☆たー☆のヒトリゴト

March 11, 2013
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テーマ: ココロ(1449)
カテゴリ: その他ね☆
ロビーに物故者の名前が張り出されてます。
知った名前がありました。

ロビーに参列者が集まってきています。
知った顔をたくさんありました。

この数日、仕事だと割り切ってやってきました。
だけど、やっぱりドコか胸が痛いよ

これだけのダメージってあるのだろうか?

母を亡くして、あれだけ悲しくて泣いても...今では母をネタに笑う事だって出来る
あれだけ父親を恨んでたけど…思い返せば良い思い出だってあったんだ


2年前の事を思い出すと本当に胸が痛くなるんだ。

きっと生涯、忘れる事なんか出来ないんだと思う。
そんなダメージをみんな受けちゃったんだと思う。

だから無理に忘れる事をやめようと思うんです。

あの日から俺に何があったのか
少し聞いてほしい

フラッシュバックしちゃうのならスグにページを閉じてね


3.11

PM14:46
リハーサルの演奏を録音していてその音をプレイバックしてた時だった。


大きい

避難するための扉を確保するためにホワイエへ向かうも真っすぐ進む事が出来ない
轟音の中何とかドアに辿り着き開き体重をかけたが体ごとはじけ飛ばされた。
揺れが収まったかと思いホールの入口へ向かい、出る様に指示したけど動けない
再度ドアを確保しに行きドアを開け廊下へ出た瞬間


随分と長かった。2分以上激震の中にいたが収まりかけたのを確認してもう一度ホール内へ戻り避難する様に指示をした。
外へ向かう途中にスタッフ2人がいない事に気付く...慌てて戻り無事を確認。

揺れが収まっているのか?今だに揺れているのか?地面が揺れる感覚...気持ち悪い感覚
最大震度7と発表されて一同驚く
スグに避難に必要と思われる物品を用意
地震から1時間後くらいだろうか?駐車場の方から人が集まって来る。
聞けば津波が来ていると...電池で動くラジオから最大10mの津波が来ると警報が出ている事に気が付く

何度も襲ってくる余震

PM18:00過ぎだったと思うがホールを避難所として開所が決定
全ての電力がダウン
ホールは自家発電出来るというで非常用の照明が点灯している
遠くから見ればここがランドマークになってるのだろう

車内で待機していたが手伝って欲しいと呼ばれる
中に入り様々な準備を手伝った。その最中にこの街にも10mクラスの津波が襲来した事を知った。
とりあえずで落ち着いたのは0:00を回ろうとしていた様な気がする...仮眠をするため車に向かった。

真っ暗な世界
月と星がこなにも綺麗な空が見えるとは...なんたる皮肉
長い長い悪夢の始まり。


3.12

寒い朝だった。腹痛で車の中で目が覚めた。
携帯電話は全てのキャリアがダウン
連絡したいにしても誰にも届かない
身支度をしてホール内へ既に混乱の中で

続々と無線で指示が飛んでくる
続々と無線で物資の注文をする

津波が押し寄せた地域から続々と避難者がやってきた
着の身着のままで足元は泥だらけで靴を履いていない人もいた。

今日の食事はおにぎりと水だった気がする
そうだ、昨夜は市が備蓄してた乾パンを提供したんだった。
余震はひっきりなしにやってくる

仮設トイレが2基来た。
その場で使い方の説明を受けたのが降ろし方を手伝った俺たちだった。
結局、これ以降仮設トイレの番人はうちのスタッフとなった。
それから照明器具が付いたジェネレーターも来た

とりあえず避難所としての形が出来た2日目だった。

再会を喜び合い涙する人もいれば、安否がわからず不安で涙する人がいる
しかも背中合わせでね...リアルな背中合わせでね

『人が倒れた!』このワードを今日は何度聞いた事か
その度にボクらは救急車を手配して、誘導して、搬送先が決まるまで側にいて
寝不足のせいか....はたまた自分の中でパニックを起こしているのか...一体いつまで続く悪夢なのだろうか?
眠れない...いや、眠らせてもらえない夜が続き、失った記憶の後に3日目の朝がやってくる


3.13
被害状況が段々見えてきた朝
昨夜はデスクの下に毛布を敷いて眠った。

相変わらず腹痛が止まらない。
携帯の電波は未だ全てがダウンしている
繋がらないならと電源を落としたままだ。
避難者の朝食を準備して渡し終わってから俺らが食べる
ここはまだマシな物が食べれるから助かる。
一度部屋に戻り急ぎ着替えや買いだめしていた乾物をバックに詰めた。
ホール内は今だに混乱をしていると言うしかない状況

何があったか思い出せない
何を思ったか思い出せない

胸に思う事は1つ
この現実から逃れたい
しかし、これがリアルなのだ


3.14
夜になってからホールから少し離れた所で携帯の電波を拾えた
通話は出来ないがiモードは繋がってメールを確認する事ができた。

暖かい
暖かい

言葉1つ1つが嬉しかったよ。
緊張の糸が切れかかり少し涙こぼしたよ。
怖かったんだ
死ぬって思ったんだ
夜...眠れなくて瞳を閉じれば、あの瞬間が戻ってくるばかり

本当は弱虫で逃げ出す事考えたけど暖かい暖かい言葉だけで頑張れそうだって感じたよ。
ありがとう。って言葉が心の底から出るって事、心の底から受け取れる事の重みが身に染みる


3.15
もう時間の感覚も曜日の感覚もない。
持病の薬はあと7日分
とりあえず大丈夫だろうと希望的観測。
ただ、腹痛が止まらない。

5日目にして暖かい食事を頂いた。
今日、最初で最後の食事。
大阪の業者さんが車で運んできてくれた。
何でもないうどんがこれほど有り難い物だとは思わなかった。
未だに物資が届いてない地域の被災者の皆さんには申し訳がない。

明日が見えない毎日
瞳を閉じれば蘇るあの瞬間。
何度も泣き出したくなる
その度に堪えて、それでも明日は何かが見えると信じるしかない。


3.16
今日の夜から勤務シフトを敷いた。
8:00-20:00/20:00-8:00の12時間交代で勤務する。
その中で一人ずつ交代で24時間の休息を取れる様に考えた。

ここにきて、自分で制御出来ない感情が時々込上げてくる
身体中に溜まっているストレス
ガス抜きの方法がわからない強烈なストレス
今は飲み込むしかないのだろう...このままでは壊れるぞと身体中で警告されてるようだ
穏やかに眠りたい。


3.17
10:00過ぎに部屋に一度戻った。
ブレーカーを立ち上げて電源供給を確認
水道もガスも大丈夫だった。ただ、ガスはいつまで持つかわからない

1週間振りに髪の毛を洗えた。
これほど気持ちが良いと思った事はなかった。


3.18
日中に部屋へ戻ったが殆ど眠れなかった。
無音の中にいる事がこれほど苦痛に感じるとは思わなかったよ
1週間が経過した。もう、一週間...まだ、一週間...どっちに転ぶ事もない感情だ
復興へ1歩1歩前進しているのはニュースを見ればわかるけど...正直、状況はあまり変わっていない。
ここに詳しく書く事はやめようと思っているが、被災者のマナーも段々悪くなってきている
励まし合って、助け合い、拾った命を一生懸命生きているのに残念だと思う事が度々起こる

気持ちはわかるんだ...何もかも失って、最愛の人が見つからない人もいる
疲れてて、慣れない集団生活で不自由な事だってわかっている
だけどね思って欲しい、胸に刻み込んで欲しい...世界中で一番不幸なのはあなたではないと
病気の薬が乏しくなってきた。
来週あたりにもらえると良いんだが...


3.19→3.23
劇場は相変わらずの避難所
おかげ様で物資は毎日届き1日2食で粗食なメニューだけど食べる事には不自由していない
地震がなかったら文句しか出てこないような内容だが今は違う。
食べれる事にありがたみを感じつつ食べている。

感謝。

数日前に物資を整理していた時に見つけた暖かい心
誰に届くかもわからないのに見つけてもらえるかもわからないのに書込んでくれた言葉がやけに暖かい
私の知らない恩人
確かにあなたの心遣いを受け取りました。

感謝。

地震が起きた事で再び繋がった友情。
高校時代のバンド仲間たち...同じ釜のメシは.....食ってないけど(笑)、俺にとって掛け替えのない大切な親友たち
連絡がつかない仲間をどう捜すか...状況が状況でみんなそれぞれ忙しいだろうにアイディアを出してくれる。
時間を取り戻す事は出来ないが再び俺たちだけの時計を回す事は出来るんだと教えてくれてる
再び逢える事がなかったとしても...願いが叶わなかったとしても落胆する必要はないんだ
同じ空の下でそれぞれがみんなの無事や幸せを祈ってるに違いないんだ
うん。大丈夫だよ
俺たちはどんなに遠く離れていても、どんなに年を重ねても仲間なんだから

感謝。

今夜の晩飯は「うどん」だった。
劇場の隣にあるうどん屋さんの本部が大阪でね
徹夜で走ってきてくれた。
ご馳走様でした。素直な気持ちを言葉にすれば彼らは笑ってこう返事をした
「お礼なんて必要ないですから、みんな気持ちは1つですから」
再び返す言葉が見つからない...なんて嬉しい言葉だった事か

感謝。

友人と電話で話をした。
随分と心配を掛けたが安心してもらえたという事が嬉しい。
彼女はこっちに来ると言うがそんな無理はしないでいい
電車も飛行機もバスすらまともに走っていないんだから
その気持ちだけで十分暖かくなれる
話を聞いてくれるだけで暖かくなれる
落ち着いたら徳島へ行こう。
そしたら徳島ラーメンとフィッシュカツをおごってね

感謝。

今、劇場内はもちろんだが、町中でウイルスによる感染症が流行りだしている。
昨夜も今夜も若い子からお年寄りまでバタバタと倒れ始めてるんだ。
空気感染だから一応隔離という事で封鎖してた2階の部屋に寝床を作る作業をしていた。
布団なんか用意出来ないから段ボールを敷き、その上に梱包用のクッションを敷き毛布を敷く
そんな簡素な部屋と俺たちの作業に「ありがとう」って...声を出す事すら辛いはずなのに...そんな事言わなくていいのにさ
精一杯のありがとうが俺の身体中に響き渡ってるんだ

感謝。

自分の病気の薬が切れかかって今日、病院へ行ってきた。
もちろん検査は出来ないから、自分の身体がどうなってるのかよくわかっていない
震災後初めての通院だったからドクターからドコにいたか聞かれたので素直に状況を話した。
ドクターは「そうですが、大変ですけど頑張りましょうね。ありがとう」って言うんだよ。
ドクターだって震災以来ずっとずっと患者を診てきてるじゃないですか
人間だもの「休みたい」とか「逃げたい」とか思ってもいいじゃないですか
だけど「ありがとう」って...泣けてくるよね
薬も2週間分手に入ったので俺はまだまだ頑張れます。
飲み惜しみする必要もない

感謝。

全国のみなさんの暖かい暖かい支援が毎日この手に届きます。
生きているというより生かされてると感じる毎日です。
変な話に思われるかもしれないけど、あの地震から人に感謝する気持ちが毎日どんどん大きくなってるんだ
俺は幸いにも部屋も仕事も財産も残ってます。
だけど、何かとてつもなく大きなものを失った気がします。

そんな中で聞こえてくる「ありがとう」に何で応じるかを考えるとね
やっぱり「ありがとう」で返すしかないんだなって思うの。
人って本当、こんなに優しいんだね
って事は俺もまだまだ優しくなれるんだって思うと何だか嬉しくなるんだよね
当たり前の「ありがとう」が混乱の毎日を乗り切る為の武器になるんだって事を知りました。

ありがとう。
私は元気です。

私の「ありがとう」があなたに届きます様に。





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Last updated  March 12, 2013 01:43:43 AM
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