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高校生のとき、親友だった“ゆかりん”からこの掲示板に書き込みがあったので
びっくり!私は鹿児島県生まれで鹿児島市育ち。
高校3年までは桜島を背景にしながら漫画家を夢見る少女だった。
彼女とは高校1年のとき仲がよかった。しかし、私は耳が聞こえないので
授業もわからなく、教室移動があったことも耳に入らない。
それを彼女が助けてくれたけど、彼女の友達が私の存在に迷惑してた。
優しかった彼女は苦しかったんだと思う。(苦しめてごめんね)
けれど、聞こえないのは当たり前であって、彼女の友達に理解してもらうのは
難しいことだから私は仕方ないと開き直ってた。それから、彼女と疎遠に
なってしまった。
その反面、彼女はずっと心に残ってたそうで、私に謝りたいとずっとずっと
思ってくれたんです!なんと、私のことを探してたらしい。
嫌なことはすぐ忘れる性質なのですが、
彼女のその気持ちを聞いて凄くうれしかったです。
彼女と私が通っていた高校は厳しい女学校として有名。
“鹿児島市純心女子学園”大阪といえば宝塚の女子高等学校みたいなところと
思ってくれたら理解できるかも。
今思うと、よく卒業できたなぁ、と思う。
幾度か、母に「私、高校辞めるわ」といった。母はまじめな顔で
「いいのよ、ここまで美紀は本当にがんばったと思ってる。だから辞めていいんだよ」
と言われてしまった。そんなわけで辞めたい、ってこれ以上言えなかった。
そしてエスカレーター。東京純心女子大学。ここも厳しく、別の世界だった。
音楽と美術の大学だからやはりお嬢様と変人が集まった。私は変人の方。
私は寮(カトリック制)を追い出されてしまったので(ビールを飲んでたのを見つかったため)
友達の家を転々と泊まりながら大学に通い、ホステスのマネージャーとして
アルバイトをして、絵の具代などを稼いでた。クラブの特別キャンペーンの
手相師もやった。そんな水商売の世界とお嬢様ばかり集まる清らかな学院と往復の
学生生活は楽しかったし、勉強になりました。そしてプレイボーイの陶芸家の下で
弟子として居候してもらったことも。私は陶芸家が女とデートしてる横でろくろを
まわしたり、いらなくなったお皿を割ったり、ふんだり、けったり。
結局「陶芸家より漫画家の方がお金かからないので
その道に行きなさい」と追い出されたが(笑)
ゆかりんに出会えてうれしい気持ちです。