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2019年03月13日
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カテゴリ: ジストニア
ジストニアというのはピアニスト3大難病の内の1つです。
この病気は今世紀今だ直すことは出来ないとされています。
その病気との闘いをここに記そうと思います。

私はおよそ26歳のころだったと思うのですが。左手がこの病気になりました。
今から16年ほど前です。
なぜこのブログに書くのか?それはこのブログの始まりがジストニアからなのだからです。
それから刺繍をしたり、ハンドメイドビーズアクセサリーを作ってみたりして、細かい左手に作業をさせて、動かせるよう、日々ピアノに自己流のリハビリをしながら今日まで来ました。

そして今日なぜ突然まだこのブログを書くのか?
それは、たぶん、ジストニアを直すことのできる人に、私に言わせると、世界的名医、に出会えたと思ったから。

そして、ここで微力ながらも伝えることで私自身が救われるからです。
常々、このような場を提供してくださり、私のほとんどログインもせずほちっている、およそ何のメリットもない私のIDを削除せずにこうして保ってくださっている、楽天さんには感謝です。
ついでに全くツイートしてないのですが、日ごろいままで、そしてこれからの分も、感謝を申し上げます。
楽天さん沢山ポイントを山分けしてくださってありがとうございます。

話しは長くなります。
まず、ジストニアになった経緯です。
20歳ごろピアノを本格的にイギリス留学中に始めました。
私は自分の親ではなく、おばさん、母の妹夫婦に育てられましたので、ピアノを習わせてほしいと思っていても、とうていかなわない夢でした。
育てて頂けただけでも感謝せねばならないでしょう。
生きることに精一杯な子供だったのです。
(ジストニアとはまた別にディスレキシアもあり、これについてはまた別に述べたいと思います。)

これは、とてもとても貴重な体験となりました。
ピアノを習うことのできない私は、既に習っているお友達をの真似をして弾きました。
それが最初のピアノの体験で、小学校2年生から6年生までです。
それ以前は実は2歳か3歳の時テレビでベートーベンソナタ悲愴かな?を弾いている、名前を思い出せないのですが、たぶんイギリス人のピアニスト?の演奏を聴いて、それ以来ずっとピアニストになりたかったです。
ところが小学生の境遇では、休み時間に少し音楽室で、みんなの見よう見まねで弾く事が精いっぱいで、なんとお友達のお母さんに、あの子は習ってないから基礎ができてないからだめよとかいわれました。

その後は、あの小学校の感謝すべき音楽の先生に、弾いてピアノを弾くにはどうしたらいいかと尋ねました。
そしたら、ぐっさり、才能ないみたいなことを言われたのですが…本当に小学生にそれでよかったの?
日本の音楽教育にはいくらか問題があります。
ソルフェージュが完璧だと音楽が完璧だと思うことです。
ソルフェージュない人はダメだという決めつけです。
習わないとできるようになりません。
トレーニングが必要です。
ピアノが弾けることと、音程を正しく歌うこと、その場で新曲視唱ができることと、聴音ができることは人間の機能としてはすべて別々のものです。
ピアノが弾けても、新曲視唱や、聴音はできないこともあります。
大体の幼少期からピアノを習っている人は絶対音感がついたりして、できたりもします。
大人だとまず声帯が歌うことを知らなければ、音程を頭で理解していても、新曲視唱はできません。
体の機能から考える必要があるのです。
聴音もそうです。音程を理解しても、書けない、音と楽譜が一致しなければ書けません。
書けないことが、音感が無いわけではありません。
また、一方で、ピアノだけ弾けて、音感が全くないことも、あることもあります。
すると、ピアノは弾けても、新曲視唱はできないことは起こりうる一例です。
逆に言えば、新曲視唱ができてもピアノは弾けない。
また、新曲視唱ができたから音感があると判断することは誤っている。
それがなんと新曲視唱や聴音が音大の入試の基準になっているのは日本くらい。
しかも巷ではいまだに絶対音感に憧れてやまない状況。
一昔前は、絶対音感は7歳までに訓練しないと付かないと信じられてきました。
どなたの学説かは存じませんが。
私の答えはトレーニングをしたら大人も子供も付きます。

さあそんなトレーニングもせずに、見よう見まねでモーツアルトのソナチネとかひいちゃったからちょっと悔しかったでしょうね。
でも、ピアニストになるには通常子供の時に12歳でショパンエチュードOP10を弾いていることでしょう。
そういう点では一部先生の言う通り。
しかし、もっと致命的な部分が私の奏したものを聴いてくださって感想をくださった冷たい回答の大人の人たちとの間にはあるのです。
それは、とある音の質です。
ヨーロッパのつまりクラシック音楽の本場の教育では、日本のようなソルフェージュに血眼になっていません。
それが私の体験でした。
音楽を演奏するには、もっと重要なことがあるんです。
それは、音の質です。
よく、いい音とか正しい音とか美しいまたはきれいな音とかいいます。
その言い方は間違っています。
なぜなら、いい音や悪い音は存在しないし、又、正しい、正しくない音も存在しないからです。
美しいか美しくないかも、ひとそれぞれで、美的概念やら傾向やらで難しい世界の思想の話しに突っ込みます。
しかも、正しいとか、何をもって?という前提条件が必要になってきます。
だって、前提条件がなければ、クラシック音楽の楽譜通りにひくこと自体間違っていることになるからです。
その結論から、なんと、インプロバイゼーションをしていたイギリス人男性に留学中であったのです。論理が破たんしている。
そのおと、つまりとある、そのおと、とは何か?そのある質の音、それを手に入れなければ、まずもって演奏家になれません。
どんなに、ソルフェージュや絶対音感があっても、だめです。
私が小学生の時、本来ピアニストの子供なら弾くべき曲よりも遥かに簡単な、しかし、当時日本の小学生ならなかなか難しいモーツアルトのソナタを私は弾いた時、いや、どんな簡単な曲を弾いていた時、いつもいつもいつも、ピアノの周りにはたくさんのお友達、いや、好きな友達、嫌いな友達関係なく、知らない子達もみんな集まって聞いてくれていた。
これこそが大人の冷たい答えよりも、ずっと貴重な体験であり、証拠だったのです。
既に、そのとき、その、形容できない、あの、ある質の音を私は無意識にだしていたと思います。
正し、今のように洗練され、意図的に人為的にだしていたのではなかった。
そうこの音は、なんと極めて人為的であり、ゆえに誰でも出すことができるもので、才能とかいう程のものではないのです。
ただし、その質の音を形容する言葉は存在いていないので、音楽やピアノの先生は、いい音、正しい音、きれいな音、とか言います。
その表現は間違っていること先ほど述べましたが、夢という言葉も色々な夢があるように、広域には、その質の音を含められるかもしれません。
ただ、音楽は、人間の経験や感情などいろいろ全てだと思うので、きれいな人だけが存在しないように、きれいな音だけが音楽の音ではないと思います。
なので、先生方は、その音を口頭で伝えたい人は、言葉を選ぶか、前提を添える必要があると思います。

さて、ジストニアまでの経緯がまだまだあることに気が付きました。
そして様々な音楽の問題点にふれて、寄り道が多く、しかし、どれも捨てがたい内容でしたので長くなりました。
そうジストニアは潜在意識に関係しています。
つまり人生そのもののどこかに原因が隠れているので、そこから、そんな前から全て話すことに気が付いたらなりました。
それが脳の神経細胞と関係していて、身体に信号を送り続けるのです。

また次回この話、ジストニアの苦悩の人生と今これからもしかしたらなおる経緯を暫く続けます。





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Last updated  2019年03月13日 15時33分18秒
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