松木幸夫 ギタリスト的思考

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Jan 22, 2010
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カテゴリ: 音楽
 練習して練習して、その量と反比例するように演奏の質が低下すると云う現象。

 それをスランプと呼ぶのか、壁と呼ぶのか、そんなことはどうでもいいことだ。

 何故そのような状況になるのか。

 その理由は人それぞれによって違うのかもしれないが、僕が知る限り人それぞれの奥底に、ある共通の原因があるように思われる。

 その原因は、スランプになる人は自分のことがよく見えていない。つまり自分を知らないのだ。だからスランプや壁を乗り越えるためには己を知ることが何よりも肝要である。

 などと書くのは、誰でもできることである。

 勿論、己を知らないから壁にぶち当たるのは当たり前のことであるが、自分は自分自身を知らないと云うことに気がついても、では、さてどうすればいいのかと云うことに関しては何も答えを与えてはくれないものである。

 練習して練習して、しかしその割に上手くならず、次第に自分はいったいどう練習すればいいのか分からなくなっているような演奏を聴くことが、それは発表会だけでなくコンサートでも聴くことができる。

 僕が知る限り彼らの一番の問題点は、練習しかしないと云う点である。それが楽譜に書かれた音楽であっても楽譜に書かれない音楽であっても、只ひたすら練習だけする人の演奏は、まるで袋小路に入り込んで出口を見失っているかのように聴こえる。



 例えば、楽譜に書かれる種類の音楽で音楽の流れを見失うと云うことは、殆ど楽譜を見ないと云う状況で起こるものである。

 楽譜を見なくなると、初めに記憶から消えるのは、表情記号または強弱記号である場合が多い。

 次に横の流れを見失う。

 音楽の構造を見失う。

 ものによっては、旋律を見失う。

 その結果、演奏行為と云う表現形態だけが残るのである。

 だからそのような境遇に苦しむ彼らは、何をしても満足できずに、とにかく自分の身体を痛めつけるように全力で音楽にぶつかるような表現手段に出るようになるのである。と、僕には思われる。

 過去の自分に縛られたり、好き嫌いだけで練習をしたり、テキストなどをしっかり読まなかったり、そんな方法とおさらばすることができれば、案外とあっさりと袋小路の出口が発見できて、さらに次の段階への道筋を見つけることができるのかもしれない。





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Last updated  Jan 22, 2010 05:35:51 PM


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