今日はみけマンマ、誕生日でございます。
歳を取りましたよ。なんか、最近妙に大学・大学院時代の事を思い出します。
この日記のタイトル、以前にも書いた(カテゴリー”昔話”にあります)被差別部落の女の子の話の時に使ったタイトルです。
みけマンマにとって、大学時代を過ごした街は、色んな意味で複雑でした。
そして、みけマンマも今以上に気が強くて無鉄砲。
他人の喧嘩も勝手に買う
そういう性格で(今もそうだけどさ)色々暴れましたね…。
最近、すごく、というか毎日思い出す人がいるんです。
みけマンマが大学院生時代、うちの学部に留学していたSさんという女の人です。
彼女は台湾からの留学生で、日本の教育システムについて研究をするため、幼い赤ちゃんを連れて旦那さんと一緒に家族で大学に留学していました。
旦那さんは工学部でしたので、学部は違いましたが、奥さんであるSさんはみけマンマと同じ学部でした。
アジアからの留学生は当時多くて、研究室には中国、韓国の学生などもいました。
その中でも中国の北京大学から来たというCさんは、なんと 貴族出身 との事で、某教授がいつも
「Cさんはな、貴族なんだぞ。世が世なら、お前達、口も聞いてもらえないぐらい高貴な方なんだぞ。」
と、某教授にとってCさんは特別でした。
Cさんは、留学生の中でも飛びぬけて日本語が上手で、
「さすが北京大学だな~」
と更に株は上昇。
で、その某教授はいつも台湾出身のSさんを引き合いに出して、
「Sさんはこんなんだけど、Cさんは凄いんだぞ」
Cさんをホメホメ。みけマンマは、それがいつも気になっていました。
そして、事件は起こりました。
某教授は国際関係の講座を持っていて、院生のみけマンマたちはその日、某教授の講座を受けていました。
日本の歴史教育の話になった時、おもむろに某教授がSさんに
「おい、Sさん。みんなに 台湾の小学校で習う歴史 を説明なさい。」
と言い出しました。
Sさんは
「あの…台湾では本省人と外省人といまして、私は外省人ですので学校では中国の歴史を習いました」
みけマンマが高校の世界史で習った事をざっくり説明すると、
台湾は、蒋介石率いる国民党が台湾に渡りアイデンティティーを中国に求める外省人と、国民党以前にずっと昔から台湾に住んでいた本省人が混在する複雑な国家だと習いました。
Sさんが中国の歴史を習ったと言った瞬間、某教授はため息を大きくついて
「あのねえー。君は台湾人だろ。台湾に生まれてるのに、どうして中国の歴史なんだよ。いくら外省人だからって、台湾の歴史を学校で習わないわけないだろう。」
「いえ、ですから、私は外省人なので、学校で習うのは中国の…」
「だから言ってるだろ!!!台湾の土人の歴史があるだろっ!!!
お前は日本語もろくに喋れないのに、自分の国の歴史も知らんのか!!!!
さっさと台湾に帰れ!!!!」
先生の罵声と、それに呼応するかのように、中国人のCさんが笑った瞬間、みけマンマは思わず立ち上がって言い返していました。
「先生!!! さっきからSさんは自分が外省人だって言ってるじゃないですか!!先生だって知ってるはずだ!!!台湾が本省人と外省人で二分されて対立してることぐらい!自分の国の歴史を知らないから自国へ帰れだと?!!
歴史なんてのは、その都度争いに勝った者が書き換えてるだけじゃないですか!!
そんな事で、Sさんを責めるのは理不尽
みけマンマ、あまりに怒りすぎて、立ち上がった拍子にもの凄い音を立ててイスが後ろに吹っ飛んでいました(滝汗)
Sさんは、ただ黙って下を向いていました。
終業のチャイムが鳴っても先生とみけマンマは激しく怒鳴りあっていて、しまいにはみけマンマが怒り狂って教室を出て行って終止符が打たれました。
烈火の如く怒っているみけマンマに、同級生の院生の友達が呆れ顔で
「みけマンマ、バカだねー。あんな事で先生に盾ついて。単位落とされるよ~。適当に流しておけば良かったのに。あの先生なんて、口が悪くて有名やんか。」
結局、みけマンマだけ落とされたんですけどね(笑)
とにかく、みけマンマ、その後Sさんを探しました。
薄暗い院生部屋に一人、うつむいSさんは座っていました。
みけマンマ、どうして良いか分からず
「Sさん、ごめんね。日本人が皆、あんな風に思ってるわけじゃないから。本当に申し訳ない。あんな偉そうな事を言ったって、日本人だって学校で習う歴史なんて、いっぱいモメて裁判になってたりするわけだし。せっかく台湾から日本に来てくれてるのに、本当に申し訳ない。」
Sさんはうつむてい涙を流していました。
今から思えば、Sさんは小さい赤ちゃんを連れて苦労しながら研究をしていたはずです。自分がこの歳になって、子供がいながら何かする事がめちゃめちゃ大変だと身を持って体験して、さらにSさんの苦労を思うのです。
Sさんは一言
「すみません。」
とだけ、言ってハンカチで顔を覆いました。
電気もつけず、院生部屋で二人。
みけマンマはひたすら「申し訳ない、申し訳ない。本当にごめんなさい。」と謝り続けました。
20歳そこそこの小娘でした。
感情にまかせて怒る、わめくしか出来ない若造でしたね…。
それから2週間ぐらい経った頃でしょうか。Sさんは、本当に台湾に帰ってしまいました。
あの時のみけマンマの凹みっぷりと言ったら…。
何でもっと助けになってあげられなかったんだろう、と自責の念に駆られていたのですが、その年のクリスマス、台湾に帰ったSさんから手紙が送られてきました。
たぶん、一生懸命辞書を引きながら書いたんでしょう。
所々誤字脱字がありながらも日本語で「みけマンマさんに会えてよかったです」という内容が長く綴られていました。
みけマンマその後年賀状を出したりしていましたが、台湾で起こった台湾大地震の後、プッツリとSさんからは手紙も来なくなり、出しても届かなくなりました。
ここ最近、この時の事をよく思い出すのは、きっと、あの時、もう日本では研究できない、と心が折れてしまったSさんを、それでも日本で研究するんだ!という気持ちに同じ院生という立場でありながら、持っていけなかった自分を責めてるからなんでしょうかね??
自分以上に、他人の折れた気持ちを元通りにするのは難しいです。
人の気持ちは簡単には変えられません。
ま~~~自分の誕生日に、暗い話を書いてしまいました(汗)
今日は自宅で筋トレです。土日はひたすら稽古でしたが(笑)
腕立てすれば、こうやってユーコ・チーコが上に飛び乗って来ます(汗)
勘弁してくださいよぉぉぉ~~~~~~~~~
重いんだよっ君達!!
ユーコなんて、病院で先生に
「身長いくつ?」
と聞かれて
「20メートルです!!!」
とでっかい声で答えてましたからね~~
そりゃーアンタの足のサイズだろ。しかも、20センチだから。
昔からこの性格だったわけですよ。 2008年06月22日 コメント(4)
バレーボール部員はこうなるのか(謎) 2008年03月03日 コメント(1)
私を花にたとえると。 2008年02月27日 コメント(12)
PR
コメント新着
サイド自由欄