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今日はみけマンマ、誕生日でございます。歳を取りましたよ。なんか、最近妙に大学・大学院時代の事を思い出します。この日記のタイトル、以前にも書いた(カテゴリー”昔話”にあります)被差別部落の女の子の話の時に使ったタイトルです。みけマンマにとって、大学時代を過ごした街は、色んな意味で複雑でした。そして、みけマンマも今以上に気が強くて無鉄砲。他人の喧嘩も勝手に買う そういう性格で(今もそうだけどさ)色々暴れましたね…。 最近、すごく、というか毎日思い出す人がいるんです。 みけマンマが大学院生時代、うちの学部に留学していたSさんという女の人です。彼女は台湾からの留学生で、日本の教育システムについて研究をするため、幼い赤ちゃんを連れて旦那さんと一緒に家族で大学に留学していました。旦那さんは工学部でしたので、学部は違いましたが、奥さんであるSさんはみけマンマと同じ学部でした。アジアからの留学生は当時多くて、研究室には中国、韓国の学生などもいました。その中でも中国の北京大学から来たというCさんは、なんと貴族出身との事で、某教授がいつも「Cさんはな、貴族なんだぞ。世が世なら、お前達、口も聞いてもらえないぐらい高貴な方なんだぞ。」と、某教授にとってCさんは特別でした。Cさんは、留学生の中でも飛びぬけて日本語が上手で、「さすが北京大学だな~」と更に株は上昇。で、その某教授はいつも台湾出身のSさんを引き合いに出して、「Sさんはこんなんだけど、Cさんは凄いんだぞ」Cさんをホメホメ。みけマンマは、それがいつも気になっていました。 そして、事件は起こりました。 某教授は国際関係の講座を持っていて、院生のみけマンマたちはその日、某教授の講座を受けていました。日本の歴史教育の話になった時、おもむろに某教授がSさんに「おい、Sさん。みんなに台湾の小学校で習う歴史を説明なさい。」と言い出しました。Sさんは「あの…台湾では本省人と外省人といまして、私は外省人ですので学校では中国の歴史を習いました」 みけマンマが高校の世界史で習った事をざっくり説明すると、台湾は、蒋介石率いる国民党が台湾に渡りアイデンティティーを中国に求める外省人と、国民党以前にずっと昔から台湾に住んでいた本省人が混在する複雑な国家だと習いました。Sさんが中国の歴史を習ったと言った瞬間、某教授はため息を大きくついて 「あのねえー。君は台湾人だろ。台湾に生まれてるのに、どうして中国の歴史なんだよ。いくら外省人だからって、台湾の歴史を学校で習わないわけないだろう。」「いえ、ですから、私は外省人なので、学校で習うのは中国の…」「だから言ってるだろ!!!台湾の土人の歴史があるだろっ!!!お前は日本語もろくに喋れないのに、自分の国の歴史も知らんのか!!!!さっさと台湾に帰れ!!!!」 先生の罵声と、それに呼応するかのように、中国人のCさんが笑った瞬間、みけマンマは思わず立ち上がって言い返していました。「先生!!!さっきからSさんは自分が外省人だって言ってるじゃないですか!!先生だって知ってるはずだ!!!台湾が本省人と外省人で二分されて対立してることぐらい!自分の国の歴史を知らないから自国へ帰れだと?!!歴史なんてのは、その都度争いに勝った者が書き換えてるだけじゃないですか!!そんな事で、Sさんを責めるのは理不尽でおかしいじゃないですか!!!」みけマンマ、あまりに怒りすぎて、立ち上がった拍子にもの凄い音を立ててイスが後ろに吹っ飛んでいました(滝汗) Sさんは、ただ黙って下を向いていました。 終業のチャイムが鳴っても先生とみけマンマは激しく怒鳴りあっていて、しまいにはみけマンマが怒り狂って教室を出て行って終止符が打たれました。 烈火の如く怒っているみけマンマに、同級生の院生の友達が呆れ顔で「みけマンマ、バカだねー。あんな事で先生に盾ついて。単位落とされるよ~。適当に流しておけば良かったのに。あの先生なんて、口が悪くて有名やんか。」結局、みけマンマだけ落とされたんですけどね(笑)とにかく、みけマンマ、その後Sさんを探しました。薄暗い院生部屋に一人、うつむいSさんは座っていました。みけマンマ、どうして良いか分からず「Sさん、ごめんね。日本人が皆、あんな風に思ってるわけじゃないから。本当に申し訳ない。あんな偉そうな事を言ったって、日本人だって学校で習う歴史なんて、いっぱいモメて裁判になってたりするわけだし。せっかく台湾から日本に来てくれてるのに、本当に申し訳ない。」 Sさんはうつむてい涙を流していました。 今から思えば、Sさんは小さい赤ちゃんを連れて苦労しながら研究をしていたはずです。自分がこの歳になって、子供がいながら何かする事がめちゃめちゃ大変だと身を持って体験して、さらにSさんの苦労を思うのです。Sさんは一言「すみません。」とだけ、言ってハンカチで顔を覆いました。電気もつけず、院生部屋で二人。みけマンマはひたすら「申し訳ない、申し訳ない。本当にごめんなさい。」と謝り続けました。 20歳そこそこの小娘でした。感情にまかせて怒る、わめくしか出来ない若造でしたね…。 それから2週間ぐらい経った頃でしょうか。Sさんは、本当に台湾に帰ってしまいました。 あの時のみけマンマの凹みっぷりと言ったら…。 何でもっと助けになってあげられなかったんだろう、と自責の念に駆られていたのですが、その年のクリスマス、台湾に帰ったSさんから手紙が送られてきました。たぶん、一生懸命辞書を引きながら書いたんでしょう。所々誤字脱字がありながらも日本語で「みけマンマさんに会えてよかったです」という内容が長く綴られていました。みけマンマその後年賀状を出したりしていましたが、台湾で起こった台湾大地震の後、プッツリとSさんからは手紙も来なくなり、出しても届かなくなりました。 ここ最近、この時の事をよく思い出すのは、きっと、あの時、もう日本では研究できない、と心が折れてしまったSさんを、それでも日本で研究するんだ!という気持ちに同じ院生という立場でありながら、持っていけなかった自分を責めてるからなんでしょうかね??自分以上に、他人の折れた気持ちを元通りにするのは難しいです。人の気持ちは簡単には変えられません。ま~~~自分の誕生日に、暗い話を書いてしまいました(汗) 今日は自宅で筋トレです。土日はひたすら稽古でしたが(笑) 腕立てすれば、こうやってユーコ・チーコが上に飛び乗って来ます(汗)勘弁してくださいよぉぉぉ~~~~~~~~~重いんだよっ君達!! ユーコなんて、病院で先生に「身長いくつ?」と聞かれて「20メートルです!!!」とでっかい声で答えてましたからね~~ そりゃーアンタの足のサイズだろ。しかも、20センチだから。
2009年04月27日
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やれやれ。今日は一日大雨でしたね(汗)娘を連れてジャスコなんぞへ行ったら、この大雨なのに、もの凄い人手でした。みんな行く所は一緒です。さてさて、夜の事です。ユーコが情けない顔して大あくびしていたので「こら。鮭の産卵みたいな顔してあくびするんじゃないっ」と怒ったら「サケのさんらんって~~?」と娘に突っ込まれてしまいました(汗) そりゃそうだ。 でもって、何故かそこで大学時代の講義をふと思い出したんですね~。 確か、まだ1年ぐらいの時ですよ。 一般教養の講義で自然科学の授業の時間がありまして。その先生が、これまたちょっと変わった先生で 俺は完全な科学理論の元で生きている という妙な自負をいつも持っていて、言葉の端々にそのビームを連打してくるわけですよ。 なんせ一般教養ですから、自分の専門と係わり合いがありませんから、ほとんどの学生が先生のそういう話は完全無視状態だったんですが、一人だけバカ正直に受け止める学生がいまして…その日、先生はいきなり講義の途中で「お前達な~~~花とか見て 綺麗だ綺麗だ~~♪ って喜んでるだろ~~あんなんタダの生殖器じゃないか。あんなもの見て喜んでる世間の気が知れないな。それこそバカ丸出しだよ。本当。バカだよバカ。あんな物の下で花見と称して浮かれてるんだからな~。」 たぶん、今思えば、先生は誰も相手にしてくれなくて、一生懸命挑発していたんだと思います。今思えば(爆) でも 、バカ正直に反応するバカな学生がいまして(汗)みけマンマ、大講義室でいきなり立ち上がって「先生!!あなたはさっきから生殖器を見て喜んでるなんてバカだと言っていますが、生殖器が下等なものと笑う先生自身が、生殖器が恥ずかしいと位置づける社会通念から脱していないんじゃないですかっ!」 懐かしいな~~~~ 本当に、全然あの頃から性格変わってないっすよ(涙)いや、少しは分をわきまえるようになった気はしますが、あの頃から 超生意気であった事は事実です。 当時から今流行のKYだったんですね~~~~~(滝汗) 空気読めない。 つーーーーーーかさ。 空気なんか読めるかっっ 日が暮れるわっ とにかく疑問に思ったら、すぐ質問。 大学院ではこんな事も… 某偉い教授が、自己の精神性について語ってまして。もちろん偉い哲学者についてです。で、その中で、いわゆる高次の自己(難しい言葉やね~)が自身に語りかけるんです~ってな事を言い出したんです。で「ほら、君達も神の声が聞こえてくるだろ?」と言ったんですわ(汗)あたしにゃーちっとも聞こえてこないのに。なのに、他の先生や学生も、えらい激しくうなずくわけですよ(爆)激しく同意!!みたいに。で、こんな時に限ってみけマンマに「君も聞こえてくるだろ?」と振ってきたんですよ(涙)20代前半のみけマンマ、素で 「いえ、そんな声は聞こえませんけど。」先生、激高(爆)「き、君は善なる意思の神の声が聞こえて来ないのかね!!!」「そんな幻聴は聞こえません!!!!!私は、そういう善とはいかなる物か分からないからこそ、この学問を研究しようとしてるんです。それを神と言い切ったら学問として成り立ちません!!」 当然、担当教官に後でこっぴどく絞られました。 懐かしいな~~~あの先生、まだ生きてるかな(爆)相当なお年でしたから。本当、若いって、恐ろしい。
2008年06月22日
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今日も空手で忙しい日でした。そんなみけマンマ、先日中学バレーボール部時代の話を日記に書いたんですが、当時のバスケ部が女子テニス部に誰を見るため殺到していたか、昔の日記に書いてあったので、載せてみました(笑) ******************************* (同窓会)週末は中学校の同窓会でした。かれこれ15年の月日が流れておりまして、久々に会った担任は見事なツルッぱげになっていて、男の子達は、これまた見事に子持ちの親父に変身しておりました。女の子達はほとんどが、やはり子持ちor子持ちししゃもになっていて、もちろんみけマンマも例にもれなく子持ちのおばちゃんになっていたわけです。久々に会うと、全く変わってない奴もいれば、完全変態してる奴もいます。特に女の子。昔陰気でイジメられッ子だった女の子は、他人かと見間違う程にヤンキーママなっていたし(汗)昔好きだった男の子を前にして歳を忘れて恥じらうママさん。男の子の9割が既婚という事もあって、出席した女子のほとんどが既婚者。独身の女子はみな欠席していました(滝汗)久々の再会で担任の先生とみんなそれぞれビール片手に話しが弾んでいたんですが、みけマンマの所に先生が来て部活動の話しになりました。「○○はテニス部だったな~」「○○は弓道部だったな~~」と担任の先生。みけマンマ、先生にビール継ぎながら「えっと、先生は何部の顧問でしたっけ?」「...バレー部...っってお前(みけマンマ)がキャプテンやってた部だよっっっ!!」そうだった(汗)みけマンマ、担任が顧問だった事をすっかり忘れていました。しかもキャプテンだったのに。しかも先生、「お前が結婚してるとは驚きだよな~~絶対結婚してなさそうだったのに(失礼な)」周りにいたみんな、激しく同意(滝汗)確かにみけマンマ、小学校も中学校も好きな人とかいなかったし。こんなみけマンマを好きだと初めて言った人間が今の旦那なわけで(汗)あの当時は同級生に恋心を抱くような可愛らしい学生ではなかったので、私。もちろん、こういう話しになると、みんな当時の恋愛の暴露話になります。当時みけマンマのクラスにMちゃんという子がいまして、もちろん同窓会にも出席していたんですが、彼女は男子生徒の憧れでもありました。ウインクの相田翔子に似てる彼女は現在外科医の奥様。その彼女は中学時代テニス部でした。みけマンマ、バレーボール部。部活動の時間になると、体育館の中のバスケットボール部の男子が「Mちゃんがコートに立ってる!!!!!」とスコートからチラリと見えるブルマーを拝見しに、どいつもこいつもゾロゾロ外へ。その後ろからみけマンマ、バレーボール片手に「ゴラァアアーーーー!!あたし達だってブルマーはいてるやん!!そんな布きれ着けてないモロ見えやで!!なんでいちいちテニス部のブルマ見にいくねん!!このボケッっ!!」と罵声を浴びせていました(恐)Mちゃんはボールが飛んでくるたびに「あんっっ♪」とか「ああんっ♪」と腹に変な虫でもいるんか、って声をだしてテニスしてましたが(ごめんねーMちゃん)男子達はその度にちらっと見えるブルマーに「おおおお~~~~~」と驚喜していました。なので結婚してもなお美しくゴージャスなMちゃんに男子達、15年前と変わらずデレデレ。その扱いの違いに怒ってドつくのが、相変わらずバレーボール部員達(汗)ちなみにMちゃん、昔はアイドル歌手めざしてアイドル事務所のオーディションを受けていたほどです。でも今は二児の奥様。子供がいるとは思えない程美人ですが。さてさて、女子のアイドルは誰かと言うと、ヨー君でした。名簿で彼の名前を見て涙ぐんでいるママさんもいたぐらいです!!彼は人気がありました。特に格好いいわけではなかったんですが、なんというか、詩人のような薄命な感じが女子のハートをぐっと掴んでいたようで(汗)密かに絶大な人気を誇っておりました。涙ぐんでる彼女に理由を聞いたら「繊細な感じが良かった」との事。なるほどねー。みけマンマが一番驚いたのは、やっぱり当時全然冴えなかった男の子が、15年経ったら意外といい男になっていたことでしょうか。当時人気だった男の子はしがない親父になっていたのに、あれ、こんな子いたっけ?という男の子がすごく格好良くなっていたことですね。人間分からないもんです。しかも、同級生同士での結婚が2組。一人は幼稚園からの幼なじみです。同じクラスの子同士が結婚して、しかも子供までいるというのが、なんだか信じられません。結局同窓会、午前10時から始まって夜9時までやってました(滝汗)まとまりのない学年だったんですが、相変わらずまとまりなくダラダラと11時間もやっていました。でも久々で楽しかったので、よしとしましょう。**************************…。Mちゃんだったか~~そういえば。アイドル歌手めざしてたな~~。みけマンマは「学者」(爆)確か卒業文集には「第一希望 学者 第二希望 漫画家」だったはず。せっかく大学院まで行って研究の道に入ったはずなのに、 空手家になってるのは何故??人生、どこで狂うか分かりません。
2008年03月03日
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今日、夕方ユーコを歯医者に連れて行った帰り、ラジオから 「自分をモノにたとえると、何だと思いますか~♪」 とDJのお姉さんが言っていて、思い出しました(汗) 大学生の頃、女の子達で「〇〇ちゃんって~~花にたとえると、何かな~」という話になり、「〇〇ちゃんは~ユリ!」「△△ちゃんは~~~マーガレット!」立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリのよう。ですね~~。たまたまなんですが、その時一緒にいた女の子達は、皆お嬢様ばっかり(爆) で、そこにいたみけマンマも、「ええ~~♪じゃあ~みけマンマは何~」 と聞いたら 「ん~~~~みけマンマちゃんはね…オオバコ かな(汗)」 「それってさ~~花じゃないじゃん。」「だって~みけマンマって、抜いても抜いても生えてきそうだもん(爆)」ああ~~あれですね。 グランドに生えてる、あの、抜いても抜いても根っこが切れてすぐ生えてくる、アレですね。 「みけマンマ、地球が滅びても生き残ってそうだもん~~」 どんなんやねんっっ そんなわけで、オオバコをみると あ。あたしだ。 と妙に親近感が湧くみけマンマです(爆) ちなみに、歯医者に行ったユーコ。あんなに頑張って歯磨きしていたんですが、C1の虫歯が奥歯に出来ていまして(汗)小さな黒い点が奥歯にあったので、慌てて行ったら、やっぱり虫歯でした。で、ついでに他の歯もシーラントという樹脂みたいのを奥歯の溝に入れて、虫歯が出来ないようにする処置もしてもらうことにしました。 まあ、本人はいたって歯医者が大好きで、喜んで行きますけど。
2008年02月27日
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今日は寒かったですね~。ユーコは明日じいちゃん&ばあちゃんが旅行に連れてってくれるそうなので、ユーコはじいちゃん&ばあちゃんちにお泊り。チーコは家で恐竜カルタをしています。本人は楽しそう(笑)そんなこんなで、ちゅらうみさんが昔、中学時代バレーボール部のキャプテンをしていた、とブログにあって、 おお~~~奇遇だっ と思ったわけですよ。実はみけマンマもバレーボール部のキャプテンでした。ま、この性格ですから、お気楽適当なバレー部でしたが。女子バレー部の隣は男子バスケット部がいつも体育館で練習をしていたのですが、「おい!!!テニス部が練習始めたぞ!!」と誰かが言うと、一斉に男子がテニスコートにっ そう。 女子テニス部が出てくると、ボールを打つたびにスコートから チラリチラリとブルマーがのぞくわけですよっそれを見て男子が 「おおおお~~~~~♪」 と喜んでいる(怒) バレー部、いつも 「ちょっとっ!!!ごらああああ~~~!!!!!こっちは、生ブルマーやでっ」「そだそだーー!テニス部みたいに出し惜しみしてないぞーー!!!」と怒っていました(笑)「ど~~~~~っしてあんな布切れ一枚足しただけのブルマーがそんなに喜ばれるのさっ」ま~~~いわゆる 「ちらリズム」なんでしょうけど。 昔はブルマーだったんですよ。 今考えると 何故ブルマーである必要があったのか 疑問です(爆)絶対、最初に導入した人間の趣味じゃないんかいっと思ってしまうんですが。しかも、もっと昔のブルマーってカボチャみたいなブルマーだったわけでしょう。みけマンマの頃って モロ ぱんつやん。 今は懐かしいブルセラショップとかありましたね~今も昔も、色気とは縁遠いみけマンマです。
2008年02月23日
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巷はえらい事になってますな~。うちは空手の後、ユーコが熱出して大変ですけど(汗)旦那が看病しています。さてさて、あの中国餃子事件。うちのマンションのスーパー、今日は冷凍食品全品2割引セールの日だったので、どれどれと見に行ったら、案の定、例の餃子は撤去され、無くなった棚には張り紙が…。有機リンなんて、あのサリンとかと一緒ですよ(汗)瞳孔開きまくってたらしいじゃないですか、重体のお子さん。サリン事件でも、サリンを吸った人はみんな瞳孔開いてたらしいですからね。食べた瞬間、椅子から崩れ落ちたんですよ~~あり得ないでしょう。そういえば、昔、ありましたね。雪印事件。みけマンマも、ジャストミーーーーーーーット!!!!!!でこの牛乳飲んでましてね~~~。丁度あまり食欲も無かったので、1週間前から食事はそうめんと牛乳(毎日○太)だけだったんですね。それが、突然、信じられないぐらいの腹痛と下痢で、もう立てないんですよ(汗)電話してても、何してても凄い便意で、おかしい。牛乳とそうめんしか食ってないのに、なんでこんなになるんだ。牛乳は買ってきたばかりだし、そうめんなんて腐るもんじゃないし。3日ぐらいは仕事に行けなかったですよ。で、ようやく治ってから、テレビ見たら、あれ…うちの冷蔵庫にあった牛乳と一緒やんか(汗)でも、まさかな…と思って、買ったスーパーに行ったら、張り紙がしてあって○月○日製造の牛乳をお買いになられた方は申し出てくださいと書いてあった(滝汗)まさに、その日付は、うちの冷蔵庫にあった牛乳じゃないかっ!!本当に、食中毒でも、今までにないぐらい辛かったですから(汗)これが、食中毒どころか、劇薬入りだったら、洒落になんないっすよ。日本のいけない所は、日本の倫理観がどこの国でも一緒、という前提で物事を進めるところでしょうか。それは、我が家の常識が、一歩外に出て、お隣さんに行くと、常識じゃないと同じぐらいギャップがあるってことですよね。よくわからんが。今日は空手で疲れたので、もう寝るとしますか。
2008年01月31日
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ふと、思い出しました(汗)たまたま雅子皇太子妃が公務復帰か?!っていうニュースをちらっと見て、思い出したんです。皇太子結婚!!って言っていた大昔を(笑)当時大学生だったみけマンマ、京都に上京してきて、確か初めての彼氏との京都デート、という事で、ゴールデンウィーク(だったと思う、その辺りの日だった気がするんだけど)に彼氏と一緒に京都御所へ行くことに。京都御所ってところが、初々しいですよね。何にもないっすよ、あんな所。まだ右も左も分からないみけマンマは、せっかく京都に住むのだから、京都御所(東京で言う皇居です)に行きたい、と言ったんです。しかし。みけマンマは全く知りませんでした、その日が皇太子結婚っていう事を。何せみけマンマ、テレビの無い生活をずっとしていまして、もちろんその時もテレビどころか新聞も取っていませんでした。彼氏が「今日ってさー皇太子が結婚式らしいよ」とは言っていましたが、全く興味が無かったので「ふーん、おめでたいね~じゃー東京はお祭り騒ぎってところだね~」とのん気に言っておりました。しかし、お祭り騒ぎだったのは、実は京都だったのです(汗)おめでたいので大騒ぎだったのではなく、いわゆる過激派がお祭り騒ぎだったわけですよ。京都御所の前で。過激派の人たちが京都御所の前の某大学にバリケードを張って、拡声器で大声で騒ぎ、一触即発の緊張状態が続いていたのです(汗)もちろん、自衛隊が待機。ヘルメットをかぶった過激派の人たちが うんたらかんたら 言ってシュプレヒコールをあげていたようなのです。が。そんな事、全く知らないみけマンマ。彼氏と御所に着くと、全然人がいない(汗)入り口もよく分からなかった二人は、自衛隊が待機してる所ではない所から入ったものだから、「今日は観光客もいないね~~~」と能天気な事を口走りながら御所の中をウロウロしていたんです。で、御所の塀の周りを歩くんですが、何も無い。つまんな~~~~い♪とみけマンマ、塀の方へ行くと、塀と道の間には、肩幅2倍ほどの小さなドブが走っていました。「これって堀のつもりなのかな~」覗いてみるも、チョロチョロと水が流れているだけ。「魚とか放してないのかな~~」とみけマンマ、ドブの端の石垣の上に乗ってドブを覗き込んだ、その時です。慣れないヒールの靴に、スカート。うら若き10代晩鐘のみけマンマ、そのまま滑ってマンガのように頭からドブに落っこちました(涙)その瞬間。ジリリリリリりりりりりりりりりりりりりりりーーーー!!!!!!!!!!!!!!警報が鳴り響き、ドブ落ちたみけマンマは、あっという間に自衛隊のトラックに囲まれました(汗)そう。そのドブには赤外線か何かが張り巡らされていて、過激派のテロリストが強行突破したらすぐ捕まえられるよう警報が鳴るようにしてあったのです(涙)いやもう、今でも、あの時のアホっぷりが思い出されます。何もこの日に落ちなくても。ずぶ濡れになりながら御所から出てきたら、まだ過激派の人たちが、バリケード張って騒いでいました。あれからもう何年も経ったのね~~~今もいるのかしら?あの過激派の人たち。大学時代には、数回ヘルメットにマスク、ゲバ棒を持ったお兄さんが講義中に乱入してきて「今日の講義は中止だ!!!」と騒いでいた、というのは聞いた事がありましたが…。今じゃ「中核派」だの「核丸派(こう書くのか?)」なんて言っても知らない人がほとんどだろうけど。先日高校生の男の子に空手で基本を教えていた時に、中段外受けで「ほら、森進一みたいやろ?」って言ったら「も、森進一って誰ですか?(汗)」と言われてしまいました(涙)「そ、そおおお~~~~だよね~~~知らないよね~~~」おばちゃん、歳を感じたよ…。森進一の息子ぐらいの歳だもんな、君達…。ふ。
2008年01月29日
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帰って来ました~♪いやはや、長旅は疲れます(笑)そうそう、コメントに身分の話がちょこっと出ていて、ふと思い出しました。もう10年も前の話になるんですね~このみけマンマブログの前、みけママの時に書いた話なんで、重複する話でもあるんですが、みけマンマが大学生の時の話です。当時みけマンマ、サッカーサークルのマネージャーをしていました。がマネージャーじゃ飽き足らず、結局自分も試合に出る出る言って参加してたので、もう一人マネージャーを入れたい、という話になり、新しいマネージャーがチームにやって来ました。Tちゃんという彼女、背が小さくて可愛らしい女の子でした。「どうも♪みけマンマです~」「初めまして~Tといいます」その苗字。初めて聞く苗字でした。というか、こんな苗字があるんだ~~っと感心しました。「わあ!珍しい苗字だね~~いいな~~いいな~~~うちなんて、苗字は全国で9番目に多い苗字だし、名前はこの年代で1位だよ。ありふれすぎて、同姓同名が必ずいるもん。いいな~~いいな~~」それから数ヶ月が経って、Tちゃんがみけマンマに「ねえ、みけマンマちゃんって、K君ととっても仲がいいけど、K君と付き合ってるの?」K?K?あああ~~~「とんでもない(汗)付き合ってなんかいないよ~~あ、もしかして、Tちゃん、Kの事好きなん~~~~~~~♪」「ええ~~何で分かったの~~」「ええよ~~ええよ~~~うちが取り持ったる♪まかしとき~~」当時から、世話焼きババアでした(爆)でも、その甲斐あって、KとTちゃんはいい感じに。みけマンマも満足気でした(笑)ところが。それからしばらくして、Kから電話がかかって来ました。「みけマンマ、もうあかんわ。親にばれた。」「はあ?ばれたって何が?」「Tちゃんの事だよ。親が興信所使って調べたんだわ。」はあ?はあ?はああああ~~~???こ、興信所って何?「話がようわからへんけど、一体何がどうなってるん?」「お前、Tの苗字聞いてわからんかったんかっ!!アレだよ。アレ。」もしかして…あの、日本史でやった士農工商エタヒニンとかいうアレ???「うちの親がさーTから電話かかって来たときに怪しんで調べたんだよ。東京で親戚が靴工場やってるって。やっぱりそうやったって親カンカンや。もう、家中パニックやで。あんな子と結婚したら、妹はもう嫁に行かれへんとか、大騒ぎや。」「…お、お前、バッカじゃないのーーー!!!!もう21世紀になろうとしてんのに、そんな江戸時代の話がいまだに続いてるんかーー」「何言ってるんや!!こっちは深刻やで!!もうTとは付き合えないから、みけマンマの方からフォローして欲しいんや。」「アホか!!Tが一体何したっていうんや!!めちゃめちゃええ子やんか!!そんな大昔のバカバカしい制度で、なんでTちゃんがそんな言われ方せなあかんねん!!しかも勝手にあれこれ調べるなんて、そっちが頭おかしいわっ!!」「お前は他県から来たからわからへんのや!そういう人間とは付き合えないんだよ!!」「そ、そ、そういう人間って何や!!お前の顔なんか二度と見たくないわ!!バーーーーーカ!!!!!」みけマンマ、泣きながら電話叩き切りました。まさか、この日本の現代に、こんな立派な身分差別が存在するなんて、思ってもみないことでした。何だ、士農工商エタヒニンってさ。大体、もう武士も存在しないのに、下の方だけ残ってるって事なのか??そうなのか、あの珍しい苗字は、そういう意味だったのだな。みけマンマは何も知らずに羨ましがっていたけど、誰も何も言わなかったのはそういう事だったのか。それからしばらくして、Tちゃんが「みけマンマちゃん、最近、K君冷たいんだけど、何か聞いてる?」みけマンマ、思わず目が泳ぐ。「う~~~ん…わ、わからへんなあ~…どないしたんやろな…」まさか、親が興信所使ってTちゃんの身辺調べたんや、なんて口が裂けても言えません。彼女は、しばらく黙った後「そっか、ありがとね。」と言って、去って行きました。この時、初めて歴史の重みを知りました。どうあがいてもどうしようもない流れというのが、存在するのだ、と。その後、みけマンマ、服飾のアルバイトを始めまして、服屋で楽しくアルバイトしていました。そのお店には色んなお客さんが来るのですが、その中の一人にBさんという方がいらっしゃいました。Bさんは近所の魚屋さんの奥さんで、明るくて気さくでいい人でした。みけマンマもBさんが大好きで、Bさんがお店に来るとよく話をしていました。ところが。Bさんが帰ってた後、みけマンマ、先輩スタッフに呼び止められました。「みけマンマ、今、Bさんと話してたでしょう。」「はい♪Bさんいい人ですよね~」「あのね、みけマンマ、Bさんは接客しなくていいから。」「ええっ何でですか?!Bさん、何かしたんですか(汗)」すると、みけマンマの同い年のスタッフが「みけマンマ、わっかんないかな~~ま、みけマンマは他県から来た人だからね~アレや、アレ。」アレ…とは…も、もしかして。「わかった、だからアレなの。いちいち説明させないでよ~。在日とか部落とか、そういう人はうちの店、出入りして欲しくないのよ。」その瞬間、みけマンマ、切れていました。「ちょっと待ってくださいよ(怒)彼らが何したっていうんですかっ何も変わらないじゃないですか!!どこが違うんですか!!!説明してくださいよ!!!!」怒り狂うみけマンマに、あわてて同じ歳のスタッフがみけマンマを連れ出す。「みけマンマ、だから、あの人たちはうちらとはちゃうから。」「ど、ど、ど、ど、ど、どう違うんですかっ!!!!」「血が汚れてんねん」「それはーーー!!!コレステロールが溜まってるとか、中性脂肪が高いとか、尿酸が高いとか、そういうのを言うんじゃないんですかっ!!」「それはドロドロ血やろっ(汗)だからちゃうんやって。」「どーーーーーー違うんですかっ!じゃあ、Bさんは外からお嫁に来てるわけだから、そのアレとは違うんじゃないですかっ」「だから~~~結婚して嫁に行ったら、血が混ざるから結局汚れてんねんって。」どんなんやっ血液検査してみろっっ「じゃあああああ在日の人はっ!!!うちの大学だって韓国から留学生来てますけど、彼らも差別するんですかっ(怒)」「だから~~在日と、留学してくる韓国人はちゃうねん」何なんだ。この理屈は。何なんだ。この差別は。自分と同じ歳の女の子が、血が汚れている(穢れているとも言っていた)だの、みけマンマには全く理解できなかったし、理解したいとも思いませんでした。ただ、こういう差別が日本にもまだ脈々と残っているという現実に激しい衝撃と憤りを感ぜずにはいられませんでした。人間は差別せずにはいられない生き物なのか?たぶん、Kだけが悪いのでも、当時アルバイトしていた店の店員だけが悪いのではないのだと思います。それは生活の中に脈々と根付いてきた、1年2年では覆せないほどの、深い溝なのだろう。そして、上京してきたときに、バスのつり革や水道料金の請求書の隅っこに「断ち切ろう 身近な差別 私から」という標語の意味が分からなくて、一体なんだろう?これは?と思っていた事が、こういう事だったんだな、としみじみ感じさせられた次第です。こういう差別には、たぶん色んな人が賛否両論の意見を持っていて、たぶん、どっかで色々議論されてるんだろうと思いますけど、願わくば、自分の子供達や道場の子供達には、名前や生まれで人を差別するようにはなって欲しくないな、と思うのみです。生まれたところや 皮膚や目の色で いったい、このぼくの何がわかるというのだろうブルーハーツの「青空」の一節。
2008年01月14日
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先ほどのクリスマス会の日記に続いて、また日記です(笑)とりあえず、黒帯画像♪なかなかドタバタしてて、まともに撮る時間が無いっす(涙)さてさて、今度は学生時代の話。みけマンマ、学生時代は本当にムチャクチャやってまして(汗)まだ治安もよろしかった日本です。このクソ寒い時期に野宿しながら日本縦断をしました。普通電車で九州から北海道の網走まで、駅のホームで寝泊りしながら行ったんですよ~~バカですね~~~~~~~~~~~~~~とりあえず、青森までは野宿したんですけど、北海道に来たら、死ぬやろ、これ。っていうぐらい寒い(爆)しかたなく北海道ではユースホステルに泊まって、旅をしました。もちろんお金なんて無いですから、ひもじいわけですよ。確か札幌だったと思うんですけど、腹減ったな~~と思いながら雪道を歩いていたら、一軒の店の前で、ふと「北海道といえばさんぺい汁だよ。」と言っていた先輩の言葉を思い出しました。「さんぺい汁って何ですか?釣り吉さんぺいに出てくるんですか?」「違うよ(汗)北海道の料理で、魚が入ってる食べ物だよ。」「ほ~~~~ぅ。」何となく裏びれた食堂で、ここなら安く食べられるかもしれない。みけマンマ、店に入る。なんと。店に入ったら、目の前の壁に汚い張り紙でさんぺい汁 180円と書いてあるじゃないですかっ何や~~~!!安いやんかーーー!!「いらっしゃい~」とおばちゃんが出てくる。「あの、さんぺい汁ください。」「…さんぺい汁だけ?(汗)」「はい!!さんぺい汁を食べに来ました!!」カウンターにいた旦那さんらしきおじさんも、「お嬢さん~さんぺい汁だけでいいの?(汗)」と聞いてくる。「はい!さんぺい汁を食べに九州から来ました!(出発は九州だったし♪)」店にはみけマンマしか客がいないよう。みけマンマ、カウンターに座ると、さんぺい汁を待つ♪「はい、さんぺい汁。」なんと。出されたのは、お椀に入った澄まし汁に魚のクズが入ったような吸い物だった。「あの…これじゃお腹すくわよね~(汗)」おじさん、おばさん、みけマンマがよっぽど金が無いと思ったのでしょう。大盛りのご飯にお漬物、煮物などまで出してくれました。「これはサービスだから。いっぱい食べていきな。」今思うと、本当に北海道は親切な人が多かったな~~としみじみ思います(笑)最近は世の中殺伐としてきて、人に親切するのも逆に何されるか分からない時代じゃないですか。10年以上前はまだ、ワーキングプアーな人達なんてそんなにいなかったし、のんびりした旅も出来る時代だったんでしょうね。今は絶対出来ないっすよ~そんなみけマンマの思い出の北海道です(笑)今日みたいなクソ寒い日は、ふと、札幌で食べたさんぺい汁を思い出します。
2007年12月22日
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忘年会でふと、懐かしい事を思い出しました(笑)今日は空手の稽古日なんですけど、じいじ、ばあば、旦那の都合で行けないので、家でくすぶっているんですが。そうそう、忘年会。もうかれこれ10年ぐらい前ですか。みけマンマ、カラオケボックスのバイトしてまして。ちょうど大学の論文作成が忙しくなってきて、辞めたんですよ。最後はカギ持ちって言って、いわゆる店の売り上げとか、管理をまかされるぐらいになっていたんで、辞める時は社長から退職金までもらって、みんなが送別会まで開いてくれて、なかなか居心地のいいアルバイトでした。そんでも、もちろんこういうバイトですから、酔っ払いとかいっぱいいるわけで、色んな客がいるんですよ。こんな風に→搾乳女♪あと、女の子にセクハラとか。大胆にも、みけマンマのスカートを覗こうとしたチャレンジャーがいましてね(笑)みけマンマがバイト始めてすぐぐらいだったんですけど、大学生の集団がお店に来て、注文を取りに行くと、一生懸命みけマンマのスカートの中を覗こうとしたりしてたんですよ。お座敷だったんで、みけマンマ、片ヒザつきながら何回か訪室して注文受けてると、とうとう一人の男子学生が、スカートの端を持ったんですわ。その瞬間。ばあああああーーーーーーん!!!!!みけマンマ、ちゃぶ台に片足のっけて「ここはなーーーーー!!!!カラオケボックスなんだよ!!!あんたら店間違えてへんか!!触りたきゃ金払え!!払える金もないくせに触るんじゃねえ!!!」若かった。20歳そこそこの小娘でしたから。客に向かってこの態度ですよ(笑)沢尻エリカも真っ青ですわ。もう時効です(爆)今じゃーー誰もみけマンマのスカートの中を覗く気すら起きないですけどね(爆)大学生ら、しーーーん、となって、「す、すみませんでした(汗)」みけマンマ、「あ、そうですか♪では、ごゆっくり楽しんでってくださいね♪」ニッコリ退室。本当にね~~むちゃくちゃな店員ですわ。若いって恐ろしい。でも、本当、こういう商売、女の子にセクハラとか多くてですねー。他の店の女の子とかが「お客さんが触ってくるんです~」と言うと、みけマンマ、躊躇せず訪室して「あの、ここはそういう店ではありませんので、このような行為は謹んでください。」とハッキリ言ってましたね~(笑)←ちょっと大人の対応覚えた。店にとって良かったどうかは知りませんが。働いている人間がそこまで我慢する必要ないでしょう、というのがみけマンマの考え方だったので。ま、社長も何も言わなかったし、いっか。たぶん、道場の人間はみけマンマって、結局昔からキャラ変わってないんだ~~~と思っているに違いない(爆)でもね~介護の仕事してる時は菩薩様みたいだったんですよ(マジで)
2007年12月17日
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今日、赤ちゃんポストに新たに3人来たそうで。ポスト設立の理由に、寒空の下に捨てられて命を落とす新生児が多い、という理由があったそうです。昨日なんて超寒かったですからね。こんな寒い時に外に放置されたら、そりゃ、死んじゃいますよ。近年はどちらかというと、「自分の遺伝子を残したい」という気運が高いから、さまざまな医療を駆使して、なんとか自分達の子供が欲しい、という人が多いですよね。もちろん、それは生物としての本能的な欲求だと思うんですけど、その一方でステップファミリーなる、いわゆる再婚同士で血のつながらない子供同士の新たな家族像なんてのもあるわけで。どれが良くて、どれが悪いってのは無いと思いますし、これだけ価値観が多様化してる時代ですから、それぞれが一番納得のいく生き方を貫いていけばいいと思います。そう、みけマンマが小学生の頃の話なんですけどね。近所に3つ年上のクミちゃん(仮名)という女の子がいました。一人っ子で、目が大きくて二重で、目鼻立ちがハッキリした美人でしたが、どういうわけか、このみけマンマが気に入ったらしく、いつもいつも可愛がってくれていました。クミちゃんはどちらかというと、日本人離れした顔立ちで、同級生からは「インド人」などとからかわれていましたが、どう見ても、田舎の子としてはふさわしくないぐらい、美人でした。彼女とはいつも畑でオモチャの刀を振り回して柳生十兵衛ごっこをしたり(でも十兵衛役はいつもクミちゃん)一緒に当時人気だった中森明菜の写真を雑誌から切り抜きしたりしていました。その日もいつものように、コタツで一緒に切り抜きして遊んでいたら、クミちゃんのお父さんが帰ってきました。クミちゃんのお父さんも、お母さんも朝青龍みたいな感じで、全然似てなくて「クミちゃんって、誰に似たの?おじさん?おばさん?」と聞くと、クミちゃんは「あ♪あたし、もらわれてきた子だから。全然似てないよ♪」と平然と言ったのです。「も、も、もらわれて来たって、ど、どこから??!」「ん~~わかんないけどね。もらわれて来たんだって。親戚のおばさんが教えてくれたんだ。でもね、全然気にしてないよ。だって、どんなに考えたって、お父さんとお母さんが一番好きだもん。人は可哀想とか言うけど、何勝手に私のこと可哀想がるわけ?可哀想かどうかなんて、私にしか分からないんだから。私が可哀想じゃないって言えば、可哀想じゃないの。だから、みけマンマちゃんも、そんな顔しなくていいから。」今思えば、彼女は本当にしっかりしていたと思います。そして、そう言わしめるように育てた彼女のお父さん、お母さんはほんとに立派だったと思います。みけマンマはその日は結構ショックで、家に帰ってから自分の親に「ね~~クミちゃんてもらわれて来た子だって言うけど、本当なの?」と聞くと、親も「ああ、そうだよ~。町じゃ結構知られた話しだから。」どらえもんの話の中で、のび太が親に叱られて、僕はきっと橋の下で拾われて来たんだ、ママの子供じゃない!とタイムマシンに乗って生まれた時代に戻って、両親がのび太が産まれて喜んでる姿をみて、帰ってくる。でも、クミちゃんはそうじゃない。いや、そうじゃなくても、しっかりとした家族の絆がそこにあったんだろうな、とみけマンマはしみじみとしました。親と子は同じ歳。子が一歳なら、親も、親一歳。一緒に成長していくんだと思います。それが、血がつながっていようと繋がっていまいと。赤ちゃんポストの是か非かは、他のもっと雄弁な方々にまかせるとして、とりあえず、3人の赤ちゃんは寒空の下で凍死することなく、生き延びたという事実に、安堵するのみです。ちなみに、クミちゃんはその後、地元の中学、高校を卒業し、もちろん評判の美人で、近所の電気屋さんに嫁ついで、幸せに暮らしています。
2007年12月12日
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どうやら、我が家にもしかしたら、新しい家族が増えるかもしれません。知り合いの人から引き取り手のない1歳のワンコを譲ってもらえるかもしれないという話があるのです。みけマンマの人生に犬&猫は欠かせない存在でした。4歳の頃、近所の屋外スケート場にスケートをしに家族で行ったら、スケート場の隅にダンボールに沢山の子犬と子猫が捨てられていました。みけマンマがどうしても欲しいと言って泣くので、とうとう根負けした親が、白い犬を一匹連れて帰りました。その犬はシロと名づけられて、18年も生きました。シロを拾った後も、また一匹増えて2匹になり、みけ実家は犬が玄関を占領していました。それからみけマンマが町の高校で寮生活をしているときです。久々に実家に帰ると、なんと、玄関にクマのような巨大な雑種犬が寝そべっているじゃないですか(汗)「ちょ、ちょっと、何なの??あの巨大なクマみたいな犬は?!どっかから預かってるの?!」「ううん。うちの犬~~~。」「う、う、うちの犬って、いきなり成犬やんか!!どうみても、子犬やないで(汗)このサイズは。どこでもらってきたの?!!!!!」「拾った~~~。」どうやら、話はこうでした。数日前から、野犬情報で大きな野犬がうろついています、捕獲しようとしていますが、なかなか捕まらないので注意してください、と保健所の方から放送の車が走り、巨大なクマのような犬がいるから気をつけなさい、と近所で言われていたらしい。こんな田舎に野犬が野を越え山を越えてやってくるとは到底思えず、たぶん、都会の人が飼いきれなくて田舎に捨てにきたのだろう、という話でした。結構多いんです。飼いきれなくなった犬を田舎に捨てにくるの。で、たまたまシロたちの散歩をしていたみけ母が、なんと道端でこのウワサのクマ犬と遭遇したらしいのです。そして、みけ母、何を思ったのか、家にすぐ帰ってビニールの紐を持ってくると、そのクマ犬の首に紐をかけたらしいのです。すぐ通報されたのか、保健所が飛んできて「ありがとうございました。数日前から何度も捕まえようとして、捕まらなかった犬なんですよ。良かったよかった。犬はこちらで引き取りますので。」が何を思ったのか、みけ母「あの、この犬、飼い犬ですよ。」「はあ?」「ほら、紐でつながれてるでしょ。うちの犬ですから。」と言って連れて帰ってきてしまったのだそうだ(汗)見た目そのままでクマと名づけられた、その巨大な犬は、我が家にいる2匹のメス犬達と違ってもの凄く大人しく、人にも慣れていて、たぶん、どこかで飼われていた犬なのでしょう。見るからにボロボロで汚らしい犬でしたが、綺麗に洗ってやったら、それなりに見栄えのする犬になりました。それから、10数年の月日が流れ、クマはすっかり老犬になっていました。それでも、やはり温厚な気の優しい犬で、ユーコや姪、甥に可愛がられて、のんびりとした老後を送っていました。そんな忘れもしない、7月。みけ父がクマを連れ、お互いの老体にムチ打って、近所に散歩に出かけていました。しばらく行くと、しばらく行った先に近所でよく噛むと言われる犬を連れた人が携帯電話で話しこんでいました。リードはロックしないとびゅーーーーん!!と伸びるタイプのだったらしく、飼い主は電話に夢中で、リードを持っていなかったようです。その犬は、みけ父とクマを見ると、もの凄い勢いで走ってきて飛び掛っていき、みけ父を噛もうとしたのです。ヨボヨボで目も不自由になっていたクマが、前に立ちはだかり、クマはその犬に思いっきり噛み付かれたそうです。クマは、足の肉が引きちぎれ、骨が見えるほどで立ち上がることも出来ず、その場に座り込んでしまいました。なのに、噛み付いた犬の飼い主は「あ、すみません~~~」と言って行ってしまったそうです。みけ父は涙ながらに足の引きちぎれたクマを抱きかかえ、病院に連れて行きましたが、「手の施しようがありません。美味しいものを好きなだけ食べさせてやってください」と言われて帰ってきました。そして、それから数日して、ユーコと一緒に早朝、クマを見に行くと、クマはひっそりと天国へと旅立っていました。クマらしい、律儀な犬の最期だったのと言うべきなのか…。それは今でもわかりません。※※※※※※※※※※ただ、その噛み付いた犬の飼い主がうずくまるクマを見て「なんだ、犬の方か。」と言って去って行った一言に、クマの人間に翻弄された人生が集約されていたように思います。
2007年11月27日
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今日も10人連続組み手やってきました~なかなか、連続組み手用の組み手スタイルに慣れなくて悪戦苦闘していますが…スタミナ勝負ですな~。さてさて、こんな空手バカばっかな事書いていると、空手してない人にはなんのこっちゃ?って感じなので、たまには昔のみけマンマを一つ(笑)たぶん、今のブログの前のブログ、みけママ時代のブログを読んでいた方は知ってる話なんですが、みけマンマ、昔何を思ったのか、ニュージーランドに行っていた事があります。ニュージーランドにはマウントクックを始め、有名な綺麗な山があるんですが、この国には、大氷河があるんですね~♪で、みけマンマ、氷河をトレッキングするため、ニュージーランドに行きました。しかも、リーズ・ダート・トラックという、かなりマイナーなトレッキングコースを選んだんですね~。3,4日山小屋を泊まりあるいて、氷河を歩き倒します。20代のうら若きみけマンマ、クイーンズタウンから、ボロボロのバスに乗って山の中へ。ニュージーランドは基本的に入山制限がありまして、このボロボロのバスに乗った人間達以外は、このトレッキングコースには入れないのです。めちゃめちゃ簡素なパンフレットには6~7時間で走破できる、と書いてある。10時半過ぎにバスから降ろされると、一緒に乗っていた外国人の一行は、まるでクモの子を散らすように、ぐあああ~~~っと走っていって、あっという間に見えなくなる(汗)みけマンマ、大きなリュックサックに、ジャージ。外国人、みんなTシャツに短パン、小さいリュック。…。見渡す限り大平原。山は氷河。嫌~な予感がしつつも、ぽっくりぽっくり歩き出す。…。道がない。全然道がない。道ねーーーーーーーーーーーーーーーーーーじゃん!!!!!雨期の後ということもあったのか、立て看板やらすべて流されてるのか、何も無く、ただの平原。とりあえず、歩いていくも、ところどころに放牧してる牛なのか、野生の牛なのか分からない牛がいっぱいいる。しかも、平原はこの牛達の巨大なウンコがいっぱい。それもスイカみたいにでかくて、しかも平原はぬかるんでいる。もうウンコなのか、湿地なのか分からず、靴はウンコまみれ。しかもこの靴、フランス製のトレッキングシューズで、高かったんだぞ!!南半球の紫外線は強く、暑いし臭いし、汚いし。しかも、このバッファローみたいな牛達、みけマンマをみてぐおおおおお~~~~!!!と威嚇してくる(怒)みけマンマ、スイカのようなウンコをよけながら「お前らなんかなーーーー!!日本に来たらみんなパックの肉になって売られんだよ!!日本に帰ったら一匹残らず焼肉にして喰ってやるからなーーーー!!」と大人げなく叫んでいました。ようやく山に入った頃は、もう日も落ちてきて、薄暗い(涙)まさか、まさかまさか。本当に6~7時間コースなのか、これ。走って6時間なんじゃないのかー。すでに8時間が経過していました。でかい岩をよじ登りながら、もしかしてこのまま遭難するのかーと焦る。遭難したら、ちゃんと捜索してくれるんやろか。日本でニュースとかになっちゃうのかな~(涙)もう道もほとんど見えなくなってきて、こんな南半球の南極に近い島で、遭難したんや~~~と泣けて来ました。もうこれ以上無理や。大きな岩の上で座り込むと、なんと、川の向こうに明かりが見える!!!!!山小屋だ!!Hatがあった!!!!みけマンマ、もう夢中で走って丸太の橋を渡り、山小屋へ着きました。山小屋の前では、一緒にバスに乗っていた外国人達がみんな拍手で迎えてくれました。どうやら、みんな「あの小さな(彼らには小さく見えるらしい)ジャパニーズの女の子は大丈夫なんだろうか」と心配していたらしい。山小屋に着いて皆とようやく話が出来まして、オランダ人、ドイツ人、イギリス人、イラン人、アメリカ人、色んな人がバスに乗ってこのトラックにやってきていたのでした。皆、あんな子供みたいなジャパニーズの女の子がバスに乗っていて、大丈夫かよ、こいつ。と思っていたらしい(汗)みけマンマ、自分の身長ぐらいありそうな大きなリュック背負ってるし。翌日はサドル越え。いわゆる馬の鞍のような尾根を越えながら氷河をめざすコースです。足の遅いみけマンマは朝5時過ぎ、一番に出発。が。イギリス人の女の子やらオランダ人のカップルにどんどん抜かれていって、ようやくサドルが見えて来た時には、遥かかなたに彼らがチラッと見える程度。ていうか。なんか、絶壁をよじ登っているように見えるんですけど(汗)地図にサドルと書かれているけど、どう見ても、絶壁やんっっ昨日の遭難の危機に続いて、今度は絶壁かよーーーー。しかも雨だし。とりあえず、ここまで来たら、もう前に進むしかないわけで。帰るに帰れないし。よっこらせ。大きなリュックサックを背負っているので、もし落っこちたら、リュックで助かるかもしれない(涙)途中まで登って、ふっと下を見たらうああああああああああああああああああああああああああああああどうしよーーーーー!!こんなん落ちたら死んでまうやんか!!!!!!!あーーもうヤダ。死にたくないいいいいい~~~結局2日目も泣きながら登りましたよ。さすがに2日目以降は一番に出発して、ビリでゴールだったので、後ろから人がくる安心感があってよかったですけど(笑)一緒にみんなで山小屋で氷河をコップに入れてオンザロックでウイスキー飲んだり、オーストラリア人の中年夫婦がニュージーランドやオーストラリアの歴史を話てくれたり。どうもみけマンマ、子供と思われていたみたいで、「は~~い♪ジャパニーズの女の子、歴史の時間だよ~~♪」みたいな(汗)最終日に「あの、私、もう25歳なんですけど…」て言ったら、みんな驚愕していましたから(汗)どうも日本人は若く見られるようです。みけマンマの楽しくも懐かしい、ちうか、あの時はほんまに死ぬかと思いましたけど、今となってはいい思い出のニュージーランドです。遭難しかけた時は、テンパり過ぎて、熊に襲われたらどうしよう!!とマジで思っていました。ニュージーランドには熊も毒蛇もいないのに。翌日の朝まで山小屋に熊が来たらどうしようと本気で思っていましたから。もうリーズダートに行く事はないかもしれないけど、ニュージーランドは、また行きたい国です。
2007年11月22日
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今日は仕事お休みでしたので、本屋さんに買いたい本を探しに行きました。そうしたら、全然別の本だったんですが、衝撃的な内容が書いてありました。2003年の警視庁の女子学生(たぶん高校生だと思うんですけど)、東京地区、九州地区のレイプ被害の実態調査を行った結果、なんと、20人に一人がレイプ被害を受け、5人に一人がレイプ未遂を経験してるんだそうです(汗)レイプ被害による人工妊娠中絶の数も実際にはかなりの数に昇るようで。体験談とかもありましたけど、20人に一人ですよ。クラスに一人はいるかも、って人数ではないですか。5人に一人が未遂経験。クラスに一人は確実にいるって事ですよね。どう思います?女の子をお持ちの親御さん。いや~~実はですね。みけマンマも昔レイプされそうになった事あったんですよ。あれは、まだ21,2歳ぐらいだったと思うんですけど、京都の某大学に農学部グランドっていうのが、ありまして。そこでよくサッカーしていたんですよ。で、夕方、みんなで裏門を出た所のお好み焼屋にお好み焼を食べに行こう、という話になって、みけマンマが先に席を取りに行ったんですね。当時の農学部のグランドから裏門までは、理学部の校舎を抜けて、農学部の実験用と思われる畑の間を道があったんです。で、全然街灯も無くてですね~薄暗い道を抜けて裏門まで歩いていたんですよ。みけマンマも、テクテク歩いて裏門まで来たら、後ろから若い男の子が自転車です~~っと追い抜いて来ました。そして、みけマンマの前に、すっと、止まると、突然猛ダッシュで掴みかかって来たんですわ(汗)自転車放りだして。みけマンマ後ろに倒れたら、そのまま乗っかって来たので、もうブチ切れ。相手の顔面を拳で殴りまくって、相手がのけぞったら、そのまま立ち上がって男の腹を蹴りあげる、蹴りあげる(滝汗)遠くでみけマンマが倒されるのを目撃していた通行人のお兄さんが助けに駆けつけた時には、男はゼーゼー言いながら自転車に裸足で乗って逃げて行くところでした。男のサンダルが落ちていたので「てめーーーーー!!!忘れ物だーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」と男に投げつけて、事件は未遂に終わりましたが、こんなみけマンマでも5人に一人の内にカウントされるわけですよ。まだその頃は、みけマンマは空手はやっていませんでしたが、やはり、襲われて、例えば刺されたとしても、そのまんま殺されるのではなくて、目ん玉一個ぐらいはくり抜いてやる!!という風になるのは…そういないですよね(汗)とにかく、無防備に相手の成すがままではなく、相手に一矢報いれるぐらいに、女の子だって防衛の手立てを身につけなければいけない世の中になっているようです。だから、絶対女の子だって空手とか、柔道とか、剣道とか、武道はやっておいた方がいいと思うんですよね。昔、5年ぐらい前ですかね。フィリピンかどこかで、日本人女性が2人、現地の強盗に道で襲われ、なんと空手チョップ(と新聞には書いてあった)で相手の拳銃を奪い、逃げる強盗たちに威嚇発砲して撃退した、っていう記事がありました。明らかに、素人ではないでしょう、この女の人たち(爆)とっさの動き、というのは、ある日突然出るものではなかなか無いですから。どんなに可愛くても、どんなに勉強出来ても、どんなにピアノが上手でも、殺されてしまったら、そこで終わりです。ここは法治国家ではなくて、放置国家ですから。年々検挙率は悪くなって、年々犯罪は増え続け、一日テレビ見ていたって、犯罪が無い日なんてないでしょう。光市の事件でもそうですけど、殺された人間は守られず、殺した犯罪者は守られる。まさに殺した者勝ち、殺され損。うちの娘も空手をやっていますけど、別に大会で入賞とかしなくていいから、いざという時は自分の身は自分で守ってくれ、と祈るばかりです。もちろん、私、襲われたの、って言ったら相手をお父さんとお母さんで、地獄の果てまで追いかけて行くから♪ちなみにサンダル投げつけられた男は、サンダルが頭にクリーンヒットして、漫画みたいでしたけど。もっと知識があれば、捕まえて警察に叩きつける所でしたが、何せ若い小娘にはそんな知恵はありませんのでして。それでも、撃退されればそれなりの効果があるんじゃないでしょうかね?名古屋での女性拉致殺人事件でも、女性が撲殺された後も、男たちは7万じゃ足りねーだろっと更に街へ繰り出して殺す女性の物色をしていたわけですから。少しでも、やっぱ抵抗されて、こりゃー簡単には行かないわ、と思えば、少しは抑止力になったかもしれないし。女子供だったら簡単に殺せる、と思われるのはいつの時代も変わらないんでしょうかね…さらにちなみに。みけマンマの友達は、新幹線で痴漢に遭ったんですが、剣道をしていたので、逆に相手の肋骨を折って警察にたたきつけたそうです。当時女子高生でしたが。
2007年10月30日
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なんか、こんな深夜につまらん話ですが。たまたま空手ちこさんの所で「コーヒーの木を育てています」というのを見て、そういえば…と思い出しました。学生時代ですよ、まだ。たまたまホームセンターに行ったら(暇になるとよくぶらつきに行っていたんです)コーヒーの木の苗が売っていたんですね~。おお~すげー。これって、やっぱり最後は収穫してコーヒーが採れるの?店員さんに「これって、ちゃんとあの、飲むコーヒーになるんですか?」と聞いたら「なりますよ~~♪結構大きくなるんじゃないですか~。ま~私は育てた事ないんで分かりませんけど、皆さん結構買われて行きますよ。」おお~~そうなんだー。じゃー収穫したら、ピーナッツみたいにフライパンで炒めて~、ゴリゴリしたらコーヒー飲めるんだ~。で、栽培方法も聞かずに買ってしまいました(汗)「暖かい地方の植物なんで、ちゃんとお水はあげてくださいね~」なるほどー、やっぱブラジルとかアフリカとか、ああいうのだよな~~確かに、コーヒーの木は窓際に置いておいたら、ぐんぐんデカくなるなる。おお~~いい感じ~~♪こりゃー来年には収穫できるんでないかい♪ところが。秋になり、葉っぱが黄色くなって、パラパラ落ちるようになったのです。「あれ~?ちゃんとお水あげてるのにな~」が、天然なみけマンマです。「あ、そっか~~~♪秋だもんな~紅葉してるんだぁ♪そうだよなーだって、キリマンジャロっていう品種もあるぐらいだからさー。キリマンジャロのコーヒーはきっと落葉樹に違いない。」勝手に品種もキリマンジャロにしてしまって、葉っぱはどんどんポロポロ黄色くなって落ちていき、冬になった頃はすっかり枝だけの枯れ木になっていました(汗)彼氏が遊びに来て「みけマンマ~、この枯れ木、何?」と聞くので「コーヒーの木だよ~♪これがさー春になると芽が出て~コーヒーが取れるんだわ~♪」「コーヒーって落葉樹なの?(汗)」うさんくせーという風に彼氏が聞くので、「だってさーアフリカのキリマンジャロで育つコーヒーだよ~こうして厳し~~い冬を乗り越えて、美味しいコーヒーになるんだよ。」そして、その厳しい冬が過ぎ去っても、みけマンマのコーヒーの木は芽も出ず、枯れ木のままでした。そう。コーヒーの木は寒さに弱いので、冬は暖かい場所で育てないといけないと、後で知りました。つーーーーーーーーっか、全然落葉樹じゃないっつーの。コーヒーは。可哀想なコーヒーの木に合掌。ちなみに、みけマンマが育てると、どの植物もすべて落葉樹になります。だから、もう最近は家の中の植物はすべて造花です。
2007年10月28日
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ふと、大学生時代の事を思い出しました。京都に住んで何年経った頃でしょうかね。たぶんもう、大学院生になっていた頃だったはずです。雨の日の夕方。結構激しい雨に、やれやれ~家に帰ってさっさとご飯食べよ~と思いながらマンションの前まで来た時です。何やら、雨音に紛れて、変な声が聞こえて来るのです(汗)うおおおおおおぉおお~~~ぎぇえええええ~~~~~ふっと、前を見上げると、なんと、自分の部屋は2階の角部屋だったんですが、その隣。自分の部屋の隣のベランダで、まさにロックミュージシャンのように、髪の長い女の人が頭を前後にガックンガックン振りながら大声で号泣してるんですよ(滝汗)(ひいいいいいぃぃいいい~~~~~~~~)み、見てはいけないものを見てしまった。目を合わせないようにマンションに入ろう~っと思った瞬間。ばっちり号泣してる彼女と目が合ってしまったんです。だって2階だし。正面だったし。白いドレスを着て、髪を振り乱して、まさに貞子です(涙)いかん。何か言った方がいいだろうな~~~「あ、あの~~何があったか知りませんが、元気出して下さいね(汗)」「はい、ありがとうございます~…。」貞子さんは、ベランダの手摺りから身を乗り出して返答。ひぃいい~~よく分からんけど、さっさと部屋戻ろう~~。そういえば、お隣の女の人、みけマンマが引越して来た時に、挨拶に行ったら化粧品のサンプルをくれた人だったな~。大学の音楽科に行ってます~とか言ってて。色が白くて、繊細そうな感じで。何回か彼氏も見たな~。ま、きっと彼氏と別れたとか、そんなんだろうな~まあ、人の詮索すんのも面倒だし、忘れよう。ところが。その日の明け方4時。突然、物凄い大音響で目が覚めました(汗)「CAN YOU CELEBRATE?ーーーーー!!」何だ!!何だ!!!!!壁も窓ガラスもビリビリ言って、すごい音。こ、これは安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」ではありませんか?(汗)そして、安室ちゃんの音楽に合わせて、物凄い涙声で、例の貞子さんが歌ってるわけです。おいおいーーー!!!大丈夫かーーーー!!もしかして、失恋ですか。CAN YOU CELEBRATE?No, I Can't.だったんですねーーーー(汗)1時間ぐらいヘビーローテーションしたら、パタッと静かになるもんだから「ま、まさか死んだんじゃないだろうな(涙)」とびびると、また「CAN YOU CELEBRATE?ーーーーーーーー!!!!」ひぃぃぃぃい~~~~~当たり前ですが、近隣近所から苦情が来たらしく、警察も来たりして、そんなんが、なんと3日も続きました(滝汗)夜中に。で、どうやらお母さんらしき人が来て、彼女は実家に帰ったようです。凄かった…。ま~彼女にとって、これが一種のカタルシスだったのかもしれないですけど。今でも、安室ちゃんのCAN YOU CELEBRATE?を聴くと、貞子さんを思い出します。だから、絶対友達の結婚式では歌えません。
2007年10月21日
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先ほど、車に乗っていたら、ラジオで12年前のヒットソング!でエヴァンゲリオンのテーマソングが流れていました。懐かしいですね~~~。当時まだ大学生でした。元々ガンダム大好きっ子だったので、ロボットアニメだ~と思って見たのがキッカケでしたが、はまりました。あの暗さといい(爆)久々にガンダム初期を思わせる暗さにみけマンマ大喜び。そして、あの戦闘シーンが当時としては衝撃的でした。ロボットアニメって、ガンダムもそうですが、人間がロボットに乗ることによって戦争の生々しい部分を封印してガッツンガッツン打ち倒すっていうのが基本だったじゃないですか。それがエヴァンゲリオンは違うわけですよ。めちゃくちゃ生々しい。頭吹っ飛ぶ、手はもげる。まさに、戦争とは殺戮なのだ、ロボットに乗ってようが肉弾戦で戦ったらこんなにグチャグチャなっちゃうぜ、というのをリアルに感じさせたところが、なんか新鮮でした。こんな風に書くと、めちゃくちゃオタクっぽいですね(汗)でも、基本的に昔からロボットアニメは好きでしたから(笑)でも、みけマンマにとって一番人生に影響を与えたのは、中学生の時に読んだ「銀河英雄伝説」です。田中芳樹という作家が書いた本でして、みけマンマがはまって読んでいた当時はまだアニメ化されておりませんでした。というか、みけマンマ、アニメはほとんど見ていません。この銀英伝、長いし子供には難しい政治的な内容も過分に含んだ小説でしたが、ほとんど勉強そっちのけで毎日毎日読んでいました。で、とうとうあまりに感動しすぎて、田中芳樹先生本人に手紙を書いたんですねーー。たぶん、本の感想と、将来大学に行くにあたって、自分は国語と社会と理科しか出来ないんですけど、大学にいけるでしょうか、みたいな、そんなん小説家に相談してどうするんだよっていう内容の手紙を書いたんでしょうね。田中芳樹先生、いい人でした。丁寧にお返事を手紙でくれまして、「私も、中学生の頃は社会と国語だけが得意でした。大丈夫ですよ。」という内容の返事を貰いました。そうなんだー!こんな凄い小説を書く田中先生も、社会と国語だけが得意だったんだー。しかも、田中芳樹先生も、世界史が好きでした、と書いてありました。よし、高校入学したら、世界史選択にしよう。子供とは単純なもので、みけマンマ、その後、本当に社会と国語だけが得意になりました(爆)高校3年の時の大学受験の予備校の模試(駿台とか河合塾とか、ああいうのですね)で、みけマンマ世界史選択でしたが、ず~~っと社会は偏差値70以上。国語は2回も満点を出したんですね(汗)満点って言うことは、当然全国1位ですよ。でも、それ以外の教科は下から数えた方が早いぐらいで。担任の先生に「先生、今回の模試、国語満点でした」「なに!!今度こそ総合で全国に名前が載るか!!」「いや(汗)他の教科が…。」「お前なーーー!一教科だけ満点取ったって大学は入れないだぞ!!頼むから数学とか、英語とかちゃんと勉強してくれよっ!!!!!」当時はまさに受験戦争と言われる時代でしたから、模試に名前が載るという事は、その高校の名前が全国に載るということで、先生たちも、模試で生徒がランキングに掲載されるかどうかは物凄く気にしていたんですね。△△高校、○○大学に合格、という名前が欲しいために勉強の出来る生徒には無意味にたくさん私立を受けさせる、なんてこともよくあった時代です。なんせ当時は、大学に合格すると、大学名と合格者の名前が2面ぐらいに渡って新聞に掲載されていましたから。もちろん無断で。今は無くなりましたね。思いっきりプライバシーの侵害ですから。でも、学歴偏重主義が顕著だった当時は、新聞に名前が載るか載らないかは、親にとっても世間に自分の子供がどこに合格したかが知れ渡る重要なことだったわけです。ま、長い人生にとって、たかが大学ぐらいで一喜一憂するのもどうかと思いますし、当時は大学に落ちて自殺しちゃう人もいたぐらいですからね…。うちの高校でもいましたよ。首吊り、飛び降り。勉強しすぎてノイローゼになって入院した人もいたし。みけマンマが、そんな中で社会と国語だけでここまで生きてこれたのは、絶対、田中芳樹先生のあの手紙があったからだと思っています(爆)国語と社会だけでも大丈夫。たぶん、田中先生がみけマンマを覚えていることは確実にないでしょうけど、この前、押入れを整理していたら、田中先生の、その手紙が出てきて、ちょっと感動しました。全然銀河英雄伝説の内容にかすってもいませんが(汗)銀河英雄伝説、面白いですから(おいおい)もし、中学生のお子様で本がお好きだったら、銀河英雄伝説をお勧めします。世界史が大好きになりますから。そんでもって、世界情勢を知りたくなる、そんな本です。支離滅裂ですが、今日はちょっとオタクなみけマンマでした♪夜はボクシングですけどね。
2007年10月20日
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今日、空手の稽古に行く途中に、ふっと高校時代に友達と話していた事を思い出しました。「ねえ、みけマンマ~。今から言う友達の名前思い浮かべてみてー。」みけマンマ、言われた友達の顔を思い浮かべる。「○○ちゃん。思い浮かべた?」「うんうん。」「怒った顔じゃなかった?」…。「そうだ(汗)怒ってる顔だ~~!」「でしょ!!でしょ!!やっぱり。」そう、○○ちゃんはとても真面目な子だったのですが、いつも何かしら不満があるのか、よく怒っていました。彼女の名前を聞いて思い浮かべた彼女の顔は怒った顔でした。「普通は、人の顔を思い浮かべると笑顔でしょ。でも、○○ちゃんの名前を聞いたら、怒った顔だったのよ。」思い浮かべてみてください。家族の顔を。怒っていませんか?逆に、自分の顔は、人からちゃんと笑顔で思い浮かばれているのだろうか。人に怒鳴り散らしていたり、不満ばかり言い連ねていると、自然と周囲の人はその人の怒った顔ばかり思い浮かべるようになってしまうんですね。些細なことですが、人から笑顔で思い浮かばれるような人になりたいと思いました。だから何なんだよ、俺は笑顔なんかで思い浮かばれなくったってどうって事ないさ、と思ってる人。そいういう人は怒った顔でしょうね(爆)極真空手の大山倍達総裁が映画で言っていた言葉があります。「世界で一番強いのは極真空手や。…(中略)…でも、強いことが大事なんじゃない。一番大事なことは人間性だよ。人がほのぼのするような、温かい人間性が一番大事なんだよ。」みけマンマは大山総裁は生で見たこともないし、映画でしか知らないですけど、ただ強いだけが極真空手ではない、人間性こそ一番磨かなくてはいけない事なんだ、というこの話には感動しました。これからも、人から笑顔で思い浮かべられるよう、精進していきます(笑)
2007年10月11日
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昨日、学生時代にしていたアルバイトでの話をちょっと書いたら、また思い出した事があったので、書いちゃいます(笑)10年ぐらい前のカラオケボックスは、ちょうど全盛期で、みけマンマがバイトしていたカラオケボックスも、大体一晩で100万以上の売り上げがありました。老若男女が毎晩毎晩カラオケボックスに歌いに来るのですが、もちろんそのお客さんを捌くのも大変。それでも、仕事が終わればのんびり清掃なんかをして、和気藹々と楽しいアルバイトでした。もちろん給料も、当時の学生アルバイトとしては破格の値段をもらっていました。さてさて、そんなある日、いつものように店じまいをして、掃除しようか~と倉庫へ行くと、なんと、まっさらな白いモップが置いてあるじゃないですか。「店長~~~!!何々~~これ!新しいモップ買ったんですかー!?」「そうだよ~~前のモップ汚れてたしね~新しいの買ってきた。」みけマンマ大喜び。もう一人の年下のスタッフの女のに「ほらああ~~~♪ポチだよ~~わんわん~~!わんわん~~~!!」「かわいいいい~~~~♪」掃除もせずに二人でモップを振り回して遊んでいたので「ほらほら~早く掃除してよ~。玄関拭いてきて~~」「は~~い♪ポチ!行くぞ!!!」みけマンマ、元気良く、モップのポチを連れて店のドアを開ける。そして、そこに鎮座していた物体を発見してしまいました。「……。 店長~。」「どうした~?」「あの…ウンコがあるんですけど。」「はあ?犬のウンコか?」「いや、違うと思います(涙)」「なんで?」「だって、ウンコにティッシュ乗ってるもん(涙)」みんな玄関に集合。そこには、何故かどおお~~~んっっ!と巨大なウンコ、そして、そのてっぺんには、ちょこんとティッシュが添えられていました。「絶対これってさー人糞だよね(汗)」「支配人が来る前に片づけないと…」「あたし、やだ。」「あたしも~~。」「ええ~(汗)」「店長~~こんなうら若き乙女たちに、野○ソの処理させるんですかああ~~」こういう時だけ強気。女って怖いです。しかたなく、店長、新聞紙を持って来て、ウンコを包む。「わ~~(涙)重い~~!」「きゃーー!!店長こっち来ないでよおお~~!!」「いや、どこ持って行けばいんだーー!!」「うわあー!トイレでしょーー!!早くーー!!」大騒ぎしながら店長トイレへ。「やれやれ、はい、ウンコも無くなったし、玄関掃除ね♪」「えええ~~~何で?」「モップで。」今日、新調したばかりの「ポチ」が(涙)仕方なく、モップで掃除しましたよ。「あたし、そのモップ、絶対使いたくない~~~」「あたしも~~~」さすが、女心と秋の空です。今は、介護の仕事したり、子育てもして、ウンコなんて物には、全く動じませんが、当時のみけマンマ達にとっては、衝撃でしたね~。とりあえず、店の前で脱糞していった人は、よっぽど我慢できなかったんでしょうね。ちょっと奥まった所に店の入り口がありましたから。でも、脱糞してる最中に玄関掃除に行っていたら、どう声をかけたらいいものやら(汗)出会わなくてよかった(笑)
2007年09月27日
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「どうか、娘を忘れないでいてやって下さい」そんなセリフを、言わなければならない親の気持ちがどれ程のものか。今からもう、10年以上前。みけマンマは京都の大学で、小学校の先生になるための学部に入学しました。同じクラスに京子ちゃんという子がいて、京都生まれの京子ちゃん、という事で、全国津々浦々から入学してきた皆からほんまもんの京都人と言われていました。彼女とみけマンマは、たまたま同じ英語のクラスで席が隣同士。英語のクラスは、英文の翻訳を先生から順番に指名されていたので、彼女と同盟を結び、二人で英文の担当を割り振って翻訳していました。忘れもしない、10月12日。みけマンマは教科専門で体育の授業を受けていました。小学生の体育の授業指導を勉強するクラスです。体格も、名字も近いということで、体育ではいつも京子ちゃんとみけマンマはパートナーでした。その日の授業はサッカーと陸上競技のハードルの授業で、炎天下の中、二人で頑張っていました。そして、休憩時間に京子ちゃんが「ねえねえ、聞いて、みけちゃん。うち、好きな人できたんやわ♪」「本当!?誰誰??先輩?同級生??」「内緒~~~♪」「ええ~~教えてよぉおおお~」彼女は女子のラクロス部に入部していたから、男性とどこで出会うのか、19歳のみけマンマ、興味津々(笑)「ねえねえ~~もったいぶらないで、教えてよ~~」「うふふふ~~明日♪明日、英語のクラスで教えてあげる~~」真面目な彼女の恋話に、周りのみんなも「教えて~教えてよ~」何てったって、19歳の乙女です。翌日、水曜日。大学の階段を上がって、英語のクラスに行こうとすると、教室の前で同級生らが待っていました。「どうしたの~もう授業始まるよ。」「みけちゃん、京子ちゃん、死んじゃったって。」「は??」「京子ちゃん、死んじゃったんだよ。」「な、な、なんで?だって、昨日、あんなに元気にサッカー一緒にやってたよ。」同級生らは、みんな泣いていた。「だってさ、今日、今から英語だよ。だって、昨日、明日、明日、明日って言ってじゃん!!」みけマンマのうわずった声に、友人らは思わず「だからさ、死んじゃったの!!!今日の朝、お母さんが京子ちゃんを起こしにベットに行ったら、もう、息してなかったの!!!死んじゃったんだよ~~みけちゃん~~本当に、死んじゃったんだよ~(涙)」だってさ、今日、話してくれるんじゃなかったの。まだ、19歳だよ。みんなが知っていた。彼女が一人っ子の、一人娘だって事も。彼女は、いつも両親から自分がいかに大切にされているか、嬉しそうに話してくれていたから、みんな、知っていたのだ彼女の死が、すなわち、両親だけが残される、という事を意味していた。呆然としながら、英語のクラスに行くと、早速出席が取られる。「みけまんまさーん。」「はい。」「○○京子さん~」「○○京子さん?お休みですかね?」「…。」亡くなりました、とは言えなかった。そう言ってしまったら、本当にもう、彼女は帰って来ないような気がしました。「明日ね」と言っていた、彼女に、もう明日がない事を認めたくなかったのです。彼女の通夜と葬儀はすぐに行われ、憔悴しきった両親は、彼女の名前が書かれたテレホンカードをみけマンマ達に渡してくれました。彼女は永遠に19歳のまま。そして、彼女の両親がこの世からいなくなったら、もう、誰も次はいないのだ。「どうか、娘のことを忘れないでいてやって下さい。お願いします。」お父さんが大好きなの、と言っていた、そのお父さんが、涙ながらに言われた言葉。忘れないでいること、それしか出来ない。自分に明日がある、なんて、いかに不確定な言葉か。京子ちゃんが好きだった人は、誰だったのか。「明日ね♪」という言葉を聞くたび、本当に明日が来ますように、と思ってしまいます。10月13日が来るたびに、みけマンマは心の中で、短い人生を駆け抜けた彼女の冥福を祈っています。
2007年07月25日
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昨日の日記で出てきた、ナイルパーチ、よく考えたら、知らない人の方が多いんだよな~と思ったので、もうちょっと説明しようかと思います。 これです。ナイルパーチ。日本では「スズキ(ナイルパーチ)」としてスーパーの冷凍食品の白身魚、弁当、学校給食なんかで出されている魚です。この魚、アフリカのヴィクトリア湖で養殖されている魚です。ヴィクトリア湖は別名「ダーウィンの箱庭」と言われるほど、生物の種類が豊富な湖だったんですね。ところが、そこに白身魚の養殖魚としてナイルパーチが放たれたのです。そして、あっと言う間に、この肉食のナイルパーチによってダーウィンの箱庭にいた生物の半数が絶滅してしまったのです。また、ナイルパーチの養殖、そして運搬などで多くの貧しい農村の人達がヴィクトリア湖周辺に押し寄せ、貧富の差が一気に拡大。貧しい女性は皆売春婦になり、エイズが蔓延、ストリートチルドレンが溢れ、地元の水産業者は、ナイルパーチによって破壊された生態系のために藻が大繁殖、水産業が営めず廃業。まさに映画「ダーウィンの悪夢」はその魚を買い漁る日本から始まっているのです。ヴィクトリア湖の人々は、遠い日本に送られるナイルパーチを、一口も口にすることなく、死んでいく。衝撃的な映画です。しかも輸送される飛行機の往路には武器がアフリカに持ち込まれて来る。魚を送り出すと、帰りは武器が乗せられてくる。まさに悪夢の連鎖です。でも、この映画が出る、ずっと前、みけマンマは同じような悪夢を見たことがあります。それはナタデココです。昔、一大ブームを起こしたナタデココ。猫も杓子もナタデココを売れ!とばかりに、あちこちにナタデココが溢れていました。そして、ブームが去った後、知ったのです。発展途上国で、ナタデココが「車の部品だから」と言って作られていた地域があったことを。どこぞの業者が、ある日、貧しい村にナタデココを持ってやってきたのです。そして「これは日本の車の部品の一部なんです。これを製造することで、安定した収入が生まれます。日本ではこれを必要としているんです。」村の人達は、こぞって工場を造り、老若男女、ナタデココ作りに励みました。貧しさから抜け出したい。これで安定した収入が得られる。ところがある日、突然、会社は潰れてしまったのです。何故だ?日本の車の部品なんでしょう?どうなってるんだ。村はパニックになり、廃墟となった工場だけが、村に残る。そして、日本から来た取材の人間によって、作っていたのが、車の部品ではなく、流行廃りの激しい、デザートの食材であることを初めて村人達は知ったのです。愕然とする村人たち。日本の車の会社の下請けなら、きっと大丈夫、と財産なげうって投資した人達は、初めて、騙されていたことを知る。決して、日本が騙したわけではない。ナタデココをちゃんと作っている工場はいっぱいある。でも、ブームに乗って、何も知らない人達を騙して儲ける人間がいる。そして、その富の頂点にいるであろう日本を、彼等が恨まずにはいられないだろう。普段生活していると、ついつい忘れてしまうのですが、私たち日本人は、世界の富を吸って生きているんですね。別にみけマンマ、信仰とか、宗教どうのこうの、ましてや神様どうのこうの、とは思った事はないんですが、どうか、少しでも、彼等が救われるように、と願うばかりです。追伸 あ、これ、昨日の日記の「アクア・とと 岐阜」のアドレスです♪http://aquatotto.com/index.html江ノ島の水族館とかとも提携してるんですね~こういう体験型水族館が、もっと増えると楽しいだろうな~と思いました。
2007年07月24日
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ハピママさんの所のステラちゃんが病気だそうで、猫はなかなか病気が多くて大変だなあ、と思いました。そして、もう、かれこれ10年以上前になる、一匹の猫の事を思い出しました。当時学部生だったみけマンマ、某大学の研究室によく遊びに行っていました。その頃お付き合いしていた人が、研究員だったので。で、その日も研究室に行くと、他の研究員の人が「今さー、窓から猫が落ちてったんだけど(汗)見間違いじゃないよね…。」慌てて研究所の外へ出てみると、なんと数匹の猫が地面に叩きつけられ、死んでいました。しかも、子猫ばかり。一匹は大きい猫で、親猫なのかどうかは分かりません。その中の一匹が啼いていました。灰色の縞模様の猫が、泣いていたのです。抱き上げると、とても小さくて、可哀想に、と思い、「誰かにもらわれるまで、引き取ろう」と、みけマンマ、家に連れて帰りました。所が、この猫、ちっとも立ち上がろうとしません。ひたすら泣くばかり。獣医なんて行った事もないので、タウンページで近所の動物病院を見つけて連れていくと「前足全部、折れてます。」と言われました。確かに、猫の両足はプランプランでした。待合室でうなだれていると、もう一人、猫を抱えたおじさんが「あんた、その猫どこで拾ったの?」と聞くので、某大学の構内で落っこちてたんです、と答えると「そうかー!やっぱりなー。ひどい奴がいるんや。実はこの猫、その大学の構内にある畑から掘り出したんだ。散歩してたら、どっからか猫の声がするやんか。まさかと思って掘り起こしたら、いっぱい猫が出てきたんや。こいつだけ生きてたから、拾ってきて、診てもらったところよ。」どうやら、構内で繁殖している猫をごっそり一掃しようとしてる人がいるんだろう。だからって転落死させたり、生き埋めにすることないだろう。とにかく、獣医さんも「衰弱が激しいし、骨折もしてるし、長生きは出来ないですね。美味しいものを沢山食べさせてやってください。」ホームセンターに行って猫用のミルクを買い、スポイトに入れてあげると、猫は喜んで飲みました。短い命でも、名前が無いのも可哀想だと思い、当時大活躍していたグランパスエイトのヒーロー、ストイコビッチの愛称ピクシイ(妖精)と名前を付けて看護しました。ピクシイは腕が折れてて、動けないので、いつもおしっこシートの上で過ごしていました。1日経っても2日経ってもウンコが出ないので、また動物病院に行ってみると、自力で排便も出来ないらしく、浣腸してもらったり、衰弱も激しく、強心剤打ってもらったりして、ピクシイは何とか1週間以上持ちこたえました。でも、9月17日、夕方、治療代でほとんどご飯も食べれなかったみけマンマを心配した彼氏が「ピクシイを看ててあげるから、ローソンで何か買って来なよ」と行って来てくれたので、近所のローソンに行ってパンを買って帰ってくると、彼氏がピクシイを抱いて泣いていました。「ピクシイさ、みけマンマが「行って来るねー」って言ってドアを閉めた瞬間、首がパタってなって、死んじゃったよ。本当にドアの音と一緒に、死んじゃったよ。みけマンマの前で、ずっと頑張ってたんだな。気が抜けた瞬間、死んじゃったよ。」ピクシイは、小さい身体が一層小さくなったようで、まだ温かいのに、ピクリとも動きませんでした。死後硬直が始まる前に、みけマンマはティッシュの箱でピクシイの棺を作り、ピクシイを綺麗に納めて、ピクシイを拾った研究所の木の下に穴を掘って埋めました。何のために産まれて来たか分からないピクシイの短い人生でしたが、こういう酷い事をする人間が、一人でもいなくなるように、とみけマンマは祈りました。あれから10年以上の月日が流れましたが、今でも、灰色に縞模様の猫を見ると、ピクシイの事を思い出します。
2007年07月19日
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もう、先月の事になりますが、ユーコ達を夕方お迎えに行くと、チー子がいじめられていました。別にいつもチー子がいじめられているわけではありません。いつものたまたまチー子だっただけです。うちの保育園は3分の1以上が外国人。たぶん、日系ブラジル人が多いんだと思いますが、明らかに日本語の通じない子どもが沢山おります。日本語の喋れる子どもは、他の園児とも交わりがあるようですが、全く喋れない子もいて、しかも親御さんに限っては、全く日本語が分からない方もほとんど。以前は保育園の入り口に「通訳は何曜日、何曜日に来ます」と張り紙がしてありましたが、今年に入ってからはずっと「しばらく通訳はいません」と張り紙がしたまま。保育参観でユーコ達と遊んだ時も、外国人の子ども達は、外国人だけでコロニーみたいのを作って、一緒には遊ぼうとしてませんでした。その一群が、夕方、年少以下の子ども達、いわゆる赤ちゃん組が外に出てくると、誰かを取り巻いては、外国語で何か叫んでいるのです。たぶんストレスがたまってるんだろうな~とは思っていました。保育士の人も見てるのか見てないのかよく分かりませんが、大声だされた赤ちゃん組の子は泣いたりしてました。で、たまたま、今日はチー子がターゲットになったんでしょう。外国人の子ども達に取り囲まれ、何語か分からない言葉でワーーーー!!と言われてチー子が泣き出しました。さすがに、自分の子どもだしなー(汗)あんまり保育園で親がどうのこうの言うのもなんだけど、止めた方がいいだろうな。そう思って止めに入ろうとしたら、そんなみけマンマを追い越して、疾風の如く走り抜き、一番大きな男の子にユーコが思いっきり跳び蹴りしてました(汗)「私の妹に何すんのよーーーー!!」おいおい、空手道場でそんな勇ましい姿見たことないぞ。チー子はユーコの後ろに隠れて「おねえちゃあああーーーん(号泣)」と泣き、蹴られた男の子らは、何語かよく分からない言葉で、何か言って走り去って行きました。たぶん、彼等は、言葉も通じない日本で、お父さんもお母さんも遅くまで働いて、友達とも言葉が通じない、先生とも言葉が通じない、そんな中で、自分より小さい、発語もままらならい小さい子に大声を出すことで、ストレスを発散していたんでしょうね。いつも弱い者は更に弱い者をいじめる。父親は会社でストレスを抱え、家に帰り、家族に当たる。当たられた嫁は子どもに当たり、当たられた子どもは、更に小さい者に当たり、その小さい者は、もっと小さい者に当たる。保育園は社会の縮図だ。まだ、みけマンマの住んでいる所は外国人労働者はいても、企業系サラリーマンは少ない。大企業が入っている近隣の市の幼稚園なんかでは、子ども同士で部長 課長と呼び合ってるらしい。そう。親が大企業の課長か部長かで、子ども同士のランクも決まるらしい。親が部長なら子も部長。親が平社員なら、子どもも平ってことでしょうか。いつの時代でもあることなんでしょうけど。札束で人の横っ面を叩く人と、叩かれる人。たとえ世の中がそんな風に2分されたとしても、自分の子ども達や道場の子ども達には、その叩く手を止める人間になって欲しい。
2007年07月18日
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