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今年は月に1冊、哲学の本を読もうと思っている。昨年読んだ木田元先生の「反哲学史」が非常に面白かった。哲学という名の山々の稜線を、鉄筆の鋭いエッジでぴーっとクリアに描き出したかのような明瞭さ、爽快感があり、西洋哲学史の流れが改めて新鮮に立ち現れてきた。やはりライフワークとして哲学には触れていたいなあと思った。あまり難しい本は読めないし、おととしから少しずつ読んでいる仏教や禅の本をはじめ、ちょっと範囲を広げて心理学や美学などの類もOKということにして。手始めに今月は、岩波文庫のニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」の上巻を読んでいる。解説本は何度か読んで、ツァラトゥストラを読むのはずっと憧れだった。上巻は詩情にもあふれた文章で、想像力や詩を書きたい気持ちを喚起させられる。下巻になると永劫回帰の思想が突きつけられてもう少し重苦しくなるだろう。月に1冊ずつ、という目標をクリアできるよう、しかし楽しみながら努めよう。
2009.01.25
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走墨の新年会&書き初めがあった。それぞれ新しい年の抱負や志や願いを書いた。信、和やか、気、心、愛・・私は、太い大きな筆で"動"と書いた。行動、運動、感動。心身ともに動くことを心がけたい。印をどこに押そうか、まだ迷い中・・・
2009.01.24
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気づくとダンスを一緒にやっていた人は次々といなくなってしまった。みんなみんなダンスをやめてしまった。気づくとひとり、ごつごつとした岩場に取り残されたような気持ちになる。私にとってダンスのやめ時ってあるのだろうか?全然思いつかない。芝居はやめられたし、未練はまるでないけれど。ダンスのやめ時もそのうち来るのだろうか?身体が枯れるか、心が枯れるか。ダンスは私にとってルーティーンであるべきことであり、同時に革新でもある。踊る。踊ること。一体何が変わるというのだろう。何を生み出すというのだろう。そこには何もない。生きて、在る、感じる。それこそ言葉ではない世界だ。絵のほうがまだ言葉に変換され得る気がする。ダンスでやっていること、感じることはしばしば言葉を超える。絵のように対象物はないからかもしれない。残るものではないし、踊っているそのときの生の感覚が全てだからだろう。夕食のシチューを煮込んでいる間、CDから流れる曲に合わせて部屋で踊っていた。とても楽しく嬉しく。ダンス。ダンスが好き。何だろう?ダンスは生きていること、生きている悦び、そのものだ。昨年はダンスが出来なかった、と嘆いていたが、気づいた。私は例え踊っていなくてもダンスと共にある。走墨では"瞬"の文字でダンサーを描いた。筆というシューズをはいて、墨という衣装をつけ、紙の上で踊る。そして心はいつも踊っている。
2009.01.22
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1月3日先日ふと出てきたキーワードは"serve"。それから、あらわす、露にする、表に出す、打ち出す、表現する、露出する。初夢はダンスの夢だった。あるクラスにいるけれど、スタジオに入りきれなくて、それでもスタジオの外でガラス越しに見ながらレッスンしている。仲間がいて、ダンスや舞台のことをやっている。懐かしく、哀しくなる。ダンスをやりたい。何故"絵"なのだろう。ダンスと書くことがやりたいのに。グラフィカルな人ではないのに。1月10日2008年は思いがけず、描くこと、デザインすることのほうに傾いた。ダンスをやりたいのに、と思いつつもグラフィカルなほうへ導かれたし、出会いもあり、アドバイスもあり、気づきや自覚、チャンスもあった。それは私の特性なのであろうから、認めて、より磨いて、持てる力をアウトプットしていくべきなのだろう。生きて、同時代を共有している人との出会い、時間、機会を大事にしようとしたのが、いい方向へ行ったと思う。動き出し、道が少し見えてきた。それに比べ、ダンスはどうにも発展しなかった。行き始めたけれど、うまく行かなかった。身体づくりも停滞しているので、今年はまた動き出したい。踊りたい。身体づくりをまた一から。今年は健康、身体のことは大きなテーマとなる。2008年に、自分の不整脈のこと、病気のおばのこと、身近な人に何人か脳腫やガンが見つかったり、鬱だったり、その人たちを励ましたり、実にさまざまな機会に身体や健康や死について考えさせられた。1月11日今日は残りの年賀状を書いている。筆を握って1枚ずつ書いていると、父のこと、祖父のことに自然と思いをはせてしまう。こうして筆を握り、絵を描いたりするのは、父と祖父からの必然的な流れなのではないかと思い至る。giveされたもの、giftであり、これから私がserveしていくべきことなのだろう。1月12日内面磨きはどんなにやっても終わることはないが、とりあえず外へ外へ。表し、アウトプットし、外面も意識しよう。常に流れ、今の一瞬を生きる。風のように生き生きと、流動的で自由で、時空を踊る、そんな存在。瑞々しく、強くしなやかで、重くもなく軽くもない、鮮烈な、存在。1月13日昨年私が心がけていたこと。同時代を生きている人に会うこと、見ること。苦しいときでも、無意識でもいいから少しでも進むようにすること。マイナスイメージにとらわれそうになるときは、いいこと、楽しいこと、好きな周りの人のことを考えること。この3つのことは自分にとてもいい影響を与えた。我慢する方向ではなく、前向きな方向へのセルフコントロールだろう。1月19日フィジカル。外へ表れ出るもの。生み、形づくるもの。成果と評価。今年はそうしたものを意識したい。
2009.01.20
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私はひどくのんびりやで、なまけものなので、なかなか物事が進まない。2008年はそんな自分に鞭打つつもりで、「今年一年で人生終わり!」というくらいの意識でいようと、1枚に12ヶ月が載っている小さな小さなカレンダーを1枚持ち始めた。予定は米粒みたいな小さな字で略語で書き込む。1日が終わると斜線で日にちを消しこんでいく。その月を代表するキーワードがあれば、それを余白に書き込んでいく。1年間を俯瞰しながら、1年の流れを意識しながら過ごした。これは非常によかった。やろうと思っていたことがガンガン出来たわけではないが、むしろ過ごした時間の充実度をより実感する方向で役立った。今年も同じようなカレンダーを1枚、いつも持ち歩くノートにはさんで、まだ真っ白に近い1年を、わくわくしながら日々眺めている。
2009.01.13
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遅ればせながら昨年の振り返り・・・2008年は本当にいい年だった。前半は大変だったけど、それがためによりがんばったところもある。前向きに前向きに考えたり発言したりできるようになったし、耐性も強くなったと思う。それらはプラスなことだ。1月、マイナスエネルギーとの闘い。2月、ひどいストレスから不整脈になってしまい、医者でニトログリセリンを処方されたときには一瞬心臓病のことから死まで意識してしまった。しかしそうしたことにより、生の輪郭がくっきりするのはいいことだ。そんな思いをした2月。バレエをなんとかやり続けたかったが、うまくいかなかった、2月。3月、母と姉と伊豆下田へおばたちの見舞いを兼ねて小旅行に出かけた。病気のおばたちに会うのも最後かも、と思いつつ。個人的に始めた仕事、まだぜんぜん出来てないけれど、そのことで動いた、4月。新しいことも一歩進んだ。いろんな面でアクティブだった5月。車のある生活になった。これは大きいことだ。ずっと個人的に話したいなあと思っていた人と会って話すことができた、5月。ひどく高揚した。6月は大変だった。体調も崩したし、うまく行かないこともあった。2008年の中では暗黒月だった。会社では社長が倒れて入院し、小さな事務所なので仕事もきつかった。7月はきつい状況下、同時にそれでも自分は動き続けていて不思議だった。予約してあった女子世界バレーの日本×ブラジル戦を見に行ったり、舞台のちらしデザインを引き受けたり、MSaitoさんにも初対面できた。8月、TVでオリンピックを見たり、遠出はせずに都心のホテルのプールでプチバカンスを楽しんだりしてちょっとのんびり、ほっとしたような気がする。本当に2008年1年のひと休みだったのかも。走墨作品展の作品づくりをした。9月は作品づくり。10月以降は怒涛のような3ヶ月だった。引き続き作品づくりの10月。デザインフェスタの準備もぼちぼち始めた。11月は、走墨作品展、デザインフェスタ参加。いろんな人が見に来てくれたり、新たな出会いもあったり、刺激的だった。自分の特性、方向性などをとても考えさせられた。名古屋に★さんに会いに行った、11月。11月の終わりには友人と高尾山に登った。急に引越しが決まり、それに追われた12月。引越しは物との関係性や住まい方、価値観などを見直すいい機会になる。それに2008年後半にかけ、いい気流に乗れた感じのところへ、ここに来て引越しというのは、2009年さらに上昇していけそうな予感をいやでも感じてしまう。そうだといいな。本当に本当にいい一年だった。いろんな人にいいアドバイスやエネルギーをもらえて感謝・感謝。本当に人に恵まれてるなあ!と嬉しくてありがたくて。それは私にとってお金では買えない貴重な財産だ。
2009.01.13
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12月21日新しい風景。東風がひとしきり強く吹くと、隣の大学のグラウンドの木々から一斉に枯葉が散り、一帯を吹雪のように覆う。向かいの家の屋根に、ルーフバルコニーに、葉が散り、ダンスを舞う。ここ3階ではバルコニーの前に大きな木があり、その枝々に鳥がやってきて囀っている。こんな近くで、鳥の目線の高さにいる。バルコニーからは空は広い。木と空。私の好きな風景だ。グラウンドでは若者がホッケーとサッカーの練習をしている。喚声が聞こえる。明るく健康的で、ひたむきで、エナジーに満ちている。ちっとも騒がしくない。プラスのエナジーをもらえる。大いなる風の音を聞く。木々のざわめきを聞く。窓からはいつも木が見える。昨夜は久々に飛ぶ夢を見た。架空の街だけど、一応西新宿らしい。ビル群の上を飛んでいる。何度も曲線を描きながら、降下してしまうたびにぐーんと上昇して、なるべく高くスムーズに飛ぼうとする。私は飛んでいる。1月10日部屋の窓からはよく晴れた空と木、雲、光。ほとんどそれしか見えない。絵や写真を飾らなくても、1つの大きなパノラマ画が広がっているよう。とてもいい。夕方になったら空のグラデーションに、木のシルエット、そして宵の明星が孤高の光を放ち、本当に美しかった。1月11日この部屋にいると、一日次々とさまざまな表情を見せる空と雲と日の光、そして木のたたずまいが存分に楽しめる。今は暮れてきて、淡い水色の空にブルーグレーの雲がわたわたと広がっている。地平に近いところはオレンジ色ににじんでいる。木々がシルエットとなってきた。雲はゆったりと流れていく。
2009.01.13
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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い致します。12月に引越しした。引越しは思いがけず急に決まった。引越しと言っても同じアパートの2階から3階へ。ただ上に移るだけだから、と気楽にいたのだが、引越しやさんを頼まず特に会社を休むわけでなく引越すのは案外長引いて、予想以上に大変だった。夜中に作業したり・・持病の腰痛が出たり・・引越しメインの土曜日には姉と友人が手伝いに来てくれ、大きなものはこの日に全部運ぶことができ、感謝・感謝!この日はすでに腰が痛くて全然使い物にならない私(^^;)年末に元の部屋の最後の掃除をした。床材をはがし、掃除機をかけ、壁のほこりを取り、窓も畳も柱も拭いた。7年前にここに越してきたときのことを思い出したりしながら。最初の晩は、何もない部屋にコートにくるまって寝た。その何にもない状態に戻していく。あの頃は大変な時期だった。この部屋にお世話になったな・・感謝の気持ちで畳を全部拭いた。押入れの中も拭いた。もうお湯が出ないので、12月の夜の水仕事に手ががさがさになったけれど。大家さんに引き渡したら、結局ハウスクリーニングが入ったり、或いはかなりリフォームされたりしてしまうのかもしれないけれど。でも、"立つ鳥跡を濁さず"。いい言葉だなあとこの言葉をかみしめながら、黙々と掃除した。いや、実は黙々とじゃない、土屋アンナのCDをかけながらの作業だった。こういうとき、ロックはいい!元気が出る。ずいぶん助かった。怒涛のようにいろんなことのあった2008年の、締めくくりはさらに怒涛のような突然の引越しで幕を閉じた。今は新しい部屋から、新しい風景の見える部屋からあけましておめでとうです!素晴らしい年だった2008年、2009年はさらに高い視界でいられるといいなあ。
2009.01.12
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