川向こうの茶屋
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昨日は後の十三夜だったとか、前は171年前だったとか、私はどうして今なにかを掘り起こすようにキーボードをたたいているのかとか。多感だった中学生の頃に利用しはじめた楽天ブログ、気づけば24歳のおっさんになってたとか、日記を見返すかぎりではあの頃は俗にいう中2病というやつに侵されていて前後不覚で暗い夜を真昼間と勘違いして生きていたようだったとか。そんな僕が今何故この文章を残そうとしているのか・・・とか。果たして見る人はいるのかとか。そんなことはどうでもよいのです。私には一切合切理解できないのですから。私には人間の生活がいまだに理解できないというのは太宰治のパクリですがまるきりそのような心境のようです。明日終わろうが、始まろうが関係ありません。一切は過ぎてゆきます。明日にはまた日が昇ります。何回目のかしらんが昇る。ちっぽけな人間のわたしなどの計り知れないような世界がありました。私は自身を存在の意味に見切りをつけ妥協的に覚知できないがゆえに翻弄した年月が長すぎたようです。故に世間というものの自己的な見解が他の人とは大きくことなるようです。私はこの世間というものに尋常でない恐怖を抱いていました。それもついこの間までです。原因はまだはっきりと総括できていないのですがおそらく少年期に負った傷でしょう。でもまぁ自業自得、自らの不遇の責任を他人に転嫁できるのは動物だけですからね。とここまで赤裸々に書いてきてふと恥さらしだなと思ったでしょ?いやいいんです。私は孤独であって孤高ではないのでこの社会において幾度となく孤立してきました。なので誰が読もうが知ったことではありません。私は生きようが死のうがどちらでもよい人間です。かといって死ぬのは申し訳なく人道に反することでありますので控えます。だがいささか退屈な日々に飽き飽きしています。大人気ないかもしれないけど、生活の苦しさも、楽しさも私は失っているようです。空虚なようでいて満たされているような不思議な感覚です。あぁ戯言を書くのは楽しい
2014.11.06
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