晩酌後のひとときにお邪魔していないことを願っています。私は、昼食後の助走にRING88を利用させて頂いています。
2006.06.06
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ある商品企画者への書簡 おっしゃる通りです。商品企画を練る時、企画する商品が創造し提供する価値は何かということを深く考えなければなりません。即ち、商品やサービスを通じて創造し提供する「魅力、喜び、ソリューション」が、本当に人々の生活や社会のためになるのかといったことです。人々が困っていることがあって、その解決を手助けする商品。人々が今まで体験できなかったことが体験、実現でき楽しみや喜びを感じることを手助けする商品。そういった魅力を本当に実現できるかといったことを何処まで深く練ったかということに疑問を感じる商品を見かけます。競合商品とのコストとスペックの比較で競合に優位であろうという発想だけが見え見えの商品があります。提供者であるメーカー企業は、付加価値と言っていますが、どの位の付加価値があるのでしょうか。社会的に有害ではないけれど本当に有益であるか、ベネフィットがあるのか、人々の生活を幸せにするのか。程度の問題ではなく、そういった価値を本質的に持つのかを省みると、そういった視点に対して「詭弁の商品企画」「自分勝手な商品企画」があります。そういった商品は、結局心から受け入れられることはなく短期短命で終わり継続しないものです。継続しない商品は、購入者の期待を裏切りますし、企業の開発投資を無駄にして体力を奪います。結果、株主の価値を奪います。本質を追求する商品企画は、言うのは簡単で、大変なパワーのいることです。しかし、そこに商品企画の使命があり、仕事の面白さがあると思います。社会に貢献する高い価値を伴う商品やサービスを、継続的に、発展的に、経済的に成果を上げながら創造するための考え方がマーケテイングであると考えます。マーケテイングは企業活動そのものであるというように考えます。従って、一見便利なようで人間の能力を後退させることが明らかな商品、甚だしい商品は、公序良俗に反する商品ということで、企業としては自重するべきでしょうが、経済成果優先の風潮が強いのが昨今です。企業のゴイングコンサーン(継続性)を考えるまえに、人類のゴーイングコンサーンを考えなければなりません。○○さんがおっしゃるように、人類や文化が滅んでしまえば企業もビジネスも意味はありません。その辺のところまで考えている企業は果たしてどの位あるでしょうか。とすれば、やはり人類の将来は暗いものでしょうか?私は、人類の賢明さに期待したいと思います。○○さんが、高品質の「△△△」に情熱を掛けられているのを聞けばその期待は間違いないと思います。工業の世界も循環型社会を理解し有害物質の使用や廃棄について規制を整備を進めているのもその現われでしょう。しかし、まだまだその整備に只乗りするフリーライダーが多いというのも事実です。自分の子供や孫が苦しむことを思えば簡単なことなのですが・・・。商品企画の際に「一線」をどこに置くかは、これは「経営の志」の問題です。目先の利益に走ることが往々にしてあり、その際は「詭弁の商品企画」になり近視眼的経営になります。これが度を過ぎると企業の不祥事となります。当社も不祥事には到っていませんが、過去に商品のリコールを実施し、その事業は、今も回復していません。商品やサービスの質、仕事の質、事業の質、経営の質・・・を考える時、私はこんなことを考えます。
2006.06.05
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日本のビールが美味しいというエピソードを一つ。日韓ワールドカップがあった時、浦和スタジアムであった「イングランド VS アルゼンチン」戦のために来日するイギリス人を当て込んで、上野駅のビアバー、浦和駅周辺の居酒屋、ビアレストランは、ギネスビールをしこたま仕入れた。多分、ビールメーカーのしたり顔の営業によるものであろう。しかし、売れたのは、日本のビールばかりで、殆どの店で完売したそうだ。奴らは飲みきったそうだ。特に、上野駅構内にあるビアスタンドだかビアバーはすさまじかったそうだ。アットの間に売り切れたそうだ。なぜか、彼らの言い分は、「日本のビールが世界で一番美味い!」 日本のビールメーカのギネスビールが彼らの口に合わないということもあるのかも知れないが・・・。大体、パブなんかで見ていると、奴らは軽々4リッターは飲んでいる。私も3リッターは飲むし、4リッターも飲むが結構酔う。日本のビールが美味いというのは、外国人著書の中でも結構見つける。私も、結構な種類を飲んだが100%同意する。しかし、指揮者の岩城裕之先生は、チェコのピルスナーがビール中のビールとおっしゃるが・・・。まあ、私は、結局何飲んでも「美味い」とか「たまらん」としか言いませんが・・・でも、ビールは基本的に、動かしたり、日に当てたり、すれば鮮度が落ち味の質も落ちます。従って、インポートビールはかなりのハンデイーがあります。では、日本で一番美味いのは? ビール会社の工場のパイプから直接飲むことです。工場見学に行けば、大体好きなだけ飲ませてくれますし、隣接のビアホールで飲めます。工場で飲むビールは、絶対補償します。あとは、ビールメーカのショールーム的なビアホール。東京では、アサヒビールの浅草本社、サッポロビールのライオン銀座7丁目店、サントリー赤坂本社地下のロイヤル(ここのプレミアムモルツは唸る)しかし、結局は、いい仲間、いい話で飲むのが一番美味いということでしょう。○○サンの帰国を待っています。
2006.06.01
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○○さん。反応有難う御座います。ヘルシンキは、外回りの行商担当をしていた8年間通いました。しかし、所詮出張の範囲ですので、いつも1泊の滞在で、知っているところは、空港、駅、ホテル、飯屋とお客の会社の近所で、名所旧跡といった「いいところ」は知りません。移動の車中から「ちらっと」見る程度ということです。「見たことあるか?」と聞かれると「ある」ですが、「知ってる?」と聞かれると「知らない」となってしまいます。ヘルシンキも、郊外に美しい森と湖があるということは飛行機の窓から見て知っていましたが、森に入ったことはありません。ノルデイックスキーで森に入れば、すばらしい世界があるのでしょう・・・。市内は、「バルト海の乙女」の愛称を持つとおりの町並みです。池、湖、緑あふれる公園が多く、建物も、木をふんだんに使った内装でとても気持いいです。厳しい冬の楽しみは、森の中にバンガロー風に建っているサウナで過ごすことだそうです。基本的にミックス(混浴)です。指揮者の小澤征爾が何かで書いていましたが、彼が、一緒に入っている若い女性に「恥かしくないか?」と聞いたところ、「こういうところでは、互いに相手を目の中に入れない」(ジロジロ見ない)と答えたとのことです。・・・ドイツのサウナもミックスですが、あるホテルのサウナの扉を開けたら「日本人のオジサン」がぎっしり詰まっていました。「それではあかんやろう!」・・・「そんな怖いところに、誰も入って来るんや!」とツッコミました。・・・それとも、彼らは、男同士仲間内で純粋にサウナを楽しんでいたのでしょうか・・・。「かもめ食堂」は、テレビでの紹介を見ましたが、フィンランドの森と湖の爽やかな風と臭い、それに純朴なフィンランドの人柄を感じるショットに、機会があったら見てみたいと思いました。(映画は好きなのですが、劇場まではほとんどいかないので・・・)しかし、「かもめ食堂」は、プロヂューサーと監督が何方でどのような人か存じ上げませんが、「上手い!」。見ないで誉めるのも無責任ですが、創造したコンセプトを「かもめ」と「食堂」を通じて見事に描いているのではないか・・・そのポテンシャルを感じました。厳しい冬を終えて暖かくなって薫風を少し感じる季節感、厳しい冬と森と湖に育まれた木の文化と風土を根に持つフィンランドの人、そして海に囲まれ山が多く四季があり、やはり木の文化と風土を持つ日本。その交流から生じることを、爽やかな風と優しい光を肌で感じさせながら見せてくれているのはないかという期待を感じます。
2006.05.31
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私は、闘将ドウンガを強く推したい。福西が今日あるのも彼の教えのお陰だ。Jリーグの試合で、ドウンガに叱られ泣きながら走っていた福西を知っている。
2006.05.30
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プレッシャー?しか言わないスポーツアナ。社会経験豊富なゲストと全く噛み合わない、幼稚な女子アナ。斜めに向いてシナを作ってしゃべるオカマアナ。NHKのアナウンサー!しっかりしろ!私は、どちらかとNHK派だ。最近の不正のラッシュには強い憤りを覚えるが、見るテレビはNHKか東京12チャンネル(テレビ東京?)の旅番組である。スポーツ番組、スポーツニュースもNHKであるが、アスリートへのインタビューの切り口のほとんごどが「プレッシャー」であるのには閉口する。他に聞くことはないのかしら。プレッシャーがスポーツ、アスリートのもっともシリアスなテーマだと思っているのであろうか・・・?スポーツ担当アナウンサーの猛省と勉強を促したい。加えて、土曜日の夜の「アット・ヒューマン」の男女のアナウンサーはあまりに幼い。社会経験豊富なゲストの発言を理解できず、まとはずれな応対をする女子アナ。斜めを向いてオカマっぽくしゃべる男子アナ。いずれもオコチャマのアナウンサー。大人になれNHK!
2006.05.26
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どんな感覚かって言うと・・・。お酒での失敗は数知れず・・・でも、47歳になって漸く楽しめるようになったという感じがします。漫画喫茶のような出来事も含めて・・・。時間、空間、肴、話、人、妄想、瞑想、空想を楽しむっちゅうか・・・。一人でも楽しいし、気のあった友達と語り合うのも楽しいし、大勢でバカな(アホな)話でお笑いも楽しいし・・・。ヤメラレマヘン!こんな安定した気分で飲めるようになったのは、ここ数年かなあ・・・。それでも、シャワーや風呂に入って酔いが覚めてくると、思い出したくない恥かしいことが遠い記憶のかなたから出てきそうな気がして、「出てきたらあかん」・・・「これは思い出さない方がいい」と思って押し込むのですが、強引に出てくるのです。そんなときは、「わあっー」とか「あほか~」とか何とか意味のない言葉を叫んでしまいます。山口瞳さんは、「ぎゃー」と叫んでしまうとか。著書「酒呑みの自己弁護」で書いています。ウチのカミサンは、「なにを反省してんねん!ハナシ、聞こうか?」とツッコミを入れます。「言えるか!」
2006.05.24
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くたばれ帳簿屋経営!経理財務志向の経営が悪いとは言わない。しかし、そればっかりで事業の現場、即ち、商材の企画から販売、サービスに至る「営業(販売という意味ではない)」の現場を意識しない経営では成果が上がるはずがない。それは、経済行為、商行為は全て人の営みに関わるからである。従って、その営みの成果を現す数字には、その営みの軽重が加味されている。そのことを理解せずに数字を扱って経営しようというのが帳簿屋経営だ。本来の「会計」と帳簿屋経営とは、全く違う。人の営みが尊重され、評価されている。従って、どうやって、そのような無形のものを数字で顕在化させ経済や商行為の実態を把握するかを考えている。「会計」と「マーケテイング」は同義語なのだ。帳簿屋経営者の陥る悪循環・ ゴーイングコンサーンが理解出来ない。・ 投資が出来ない。ブランド、広告宣伝、研究開発が理解できない。・ 有形資源と資産、無形資源と資産の内容を見積もることができない。・ 自分中心主義。事業に人(ステイクホルダー、社員)が関わっていることがわからない。そういった人達の幸せを考えない。自分の任期、出世することが最優先で、内容を考えない。・ 最後は、感情的に、脅すだけの交渉しかできない。・ ブランド=看板をはずされたら誰からも相手にされないことがわからない。その対極にあるのがコーポレートブランド経営である。コーポレートブランド経営は、経営の高い「志」をブランドに反映し、その経営に関わる人々(ステイクホルダー、社員)が、その「志」をブランドを通じて尊敬することにより一肌も二肌も脱いで協力し関わる経営である。結果、明るく、発展的で、継続的に、収益を上げながら、社会に貢献する経営、まさにゴーイングコンサーンの実現である。関わる人々を幸せにする経営である。私は、このような経営を目指したい。
2006.04.27
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私は、日本航空の囲い込み戦略にはまっている。全日空の国際線には乗ったことがないが、国内線には昔は結構乗った。しかし、マイレッジシステムができた1990年頃からはJAL一辺倒である。JASと合併してからはさらにJALジャンキーである。ANAしか飛ばない路線に出掛ける用事がない。特にJALのファンでもマイルジャンキーでもないが、マイルをもらわないのは損!ボーナスポイントもあるし!なんて思っているとJALに乗っている。囲われている・・・。セグメンテーションと囲い込みは、マーケテイングの基本であるが、ならば次の施策としての「深堀」はどうなっているのだろう。ボーバスポイントがそれに相当するのであろうか?このところのJALの評判はよくない。経営不振の中雇用条件について全く譲歩しない組合は、組合が9つもあるという事実以上に浮世離れしている。私自身は、スッチーの御尻から可愛い音を聞かされようが、いきなり大阪弁で声を掛けられようが、特にサービスに不満を思ったことはない。しかしながら、テンションが下がっているのは否めない。チケットカウンターやコールセンターなど委託会社の応対は問題ないのであるが、本体に近くなるほどテンションが下がっている。乗りかかった「船」だから、このまま付き合うが,どうか落とさないで欲しい!もうすぐミリオンマイラーになる。そこまで付き合っているのであるから仇で返さないで欲しい。
2006.04.19
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Nさんお元気でしょうか?勤めていた会社の不祥事なんか気にしてはいけませんよ。不祥事の片棒を担がされたとしても知らずに利用されたのでしょうから貴方は気にすることはありません。私は、貴方が事情を全く知らなかったことを知っています。近くに居れば居酒屋で励ましもできるのですが、そちらへ出張する仕事もなくそれも出来ません。ただ待つばかりです。ファンキーな洞察力によるファンキーなイラストを楽しみにしております。新たな名前での登場を待っています。
2006.04.18
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「経営」って何?という議論で私は以下のコンセプトを話したところ、まあまあの反響であった。経営を評価する指標って、ROE、ROA、EVA、売上高利益率・・・とあるけれど、経営って、経営者が志を実現するために以下のような会社を運営し、取引業者、株主、従業員の家族がその経営に協力したくなるような状態をつくることであろう。** 社員従業員がこんな気持になれる会社をつくること ** *朝目覚めた時、「さあ、今日も明るく元気に出社して仕事をするぞ! *夕方に今日も手応えのあった一日で楽しかったと思える! *自分の仕事が会社を通じて社会貢献できていると感じる! *コーポレートブランドの価値の実現、創造に寄与できている! *同僚、株主、取引先、家族の幸せのために働けている! *日々の成長で自分が成長できている! *** コーポレートブランド経営の実現 *** *コーポレートブランド=志、夢、基準、認める価値、創造したい価値を込める。 *ブランド価値に同意し、尊敬して働く。取引する。 *自分達の働き、取引がブランドの価値向上に貢献する喜び。 というのが総論で、こんな会社を実現するために、人、モノ、金、情報、風土を最大発揮させるのが経営の各論だというように思う。
2006.04.14
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お父さんは頑張っているのです。少し・・・ほんの少し優しくしてあげましょう!二日酔で書いているので、変なところがあったらカンベン!本日午後に来客する若いビジネスマン2人に、こんなこと話そうかなあと思いながら書いて、仕事をしているフリをします。MMさんがご主人のことを書かれていました。優しい感じでいい雰囲気が出ていました。私は、世の中のお父さんは頑張っている・・・と言いたいです。私が言うには、おこがましいし、僭越だけど・・・。「飲んだ翌日は這ってでも出て来い!」と新人の時に教わりました。出社してからトイレにこもろうが、営業に出て行ってサボろうが知らんが、飲みに行ったら翌日は何があっても出て来いという躾を受けました。昨日は、飲みたい雰囲気で、TTを誘ったのですが、彼の返事の前に会社の先輩からの誘いがあり、同期の親友二人を交えて出掛けました。彼には、金曜日に挽回の機会をもらいます。同期の仲の良い5人がいて、その5人のガキ大将のようなのがその先輩です。この6人に、ある時期我々の上司だったOBを交えての家族づきあいが続いている仲間がいます。毎年夏休みになると家族全員集合して一緒に山中湖に行ってBBQを楽しんだり、その上司が打つそばを楽しんだりします。子供達は従兄弟のように遊んでいます。昨日の3人はその仲間なのです。その仲間に対する思いに差はないのですが、ただ一人「BB」は特別です。なぜなら、こいつと会ったから当社に入社したし、こいつがいたから少しは人並みな社会人になれたし、家族づきあいできる仲間にめぐり合えたということがあるのです。彼とは、入社試験で出会い意気投合しました。その帰り、京橋(東京の)美々卯に「きつねうどん」を食べに行きました。そして「お前がこの会社に入るのなら・・・」と互いに言い合って当社に入社しました。彼は、鹿児島出身の田舎モンですが、きれいな標準語を話し、むっちゃハンサムで、でも温かみがあって、誠実で、きどらなくて、気さくで、サッカー部では、センターフォワードで(因みに、私は左サイドバックの汗かきです)、ウインドサーフィンが上手い大変魅力的な奴です。当然、女性にも大変人気があるのですが、そういったことに非常に「堅い」奴です。それがまた女心をくすぐるようでさらにモテルといった具合です。私たちは、悔し紛れに「宝の持ち腐れ!」「その顔をかせ!」とほざいています。社内の女性から「KK(私)さん!こんど飲みにつれてって!」と言われて鼻の下を伸ばすのですが、必ず「BBちゃんもね!」と言われます。彼は、そんな誘いには殆ど乗らないのです。しかし、私が誘えば付いてくるので彼女達は私を利用するのです。「ええかげんにせえよ!」そんな彼は、当然仕事もファンタステイックでビューテイフルです。私とは違う事業会社にいるのですが、その事業会社の売上は彼で持っているようなものです。最近の当社グループの営業力は、残念なことにかなり落ちていて、仕入先販売先といった取引先との関係において上手くないことが多いのです。先日、非常につきあいの難しい地方の大手取引先のお葬式があって当社グループからも役員が大勢お悔やみに出掛けました。しかし、最近の当社グループの対応を苦々しく思っていたその取引先は、当社の人間に対して型どおりの儀礼をしていました。しかし、彼には「BBは残れ!」との下命がありました。その地方の関係者、業界の重鎮がいる中、当社グループからは彼だけが居残りを許されるというような信頼を得ていたという事実が浮き彫りになりました。彼の評価はあがりグループの営業姿勢の課題がはっきりと問題となったということがありました。殿様商売になれた部門から来た経営者は、彼のそんな力にただただ敬服し、まかせるしかないのです。しかし、彼一人ですべてをやることは出来ませんので、彼は部下を育てます。そのコーチング、トレイニングは絶妙です。部下は彼を慕い尊敬し一生懸命ついてきます。彼が頑張るから皆がついてくるという感じです。取引先も、彼が後ろで見ているから彼の部下達とつきあってくれるといったところがあります。彼が、部下や取引先のために「一肌も二肌も脱いで頑張る」から、部下も取引先も彼のために「一肌も二肌も脱いで頑張る」という、もう信じられない美しい状態が出来でいます。それでも、彼が直接来ないと取引をしないっていう我侭な客もいます。そんな彼にまつわる美しいエピソードは沢山あります。しかし、そんなことが実現できるのは、彼の並々ならぬ努力があるからなのです。休日出勤も厭いません。本音は、「休みたいなあ。辛いなあ」と思っているそうです。でも、「これはやらなけれなならないから」と鞭打って出掛けるそうです。彼には、中2と小3の二人の男の子がいるのですが、あるとき下の子に「将来何になりたい?」って聞いたら「サラリーマン!」って答えたそうです。彼はあまりの平凡さに愕然としたそうですが、「何で?」って聞いたら「楽しそう!」って答えたそうです。彼は、その時「良かった」って思ったそうです。少なくとも自分が嫌々仕事に行っているようには子供達には見えていないってことが大変嬉しかったそうです。下の子は、会社には何か楽しいことがあって、楽しい仲間がいて、時々すごく楽しそうに酔って帰ってくるし、夏休みの家族旅行に行けば、そこで会う人達(不肖私達ですが)は皆いい人達で、そんな人たちとの出会いが会社にはあるんだって思っているようです。実際、親と歩くのを嫌がっている大きな子供達もそこにはやって来て、下は小1から上は19歳までが一緒になって遊んでいます。我々はというと、他に座るところがあるのに、小さなスペースに47歳前後のオッサン6人がひっついて座って、酒を飲み、BBQを食べて、ずっとバカな話やちょっとまじめな話をしています。カミサン達は「よく飽きないわねえ」とあきれています。それでは、毎日は問題なく順風満帆かというと、仕事は上手くいかないことの方が多いのが普通ではないでしょうか。ただ、そういった苦を苦としないように、遊ぶように仕事を楽しむということが、24年もサラリーマンをやっていると身につくようになるのではないでしょうか。こういった考えは、LAのOOが何時も書いてくれる京セラの稲盛さんや中村天風先生の考えでもあるでしょう。実際、そんな彼も、最近取引先の倒産に引っ掛かってしまいました。あんなに多くの案件を抱えていては取引先の管理も大変で仕方がないかなと思うのですが、不良債権を抱えるのは許されない失敗です。社内で「彼でも引っ掛かることもあるのね。ヒッヒッヒ!」って言った、おバカがいたので、「そうじゃないでしょう」って叱っておきました。遊ぶように仕事をする・・・のではなく、遊んでいるばかりの私でも、飯がのどを通らなくて胃が痛くなるような失敗交渉もあったりします。考えてみますと、仕事は、上手くいかないことの方が多くオモシロクナイことの方が多いのかも知れません。サラリーマン生活も「上手く行かんなあ」と思うことが多く、もっと「上手くいく」人生や生活があるのではないかと思ってみたりもします。これまでの人生や生活を振り返ってみますと、すべて自分が決めて招いた結果だと認めざるを得ません。しかし、冷静に思い返してみると、自分にしては「まずます」というよりもかなり楽しめている内容じゃないかなんて思ってみたりもします。でも、もっともっと楽しくするのは、これからも挑戦していくって言うのが必要なんじゃないか。逆にその挑戦こそが楽しい生き方なんじゃないかとも思えます。そうなことを考えていると、「上手くいかんことが多いけど生きていることが楽しくってしょうがない」って少し思えるようになりました。BBは、入社して3年目ぐらいにMBAの入学試験に合格したけど行きませんでした。それは、退社し職場や取引先に迷惑をかけること(そんなことは実際にはないのですが、彼は取引先と強い関係を結びつつあり仕事が面白くなっていた)、費用が捻出できなかったこと、そして、社会人として未熟な私が不安な顔をしたこと・・・などが理由でした。私もカンパを申し出ましたが、足しにもなりませんでした。私は後悔しています。あの時、彼の背中を強く押さなかったことを・・・。今、彼の所属する事業会社の業績は、彼らのあのがんばりにも関わらず良くありません。それは、当社グループの過去の負の遺産のせいなのですが・・・。報酬は、業績連動型ですので、あの頑張りにも関わらずあまりむくわれません。私なんかから見ていても、そこの社員は気の毒と思ってしまいます。真の実力者の彼も報酬の面ではむくわれていないのです。当社の純粋持ち株会社制度の上手く行っていないところです。彼に、「おもしろくないんじゃないか?」「あの時MBAに行くよう強く言ったほうが良かったなあ」っていったことがありました。すると彼は「それは違うよ。あのまま当社にいたから経験できたことに俺は満足している。YY(カミサン)とも結婚できたし、チビ達にも会えた。先輩、後輩、すべてではないけど尊敬できる上司(実名で言ったのだけど)、そしていろんなことを教えてくれて可愛がってくれる取引先の皆さん。何よりお前らに会えたこと」・・・もう泣けてきます。「だから、これからの人生、もっともっと楽しくするためにがんばるんだ」と言いました。友人を例に出しましたが、世の中のお父さんは、「上手く行かんなあと思いながらも、自分の生きてきた道を喜び、そして明日に向かって進もう」なんて思っているのではないでしょうか。そう考えると、「お父さんは頑張ってる!」と言いたくなります。もちろん、「お母さんも頑張っている」ことは知っています。そんなお父さんに、もう少し優しくしてあげてください。今でも十分に優しいとは思いますが、もうちょっとだけ・・・お母さん!
2006.04.06
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この日曜から昨日まで、NHKが北朝鮮のリポートを毎日1時間3日間放送しました。丁寧な取材に時間を掛けたものですが、一部では、日本政府の情報作戦だというウワサです。BSでの放送ではないのですが、北朝鮮、韓国、中国、在日朝鮮コミュニテイー、米国、ロシア、旧東側諸国へのプロパガンダでベルリンの壁の崩壊のようなことを板門店で実現しようとしているということです。*拉致被害者の家族を区別してはいけませんが、横田めぐみさんのご両親の思いは早くかなえてあげたいというのが世論でしょう。特にお母様は、拉致された娘の身の危険が迫る恐怖を超えてこの問題に正面から取り組んでおられます。その勇気と真の愛を思えば、今もっとも尊敬すべき日本人であるという声には心から賛同します。
2006.04.05
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2007年問題、アンチエイジング、健康、スポーツについて私は、47歳ですが、上記の言葉に関わる世の中のピジテイブな兆候を感じます。*今年は、7回スキーに行きましたが5回は単独行でした。朝4時30分に練馬インターに 入り関越を北に向かって走っていると、やはり単独行の同年代の方を多く見かけました。 8時の一番リフトには、やはり同世代の方が多くスタンバイされていました。 帰りのサービスエリアでは、、やはり単独行の同世代に多くお会いします。* スキー場でも、40代~60代のグループが精力的に滑り、大いに飲んで、大いに食べて 大いに笑っていました。* 駐車場では、両サイドが40代~60代ということが結構あります。 * 若者のスキー離れがあるから目立つ・・・とは違う何かを感じます。* 泊まりでは、時間の使い方が大人です。スキーをがんがん滑り、ゆっくりとお茶をして、山の景色を楽しみ 大いに飲んで、地元の食材を楽しみ・・・仲間と心を交わし・・・本当に幸せそうです。* ノルデイックスキーでは、森の中を散策するご夫婦を沢山見かけました。やはりその世代でした。*私は、自転車もしますが。多摩川のサイクリングロードや奥多摩ですれ違う対向車の半分は年上です。*ロードレーサーやマウンテンバイクにまたがって、かっこいいレーサージャージを着てサングラスにヘルメット といういでたちからは、ぱっと見はわかりませんが、よく見るとそうなんです。また、みんな高価な自転車に のっています。* レースはしないけど、自然(景色、風、臭い、太陽・・・)と自転車というモノの性能や品質を楽しんでいるのでしょう。最近の高性能自転車の性能や品質は モノ作りに携わった人にとっては感激ものです。 フレーム各社もそうだけどコンポーネントのシマノの性能、品質は特筆ものです。こういう傾向は、まだ一部かも知れないけどどんどん広がっていく傾向にあるのではないでしょうか。山登り、映画、音楽界、ウオーキング・・・お金を掛ける人掛けない人・・・人それぞれの好み、興味をはっきりと主張して自分の人生に取り入れて楽しむという兆候ははっきりと見て取れます。マーケターとしては、そのお手伝いをどれくらいできるかということを考えたいと思います。あるグループ討論で、アンチエイジングを考える時、「飲んで、食べて、エッチができて、自分でトイレにいけること」を意識したいとの発言に賛同を得ました。特に、トイレ・・・は大きく賛同を得ました。だから健康には留意したい。高齢化社会の未来は明るい。と私は思います。
2006.04.04
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スキーか桜か!寒の戻りで粉雪が降って長野上越はグッドコンデイション!しかし、明日の東京は桜が満開!でも日曜は雨!どうしょうかなあ~。スキーか花見か!
2006.03.31
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「横田めぐみ」さんと「白鵬」のお母さん日本人で今一番尊敬すべきは、横田めぐみさんのお母さんであろう。めぐみさんを救出するための活動や発言は、ならず者国家の北朝鮮を刺激し救出すべき娘の身を危険にさらすことになるかも知れない。しかし、それを敢えて強行な手段での問題の打開を主張されている。その腹決めには尊敬せざるを得ない。日本で一番深い愛を持った強いお母さんである。一日も早いめぐみさん救出を心から願う。私に出来ることがあれば何でもやりたい。白鵬のお母さんは、場所後のインタビューと大関昇進後のインタビューで、「日本の皆さんには、息子を可愛がってもらって本当に有難う・・・」と答えていた。その表情と声からは、愛する息子への思いとその息子に優しくしてくれた日本人への感謝がともに優しい母の心が出ていてこちらも優しい気分になった。関脇の時に既に「間違っても横綱」と言われた大器。稽古に精進して早く綱をしめてもらいたい。相撲ついでに朝青龍について。もっと稽古して圧倒的な強さを見せて欲しい。今までは記録だけがライバルだったであろうが、白鵬があがってきた。琴欧州もいる。稽古さえすれば、まだまだ地力は圧倒的だ。連勝につぐ連勝を見せて欲しい。私は相撲ファン暦35年だが日本人力士にはこだわりません。
2006.03.30
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先日のWBCクラシックでのイチローの活躍が賞賛されイチロー語録が紹介されているが、中でも私が感銘を受けたのは、練習中に松坂に掛けた言葉であった。・ 「お前ナメテルだろう」・ 「絶対腹の底でナメテルよ」・ 「絶対、野球をナメテイル」松坂は、何か言い訳をしているようであった。詳しい内容はわからなかったが、野球に対する松坂の尊敬が感じられない取り組みにイチローがクレームしているようであった。イチローのこだわりは変質的と言われるが、私は100%同意する。彼は、野球を尊敬しその尊敬する野球に自分のすべてをぶつけようとしている。それがプロだということを主張し結果を出している。こういったことは我々にだって言えることであろう。自分の仕事、職業を如何に尊敬して取り組んでいるかということであろう。(組織に対する帰属を言っているのではない。組織に対するロイヤルテイとともに発揮できれば言うことなし)つまり、自分のポテンシャル、スキルを尊重し、磨き、高め、それを活かす場を探して発揮し、手応えと、成果と、経験と、報酬とを得て、さらなる挑戦に向かうポテンシャルと動機を高めるような日常を過ごしているかということであろう。この取り組み方によってプロフェッショナルのレベルが決まるというものであろう。イチローのプロフェッショナルを見て、あらためて「カッコええなあ」と思い、松坂の気合のない笑いを見て残念だった。松坂は、キューバ戦で見せたように、素材はよく、力を出せばあのような結果を出せる。しかし、そうそうあのような「力」をだすことは難しい。日常的に「力」を発揮するには、もっとプロフェッショナル・マインドを高める必要がある。メジャーリーグで定着し継続してプレーするには絶対に必要なことである。今回は、松坂の以外な甘さを見た。なめんなよ松坂!
2006.03.28
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関西人にとって、「いかなごの釘煮」は春の到来を告げる。毎年、この季節になると宅急便が待ち遠しい。東京在住の私には、母が造ったもの、親戚のおばさんたちが作ったもの、友人たちが作った「釘煮」が続々と届く。それぞれがそれぞれの家庭の味で、それぞれが絶妙にうまい。絶妙の甘辛である。甘辛に対する関西人の舌の確かさを感じることができる。ビールのつまみに良し、あつあつのご飯に乗せて良し。飽きるところを知らない。この週末に期待したい。*「いかなご」って何?ご参考下さい。www.ne.jp/asahi/kobe/uotomo.com/shokai.html - 28k
2006.03.17
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若いマーケターへの手紙○○様お元気ですか?本決算で忙しいと思いますが、商品企画マインドについて少しリポートしたいと思います。まず、商品企画と営業は一体である。というのが「マーケテイング」の定義です。すなわち、マーケテイングとは、商品やサービスを通じて、人や社会に、魅力、喜び、ソリューションといった価値を創造すること。この創造を、継続的、発展的に経済的に収益を上げながら社会に貢献すること・・・と私は定義しています。* マーケターの役割は、上述した価値を創造するために、バリューチェーンを推進することです。: バリューチェーンとは、サプライチェーンと言っても構いませんが、下記のようなイメージでしょうか?商品企画->開発ー>設計ー>購買ー>製造ー>アフターサービスー>小売ー>流通ー>販売ー>物流ー>品質管理ー>(商品企画) * 売り上げを上げるためには、ポテンシャルある商品を持つことで、そのために商品企画という役割があります。* 商品企画=ものづくりの基本は、・ 常に人々の生活や行動を観察することです。=困っていることはないか=手助けできることはないか=喜びを与えることは・ その実現に向けて自社の技術や製品で助けることができるだろうか。・ どのようなことをすれば、どのようなものを作れば助けることができるだろうか。考えながら観察する。或いは、観察しながら考える。ことです。○○さんは、○○社への就職を希望したということですが、もし玩具がお好きなら、ターゲット(子供とは限らず、大人も対象でしょう)を想定して、「こんな『おもちゃ』があれば、或いは、こんなことができる『おもちゃ』があれば、いいのになあということを常に頭の隅において、一方で自社の商品に思いを描きながら、営業をし生活をするといった毎日を過ごしてみたら如何でしょうか。読書は、趣味の雑誌から専門書にいたるまで乱読が良いでしょう。本屋の立ち読みは、モラル的には誉められたことではありませんが必須でしょう。小売店は、デパート、高級雑貨店、家電量販、ホームセンター、趣味の専門店、あらゆるところに立ち寄るのが良いでしょう。しかし、これを義務でやったら続きませんし、気づきも生まれません。大事なのは、つねにリラックスして生活することです。そのリラックスした生活の中に上述したことを取り入れていくことです。とりあえずは、好きなことから初めてみては如何でしょう。では、また・・・。
2006.03.16
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若いマーケターへの書簡○○様お元気ですか?本決算で忙しいと思いますが、商品企画マインドについて少しリポートしたいと思います。まず、商品企画と営業は一体である。というのが「マーケテイング」の定義です。すなわち、マーケテイングとは、商品やサービスを通じて、人や社会に、魅力、喜び、ソリューションといった価値を創造すること。この創造を、継続的、発展的に経済的に収益を上げながら社会に貢献すること・・・と私は定義しています。* マーケターの役割は、上述した価値を創造するために、バリューチェーンを推進することです。: バリューチェーンとは、サプライチェーンと言っても構いませんが、下記のようなイメージでしょうか?商品企画 開発 設計 購買 製造 アフターサービス 小売 流通 販売 物流 品質管理 * 売り上げを上げるためには、ポテンシャルある商品を持つことで、そのために商品企画という役割があります。* 商品企画=ものづくりの基本は、・ 常に人々の生活や行動を観察することです。=困っていることはないか=手助けできることはないか=喜びを与えることは・ その実現に向けて自社の技術や製品で助けることができるだろうか。・ どのようなことをすれば、どのようなものを作れば助けることができるだろうか。考えながら観察する。或いは、観察しながら考える。ことです。○○さんは、○○社への就職を希望したということですが、もし玩具がお好きなら、ターゲット(子供とは限らず、大人も対象でしょう)を想定して、「こんな『おもちゃ』があれば、或いは、こんなことができる『おもちゃ』があれば、いいのになあということを常に頭の隅において、一方で自社の商品に思いを描きながら、営業をし生活をするといった毎日を過ごしてみたら如何でしょうか。読書は、趣味の雑誌から専門書にいたるまで乱読が良いでしょう。本屋の立ち読みは、モラル的には誉められたことではありませんが必須でしょう。小売店は、デパート、高級雑貨店、家電量販、ホームセンター、趣味の専門店、あらゆるところに立ち寄るのが良いでしょう。しかし、これを義務でやったら続きませんし、気づきも生まれません。大事なのは、つねにリラックスして生活することです。そのリラックスした生活の中に上述したことを取り入れていくことです。とりあえずは、好きなことから初めてみては如何でしょう。では、また・・・。
2006.03.16
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明日は、4時起きでスキーに行きます。単独の日帰りです。今シーズン4回目ですが、3度目の単独行です。早朝に関越自動車を走っていますと、同年代の同好諸君がやはり単独で楽しそうに走っています。リフト一番乗りで最終リフトまで滑りまくります。途中、昼食ビール休憩はとります。夕方、滑り終え温泉に入ったあと一泊したくなるのを抑えて帰ってきます。先々週、初体験をしました。ちょっと年下の後輩と2泊3日で戸隠に行きました。アルペン、アルペン、ノルデイックとビール、ワインの大変楽しい3日間だったのですが、初日のリフト券売リ場で初体験しました。「2日券ください」「シニア券ですか?」生まれて初めて言われました。
2006.03.03
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東南アジアを出張していると、いまだに「酒、女、金」の接待という、古い習慣、文化に出会うことがある。25年古い。飯と酒は、一緒にごはん食べて飲んで互いをわかりあえるには有効で欧米の取引先ともそのような機会を互いに積極的に持つ。しかし、アジアのレベルは、残念ながら「おごってやった」という個人的な利益供与の見返りに商取引上の利益供与を、暗に、ある時は、露骨に要求してくる。昔に比べれば減ったが、まだまだ残っている。私の知る限り、韓国、中国、香港、シンガポール、バンコック、インドネシアではそうだ。台湾は、台北市の女性市長が浄化政策を断行して一層したが一部残っている。フィリピンは、どういうわけが縁がなく一度も行ったことがないのでわからない。そういうのが見える時は、そういう接待の申し出を受けないか、反対にこちらが奢り相手をビビラしてやる。女のオファーは、困る。「マッサージに行きましょう」と誘われる。「健康マッサージです」「疲れがとれます」と言われていくと必ずといって「フルサービス」になる。大抵は、根負けというか理性を保てない。で、支払いまでされて、その後は負い目を感じながら取引を進めることになる。相手は、決して「女を紹介してやった」なんてそぶりは見せない。でも、実態は完全にXXXを握られた状態で取引が続く。私は、そんな目に合わされたら逆上してさらに妥協しない取引をする。言葉は悪いが「ただのり」してやろうと思う。しかし、それ以前に、こいつは「女を出せばちょろい」と見られることが許せない。馬鹿にするなと言いたい。このことは、先輩から躾られ、私もその通りと思って実践してきた。陥落したことはない。今回、そういった話を先にしてあげたのに簡単に陥落した取引先の同行者がいた。同年代であるが「それじゃ25年前のジャップと同じじゃないか」!私は、その見え透いた魂胆が丸見えなので、上海カラオケハウスでは、いわゆるエスコートの女性と思い切り楽しんだ。歌って踊った。相手は、完全に私は落ちたという目をした。「いやらしい目をするんじゃない。バカやろう」時間が来て、相手にすれば、さあ仕上げの細工を、というところで「ナイトキャップドリンク飲んで寝るよ!」と、彼等のセコイ罠から抜けた。「ナメンじゃねえ。ばかやろう」という心境であった。同行者達の気持ちは完全にその気であったので、罠を仕掛けた奴のサイドについていた。しかし、それでも、なだめてホテルの自室に帰した。ヤレヤレ・・・と思ったのがいけなかった。私が、バーでナイトキャップの1杯を飲んでいる間に、敵の逆襲を受けたようだ。翌朝、彼等と最初に目があった時に「あっ」と思った。「古典的でセコイわなに簡単に落ちた上に、なんだ、そのニヤケタしまりのない目は。お前らプライドっちゅうものはないのか。あげくに、『あの接待はスマートで中々よかった。あの会社はよく出来た会社だ、実務も本当にわかっている』なんて魂まで売ってしまって・・・アホか!」ということで、当社はとても付き合っていられない。成果なし。遊びたければ自分の金で遊べ!いやなものを見てしまった上海出張であった。
2006.03.02
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私の好きなアルペンの最終競技は、・皆川賢太郎が立派に4位。・ジャンキーな性格とファンキーな滑りが素敵な、アメリカのボード・ミラーは途 中棄権。・大阪の下町のメーカーの靴(レクザム)を履いて頑張ってくれているオーストリ アのシェーンフェルダーが3位でした。トリノオリンピックも終わりましたが、日本のマスコミは「あほの一つ覚えの『プレッシャー』」を連呼し、「メダルメダル」と騒いで「ひいきの引き倒し」みたいなことをしていました。本当に進歩がありません。私は、選手には「自己ベスト」を出してくれることを願って応援しています。また、好きなスポーツで最高の競技大会に出るのであるから、何か達成感を持ってくれたらいいなあと思います。メダルは、その結果としてもらえるオマケです。もちろん、もらえたら最高というのは当然です。選手も、出るからにはその意気込みでやって欲しいと思います。今回のオリンピックも自分の競技に「尊敬と感謝」を持って試合に望んだ選手は、自分の力をいかんなく発揮し達成感を得て良い結果も残したようです。日本の選手には、マスコミと協会と国民で「よってたかって」食い物にされたオリンピックでした。いつものことながら・・・。この3者から逃れて、自分の競技に尊敬と感謝をしてわが道をいき自己ベストを目指した選手はよい結果を残しました。また、JOCとは一線を画した競技団体も良い結果を残せました。スノーボードの成田兄妹は、子供で未熟だから仕方がない面もありますが、アルペンの佐々木明は、もうただの「お馬鹿」としか言いようがありません。競技のあとのあまりのお馬鹿ぶりに、関係者にこっぴどく叱られたようですが、本人はどの程度自覚しているのか・・・。 このオリンピックに至る自分の心と言動と惨敗から次への脱皮の糸口を見つけられないなら、そんなお馬鹿につきあう企業も税金で支援する国もないと思ったほうがよいと思います。アルペン競技は、皆川と湯浅の奮闘を胸にしまってトリノオリンピックの思い出としたい。
2006.02.27
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金曜日に休暇をとって日曜まで信州の山にこもった。同行の友人が、テレマークスキーを始めたので、2日間のアルペンスキーを楽しんだあと日曜日には高原の森の中に入った。私はアルペンスキーで入ったので体力勝負の雪中行軍となった。森の入り口で友人と別れた。一人静かな時間を楽しもうと森の奥をめざした。この30年間、春夏秋には何度も歩いたことのある森であるが、冬に歩くのは初めてのことであった。森の中は今まで私が知っていたのとは全く違う世界であった。2月の森は、まだ氷点下ではあるが快晴の空に陽の光は優しい。シンと静まり返り、空気が全く止まった世界に、ほんの僅かであるが春の到来を感じさせる気配がある。小鳥のさえずりが、本当にたまにではあるが聞こえ、野生のサルが小猿を連れて木の芽を探していたりする。ああこんな世界があったのだ。47歳になるまで知らずにきたけれど、47歳になってはじめて知って、これがこれから加わる幸せの一つと思うと嬉しさこみ上げてきた。
2006.02.20
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内部統制の目的をマーケテイング的視点で見れば、「企業活動の律速を高めること]であろう.即ち、その企業が持つ経営資産を最大発揮して継続的発展的に社会に貢献しながら収益を上げ続ける可能性を示すことによって現在の経済的価値を高めることであろう。これを帳簿屋的経理視点、管理部的管理視点でみると、今期の損益上減益にならないために絶対は間違いを犯してはいけないから、業務プロセスの全てのステップ、従業員の一挙手一投足、箸の上げ下げまで管理しようということになる。市場や社会や国家が、内部統制を要求する目的は、資金を調達を願う企業に資金を用立てする際にその企業の実力を正確に理解できるようにすることであり、その活動を評価する際の数字が正確でなければ正確な評価は出来ないのでどのように経営をしても数字が正確に出るようにして欲しいこと。また、企業は、市場から資金調達し金融に大きく影響するのでその活動の間違い、失敗、不正確は、社会に大きく影響する。だから、その活動をしっかり統制してもらうこと。そして、企業が起こす問題は、国の信用、費用(予算)にも大きく影響する場合がある。やはりしっかり統制してもらいたいこと。が企業に内部統制を要求する目的であろう。法令により要求されなくても出来ている企業もある。そういった企業を見ていると、社員は、自社の無形の憲法を身につけて行動している。その憲法が市場、社会、国が要請していることを満たしている限り、内部統制に対して特別に対応することはない。それでも稀に起こる問題を見落とさないためのプロセスを作ればよいのである。しかし、内部統制によってコーポレートガバナンスを実現するために、制度やシステム(仕組み)の管理や体制を強化したのでは組織は硬直化する。業務を進めるために、長く複雑なステップのそれぞれでチェックするプロセスを経るのでは、スピード、効率、創造性の発揮が阻害される。ものごとを進める時に社員同士でよってたかってチェックされることで不備や問題の可能性を廻りから指摘されていたのではモラールが下がるのは必然である。確かに、良い指摘もあるかも知れないが、大概は「岡目八目」的な発見を「鬼の首をとった」ような指摘を受けることになる。他人の英語の間違いは良くわかるのと同じである。確かに、企業内の不正や問題を適正に扱うための仕組みは必要である。隠された結果、実態と違う情報による評価で一般経済や社会が影響を受けるようなことがあっては国の経済施策に対する信用に関わる。最終的に国の信用に関わる。だから、国は各企業に内部統制を強化することを求めてくる。しかし、その仕組みを強化することにより企業の本来の営みの成果に影響出ては本末転倒である。ではどのようにすればよいか。要するに、企業が本来持つ可能性の発揮を阻害することない「仕組み」や「方法」で内部統制が取れた企業ガバナンスが実現できる経営ができれば良いのである。その手法として「コーポレートブランド経営」は非常に有効である。これは、企業がもつ価値、目標、基準、文化、風土の創造をコーポレートブランドの創造と同期させて進める経営である。上述した、改めて内部統制を意識しなくても良い企業がこの「コーポレートブランド経営」が実現できているのである。
2006.02.16
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「もの作り」マーケターの仕事は、創造しようとする価値を実現するための課題を統括管理することである。具体的には、サプライ・チェーン・マネージメント(SCM)に関わる全ての課題をその価値創造を実現するために推進することである。具体的には、要素開発+/or魅力探索 ―> 商品企画 ―> 設計 ―> 開発 ―> 製造 ―> 品質管理―> 物流 ―> 販売 ―> 販売促進 -> アフターセールスサービス -> 商品企画の循環を継続的に拡大するように進める。この循環の中を流れるのは、モノや製品ではなく「価値」である。従って、この循環を管理することを「バリュー・チェーン・マネージメント(VCM)」と言う。サプライ・チェーン・マネージメントと同義であるが、私は、この方がマーケターの役割を言いえていると思う。「サプライ・チェーン・マネージメント」も「バリュー・チェーン・マネージメント」もマーケテイングの言葉としてインターナショナルに通用するが、英語/米語的には、「ロジステイックス」も一般的である。「ロジステイックス」は、物流、兵站という意味で一般的使われている。もう少し正確に言うと、「運輸と倉庫」のイメージが一般的であろうが、本来は総合的なものである。International logisticsという職責であれば、工場での製造、品質管理、出荷、運輸、倉庫を総合的に見ながらの商材手当てを言う。その商材には商品企画で意図した「価値=ヴァリュー」が実現できていなくてはならない。まさしくマーケターの仕事なのである。次回からは、このチェーンのそれぞれを見ていきたい。
2006.02.15
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出展した見本市の中でも忘れられないのは、入社11年目にケルンで開催された国際見本市である。5メートル四方の小さなブース1コマで出展した見本市である。この時のミッションは、「新規事業の商品で、国内で販売を開始した新規商品の海外販売開発の可能性を調査すること。同時に脈のある市場には販売代理店候補を探し評価の上契約を行い販売開始をすること」であった。出張者は私一人。UKの現地法人のイギリス人同僚が途中から手伝ってくれることになっていたが、基本的には現地で雇った受付嬢と二人で運営することになっていた。出展の申し込み、ブースのデザイン、出展商品の出荷、ブース施工の手配は、同僚とともに手配した。開催初日の前前日に会場に行ったところブースはほぼ出来上がっておりその日の夕方に引渡しを受けた。会場内にある現地フォワーダー(通関業者)に出向き荷物の到着を確認しブースへのデリバリーの時間を決めた。翌日は、朝からブースを掃除し荷物のデリバリーを待った。荷物が到着すると開梱して商品の展示を行い、カタログをセットしブースの設営を行った。昼になると「ユーロホステス」という会社に手配していたレセプショニスト( 受付嬢 )がブースにやってきてリハーサルを行った。この会社名にはちょっと期待ももってみたりした。レセプショニストの手配は、容姿でプレゼンテーションする女性、ブースの受付で応対する女性、ブース内でマルチリンガルで説明する女性、通訳といった条件をリクエストする。同社は、その条件に見合う女性を差し向けてくれるのである。条件の数で値段は決まる。リハーサルでしたことは、互いの自己紹介、今回の出展の目的、商品の紹介、来訪者に対する対応についてであった。コンパニオンにプレゼンテーションをさせるというようなことを考えていなかったので非常に素朴なリハーサルであった。彼女は、ケルン大学の学生であって独、仏、英、西のマルチリンガルで見本市の受付嬢のアルバイトは慣れていた。その受付嬢が「我々のブースには冷蔵庫とコーヒーメーカーがないけれど絶対あったほうがいいから頼んでよいか」と聞くので即座に「Ja (ヤー:イイイヨ)」と答えると手配してくれた。今回は予算のない極貧出展だから贅沢なしで体力勝負と意気込んでいた。しかし、4日間ほとんど喋りぱなしの中で飲むコーヒーと冷えたコラ―やジュース。そして夕方終わったあとにその日の健闘を称えて飲んだ冷えたビールは必需品だった。そういったことも初の単独出展では思い至らない。そういったこと以外にも彼女は細々と手伝ってくれ準備は完了した。全てをセットアップしたブースの真中に陣取り他のブースの出来具合を眺めているとき、私は、背中にある当社社名とブランドを背負っている自負と責任で気持ちが高揚した。「ささやかではあるがここではおれが大将」であり、「ここでの成功の可否は自分に掛かっている」「この見本市では私が当社の代表者だ」と思った。何時だって何処だって自分の担当に関しては社を代表しているのであるが、ブースを設営し看板を立てその中に立ってみるとより強く実感できる。「小さいながらも一家を張っている」という高揚感があった。初日の朝、会場に入ってみると各ブースはセットアップされスタンバイしていた。スタートに向けて氣を静めているといった感じがあった。私はその感じに興奮した。会場がオープンされ我ブースにも人が来だした。商品を紹介し意見を聞くと様々な評価が返ってくる。少し手応えを感じた。ひょっとすると見向きもされない恐れもあるのではないかという不安もあった。国内で実績はあっても海外市場ではどうかという不安もあった。しかし、出展商品で会話になり相手からアイデアや意見が出てくる。試用して評価を聞く。結構いけるじゃないかという手応えを感じる。サンプルが欲しいという。値段を提示すると「高い」という。値段について意見交換する。マーケテイング調査中なので正式オッファーは見本市の後になると説明する。その商品は産業機器の1種であったので、それを使いたいメーカーなのか或いはそういったものを扱う商社なのかも確認する。デイストリビューターだというのでどこの国で、何を、どれくらい扱っているのかを聞きながらその商品を扱いたいという意志の有無を確認する。そして強さ。さらにその人が直感的に抱いている販売イメージの確認も必要である。自社の代理店候補社として会社プロフィール、文化、人柄などの確認も必要であるが、ここまでインタビューがたどり着けば大成功である。最後にサンプルについての支払い条件、送付先などを確認して注文書を書いてもらい握手をして別れることができれば完璧である。次第にこのような客が我ブースに押し寄せてくるようになった。だんだん調子がでてきて楽しくなってくる。来る人種も国も様々になってくる。さらに楽しくなってくる。中近東の人達が来た時は混乱した。商品が気に入ったのでサンプルをくれという。サンプル価格を提示すると高いといって自分で指値して勝手に現金を出す。展示品だからダメだという。せめて最終日の夕方に来てくれというと自分は明日帰るからだめだという。ビジネスの可能性についてのこっちの質問には答えない。そのうち同じ中近東の客が入ってくる。するとあいつらはいいかげんだから気をつけたほうがいいという。国や市場が違うのに競合するのかと聞くと、中近東でのビジネスはテリトリー戦略が重要で何処に誰を配置するかといったエージェントの選定が重要だと急にもっともらしいことを言い出す。あとから入ってきた中近東の客と喋らせようとしない。後の客は受付嬢にしばらくしてから来るといって出ていく。話のエンデイングが見えないまま今日の夕方サンプルをピックアップに来ると一方的に言われて話が終わる。すぐに先ほどの客が来る。どこかで見張っていたのか。そして同じ調子でサンプルを要求して競合相手の悪口を言う。私は「どないなってんねん」とつぶやいた。中近東はそんな奴ばかりかと思っていたら話がわかる紳士がきてほっとする。しかし、一部を見て偏見を持ってはいけないと戒める。後に、いいかげんと思った人とのコンタクトがスムーズで話ができると思った紳士とのコレスポンデンスがやっかいであったりした。思った以上に手応えを感じているとブース訪問者が増え応対に混乱し出した。UKの同僚が助っ人に来てくれた。彼とは挨拶も今回のミッションの説明をする間もなく事前に送っておいた資料に基づき応対してもらった。そのうち受付嬢も説明員と化しブース内は大賑わいとなった。欧州、北中南米、アジア、オセアニア、アフリカ、東欧と様々な商習慣とメンタリテイーを持った人達がブースにやってきて応対し商談したがその千差万別が楽しかった。休憩をとることも出来なかった。会社や事業部あげての大掛かりな出展の機能的なブース運営とは違い、一人で、それも初めて自分で手配し仕切った出展であったので「冷蔵庫」のようなことも含め様々な失敗があったが、それは大変良い勉強になりその後の見本市出展のノウハウとなった。4日間はあっという間に終わった。合間の時間のある時に会場を廻って他社の様子を見に行ったが、皆それぞれ忙しくしている。活気がある。やはりブースには出展者の思いが満ちている。もちろん閑そうなブースもあるが、それはそれで彼らの思いがある。そうやって見ていると見本市の出展者は呉越同舟で一種の家族のように思えてくる。この感じもまたいい。期間中に我ブースを訪問してくれたポテンシャルカスタマーは200社であった。その中には、名刺交換したものの後に全く話にならなかったものも入っている。しかし、そこからさらにどんな出会いがあるのか、商売の広がりがあるのかと期待に胸を膨らませながら200社の面談のメモと名刺を見て達成感を得た。最終日、UKの同僚は午後に帰り受付嬢も終了とともに帰りブース設営時と同じく一人になった。日本に送り返す商品をパックしフォワーダーに荷物を渡して仕事は終わった。冷蔵庫に一本残しておいたビールの栓を開けた。そのビールを照明も落とした殺風景なブースの商談椅子に座り一気に飲み干した。6日前は楽しみでもあったが不安も一杯であった。しかし終わってみると達成感もあり楽しい6日間であった。私の祝杯はさらに場所をかえて続いた。その晩は、ケルンの旧市街のバーでケーニヒシュビール(ケルンのビールで種類も結構ある)をしこたま飲んだ。今でもケルンを訪ねあのビールを飲むとあの達成感に浸った若かった自分を思い出しタイムワープする。純粋に事業に猛進していた自分を思い起こしてくれるケーニヒシュビールである。(完)
2006.02.14
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私の見本市の初経験は新入社員として配属された翌月のビジネスショーであった。ブースに立ってカタログを配った。それ以降、販売代理店がホテルの宴会場を借りて主催するプライベートショー、国内見本市、新製品の発表と新規販売代理店を募集と既存の各国販売代理店との販売会議を同時に行う国際見本市など、ところ変われば文化もしきたりも違う幾つかの業界の見本市に出展し様々な楽しい経験をさせてもらった。出展した展示会場は、国内では、晴海(今はない)、ビックサイト、幕張メッセ(関西人は「幕張まっせ!」と理解していて、埋立地に大きなテントの屋根の下に紅白の幕を張って囲って作った展示会と思っている。という冗談がある。)インテックス大阪、パシフィコ横浜、その他各地の展示会場、ホテル、公共機関施設。海外では、フランクフルト、ケルン、デュッセルドルフ、ミュンヘン、ハーグ、ロンドン、シカゴ、アトランタ、ナッシュビル、ロスアンゼルス、ラスベガス、デンバー、サンタフェ、トロント、モントリオールといったところか。大きい見本市は、来場者が15万人というのもあった。素朴なのは国内では小さな町の商工会議所の会議室で行ったもの。海外ではロッキー山脈の小さなリゾート村のホテルの宴会場に机を迷路のように並べて設営し、業者間の仲間卸や地元の小売店の仕入れ促進を狙ったローカルショーで来場が120人というのもあった。しかし、見本市はどれもハレの舞台である。準備しているときから活気がある。初日の朝、準備が整った会場に入るとそこには参加者がビジネスの成功を祈りながら準備に流した汗の結果として一種神聖な空気が漂う。そして一方いまから始まるビジネスに臨む一種高揚した空気も漂う。「沢山売るぞ」という奴。「販売代理店をさがすぞー」と思っている奴。革新的な技術と自負する出展物に対する反応に期待し胸を高鳴らしている奴。「とにかく沢山の人と話しビジネスチャンスをさがす」と力んでいる奴。ライバルに新商品、新提案を見せ付けてやろうと意気込んでいる奴。朝一番で展示会場に入ったその瞬間、会場には人影もなくブースの照明もついてなく動きは何もないが、そのひんやりした空気の中にそれぞれのブースで出番を待っているそういった人々の氣や思いが感じられる。その一瞬が私は好きである。そこにはビジネスマンの神聖な氣が充ちている。続く・・・
2006.02.08
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私が「見本市」という言葉に初めて接したのは幼稚園の年長組か小学校1年生頃であった。それは、擦り切れるまで眺めた「乗り物図鑑」で見た「国際見本市客船さくら丸(巡航見本市船さくら丸=昭和37年竣工)という船であった。私のその歳は、昭和38年から39年で東京オリンピックが開催され、産業振興と経済高度成長がともに海外進出を一気に拡大させようとしていたまさにその時であった。私は、その船に様々な日本製品が積まれ、船内に展示され、各国を廻って紹介される様子に思いを馳せながら成長する国の勢いを感じ少し高揚した気分になった。さくら丸の絵を見て飽きなかった。そういう「少年期の憧れ」から私は見本市が好きだ。見本市へ行けば知らない未知のものを見ることができる。未知の世界に出会える。新しい人との出会いがある。そういったヒト、モノ、コトとの出会いに新しく大きな可能性を感じてワクワクする。そして何よりも華やいでいる。お祭りだ。私の仕事の中でも好きなのはこの「見本市」課題である。 課題は大きく二つある。見本市の視察と出展である。視察は、事業、商品企画、販売、サービスの調査を目的とするものであり、これは仮説について出展物を見たり出展者と話したりしながら情報収集を行い検証する。出展は、具体的に商品やアイデアを広く展示提案し、仮説としての商品、技術、販売、サービスについて検証するという目的となる。その見本市が業者や業界の会員限定のものであって、或いは広く一般消費者も対象するものであってもこの目的は大きく変わらないであろう。即ち、見本市の出展は、事業の仮説と検証、情報の発信と受信、人のリレーションの構築と拡大、販売促進、販売といった課題を集中して推進できる大変有効な手段である。だから楽しくワクワクするのだ。視察すると必ず手応えがあるが、出展となるとその手応えは大きい。その手応えの内容が、当初自分達が期待していたものに反して大変厳しいものであったとしても当然その結果は事業上大変有効である。実際にはガクッと落胆することになるが、しかしながら、日常的な業務の進め方では大変時間や費用が掛かったり内容が判然としない検証結果となることもあるが、見本市に出展すれば、短期間に明確な理由をともなった沢山の事実を得ることができる。激しく積極的に提案すればするほど結果は激しく明確なリターンを得られる。そんな機会は見本市の他にないから仕事になるし楽しい。だから見本市の出展は有効なのだ。(続く)
2006.02.06
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見本市:フランクフルト、ケルン見本市開催期間中、ドイツのホテル料金は正値となり通常実勢価格の3倍にも4倍にもなる。団体料金は何時もの安いレートであるが個人の予約者はそういった価格になる。見本市出展時の出張コストがかさんでしょうがないし、見本市に関係ない出張でも、その期間に滞在すると料金は高いし第一予約に苦労する。レストランも込む。特に日本食堂は、最近の世界的な日本食ブームで日本人出展企業や視察出張者だけでなく「外人」でどこも人気で予約に苦労する。 欧州出張中にフランクフルトでの大きな見本市が開催されている時に滞在した。週末をそこで過ごすことになっていたのである。私はその週の5日間の疲れを溜めてようやくたどり着いたという感じであった。その晩は1週間ぶりの日本食でビールをがぶ飲みしてぐっすり寝ようと思った。飯に出かける前にプールでひと泳ぎし、サウナですっきりしてから行けばビールの美味さも倍増(本当は、大汗をかいてビールをがぶ飲みするのは健康上良くないそうである。)と思いホテルのジムにいった。見本市の出展者もまだ会場から帰ってこない時間であったので幸いプールは空いていて爽快であった。そしてサウナに向かった。ドイツのサウナはミックス、即ち混浴である。1つしかサウナ室もないホテルがあるが、通常は2つのサウナ室の1つが女性専用でもう一つはミックスである。私の経験からいうと欧州の女性陣もミックスが好みのようでいい経験を結構させてもらった。もちろんグラビアを飾る女性ばかりではなく生活感あふれる場合が多い。しかし、航空会社の宿泊ホテルとなっている場合はかなりラッキーなこともあった。 ミックスサウナに入ってくるご婦人は日本の女性陣と違ってバスタオルなんか巻かない。正確に言えばバスタオルを巻いてサウナに入ってきて中でそれを取るのである。堂々としているというか、極自然な振る舞いである。従ってこちらも極自然でなければならない。といっても私自身そのものに自信があるとは言えないし極自然にしている自信もない。しかし、彼女達は本当に普通で自然で完全にリラックスしている。ある時3段あるサウナの2段目に私がいた時2人の同世代の女性が入ってきて目の前の3段目に座った。正直に言うと、幾ら期待していたとはいえ実現すると緊張した。入ってきたときに少しあいさつを交わした。そのあとは、私は黙っていた。真っ裸の若い女性2人を正面にして話しをしたことなど無い。話題も思い浮かばなかったが声も出そうになかった。すると向こうから話かけてきた。私はさらに緊張した。「話をする時は相手の目を見る」というのが小学校1年の時の担任であった敬愛する赤松先生の教えである。さらにこういう時に伏目勝ちにしゃべるのは情けない。そんな陰気な感じは危ない男の感じだ。でも目線は間違ってもある部分で止まってはいけない。相手と話すときは目をみたりはずしたりするものであろうが間違っても彼女達のある部分を経由してはいけないと緊張した。私はリラックスして話そうとしたがもう一つ注意しなくてはならないことがあった。「私自身」であった。リラックスさせたままでいる必要があった。間違っても緊張させてはいけないと緊張した。彼女達との話は簡単な世間話であった。その時はなんとか事なきを得たが、期待していたことではあったがサウナも結構疲れるものだなあと思った。そんな時はどうするのかその後、指揮者の小澤征爾さんからこういった状況についての答えをもらった。彼の著書に書いてあった。要旨は大体こうだ。小澤さんが北欧に行った時サウナに入ったところ女性が2人入って来て一番高いところに座った。しばらくして3人で話をしだしたが目線に困った。話が盛り上がり打ち解けた頃合を見計らってストレートに尋ねてみた。「見られるのも見るのも恥ずかしくないのか」と。彼女達の答えは「こういった場所ではお互いに見ないのがエチケットだということだ」ということであったそうである。視界に入るのと見るのとは違うということであろうか。といってもなぁ~見てしまうようなぁ~。この話を知ったあとの私はそのような状況になったとき、目に意識が集中しサウナから出ると目のまわりの筋肉が硬直して疲れてしまうようになった。相手を見ながら話をするのだけども相手を見ない目でいるということであろうか。それでいて一瞬のスキがあれば見たいという正直な気持ちが目を動かしそうになる。それを堪える。女性と一緒のサウナは疲れる。別の見本市=メッセに出くわしたときの話であるが、私は何時ものようにプールで一泳ぎしバスタオルを巻いてサウナに向かった。で、サウナの扉を開けたその瞬間視界に溢れたのは、サウナにぎっしりと詰まった日本人のオジサン達であった。あまりに圧倒されて中に他の民族の方がいたかを確認できなかった。彼らは純粋にサウナを愛好する一団であったのであろうか。いやそうではない。ミックス=混浴に惹かれて入ってきた一団であったのはほほ間違いないことは、扉を開けたときの彼らのにやけた中途半端な笑いからわかった。私は、その笑いで日本人と理解した。韓国人でも台湾人でも中国人でもない紛れもない我同胞であった。その笑いは、お前も「好きだな」という笑いと自分達の「好きさ」がばれた自虐的な笑いと「もう空きはないよ」という意地悪な笑いであった。しかし、オジサン達!「それはあかんやろ」と突っ込まざるを得ない。「誰がこんなところに入ってくるの」と言わざるを得ない。にやけた東洋のオッサンに囲まれてサウナを楽しもうという子がいるであろうか。「オジサンよう考えや~」と言わざるを得ない。それとも彼らは飯前のサウナを純粋に楽しんでいたのであろうか。いやいやあの笑いはそうではなかった。…(続く)
2006.02.03
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マーケテイングという言葉の日常的な使われ方は、*「モノやサービスのうまい売り方」=って使うのが多いかな? ―>「商品やサービスの斬新な見せ方、プレゼンテーション」の手法や工夫 ・・・っていう場合や ―>「広告、宣伝、販促の手法や工夫」 ・・・という場合もある。* 売上に影響を与える4つのPのツールを上手くミックスさせること ・・・って言うのが比較的正確な使い方かな? ―> 4P:製品( Product )、価格( Price )、流通( Place )、 プロモーション( Promotion )* 私が定義しているのは、 ・モノやサービスを通じて ・人や社会に ・喜び、魅力、解決を伴う価値を ・継続的、発展的、経済価値を伴って ・創造する活動とその活動の仕組み :この場合の経済活動は、企業ならもちろん利益をあげることであろう。公的 機関であるなら税金の有効活用であろう。NPO/NGOは、基金の維持と 出た利益の目的への有効活用であろうか。(ここは良くわからん)* 次回は、この価値を創造するための仕組みとしての ・サプライチェーン ・バリューチェーン ・ロジステイックス について
2006.02.02
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Zurich行きの機材は50人程度が乗れるSAAB社の双発のプロペラ機であった。私の席は前から2番目でその前は空いていた。そこはビジネスクラスでコスト高であったが、当日手配の片道チケットではやむをえなかった。国際線のビジネスクラスといっても、欧州内の1時間ちょっとの近距離線では、優遇されるのは、席が前方にあって簡単な食事の内容がちょっと良くてサービスの順番が先だというだけである。食い意地の張った私は、アルプス越えの遊覧飛行のようなフライトに調子付き、搭乗前の私自身の緊急事態を忘れまた食べてしまったのである。また調子が悪くなった。直にチューリッヒに着くと思ったが、さらにひどくなって間が悪く着陸態勢から空港ターミナルまで耐えることになっては苦しい。ここで済ませておこうと思ってトイレに立ちあがった。すると何だか後ろの乗客が皆私の方を見ている感じがした。後ろから沢山の視線を感じた。人のことなどおかまいなしの人達が人の行動を何か気にしている。シートベルト着用のサインも出ていない。変だと思ったが「こちらは緊急だ。気にしていられるか」とトイレに入った。用を済まして手を洗っている時に気が付いたのであるが、このSAABという機材のトイレには小さいが窓がついている。窓の外を見てみるとどうやら今アルプスの真上を飛んでいる。トイレの窓から見ている場合ではない。トイレを出て開いていたドアからコックピットを表件訪問した。コックピットからアルプスを見せてもらおうと思った。私は静かにトイレのドアを開けて出た。すると通路側の客がこちらを見ている。窓側の何人かも顔を上げてこちらを見ている。「何だ何だ人のトイレを監視するなよ」と言いたくなった。ひょっとして私の身なりにおかしいところがあるのではないかと心配になりそれとなくチェックしてみた。ジッパーも上がっているしシャツも出ていない。問題ないじゃないか。私は開いているドアの外からコックピットを覗いてみた。前方はこの上もなく青い空と両サイドの眼下にはアルプスの山々が広がっていた。緑の山と氷河の山が連なっていた。機長が振り返った。「キャプテンこんにちは」と挨拶した。キャプテンは右足を何かの上に乗せて操縦桿も握らずリタックスしていた。「高度はどのくらいですか」「約15,000フィート(4,500m)」と高度計を指差した。そして高度の調節はこのダイヤルで調節するんだといってインパネの真中上部にあるダイヤルを少し回して見せてくれた。機体は若干上昇した。気さくそうなキャプテンなので「有名な山は見えるか」と聞いてみた。「ずうーっと向こうに見える尖がったのがアイガー、そして….(幾つか説明してくれたが聞き取れなかった)」私は、「美しい」だの「すばらし」だのと言って相槌を打っていた。しばらく美しい景色に見とれていた。無線が入りだした。キャプテンに「すまないけれど」と手で合図されたので私は席に戻ろうと振り返った。すると先ほどトイレから出てきた時よりも多くの人がこちらを見ている。何なんだ私を誰か有名な日本人と勘違いしているのか。それとも、ハイジャックしようとしていた風にでも見られたのか。そんなことはないだろう。コックピットは最初から開けっ放しであったしキャプテンともにこやかに話していたではないか。「何なんだ」。コックピットの後ろでミールサービスの後始末をしていたスチュワーデスの「もうすぐ降下しますよ」との優しい声を背に自分の座席に戻った。その途中にも視線を感じた。「何なんだ」。しかし私が席に座るとこちらを見ていた乗客の姿勢や視線が直ったように思った。機内の緊張が解けたように感じた。「何なんだ!」その機は何の問題もなく定刻にチューリッヒ空港に着陸した。近距離の小型機はターミナルのハンガー(ピアー)ではなく「沖止め」の駐機なのでバスでターミナルに向かった。しかし、その間には機内で向けられたあの視線を感じることはなかった。ターミナルに入って最初にすることは、乗り継ぎであれば出発案内のモニターを探す。最終到着地であればbaggage ( luggage ) counterにひたすら向かう。その日9月11日はチューリッヒ泊まりであったので私はbaggage counterの広場に向かってひたすら歩いた。私は、幾つかあるテーブルのモニターに自分の乗ってきたフライトナンバーを見つけたので荷物を載せるカートを用意してカバンが出てくるのを待った。近距離地方便は荷物を預けた人も少ないのでbaggage claimカウンターは人影も少なく閑散としていた。ターミナルも古い建物なので少し寂しい雰囲気であった。荷物を受け取る客が数人来たかと思うとしばらくしてテーブルが動き出し荷物が出てくる。その荷物を受け取った客が行ってしまうとまたしばらく閑散として状態が続くといったことの繰り返しだ。しかし、私の荷物はしばらく待ったけれど中々出てこない。モニターを確認したが間違いない。どうなっているのかと思って気が付いたのであるが全館放送のアナウンスがやたら騒々しい。キャンセルされたフライトの荷物はどこから出てくる。とか、何便のキャンセルが決まったといったことが切れ目なくアナウンスされている。よく聞くと全てアメリカ便だ。管制官のストか管制システムの故障かと思った。しかし、このコーナーに関することではなかったので注意して聞かなかった。それにしても私の荷物が出てこない。他のテーブルに出ていないか見回って確認する。幾つかある荷物がデリバリーされるテーブルをカートを押して行き来する。しかし見当たらない。私と一緒にボローニャから来た人たちも見当たらない。数人はいたはずである。どこに行ったのであろうか。ここまで一緒に来たはずなのであるが…。私はそれまでの出張で預けた荷物を失ったことはなかった。(今も)。この時が80回目の出張であったが、1回の出張で平均7~8回は荷物を預けるから600回以上も預けたことになる。しかし無くしたことはない。私と荷物が別経路で行って空港内の別の場所に捨て置かれていたこともあったが、今回はいよいよ雲行きがおかしい。そろそろ観念する時かと思ったときテーブルが回り始めた。胸をなでおろした。が出てこない。最後の荷物が出てしばらく廻ったところで停まってしまった。しかもモニターのフライトナンバーが消えている。遂にやられてしまったと思った。仕事に必要な書類は手持ちなので問題ないがスーツケースとその中身のことを思った。補償金額内で当面のものを揃えて足らない部分は帰国後旅行保険で賄って…手間だな~…。面倒なことになったと思った。航空会社のサービスカウンターへ行くと何人かの先客がいてさらに20分ほど待たされた。漸く私の番でbaggage tagを確認してもらうと、担当のお姉さんは少し怪訝な顔付きで「テーブルが変更になったのを知っているか」と聞いた。私は、モニターに示されたあのテーブルの前で待っていたけれど出てこなかったと答えた。彼女の説明によると、沢山のフライトキャンセルの混乱で荷物が出てくるターミナルやテーブルの大幅な変更になりそれはアナウンスされたがモニターの変更はされなかったのではないかということであった。ということは私のスーツケースは、別のテーブルに順調に出ていればもう1時間近く放置されていることになる。やばい!ここの空港は荷物をピックアップしてターミナルを出る時に係官がbaggage tagとの照合をしない。つまり、この荷物は自分のものだという顔をして持ち出すことは簡単なのだ。私は、指示された隣のターミナルに急いだ。一度は荷物を無くしたと覚悟したが一気に解決しそうな可能性に気合が入った。スロープはカートに乗ってハンドルのブレーキを調整しながら下った。合格発表を見るような気持ちでターミナルのドアを通った。果たして指定されたテーブルには何もなかった。気落ちしそうになるのを振り払い次の可能性に頭を巡らせた。クレームオフィスに向かった。が、私の目には見慣れた私のスーツケースが入ってきた。私は持ち主の現れない荷物ばかり集まられた一角にあるのを見つけた。やれやれだ。ホッとした。私は落ち着きを取り戻し売店で今晩の友となる日経新聞の衛星版を買いタクシーに乗った。タクシーはおばさん運転のタクシーであった。女性に重たい荷物をと気遣ったが、あっという間にトランクに入れてしまった。私は乗り込むなり「大混乱、大問題で疲れたよ」と言った。彼女は「信じられないことが起こったわね」と顔を曇らせた。「えっ。何があったの」と私は聞いた。空港で何か騒動でもあったのかと思った。彼女は、英語で上手く説明できないけれど、と前置きして説明してくれた。アメリカで旅客機が20数機ハイジャックされてそのうちの2機がワールドトレードセンターに突っ込んで、あとはまだ行方不明である。全ての民間機軍用機は近くの空港に降りるよう指示されている。ヨーロッパからアメリカに向うフライトは全てキャンセル、既に向かっているフライトもこれから全て戻ってくる。それで空港の混乱もこれからもっとひどくなる。と説明してくれた。声にならなかった。私が給水塔と思っていたのは実はワールドトレードセンターだったのだ。次の瞬間ボローニャ空港で見たCNNの画像が鮮明になった。あそこで写されているものが何なのかそこで初めて理解できあの画面の中のマンハッタンが見えた。駅前のホテルに着いてチェックインした。そのホテルは、バーゼルの販売代理店やルチェルンの部品メーカーに列車で行くのに便利なのでいつも宿泊していた。部屋は狭いが清潔だ。チェックインの際にウエルカムシャンペンが出るといったことはちょっとしたことだが朝食のブッフェはかなり充実しているし和朝食もある。何よりもJSTVという日本語衛星放送のサービスがありNHKニュースを日本と同時に見られるという点が一番魅力であった。チェックインも早々に済ませ部屋へ急いだ。TVをつけてJSTVを探すが出てこない。部屋のインストラクションを開いてチャンネル別放送局一覧を確認するがそのチャンネルでは他の番組が放映されている。フロントに電話を入れて確認してみると契約を終了したとのこと。オー神様。私はCNNにチャンネルを合わせた。連続して臨時ニュースが流されているようであった。ショッキングな映像が繰り返し流された。しかし、アナウンサーやリポーターの言っていることが即座に理解できない。同じリポートを何回見ただろう。4、5回見て初めて漸く7割方理解できたに過ぎなかった。暗澹たる気持ちになった。東京に電話を入れようかと思ったが夜中の2時だ。たぶん皆起きているであろうけれど明朝にしようと思った。私は空港で買った新聞を持って駅の中にあるビアバーに行って晩飯をとることにした。出張中、新聞を読みながら、何かつまみながら飲むビールは本当にリラックスできる。しかしこの日はスポーツ欄を読んでも何を呼んでも何も思わなかった。ビールもつまみも味はしなかった。ビールを飲んで休息しようというのは不謹慎かも知れない。しかし、私は何か淡々と行動するほかないと思った。でもいったい何人の人が犠牲になったのであろう。家族、友達、恋人、婚約者、師弟、上司と部下、同僚。愛を持って互いに尊敬し感謝する人を失う悲しみはどれほど辛いことであろうか。悲しみ。想像できない。私は家内と息子と娘のことを思った。親友達のことを思った。鼻の奥からどんどん突き上げてくるものがあった。どんどん突き上げてきて目に溢れた。
2006.01.27
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2001年9月12日の朝、チューリッヒのホテルの食堂で、私は重たく悲しい空気に我慢できず涙した。アメリカからの旅行者はむさぼるように新聞を読んでいたが我慢できずに口を押さえて泣き出した人もいた。ただ悲しかった。一体一度に何人の人生が終わってしまったのであろう。亡くなった人達だけでなくその家族、恋人、友人…。悲しみのどん底にいるどれだけの人が一度に落とし込められたのであろうか。亡くなった人達残された人達の無念、悲しみ、怒りを思うとただただ悲しかった。自国がそのように落とし込められたアメリカからの旅行者の何とも言いようのない悲しく情けない顔を見て私は同情した。涙を押さえることは出来なかった。彼らはただ悲しく辛そうであった。前日の9月11日、私はBolognaにいた。販売代理店との打ち合わせを終え遅めの昼飯を食べて空港にきた。Bologna空港のチェックインカウンターはイタリアの空港で何時も感じる空気と変わりなかった。何か間延びした空気であった。私はチューリッヒに向かおうとしていた。チェックインカウンターにチケットを出したところ「チケットが無い」と突き返された。出国から帰国までの各便10数枚を綴じたチケットの束を確認してみるとなるほどその区間のチケットが切られていなかった。出張前日に旅行代理店からチケットを受け取った際、出張前のバタバタでチケットの中身を確認していなかったのである。チケットは、通常旅程にそって綴じられているが、発券の仕方によりチケットの種類ごとに旅程にそって綴じられていることもある。確認してみたが入ってない。カウンターのイタリア娘は「余席はあるので予約を入れるからチケットの発券カウンターでチケットを購入して戻ってきてくれ」と予約番号のメモをくれた。やれやれ。そのカウンターに行くと運良く待っている客はいない。が、カウンターの真赤に口紅を塗りたくったイタリア姉ちゃんは電話中だ。カウンターの前でしばらく待ったが全然終わらない。私はイタリア語を話さないので何を喋っているのか皆目わからないが、何だか思い入れ一杯にしゃべっている。失望し悲しそうな表情をするかと思うと一転猛烈にまくし立てる。首切りを宣告されているのか…別れ話か…。日本人なら相手の目を見れば視線が合ってこちらペースに持ち込めるが、彼女らは簡単には目を合わせてくれない。しばらく我慢したが限界がきた。お姉ちゃんの目をぐっと睨み、口元は両サイドに引いて無理やり笑顔をつくり、そして時計を指差し声をださずに「お願い」、といった。が反応がない。今度は声を出して「フライトの時間が迫っているのですがお願いできますか」と言ってみた。漸く軽く手をあげメモを頂戴と指を動かしてくれた。電話は相変わらず続いている。彼女はチケットを発券した。金額を書いたメモを渡されたのでクレジットカードを差し出した。こういう時は気を付けなくてはならない。航空券の日付、便名、行き先、値段、クレジットカードの値段を2度確認してサインした。彼女は依然電話中であったが、私は笑顔で「チャオ」と言ってチェックインカウンターに向かおうとしたら、チケット嬢は電話口を押さえて「チャオ」と初めて喋ってくれた。チェックインカウンターに戻ると先のイタリア娘が片方の眉を少し上げた笑顔で迎えてくれた。「電話が長いよー」と言うと笑いながら「ボーイフレンド!(と喋っている)」と言いながら荷物をチェックし手際よくボーデイングパスを発券してくれた。いくらイタリアでもこうでなくっちゃ。しかし、搭乗口は隣のビルになるという。「今空港ビルをリニューアル中なのでごめんね」という。この娘に言われると仕方がない。私は隣のビルの搭乗口へ急いだ。建築現場の埃っぽい仮説の渡り廊下を通り古くて小さい搭乗ターミナルに向かった。昼飯で「ここはボローニャだから(美味いものが沢山ある)」と調子にのって飲んで食ったのがいけなかった。急にお腹の調子が悪くなった。お腹の“中”の移動スピードが早い。これは緊急事態一歩手前である。顔は平静を装いながら急いでターミナルに入ろうとしたその時、パスポートコントロールの脇の部屋から男女数名の警察官(インスペクター)がぞろぞろと出てきた。当時のEC内ではパスポートチェックはなかった。手荷物検査のみであるはずだ。ECに非加盟のスイスとの間でもスイスへの出国にはパスポートのチェックはなかったように記憶している。しかし、この日は、検査は入念でしかも手際が悪かった。私は「何だやぶからぼうに…何時も国から出て行く奴には目もくれないくせに…」と思いながらもお腹の中の流れを制御することに集中した。パスポートチェックを終えてターミナル内に入った私は搭乗口を確認しトイレを探した。どうか清潔なトイレであってほしいと祈りながら…。その場所を見つけた私はその方向へ急いで向かった。レッドシグナルであった。途中CNNの臨時ニュースが流れているTVを数名の人が見入っているのが目に入った。私は急ぎながらも画面に目をやった。画面にはイタリアの年代を感じる2棟の給水塔の1棟の窓から煙が出ている様子が映っていた。給水塔の下はガスで曇っていた。街の様子はわからないが随分高い給水塔だなあと思った。歴史建造物としての給水塔が燃えているのでイタリア人が騒いでいると理解した。画面のクレジットは小さくて見えないしアナウンスはイタリア語であった。それに私には早く行かなくてはならないところがあった。こういった緊急事態の時、6代目笑福亭松鶴師匠は「あかんで~、あかんで~」と叫びながら走っていったという。そしてその弟子の笑福亭鶴瓶師匠は「おとなおとな…、おとなおとな…」と言い聞かせるようにトイレに駆け込むというのを何かの番組で見た。ボローニャ空港は、改築中ではあったが幸いにも清潔なトイレで私の緊急事態も事なきを得た。トイレから出てくるとテレビの前はさらに多くの人が集まり、皆が皆首を左右に振っていた。相当ヤバイという感じであった。肩越しに見た画面では2棟目の給水塔からも煙が出ていた。延焼したのであろうか。だいいち給水塔が燃えるというのは理に合わない。歴史建造物だから水は蓄えていないのであろうか。給水塔にも部屋があってそこから火が出ているのであろうが、別々の棟の部屋が同時に火事というのも変だ。画面が良く見えないけれどその高さと周りの景色の寸法が合わない。第一こんなに高い給水塔なら歴史的建造物として有名であろうけれど私は知らない。アナウンスは相変わらずイタリア語でわからない。とにかく大事であることには違いなかった。隣のビジネスマンらしき人に聞こうとした時搭乗開始のアナウンスが始まった。英語でこの話題を話している人達はいないか聞き耳をたてて機内に向かった。(続く)
2006.01.26
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・ アメリカで和室に泊まったことがある。アトランタの日航ホテルであった。今は経営が変わりウエステイン系列となっている。それはアトランタオリンピックが終わった翌年であったと思う。国際見本市に出展するために同市に滞在した。日航アトランタは郊外にあった。チェックインする際に「日本スタイルの部屋があるけど」と言われた。即座には何のことかわからなかったが、続けて「スイートでゴージャス」と言われた。私は、値段は変わらないかと確認して直ちにそのオッファーをアクセプトした。その部屋に向かいアメリカのホテルで見慣れれたドアーを開けて驚いた。そこには和風式の玄関があったのだ。「あがりがまち」があり靴を脱ぐようになっている。板張りの廊下を進むと15帖ていどの洋風リビングがある。ここはカーペット引きだ。その横に畳みの10畳の部屋があり布団が敷いてある。トイレはまさか和式ではないかと確認したが様式であった。しかしバスルームは大き目の木の風呂桶と洗い場のある日本の風呂場であった。洗い場にはすのこが敷いてある。木の香も芳しい。手入れが難しいヒノキではないと思うがそんな匂いもする。オリンピックの時に日本人のVIPのために作ったのであろう。オリンピック後は、和室のスイートに泊まる日本人など来ないので開店休業状態であったろう。かといって日本人以外の物好きの米国人では布団が問題だし風呂の使いかたも知らないから問題が生じたり維持管理が大変ということであったのか。私は、広くてご機嫌であるか何か違和感がある。照明と窓だ。洋室の内側を純和風に変えるというのは少し無理がある。しかし1週間の見本市の期間安い料金で日本式スイートルームで過ごせたのは超ラッキーであった。海外で和室に泊まった唯一として記憶に残っている。・ 日本国内でも最近ポピュラーになってきた週末だけの値引き価格、いわゆる「週末ディスカウントレート」を出張の宿泊に利用するという手を使って出張自体をアップグレードすることができる。海外の値引きは国内のホテルと違って割り切った価格を出す。この週末レートを出すホテルは通常部屋代が高額な高級ホテルに多い。我々が通常泊まるホテルの週末値引きは左程のことはないが高級ホテルの値引きは大きい。季節にもよるが50%から60%ということもある。新聞の旅行覧に広告も乗っている。値引き後の値段は我々が通常宿泊するホテルの値引きされた価格とほとんど同じになる。北米に頻繁に出張していた数年間、このサービスを利用してニューヨークマンハッタンのプラザホテルに泊まっていた。係長、課長が泊まるにはかなり場違いなホテルであったが、出張予定を組む際に指定の旅行代理店が出したリストの中で一番お手頃価格なのだから社内的には一番正しい理由がある。プラザホテルは、1985年のプラザ合意(G5、先進5カ国蔵相・中央銀行総裁会議で国際通貨制度が固定相場制から変動相場制に移行されることが決められた)が開催されたホテル、そして映画ホームアロンで主役ケビンが父親のクレジットカードで宿泊するホテルでご存知の方も多いと思う。マンハッタン59丁目のセントラルパークの南にありパークサイドの部屋からは公園が一望できる。日本からのパッケージツアーで少し割増を払えば指定で宿泊することができるので泊まった人も多いと思うがマンハッタンの有名で高級ホテルの一つである。しかし、どの部屋も公園に向いているわけではなく公園に向かって右側はプラザサイドでグランド・アーミー・プラザ(Grand Army Plaza)に面している。ここに面している部屋は、広場の喧騒で騒がしいがマンハッタンに滞在している雰囲気は味わえる。さらに角を廻ると公園とは反対側で58丁目に面している。低い階は廻りの摩天楼の影で暗いし上の階といってもプラザホテルは超高層ホテルでもないので依然摩天楼の威圧間を感じる。プラザサイドと反対側はとなりのビルに接している。部屋は、外側だけではなく内側にもある。内側は中庭があるわけではないので窓から外は一度覗いて二度と覗こうとは思わない。重厚な建物とその豪華な内装や調度品と共にプラザの宿泊を楽しむのであれば部屋は絶対パークサイドであろう。譲ってプラザサイドであろう。しかし、両サイドにはシングルジャーニーの出張者にお安く提供できる小さな部屋はない。そこでチェックインイン時のテクニックが必要なのである。即ち、お愛想とテンポのいい交渉が必要で、タイミングよく「パークサイドの部屋お願い」、とリクエストする。空いているという前提があるが、一泊ならば殆どの場合OKでアップグレードしてくれる。時々ではあったが2泊でもOKで3泊でも手配してくれた超ラッキーがまれにあった。パークサイドの部屋は広めということも気持ちを高揚させる。はたと気付くと自分の仕事との内容とは不釣合いで一瞬気恥ずかしくなる。しかし、セントラルパークを部屋から眺め、そしてセントラルパークでランニングすればそんなことは忘れてしまう。 全く調子が合わない上司に仕えていた時、マンハッタンに始めて同時期に滞在することがあった。私は上司を尊重して宿泊の希望を聞いてみた。その上司は欧州のある現地法人の責任者を経験したスノッブな感じの人であった。コストを気にしながらも週末の休息を理由に少しイイホテルに泊まりたいといった。私は、旅行代理店に頼んで値引き価格が出されているホテルを見繕ってリストに出してもらった。そのリストにプラザホテルがあった。 彼は言った「ほう、この値段でプラザに泊まれるのかね」 彼は、コストは別にしてモラル的なことを気にしていた、私に別のホテルに泊まれというのか。リストによるとそのホテル料金は高い。それを確認してプラザにすることにした。その出張は、私の3週間の日程のうちの10日間を部長に同行するというものであった。息が合わないその部長との商談は苦戦の連続であった。私は疲れ果ててNYに入ったが、彼はNYで週明けに少し仕事をして東京へ帰る日程であったので苦戦した商談の内容も忘れプラザの滞在を楽しみにした。プラザに泊まり現地法人のメンバーと会食し土産を買って帰るという完全に休暇気分であった。ラガーデイア空港からマンハッタンに入りプラザホテルに到着した。部長は私のことなど気に掛けずチェックインに向かった。私も後から離れたところでチェックインした。いつものように愛想よく間を考えてパークサイドをリクエストした。カウンターのオジサンとの相性も良く彼はいろいろ当ってくれているようであった。これは期待できるなと思っていたらOKだと言って鍵をくれた。部長殿は何か苦戦していた。予約の手配が入っていなかったとのこと。ヤバイ。顔が引きつっている。しかし予約確認書と同額の部屋を手配してくれボラレなくて良かったと私に向かって吐き棄てるように言った。ホテルの手配ミスで何もそんない言わなくてもと悲しくなった。気分はいきなりブルーで部屋に向かった。せっかくプラザに泊まるのにお通夜のような気分であった。フロア-が違ったのは幸いであった。しかし私の部屋はスイートではないがパークサイドの結構大きい部屋であった。窓の向こうにはセントラルパークが広がっている。ブルーな気分が一瞬にして「まっ、いいか」と許せる気分になった。現地法人との会合に向かうため再び部長とロビーで会ったがチェックイン時と違ってご機嫌であった。「さすがに違うね」「部屋の調度品が全然違う」とご機嫌であった。ただシテイーサイドで58丁目に面しているのが残念とぼやいていた。私は「自分の部屋はパークサイドです」と心の中でつぶやき陰険にほくそえんだ。私も部長に劣らず嫌な奴になった。駐在員との晩飯も終わり部長殿はジャズに行かないのかと聞いてきたので「いやー今週は目一杯でした」と断ってエレベーターに乗った。部長殿のフロア-で「今週は部長が居られたので助かりました」と目一杯サラリーマンをして別れた。私は即座に下へ降りタクシーに飛び乗りビレッジへ直行した。ああ何とイヤな奴なんだ。しかしがまんは限界であった。私の出張日程は折り返しであった。翌日の日曜日、現地法人の皆が部長の事を引き受けてくれた。皆知っていた。私を助けてくれたのである。私はプラザホテルを心から楽しんだ。セントラルパークをランニングし、部屋で昼寝をし、夕方は地下のオイスターバーでビールを飲んだ。グランドセントラル駅のオイスターバーも有名で結構いいがこのホテルのバーも好きだ。夏は大リーグ中継、冬はアメリカンフットボール、バスケット、アイスホッケーを見ながらのオイスターとビールは最高だ。…。「出張ジャンキー」やめられまへんなー。
2006.01.19
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・ 店で飲み明かしたとか夜行で移動したといったものではなく「泊まった」中で一番ローコストの出張宿は、国内地方都市の駅前旅館であった。そこは5万人程度の人口の町であったが大手メーカーの事業所があり頻繁に出張していた。その時は日帰りの予定であったが、しばらく難航していた課題も解決し次に向かってさあいこうというような感じで会議が終わったので、帰りの電車の予定をずらして会議出席者で少し飲むことになった。就業時間から少しフライングであったが5時から飲みだした。私の切符は6時の電車であった。6時ではあわただしいからということで、メーカーの新人君が上司の命で駅へ走り7時の特急に変更してくれた。話は俄然もりあがりそのうち最終の特急で帰れと今度は役員の方からの下命があった。仕方ない。自由席が空いているか心配であったが、既に酔いがかなり廻っている彼らは無責任にも絶対問題ないという。宴はさらに盛り上がった。私は最終の特急の時間を再度確認した。新人君がポケットタイプの時刻表を見ながら確認してくれた。さらに安心して飲んだ。話は盛り上がりに盛り上がった。そしてさあいよいよ時間を気にしなくてはいけなくなってきたなと思ったその時、その新人君が叫んだ。「下りの時刻表を見ていました!」私はまずいと思ったが一方で何だか愉快でもあった。完全に酔っていた。「「しょうがない泊まれ」さらなる下命があった。と言ってもそうするより仕方がなかったが…。一同いよいよ盛り上がった。腰を落ち着けて飲みだした。もともと酒豪の多い土地柄である。自分達の家はすぐそこである。飲むスピードがさらに加速した。もう何も気にするものはないという雰囲気が部屋にあった。私も覚悟を決めた。がその前に整理しておこうと思った。明日の予定。そのために間に合う電車があるか。宿泊の費用。着替え。未だコンビニが珍しかった時代のことでその地方の街で夜中に着替えを買う手段は全くなく「着たきり雀」も覚悟した。新人君は、「宿は僕に任せてください」といって店の帳場へ行った。帰りそびれた私のハプニングの間抜けさ、おかしさによって座はさらに盛り上がり、遂に各自の出張中のハプニングの発表会となった。たわいもないことで笑って盛り上がった。日頃やり手ブッテいる営業、気鋭のエンジニアとはほど遠い、どちらかというとかなり程度の低い会話で盛り上がった。下ネタも出た。お開きになり新人君が手配した宿を教えてくれた。町のホテルはどこも一杯であったとのことで明日の一番電車に乗りやすいよう駅前の旅館をとってくれた。私は一同と別れ酔っ払ってフラフラしながらその宿を訪ねた。とても営業しているとは思えない旅館であった。旅館というより、その昔まだ蒸気機関車が走っていたころの行商人が泊まった商人宿風であった。玄関を開けると奥からおかみさんらしき人が迎えてくれた。この時私は20歳代の後半であったが、そのオカミサンらしき人は、今の私40台半ばといったところであった。化粧気はまったくなく色あせたエプロンをしていたがこの地方では目立つ感じの品のある奥さんであった。宿についたというより他人の家の玄関の戸を間違って開けてしまったという感じであった。階段を上がった横の部屋を指示された。入ってみると狭い部屋の真中に薄っぺらい布団が敷いてあった。部屋へ入ると足が滑った。ビニールだかナイロンだか知らないがゴザのようなものが部屋一面に敷き詰められていた。卓上アンテナが着いた小さなテレビは、アンテナの位置を調整したがうまく写らなかった。アンテナの感度の問題ではなくテレビ自身がはなっから映らないようであった。テレビの横には読み古しの週間プレーボーイと漫画が数冊積んであった。日付を見ると昨年のものであった。「その日付は今年はまだだ」風呂に入ろうと襟の擦り切れた浴衣をきて階段を下りた。茶の間にいたオカミサンに場所を聞いた。脱衣所の扉を開けて入ろうとしたところオバサンが後ろから追いかけてきて「ちょっと待って」と言って中に入った。着替えを抱えて出てきた。どうやら自分が入ろうとしていたらしい。風呂は、普通の家のものであった。酔ってもいたし期待していた旅館の大きな風呂でもなかったのでさっと入って部屋にもどった。薄い布団に寝転がって気が着いた。やたら静かというか人の気がしない。他の客の気配もしないし家人もいないようであった。未亡人下宿か…。いや旅館か…。なんて思っているうちに寝てしまった。夜中に部屋の前で大きな音がした。酔っ払いの客がまた一人入ってきたなと思ったが部屋の前から動く気配がない。私の部屋に入ろうとしているのか狙っているのか。変な酔っ払いに絡まれるのもかなわないと思いながらかなりビビって戸を開けた。そこには足首を押さえて横たわっている寝巻き姿のオカミサンがいた。寝巻きといってもネグリジェでもないし何か変わったものを着ていた。しかし変に艶かしかった。私は、大丈夫ですかと訪ねたが足首を押さえて唸っている。オカミサンは少し酔っていた。起き上がれるかと聞いて手を出すとオカミサンも手を出してきたので引っ張り揚げた。オカミサンは片足でたっていた。私は左手でオカミサンの左手を自分の首に巻いて抱えた。オカミサンの部屋を聞くと「奥です」というので、私達は一歩ずつ暗い廊下を進んでいった。奥に進むと角があり曲がると廊下がさらに奥に向かっていた。そしてさらに角がありそこを曲がると数段の小さな階段があった。そこを登ったところの部屋がオカミサンの部屋であった。昔は結構繁盛した大きな旅館であったろうと思った。沢山の部屋があった。私は、その階段を昇る時オカミサンを抱き上げて連れていこうかと思った。そのほうが手っ取り早いと思った。しかし、オバアサンならまだしもオバサンは結構色気があって変に艶かしい。たぶんお手製の寝巻きであろうが、ネグリジェのようでそうでない寝巻きを着ていた。それがどのようになっているのかわからなかったのでそれは止めたほうがいいと思って抱き上げるのは止めた。その時気付いたがオバサンはお風呂上がりでいい匂いがした。そう意識すると握っているオバサンの左手と抱えているオバサンの右腕から背中にオンナを感じてしまって何かギコチナイ感じになって困ってしまった。意識するから歩き方がさらにギクシャクしてしまって二人の歩調が合わなくなってしまった。そしてオバサンはヨロケタ。私はとっさに抱えていた腕を放してオバサンを支えた。支えたのはいいが、私はオバサンの背中から脇に手を入れて支えようとして胸を握ってしまった。私は手のひらを広げて手首でオバサンの脇を支えた。「ゴメンナサイ」と言ったら「いいえ…。ゴネンネー手間掛けさして…」といやにリラックスして感じで言われた。私は、ますますオンナを感じてしまった。オバサンに触れている部分が益々敏感になった。最初は何も感じなかったのにその柔らかさを意識した。そして二人の間が熱くなってきたのがわかった。オバサンの風呂上りの匂いはどんどん拡がっていった。私は、息をつめながらやっとの思いで一番奥の部屋の前まできた。襖を開けると豆電球が点いていた。部屋中にところ狭しと衣服が掛けてあるのがわかった。雑然としていたが隅に小さなベッドがあるのを見つけた。私は掛けてある衣服を引っ掛けないようにオバサンをベッドのところまで連れていった。ベッドに座らせようとした。オバサンは私の肩を頼ってゆっくりベッドに腰掛けようとした。そしてオバサンが前かがみになって座ろうとしたその時、私はその妙に艶かしいたぶんお手製の寝巻きの緩い胸元から先ほど私が掴んだものを見てしまった。先っぽまで見てしまった。それはオバサンと言うには失礼な立派なものであった。私は血が上ってきているのがわかった。さらに一歩踏み出していいのではないかと考えた。考えも無く行動にでそうでもあった。しかし、私の口から出た言葉は、「何か足を冷やすものをもって来ましょうか」であった。冷やすべきは自分自身であったが…。彼女は、「いいえ。ありがとう」と言って僅かに頭を下げた。私の用事は全て終わった。ちょっとした間が空いた。変な間であった。しかし、私は部屋から出て行かなければならないと思い「ではお休みなさい」と言って部屋から出て襖を閉めた。そして外から「あした朝一番で出たいのですが」と言った。彼女は中から「大丈夫ですよー」と少し親しげに答えた。暗く長い廊下を歩き自分の部屋に戻った。私はオバサンの匂いを思い出さないようにして必死に眠った。しこたま飲んだ酒は完全に抜けてしまっていた。朝無事に時間通り起き、身づくろいをして階下に下りようと部屋を出たら彼女が奥のほうから壁に手をついてゆっくりとこちらに向かってきた。階段を降りるには大変だし電車の時間も迫っている。私は、そこで支払いを済ませようとした。「おはようございます。具合は如何ですか」と聞いた。「うん。少し楽になった」と慣れた口調で彼女は答えた。私達はそんな親しげに朝のあいさつを交わす仲になったのかなと思った。「お会計ここでしましょうか。お幾らですか」と聞いた。彼女は、少し考えて指を3本立てた。「3千円でお願いします」指を立てた寝巻き姿の女性に勘定をするのは妙な気分だ。私は素泊まり5千円と聞いていたのでその旨を話したが、遅く着て早く出るしお世話にもなったからそれでいいと言った。この姿でお客に接することはないはずであるが、昨日のことがあるからかまっていないのであろうか。私は3千円を払い駅に向かった。始発の特急の出発時間が迫っていた。その後そこのメーカーとの仕事は続きその町への出張は続いた。その宿に泊まることはなかった。しかし駅からタクシーでそのメーカーに向かう途中にその宿はあったので気にはしていた。旅館の看板はあれからしばらくして降ろされたが建物はずっとあった。あのオバサンはどうしているのかと気なった。タクシーの運転手さんに聞けば何かウワサを聞けるかもしれないが、変なウワサを聞くのが嫌で聞いたことはなかった。私はオバサンに会いたかった。あの時私が28歳で彼女が40歳後半であったとしたら、今私は45歳なので65歳を越えていることになる。今も建物はある。どうしているのであろうか。元気であろうか。行けばわかることであるがそれほどのことがあったわけではない。その前をタクシーで通るたびにドアが開いて彼女が出てきたり、家の前を掃除している姿を見かけないものかと期待してしまう。ホテルや宿のアコモデーションやホスピタリティとは関係ないが忘れない宿のひとつである。【続く】
2006.01.17
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・ まずは、北陸の某都市のY旅館である。この旅館は、町の中心地にある老舗の料理旅館で先輩達から受け継がれていたが、殆どの担当者は旅館など使わず新しく建てられたホテルに泊まっていた。晩飯を取引先と食べたあと寝に帰るだけの宿泊であればホテルが便利である。 旅館の人達との濃密な関係を敬遠してホテルに泊まる社員が殆どであった。しかし私は先輩から聞いたそのY旅館の料理伝説のとりこになった。建物は古いが清潔である。特に立派な庭があるわけではない。風呂は共同である。トイレは、旅館の人が「離れ」と読んでいる一部屋だけ申し訳程度に独立した部屋には専用のものがある。しかし、その旅館には、その昔商品展示をしながら商談したであろう、或いは町の名士が集まって夜な夜な宴会が開かれた往時を偲ばせる50畳は超える大広間がある。ここの晩飯は、地元の山海の素材を使ったフルコースである。特にお魚は旬のものの御造り、揚げ物、煮物、焼き物全てが出てくる。私は、入社してしばらくの間この地区を担当し毎月のように出張した。着いた午後に1軒翌日の午前に1軒の商談をして次の町に向かうという日程であった。入社したての小僧であるから商談が終わると取引先も私などに気を使って接待するということもなかった、また反対に私が接待することも僭越であったし第一予算も持たされていなかった。商談が終わると夕刻前に放免された。私は、仕事は上手くいったのであるから文句はないであろうと商談が終わるとその当時新しく出来た県営プールに向かった。そして充分に泳ぎ、汗を流してからその宿に入ったりするようになった。風呂に入ったあと座椅子に座り肘掛けに片肘をついてビールを飲む。次々と運ばれる料理を肴に7時のNHKニュースを見ながらビールを飲む。こういうのは当時20代前半のガキには似つかわしくなかったかも知れない。しかし、私個人は至福のときであった。そして夏であればナイターを見ながら、冬であれば掘りごたつに入ってしんしんと降る雪を見ながら…。いい気なもんだと言われても仕方がないがそういったことをしていた。これは、偉大な先輩達が残してくれた遺産であるから、私は先輩達とその先輩達に感謝して一人前として扱ってくれる旅館に感謝し、そしてこのことはきっちり後輩に引き継がなければならないという使命感に燃えていた。そのすばらしい料理を作っていたのは天下に名の知れたその地で一番の料理人ではなくその宿のおばさん達であった。しかし、その包丁の切れは抜群であんな美味い御造りはなかなか頂けない。また、煮物、焼き物。揚げ物の味加減焼加減煮加減揚げ加減も絶妙であった。私は、若干の好き嫌いはあったが使命感に燃えていたので残さず食べた。宿の人達は、毎月必ずやってきて出されたものを残さず食べ尽くす他の宿泊者とは違う若輩の私に大変優しくしてくれた。1980年代の半ばであったが、1泊2食ビール3本で¥9,000~¥10,000であったと思う。当時の出張時の宿泊代としてこれを高いと見るか安いと見るか。私は絶対安いと思った。実際には先輩達の功績から特別価格であったことは間違いないが、あの時代、この地方の条件を考慮しても絶対お値打ちな料理であった。しかし、私の担当が変わり通わなくなってから数年後この宿は廃業し割烹になった。割烹になってから何回か訪ねたが、私はあのおばさん達の料理のほうが絶対美味しいと思う。(続く)
2006.01.16
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7.止めて!バスルームの鏡に映る私自身ホテルのバスルームの鏡は何とかならないものだろうか。狭い部屋を広く見せるという鏡はホテルには必需品である。バスルームの鏡は洗面やお化粧に必要であるというのと同時狭いバスルームを小さな灯りで明るくし広く見せるためにも必要である。洋の東西を問わずホテルのバスルームには大きな鏡が据え付けてある。壁一杯に貼ってある。お陰で洗面に便利で明るく広く見える。鏡がなければ狭く暗い縦型カプセルに閉じ込められているような気分である。その意味で鏡の効果は大きい。しかし、位置が問題である。国内のホテルも海外のホテルも高い宿泊費を払わない限りバスルームと称してトイレ付だ。西洋スタイルの家ではバスタブとトイレがあるのがバスルームであるからこの組み合わせは文化的には間違っていない。鏡の位置が問題というのはトイレとの位置関係である。便器に対してどの位置に鏡が張ってあるかということである。洗面台から張り出して便器の背後にも張ってある場合はどのようなことが起きるか。男性ならオシッコするたびに鏡の向こうにいる自分自身を見ることになる。いつもながらに立派だなと思うか我ながらに情けないと思うかは人それぞれであろう。もちろん私は後者である。見慣れている上からとは違って鏡に映っているその姿は見慣れていない姿なので自分のものでないような気がしてちょっと気恥ずかしい。自意識過剰であろうか。女性の場合は背中を向けているので問題ないかというとそうではないであろう。コトを終えて立ちあがったその時後ろを振り返ると…「なんというカッコウ…」と恥ずかしくなるということはないのであろうか。「別に.…」というのが淑女の本音であろうか。女性はそのようなことを気にするデリカシーを持ち合わせていないのであろうか。この場合、男は悲惨だ。前方の場合は、若干のナルシシズムがないこともない。しかし、後ろは、「ゲッ!キタネー」が殆どであろう。「僕のお尻ってすてき」という趣味の持ち主は別として…。宿泊場所については、「オレは寝るところなんかどこでもいいよ」という猛者もいるが、私は許される範囲でこだわりたい。ホテル、旅館に求めるものは何かと問われた時、「自分の家、自分の部屋に帰ったような気持ちに少しでもなれること」であるの説明をあるところで聞いた。私はなるほどと思った。私は、清潔であれば豪華でなくても高級や一流でなくても良い。そういうところを出張先の部屋としてきた。これまで国内外の様々な宿泊所に泊まってきた。ゴザの上にセンベイ布団を引いただけの駅前旅館ややもりが壁や天井に張り付いている中国のホテルにも泊まった。この程度は、私以上に世界各国各地をまわって壮絶な経験をしている出張者からするとかなり恵まれていると思う。その恵まれた中での話で恐縮であるが、ナケナシの手当てで過ごした宿の中で印象に残っているものを幾つか紹介してみたい。(続く)
2006.01.13
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ラスベガスからシカゴへは3時間で着くが、チェックインとセキュリティーを経て搭乗ゲートにたどり着くのにエネルギーを使い果たす。機上では気を取り直し本を読み音楽を聞く。そしてビールを飲んで昼寝をしているうちに着いた。ラスベガスの滞在の目的はビジネスコンベンションへの出展である。仕事である。仕事であるが、空港に着くとそこは既にエンターテイメントの世界で気分はかなり盛り上がる。搭乗口(降機口)にはスロットルマシーンが並べられコインの落ちる音が聞こえる。景気の良い音とブテイックの華やなプレゼンテーションに自然と気分が盛り上ってくる。バッゲージ・クレームに向かう途中の通路、そしてバッゲ-ジクレームのターンテーブルの周りにもスロットルマシーンが並んでいる。バーッゲージ・クレームのアリーナのバックグランドミュージックは、フランク・シナトラだ。カバンが出てくるまでの間、これからの1週間の滞在の運試しに1勝負してみる。25セント1枚で勝負してみる。チャラチャラチャラと出てくる。8枚で2ドルだ。幸先いい。それを再投入したい気分を押さえてポケットに入れた。 ラスベガスにはNYもあればPARISもROMAもある。リビエラ、リオ、イタリアはコモ湖の湖畔の田舎村ベラージオとベネチアもある。モンテカルロやエジプトもある。古代ギリシャ・ローマ帝国もある。カジノはルーレット、バカラ、スロットルマシーン、カードと豊富だ。しかし何で日本が無いのだ。両側に桜の木が植えられた遊歩道がある堀でかこまれた広大な日本庭園。その中央にそびえる30階建て天守閣とその城下には武家屋敷と数奇屋作りの離れ。スケールは、どれも本物の数倍の大きさで若干のデフォルメもされているが外観は見るからに天守閣と城下だ。メインエントランスは天守閣にある。宿泊者は、ここに到着しチェックインする。中層階は、城下町をリアルの再現したショッピングブテイックになっている。高層階には高級エクスクルーシブ・スイートルームがある。部屋のバルコニーからラスベガスを殿様気分で睥睨できる。天守閣とは低層の棟続きで広がる中層の数寄屋造りの棟は、スタンダード・スイートの棟で、その周りには各種日本庭園が造園されていて部屋から楽しむことができる。池あり川あり滝あり石庭ありで散策できる。客室からは見えない森の中には、その中に作られた庭園を見ながら食事を楽しめるガーデンレストランがある。庭に面した個室で懐石料理、庭に面した鉄板焼、庭に面した鮨バーで本格日本料理を楽しめ。エンターテイメントは、花魁ショー、水芸に忍者ショーだ。庭では木遣りショーもある。お琴の連弾乱れ引きのコンサートは圧巻である。カジノにはスロットルマシーンは無い。パチンコ、パチスロ天国だ。丁半博打の壺振りは、さらしを巻いたお兄さんお姉さんがお相手する。ルーレット、カード、花札のお相手をするディーラーは、着流しのお兄さんが片肌脱いでお相手だ。(1990年代のラスベガスにはそのような格好をした日本人のディーラーがいてそのパフォーマンスはかなり受けたらしい。まだ現役だとのウワサは聞くが私はお会いしたことはない)。春には堀の遊歩道に植えられた桜が満開になり広大な敷地をぐるりと囲む。近場のカジノやレストランへは人力車で乗り付ける。そんな日本発のホテルがラスベガスに何故ないのであろう。日本のホテル王は何をしているのであろうか。日本文化に対する興味が全世界的に盛り上がっているのは間違いない。この企画上手くいくと思うのだけどなー。日本に対する少し違った認識が広がる心配もあるが、そこは日本かぶれの外人の経営ではなくネイティブ日本人の経営者がコンセプトを明確にして軸がぶれないように経営すれば問題ない。非日常を期待してラスベガスに来る観光客の人達の気持ちも汲みながらできるだけ正調な日本を体験してもらって満足してもらう。そしてまた来たくなる。或いは日本にも行ってみたくなるような日本文化のリピーター。そんなロイヤルカスタマーを作るマーケテイングは如何であろうか。背中で景気よく鳴るスロットルマシーンの音。ラスベガスの止り木でも妄想してしまった。
2006.01.12
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天守閣 イン ラスベガス(ラスベガス)9.11以降米国内の空港セキュリティーは大変厳しい。再三にわたり荷物のチェックをされる。搭乗ゲートに向かう途中で靴まで脱がされる。靴に仕掛けたプラスティック爆弾を発見するためだ。チェックイン時に預ける荷物も、輸送途中で何時中をチェックすることがあるかも知れないから、鍵は掛けるな、バンドで縛るな、とウルサイ。そもそもこれは荷物のチェックイン時にエックス線検査で不明なものがモニターに映し出された際、かばんの中身を調べるのに手際よくするためと説明されていた。だから、私は、エックス線に通す前にバンドを外し鍵を開けておき、検査が終わりベルトに乗せられ航空機に運ばれる前に、係りの人に頼んで荷物を持ってきてもらい、鍵を閉めてバンドを締めた上で再度係官を読んで、荷物を渡し、そのベルトに確実に乗せられるのを確認してからゲートへと向かっていた。鍵も掛けずに荷物を預けるなんて無謀なことは出来ない。荷物は、普通荷物置き場でカートに乗せ返られる。そのカートは何台かつなげられ列車になって航空機まで運ばれる。その途中荷物がはずみでカートから落ち、その拍子に蓋が開いて中身がぶちまけられているのを私は何度も見た。カートの運転手はそれに気付かずどんどん行ってしまっている。運良く誰かが気付いて、運ばれていった先がわかり、かばんが特定されて、落ちたものをその中につっこんでくれたら良いが、その広い空港で時間に追われ多量に扱われている荷物に事故に対してそのようなサービスを求めるのは無理だ。また、私はバーッゲージグレームのターンテーブルの上を中から衣類が激しくはみ出たかばんが空しく廻っているのや、蓋が完全に壊れ中身が空っぽのかばんが間抜けな感じで廻っているのを何度も見た。だから鍵を掛けた上にバンドで縛るというのは航空機の荷物を預ける際には必須の自己責任であろう。 しかしテロから3年経ち首謀者ビンラデインを捕まえられない現状から、セキュリティーはさらに厳しくなっている。いつでもどこでもチェックができるように常にカバンには鍵をかけるなという。もしチェック時に鍵が掛かっている場合、カバンを破壊しても確認するという。この場合、乗客は文句を言えないとのことだ。国家安全上のためということである。かばんの中身がなくなるのを覚悟の上で預けなさいということである。これではハンドキャリーの機内手荷物が増えるのもしようがない。しかし許される機内手荷物は一個でサイズが決められている。短期出張や旅行であればなんとかその程度の荷物でしのげるが長期であるとそうもいかない。「なくなってもしようがない」と半ばやけくそで行くか、「なくなってもいいものを持っていく」かしかない。そしてもし無くなれば、保険で保証してもらい持ち物を新品にする。しかしその手続きは面倒だ。無くなってくれればあきらめもつく。補償もある。問題なのは中途半端な時だ。かばんをピックアップしようとバッゲージクレームのターンテーブルで待っていると脇から衣類の出た惨めなカバンが自分のカバンであるときだ。失ったものはないか確認するのも悲しいくらいに無造作に詰め込まれている。「オーマイブッダ!」 荷物の特別検査は完全な人種差別だ。はっきり言える。チェックインカウンターで荷物の特別検査を指示されて検査場の列に並んでいるのは全て有色系人種だ。アメリカの空港で見てみると良い。はっきりわかる。一目両全だ。偶然とは言わせない。我同胞の可愛い女性陣のスーツケースも細かくチェックを受けている。彼女らが何をする可能性があるというのだ。アジアのテロリスト国家で教育されたスパイの可能性が無いのを確認するためにスーツケースの中身を事細かく調べているのか。我らがナデシコに失礼じゃないかと憤りはする。しかし私の前のナデシコのスーツケースは、正直言うと興味ある。覗き趣味と言われればソウデス。チラチラと見てしまう。ゴメンナサイ。本来は彼女達をかばわなくてはならない身であるが、ナデシコ達の検査には時間かかるので閉口する。たいていの日本人は躾が行き届いているので下着をそのままかばんに詰めることはしない。正確には何と言う名前かその袋についているのか知らないが、下着を一つ一つ畳んでその小さな袋に入れた上で整然とカバンにつめる。見ろこれが日本人の躾だと言ってやりたい。それらを一つ一つチェックするのでやたら時間がかかる。そして、彼女達を観察していての一番の驚きは彼女らが詰め込んでいるお土産の数である。行く先々で買い込んだお土産もさることながら宿泊したホテルから持ち帰ったシャンプーやらバスジェルやら石鹸やらである。形が可愛いからとか記念にといって持ち帰るのであろうが、宿泊するたびであるから結構な数がある。警備の係官がかばんの下のほうから引っ張り出しできたホテルのランドリーバックにはそういったものがかなりの数詰まっているのを度々見る。警備員はそれらを一つ一つを、爆弾の材料が入っているのではないか。薬じゃないか。と確認しなければならないので時間が掛かる。この辺りにくると覗きも面白くなく待っているこちらとしても閉口する。また、文化の違いなど考えたことがない検査官がマニュアルにそって検査をするのでさらに時間が掛かることになる。シカゴのオヘア空港からラスベガスに向かおうとしていた。有色人種の私は、おきまりのように預かり荷物検査場へ行くことを指示された。まず、係官はエックス線検査を行いモニターの画面で私のかばんの中身をじっとみている。…「そんなにじっくり見られると恥ずかしいじゃないですか」と言いたくなってくる。係官は、同僚を読んできてモニターを指指して何か言っている。「そんな難しいもの持っていませんよ…」と日本語で少し声に出して言う。もちろん笑顔でだ。竹中直人の「笑いながら怒る」を練習しておくべきであった。 スーツケースを開けていいかと聞くので、私はきっぱりと「当然!」と答えた。…「拒否は許さないくせに」… 係官は私のスーツケースを開けゴソゴソやっている。「もうちょっと丁寧にやってくれへんかな…」と、またも超協力的な笑顔で言ってやった。彼らは少しいぶかしそうにこちらを見た。しばらくして、彼らは、スーツケースの中から、そろりそろりと振動させてはならないというような感じで慎重に出してきたものがあった。…「オイオイ。そんな風に扱われるものなんてないぞ!」何だと思ったらそれはフルートであった。出張中のホテルで少しずつ練習するために持ち歩いているフルートで黒いハードケースに入っていた。「それはフルートです」普通の顔で発音に気をつけて言った。彼らは理解できないようであった。発音が悪いのか。再度言った。「それはフルート…フルート…音楽楽器です。高価なものだから(実はそれほどでもない)扱いに気をつけてください」実際彼らの扱いは丁寧であったが、高価な楽器を扱うというよりも危険物を扱う丁寧さであった。アフリカ系に見えた彼らには私の発音が通じていないようであった。私は、ここは慎重に進めなければならないと思った。こんなことで大事になって足止めなんか食らうと面倒くさいことになる。彼らはフルートのケースを台の上にそっと置いた。そしてこのケースはどのように開けるのかと聞いたので「両サイドに動かす」と教えた。腰を引いてつまみを動かそうとしている。「私が開けましょうか」と言いながら1歩出た。「動かないで!」一人に強く制止された。「フルートですよ」ここで気付いたが、この「フルート」という単語が通じていない。私は、手で演奏するまねをした。「楽器。フルート」と言ったが通じない。遂に別の検査機器を持ってきた。そしてケース全体をそのセンサーのようなものでなでるようにチェックした。何の反応も無かった。当然だ。なのに、彼らは、再度及び腰でケースのつまみに指を掛けた。もう一人はケースが滑らないように押さえている。「なにをしてんのや…。死ぬまでやってろ」と。英語で言いたかったが、彼らの緊張度合いを見ているととてもではないが言えなかった。蓋が開くと中はフルートであった。当然だ。しかし、彼らは3つに分解してある「管」をずっと眺めている。「それはフルートです」後ろからも「フルートだよそれは」「楽器だよ」と言った声が次々に飛んだ。順番を待っている他の乗客も「もういい加減にしたら」という感じだった。それでも係官は慎重だ。筒型の爆弾か組み立て式の小型ライフルと思っているのか。「これはどうのように使うのか」と聞かれたので、「触っていいか」と断ってフルートを組み立てた。そして「A」の音を出してやった。彼らはキョトンとしていた。「不思議じゃないよ」とツッコミを入れた。「パフォーマンス!何かやれ」の一言があった。私は、「サクラ~サクラ~」から「見わたすか~ぎいり~」まで吹いた。係官はもうわかったよと手を振った。そして背中から拍手をもらった。彼らは散らかった私の荷物を乱暴に詰め込もうとするので、「きちんとね」と日本語で言って自分で詰め込み、鍵を掛けてバンドを締めて渡した。「ご協力有難う御座いました」「当然のこと。協力は乗客の勤め。喜びとするところ…」…ヤレヤレだ。私は搭乗ゲートに向かった。 次は搭乗ゲートの金属探知機だ。すぐには起動しないパソコンを立ち上げて見せなければならない。それが終わると次は「靴を脱いで」とくる。靴にプラスチック爆弾を仕掛けて搭乗しようとした輩がいたからだ。欧米人の間隔からすると靴を脱いで靴下を見せるということはパンツを見せるということに近い。足を組んで靴下が見えてしまうのとは違う。セキュリティチェックは、「パンツ1枚になって」ということか。ヤレヤレ。(続く)
2006.01.11
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米朝会談(大阪)1.大阪の空洞化2.関西財界の元気者だった、佐治敬三さん3.米朝会談・ 大阪の空洞化東京への集中化が進んでいるのか、一人大阪が凹んでいるのかわからないが大阪の空洞化が加速している。大阪創業の企業といえば、住友、鴻池、松下電産・電工、シャープ、サンヨー、サントリー、伊藤忠、関西電力、大阪ガス、近鉄、阪急、キンデン、ニッセイ等などであろう。ある時大阪で関西財界の会合がありこういった関西企業のトップが集まった。会議のあと宴席になったが出席者の殆どが最終の新幹線で東京に帰ってしまった。残ったのは、電力、ガス、電鉄のトップだけで、本社が大阪と言えでもトップは東京常駐であるということで改めて大阪の空洞化が感じられた寂しい2次会となったということを聞いた。大阪の空洞化は、大阪創業の企業が東京にも本社を作り大阪との2本社制で事業を運営し出したことにも原因があると思う。東京進出の理由は概ねこのようなものではなかったであろうか。・ 最初は、政府官公庁との折衝上関連案件の担当部門を東京に常駐させることが機動的であるという理由から。・ そのうちそういった企業が東京に集まり出し人、モノ、情報が増えた。事業推進上そういったそれぞれとの連携、接触、収集することの必要性が益々高まりその機会の拡大を求めて東京進出が拡大した。・ さらに海外事業の拡大に伴い海外各国の政府出先機関や海外企業の駐在者や出張者が東京に集まることから海外部門の進出が進んだ。海外企業からの出張者は、複数の案件をこなせる東京にやって来る。東京滞在後他のアジアの都市、即ちソウル・北京・上海・台北・香港・シンガポールへと飛んでいく。東京に着いた出張者が他の都市へ行く、または連れていくには特別で具体的な課題や案件がないと難しい。この場合既にターゲットは絞られている。・ 次にマーケテイング上東京は重要である。東京におもねることはないが最大市場の動向は知っておかなくてはならない。魅力ある商品やサービスを創出するためにデザインやセンスが強く問われるこの時代、国内最大の消費市場でマーケテイングに関わる企画者、デザイナー、広告宣伝業者が集まる東京で情報を収集し市場動向を肌で感じながら仕事をすることは重要であるから。こうやって創業の地の関西には、管理部門と西日本の市場をカバーする部隊だけが残り、事業運営の主要実働部隊は東京へ移って空洞化が進んでしまったということではなかろうか。メーカーなどは両本社以外にも各地に研究所、製造工場、販社、地方営業所を持っているので、担当者によっては、単身赴任で東京に駐在し関西の家と東京と各地の出先を激しく出張しながら仕事をするということになる。商社によっては、大阪駐在担当者が周の半分は東京に出張し仕事することがほとんどということもあるようだ。ならば東京に機能を移した方が良いのではと言いたいがそう出来ない事情もあるようだ。特定の企業名を出して申し訳ないが、松下電工が東京汐留に本社ビルを建てて移動すると決めたとき大阪府と地元の市は慌てたそうだ。松下電器産業まで出て行くようなことはだけはしないで欲しいと…。想像するにほとんど哀願調であったはずだ。2社が関西から抜けるというのはオオゴトである。税金の問題がまず大きい。法人税もあるが住民税もある。会社がなくなる、社員がなくなると、まず飲み屋は干上がる。経費削減の影響どころではない。自腹もなくなる。とにかくごそっと客が来なくなるのである。地元の町から祇園とキタとミナミの繁華街に至るまで閑散とする。社員だけの生活だけではない。その家族も消える。消費がなくなる。電車もバスの乗客が減る。日常消費が減る。引っ越していった会社だけではない。関連企業の社員と家族の生活と行動が同じく消極的になり消費はさらに悪循環し経済はさらに萎んでしまう。電車も乗らないし、着るものも着ない。食べるものも食べない。…。空洞化で地盤沈下が進む。「もうあきまへん」の一言だ。
2006.01.10
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