批評性時空間

批評性時空間

2021.09.23
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われわれが自然的・社会的因果性によって動かされている次元において、善悪はありえない。しかも実際には、自由(自己原因)などない。あらゆる行為は原因に規定されている。しかし自由は自分がやったことをすべて自己が原因である「かのように」考えるところに存する。

ニーチェのいう運命愛とは、弱者の人生を、他人や所与の条件の生にはせず、あたかも自己が創り出したかのように受け入れることを意味する。それが強者であり超人である。
運命愛とは、カントで言えば、諸原因(自然)に規定された運命を、それが自由(自己原因的な)ものであるかのように受け入れるという事にほかならない。それは実践的態度である。ニーチェが言うのは実践的に自由な主体たらんとすることにほかならず、それは現状肯定的(運命論的)態度とは無縁である。

議会は封建制や絶対主義王権制においても存在した。しかしこうした身分制議会においては「代表するもの」と「代表されるもの」が必然的につながっている。真に代表議会制が成立するのは、普通選挙によってであり、さらに無記名投票を採用した時点からである。秘密投票は、ひとが誰に投票したかを隠すことによって人々を自由にする。しかし同時に、それは誰かに投票したしという証拠を消してしまう。そのとき「代表するもの」と「代表されるもの」は根本的に切断され、恣意的な関係になる。したがって秘密投票で選ばれた「代表するもの」は「代表されるもの」から拘束されない。いいかえれば「代表するもの」は実際にはそうではないのに、万人を代表するかのように振舞うことができるし、またそうするのである。





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最終更新日  2021.09.23 13:07:35
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