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みーちゃんの事、忘れていた訳じゃないけど・・最新版を、チェックしたところ、こ~んなのしかなくて・・これは、冬の寒い日・・赤ずきんちゃんにされて、かなりの、いじけモード。最後は、不貞寝でした。我が家のパワースポットは、みーちゃんの周囲かも知れないね。^^にほんブログ村HOMEへ
2011/04/29
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昔から、大好きな神社です。数年前から、「即効性があるパワースポット」などと言った感じで風水師の方が紹介されていたりするので、最近では、連日、車の渋滞が起きる位、たくさんの方々が、参拝されているようです。本当に、癒される大好きな場所です。 地震の時、この周辺は、震度4~5位だったと思うのですが、こちらの売店の方のお話によると、”もしかしたら、地震なのかな?”と感じた程度だったとの事。岩が落ちなくて良かったです。にほんブログ村HOMEへ
2011/04/29
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知り合いの女性が、「毎日、疲れちゃって(地震後の色々な事で)ダメ。テレビ、見てると、涙が止まらなくなっちゃうし・・ね。仕方ないから、もう、年だし(若くないの意味)お仕事、辞める事にしたの。」と。また、散歩中に出会った近所のおばあちゃん曰く「家の中で座っていると、いつも身体が揺れてるような気がして嫌だから、毎日、散歩してるんだよ。」・・・・・・被災地の方々が耳にされたら、きっと、叱られてしまうと思うし”本当に申し訳ない”と、心から感じてもいるのだけれど気力低下傾向と言うか・・”必要最低限の事しか出来てないなァ。”と、未だに痛感してしまう。地震の日以降、つい最近まで、音楽は、スローテンポな洋楽しか聴けない状態だったし。日本語の歌詞は、勝手に、耳に入り込んで来ちゃって疲れてしまうけど、英語は、殆ど分からないから癒されるのだと思う。例えば・・「For The Peace Of All Mankind」(落ち葉のコンチェルト)Albert Hammond すご~く、古い曲で、切ない詩らしい。しかも、春なのに・・って感じだけど、こんな感じの曲ばかり、聴いていました。やっと、最近、脱却しつつあるかナ?つじあやのさんの「桜の木の下で」阿部真央ちゃんの「いつの日も」Ms.OOJAの 「Life」とか・・聴き始めました。 1か月半、被災地の方々の健康と1日も早い復興等を、祈りつつも本当に、色々な事に思いを巡らせている中で何故か、昔の事も、たくさん思い出したりしながら過ごしていました。その中の一つで、10代の終わり頃、周囲の方々が、本当に素晴らしい方々ばかりだと言う事に驚き、「皆さん、すごい方々ばかりで自分が、すごく、ちっぽけな人間に感じて、嫌になっちゃいます。」と、口にした時の事。すかさず、大先輩が、「な~に、言ってんだい。・・・・・・・・・・(略)だから、人と人なんて、あらゆる面で、それ程、変わっちゃぁいねえ。って事さ。み~んな、同じようなものなんだよ。」と、言って下さった時の事も思い出した。「・・・・・・・・・・(略)」の内容は、例えば・・1、2、3と言う人がいた時に、1の人は、「A・B・C」2の人は、「あ・い・う・え・お」3の人は、「c・d・e・f」と言うもので出来ている(持っている)と仮定。大先輩のお言葉通り、少々乱暴な表現をすると、「3名の中身(価値的なもの)」は、 「A・B・C」=「あ・い・う・え・お」=「c・d・e・f」なのだ。と言ったような事で、”それぞれの人が、自身の中に持っているものを、全て目に見えるような形で取り出し、並べる事が出来たら、優劣をつける事など出来ない位、皆、同等の価値を持つ(総合的には)人間同士なのだ。”みたいなニュアンスの事を、言って下さった訳なのだ。自身の事を考えてしまうと”本当に、そうなのだろうか?”と、今でも感じるけれど、一般的には、人と人とを比べ、どちらが「優」だとか「劣」(乱暴な表現を拝借するなら)だとか、言えるものではないと言う事は、確かな事なのだろう。とは思う。1の人は、2の人の「う」の部分を欲しいと感じ、3の人は、1の人の「C」や2の人の「あ」を羨み、また、2の人は、自身の中の”「い」の部分が無ければ良いのに・・”と、願っているのに、もしかしたなら、他の2人から見たら、その「い」は、すごく、魅力的なもの、素晴らしいものとして、とらえられる事だってあるかも知れない。あるいは、そこまで行かなくても、”「あ・う・え・お」を持っているなら、「い」の部分くらい、あったって良いじゃないか。出来る事なら、代わって欲しい位だ。”みたいな事を思うかも知れない。表現力に乏しいので、うまく言えないのだけど、そんな風な事を、ずっと考えたりしていた。つまりは、全てが完璧な人なんていないし、100%好きなように、人生を歩める人もいない。そもそも、「完璧」って言うのは、どんな状態の事を言うのか?自分側から見た「完璧」と外から、とらえられたソレとは、また、違っているかも知れないし・・だから、結局、自身が持っているものを、うまく活かしながら、自分が出来る範囲の中で、精一杯生きて行くしかないのだと。そう言えば、リフォーム時に、本を、全部処分してしまったので、確認のしようがないのだけれど、ず~っと昔、読んだ”五木寛之さんの、「大河の一滴」か「人生の目的」か何かの中にも同じような事が書かれていたかも・・”と、今、思い出した。それは、「一本のライ麦」のお話で・・あまり大きくない砂の入った木箱に一本のライ麦の苗を植えると言うものだった。ライ麦は、とても貧弱な姿(狭い木箱の中のため)ではあるけれど、それなりに育ってくれる。次に、その木箱を壊し、根の長さを計ってみる。すると、その総延長は、驚く位、すごい長さになる(当時の知人の話によると、某鉄道か何かの何倍かになる位の長さ)と言う、お話なのだけど、早い話が、「一つの命を支えると言うのは、その位、大変な営みなのだと言う事。人は、こんな風に、目に見えないところでも、大きな大きな力で、支えられ生きていられるのだと言う事。自分の内に備わっている力が、どれ程、頑張って、自分自身を支えてくれているのか!?って事。」また、そのライ麦に対し「おまえは、貧弱で情けない。」などと言った悪口を言ったりする気にはなれないだろう・・のような感じ(だったかな?)そして、更に、”「木箱」は、そのライ麦が背負った宿命で、もしかしたなら、人生も、全くそれと同じようなものなのではないか?”みたいな事が、語られていたような気がする。そのまた続きとしては、”自分の宿命・運命を受け入れた上で、その後を、どんな風にして行ったら良いのか?”と言う事なのだけど、その答えは・・「とにかく生きる事!! どんな事をしても生きる!自分で命を投げ出したり、諦めたりせずに生きる。みっともなくても、苦しくても生きる事。命と言うものを大切にし、日々を生きて行く。”生きていると言う事”~その事自体に価値があるのでは?ライ麦は、それを教えてくれる。」こんな感じのお話だったように思う。(私の記憶の中では。)”諦めたりせずに生きる。みっともなくても、苦しくても生きる!命と言うものを大切にし、日々を生きて行く。その事自体に価値がある・・”・・・・・・何故なのか、こんな事が、突然、頭に浮かんで来てしまったりする。私の中での特別で不思議な日々は、まだまだ、続いているようだ。オーディナリーミラクル”奇跡は毎日起きている。・・普通だと感じている事そのものが、本当は、奇跡に値する出来事なのです。物事が、(最終的に)うまく行くのは今日もまた、ありふれた奇跡が起こっているから・・”例えば、”雪は、冬に舞い新芽は、春になると顔を出す身近で起きている普通の奇跡・・人生は、毎日がその人の為に用意された(?)贈り物のようなもの・・・・・大地に降りそそぎ、恵みを与える雨すぐ近くで起きている普通の奇跡・・・・・つらい朝を迎えても、夢を手放さないでしっかりと胸に抱き、奇跡と信じてあなたも奇跡の一部きっと、奇跡は起こる奇跡を見たくはない?どんな事も、時が来れば答えが出る身近で起きている普通の奇跡・・・・・今日も、あなたの近くで起きている奇跡が ・・・・・つまりは、毎日起きている、普通だと思っている出来事。朝が来て夜が来る事、毎日朝を迎えられる事。季節がある事・・・それらの事は、決して普通ではなく(当たり前の事ではなく)その事自体が、奇跡なのです。”みたいな歌詞だったと思うけど、サラ・マクラクランの『Ordinary Miracle』。”奇跡は毎日起きている。・・普通だと感じている事そのものが、本当は、奇跡に値する出来事なのです。物事が、(最終的に)うまく行くのは今日もまた、ありふれた奇跡が起こっているから・・”実感。”生かされている事も、もしかしたなら「ありふれた奇跡」の一部なのかも知れない。”だから、”色々な事柄に、感謝しながら精一杯、生きて、生活して行かなければ・・”気付くと、桜の頃は、通り過ぎ、既に、若葉が、目に眩しい季節到来です。にほんブログ村HOMEへ
2011/04/29
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