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ロールちゃん 秋の収穫祭は、久しぶりの大傑作である。期間限定もむべなるかなと納得させられるだけのサービスに溢れている。 まずスポンジがカボチャ風味である。そしてクリームがスイートポテトである。色つきのスポンジに色つきのクリーム。これだけで、限定を楽しむ商品として及第である。に留まらず、栗のつぶを入れたというダメ押しが加わった。凝らせる限りのスペシャリティを与え、いつも通りの均一価格は当然まもられている。ファンなら、この嬉しさに、食べずして満足を得らるるだろう。 それにしても「秋の収穫祭」。こういう実体のない名は、ロール一族にかつてなかった。この名からして異端ぶりが明らかである。ちなみにキャラ名は秋ロールちゃん。 栗のつぶが期待以上に入っていて驚かされた。どうせ粉末に毛が生えたぐらいだろう、と期待が低すぎたのかもしれない。食べてみれば、ちゃんとひと口ごとに、つぶが、つぶつぶ。コスト的に骨身を削る仕様ではないか。それを思うと、落ち着いて味わっていられない。悲しい性である。 スポンジへの、風味と香りづけの塩梅のよさは、そつがない。そう感じるのは、私がふんわり食パン好きだからであろう。いま、ふんわり食パンで「スイートポテト」が期間限定で販売されている。焼かずレンチンもせず何もつけずに、ちぎって食べるお手軽さが、あまりにお手軽に過ぎて、間食を増やしてしまい、こやつ困りものなのである。 かぼちゃ、栗、ポテト、いずれのティストも、飽きさせない程度に甘さのバリエーションをこさえているのみで、秋の味覚を楽しむという点からは遠いものの、製パンにおけるトッピングの味わいとは、そもこのようなもの。むしろどの個性も際立たないことによってまとまりがでて、全体でひとつの味となっている点は、絶妙である。 ラムレーズンに勝るメモリアルなロールちゃんである。 ロール村の名誉村民に推薦してあげたい。
2011.09.23
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少し間が空いたので、昔のテキストから圧縮物語を1つ再掲します。 オリジナルもとても短いお話しです。 ======θθθ======θθθ======θθθ======θθθ======θθθ====== 秤屋に奉公する小僧の仙吉は、番頭同士が旨い鮨屋の話をしているのを傍らで聞いて、いちど旨い鮨というのを食べてみたくなった。 貴族院議員のAは、同僚に、鮨は握るそばから手掴みで食べる屋台に限ると教えられ、屋台の鮨を食べてみたいと考えていた。 或る日、Aは旨いと聞いていた屋台の鮨屋の暖簾をくぐった。そのとき同じ店へ、お遣いに出ていた小僧の仙吉が入ってきた。小僧は、四銭だけなら懐にあるので一つは食えるだろうと決心して飛び込んできたのだ。鮨を載せる板を見廻して「海苔巻きはありませんか」と小僧は聞いた。鮨屋の主は「ああ今日は出来ないよ」と応じて小僧をジロジロと見た。鮨屋は初めてじゃないよと云うような勢いで前にあった鮪の一つを摘んだが、「一つ六銭だよ」との主の声に四銭では足りない小僧は鮪を戻した。「一度持ったのを置いちゃあ、仕様がねえな」と主はその鮨を引き上げた。小僧はその場を一寸動けなくなったが、すぐにある勇気で暖簾の外へ出て行った。 Aは同僚に屋台の鮨を食べてきた話をしたが、そのときに小僧の話をした。「何だか可哀想だった。どうかしてやりたい気がしたよ」「ご馳走してやればいいのに」という同僚とは、そういう勇気を出すのも難しいものだという結論となった。 或る日、秤を買いにきたAは偶然その店に仙吉を見た。仙吉はAを知らない。どこかで先日できなかったご馳走をしてやろうと考えて、秤の届け先まで小僧さんをちょっとお借りしたいと聞いて了解を得た。購入者台帳用にと名前を聞かれて、名を明かしてご馳走するのでは憚られると思い、出鱈目の住所と名前を言った。 秤に関する用事を片付けると、Aは小僧に「お前も御苦労、お前には何かご馳走してあげたいからその辺までおいで」と云って、横町の小さい鮨屋の前へと連れて歩いた。鮨屋の前で小僧を待たせて、ひとりで店に入り出てくると「私は先へ帰るから、充分食べておくれ」と云った。かみさんが「小僧さん、お入りなさい」と招き入れた。Aは逃げるように立ち去った。 仙吉は三人前を忽ちに平らげた。「もっとあがれませんか、お代はまだ沢山頂いてあるんですからネ」とかみさんが云う。「お前さん、あの旦那とは前からお馴染みなの?」「いえ」「へえ……。粋な人なんだ。それにしても、小僧さん、又来てくれないと、こっちが困るんだからネ」仙吉は只無闇とお辞儀をした。 小僧と別れたAは変に淋しい気がした。小僧も満足し、自分も満足してよいはずの、人を喜ばす悪いことではないはずの事が、どうしたわけか、変に淋しい。悪いことをした時にも似たようないやな気持ちがする。何故だろう? 善事だと意識する気持ちが、本当の心から批判されているのだろうか、とAは考えた。 店を後にした仙吉は、先日自分が屋台の鮨屋で恥をかいたことと、今日の出来事に関係があることを見抜いた。しかし、自分が秤屋に居ることを知っている点が解せなかった。そして、あの客は只者ではない、神様か、でなければ仙人か、若しかしたらお稲荷様かも知れないと考えた。 後日、Aの一種淋しい気持ちは消えた。しかしあの鮨屋へ近寄る気はしなくなっていた。「俺のような気の小さい人間は全く軽々しくそんな事をするものじゃあ、ないよ」とAは話の折にそう述べた。 仙吉の頭の中で、あの客は日々益々忘れられないものとなった。あの客が人間か超自然的なものかは別にして、ただありがたいものと思えた。あの鮨屋へ再びご馳走になりにいく気はしなかった。そうつけあがることは恐ろしかった。 仙吉は苦しい時、悲しい時に必ず「あの客」を想った。いつかは又「あの客」が思わぬ恵みを持って自分の前に現れて来る事を信じていた。作者はここで筆をおくことにする。実は、小僧が「あの客」を確かめるため購入者台帳の住所を元に尋ねていくと、そこに人の住まいはなく、小さい稲荷の祠があった。小僧はびっくりした。-と書こうと思ったが、そう書けば小僧に残酷な気がしたので止めた。 ======θθθ======θθθ======θθθ======θθθ======θθθ======
2006.06.24
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ロールちゃん抹茶&小倉は、3月からの期間限定フレーバである。いつものごとく、しばらくはお目にかかれなかった。私の生活圏である大阪では、最初の一週間はサークルK系コンビニでのみ販売されていて、中旬にさしかかった頃に、ようやく一般のスーパーにも並ぶようになったようだ。 とはいえ、いつもながらこの出足の悪さはなんなんだ、実にけしからん、と文句のひとつ、ここで書こうかという気にはならない。 以下の日本経済新聞社の記事は、ヤマザキファンとしては実に嬉しいことだから。山崎製パンは13日、被災者向けに食パンや菓子パンなどの無償提供を始めた。西日本の工場で生産した商品を中心に計48万個を送る。 ヤマザキのような大手が動いてくれるというのは実に心強い。ヤマザキが総力をあげてパンを送り込んだら、被災地がパンで埋まってしまうんじゃないかと心配になるぐらいだ。 春のパンまつりが一時中止されたが、その理由は景品だった皿を被災地へ送るためだとか。 さて、3月もなかば過ぎたころ、待望の「ロールちゃん抹茶&小倉」を手に入れた。 スポンジが抹茶色、クリームは白というタイプ。 昨年の初夏、平城京遷都の企画商品「ロールちゃん大和茶クリーム」のときと、逆のパターンだ。 食べてみると、スポンジ部分からほのかに抹茶風味が漂ってくる。悪くない。クリームに色だけがついていた大和茶よりも格段の進歩だ。 ヤマザキは、ふんわり食パンシリーズで、パン生地に味をつける技術の腕を上げたのではなかろうか。この冬に、ふんわり食パンでチョコレートやいちごなどの味が期間限定で販売された。どちらもふんわり食パンのなかではいまひとつな味だったが、こちらの抹茶スポンジはなかなかに美味しい。そのうち「ふんわり食パン・抹茶」が販売されることを希望する。 小倉のテイストも効果的。ボリュームで攻めるヤマザキらしからぬ、上品な仕上がりだ。北海道小豆というのもこだわりで、これでホイップと同じ値段というのだから、かなりお買い得だといえる。 ところで、写真内の宣伝文(ロールちゃんサイトから拝借した)に「自家製つぶあん」と書いてあるけど、いままで餡子はすべて社外調達だったのかと、逆に意外な気がした。薄皮つぶあんパンをはじめ、あれほど大量の餡子のお得意さんは他にないはず。そこが自社で調達できる体制を整えたというのは、餡子メーカーにとって大事件だ。そういえばBigシュークリームにも自家製カスタードクリーム使用と書いてあった。 餡子にカスタード。主要なパンネタが自在になると、どうなるだろう? 薄皮つぶあんパンと薄皮クリームパンが1個増量で6個入りとなるセールが頻繁におこなわれるだろう、というのが私の予想だ。(この程度のちんけな予想しかできない私なのであった)
2011.03.29
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「お家かえりたいわあ、ここもういやや」これまで不平を言わなかった節子、常に離さぬ人形抱いて泣きべそかいていい、「お家焼けてしもたもん、あれへん」しかし、未亡人とは日増しに険悪な間柄になってもう長くはいられない、「この横穴、お家にしよか」池の先にある深い横穴に藁敷いて、蚊帳吊って、荷物移して住みはじめた。 灯火管制には慣れていたが、夜の壕の闇はまさに塗りこめたようで、蚊帳の外にわんわん群がる蚊の羽音だけがする、西の空へ向かう特攻機の光みて、そや、蛍捕まえて蚊帳の中へいれたら、明るくなるんとちゃうか、百余り捕まえて中に放つと、ゆらゆらと光が走り、心がおちつき夢にひきこまれ、蛍の光を高射機関砲の曳光弾になぞらえて、敵機来襲バババババ、お父ちゃんどこで戦争してはんねんやろ、以前出した手紙に返事はない。 朝になると蛍の半分は死んで落ち、節子が埋めた「何しとんねん」「蛍のお墓つくってんねん、お母ちゃんもお墓のなかにいてるねんて」未亡人から聞いて知って、清太も涙ぐみ、「いつかお墓いこな、布引の春日野墓地や、あしこにいてはるわ、お母ちゃん」樟の木の下の小さい墓。 母の着物も底を尽き、大豆雑炊で暮らしていれば、節子の肋骨日毎に浮き出し、疥癬にかかって蚤虱に血をとられ、やがて体がだるいのか海へ行くときも「待ってるわ」人形抱いて寝ころび、外へ出ると清太は、家庭菜園から青いトマト、そのうち農家の芋畑から盗みとって、節子に食べさせていたが、七月末の夜、野荒しを農夫に見つかり、さんざなぐりつけられ、「すいません、堪忍して下さい」「なにぬかす、戦時下の野荒しは重罪やねんど」交番にひったてられたが、お巡りはのんびりと、農夫をなだめ清太には説教をして許してくれた。壕へ戻って泣き続ける清太を、節子が背中をさすりながら、「どこ痛いのん、いかんねえ、お医者さんよんで注射してもらわな」母の口調でいう。 八月に入ると連日艦載機が来襲し、清太は警報を待って盗みに出かけた、頭上に殺到する機銃掃射、爆弾もまじるらしくすさまじい音響の交錯する中を、清太にとっては稼ぎ時、家人逃げ去った家へ忍び入り、着物リック持ち出して遠方で売るも、その年不作のけはいに農家は売り惜しみ、せいぜいトマト枝豆さやいんげん。節子は下痢がとまらず、常に離さぬ人形すらもう抱く力なく、そや節子に滋養つけさせんならん、指切って血イ飲ましたらどないや、いや指一本くらいのうなってもかまへん、指の肉食べさしたろか、見れば節子、髪の毛だけは伸び放題で、三つ編みにしてやると、「お兄ちゃん、おおきに」あらためて眼窩の窪みが目立つ。 八月二十二日昼、壕へ戻ると節子は死んでいた。骨と皮に痩せ衰え、その前二、三日は、眼は蛍を追うらしく「上いった下いったあっとまった」低くつぶやくのみ、その一週間前、敗戦と決まって、清太は「聯合艦隊どないしたんや」、かたわらにいた老人が「そんなもんとうの昔に沈んでしもて一隻も残っとらんわい」、では、お父ちゃんの巡洋艦も沈んでしもうたんか、「お父ちゃんも死んだ」と母の死よりはるかに実感があり、生き続けていかんならん心の張りまったく失せて、それでも節子に食べ物を食べさせたがすでにうけつけぬ。 夜になると嵐、節子の亡骸膝に乗せ、髪の毛をなでつづけ、すでに冷えきった額に自分の頬おしつけ、涙は出ぬ。ゴウと吠え木の葉揺り動かす嵐の中に、ふと節子の泣き声がきこえるよう。 翌日、火葬場は満員で一週間前のがまだ始末できんといわれ、「子供さんやったらお寺のすみ借りて焼かせてもらい、大豆の殻でうまいこと燃えるわ」と教えてくれた。いわれた通り、行李に節子をおさめて、人形がま口下着一切をまわりつめ、大豆殻に火をうつせばパチパチとはぜつつ燃え上がった。 燃え尽きたのは夜更け、周囲はおびただしい蛍の群れ、これやったら節子さびしないやろ、蛍がついてるもんなあ、蛍と一緒に天国へいき。暁にローセキのかけらの如く細かく砕けた白い骨を集めて壕へ帰ると、未亡人が忘れ物を捨てたのか、母の長じゅばん腰紐が水につかって丸めてあるのを拾い上げ、そのまま壕には戻らなかった。 昭和二十年九月二十二日午後、三宮駅構内で野垂れ死にした清太は、他に二、三十はあった浮浪児の死体と共に、布引の上の寺で荼毘に付され、骨は無縁仏として納骨堂へおさめられた。 www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www ほんの六十年前、同じこの土の上で、このような世界が繰り広げられていたということに改めて驚かされます。終戦で中学三年というと今なら七十五歳の爺さん。現代の常識では考えられないことばかりの環境で少年時代を過ごしたその年齢の方たちが、今はコンビニの前でシャツを出した学生が買い食いしながら屯するのを横目に日々暮らしているのかと想像すれば、人の幸福観を根底から揺るがしてしまう、急激な時代の移り変わりというものほど強大で残虐な力もあろうかと思われます。 戦争に投じた命、それに時間や宝物、かけがえのない物、多くを費やして、そのあと、戦争という行為が間違っていても戦争を全否定するのは、その時代、懸命に生きた人への間接的な生の否定に他ならず、それも戦争の犠牲と一言で片付けてしまうのは容易いけれど、追い討ちをかけるかの残酷な仕打ちだと思います。 頑固者と嫌われようが若いモンの言うことなんぞ聞けるかと変に強情になった爺さんが多くても、仕方のないことのように思えてきました。 生きていられることだけで感謝したくなるようなこのお話、躓いているときに読めば、心のもやを吹き飛ばして有無をいわせず、ただ黙って歩き続ける力が得られそうです。それがプラスか、それとも開き直りに近いものなのかは分かりませんが。背筋にくるお話です。
2005.05.21
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アニメになってTVで何度か放映されていましたから、ご存知の方も多いと思われる作品です。原作は文庫本三十頁ほどの短編で、句点が少なく途切れない文がこの著者のスタイルのようなのですが、当作品においてその効果は大きく、畳み掛けてくる悲惨さに喉が詰まるかの心地にさせられます。 描かれている凄惨さは省いた字句の分だけきっちり損なわれてしまったのですが、その一方で、ほんの数行の断片からも、今の時代の感覚だと忽ちに飽和してしまうほどの悲惨さが伝わってきます。以下、圧縮版にてあらすじを紹介します。※文字数超過つき前半と後半に分かれています www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www *~ www 三宮駅構内浜側の三尺四方の円柱をまるで母とたのむように、一柱ずつに浮浪児がすわりこんでいて、その中に痩せこけた頬の清太がいた。ドラム缶売りの砂糖水コップ一杯五十銭に始まった三宮ガード下の闇市「ええ十円、十円」蒸し芋芋の粉団子握り飯を売る掛け声と、食物の匂いにひかれて迷い込み、母の形見の長じゅばん帯半襟腰ひもを売って半月食いつなぎ、いつしか復員兵士のお情けや老婆の憐れみで通り行く人のそっと置いていく食べ残しを頂戴し、水と便所があるから居つくと、下痢が続いて風船が萎むように衰弱し、もう壁なしでは体も支えきれず、立ち上がるにも脚はよろめいて、ついに腰を浮かすこともできなくなった。飢えも渇きもなくなり「わあ、きたない」「死んどんのやろか」人の声と列車の騒音に気付けば、座った姿勢のまま横倒しになっていて、眼の前の床の埃が弱い呼吸にふるえるのを見詰め、いま何日なんやろ、何日なんやろかとそれのみ考えつつ、清太は死んだ。「戦災孤児等保護対策要綱」の決定された昭和二十年九月二十一日の夜、清太の死体を調べた駅員達はドロップの缶を見つけ出し「なんやこれ」「ほっとけ、捨てとったらええねん」夏草茂る焼跡に放り投げると、蓋が外れて白い粉がこぼれ骨三つころげ、驚いた蛍二三十飛び交い、やがて静まる。 骨は清太の妹、一月先だち同じ栄養失調症で衰弱死した四歳の節子。 六月五日神戸はB29、三百五十機の空襲を受け、中学三年の清太は警報発令で病身の母をまず消防署裏の防空壕へ避難させ、食料を火鉢に入れて庭に埋め、巡洋艦に乗り込んだまま音信のない父の写真を胸に入れ、リックに衣類を詰めて節子を背負えば、カンカンキンキンと防空監視哨の鐘が交錯して鳴った後に凄まじい落下音に包まれ、第一波が過ぎた静寂にウォンウォンと押さえつけるようなB29の轟音切れ目なく、ふたたび落下音、ガラガラと物音がして焼夷弾が屋根からころげ道を跳びはねつつ油脂撒き散らし、やがて家々は黒煙をあげはじめ、慌てて清太は背中の節子をしゃくり上げ母のいる壕へと走ったが、阪神電車高架沿いの道は既に避難の人でごった返し、火の粉流れ落下音に包まれる中をただ水のある海岸へと逃げて、石屋川の川辺の窪みに身を隠し、節子を抱き下ろすと、小さな絣の防空頭巾に黒塗りの大事にしていた下駄は片方だけ、手に人形と母の古い大きながま口を抱えた節子は泣きもしなかった。「お母ちゃんどこにいった?」「防空壕にいてるよ、消防裏は二百五十キロ直撃かて大丈夫、心配ないわ」自分に言い聞かせるようにいったが阪神浜側は焔で真っ赤、「おうち焼けてしもたん?」「そうらしいわ」やがて爆音遠ざかり節子をおぶって堤防を上がってみれば、酒蔵にバラックに松林すべて失せて、公会堂や阪神電車の土手がすぐそこ、焼跡は六甲の麓まで続き十五、六ヶ所で炎々と煙が噴き出し、「えらいきれいさっぱりしてもたなあ」歩き進むと駅は屋根の骨組みだけ、お宮は御手洗の鉢だけがある、二本松に辿り着いても母の姿なく、川床を覗き込めばうつむいたり大の字になっていたりの死体が五つ砂の上にいて、清太はすでにそれが母ではないかと確める気持ちがある。心臓を患って走れない母は「節子と一緒に逃げて頂戴、あんたら二人無事に生きてもらわな、お父ちゃんに申し訳ない、わかったね」と冗談のようにいっていた。「学校へ集合して下さい」との呼びかけがあり、そや学校に避難しとるかも知れんと歩き出せば、「眼エいたいねん」と節子、煙のせいか赤く充血していて、「学校で洗ってくれるよ」「お母ちゃんどないしたん?」「学校におるわ」「ほな学校へいこ」瓦礫の火と熱気を避けて学校に行けば「清太さん、お母さん怪我しはったのよ、はよいったげな」と向かいの娘に教えられ、節子の眼を衛生兵に洗ってもらうのも引き受けてくれて、いやに優しいのは母の状態のよほど悪いと知ってのことか、医務室へ行けば町会長さんが、「ああ清太くん探してたんや、これお母さんのや」と出されたヒスイの指輪は見覚えがある。 重傷者ばかりの工作室で、そこに母は上半身包帯にくるまれ、眼と鼻と口だけ穴開けて、もんぺは焼け焦げだらけ、「今ようやく寝はったんや、病院あったら入れた方がええねんけどな」寝るというよりは昏睡状態で呼吸は不規則で、隣の男は鼻から血泡を出し、向うの女は左脚が膝から下がなく、「お母ちゃん」低く呼んでみたが実感がわかず、節子のことが気になって校庭へ戻った。「この指輪、財布へなおしとき。お母ちゃんちょっとわるいねん」「どこにおるのん?」「病院や、西宮のな」「お母ちゃんとこいきたい」「明日ならな」翌日病院へ運ぶ人力車を頼んだが、既に母は危篤状態で動かすことなどかなわず、夕刻、火傷による衰弱で息をひきとった、「包帯とって顔みせてもらえませんか」清太の頼みに軍医は「みない方がいいよ」、母の包帯は血で滲み、血泡の男も片足切断の女もすべて死に、夥しいハエが群がる。 一王山の下で荼毘に付すという母親の死体、標識を結ぶのに手首を見れば、皮膚は黒く変色して人のものとも思われず、担架に載せると蛆虫がころげおち、気付けば幾千という蛆虫がはいずりまわっている工作室から運び出し、トラックに丸太状に積む。香華も読経もなく、遺族の立ち会えぬ広場に死体を置き、警防団員が重油のバケツをたたきつけて火を投ずると黒煙上げて燃えさかり、標識がどれほど役に立ったものやら、夜になって名前記した木箱渡され、黒煙のわりには真白な指の骨が入っていた。 焼けたら身を寄せ合う約束の親戚の家に行くと、先に預けた節子がきく、「お母ちゃん、まだ悪いのん?」「うん空襲で怪我しはってん」「指輪もうせえへんのかな、節子にくれはったんやろか」「それ大事なんやからしもうとき」骨箱を隠して節子に言う。 罹災者特配の缶詰と焼跡から埋めた食料を、その親戚の未亡人の家へと運び入れ、男手の清太は水汲みを手伝いして暮らし、夜になるとぬめるような六月の闇、貯水池の蛙がブオンブオンと鳴き、生い繁る草の葉末に平家蛍が点滅し、手をさしのべれば指の中にとり、「ほら、つかまえてみ」節子の掌に光を移す。 やがて配給もなくなり貯えの食糧は底をつき、未亡人は食べ盛りの二人におのが分まで食われるのではないかと、雑炊をよそうのにも清太節子には菜ばかりの汁を入れるようになった。 梅雨の晴れ間、節子の汗疹が気になり「海行ってみよか」と清太がいえば、子供心にどう納得したのかあまり母を口にしなくなった節子は兄にすがりついて「うん、うれしいな」、海岸に出て節子の赤い斑点のできた体を洗ってやる、「もうちょっと暑なったら泳げるわ、教えたる」「泳いだらお腹減るやん」空腹は清太にとっても近頃耐えがたく、魚釣りしたが釣れず、せめて海草をと探したが腐ったホンダワラが波間にあるのみで、大阪湾の沖をB29が低空飛行していくのが見えるが、もはや目標は焼き尽くしたのか、大規模な空襲はこのところ遠ざかっていた。「お母さんの着物な、お米に替えたらどう? 清太さんも栄養つけて兵隊さんいくねんやろ」言うと未亡人は農家で米袋と交換してきて、数日は米をたらふく食ったが、すぐに大豆の雑炊に戻り、うちのお米なのにと不平をもらすと、思いがけず先の長くなりそうなみなし児二人あずかった気重さの本音から、「よろし、御飯別々にしましょ、それでな清太さん、東京にお母さんの親戚いてるんでしょ? 手紙出したらどう?」さすがにすぐに出ろとは言わなかったが、未亡人はいいたい放題いいはなち、食事洗濯風呂が面倒みてもらえなくなった。
2005.05.19
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