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2026年09月07日
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いよいよ涼しくなって芸術の秋がやって来ます。自分がリスペクトできる人は貧困層から富裕層にのし上がった人間でも、知性や強要が高い人間でも、コミュ力が高く仕事ができて人付き合いのよい人間でもありません。楽器が弾ける、絵やイラストができる、字が上手な人です。なぜなら努力や生活習慣で能力がつくものではないし、やっぱり自分が全くそれらのセンスがないから、ある意味羨ましさもあります。ちなみにスポーツが得意な人はリスペクトできません。体育会系のノリは、子供の頃より超苦手だからです。ところでタイトルの「大正琴」って何?と思う読者は多いでしょうか。実は私も恥ずかしながら名前は知っていましたが実物は見たことがありませんでした。母はもちろん知っていました。今日は大正琴の紹介をします。次回は大正琴の楽譜の読み方を説明します。楽譜はいわゆる西洋音楽の五線譜はなく、日本人が独自に考案した数字譜を使います。数字譜は「ド・レ・ミ」が「1・2・3」と記されるので、初見で楽譜が読めます。だからビアノやギターよりも簡単に弾けます。大正琴はピアノの鍵盤とギターのような5ないし6の弦がある不思議な楽器で、鍵盤を押さえながら弦を弾くと音が出ます。発祥について説明します。飛鳥時代に大陸から伝来した二弦琴です。二弦琴は飛鳥時代から平安時代にかけて、神事や雅楽で使われていました。名前のとおり同じ音階が出る弦が二本しかない楽器です。ただし武家社会になってから廃れてしまいました。江戸時代末期に八雲琴として復活し、明治初年に東流二弦琴に改良され、東京の上野や浅草を中心に宴の場で流行りました。だから東流と称するらしく、他に流派はありません。でも現在東流二弦琴の奏者は2桁人いるかどうかです。しかしながら文明開花により、日本にビアノ・オルガン・バイオリン等が入ってきました。でも洋楽器は当時の一般家庭ではあまりにも高額過ぎて、庶民にはあまり普及しませんでした。大正元年に一般家庭でも奏でられる楽器を普及させたい思いで、名古屋で大正琴の原型が発明されました。この楽器は日本人が日本人の手で生み出した唯一の楽器です。しかも和洋折衷の比較的安価な楽器でした。数年後爆発的に売れ、当時女の子のいる家庭は必ず一台はあったようです。しかし戦前から戦後にかけて廃れていきました。昭和30年代に古賀政男が大正琴を使い歌謡曲を演奏してからまた復活しました。昭和50年以降は従来のソプラノ大正琴だけではなく、アルト・テナー・ベースの大正琴も開発され、近年はエレキ大正琴もロック業界で使われています。そして令和の今、愛好者は30~100万人いると思われます。大正琴は白黒鍵盤合わせて27鍵盤が一般的であり、2オクターブの音階が弾けるので、民謡、小唄、演歌・歌謡曲・フォーク・ロック・ポップス、そしてクラシックも弾けます。(一部不可)大正琴も流派があり基本的には箏や三味線、華道・茶道のようなしきたりは厳しくありません。全国的に展開している流派は2つあります。琴伝流大正琴|きんでんりゅう琴城流大正琴振興会そして公益社団法人も設立されています。公益社団法人 大正琴協会最後に大正琴メーカーのリンクも貼っておきます。主な大正琴メーカーは3社で琴伝会の流派は独自の工場を持っています。いずれにせよ浜松・名古屋・伊那にしか大正琴メーカーはなく、流派の教室や演奏会も中部地方中心になっています。関東で大正琴を知らない人が多いのはその理由です。大正琴メーカー鈴木楽器製作所 | 音楽教育のパートナーナルダン楽器 | 名古屋発祥の楽器 大正琴専門工房 ナルダン楽器ちなみに私は鈴木楽器製作所より直で購入しました。鈴木楽器製作所はロゴがスズキ自動車に似ていますが、全く関係はありません。午後は大正琴のレッスンをします。まずは簡単な唱歌例えば「さくらさくら」、「ふるさと」がきれいに弾けるようにマスターしたいです。それから少し難しい「荒城の月」、「禁じられた遊び」、「ベートーベン交響曲第九」、「島唄」、「川の流れのように」を練習します。
2026年09月06日
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2026年09月05日
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2026年09月05日
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2026年09月04日
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2026年09月03日
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2026年09月03日
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2026年09月02日
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2026年09月01日
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2026年08月31日
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2026年08月31日
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車がなくて自由に移動できなく、買い物難民はまだまだ続きます。そして昨日のように雨で家にいると、やっぱり老後の生活を考えてしまいます。老後のリスクは、免許を返納した場合の買い物リスク、そして住居費などの固定費の圧縮、災害・気候リスクとしては、洪水・土砂災害・猛暑、そして大地震がありますよね。主に買い物リスクと災害・気候リスク回避に絞って、移住先選定を見直してみました。そしてネット検索しまくっていたら、灯台元暗しで意外な穴場を発見しました。結論を言うと何もない高原で、ある程度の宅地が整備された地域がベストだとわかったのです。古くからある農村部は地域のしがらみがキツく、都会の新参者がその地域で受け入れられるかは、かなり難儀する話を聞きます。次にネットで検索してベストだと感じた山梨県のとある高原住宅地のスペックを紹介いたします。1.地形・気候・斜度が緩い高原で、晴れた日には南側に富士山がよく見えます。北側数キロ先には、登山に人気のある山がそびえています。・夏の暑いとき昼間の最高気温は33~34℃ぐらい。だけど熱帯夜はまずなくて朝の最低気温は19~21℃ぐらいです。冬は基本的に晴天続きで、都内で雪や冷たい雨が降ると、当地は20~40cmぐらい積雪します。でも南傾斜地なので、雪はすぐに溶けてしまいます。2.交通の便・この住宅地は最寄りの駅から800~1000mで、バス便は休日に登山・ゴルフ場行きのバスのみあり。・最寄りの駅は無人駅。電車の本数は朝6時台4本7時台は5本で、その他の時間帯は1時間に2~4本と少ないです。特急列車は全て通過。しかしながら、新宿駅行きや東京駅行きの直通列車も、朝晩中心にあります。3.買い物の便・駅前に郵便局・コンビニ・酒屋・美容室・カフェ・クリーニング店しかありません。一駅松本よりに電車で行けば駅前に巨大スーパー、二駅松本よりに行けば駅前にイオンモール、逆に三駅東京よりに行くと駅前に食品スーパーと巨大ホームセンターがあります。・つまり車がなくても、駅まで10分歩いて電車に乗れば、買い物は好きにできそうですね。4.道路事情駅前に幹線国道が通っています。渋滞は全くなしで、15分ぐらい走ると中央道のICがあります。中央道もこの辺りは連休でもそれほど渋滞しません。長野県・静岡方面には都内よりも格段に行きやすいし、渋滞は気にしなくて大丈夫です。5.大地震リスク過去1000年以上、震度6弱以上の大地震はありません。活断層も発見されていません。6.その他旧街道は江戸時代から続く、格子戸の旧商家や宿屋が建ち並び、そこそこの名所になっています。これらの旧い商店では、買い物はほとんどできないと思われます。今すぐの移住は考えておりませんが、あと2~3年後は検討したいと思います。
2026年08月30日
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2026年08月30日
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昔の私のブログ(2011年以前)、Twitter(2011年~2013年)を見ていた方はご周知のことかと思いますが、自分ははっきり言っていわゆる異性愛者ではありません。だからと言って完全なる同性愛かは微妙(今現在)ですが、男性は全くもって恋愛の対象ではないことを記しておきます。なぜこんな話を切り出すかと言いますと、最近知り合った一部の人(たち)が曲解し、妙な噂を振りまいて周囲を困させているからです。イベント等で男性と親しくしていてもそれは気があるわけじゃなく、異性は知人友人、アドバイザー、あるいは人としてリスペクトしているだけで、恋愛感情なんて微塵たりもありません。多分そういっても理解できない人はいるかも知れませんが、それは他人に対する観察力が足りないか、私と長く接していないから、、未知の世界は生理的に受け付けない人種だと解釈します。自分が異性に対する恋愛感情を抱けないと気づいたのはやはり思春期でした。みんな異性にドキドキする時期なのに、自分には全くそのような感情が湧かなかったのです。私が青春を謳歌していたのは、ちょうど1980年代から1990年代前半でした。当時は恋愛至上主義の時期で、テレビでは恋愛トレンディドラマが流行っていました。彼氏彼女がいない若者はダサいの象徴で、まして結婚できない人はダメ人間の烙印を押されていました。あの時代は確かに景気が良くて頑張れば報われる機運があり、とにかく世の中が明るかったです。ただ恋愛できないだけで仲間内からトレンディな話題を振られても、ただただ辛くなり非常に生きにくかったです。だから私は休日には一人あるいは親友と山に行っていました。当時の登山は山ガール的なおしゃれな味付けはなく、単にもくもくと体力勝負の変わった趣味にとらえられていました。あとは車で酷道・険道・林道(ダートも含む)を走り回り、世間の流行りからわざと遠ざかっていました。それはそれで楽しく、当時の良かった想い出を再確認したくて、このお盆休みに岐阜県・長野県の山奥を走ってきました。そして当時と変わらぬ風景を目にし、胸アツになり懐かしすぎて眩暈がしました。確実に異性愛者でないことに気付いたのは、30代も半ばに差し掛かるときで、親の強要で無理矢理見合い結婚させられ速効で破綻した時期でした。当時は無駄な結婚のせいで精神も金銭的にもズタズタになり、自分とは何者かを知るため、当時流行り出したインターネットにアクセスし、同性愛の街新宿二丁目に週末毎に徘徊していました。確かにあの街はどんな性的指向の人でも受け入れ、たまに有名人や有識者・官界・財界人、警察幹部とやくざ幹部が酒を組み合わす世界も展開されました。新宿公園で昼夜・深夜問わず立っていると、必ず同性から「食事でも行かない?」と声をかけられる街でした。アップした書籍の画像は、その界隈の有識者たちが書いたもので、リアルで知っている人たちばかりです。新宿の風俗嬢を何人か知っていますが、結構私のように無性愛者がたくさんいることも知りました。彼女らは男に恋愛感情を抱かないから仕事として、身体を売ることが難儀でない話を聞きました。彼女らに言わせればオトコは紙ペラらしいです。何となく言いたいことは理解しました。私も40年以上男性ばかりの土木業界に身を置いているのは、男性に興味を示さないから仕事に専念できてしまうメリットを感じているからです。土木業界に入ってくる女子は、やはり社内や業界内でいいオトコを見つけて願わくば結婚しようと思っている人が非常に多いです。悪いけど仕事をする動機が不純過ぎますね。無性愛者は著名人にもいますし、偽装結婚・友情結婚をしているカップルも存在します。ぶっちゃけ高市総理はその代表例でしょう。ユーミン夫妻も友情結婚か偽装結婚臭いです。古くは織田信長と濃姫夫妻も確実です。中には偽装結婚・友情結婚だけではなく恋愛もシャットアウトしている著名人もいます。中島みゆきはまさにその典型例で書いてきた曲も、中性的いや男性的な感性のものが多いです。今日は唐突なことを書き綴りましたが、少しでもワタシという人間を知ってもらいたかったわけです。決して理解して欲しいような押し付けがましいことはしたくないですが。。
2026年08月29日
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2026年08月28日
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一般的に大企業の定年後の再雇用制度は下記のとおりです。・定年60歳で退職金を払う・60~65歳までは再雇用可だが、年収は4~6割減・基本的に1年で契約更新する契約社員(賞与は年2ヶ月程度)・残業代は出ない場合が多い・第一線から外され、仕事は定形業務のワンイシュー結論を言いますと、補助的な業務に回され収入も激減し、大半の再雇用者はモチベーションを落とします。よってただ年金が受給されるまで会社にぶら下がり、それでいて自分よりも若い社員に先輩風を吹かせるから周囲に煙たがられますね。ワンイシューの業務は、役員からノルマを言い渡され、雇い止めを恐れて自分の業務を優先させるから、現役世代や顧客にウザたがれます。もう60歳を超えたら今までやって来た仕事は後輩に譲り、自身はよりやりたいことをやるために退職していいと思います。65歳まで他の社員に迷惑をかけるつもりですかね。サラリーマンが全てではないし、定年後は他にやるべきことが山積しているでしょう。私は収入が半減して毎日通勤電車に押し込まれたくないですよ。将来のライフスタイルが確立している人は、いつまでも会社にしがみつかず、退職金をもらったらさっさと辞めて、未知の世界に飛び出していきます。そういう人のほうが素敵ですね。
2026年08月27日
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2026年08月26日
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9月7日に任意保険が切れるので、今回は正直言って契約中の東京海上日動との契約を本日正式に切りました。理由はロードサービスの対応と、レンタカーを代車にする対応が極めて杜撰だったからです。事を整理します。8月10日の夕方、ミゼットⅡが走行中ひどい異音がしたので、ホテルの駐車場に停めて保険会社のロードサービスに連絡しました。用件は故障で岐阜県から神奈川県に戻れないので、レッカー移動とレンタカーの手配をお願いしました。レッカー移動はお盆休みで保険会社では手配できないので、お客さま自身が業者に依頼して、レッカーしてもらってくださいと。レンタカーは明日の朝手配できますと何だかむちゃくちゃなことを言っているので、JAFに電話したらワタナベさんなら対応できるかもと言われました。8月11日朝7時前にJAFの担当者から教えてもらったワタナベさんに電話し、うちで一次保管は可能と言われました。そして8時にホテルへ積載車を回す約束を取り付けました。そのあと速効で保険会社に連絡し、1時間後にはレンタカーをホテルへ届けると言われました。一次保管場所から海老名の修理工場へはお盆明けに積載車で陸送するとのこと。8時すぎにワタナベさんが積載車で来て、ミゼットⅡを積み込みました。そこで一次保管場所までのレッカーを契約しました。もちろん保険会社の支払いになります。しかしながらレンタカーは、9時になっても9時半になっても来ません。10時ホテルをチェックアウトしなきゃならないので、保険会社のレンタカー担当者に電話しました。すると担当者は今日中に手配しますと返答。私は今日中とは昼なのか夕方になってしまうのが詰め寄りました。すると担当者は今日中ですと言い切りました。今日中ではホテルを出たあと、猛暑の最中どこかで待たなければなりませんし、台風が関東に接近しているので、遅くても19時ぐらいまでには、神奈川県に帰りたかったのです。この間までは埒が空かないので、一旦は保険会社の手配しようとしているレンタカーを断りました。そしてワタナベさんの積載車に乗り、中津川駅前のレンタカー屋に連れていってもらいました。そこでレンタカーを契約し保険会社にも一報を入れて、ミゼットⅡとはしばらく離れ離れになりました。レンタカーで無事な神奈川県まで帰れました。ゲリラ豪雨を避けるため途中で高速道路を降り、酷道・険道を走り続け途中ヤバい峠を何度も越えて行きました。ちなみにミゼットⅡは今日現在で、まだ岐阜県の恵那山の登山口に放置されています。保険会社の積載車で海老名の修理工場まで陸送されるのは、あと1週間ぐらい先になりそうです。あまりにも陸送が遅すぎて萎えてしまいそうですよ。こんな顛末で、東京海上との契約は打ち切りに決めた次第です。対応悪すぎますね、まったく!(怒
2026年08月26日
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2026年08月25日
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自宅にある1984年初版の「異常気象時代」の書籍を読みなおしてみました。当時の気象学者は日本と欧州では真逆の主張を展開していました。日本の気象学者は将来地球は寒冷化すると危惧、一方で欧州の気象学者はCO2の排出増加により温暖化すると唱えていました。1970年代後半から1980年代初頭まで、日本列島はエルニーニョによりしばしば冷害に見舞われ、米の不作が問題になっていました。そして冬季は大寒波と豪雪に襲われていたのです。片や欧州や米国の同時期は熱波と大干ばつで、小麦の生産量が落ちていました。そんな世界各地の気象の変動幅が大きくなり、このような書籍が出版されたのだと思われます。近年の日本列島、特に今年は欧州で夏季が温暖化の域を超える酷暑に喘いでいます。もちろんCO2の増加が温暖化に拍車をかけているのは事実ですが、近年の温暖化の加速は単なるCO2だけが原因とは言えません。都市部では年々灼熱化が進み、以下の3点が灼熱化の元凶であると、一部の地球物理学者が訴え始めています。1.東京の太陽の日射量が1985年と2025年を比較して30%も増大している。この原因は、一つに現在ここ150年の間で、地球と太陽の距離が最も近づいているからです。それと日本や欧州はこの50年ぐらいの間に、自動車と工場の排ガス・煤煙規制が年々厳しくなり、上空が昔より澄んだために、太陽光が届きやすくなったためもあります。2.特に都市部で夏の最高気温と最低気温、冬の最低気温が著しく上昇しているのは、年々ヒートアイランドが激しくなっているからである。都市部ではここ50年ぐらいの間に、中心部にあった木造の建物を壊し、どんどんオフィスビルやマンションを林立させ、太陽熱線を吸収しそれと夜間の熱放出をしにくくする都市空間にしてしまったのが、灼熱化の元凶になっています。また都市の郊外では水田や水路、沼地・湿地を埋め立てて宅地化し、水辺がなくなって大地が熱しやすくなったためです。3.自動車の排熱、エアコン室外機の排熱によるもの。やはりこの50年間で自動車の数が増え、エンジンや本体から発する熱で、街中熱気で覆われてしまっています。エアコンもほぼ全てのオフィスや家庭に普及し、しかも1つの建物や家庭で何台もエアコンを設置しています。この熱源で人口が密集する都市部が暑くなった気がします。大気汚染防止の観点から排気ガスをクリーンにする、熱中症にならぬよう各部屋にエアコンを取り付けるという行為が、逆に地球を灼熱化させているのは、何ともやりきれない思いがあります。最早灼熱化防止のために、大都市の人口を郊外に散らす施策をとるしか、この国難を乗り切る唯一の手立てだと思います。都市中心部のマンション建設にも、一定の規制をするのも一手ですねだから灼熱化対策は長い年月がかかりそうです。
2026年08月24日
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休日が悪天候だったり、今のように車が使えないとどこにも出掛けられないし、買い物も極力不便で手持ち無沙汰になります。休日なのにかえってストレスを感じます。好きな庭の整備もできなくなってしまいます。やはりインドア系の趣味もないと、休日に一日中つまらないテレビやYouTubeで時間を浪費する結果になりますよね。今日はすぐに始められそうなインドアライフも考えてみました。すぐに思いつくのは台所に立って料理です。しかしながら自宅の台所は100年以上前の設備なので、凝った料理をする気が失せます。まして最近食材の値上がりが激しく、毎月の食費の出費が増大するので、老後の趣味としてはある程度の貯えがないといけません。料理好きの食い道楽で老後破綻した家庭をいくつも知っています。コスパを考えると編み物もいいですが、私は糸や紐の1次元系は昔から苦手なのでパス。すぐに毛糸を絡ませてしまいます。よく六十の手習いで、書道・華道・茶道を始める方もいらっしゃいます。職場にも書道を始めた職員がいます。何だか和風の習い事は敷居が高い感じがして、なかなか最初の一歩を踏み出すのが難儀します。ならばと、いろいろ考えているところです。音楽・映画鑑賞のような受動的な趣味は、やっぱりすぐに飽きてしまいそうなので、逆に楽器を弾く趣味がいいかなと思いました。でもピアノは場所をとり、購入金額も高額なので候補から除きました。ギターや三味線のような弦楽器は、ある程度の曲を弾くに熟練が必要だし、60歳を過ぎていきなりやり出すのは難しいし、第一自分は楽譜が読めないので諦めました。そこで先日岐阜県の大正村に行ったとき、大正琴の博物館に立ち寄り、大正琴を初めて触り小学校1年生が習う「きらきら星」を弾いてみました。これなら自宅で場所をとらず弾ける!と感じました。楽譜も音階が数字(ド・レ・ミが1 ・2・3)で、音符の長さは誰にでもわかるよう数字の上に振ってあるので、7歳の子供でもすぐに弾けます。というわけでネット通販で「大正琴」を検索中です。価格は新品で2万円台後半から5・6万円ぐらいで、気軽に購入できそうですね。大正琴は2オクターブの音階しか出ないので、現代のJ-Popは演奏できないですが、民謡・唱歌・昭和歌謡・演歌の大半は弾けそうです。
2026年08月23日
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2026年08月22日
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はっきり言って歳をとると、気候変動にもストレスにもめっぽう弱くなります。仕事のストレスが癌や生命を脅かす生活習慣病に、発展しかねないと思われます。ここであえて言いたいことは、よほど心身共の健康に自信がある人以外は、65歳でフルタイムの仕事から卒業したほうがいいです。残りの老後を心地よく楽しみましょう。勤めている以上は上司や役員から仕事を指示され、本当に残り少ない人生のやりたいこととはかけ離れます。逆に個人事業主で仕事が楽しく、顧客の喜ぶ顔を見るのが生き甲斐なら、健康寿命が尽きるまで働き続けるのもありです。働き方や人生観なんて人それぞれですから、定年70歳まで延長されても人によってはありがた迷惑になるでしょう。とにかく私は65歳で勤め人を卒業します!
2026年08月21日
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どうも国やマスコミは、65歳以上の高齢者でフルタイムで働いている人は、仕事に生き甲斐を持ちはつらつとしていると吹いています。現状は何も知らないんですね。朝夕の混雑する通勤電車で長時間乗車していて働いている雰囲気の高齢者をよく見掛けますが、100人中98人はくたびれていて、やっとの思いで通勤に耐えています。満員電車から解放されたあとこの暑い最中、職場まで15分以上歩いている人もいます。職場に着いたらすぐに着替えて立ち仕事ですよ。とてもやり甲斐があったり、働くのが好きな雰囲気はありません。年金では生活が成り立たないから、くたくたでも否応なしに働かざるを得ないのです。自分は65歳になったら、フルタイム&長時間通勤とはおさらばしたいですね。第一夏場は身体が悲鳴を上げてしまうと思いますよ。仮に働いても週3一日4時間以内のパートですね。それも通勤時間が30分以内にしたいです。大体社会人になってから、自分は働くのが嫌いな人間だと悟りました。小学校から高校まで毎日同じ時間に起床し、決まった時間割で授業を受けますよね。そう、一日何時間も拘束されることが嫌なのです。まして仕事ならなおさらのことです。だから老後は長い通勤で時間を浪費し、やりたくもない仕事に拘束されることから解放されたいです。小学校年生から65歳まで、休みの日以外は自由がなかったからですよ。老後資金3000万円あれば、65歳できっぱり仕事をやめて年金生活の隠居モードです。ほぼ無理な要望ですが、惨めな老人にならぬようどこかで一発逆転ホームランを打ち放ちたい思いです。
2026年08月20日
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2026年08月20日
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2026年08月19日
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2026年08月18日
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2026年08月17日
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朝一で修理工場に電話しました。道中ひどい異音により岐阜県中津川市で一時保管して、その後陸送で修理工場に車を持っていく相談をしました。そうしたら社長は快く引き受けてくれました。保険会社には修理工場に運ぶことの了解をとったと連絡。あとは保険会社と修理工場で打合せをして、入庫日を決めてもらうことになりました。ひとまずホッとしました。でも問題は、当初保険会社2~3週間で陸送できると言っていたのですが、今日確認すると1ヶ月かかると言われました。千葉の豪雨で大量のレッカーが発生したからでしょうか。このままだとシルバーウィークも車なしになりそうです。どこにも出掛けられないストレスで、ただでさえ辞めたい仕事が、ますます辞めたくなりそうです。ならば次の連休は、出掛けられない分地元でグルメしましょうかね。
2026年08月17日
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2026年08月16日
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庭の草刈りをしようとしたら、雨が振り出したのでやめて日記を書くことにしました。毎年8月15日の終戦の日には、過去の戦争は悲惨だった系のドラマやドキュメンタリーが放送されます。でも昭和~平成初期よりもそのような番組が減っている気がします。戦後81年が経ち、当時の戦禍の記憶も薄れてきたのでしょうか。でも過去の歴史を知るには、戦中・戦後にあった事実を知ることだけではないと思います。実は子供の頃より、このような番組は好きではありませんでした。何か過去の遺恨にこだわり、未来志向にひどく欠く感じがしたからです。日本があのような戦争を始めなければならなかった背景も勉強しないと、歴史を学んだことにはならないでしょう。もっと遡れば、日本が明治の文明開化より富国強兵に突っ走った背景も考えないといけません。いやいや、黒船来航から明治維新までの歴史も知る必要があります。本当の意味で、日本の政治史だけではなく、日本の文化・風習、日本人の精神性を深く掘り下げるには、大体室町時代後期から戦国時代を経て江戸時代以降まで学習する必要がありそうです。たかだか戦中を挟んだ十数年を理解しただけで、日本の歴史を知ったとするのは、この国の全てを軽んじているに過ぎません。残念ながら、この国のマスコミや有識者・マスコミ人は、そこの知見が欠けてしまっています。これを修正するにはあと30~50年はかかりそうです。
2026年08月16日
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2026年08月15日
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2026年08月15日
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以前今年のお盆休みは、スーパーエルニーニョの影響で東日本の太平洋側は、涼しく長雨かつ大雨が降ると日記に書きました。やはりそのとおりになってしまいましたね。若くて経験が少ない気象予報士は、お盆休み中猛暑続きと予報していましたが、まさに見事に外してしまったわけです。昭和50年代の夏は、結構スーパーエルニーニョが発生し、8月でも最高気温が30度にならない日もありました。それより前の昭和40年代の夏は暑くて、熊谷で最高気温が37~38℃の日が続いていました。だから昭和の夏は涼しかった、は年代によって違っていたのです。特に昭和51・52年(1976・1977年)は夏が涼しく、お盆休み頃に関東に前線が停滞し、長雨と時に集中豪雨があり、首都圏の鉄道網が麻痺してしまいました。お盆休みに、上信越・東北方面から帰宅する足止めが長く続きました。令和の今、夏は酷暑・猛暑が当たり前になってしまいましたが、実はちょっとした大気の動きの変化や太陽の黒点活動の変動で、地上の気候変動が発生してしまいます。だから単純に温暖化が進行しているとは限らず、2030年代以降は地球が冷涼化する説も出ています。
2026年08月14日
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実はミゼちゃんが9日の午後木曽谷を疾走中、予期なく急に異音がし出しました。40km/h以上で走行すると、ゴーっゴーって唸り音がし出して、スピードを60km/hに上げるとさらに唸り音がしていました。特に登り坂でアクセルを開けると、ラジオが聴こえないほど騒がしくなりました。恵那のホテルまで走りきりましたが、暑さと長い峠越えで熱ダレを起こしているかと思い、一晩冷やせば異音が小さくなるだろうと気楽に考えていました。翌日恵那のホテルから明智・岩村を観光し、計50km以上を走りましたが、やはり唸り音が消えずアクセルをオフして35km/h以下に速度が落ちると消えます。運転しているときの感じでは、フロントから音が出ているようで、何か摩れているような抵抗を感じました。ホテルに着いてからJAFを呼び詳しく話しましたが、恐らく前輪のハブベアリングが磨耗しているかもしれないと言われました。エンジンのダメージやオルタネーターではないと推測し、岐阜県から神奈川県の移動は、道中の移動は極めて推奨できないと言われました。翌日早朝保険会社に連絡し、中津川市のレッカー業者を呼び、中津川市でお盆休み明けまで一時保管してもらい、その後こちらの指定した修理工場に陸送してもらうことにしました。自身の帰宅は同じ中津川市内で保険特約でレンタカーを借り、神奈川県内で乗り捨てすることにしました。だから旅行3日目は馴れないレンタカーで、酷道・険道・高速道路を走り、横浜市緑区まで帰ってきました。今その状態です。明日の昼にレンタカーは返却する予定です。ミゼちゃんは通常の保険では180kmしかレッカーできず、あとの150kmは自腹(15万円)になってしまうので、裏手段を使い全角無償で陸送してもらうことにしました。ただし指定した修理工場への入庫は、3週間以上はかかるようであとは保険会社と修理工場との調整になります。やっぱり現代車はキーレスエントリーやエンジンはボタンを押すだけでかかり、エアコンはオートで両側スライドドアは、ドアノブに付いているボタンを押すだけで明け閉めオートロックできるから非常に便利ですね。
2026年08月13日
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昨日の夕方の高速道路の渋滞は酷かったです。中央道笹子トンネル手前~小仏トンネルまで渋滞、その後圏央道八王子JCT・圏央道海老名JTC~横浜町田ICまでガッツリ渋滞とのこと。ならば甲府南ICを過ぎた時点で、大月で下道に降りることを決めました。コースは以下のとおりです。大月IC~大月バイパス~国道139号~都留市~旧秋山村~奥牧野~牧馬峠~国道412号~相模川右岸~昭和橋~麻溝台~鵜野森~国道16号~横浜町田ICちなみに牧馬峠は全幅1850mm以上の車両は、通行できない可能性があります。ランクルは確実に不可です。
2026年08月12日
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旅行最終日は、恵那市から中央道で松川ICまで移動し小渋川の渓谷沿いをうねうねと走り秘境村に向かいました。画像は道の駅歌舞伎の里大鹿、村の風景、醜道152号線分杭峠特にこの国道は、日本の中でも屈指の醜道で、浜松市~茅野市の間にあるヒョウ峠と地蔵峠は開かずの国道で、狭い林道に迂回して通行しなければなりません。よく大雨や土砂崩れで通行止になります。1990年代半ばまではダートの悪路でした。
2026年08月12日
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明智町を14時に出て、今度は岩村城下町に繰り出しました。とにかく日差しが強くて暑かったです。町並みを往復2km散策しました。中仙道妻籠・馬籠宿の様相です。途中重要文化財藤川家(商家)に立ち寄りました。店構えは江戸時代ですが、中庭を隔てた住居は、大正時代に改築したようで、何とも珍しい造りです。
2026年08月11日
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日本大正村の街並みをショット。ちなみに昭和村も同じ岐阜県内にあるそうです。
2026年08月10日
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大正村資料館の外観と室内の画像です。大正琴を初めて弾いてみました。1週間で上手く弾けそうです。
2026年08月10日
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恵那市から南へ車で45分に明智町に到着。そうここは屋外型テーマパークである日本大正村ですが、戦国武将明智光秀のゆかりの地でもあります。今日はゆっくりと大正村探訪し、古い建物の写真を撮りまくりました。写真1:明知鉄道の終点明智駅写真2:旧明智町役場写真3:旧明智郵便局写真4:現在の明智郵便局
2026年08月10日
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コースは、横浜横須賀道路~保土ヶ谷バイパス~国道16号~国道412号~国道20号~国道152号~国道361号~国道19号画像1道の駅甲斐大和画像2道の駅信州蔦木宿画像3道の駅南アルプスむら長谷画像4道の駅日義木曽駒高原画像5道の駅賤母自宅を5時20分に出発し、ホテルには16時に到着。渋滞に巻き込まれず、予定よりも1時間早くつきました。ミゼットⅡはきつい峠超えを3回させ、途中から猛暑になってしまったので、熱ダレを起こしています。日陰で一晩休ませて、明日は往復60km走らせますが、峠がないので大丈夫でしょう。
2026年08月09日
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2026年08月08日
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2026年08月08日
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ショックアブソーバー交換するかしないかについて、これまでの経緯をまとめたいと思います。2025年6月:予約していた地元のオートバックスに車検のため入庫。そこで下回りを見て、左前のショックアブソーバーにオイル滲み跡があるから、うちでは車検を通せないし修理もできない、と車検を拒否された。2025年7月:この車を登録当時から点検・車検をしている遠方の整備工場で車検を取る。ショックアブソーバーのオイル滲みの件はスルーされた。2026年6月:自宅から一番近い整備工場で、12ヶ月法定点検をしてもらった。そのとき左前のショックアブソーバーのオイル滲み跡を指摘され、うちではできないからディーラーに行って交換してもらうことを奨められた。2026年8月:タイヤとサスの修理を専門にしている整備工場で上記の状態を話し、できるかできないかと修理・交換費用を聞いた。後日電話で部品が入手できないから修理をお断りされた。翌日ディーラーに連絡。ショックアブソーバー絶版でかつリビルト品も入手できないからお断りされた。次の日オークションサイトを当たったが、オークションではリアしか挙がっていかなった。さらに翌日、地元の旧車修理専門業者に実情を連絡。ものが入手できないとうちでも交換のしようがない、他車種のショックアブソーバーを代替品にすることは可能だが、部品の加工やフィッティング作業に手間と時間がかかり、前輪2本交換で数十万円はかかるとのこと。ここでいう数十万円とは50万円以上を指すらしい。こんなわけでショックアブソーバーの交換はやめようかと思いきや、突然救世主が登場してきました。それはミゼットⅡを買ったネオクラ専門点です。まずは交換が本当に必要かどうか見たいとのことで、8月22日(土)に高速道路4路線を乗り継いで、車をショップに持っていく予約を入れました。そこの整備士が要交換と判断した場合は、さらに数十キロ離れた整備工場で、ショックアブソーバーの代替品で交換するらしいです。何とかなりそうな雰囲気で、ホッと息をついている今夜です。
2026年08月07日
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2026年08月06日
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2026年08月06日
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2026年08月05日
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2026年08月05日
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2026年08月04日
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