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ランチの後、紫式部邸宅跡とされる廬山寺、桔梗が咲いてる。先ほど京博の1階で見た如意輪観音半跏像はここの所有だけどお坊さんに聞くと、正確に言うと継承した寺のものだそうだ。鎌倉時代に四天王寺のを写したけど四天王寺のは消失、先代の頃四天王寺から譲って欲しいとの申し出があったとか。御内仏殿(本堂)の重文阿弥陀三尊像も重文。ぐるっと東に回ったところに森のようになった史跡御土居の跡が。京都御苑に行ったら、仙洞御所・大宮御所の庭園の参観が当日受付中。最終の15時半の回に滑り込めた。もっとも混むのは藤の季節らしい。仙洞御所は上皇の御所、東京に上皇陛下のお住まいがあるから京都仙洞御所という。建物はなく松林になってる。大宮御所は皇太后の御所、こちらは建物が残ってる。来たのは2回目かな。手入れがすごい。悔しいけど栗林公園とは比べものにならない。近い将来入場料を取るようになる可能性がありそうだけど、当分の間は外国人さん向けに、茶室でのお茶付きで100ドルから初めてはどうだろうか。
2023.06.24
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昨日は雨があがったので朝から東山に広大な境内を持つ智積院へ。五百佛山 根来寺 智積院、新義真言宗の一つ真言宗智山派の寺。金堂の裏手にある紫陽花を見る。ここは無料区域。300円払って講堂と名勝庭園。庭園は「自然の地形を巧みに利用したる桃山時代書院庭園の好適例なり」と評される。その後4月に開館したばかりの宝物館500円。こんな小さな宝物館に平日に関わらず人がそこそこ来るのは等伯親子の障壁画だからこそ。京博に寄って、特集展示 茶の湯の道具茶碗と新収品展。重文は銘毘沙門堂・割高台茶碗(畠山記念館)、銘ムキ栗(文化庁)・水仙文茶碗(天寧寺)。その他の考古と金工と仏像の重文は常設展なので省略。国宝は名品ギャラリーに、剣 無銘(金剛寺)・金銀鍍宝相華文透彫華籠 16面のうち平安と南北朝各1面(神照寺)・万葉集 巻第九残巻 藤原伊房筆(京博)・古今和歌集 巻第十七残巻 伝藤原行成筆(曼殊院)・手鑑 「藻塩草」(京博)。
2023.06.24
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長浜をブラブラ散策してると由緒ありそうな門を発見。無礙智山大通寺(長浜御坊)、真宗大谷派(東本願寺)の別院。この脇門(市指定文化財)は山内一豊が城主時代の長浜城の大手門の遺構とされる。重文が、大通寺本堂・広間・含山軒及び蘭亭。名勝が大通寺含山軒および蘭亭庭園。本堂や大広間(落語会の開催でチラ見だけ)は伏見城の遺構と伝わる。本堂は言い伝えでは、伏見城の殿舎で、秀吉が朝鮮侵略の軍議をしたところ。徳川家康が本願寺教如に与え、教如はこれを東本願寺の御影堂とした。徳川家光から資材を賜り御影堂を新しくした時に旧堂を大通寺に移し本堂としたとのこと。
2023.04.10
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昨日は朝から高速バスで三宮経由大阪。うどんを食べた後、雨の大阪造幣局の通り抜けへ。ソメイヨシノじゃなくて八重桜なので今が見頃!旧造幣寮は史跡指定されている。造幣局内には、造幣局旧正門建物・ガス燈、造幣局用地境界石標・淀川河畔の護岸石垣があるようだ。一方、重文指定のうち、造幣局旧正門は造幣局内にあるけど、旧造幣寮鋳造所正面玄関と泉布観は重文指定は北側の大阪市所有の公園内にある。泉布観は、造幣寮の応接所として建設されたものである。イギリスの古典的なコロニアル式。旧造幣寮鋳造所正面玄関。どこまでが重文かは分からないが、中でフレンチが食べられるようだ。雨なので、ネット予約はがら空きになったけど、そこそこ混んでた。傘があるからにぎやかそうに感じただけかも…(笑)。
2023.04.08
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昨日は朝、春がすみで空が白かったが晴れて青くなりそうだったので特別名勝栗林公園へ。春休みと桜、周辺の駐車場は満車〜。でも桜は咲いてるが私がテーマとする塀や建物と花、なんかは撮れる場所が少ないなぁ。ガイドが高松藩主になった頼常を水戸黄門の子だけあって善政を行ったと説明していたが、そうか?倹約を強いただけじゃなかったのか?親の光圀は水戸藩政を貧乏にした原因を作っただけだし(笑)。観光客が多いし、前撮りが何組も。幸せなのは分かるが同じ場所で長時間何人もが占領するのは勘弁して欲しいな(笑)。30分ほどで周遊する和船も運行されている。借景(背景)の紫雲山も園域なので名勝としては日本一の広さ。
2023.04.01
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昨日は雨は止んだが空は白っぽいなか朝から渉成園(枳殻邸)に。9時に開門に40分以上早くも着いたので、東本願寺へ。親鸞聖人御誕生八百五十年の慶讃法要が行われるため華やか。8時半オープンの親鸞が得度をしたときに使われたと伝わるカミソリを見る。渉成園(枳殻邸)は、東本願寺の東徒歩3分ほどにある飛地境内地(別邸)。石川丈山によって書院式の回遊庭園として作庭される。陶淵明の「園日渉而以成趣」から採って渉成園。枳殻を生垣にしたことから枳殻邸。昔は東本願寺で無料で許可証のようなものもらって入った記憶が残るが、今は維持料500円がかかるが24ページもあるカラーの小冊子がもらえる。
2023.03.26
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昨日は朝から紫野の大徳寺。龍寶山と号する臨済宗大徳寺派の大本山で鎌倉時代末期の正和4(1315)年に大燈国師 宗峰妙超が開創。冬みたいに寒い。雪が屋根に積もってるし、ときおり舞ってる。でも京都なら許せるなぁ。京の冬の旅の予約時間は10時なのにせっかちなので9時過ぎには着いた。雪の中、塔頭が立ち並ぶ広大な史跡指定の大徳寺境内を散策。後醍醐帝の庇護を受け、五山に数えられたこともあったが、足利氏との関係から離脱、林下の代表的寺院に。応仁の乱で荒廃後に一休さんが復興。戦国期には秀吉初め諸大名の帰依を受ける。三玄院に15分前くらいから並んでる人がいたので並ぶ。人気のようだ!50年ぶりの一般公開。開祖は大徳寺111世の春屋宗園。浅野幸長・石田三成・森忠政による創建。法堂が借景の「昨雲庭」と原在中による襖絵「八方睨みの虎」が見どころ。等伯の絵も墓地も見たかった。先頭の人は添乗員さんで19人の団体客がやがて来て混雑。出たときも並んでる人がいた。敷地内で写真が撮れないのが残念。大徳寺は明治期に寺領を失い塔頭の縮小を行ったが境内は良好に維持されてる。
2023.02.27
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醍醐寺、国宝唐門。美しい!でもこれを見たくて来たわけではない。醍醐寺の開山 聖宝は、天長9年(832)塩飽諸島の本島に生まれた。現在は世界文化遺産にして史跡。京の冬の旅で初公開される塔頭の別格本山理性院を目的に来た。80年に一度の秘仏は生きてる間に見られないけど、重文の平安後期の不動明王坐像を拝観。客殿には、狩野探幽の18歳の作とされる水墨山水図。コミュニティバスは2回乗ったらお得なので、随心院にも行った。真言宗善通寺派の大本山。拝観せず小野小町の井戸を見て満足した。随心院の境内も史跡、範囲は不明たけど…(笑)。
2023.02.26
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福山でちょっと時間があったので、鞆の浦とどっちにしようと迷ったが、便数は少ないが距離が近い神辺駅へ。山陽道の宿場町。水野氏が福山城を築く前に入城した神辺城も捨てがたかったが、丸亀城より高い100メートルの山を登る自信がなかったので街道の散策だけ。途中にあった本陣が立派。日時限定で公開されてるっぽい。街道沿いには、古い建物も残るが、割合としては半数以下になってるかな。まぁ古い建物を活かした街づくりで成功してるのは、飛騨高山、川越、あとどこだろう?妻籠!内子はかなりランクが下かな。特別史跡の廉塾並びに菅茶山旧宅は、かなり大掛かりな修理中。地元ボランティアによると10年くらいかかるかもとのこと。江戸時代後期の儒学者・菅茶山(1748~1827)は神辺の酒造業を営んでいた東本陣に生まれ。京都で朱子学を学び,帰郷し「廉塾」と呼ばれる私塾を開いた。全国から常時20人ほどの塾生が学び,頼山陽も塾頭を勤めていた。建物はそんなに立派に見えなかった。だから史跡なのかな!神辺宿ももう少し早く保存に努めてれば景観として立派だったのに。ただ、それで人が集まり活性化するかどうかは別物…。
2023.02.06
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昨日は朝から曇り空のもと京都御苑。皇室財産は文化財とかの指定がなされてなかったけど、最近は三の丸尚蔵館の所蔵品が国宝に指定されるなど変わって来た。広い御苑を散策。12月も半ばを過ぎたが、まだまだ紅葉も楽しめた。四親王家の一つ閑院宮邸跡。新井白石に建議によって起こされた宮家。東門、長屋門、門番所、主要4棟が残り見学施設になっている。入場無料。五摂家の一つ九条家遺構の拾翠亭。庭と茶室が残る。入場300円。予約不要になってた御所。入場無料。荷物チェックを受けて首から下げる番号が入ったネームプレートをもらう。9時から開いてて10時で番号は95番。ぐるっと一回り。御所の建物は比較的新しいから国宝は無理として、重文には指定されても良いだろう。史跡、名勝の指定板もなかったけどこれらの指定もまだなのかな。
2022.12.18
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昨日は、宝物館で目的の国宝を見たあとは平泉でゆっくり史跡巡り。中尊寺自体が世界遺産にして特別史跡だけど。義経堂でお参りのあと、史跡柳之御所遺跡に。ここは人っ子ひとりいない。元々は民家かあったらしいけど。遺跡って整備するだけでは儲けにならないし維持費がかかるだけ。次は特別史跡の無量光院跡。少しは人がいる。私は田舎の観光は一見さん対象主体にと考えるが、発掘が進む現在、ストーリーを作ってニッチなリピーターを増やすことも大切だろう。リピーターが発信するようになれば最適。平泉の寄るべきスポットとされる特別史跡・特別名勝の毛越寺。中尊寺ほどじゃないけど人が多い。紅葉も始まってる。中尊寺と毛越寺を核にいろんなとこを見に行かせる工夫が大切。遣水と常行堂辺りの紅葉が進んでる。圧縮効果のある望遠レンズが欲しいところ。次に毛越寺隣の特別史跡・名勝乗観自在王院跡。境内跡は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」の一部として国の特別史跡、庭園は「旧観自在王院庭として国の名勝に指定されている。キャッチボールをしてる子供がいる程度。池が毛越寺と違って土造り。毛越寺との間の車宿跡は見もの。最後が史跡・名称の金鶏山。でも史跡一覧にないし案内板もなかったけど…。黄金鶏の伝説の山。この山に太陽は沈むことを踏まえて町が造られていた。世界遺産の構成資産としては、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山となってる。
2022.10.23
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先月17日に文化審議会が史跡指定の答申を行った。讃岐遍路道に札所の志度寺境内が追加されることとなった。で久しぶりに志度寺にお参り。塔頭の源内さんの墓を拝んだ後、重文の仁王門を入った境内は鬱蒼とした森。私は文化財や史跡が好きだ。維持や街のためにも指定によって訪れる人が増えれば良いなぁとは思っている。でも価値を損なうような活用には反対である。先祖から受け継いだものは子孫に残すものであり我々の世代だけで消費し尽くすものではない。元々世界遺産登録の前提としての史跡指定なんだろうけど、付け焼き刃というか泥縄というか。指定されてて保護・活用されているものを推薦するんじゃないのかな。いろんな考えはあって良いが、世界遺産イコール観光という本質でない捉え方の方々が多いのではないかな。志度寺には重文建物や「絹本著色志度寺縁起」もあるし、文楽の舞台でもある。史跡指定は当然と思うけど、どこか納得がいかない。
2022.07.03
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昨日は朝から、近鉄新大宮駅で降りて特別史跡・特別名勝平城京左京三条二坊宮跡庭園へ。ダブル指定は全国に10件程度で珍しい。大宮通りに面し長屋王の邸宅の南に当たる。一言で言えば奈良時代の庭園の跡。状態がよく発掘されたため、日本古代の庭園の姿を伝え、意匠・作庭技法を知ることができるなど、学術的・文化的価値が高くダブル指定となった。観光化されてないと言うより誰にも知られてないスポット。私の他には管理人のおじさんだけ。平城京跡からも興福寺からも法華寺からも微妙に遠い。史跡って想像力の世界のものだから知識がない人にはちっとも興味がわかないし面白くない。それで国・県ともに復元建物に金をかけているけど観光には繋がってないような…。
2022.05.16
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昨日は、加茂町まで来たので、2キロほど歩いて、史跡恭仁宮跡(山城国分寺跡)。加茂町(今は木津市に合併)は奈良県に隣接してるけど京都府。加茂盆地は北から瓶原、加茂、当尾と呼ばれ、三つの地域で加茂町だった。「加茂」は、古代の神事を司る賀茂氏に由来するといわれる。天平12(740)年聖武天皇は行幸の後、平城京に戻らず、瓶原に造営されていた恭仁宮へ遷都。高くなってる基壇が大極殿跡。5年の短命な都で跡地には山城国分寺が営まれ、この礎石群は国分寺の七重塔跡と言われる。ということで今の史跡名になってたそうだ。
2022.04.17
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昨日は、雨模様だったので手近な75番札所総本山善通寺へ。国史跡「讃岐遍路道」に善通寺境内が指定されてるので、史跡指定の看板か石柱を探したが発見出来ず。東院の善通寺旧境内が県指定史跡である旨の案内板のみ発見。 まぁ東院から西院に行ってまた戻って端から端まで歩き回ったから史跡に触れてるのは間違いないだろう。小雨も降ったので香色山は省略したけど山のみが指定なんてマニアックなことはないだろう。 小学校の校歌に唄われた「杼樟の老木」はこの木のことかな? 県指定が国指定として遍路道に組み込まれたのかもしれないし範囲が拡大されたのかもしれない。まぁ遍路道の指定自体が世界遺産を目指すための苦肉の策という不純なものだし、世界遺産を目指すのも経済優先という文化に対する冒涜みたいなものだから史跡指定が軽視されるのも当然と言えば当然か。
2021.06.13
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昨日は史跡讃岐遍路道のうちの長尾町の大窪寺道を目指した。 道の駅ながお向かいの「おへんろ交流サロン」で情報を仕入れる。「大窪寺道」は八十七番札所長尾寺から結願の大窪寺までの約15.6kmの遍路道のこと。そのうち史跡指定は、県道等に寸断され細切れに8箇所、距離わずか1.5kmだそうだ。 県道沿いに旧へんろ道の案内の矢印が設置されて分かりやすい。 ほんのちょっとだけ歩く。丁石はそこそこ残っている。 大窪寺の途中には18世紀後半頃の農家である重要文化財の細川家住宅もある。 結願の寺、大窪寺はコロナ禍のためか人は少なかった。 秋には史跡大窪寺道のマップが出来るそうなので再挑戦したい。私は香川県庁他が主導する経済優先の遍路道の世界遺産指定を目指すことには反対であるが、史跡保存には賛成である。
2021.06.07
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昨日はうどんを食べた後、志度町末の松平家菩提寺日内山霊芝寺にある高松藩主松平家墓所。案内板は志度町教育委員会が設置してるけど、史跡指定の所在地では長尾町造田乙井字北山田となっている。まぁ奥之院の所在が造田乙井らしいから間に町境があるのだろう。 裏山を少し登ると高松松平藩2代藩主頼常と9代藩主頼恕の墓所に向かう石段がある。水戸家の出身の2人の藩主の墓は、仏生山法然寺の墓所でなく儒教方式でこの地にある。 石段を上まで登る。扉に鍵がかかってて中に位牌所が見える。左に登りの階段があり、頼常公の墓、さらに奥に頼恕公の墓があるらしい。 寺はさぬき三十三観音霊場第十番札所。菩提寺なので御成所があり、山門は先週登城した雨滝城の裏門を移築したものと伝わっている。
2021.06.06
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昨日は、大川町の雨滝城を目指して、車で山道を登り、あと徒歩300メートルの地点まで着いたが、まだ地面が濡れてて滑りそうな上り坂を見て名誉ある撤退。 古墳巡りに切替え、先日たどり着けなかった津田の岩崎山4号墳を川の側の階段から登る。 前方後円墳。畿内と同型の銅鏡が出土したことで価値があるらしい。1号墳は道が整備されてないのでたどり着けない。 次に、鶴羽の赤山古墳。ここは案内板がなく民家の中らしい。それらしい家で尋ねると、どうぞと言われたが、崖のような墳丘は登れず石棺が出たという墳頂を見上げるだけだった。歩いた庭が消滅した前方部らしい。 ともかく9基のうち都合5基過半数達成。
2021.05.24
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昨日は、史跡讃岐遍路道のうち根香寺道。白峯寺から根香寺までの5キロのうち2.3キロが指定。 まずは、白峯寺の石段を本堂まで登り、次に門を出て崇徳陵の石段を登り、お参り。 根香寺に向かう遍路道(四国のみち)に入り、200メートルくらい上り坂を歩き「下乗石」で撤退。 根香寺まで車道で走り、寺の門辺りから白峯寺に向かう遍路道に入る。 この遍路道の史跡指定には世界遺産への登録を目指すという不純な動機があるが、史跡指定そのものは是としたい。 しばらく歩いてここも名誉ある撤退し合計で1割の500メートルくらい歩いたか。大昔の五色台教育のとき全線歩いたから、ま良いか(笑)。
2021.05.10
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昨日は高松市の峰山公園へ。標高約232メートルの石清尾山丘陵上には200基を超える円墳や積石塚等が築造されている。このうち国史跡には、石船塚石塚・北大塚古墳・北大塚東古墳・北大塚西古墳・鏡塚古墳・小塚古墳・姫塚古墳・猫塚古墳・石清尾山9号墳・石清尾山2号墳・石清尾山13号墳・鶴尾神社4号墳・稲荷山姫塚古墳中稲荷山北端古墳・稲荷山南塚古墳・稲荷山南塚北古墳の16基が指定されている。 道路を車で行けるとこまで行くと、小塚古墳がある。更にハイキングコースに入ると昭和9年に最初に史跡指定された石船塚石塚。 更に進み鏡塚古墳、そこからちょっと降ると、北大塚古墳3基が並んでる。 墳丘からは瀬戸内海が綺麗に見える。 車道まで戻り姫塚へ、ハイキングコースに入り最大の長さの猫塚に。 車道を降ってると、石室が見える石清尾山2号墳発見。比較的簡単に発見出来た9基を見て撤収〜あとは先達に解説を聞きながら訪ねたいなぁ。 積石が崩れかけており、保存方法を検討されてるようだけど一つくらいは当初の形に復元してもらいたい。後は現状から崩壊が進まないような保存かな。それにはお金がかかるだろうから、まずは案内板に形状の絵を書いてもらいたい。
2021.05.05
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昨日は晴れたので、史跡津田古墳群に行くことにした。 ネットに津田湾を中心とした数キロの範囲に、古墳時代前期初頭から古墳時代中期初頭までに造られた9基からなる古墳群との説明はあるが、行き方が分からない。 地図が載ってたサイトから、岩崎山古墳を目指すが、近くには来てるはずだけど道が分からない。別方向からもトライしたが、案内板すら発見出来なかった。海から離れた内陸部だけど当時の湾はこの辺りまで入ってたのかな。 名誉ある撤退をし、鶴羽の沿岸部を目指す。3古墳の案内板を発見。近い方から、うのべ山古墳。積石塚の前方後円墳である。ここは横まで車で行ける。 次が30メートルほどのすべりそうな急な小山を登った頂上にある一つ山古墳 。 一番奥が海を見渡すところにある、前方後円墳、けぼ山古墳。ドルフィンセンターの脇を登り、近くまで狭い道を行こうと思えば車で行ける。 やっと9つのうち3つだけ。最近古墳ブームというが、まだまだマイナーなようで初心者にはハードルが高い。
2021.05.04
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昨日は晴れたのでドライブ。天智天皇の時代に白村江の大敗を受け、屋島城・大野城などとともに構築された朝鮮式山城と推定される史跡城山。 まずは城山山頂の明神原から山麓に遷座した延喜式内社城山神社にお参り。御祭神は神櫛別命。 車で頂上の展望台まで登る。 360度の展望。讃岐富士が綺麗に見える。 展望台から南西に下り案内板に書いてある近くにあるであろう土塁を探すも場所不明。車道を戻り明神原の城山神社の元の場所らしい磐座発見。この場所で讃岐国司の菅原道真が雨請をしたという。 そばに古代山城車道の表示が。 しばらくして城門跡の案内につられホロソ石発見。 不動の滝に向かう道沿いに土塁の表示も。 遺構の多数はゴルフ場の中にあるようで申し込めば時期により見学できるようだが、ゴルフ場が休みのときにでも開放して見学会を開催いただければありがたい。
2021.04.26
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昨日は朝から天気が良かったので、琴南町の史跡 中寺廃寺跡へ。 大川山は山桜が綺麗に咲いてる。 西尾根の徳島県との境の道を中寺道駐車場まで車で。急坂の舗装道を徒歩で下った。案内では1.5キロ20分なのに35分でやっと史跡エリアに着いたけど膝が痛い。 平安時代に栄えた寺の跡。細い道を降る願いゾーンをスルーして仏ゾーンに。 大炊屋跡・塔跡・仏堂跡を見学。 降った先にあるであろう祈りゾーンもスルーして中寺展望台に向かい景色を眺める。 帰り道、展望台から駐車場までは、さっき降ったコンクリート舗装のきつい登り坂、何の罰ゲームかと思いながら1時間くらいかかって戻った。
2021.04.11
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昨日も昼から、近場の史跡巡り。大野原町の6世紀から7世紀初頭にかけて相次いで造られた大野原古墳群。 まず、一番古い椀貸塚古墳から。 墳丘の南には、大野原を開墾した平田氏が勧請した八幡宮。東には、讃岐國苅田郡 於神社於神社の論社の一つ応神社がある。二重の周溝(埋められてる)を持つ円墳。 次は、追加指定されたばかりの岩倉塚古墳。かなり破壊されている。墳丘頂部に岩倉大明神という祠が祀られている。 ちょっと歩いて、萩の湯の脇にある円墳の平塚古墳。上部は御旅所になっている。 そして大野原中央公園にある角塚古墳とよばれる方墳。 こんなマイナーな史跡、暑いなか誰もいないだろうと思ってたら、高校生が一人夏休みの課題らしく見学してた。好きな分野を聞くと「昭和」、そうか昭和は歴史だったんだ。
2020.08.16
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昨日は、昼だいぶ過ぎに詫間町の紫雲出山山上にある紫雲出山遺跡に。弥生時代中期の高地性集落。石鏃・石槍・石斧が出土。山上という立地と瀬戸内海を介した交流から貴重な遺跡。 天気が良くて瀬戸内海が綺麗。 天気が良い日の瀬戸内海は一級の観光地。 遺跡館は展示はショボイが景色は最高。
2020.08.13
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昨日は晴れたので、有岡古墳群の6つの古墳の2つ。大麻山の中腹(405メートル)にある野田院古墳。3世紀後半の前方後円墳。 山から降りてきて丸山八幡の境内にあるというより、古墳の上に社殿がのってる丸山古墳に。5世紀の前方後円墳。 行き方不明の、鶴が峰4号墳と磨𦥑山古墳は未見のまま。
2020.05.18
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GWの代休で休み。ほんとは東京の予定だったが飛行機は運休、まぁ東京に行っても歌舞伎も博物館もないからどうしようもないけど。で埋蔵文化財センターに行って、史跡に指定された讃岐国府跡の資料をもらって散歩。 発掘調査の説明会に参加して以来かな。 発掘調査以前から、地名調査により讃岐国庁跡碑が建てられていたところが今回の史跡範囲の北東隅。 このあと崇徳上皇の御所跡の鼓岡神社にお参り。 まだまだ時間があったので県立ミュージアムまで行き、国宝肥前国風土記を見た。何年振りか2回目。
2020.05.16
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昨日は、善通寺市内の喫茶店でモーニングの後、仕事まで時間があったし晴れ間が出たので、近くの史跡有岡古墳群。 まずは前方後円墳で副葬品が発見された王墓山古墳。 次は、そこからすぐの線刻画が発見された宮が尾古墳。 例年ならGWに石室内が公開されるのに…。
2020.05.06
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昨日の昼は、仏生山の法然寺へ。史跡の高松藩主松平家墓所(般若台)を見たかったのだが、門が閉まってたので、外観だけ。 そのうち見学会が開かれるだろうから、そのときに期待しよう。 初代頼重(水戸黄門の兄)、3代頼豊から8代頼儀までの7人の藩主、正室、一族からなる202基の墓が般若台と呼ばれる丘にある。 門から西に向かって般若台まで一直線に伸びる参道はなかなかの見もの。
2020.04.12
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昨日は、讃岐国二宮、大水上神社にある史跡二ノ宮窯跡。平安後期から鎌倉時代にまたがる瓦を焼いた遺跡で窯は、二つある。 第一の窯は「登り窯」。 第二の窯は、畝の部分が水平につくられ「平窯」。 大水上神社は三野郡の財田川水系宮川の渓谷沿いにある式内社で、旧社格は県社。御祭神は大水上大明神(大山積命)・保牟多別命・宗像大神。
2020.04.05
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コロナの影響で遠出が出来なくなったので昨日も近場の史跡探訪。 三野町の宗吉瓦窯跡。瓦窯24基があったそうな。豊中町の妙音寺・郡家町の宝幢寺、そして持統天皇が造営した藤原宮の瓦を焼いたそうだ。 藤原宮の瓦は大和国だけでなく和泉国・淡路国・近江国・讃岐国などから運ばれた。持統天皇が造営した藤原京の中枢建物、藤原宮を取り巻く南面の塀の屋根瓦と同じものが宗吉で見つかったことで分かった。大和朝廷とつながりがある豪族が三野周辺にいたことになる。当時は宗吉の近くまで三野津湾が入り込んでて船で200キロの距離を運んだ。後の平城京では、官窯での製造となり、宗吉も姿を消す。 桜が咲いてるので近所の人が花見をしてる。 隣接する展示館はコロナのため休館。体験を除くと、密閉だけど、人はいないし、話しもしない三要件には当てはまらないのに(4月からは状況をみて開館するらしい)。
2020.03.30
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昨日は昼食のあと、国分寺町と坂出市にまたがる史跡府中・山内瓦窯跡に。登り窯跡は付近に10数基あったらしいが、良好に残るのはここだけ。 窯周辺で讃岐国分寺や国分尼寺で出土した軒瓦と同一の文様をもつ瓦が見つかったことから、両寺の瓦を製造した瓦窯とされた。 付近に案内も何もなく細道で車を置き、徒歩で迷ったけど四国のみち手前の道標と登り窯の覆い屋根を発見。 近くの人によると道の上にも続いてたという。 これで県内史跡9件の紹介となるが、先日3月10日に引田城跡と讃岐国府跡が官報告示されたので、載っけてる引田城跡を含め紹介は10件。県内の国指定史跡は25件、まだ見たことがないのは10件。
2020.03.23
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新型コロナの影響で、国立博物館も歌舞伎座も休業。このままだと気が滅入る。何ができるかな?史跡巡りを思い立った。 で昨日は、聖武天皇の命によって各国に建立された国分寺の讃岐の遺跡。特別史跡讃岐国分寺跡。80番札所国分寺を含む一帯にあり、お遍路さんの姿が見える今の国分寺境内にも塔と金堂の礎石が残る。 史跡の碑は寺の西。寺を囲うように跡地は整備され、近くに資料館もある。 文化庁のリストでは、令和2年3月1日現在、史跡は1,831件(特別史跡62件含む)。訪問には手頃な数字だ(ちなみに国宝は、1,120件)。 香川県内では最近指定された紫雲出山遺跡を含め23件。茶臼山古墳・高松城跡・屋島・塩飽勤番所跡と人名の墓・快天山古墳・丸亀城跡の6件は城のブログで紹介済み。 国分寺から3キロほど北東には、史跡国分尼寺跡がある。 現在は、(浄土)真宗興正派の寺であるが、法華滅罪之寺とある。これで県内8件目。
2020.03.15
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