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2月11日は木曜日で祭日、建国記念日でしたね。整体院も木曜日は休日なのでカレンダーを観ながら1週間くらい前から、営業日にするかどうか考えていました。いつも日、祭日は予約が入るので開けていれば営業確認の電話が来そうだからです。しかし週の頭にボランティアグループの「愛の架け橋」から、珍しく映画を観てお茶をする親睦会に来ませんか?とのお誘いがあったので行ってきました。こういうボランティア活動をしている人達です。電話をくれたのがNさん(26歳女性・職業/銀行事務)でしたので、参加者が20代の女性ばかりで「女子高の同窓会に現れた元保健室の変態先生」みたいな構図になるのではないかという一抹の不安がありましたが・・・亀有の駅前で待っていた君沢ユウキ^^;ばりの爽やか新リーダーやトレンディドラマのキャストのような個性的な男性陣のおかげで「人気料理店の同僚オフ会に空気の読めない常連客さんが突然やってきた」・・・みたいな構図となり・・・どちらにしても私が参加者最高齢で場から浮いている事だけは事実でした。総勢20人くらいで男女比は♂1:♀4、年齢20代~30代+もうすぐ50才の私が1名の親睦会です。浮いていると言えば観に行った映画は3Dメガネ使用の画面が浮いている「アバター」でした。折角、映画館まで行って大画面で観るのなら・・・ということでアバターを推奨しました。私の意見で決定すると言われて真剣に考えましたが、いくらなんでも大画面で恥ずかしい恋愛映画を大人数で観たくありませんし、途中で飽きて眠ったりしたら顰蹙をかきます。鑑賞前に↑洋食屋さんでチーズベーコンオムレツを頂き、カフェテラスに移動して最近はあんまりやらない自己紹介等をして気分だけは30代のアバターになって頑張ってきましたが、参加している皆さん、ごく当たり前にスピリチュアリティが高い爽やかオーラ全開の人達ばかりなので、もうすぐ50才の汚れきったお父さんとしてはただただ恐縮するばかりです。彼らが普通に仕事をしながら、感じたままに近隣ボランティア、さらにフィリピン・中国の子供達の学費支援や兄弟、姉妹の調印を結んで地球家族としての実践行動をおこしている事に何の気負いも迷いも無い処は・・・巷のスピリチュアル講座を梯子してスピな知識だけを頭に溜め込んでいる割には、結局エゴでしか行動していないスピマニアな人々と根本的に大きな何かが違うような気がします。それは純粋な「思考」「言語」「行動」が揃えば人はどんどん進化できるという証明であり、私にとっても、もっとより良く人の世界を変えていくという課題の為の大きなヒントです。そして何よりもこの北千住に店を出して知り合った「引き寄せ」に感謝です。さて、肝心の映画の感想ですが、これは皆が映画終了後に目を輝かせて「キレイだったね~っ」と言っていたので特にありません^^日常を抜け出して異星でのアバター体験を楽しむ為の映画ですからストレス解消になればそれでOKです。おまけに映画館が当たりで3D酔いしない優秀な画像でした。ちなみに映画終了後に巨大ポスターのコピーを観て「これタイタニックの監督だったんだ!」という映画マニア度ゼロ証言をするピュアな人達と映画を観れた事はとても新鮮な体験でした。さてさて、実をいうと映画を観る前、当日の朝方に意味深な夢を観ました。小学校のクラス内で班ごとに課題絵本の感想を話し合ってまとめるというものでした。最終的に感想文をまとめて先生へ提出するのは私ではなくて代表の班長さんの仕事です。夢の意味としては・・・おそらく、たまたま出来たこの休日に若い人達と映画を観に行くという事が学びの課題の一つなのでしょう。童心に帰って純粋に楽しめという事かもしれません。近々、別記事に書きますが、最近、色んな事の現実化が加速しています。善意は善を現実化し、悪意は悪を現実化します。映画アバターは見方によっては色んな歴史の闇を連想させて心の奥の根深い怒りを誘導しますが、一緒に観た「愛の架け橋」の人達と同様に純粋に「キレイだったね~っ」でキレイに流して良いのではないでしょうか?それが夢に出てきた課題絵本に相当する映画アバターの感想であり「ただ童心で観る」という学びです。代表班長さん、感想の提出を菩薩先生によろしくお願いいたします^^さてさてさて・・・なんだかんだ言って、それなりにまったりとした建国記念日を過ごす事が出来ました。皆さんは11日をどう過ごされましたか?
2010年02月23日
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今年に入ってから、「学校の授業の夢」を観られるようになりました。「学校の夢」じゃなくて「学校の授業の夢」です。人生で長い間観てきた学校に関する夢といえば・・・遅刻する夢、留年する夢、放課後に部室でまったりの夢、休日登校の夢、学校内のキレイなトイレを探しまわる夢運動会の夢、校内をこそこそと逃げ回っている夢、etc・・・・・・・学校に関する夢はずっと観てきたけれど、唯一、クラスで授業をまともに受けている夢だけは観ていないのか、覚えていないのか、記憶に全くありませんでした。ところが、先日2月11日の朝に観た課題絵本の感想提出の授業をはじめぽちぽちとクラス単位の中で先生らしき人に具体的な授業を習っている風景が出てくるようになりました。そこではっきりと覚えている授業内容を一つ披露いたします。私はとても腑に落ちた内容です。なんとなく周囲が暗い教室の後ろの方で私は授業を聞いています。教壇に立つ先生が手に何かを持って喋っています。「RPG(ロールプレイングゲーム)で必要なアイテムは金の蝋燭です」・・・というと手に持った物が金色の炎を上げます。それは普通の蝋燭なのに金色の炎と光が灯って暗かった教室が金色に照らされています。・・・以上です^^ロールプレイングとは誰かの立場になって演じてみる事。そしてRPGで蝋燭といえば使用するのは真っ暗な洞窟ダンジョン、真の闇です。でもダンジョン内には価値のある宝が眠っているというのがお約束の展開。「エドガー・ケーシー 夢のメッセージ」によれば・・・蝋燭は、内面の力、クンダリーニ・生命の力金色は、あこがれの到達点、ありたい自分の姿・・・さてここまで解れば意味は自ずと導き出されます。意味を言葉にするだけ野暮な気がしますので、是非、ご自分で考えてみてくださいね。単純なのに、なかなか深いです。さて夢と言えば13日の早朝には競馬場で2番の馬が2回リピートして優勝する夢をみました。2-2?の事とか思いましたが、競馬を生まれてこのかた、やった事のない私としてはまったく興味ない内容でしたが、どうやら13日のバレンタイン杯は2番の馬が優勝したらしいです。ただしリピートはしてません。(2番を強調しただけ?)こういう場違いな夢もいきなり観る事があるようですが私としては、もっとスピ授業の夢を観てみたいと願っている今日この頃です。競馬じゃなくてナンバーズやミニロトとかの宝くじ系の数字なら観たいかな^^
2010年02月22日
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先週の水曜日、決算書類をまとめるためにごたごたしている最中、ちょっと眠気が来て椅子に座ったまま、うつらうつらしていました。何かが突然、「来る!」・・・という感覚があり、飛び起きて目の前の携帯を掴むと、丁度メールの受信中。内容を見る前になんとなく予想がつきました・・・中華嫁からのメールでした^^帰国直後から実に21日ぶりのメール返信^^;・・・内容も予想通りで、ごくシンプルに・・・「返事おそくなってごめね 私元気です 返ってからずっと忙しかったです また連絡します」(原文まま)でした。まあこんなものでしょう。私は中華嫁と出会う1年前に3人の結婚希望女性と出会いましたが、メールの返信義務にとても厳しく意見をする商社勤務の女性には精神的に最もめげた経験があるのでメールにルーズな中華嫁のスタンスはとても有難いものです。私がそれを天にオーダーしたという事だからメール返信にルーズでOKです。この3人との出会いがなければ今の中華嫁との国際結婚には至らなかったと思います。人間には何故、貴重な出会いというイベントがあるのでしょうか?もっとも全く出会いの無い人もいます。実は、中華嫁の携帯メールが来る1時間前にパソコンへ来たコマースジャングルの礒 一明氏のメルマガが私と中華嫁や人生の大事な出会いについて語っている内容だったので、「そろそろ中華嫁からメールが来る予兆だな^^」と予感していました。コマースジャングルの礒 一明氏のメルマガは4ヶ月前から登録しているので不定期で送られてくるものですが結構、リアルタイムで考えている事とその時のメルマガテーマがシンクロするので重宝しています。今回は、国際結婚の意味とも綺麗にシンクロしたそのメルマガの一部をコピペさせていただきますね。ではどうぞ。今日は、ブループリントと社会通念、というテーマでお話をしてみたいと思います。毎月の人生の目的セッションを通して、そして、毎月の会員向けチャネリングを通じて、いくつかはっきりと見えてきたパターンがあります。その一つが、ブループリントを見逃すパターン。どういうことか、順を追ってお話ししてみます。人は生まれてくる時に、魂レベルで課題を決めてきます。何となく生まれてくることはありません。こうして、課題を決めると、全ての人生の設定は、それに沿って決められます。親の選択から生まれる国、環境まで、偶然はありません。これは、私が決めたことではなく、スピリチュアルの分野では半ば常識になっている仕組みです。さて、こうした人生の設定は、一般に人生のブループリントと呼ばれています。人生のチャートと呼んだり、ライフプランと呼んだりと様々なバージョンがありますが、基本は全て同じです。課題が決まると、それにあわせたイベントや出会いのブループリントが描かれる訳です。さて、こうしたブループリントですが、これらは、あくまで機会の仕込みです。結果の仕込みではありません。出会い、イベントなどは仕込まれますが、そうした出会い、イベントをどう活かすかは、あくまで本人の選択です。人生は、課題と環境までは選びますが、結果までは決まっていません。決まっていたら面白くないですよね?自由意志の余地があるのは、嬉しいことです。さて、こうしたイベントや出会いですが、これらは確実に仕込まれているものの、モノにするかは本人次第です。ここは、大事なポイントです。人生を左右するイベントがあって、それをモノにできるかどうか?その分岐点があったら、知りたいと思うのが人情でしょう。では、どういうケースでモノにできないのか?ここが一番興味があるので、思い切って直接この質問を先日チャネリングでぶつけてみました。その答えの一つ(全てではありません)が、社会通念によるブロックでした。どういうことか、具体例を挙げてみます。例えば、予め仕込まれた出会いがあったとします。これは、同性の場合もあれば異性の場合もあります。時には肉親で、時には先生と生徒で、時には恋愛対象です。さて、ここで、肉親であった場合は、出会いを活用しないケースは少ないのですが(嫌でも影響を受けるので)そうでない場合は、活用するケースもあれば、スルーをして活用できないケースも多々あるようです。これだ、という出会いをしても、モノにできない実際にあった例を聞いたのですが、●お互いの育った環境の違い●宗教の違い●国の違い●両親に教わった価値観との違いなどなど、様々な理由で、出会いに蓋をしてしまうケースがあるようです。こうしたブロックの共通点は、言ってみれば社会通念。社会通念は、ある意味、ローカルルールと言えます。ある特定の環境の、狭い範囲だけに適用されるルールです。こうしたルールで、人生を大きくシフトさせる機会を逃すのは、ある意味もったいないと言えます。しかし、人は、様々なローカルルールがブロックとなって機会を頻繁に逃してしまうようです。「学びが多い出会いだが、両親から聞いたことと違うので受け入れられない」「惹かれる価値観だが、今までそうした考え方はいけないと教わってきた」「その人を好きなのは確かだが、収入や将来性を考えると二の足を踏んでしまう」「このイベントに強く惹かれるが周りに強く反対をされているので踏み切れない」あくまで一部ですが、こんな理由で、機会をスルーしてしまうようです。さて、こうした、様々なブロックを、人生の課題という観点から個別に検証してみると、思わぬ飛躍や成長の機会が潜んでいたりします。●ある人は、周りの反対に関わらず自分の信じる道を進むことで真の成長を得る人生だったり●ある人は、教えられた価値観から新しい価値観にシフトすることで道が開ける人生だったり●ある人は、思考より直感を信じることで運命が開ける人生だったりします。そう、つまり、人によっては、人生が開ける鍵は、社会通念や、今までの思考パターンから、思い切って抜け出すことにあったかも知れないのです。これは、簡単ではありません。人は、今までの延長が快適に思える動物です。しかし、その延長に満足していなかったら?何かを変えなくてはいけません。結果を変えたいのに、経過は同じ道を辿ると、結果は当然変わりません。経過を変えずに違う結果を求めることを、運任せと言います。運任せで適当に生きるコツは私は専門家ではないので、良いアドバイスはできません。新しい結果を手に入れるには、新しい選択を選び直すところから始まります。あなたのカンフォートゾーンを抜け出すと更に快適なハッピーゾーンが待っていたりします。・・・という事です。私の母親、姉は私の国際結婚には懐疑的でした。まあ普通の日本人なら大概、言いそうな確認事項をしつこく聞かれました。しかしそれに対して自分自身の魂の意見をしっかりと持てたことが人生を大きく変えるきっかけになった事は間違いありません。礒 一明氏のメルマガに興味のある方はこちらでどうぞ。メルマガのバックナンバーはこちらです。怪しいサブリミナル商品(そんなに高価ではありませんよ)も販売していますが、自己責任でどうぞ。わたしは今のところ、何も買っていませんのであしからず。しかし私とメルマガで意識のシンクロが起きるという事は、それなりに効果があるのかもしれませんね。
2010年02月22日
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A.電波でサクッと答えます。何処に入るのかを理解したジグゾーパズルの1ピースの事。[結]人生とは完成図が見えないジグゾーパズルを組んでいる様なもの。「気付き」というピースを一つ一つはめこんで次第に理想の自分の完成図が浮かび上がってくる。ピースの数は夢限の様にも見えて、組み上げる行程は決して楽とは言えないがある一定の処までピースがはまれば、いくつもの「気付き」が同時に起こり完成に向かって急加速する。「気付き」のピースは一生、尽きる事は無く「気付き」が多ければジグゾーは更に巨大になり多くの人々の手本・・・人生の導き手となる。一生かけて満足のいく1枚のジグゾーパズルが完成できたかどうかは本人のみぞ知る事。
2010年01月30日
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ヤフーブログのマリーさんのQ.を受けて答えます。A.愛とは何?・・・電波でなくてもサクッと解ります。「愛」という漢字の作りの通り、胸の処に「心」があることです。「恋」という漢字は足元に心があるので「下心」の事。胸が痛むのが愛、股間が疼くのが「恋」^^以上、結婚式のスピーチでは結構、定番なので是非、覚えておいてください^^;それよりも一番肝心な事は、漢字が生まれた大昔から人は「愛」が何であるか知っていたと言う事です。「LOVE」ではなくて胸に心のある「愛」の漢字に全ての答えはあります。頭ではなく、胸に手を当てて「愛」を感じてください。A.涙とは何?・・・電波でサクッと答えます。心に生じた毒を流す浄化の川。感動、痛み、喜び、悲しみ、悔しさ、憎しみ、人は激しい感情に対して「我」を忘れてしまいます。時にそれは心に大きな傷や負担をかける毒となります。自分自身を忘れないように心の浄化作用としての清浄の川。また人生で一つの気付きの証しとして涙は流れます。涙が流れる時、自分が今、何に対して泣いているのか?それを客観的に判断できるようになれば自分の内にある本当の心を知ることもできます。理想ではありますが・・・誰しも「愛」と「涙」がセットであることを願いたいものです。
2010年01月24日
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A.電波でサクッと答えます。1.気付きの無い人間同士が延々と続けるエゴのぶつけ合い大会。肉食人種系発想2.責任者が問題と結論をずっと先送りする為の見え透いたパフォーマンス。[結]脳内興奮物質に繰られて互いの主張をぶつけている限り問題は永遠に解決しないという話。「話し合いの場」ではなく「討論ゾンビバトルの場」が大好きな人間に「悟り」は永遠に来ない。強面の政治家は是非とも身につけたい芸らしい。相手を論破するという討論という言葉がエゴそのものなんだけどね。
2010年01月24日
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A.電波でサクッと答えます。「全日本が泣いた」訳ではないので、日本人が観て全然、中身がつまらなくても、「配給会社、他」には責任はないぞという新作ハリウッド映画の逃げ口上。または、笑えるコメディ映画ではないという内容表示。[結]全米代表者一人が泣けば問題ないという開き直りも可能。
2010年01月24日
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A.電波でサクッと答えます。「先に生まれる」ではなく「先に生じる」の事。誰よりも先に生じるのは「責任」。だから「先生」とは一番、責任の重い仕事を負う人の呼ばれ名。[結]自分も含めて色んな先生業の方達に自覚してもらいたいこと。センセーショナル(人々の関心を強くひくようなさま。扇情的)な行動は不要です。
2010年01月24日
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A.電波でサクッと答えます。自分にしか出来ない魔法を身につけて「魔法使い、魔女」になるか、何も身につけずにただの「老いた爺婆」になるか、その人生2択の結果の事。[結]人間、歳をとりきるまでに魔法の一つ、二つくらいは習得できなければ、ただの老人。思い立ったら今、チャレンジあるのみ。
2010年01月24日
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今日、来たメルマガに面白い事が書いてありました。スピリチュアル度の高い人を見分ける尺度についての一文です。言われてみれば、なるほどと思いますよ。ちょっとコピペさせていただきますね。スピリチュアリティーの高い人・・・英語で、スピリチュアル度の事を、Spiritualityと表現したりしますが、これが高い人を見分ける、一つの尺度があるそうです。それは、「自分のありのままでいられる人」自分以上でも、自分以下でもなく、自分のままでいられる人。更には、自分以上に見せる必要も、自分以下に卑下することもない、あるがままの姿勢。・・・つまり偉ぶらない、卑下しない、普通にいられる人ということになりますけど偉ぶる事はともかく、必要以上に卑下してしまう事って結構ありますね。ちなみに同業の整体師の人達には「先生と呼んで欲しくない」なんて謙遜なんだか、卑下なんだか判らない発言する人がいますが、お客様目線で考えれば「●●さん」の整体では身体を任せる気にも代金を払う気にもならないと思います。「先生」という呼び方には仕事に対する大きな信頼と責任が含まれています。だから小学校や中学校、病院等での「先生」の不祥事は信用の裏切りという大きな罪を問われます。(ただし政治家はおべっかで支持者から「先生」と呼ばれているだけですので論外です^^)そういう意味では私は今、「先生」なんだなという大きな責任を自覚できる判り易い呼ばれ方に満足していますし、以上でも、以下でもない「先生」業に等身大の自分を感じています。さて、そう考えてみると、仕事でスピリチュアリティーを下げる行為とは・・・実体のない肩書きにこだわったり・・・上司のいいなりに行動してみたり・・・無理矢理、体育会系のフリをしたり・・・心にもないキャラクターを仕事場で演じてみたり・・・う~ん全然、等身大じゃないし^^そういえば・・・私は昔の仕事で部下を鍛える鬼軍曹の役目を社長に強要されそうになりました。とにかく怒鳴り散らして部下にびしびし仕事をやらせるという怒りキャラクターを演じさせられそうになったわけです。「いますぐ怒れ、怒れ」の連呼です。しかしこれは絶対に聞く訳にはいきません。すぐ怒る人間ほど大間抜けに感じている私にとっては、そのままいいなりになったら駅前で全裸になって警察に捕まるくらいの恥辱です。結局、私は等身大の自分、ありのままの自分でいられるこの整体院業を選びました。一切、作らない自分で出来る仕事です。空いている時間に健康、人体について勉強したり、本の絵仕事をしたり、頭を空っぽにして気付きに集中したり、次から次へやりたい事が発生し・・・改めて、これが、ごく普通の自然な自分なんだと気付かされる瞬間があります。今年は色んな意味で勝負の年のように感じています。しかし勝つとか負けるとか考えないで自然体で乗り越えたいです。スピリチュアリティーの高い自分の姿を常に心へ留めておきたいと思います。長文お読み下さって感謝いたします。
2010年01月11日
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1月3日の早朝、とても解り易い霊夢をみました。・・・・しかし・・・・それが「良い霊夢」なのか「悪い霊夢」なのかの判断がつかず、ついつい1週間ばかり考えながら過ごしてしまいました。霊夢の内容私の霊夢の定番パターン、暗幕で仕切られた4畳半程度の舞台に立っていると・・・首から上が見えない女性(白いワンピースの胸から下しか見えない)より、ディスカウント店かジャンク店のような店に連れていって欲しいと頼まれます。舞台上は一転してガラスケースが並ぶアキバの小さなジャンク屋のような場所になります。そこで声と手元しか見えない店主がショーケース内に5つくらい並べてある大きいトランシーバーの一つを私に「お買い得品」と薦めてきます。そのトランシーバーとは・・・自衛隊の備品みたいな色気のないデザインで角ばった本体に電気のONを示す白い豆球がついたシンプルなものです。店主はシリアルナンバーが入っている希少品で元は高価だと言ってきますが、携帯電話で事足りている今、さすがに今時、そんなものは不要です。「買わない」と店主に言ったら、「10円でいいから」と言われ、「それなら買う」と私が言った処で目を覚ましました。目が覚めてすぐ気がついた事はトランシーバーは私が一つだけ買わされた事。宇宙の英知・・・とか神様・・・とかの気付きのメッセージが電波でやってくると良い方に捉えれば正月早々「大吉」でしょう。しかしわざわざ携帯電話ではなくて今時、トランシーバーなのが引っかかります。携帯が使えない災害の際に使用することを連想するなら、そのような状況になるから災害用の周辺準備をせよ・・・というような意味合いにもとれるからです。ミズハノメノカミ様は江戸の大火事から庶民を守る守護神として奉られていることも気になる要因の一つです。顔の見えない女性は、おそらく私自身の女性性の化身(側面)でしょう。さてさて、夢の内容が良いか、悪いかは別にしても今年は今まで以上に緊急を要する直通メッセージがありそうなのは間違いないでしょう。大きな社会変化にも対応できる智慧を持ち内なる声に耳を澄ませて冷静に対応したいものです。
2010年01月10日
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年末から年明けにかけてアートイベント出典用の絵を 仕事の合間に描いていました。 アートイベントと言っても日比谷に置いてあるコンテナの中に 絵を描くのが好きな人間が好き好きに「東京」を描いて飾って遊ぶと いう落描き文化祭の様なものです。 私は上の「TOKIO ALICE」2点色つき完成品を本日現地に送付しましたが、現場の様子を 見て、もうちょい参加できそうなら締め切り前にもう2~3点 ポストカードで制作するかもしれません。 今回の「TOKIO ALICE」の制作理由ですが実は昨年、不思議の国のアリス絵本のコンペに参加した際、アリスの正体が作者のインナーチャイルドだという事に突然、気がついてしまいました。不思議の国のアリスは約150年前、黒船来航当時のイギリスで冴えない数学者の先生がリデル家の三姉妹の為に作ったおとぎ話ですが、アリス・リデルの姿を借りて、当時の窮屈な世相を皮肉ったのは先生自身のインナーチャイルドの解放だった様です。更に後年、この「解放感」「自由感」を、そのまま現実世界でのビジネスに結びつけたのが「ディズニーランド」という事になります。実際、「ディズニーランド」はシンボルタワーであるシンデレラ城の「変身願望」も取り込んで、まさに大人も子供も楽しいインナーチャイルドの聖地となっています。そんな訳で見知った「東京」の風景でアリス世界を繰り広げたら癒しになるかもしれないという実験をちょっとやってみました。1月中に時間があればもうちょっと同シリーズを描くかもしれません。たとえば・・・侯爵夫人風メイドのいる凶悪なサービスの冥土喫茶とか、女王様のギロチン罰パチスロ大会とか、鳩山モドキ君のしょうもないツイッター話とか・・・悪夢のような東京を冒険する話を色々描けたら楽しいですね。(しかし時間が無さそうです)ちなみにポストカード大の作品制作で一般参加者を募集して おりますので年初の描き初めとして日比谷のコンテナでアートに遊んでみたい方は是非どうぞ。 イベント詳細は以下の通り。 未来の人たちへ~僕たちの東京展2010新春タイムカプセル~アーティスト:TAIZO with 東京カーニバル (Artist) 【概要】 イラストレーターTAIZO氏を中心とする仲間たち (イラストレーター、絵本作家、マンガ家)が、 会場のコンテナ内に、思い思いの「東京」を表現します。 メインシンボルとなる「東京タワー」の周りに、 それぞれの「東京」が展示されます。 期間中は、一般の方たちからも作品(ポストカード)を募集します。 作品は、コンテナ内に積み上げられたダンボールに貼っていきます。 毎週末(土・日・祝日)には、参加作家たちによる 「ライヴ・ペインティング」を行います。 一緒に会場で作品を仕上げてください(持込みも可)。 展示された作品は全てデジタル保存します。 そしてデジタル「タイムカプセル」の中に収納されます。 数年後にその「タイムカプセル」はWEB上にて開封されます!? 期間:2010年1月5日(火)~1月31日(日) 時間:10:00~21:00 会場:日比谷パティオ アートコンテナ 入場無料・予約不要ですので、お気軽にお立ち寄りください。
2010年01月06日
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日本には「夢のお告げで・・・」という理由で、そこに存在する事物が沢山あります。私の両親が眠っているお寺にある「大黒天像」も当時の比叡山のお座主様の夢に現れて「ヨコハマで人々を救済したい」と告げたために比叡山からやってきたという事です。ちなみに戦後のお話です。明治以前の神仏と人が近い時代にはもっとたくさんの「夢のお告げ」由来があったのではないかと思われます。さて日常、私が整体業を生業とする理由は自身のもっとも古いルーツの記憶と魂の課題に繋がるからに他ならないと感じていますが、店名が「みずはの」になった訳にはもっと具体的な理由があります。それは夢で具体的な漢字二文字を観た事に始まります。そしてそれがこの場所・・・多摩川上流、終点・奥多摩駅の二つ手前にある「鳩の巣」駅です。東京都民の飲み水の確保は数百メートル上流の処にある白丸ダムで管理しているという多摩川の起点部に限りなく近い場所になります。・・・とは言っても駅名を夢で観たわけではありません。夢で観た漢字二文字は、駅から鳩の巣渓谷へ下った場所にあるとても具体的な場所の名を示していました。では、その場所まで道案内を頼りに駅から渓谷へと下っていきます。バーチャル感覚で目的地までの小旅行を楽しんでください^^目指すは水神様と描かれた巨岩の絵が示す場所です。そろそろ私がどんな夢を観たのかをお話いたしましょう。当時、私は中国人の妻の帰化書類を制作していました。書類の中には妻が日本に来てから移り住んだ場所を全て漏れなく概略地図を入れて記帳するという煩雑な作業があるため、ネット上で地図サイトを見ながら何日かにかけて書類を作成していました。そんなある日の明け方、夢の中でも書類に地図を描いている自分がいました。地図のなかの大きな空白が妻の住んでいた場所らしいのですがどうしても地名が判りません。そこで傍にいるらしい妻に聞きます。「あなたの住んでいたこの場所はなんていうの?」すると妻が「うっず」と答えました。「うっず?ってどういう字?」と聞き返すと目の前に大きく「宇鳩」という漢字が現れました。夢とはいえ「うっず」が「宇鳩」と同じとは変と気づき私は何十冊もの辞書の山を開いて「宇鳩」の文字を探しますが、どうやら辞書では見つからないようです。ここで昔からの友人が現れそのままバイクに乗った後姿で首都高、郊外とどんどん遠くの場所へ走っていく画像がしばらく見えて私が、「そんなに遠くなんだ」と納得した処で目覚めました。目が覚めた後、「宇鳩」がとても気になり、すぐに辞書で調べられないならネット検索の事と気付き、この漢字二文字をそのままGoogle検索にかけ・・・そしてトップに出てきた記述・・・それが玉川水神社の祠を乗せた巨岩「宇鳩の巣」の記事でした。鳩の巣駅を降りて道を下って10分、それがこの写真の場所です。案内板の絵もあながち間違いではない様ですね。さほど大きく無い岩にも関わらず不思議な威容を感じます。「うきゅうのす」・・・「うっず」・・・「宇巣」・・・「渦?」ここが玉川水神社の発祥地であるなら「渦」の中心という謎かけのようにもとれます。そして夢で指定された、その場所は水女神様が祀られていました。ここまで来れば夢の謎かけの主はミズハノメノカミ様で間違いないでしょう。川の水音に大量のマイナスイオンと山の霊気を感じる場所です。しかし現地を歩いて廻った私は、この後、すぐにショッキングな事実に気付いてしまいます。それが玉川水神社由来を記した碑の記述です。・・・気がつかれたでしょうか?「宇鳩」ではなく「字鳩」と読めます。ネット上で私が見た記述は、どうやらこの碑の書き写しで、写した際に「字」を「宇」と間違えたようです。この記事の記述です。ちなみにもし仮に「字鳩」の検索だったら「字」は「あざ」と読めますから、「アザ、ハト●●」と続く田舎の住所が沢山、出てきて、ここへは絶対に辿りつかなかったでしょう。「宇鳩」は実在しない名称であり、同時に「宇宙(ウチュウ)」のひっかけのようにも思えます。・・・とは言ってもいくら考えてもしょうがありません。夢のお告げなんですものね^^より神聖な存在ほど、シンプルに問いと答えを投げかけてくる、そんな気がします。そういえば最近では「エコ=回向」という文字の書いてある紙をみつける夢を観ましたが、これもシンプルで真理なダジャレでした。さて、ただ頭で考えていないで遠目にもよく見える玉川水神社の祠へとお参りに行きます。木組みの鳥居を潜って岩を登ります。足元には多摩川の急流が流れています。そしてここが頂上です。木が生えてはいますが、ここが岩の上である証拠に木の根っこが地上にせりあがっています。そして小さな祠は由来によれば昭和62年に再建された比較的新しいもののようです。さてさて、わざわざ夢で観てこの場所にやって来た訳ですから、何か不思議な事があったのかと聞かれれば・・・この祠の前まで登って来たときに、ちょっと面白い事がありました。たいした事ではありませんよ。私の携帯に着信がありました。電話の主は当時、知り合ったばかりの、いきいき整体院院長、森田先生でした。森田先生は後に私と2F・3Fの家賃を折半してみずはの整体院の上階にあたる3Fでみずはの整体スクールを開業する事になるのですが、この時は、まさかそんな深い縁になるとは思ってもみませんでした。現在、みずはの整体院運営の最も重要な協力者であることは間違いありません。後に知った事ですが、ここ「鳩の巣」は森田先生が以前、研修会を受けに通っていた会社がある場所だそうで、マイナーなここの地名をよくご存知だったのも不思議な話です。ここが縁結びの神様であることも関係がありそうです。周辺を一通り廻って心に引っかかる色々な疑問が解決したような気がします。ちょっと考えをまとめるためにすぐ傍にある喫茶「ぽっぽ」へ立ち寄りましょう。オーガニック素材のケーキや本棚のスピリチュアル系の本でなんとなくここへ来る人間層が観えるような気がします^^では、目の前に小さな女神様の像と字鳩の岩を観ながらコーヒーとケーキで寛いで今までの事をまとめてみましょう。この鳩の巣渓谷の名称由来は振袖火事による江戸の大火から始まります。江戸の再建の為に木材を切り出す人夫の飯場のあった場所、水神の森に住んでいた仲の良い2羽の夫婦鳩がいた事から名の付いた場所、そしてその発祥の地に存在する「字鳩の巣」という巨岩と水神様。それは私自身の存在意義や歴史、国際結婚夫婦の願いを含めた大きな強い繋がりをいやおうなく感じさせるものでした。ご紹介した、この地の写真や由来の碑をご覧になられて皆さんが神聖な存在と人の繋がりを心の内に感じていただければ幸いです。縁結びの強いエネルギーも是非、感じてください^^最後に・・・ここ玉川水神社の祠の前で私は宣誓をしました。整体院の名を「みずはの整体院」とすることです。滞らず、常に流れる事、生きる事も事物の変転も全て「流れ」から生じています。「生」の原点である人の中にある流れを確保し、この現実世界を生きる実感をお客様と共に再認識する。癒しの奥にそんな理想のある整体院であるために女神様の名をお借りいたしました。物語の序章としてこれほど価値のあるきっかけをいただけた事に深く感謝致します。さてさてさて^^縦に長~い、お話に最後までお付き合いありがとうございました。もう年末です。これが楽天ブログ年内最後の記事となりそうです。来年もこんなブログをどうぞよろしくお願いいたします。
2009年12月26日
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折角のクリスマスなのだから、今日だけはクリスチャンなコメントで 済まそうと思ったのですが・・・毎年の事だし~・・・不景気だし~・・・ということで、 お金についての気付きの記事を書こうと思います。 実際、来年は日々浮かれていられない人がたくさんおられそうですしね。 ちなみに、物事をなんでも真面目に捉える人にとってはショックな 内容かもしれません。 ・・・よく考えたらクリスマスにも相当、不謹慎な内容かもしれません。 しかし皆さん、オトナな方ばかりなので、年末、そして新年にかけて 是非一度、一生付き合わなくてはならない「お金」というものについて じっくりと考えて見るきっかけになれば幸いです。 さて本題です。 タイトルの「親とお金は同意義」とは私の両親が すでに他界している上での偽ざる実感です。 おそらく親が存命中はこんな事は感じなかったと思います。 お金には混沌とした物々交換の時代に公平な価値を築こうとした人々の 強い意思が込もっています。 文明社会に生きている人間であれば、誰でもお金のスネをかじって 日々の暮らしを安泰に生きている訳であって、それを否定するなら 人里離れた場所で何千年前のような生き方をするしか選択枝はありません。 今日の経済の安定は明日の不安を安心に変えているという事を 忘れてはいけないと思います。 通貨制度の発祥の根っこをきちんと辿れば、そこに確固とした「愛」が あることに気づくはずです。 ではなぜ、お金にはネガティブなイメージがつきまとうのでしょうか? 貧乏を美徳とする考え方もありますが、 よく考えれば貧乏と美徳とは全く無関係なのが判ると思います。 日常の節約、生活態度は美意識、精神性の問題でお金の有無とは =では無いからです。 ひとつには、長い年月に渡って富と権力を独り占めしようとした人々の 浅はかな行動によって、ステレオタイプな醜い金持ち像や 強い恐怖体験が潜在レベルで刷り込まれているせいかもしれません。 ・・・だとすると、この部分をポジティブなイメージに転換させない 限り前向きなお金が回って来にくくなる訳です。 ではどのあたりで特に強い刷り込みがあったのか魂の記憶を 手繰ってみましょう。 たとえば中世ヨーロッパのキリスト教圏の「魔女狩り」は富裕層を 陥れて財産を教会庁が奪うための方便だったと言われています。 ヒトラーはユダヤ人の富と思想と存在を全て奪いきるために 強制収容所という怖ろしい闇を生みだしました。 これは特に大きな事例であって他にもこんな歴史的事実が 沢山あったのだろうと思われます。 「お金=不幸を生む」という恐怖意識に加えてステレオタイプな 醜い金持ち像が強い障害を心の奥にもたらしているのかもしれません。 さらに本日、クリスマスにちょっと関係した仮説をあげるなら・・・ たとえば13日の金曜日はクリスチャンにとって縁起の悪い日だという 話はいつ生まれたのでしょう? 13とは「キング」の数字です。 キリスト教という隠れ蓑を着せて王が民衆に強い力の数字を使用 させないようにしたのではないかというのは、 誕生日占いの「はずき虹映さん」の説ですが、 こんな事をする位なら強い力を持つお金に対しては、醜い風説や 呪われた伝説を流布させて大衆のお金に関する美意識を根底から無くす ために、あれこれと画策したことは容易に想像できる事です。 さてさて ここまでくれば、問題点が見えてくると思います。 もう21世紀です。 確固とした美意識を持って、お金と付き合う方法をしっかり 持つところからスタートする時代がやっと来たと言えるのかもしれません。 では最後に知っている人はよく知っている^^(説明がめんどい) 本田健さんの富裕層になれる人の特徴をコピペしましたので、 ちょっと読んでみてください。 (1)夢がハッキリしている (2)絶対にあきらめない情熱 (3)周りに助けてくれる仲間がいる (4)明確なプランを持って行動できる (5)一時的な失敗をチャンスに変えられる 逆に、富裕層になれない人の特徴をあげてみると・・・ (1)夢をあきらめている (2)毎日、目の前のことで忙しい (3)自分にはできないと思っている (4)変化を怖がっている (5)自分には才能、事案、お金がないと思っている 詳しくはこちらでどうぞ。 http://media.yucasee.jp/posts/index/1247?oa=ymb6136 なかなかスピリチュアリティな言葉でしょ^^ ・・・そして私からの追加事項で富裕層になるためには・・・ 「親に対するようにお金に感謝することを忘れない事」という 一行を添えておきます。 万一、儲けすぎたら自分の信じる使用法で社会や次世代の子供たちに 還元して恩返しすれば良いだけの事です。 人としての純粋な良心があれば、誰でもそうしたい、そうありたい筈です。 では駄文を長々と読んでいただき誠にありがとうございました。 是非是非、前向きに富裕層になってください。 良い聖夜にリッチな夢を。
2009年12月24日
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12月になりました。さて今月から毎週火曜日に整体院の上の階で「プラナサージヨガ教室」が始まります。11月始めにプラクティショナーの大脇先生からお話があって、すすっと決まってしまいました。日本で15人しかいない(らしい)プラナサージヨガインストラクターの先生がうちの整体院の上で、とても珍しいプラナサージヨガ教室を始めるという奇縁のスタートにとても不思議な感覚を覚えています。ちなみに↑でヒキガエルのような体格で醜態を晒しているのが私ですが、ヨガでありながらヨガとは違うプラナサージヨガは、アメリカのセレブ御用達のとても贅沢なヨガ(施術)です。私のようなヒキガエル体格でも先生のヨガの気を受けながら全身の筋肉を解され、ゆっくりとポーズをとらせてもらうことでヨガの癒し効果をたっぷり得られます。かなり整体に近い部分もあり、終わった後にヒーリング感(恍惚感)が、じわーっとやってきます。オステオパシーとタイ古式マッサージとヨガの良いところを組み合わせたような施術でしょうか?スピ的には女性性とインナーチャイルドが凄く癒される感覚があります。いろいろと説明しづらい部分も含めて是非、一度、先生の施術を受けにいらっしゃる事をお勧めいたします。普段、ヨガをしている方なら尚更です。ちなみに数日前から大脇先生のブログがスタートしました。Let it be ~あるがままに~プラナサージヨガについても書かれていますよ。興味のある方は是非、コメントなどを書かれてはいかがでしょう。いや~っそれにしても癒しの世界は奥が深いです。そしてとても楽しいです^^
2009年12月02日
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さて今日、21日は土曜日なので毎週固定の予約が何件か入っているのだけれど、なぜかまとめてキャンセルとなり今月初のお客様ゼロの日になりそうな予感。どうやらここ3ヶ月ばかり忙しくて参加していないワンチャイルド・ワンピース・プロジェクトの月1回イベントへ参加しろという、ご神託?かなと思い、行ってまいりました。ちなみにフィリピンや中国の未就学児童へ就学支援活動を北千住付近で月1回のイベントをしながらボランティアで告知している人達の活動です。↓詳しくはこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/ocop_aikake会場に着いたら「今日はフィリピンの子達に贈るクリスマスカード作りなので是非来て欲しいと思っていたんです~」との事。どうやら「着て欲しい念」に引き寄せられてしまったみたいですね。そんなわけでくじで班の担当地域が決まったケソンのタタロン村の子供達に贈るクリスマスカードを英語のあんちょこ見ながら男6人で作成。こういう美的センスを問われる作業に男ばっかりというのは、かなり不利な展開です。それでもなんとか形にはなりました。学校に行きたくても貧しくて行けない子供達には、日本からのわずかな月額支援で学校で勉強できる事がとても大きな支えになり、支援者との手紙の交流をとても喜ぶそうです。結局、本日は、お客様ゼロの日でクリスマスカード作成の日でした。その分、タタロンの子供達に喜んでもらえれば良いのですけど。
2009年11月21日
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いつもありがとうございます。みずはの整体院は2009年11月11日を持ちまして開院一周年を迎えます。なんとか1年間の営業が続いたのも一重に皆様方のお力添えのおかげです。この場を借りて心より感謝いたします。2008年、年末からの、この1年は世界的に大きな変化の年でした。犬の1年は人間の6年に相当するというのでドッグ・イヤーといいますが、現実世界の色々な事が6倍速くらいの速さで変化を起こしているように感じます。時代の変化を感じて新しい「場」に飛び込んでいく事はバンジージャンプのように不安ではありますが飛び込んだという達成感もまた大きいものになります。良い事も悪い事も大きな変化の途中であるという大きな視点で捉えて、立ち止まらずに前向きに進んで行く事が、自らの大きな成長であり、人にとって一番大事な事だという事。それを肌身で感じるこの1年でした。来年の3月になれば私も50代になりますが、50代の課題として「みずはの整体院」は大きな修業の場であり、様々な人との出逢いと癒しと憩いの場でありたいと想っております。40代になった時は「パソコンの時代だ」とか思っていましたが50代になる前にいよいよ「ケータイの時代だ」とか語る破目になり、今現在、世界的なスーパー不景気発の超特急デフレスパイラルに翻弄される苦しい日々。それでも今、この時を楽しんで生きていける事に感謝しております。これからもお付き合い、どうぞよろしくお願い申し上げます。
2009年11月10日
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10月に入って、ずっと忘れていたのが、この「週刊マンガ日本史」の 発売開始。01号は必ず買おうと思っていたのに・・・ この歳になるとなにげに観ていた9月発表のニュースなんて 10月に入ったらすっかり忘れちゃいます。 あわてて近所の本屋に行ったらすでに02号の聖徳太子に なっています!(1週間で約250年進行!^^) しょうがないので新横浜駅ビル内の三省堂まで出向き01号を やっと見つけて02号と一緒に買ってきました。創刊号は180円なので お奨めですよ。 サブタイトルがガンダムの第一話みたいなのが、ちと笑えました。 女王、身長18メートルを想像したりして。 ちなみにこれ「朝日ジュニアシリーズ」というだけあって、 朝日新聞記事にも載った最新の日本史情報が細かい写真入りで 小中高生向けにまとめてあるので今更ながら「へ~」の 新発見があります。私の子供の頃の日本史なんて三昔以上前ですから 当然ですけどね。 全50巻(約1年刊行)だそうですが個人的に好きな漫画家さんの刊と 平安から戦国にかけての刊が読みたいです。それにしても01号の 藤原カムイ先生はこのまま50号まで歴史上の人物を全員分描いても 平気な位の画力と実力を備えた漫画家さんですから、 担当未定がある11号以降、また誰か歴史上の人物を描いて いただきたいものです。 さて卑弥呼という人物の記述が中国の古史書、魏志倭人伝にしか 登場しないという事は有名な話ですが 日本人の呼ぶ名前(音)に漢字を当てはめたという事で、 実は古事記や日本書紀に名前が残る人物の事ではないかという説が 江戸時代からあることを今回、初めて知りました。 考古学も少しづつ(亀の歩みで)解明されてるんですね。 できれば私が死ぬまでに考古学上の大発見をあと10くらいは 見つけてほしいのですがインディ・ジョーンズや稗田礼二郎みたいな 身体を張った大冒険でもしないと無理かもしれません^^;
2009年10月26日
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本当に怖い話と言ったら・・・ブログの横についているトピックスで毎日、恐ろしいニュースが流れているのでそれを観て「怖え~っ」とかいうのが人として正しい感想だと思う。肉親同士が凶器をもってアレしたり、港にバラバラ肢体が浮いていたり・・・この辺のニュースに慣れっこになっているという事実が実は一番怖い話だったりして。それでも日本はまだ平和な方で世界レベル犯罪の怖い話は上限が見えないくらい怖い。国家ぐるみで怖い事をやっている恐怖国家すら存在する。きっとそんな怖い話の裏にある悪意の話こそ、本当に怖い話なのではないかということで・・・今回の主題は「憑き物」の話。さてさて・・・外を歩いていると、たまに動物の顔をしている人と出会う事がある。単純に動物に顔つきが似ているというだけではなくて毛の生え方や目つき、口元まで人間的ではない記号で構成されている奇妙な顔立ちの人だ。通り過ぎるだけなら良いのだけど、稀にそれが用事があって口をきかなくてはいけない状況になる場合、大概、会話を始めて3分以内に先方の動物顔が梅図かずお先生の描くような恐怖顔に引きつるか、思いっきり不愉快をしめすスメル顔になるかして、相手の方からささっと逃げていく。これはあくまでも予想として、その人に憑いている「憑き物」の顔がダブって観えているのではないかと思う。だから他の人には普通の人間の顔にみえるのかなと考えると、結構、怖い話だ。私は、そんな憑き物の人にとても嫌われるようだ。(多分、巫女系前世か守護のおかげ)40歳になったばかりの時、肉体労働系のバイトができる募集資格もあと3年くらいかな?と思ったら急にやりおさめとして夜中に短期肉体労働バイトがやりたくなり、黒猫印の宅急便の面接に行った時の話。担当主任がカバの顔をしていて案の定、会話開始30秒位でカバの顔が歪んだのでさっさと出てきた事があった。もっとも、あんなカバが人間の仕事をしている職場で働く気は毛頭なかったけれど。本当にカバにしか見えないのだから不思議な話。そういえば面接に来た若い女の子にだけは満面のカバ顔で愛想を振りまいていたので、その辺の人間性の低さも顔に出ていたかもしれない。漫画で出てくるヤクザ顔は悪魔と大差ない顔をしているが、そう見えるように顔を作っているうちに本物の悪魔が取り憑いてしまうのかもしれない。・・・だとしたら、この人間世界は憑き物に支配された人間が日々、悪行を重ねていて、人間はそれを全く理解していないという恐ろしい裏面のある世界なのかも・・・??さてこの話をここまで読んだ人へ最後に怖い忠告。気がつかなければ見過ごしていたのに気がついてしまったために急にありえない物が観えるようになる事もあります。あなたは今、憑き物の顔がダブって観えるという事に気がついてしまいました。そして観えるのは動物顔だけとは限りません。私の弟は電車の中でとても作り物とは思えない「般若」のメイクをしている人を見かけた事があるそうですが・・・・・・それは本当にメイクだったのか?それとも?
2009年10月20日
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「タロットカードの愚者」0番のこのカードは意味がとても読みづらい。しかしこのカードがあるからこそタロットカードは、より真理に近い回答を導き出せる。いわばキーカード。知識と経験に長けた賢者こそが人の目指すべき姿であるなら愚者は全てを捨てて旅に出る「ゼロ」を選択した「愚か者」であるはず。しかしゼロからの出発がより自由であるという証を崖の上を小躍りで歩く道化師が示すように・・・その自由に対する責任と覚悟を一人の人間として証明しなければならないのがゼロの時。愚者であれ、賢者であれ、人は時に人生の中で「ゼロの選択」を試される時が必ず来る。21世紀が始まり、20世紀の価値やルールが崩れて今、大勢の人達にこの「ゼロ」の試しが訪れている。絵の道化師が歩いている場所は崖っぷち、そしてそこから「見る前に飛べ」のサイン。それはいくら小賢しい知恵を働かせても見えない未来に勇気一つで飛ぶ選択以外に方法がない事・・・そしてそれは「今、この時」である事を解りやすく示している。ゼロとは言っても道化師が持っている小さな荷物の中に人生で経験してきた「感謝」や「愛」が詰まっているなら大丈夫、光に導かれるように、新たな自分の歴史を始める事は簡単だけれど・・・その時まで、ただエゴだけで自由気ままに生きてきたならゼロの先は何も見えず、ただ真っ暗闇で道は見えず、そして意識すら深い闇へと閉ざされてしまう。本当の賢者は自らゼロを選択するべき時を知っている。そしてそこから何を始めるべきかもよく知っている。それは常に自分自身の心が求めている本当の声を聞き、どうすべきかが解っているから。世紀も変わり、政治も変わり、価値観も変わり・・・本当の自分自身が求めているものを、静寂の中で今一度、思い起こすべき時。「タロットの愚者」・・・全ての人にとってゼロの日が良き人生の門出であらん事を。みんく・いるかの(屁理屈がうるさい)前世・・・占い師、魔女、魔術師、巫女の系譜からの戯言。
2009年10月19日
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東京足立区、竹ノ塚駅から歩いて15分ほどの処にあるのがこの伊興遺跡公園と展示館。以前、丸4年間、この遺跡のエリア内のアパートマンションに住んでいました。もっとも遺跡のエリア内だという事を知ったのは住み始めて3年半程、経った頃に区民報の表紙に載った「子持勾玉」新発掘の写真記事を観てからです。発掘された場所が近所のお寺だったので改めて住所を確認してみると自分の住んでいる場所が伊興遺跡公園のすぐ側だった事に気付きました。遺跡公園は江戸時代に建てられた十軒以上のお寺に囲まれて、さらにその周囲が住宅地に囲まれた状態だったのでそれまでの間、そばを歩いても全く気付きませんでした。上の説明を現地で読んで、初めて遺跡の規模がかなり大きい事を知りました。ここは昔、東京が海から陸地へと姿を変えた古墳時代に水辺の交流の地として栄えた時代があったようです。そして横浜生まれの私が、電車を乗り継いで1時間半の東武野田線・竹ノ塚の駅近くの会社に就職し、さらに結婚してこの地に住んだ4年間はこの遺跡と関係の深いスピリチュアルな出来事の連続でした。霊夢に登場する「水」というキーワード、そして前世移行CDで、あっさりと巫女、女性性の姿へとメタモルフォーゼ等々、数えたらきりのない位、色々な不思議体験をしました。この伊興のアパートに住むと決めて不動産屋さんと最初に覗いた2階の日陰部屋は、ドアを開けたらキッチンの床に謎の水溜りが出来ていたので、すぐに不動産屋さんから最上階の角奥部屋を格安にするので、そちらでいかがでしょうか?という提案がありこの建物で一番良い部屋を安く借りる事が出来たのも、後で考えたら不思議な話です。中でも最も不思議なのは、この場所で観た「宇鳩」の霊夢メッセージに導かれ奥多摩の鳩ノ巣渓谷まで行った事でしょうか。私の人生が大きく変わりました。この話は話し出すと非常に長くなるので^^;また今度の機会にお話いたします。さて古墳時代の人達がどのような暮らしをしていたかというと・・・・・・こんな暮らしだったみたいで、農作物や漁をするのにカミサマへの祈りは欠かせないものだったのでしょう。この地で祭祀が何度も行われていたという歴史を割れた大量の土器が物語っています。この地に関わって色々な出来事に遭遇した経験から私の前世の中で最も自覚できるのが「巫女」前世になった事だけは確かです。この場所が私を呼んだのか?私がこの場所を探し当てたのかは解りませんが古代祭祀跡は同時に「巫女」にとっての大事なマツリの地でもありますし。実際、ここの展示館に初めて入った時から謎のラップ音が館内に鳴りっぱなしでした^^;10分くらい観ながら歩き廻っていたらだんだん意識が薄くなってトランス状態へと入っていきそうだったので、慌てて外へ出ました。↓特にこれは実物を観ていると魂が入っているようでちょっと怖かったですね。最後に「子持勾玉」ですが、私には抽象的な月の姿に見えます。月と豊穣の船のイメージがくっついているのかもしれません。皆さんには何に観えますか?絶妙のタイミングで地中から発掘されて伊興の地の歴史の気付きを教えてくれた、この異形の祭器が私にとって何がしかの深い縁のあるものである事は間違いないでしょう。ではでは、長いお話をここまで読んでくださり誠にありがとうございました。また次回もよろしくです。
2009年10月13日
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↑弟がお台場で撮ってきたガンダム。私はゆりかもめから観ただけでした。今年はガンダムで盛り上がったので生みの親である富野カントクのコメントが色々なメディアで沢山聞けて色んな意味で懐かしい思い出が蘇る年でした。ガンダム放映当時、私は18~19歳で人口増加に宇宙コロニー移住計画で対応したガンダム世界の風景は同じ年齢のSF好きとよく話題にしたものです。人口重力?、莫大な物質を何処から確保するか?スペースコロニーは可能であれば実現しそうな未来予想図だったのです。当時は中国人が豊かな暮らしを始めた途端に世界中に飢えが起きるとか言われていて砂漠化問題を含めた未来風景予想は現在と同様に決して楽観できるようなものではありませんでした。2009年の今、飢え以上に環境破壊は深刻であり当時は思いもよらなかった温暖化なんて厄介なものまで抱え込んでしまいました。ガンダム放映当時の富野カントクもスペースコロニーへの移住と人の意識改革を、それなりに真面目に考えていたようですが、30年を過ぎた今は、地球環境を改善しながら少しずつ世界人口を地球に見合ったレベルに落していくのが現実的な未来像と考えているようです。確かにガンダムの宇宙は開発と戦争で収拾のつかないくらいのゴミだらけ。その上、資材をアステロイドベルトあたり(木星・土星付近)から調達しつつコロニー建設なんて計画を考えているうちに人類が滅びてしまいそうですが・・・昔はアメリカでも大真面目に検討されていた訳で、こんな資源食い尽くし計画は無駄以前に無理そのものと皆が考えるようになった事は大きな変化です。西暦2000年を過ぎて文字通り、地に足が着いた未来を考える時が着たように思います。「繁栄」とは「繁殖して栄える」事ですが個人が幸せを感じられず、戦争と切り離せないのなら別の生き方と未来を模索する時が来ているのかもしれません。そうは言っても現実社会から隔絶された「引き篭もり様」になるのはどうかと思いますけどね。
2009年10月11日
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・・そういう事です。アップで見るとなんか流動的に流れてるようにも見えます。普通、こんな風に写っているのを見たことがありません。わからない時は細かい処をよく見るより直感で選んでみてください。続けて梵字の仏様を公開いたします。次回といいつつ諸事情により今回、まとめて公開してしまいます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・もう良いですか?・・・・・・・・・・・・・・・・考えましたか?別に考えなくても良いですか?(笑)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・では公開です。答えは上の図の通りです。無理やりこじつけになるかもしれませんが・・・ちょっと推察してみましょう。1の六地蔵と言えば私のカバラ数が6ですので面白い一致です。そしてよく似ている3、5、8は化身の違いで元は同一みたいです。3番の貴船大明神という梵字が存在したことは今回、初めて知りました。貴船神社建設は貴船大明神のお告げらしいです。貴船といえば一柱はミズハノメノカミ様。そして鞍馬に繋がりレイキの発祥に繋がる私とは縁の深い場所です。その存在は不動明王や持国天に近い存在なんですね。(化身?)6と7の大日如来といえば仏法の極地を目指す者にとっての理想の姿です。ですから曼荼羅の中心にどかっと座っています。曼荼羅の中心・・・ハートチャクラ・・・どちらも内と外の宇宙の中心です^^そう考えれば今回は大日如来を自らの中心に据えた曼荼羅図をレポートに示して更に仏法を極めるように精進せよというメッセージともとれます。私の行動って幼児期から無意識に仏陀寄りになるんですが前世は信仰も含めて仏陀意識と強く繋がっていたような気がします。そういえばアカシックレコードに触れると自分の根本の更に根っこへと近づく人は多いですね。エドガーケイシーはキリスト意識にひたすら近づきました。如月マヤさんは仏陀意識からチベットへと近づきました。もともとチャクラと言えば梵語・・・サンスクリット語で車輪や回るという意味です。今回は自分の中の光の輪の中心のさらに中心にあるものを解りやすい画で見せられたような気がします。複数のメッセージをシンプルにまとめているのかもしれません。正解はすでに全て胸の内にあるという事でしょうか?いろいろと考えてしまった今回の一件です。
2009年10月01日
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昨日の夜、連休続きで「フリマが賑わっているだろうなあ~っ、アキバのフリマくらい行きたいな~っ」と考えていて、ちょっと頭に浮かんだ事。フリマって「消費者」という経済的な用語で括られた無知な物質文明奴隷達に対してカミサマが「再生」という概念を習得する為のリハビリとして与えてくれた21世紀の気付きなんじゃないだろうか?ただ買って消費して廃棄する事を美徳のように刷り込まれた20世紀も終了。その経過は地球破壊をひたすら加速させて来た。完全に近い循環型社会を早急に構築しなければ、後がないのはもう見えている。そのための気付きのリハビリでは・・・?そんな事を考えて眠りについたのだけど、久々に半覚醒睡眠状態で夢を見てしまった。要するに瞑想状態で眠っている感じのふわふわした状態。おおっ久々にアカシックレコードへ意識が半分入ってるぞ!とちょっと興奮状態。夢の中で迷路状になった何処かの会社の中を歩きまわりながら何か面白い情報とか無いかなと机の上とか引き出しとかを物色していると突然、目の前に光り輝く文字情報が出現!エコ=回向えこ いこーる えこう・・・下手なダジャレじゃん!と思わず突っ込みを入れてそこで目が覚めた。その後、頭をすっきりさせて・・・ちょっと考えてみた。あ~確かにエコは回向(大乗仏教用語)の概念だ。今まで気が付かなかった^^;当然、フリマも回向への気付きを学ぶ為の一修行という事になる訳で・・・ちなみに回向をWikipediaで検索すると・・・回向(廻向、えこう、pariNaama〈sanskrit〉)、「パリナーマ」とは「転回する」「変化する」「進む」などの意、その漢訳である「回向」は、「回」は回転(えてん)、「向」は趣向(しゅこう)の意で、大乗仏教の特徴をなす考え方である。自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。善行の報いは本来自分に還るはずだが、大乗仏教においては一切皆空であるから、報いを他に転回することが可能となる。善行の結果を人々のためになるよう期待し、それを果すのを「衆生回向」といい、善行の結果を仏果の完成に期待するならば、それを果すことは仏道への回向である。いわば、自分自身の積み重ねた善根功徳を相手にふりむけて与えることを回向という。エコロジー(生態学)に対してのエコ(環境保護)は巨大な回向の輪の概念だ。文字面のよく似た「エゴ」が欲望の自己完結であることとは1と無限大数くらいの差がある。ふう~っなるほど・・・・。頭が悪いので聞き違えないように文字情報で気付きをいただけたみたいですね。観世音菩薩様?いや、アカシックだから虚空蔵菩薩様かな?いつもありがとうございます。連休中の気付きのお話でした。
2009年09月22日
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敬老の日ですが・・・日本女性の4人に1人が65歳以上になったというお話を聞いたばかり。女性の高齢者は1659万人で、女性人口に占める割合は25・4%と初めて25%を超え、4人に1人が高齢者。男性の高齢者は1239万人で、男性人口の19・9%を占め、ほぼ5人に1人が高齢者。ここ20年で急激に比率を伸ばして来ている高齢者は単に長寿万歳と喜べない部分が多いです。決して「健康」な高齢者という数字では無い訳で、これからの時代は私も含めて、いかに健康体で自分の仕事をこなしつつ、先の人生を生きていくか?個人レベルでの大きな課題です。65歳と言えば私は、あと約16年です。確か9年前に40歳の手習いでパソコン上で絵を描くようになり・・・ヤフーのブログだって5年弱もやってるわけですから案外、パソコンをいじっているうちに、すぐその時期が来ちゃいそうです。スピ的にはこれからは、色んな意味で二足のワラジを履いて生きる方向のエネルギーが働くようです。今、遊んでいる時間があればまず、報酬は二の次で自分に合った別ワラジの仕事を大事な子供のように少しづつ育てていく事が大事になってくるでしょう。65歳になったときに10足くらいのワラジを履いていたいと思う今日この頃です。
2009年09月21日
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不思議の国のアリスをよく読み返してみると主人公のアリスがほとんど笑っていない。笑うシーンよりも怒っていたり、あきれていたり、不愉快だったり、驚いていたり、それが殆ど。・・・元のイラストも、そんなシーンばかりなので、じゃあアリスの笑い顔ってどないやねん?そんな感じでイメージで笑顔の表情を作ってみました。口元はやたらと上がっているけど目は冷ややかな感じかな。性格悪そうな女優ってこんな表情多いかも・・・やっぱりお嬢様だけに性格悪い?黒船来航の時期のイギリス人だから、こんなもんかな?植民地支配者目線~^^;そしてこんな私のイラスト見本がこちらで順次、サンプルとして上げられていくことになりました。とても恥ずかしい「猫バス風チェシャ猫対アリス」の習作も載っています。マネージメントしてくれている会社の代表さんのお気に入りです。最初にHPを見た時に仕事ジャンルがイラストレーターになっている事にびっくり!HPで私以外の人達は本物のイラストレーターだけど、私って下流キャラクター描きに毛が生えた程度の絵しか描いていないんですけど。仕事の間をみて、サンプル用にもうちょい、イラストレーターらしい絵を描かないといけません。またぼちぼちと描きますので漫画共々よろしくです。整体仕事もやらねば・・・。
2009年09月20日
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14日から15日の朝にかけて、さいわいさんのダライ・ラマ14世の漫画を紹介しながら、どうしても中沢啓治氏の「はだしのゲン」の話をしなければならないという内側の強い衝動があったのですが9月15日のニュースで中沢啓治氏が漫画家を引退するという事を知りました。ゆうべの強い衝動の正体は人間界よりも霊界の方が大きくどよめいた反動かもしれません。中沢氏は原爆の恐ろしさを伝えるために「はだしのゲン」を描き、世界の人々に核の無い世界の実現を訴えて来た日本を代表する国際人です。漫画は翻訳されて多くの国々で読まれています。教科書として子供達が読めば次の世代に正しく原爆の真実が伝えられていきます。これはこれからの現実世界にとても大きな変化をもたらします。引退はとても残念な事ではありますが白内障での漫画家引退以降は新たに絵画で原爆の悲惨さを伝えていくという意気には凄い使命感を感じます。私は核爆弾には視認できる三次元世界だけでなく霊界をも混乱させるだけの破壊力があることを身をもって知っています。私の母方の本家は広島原爆の爆心地のほぼ中央にあったために多くの一族と共に一瞬で消滅しました。それから40年以上経って私の父が継いでいる神仏に仕える血筋を頼り、母に大掛かりな儀式を伴う供養をするように霊意識が一族単位で働きかけてきました。また原爆で肉体が消失した前世の記憶と肉体の傷を持って転生した根深いトラウマの人も知っています。核は真っ当な秩序のサイクルまで次元を超えて根こそぎ破壊するのかもしれません。弱い心は妄想を生みます。 妄想は恐怖を生み、恐怖は怪物を生みます。その怪物こそが戦争であり核爆弾であるなら、はだしのゲンの主人公、ゲンの決して希望を無くさない強い心が世界中の多くの人の心を捉えるのでしょう。単なる怨み節ではなく、そんな希望の漫画だからこそ世界に広がり後世に伝わっていくだけの価値があるのだと思います。原爆の証言者として中沢氏の残した今までの功績に対し心からの感謝と賛辞を贈らせていただきます。ありがとうございました。
2009年09月15日
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ヤフーブログ友のさいわい 徹さんが漫画で描かれているダライ・ラマ14世。アメリカで英語版の出版が企画され昨年の北京オリンピック直前に英語版が発売されました。日本では今年の3月に出版され今月、英語版がネパールの小学校に本が到着したそうです。本を読む子ども達が良い表情をしています。また、チベット語の翻訳版が完成して10月にはダラムサラを含む、北インドのチベット人コミュニティーで配布される予定だそうです。さてダライ・ラマ14世について皆さんはどのくらいご存知でしょうか?とても重い使命と運命に翻弄された人です。私がここで余計な解説をすること自体、おこがましいので控えますが、世界に非暴力を訴え、侵略の愚を訴え続ける人である使命を背負っていることは間違いありません。暴力・戦争に対して漫画の持つチカラ。漫画の力は人種、言語を超えて世界を変えるとても大きいチカラをもっています。先日、中沢啓二氏の、「はだしのゲン」が英語版で出版されアメリカの学校で原爆の真実を伝えるための教材として普及しつつあるとの話題をネットのニュースで聞いたばかりです。つまり・・・今までアメリカでは原爆の真実を子供達に伝える教材自体が存在しなかったのです。これではいつまで経っても核も戦争も無くなる事はありません。中沢氏はオバマ大統領に「はだしのゲン」全巻を寄贈するつもりとの事。母方の本家が平和記念公園の敷地になってしまったというヒロシマの出来事を伝える事のできる家系に生まれた私としては中沢氏の想いが適うように応援するばかりです。さて「漫画で読む偉人伝 ダライ・ラマ14世」はマガジンハウスHPから都合の良いネット販売を選べば購入可能です。本を読んで気が付きましたがダライ・ラマ14世の守護神はマハー・カーラ(大黒天)なのですね。さいわいさんは田舎の山小屋で暮らしながら大黒天のお仕事、「外世界を自らの宇宙に繋ぐ事」の使命に綺麗に繋がっていらっしゃいます。世界を変える仕事に関わる・・・これはとても大きな意義のある事です。私も「もっと内側の回線を宇宙にきちんと繋ぐように」と大黒天に促されたように感じて・・・多いに反省いたしました^^;ではでは世界が一日でも、より良く変化する事を祈って。
2009年09月14日
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囲碁に興味のない人はともかく、囲碁を習っているなら知らない人はいない万波姉妹。「囲碁初心者の女神」として迷える碁羊の救済に笑顔で答えてくれる理想の先生。そして姉妹共著の本はおそらくこれが初めてであろうという歴史的なこの新刊にな・ぜ・か 私が似顔絵Q&Aイラストで参加させていただきました。描いたイラスト表情パターンも結構、多いですよ。表紙の帯の処をみればだいたいどんな感じの絵か?察しがつくと思います。前回、メタボダイエットの大西先生連載といい、今回のお仕事といい、第一線で活躍する女性のお仕事に関われるという幸運はとても有難いことです。ちなみにこのお二人、「ヒカリの碁」ブーム当時、小学生だった囲碁少年、少女達の頂点にいる訳で、それだけでも並の才女ではありません。まだ発売前予約中のこの本、どんな出来映えになるのか?私も興味深々です。そして、これだけは言っておきたい。お二人には囲碁で肩と腰が痛くなったら「みずはの整体院」に来て欲しい^^・・・と。
2009年09月13日
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↑実家近くの昨日の空、イルカの群れが泳いでいます^^北千住、みずはの整体院の階下で理髪店を経営しているママさんのお話。昔、地元の警察署にとても真面目な署長さんがいたそうな。毎日、毎日、忙しくデスクワークをこなすだけの日々。ちょっと疲れて一息入れたときに、ふと大空を眺めてみたら、信じられないくらい気持ちがよくなり・・・そのまま仕事をやめてホームレスになってしまったとか・・・。まあ、そんな話は大昔からある事です。いつも空を見ていれば、そこまで人生が変わることもなかったと想うのです。アナタは空を見ていますか?
2009年09月11日
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毎週木曜日は、お店の定休日です。ここ1ヶ月ほどは家(実家の新横浜)に帰って歯医者に通う日となっています。そこで歯医者付近の書店を廻るのが、お約束になっているのですが私の場合、最近は本当に書店に入って本棚の正面を端から順番に「廻る」だけだったりします。雑誌から専門書に至るまでささっと目を通して背表紙あたりから「面白い本オーラ」が出ている本がなければ入店して3分くらいで退出します。大昔は文句を言わない本屋だったら数時間も留まって本を開いて立ち読みしていたものですが最近は0.02秒くらい背表紙を見ただけで内容のベクトルが判るようになってしまいました。これには理由があります。今年49歳になりますが他界した父親の教育方針「本を読め」のおかげもあって記憶の残る3歳の頃から20歳くらいまでずっと本の虫でした。小学校4年生の頃には漢字だらけの文庫本、推理小説、SF小説にはまり判らない、読めない漢字は文章の前後から意味を推察しつつ本を読み終わった後に親にまとめて聞きに行くなんて事もしていたのでおこずかいはほぼ本代に消え、さらに学校と地域の図書館に通い詰めてジャンルを選ばず、ただひたすら本を読み続けていました。今、考えると活字中毒に犯されていたのでしょうね。20歳以降は印刷会社で政府専門誌や趣味の雑誌の版下作りからスタートして41歳までの間にレイアウト、校正、ライター、挿絵、漫画、編集、そして編集長まで一通り本制作に関わってきた経緯の上で、「内容がないけど売れる本」を作るノウハウみたいなものが、しっかり身に付いてしまいました。実のところ、書店で売られている新刊の殆どはこのテの本なので背表紙を見ただけで判ると言ったのは決して大げさではありません。(タネとシカケが見え見えなのです)ゴーストライターが書いている本なんてのも背表紙の感じで何となく判ります。その中でも「面白い本オーラ」が出ている本は非常に少数しかありません。こんなことを言いましたが本や活字を見るのが嫌いになったと言うわけではありません。ただ現代社会は、ネットも含めて雑音のような情報が多すぎます。スキがあれば思想洗脳してやろうなんて傲慢な悪意すら感じる情報も沢山溢れています。凄まじい物量で発行される書籍の中から自分にとって必要で有益、かつ何かの気付きを与えてくれる本を直感で見つける智慧は物事を心の目で見る為の良い訓練になりますからそういう意味でも「面白い本オーラ」が出ている本を「えいっ」と当てるという事は直感の自己鍛錬として、ずっと続けていきたいと思っています。「内容は無いけど売れる本」のノウハウは別にして皆さんも本のジャンルにこだわらずに一度「心の目」での書籍選択をチャレンジされてはいかがでしょうか?有効な方法としては天使でも守護神でも自分の信じている守護対象なら何でも良いので「良い気付きのある情報をお願いいたします」とお願いして本屋の中を無心でふらっと本棚を見廻るだけです。慣れてくると「えいっ」と手にとって「さっ」と開いたページが自分にとってとても大事な気付きや情報だったなんて事もありますよ。どうしょうもない内容の本なのに、そのページだけはとても大事な情報だったなんて事もあります。上級者?になったら是非、図書館でもチャレンジしてみてください^^ちなみに↑の本は表紙の木村さん自身の写真から凄い神様オーラが出ていたので思わず開いて読んでしまいましたが、確かに本を読んだら背中に何か凄い神様が憑いているような方でした。この写真にピピッと感じるものがあったら立ち読み(笑)されると良いでしょう。(とってもNHKな価格設定が不満なので購入いたしませんでした。)ではでは、機会があればまたこの話の続きをいたします。ここまで雑文にお付き合いくださり真にありがとうございました。
2009年09月10日
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8月はヤフーブログ友の「にこにこえみりママ」さんに私の守護(ガイド)の公開リーディングをしながら油絵を描いていただきました。たまたま台風がやってきた日にリーディングの開始です。(描き始め)えみりママさんのリーディング絵では色紙に人魚とケンタウロスを守護像に描いていただいた事もあり、何が出てくるかとても楽しみだったのですが、ずっと私が気になっていた「水」との深い縁のあるガイドが登場しました。十代の、おしゃべりが大好きな少女で「龍神の巫女」と名乗っています。龍神様に仕える巫女団の一人で現在は龍神様の右前足部分を担当(笑)私と表裏の関係でハイアーセルフの双子の妹のような存在でしょうか。えみりママのリーディングで興味深いのは「龍神の巫女」が語る龍神様の姿でしょう。どうやらこの龍神様は「龍神の巫女」達の霊(意識)体が集まり巨大な龍を形作っている様です。そういうわけで「右前足」が彼女の担当部分です。気配が全く消えている時は、いつも湖の底にいて地球上の水、天候に関する仕事の管理が忙しいので私の事はほったらかし(泣)にしているとのこと。湖の底にいる時の姿は緑の身体に黄色い目で長い髪の河童そのもの。ちなみに私が謎のDGボールを七個集めれば、どんな願いもかなえてくれるわけではありませんが、本当に重要な時の天候ならば願いに合わせて調整してくれるそうです。そういえば、ここ二十数年あまりは人生で重要なイベントの時は必ず晴れか曇りでしたね。重要な外ロケの時に、台風が来てても風だけで雨は降りませんでした。(ロケ終了後に大雨)整体院の名前にも頂いた水の女神様、ミズハノメノカミ様との関係も聞いてみたいです。たしか龍神様も化身の一つだったような・・・?「そういえばいつもは何処の湖の底にいるんでしょうか?」・・・と、えみりママさんに尋ねてみましたら・・・・十和田湖の湖底に龍神様(巫女)はいるという回答がいただけましたので・・・龍神の巫女は私の守護(ガイド)守護・前世の縁の深い場所には引き寄せられる(引き寄せる)そして十和田湖と言えば、ここが龍神の巫女の故郷でしょう。大湯環状列石(ストーンサークル)今から約4000年前に縄文文化が栄えた場所であり十和田湖のすぐ側にある祭祀遺跡です。詳しくはHPに写真が出ています。そして何でここが龍神の巫女の故郷かと言うと・・・今から約20年程前、私が広告代理店を一人で経営していた時に、川崎のスーパーコンピューター製造会社の東北工場写真撮影の為、4年以上もの間、何度も(6回くらい)東北自動車道をカメラマンと一緒に北上した思い出があるからです。自動車道の出口は十和田インターでそこから15分程、車で移動した大湯環状列石のすぐ側に工場はありました。当時は、仕事とはいえ「こんな遠隔地に通う事になるなんて、相当な土地縁があるんだろな~^^」・・・とは思っていましたが・・・前世・守護に縁のある場所ならばそれもよく解ります。カミヨの時代に、この土地には、身を龍神様に委ねて天候のイノリを捧げる「龍神の巫女団」がいたという太古の歴史があったのでしょうか。「にこにこえみりママ」さんのリーディング油絵は巫女が湖底の姿から天空の雲の姿へと変わりました。今、現在も私達の生命の水を見守ってくれているのでしょう。そういえば「ミズハノメノカミ」様もうら若い乙女の姿であり伝説によっては龍神の化身でもあるそうですが龍神の巫女とシンクロする部分が多くて、なるほど納得です。そして龍神の巫女から多くの人達へのメッセージがえみりママさんを通じて語られました。ほぼ、えみりママさんの原文のまま書いておきますね。1.今ちまたでパワースポット、スピリチュアルなどと言っていますが、 そういう場所に行ったら人間とその地の共存や未来、神様だったら神様の由来、 どうしてそういう神様がそこを護っているかをお願い事のついでに静かに、 歴史、今、未来に想いを寄せて「自分が、自分が」「私が、私が」ではなく次に来る 子孫のためのリレーをしてほしい。 言い伝えたりしたり、感じたこと、少しの環境保護の協力、 水のありがたさをかみしめたり、、、。 パワースポットとは、パワーを感じるところではなく そのパワーを護ると感じるために行くところ2.皆さん、人として生きる覚悟の上で生きていますか? 人として生きていく上では、犠牲も付き物です。 食べることは、もちろん車に乗ったりすることでも電気をつけることですら 地球を汚しています。 いろんなものが行きかう上で多くのものが汚れ失い、その上で生きている私たち 人として生きる覚悟は、できていますか? その上で人が生きれるのは、神に仕えた身分だったから 神から生まれたことからなのです。 神は、何を望んだでしょうか? 何も望みません自由に生きることを望みました。 権力を欲するもの 富を欲する者 愛を欲する者 人それぞれ それぞれであっていいのです。ですが自分がしたことは、自分に返ってきます。 支配したものは、支配されるでしょう。 富をやみくもに欲したものは、富に踊らされるでしょう 愛したものは、愛され 自分の生き方が鏡のようにでてきます。 人として生きていくには、責任というものを神様は、つけています。 貴方は、何に満足しますか?何を欲しますか?3.自然と人間の仲介の私 時に無力さを感じます。 自然と人間の調和を図るためが 自然と人間の調和を図れない 今度大切な時に生まれるには、男になろう そして人間側の人間になり、人間側を変えるようにしたい。 今までは、自然を変えようとばかりしてた。 今は、人の意識を変わる時 あなた(達)につなげます。・・・そして再び台風の日、8月29日にえみりママさんのリーディング油絵が終了いたしました。龍神の巫女からの最後のメッセージは1.行動してください。2.幸せは、小さくても大きくても幸せをかみしめて下さい・・・の二つ。シンプルで判りやすいお言葉でした。「にこにこえみりママ」さん、大変ありがとうございました。↑冒頭の絵は以前HPに載せたミズハノメノカミ様のボールペン画を色鉛筆で仕上げたものです。WEBのイラストレータープロフィールに載せるために8月頭に描き起しました。えみりママさんが油絵を描きはじめたのが8月11日ですが、見たとおり微妙なシンクロをしています。えみりママさんも私の以前、描いた絵を思い出し油絵の描きはじめにこんなコメントを内緒でいただきました。自動書記で描いて、メッセージは、上からなのですけれども、、、、もしかして、いるかさんも自動書記でハイヤーを描けるんじゃないんでしょうか?決してまねしたわけじゃなく、、、得られるところは、、、メッセージや色なのですが、、、たぶんいるかさんは、自動書記で守護が描けるようになっているのかと思います。・・・そう言われましても私にそういう能力は全くありません^^;そんな事ができるのならすぐにでも観えた絵を描いて商売にしたいところです。この絵はおそらく自動書記というより魂の繋がっている竜神の巫女を鏡の向こうに観ながら描いていると言った状況でしょう。ある意味、魂の自画像です。「龍神の巫女」は複数形でした。大勢の人と繋がっている多くの龍神の巫女が今も自然と人間を見守っているのでしょうね。そうそう私と十和田の遺跡の繋がりをお話いたしましたが、もう一つのロケの場所として花巻の工場にも毎年、一緒のカタログ撮影に行きました。花巻といえば故・宮沢賢治さんの故郷です。独自の宇宙観を持った童話作家であり教師であり農地改革の人である宮沢賢治さん。この流れならきっと賢治さんも龍神の巫女繋がりだと思いますよ。(龍神の目とか角担当かな?)なにしろ台風に乗って現れ、台風に乗って去っていく龍神の巫女は、まるで風の股三郎のようですし。私の誕生日花のグラディオラスは宮沢賢治さんが小学校の畑に植えたのが最初で学校の花壇の定番になったそうな・・・。グラディオラスの語源はグラディウス・・・剣闘士(グラディエイター)の剣です。当時の花巻に住む人達は初めてみるグラディオラスの天空へ伸びる美しい佇まいに目を奪われたとか。そんな東北の情景を想いつつ8月の終わりに大自然への感謝と畏敬を込めて。龍神の巫女とえみりママさん、そしてここへ来てくださる方々へ深く感謝いたします。いつもありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。最後にえみりママさんの描いたリーディング油絵の完成品を載せます。
2009年09月09日
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