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軽く短く伝えられないことなので、長く重く書く。
おじいちゃんおばあちゃんと認知症のこと。日付+の日記という表記に埋もれさせつつ、いつか自分が母や父と向き合う時に読み返したいと思う。
きょうの朝6時くらいに目が覚めると、階下でおばあちゃんがなにか言っていて、降りていくと足をどこかにぶつけたのか、足が痛い痛いといい、おじいちゃんが精一杯なんとかしようと指先に養生テープを貼っていた。おじいちゃんも精一杯だけどやはりもう89歳なのでどこか外れてきている。
それからずっとおばあちゃんは、単語は日本語だけどつながりが意味不明の言葉をずーっと話していた。聞き流すのも違うと思い、一言一言落ち着いて聞いて、捉えて、ひとつひとつ理解しようとするんだけど、僕が言葉を繰り返して意味を尋ねると、キョトンとした目でこちらを見ながら3秒前に言ったことをすべて忘れている。
どうやら僕をお医者さんか看護師さんと勘違いしているようで、孫というのも子というのも、概念そのものがそもそもわからなくなってしまっている。ひとしきり話すと今度はティッシュを1枚掴んでトイレに行こうとする、よく汚してしまうので、お手洗いの時にはトイレのペーパーがあるからそれを使うようにねと言うと、それがわからない。トイレの場所もわからないので連れて行くと、もういいという。
今度は湿布を一枚掴んで玄関から出ていこうとする。お医者さんに行くとのこと。いまは日曜の早朝で、病院はやっていないよと言うと、得心がいかない様子でそれでも外に出ようとする。僕が玄関を出たところで「保険証なんかは持った?」と言い、無いと診察受けられないよと重ねると、そんなことはないと湿布をぐいっと前に出して見せてくる。これを見せれば大丈夫だと。僕が「ひとまずお金もないし診察券取りに戻ろう」と言うと、不承不承部屋に戻って今度は眠り込んでしまう。
おばあちゃんの目がさめた瞬間に確定する性格は6種類くらいあってそれがくるくるランダムで出てくる。どんなに短い睡眠でもきちんと次の目は出てきて、それぞれ別人のおばあちゃんになる。
悲しいときはもう生きているのもつらいというように泣いてしまうし、意味の不明瞭な言葉を言いながらケタケタ子供のように笑うこともある。かんしゃくを起こす時はびっくりするくらい全身で憎しみを込めて何かをしようとするし、機嫌がよくて元気いっぱいのときがあると思えば、今度は全く無気力で歩くのも立つのも座るのも寝るのも億劫というように目をつむってすべてを拒絶してしまうときもある。
周りはそれに驚くのにも疲れ、仕方なく結果として振り回される。
できるだけ朗らかに穏やかにという方向性と、目上の方に向き合う姿勢として真正面から相手にすることで、やっぱり振り回されて精神的に追い詰められていく。
でも、それでもおばあちゃんだ。
僕を小さいときからかわいがってくれた大好きなおばあちゃん。
下の世話をしたりお風呂に入れるのは、実家にいる週末だけのことだしそこまで大変じゃない。
慣れていくけど、ぎょっとするようなことが時々起こるのがつらい。
面と向かって知らない人だと思われることにも慣れたし、敵意を剥き出しになにか大きな声を出されるのも慣れてきた。
それでも、おばあちゃんには何もわからないまま料理をして僕を(孫を?)もてなそうという方向性だけが強固に維持されていて、とんでもない行動を取ることがある。
誰も悪くないし、どこにも悪意はないけど、結果として火災が起こりかける。
心臓に悪い日常だ。ギュッと締め付けられるようになる。
これが始まったのは3年くらい前か、その頃は新潟で暮らす祖父母の家に、祖父母の息子である父と一緒によく通った。東京新潟を日帰りしたこともあったと思う。
掃除ができなくなり、少しづつ生活環境が難儀になる中で、おばちゃん一家も精一杯サポートしながらおじいちゃんたちは暮らしていた。
新潟についた日の夕方、おじいちゃんは最近お腹がよくくだる、歳のせいか、腹がゆるくなったと言っていた。
「それは、便秘になっちゃうよりいいよ」と言いながら、食卓に並んだおかずを見た時に、その理由がわかった。おじいちゃんが糖尿病になっているためおばあちゃんは健康にいいおかずを多品目、食卓に並べるのが常だったんだけど、そのうち半分が腐ってしまっていた。いつ頃からこのトマトはあるのか尋ねると、よくわからないとのこと。悪意はないし思いやりしかない。でもその選択が食品の管理を大変にしていた。
おばあちゃんと認知症とが細くてかすかな線として結びついたのがこの頃。
帰りの車で、おじいちゃんおばあちゃんのこれからの話しを父とした。
それから半年くらいで両親と祖父母の二世帯住宅が始まった。
祖父の家の物置の骨董は、そのめぼしいものの多くをひどい古物業者が二束三文で引き取っていき、残ったのはたくさんの空き箱や包装の類や、がらくたと呼んで差し支えないような大量の物だった。最終的にゴミがトラック10台近く出たと思う。本当にたくさんのものを捨てた。
祖父母の家自体は、ご近所の方の息子さん夫婦に買い手が見つかり、あっという間に片付いた。
しばらくしてから、お兄ちゃん一家も実家の近くに引っ越してきた。
そこからじわじわおばあちゃんの状況は進んでいった。
ときどき変な感じになってしまうのが、週に1日になり、それが2日になり、僕も覚悟が決まっていった。
おばあちゃんじゃなくなるというのが、普通になった。
ときどき戻ってくる昔のおばあちゃんにはもう何ヶ月も会っていない気がする。
そんな中で一番大変かつ日常的にそんなことに付き合い続けているのがお母さんだ。
おじいちゃんの何度も繰り返し同じ話をしているのを聞きながら、おばあちゃんのお世話をしている。
お母さんも中年から老年になりつつあり、きょう一緒に車に乗っていた時、赤信号を一つ見逃しかけた。
僕なんかには抱えきれない大変さを抱えつつ、それを嘆くことも、他人に代償を突きつけることもなく淡々と暮らしている。
僕には真似できない。
おそらくすぐに途方に暮れてしまう。
だから、恐れに近い尊敬を感じる。
結果として、2〜3年前から毎週末は実家に帰ってきて、非力ながらできる限りのことをしている。
両親のしていることに比べたら、本当に些細なことだ。
ここまで書いて少し気が楽になってきた。
一緒に笑い合ったり、ひ孫(僕にとっての甥や姪)を2人でかわいがったり、日向ぼっこしながら草むしりをしたり、一緒にテレビを見たり、朗らかで穏やかな時間もある。それらを拾い上げて、ひとつひとつ集めてみる。これは人の思い出し方として悪くないやり方だと思うと同時に、それだけに塗りつぶしてしまうことに罪悪感を薄っすらと感じる。
こうやって週末が規則正しく僕の日常に楔のように打ち込まれていく。それがヤッチャバを引き継いでからの日々だ。僕もおじいちゃんと同じように、なにかに没頭することで家族から目を背けていたのかもしれない。そしてもう、家族のことから目をそらすのはやめた。
はー、長く書いたな。
さっき、夜中に嬉しそうにおじいちゃんが家系図が完成したと僕に言ってきた。
おめでとう! お疲れ様でした! と言うと、聞こえていなかったのか、今日帰るのか? と聞かれた。
僕は明日にするよ、と答えたのだけど、おじいちゃんは寒い中大変だろう気をつけてなという。
こういうちぐはぐな感じに僕は少し笑ってしまうのだけど、おじいちゃんおばあちゃんとの日常はいろいろちぐはぐだ。それはおそらくおじいちゃんたちも小さい頃の僕に感じたことで、そんなに悪くないな、とも思う。
わー、もう一時過ぎちゃったか。
今日はそんな感じでー。