イエローミワの徒然草

イエローミワの徒然草

○○○○を作った女


高校になると、いろんなコンサートにいくお金をためるために、禁止されていたバイトに励んだ。(月1回はコンサートにいってたもんなぁ)授業中だって、内職をしていた。顔は常に先生のほうを向き、「ふんふん」と真剣に聞いている表情を作っていたが、実は机の下で、フェルトのマスコットをずっと作っていたのだ、それも手探りで。そのマスコットとは、アルファベットの「A]とか「S」とかに目鼻口や手足をつけた「いにしゃるちゃん」という、私のオリジナル商品で、手作りの店で売ってもらったのが口コミで話題になり、次々とオーダーが入ってくる。そっと好きな子のイニシャルを買っていく子もいた。知らない子が、当時流行っていたアディダスバックにそれを付けているのを見ると、すごくうれしかった。
ある日、くりちゃんが、「ねえ、みわしゃん、僕にもなんか作って」と言ってきたので「いいよぉ」と気軽にひきうけた。くりちゃんは、サッカー部のキャプテンだったので、サッカーのユニフォームをきた男の子が、ボールのポシェットをさげているものにした。我ながらいいできで、評判がよかったせいか、次々にオーダーが入る。バンドをやってる子にはギターを作った。「なあ、僕にも作って」と高野君がいった。「いいよ」といったが、……高野君?んーと、…高野君って部活にも入ってないし、趣味もこれといって聞いた事がない。何にしよう。あ、そうだ。いなり寿司が好きみたいでそう呼ばれてたからそれにしよう。そこで、いなり寿司に目鼻口と手足をつけた「おいなり君」が誕生した。きゃ、かっわいいー♪「はい、おいなり君」自信タップリで高野君にそれを見せると…様子がおかしい。高野君や周りの男子が、床に海老のようにのけぞりヒクヒクしながら、死にそうなくらい笑っている。。何で?訳のわからぬ私に、笑いをこらえた江藤君が「なあ、なんでこいつがおいなりって言われてるか知っちょる?」と言ってきた。ある日の体育の時間、整列していると、先生が「おい、高野。短パンからおいなりが出ちょるぞ。」と注意したらしい。「おいなりって、はみチンのことぞ。」ぎゃ~~~!!!!!私って、そんじゃ、はみチンのマスコット作ったの?!それもご丁寧に目鼻口・手足までつけて…?!どおーーーーしよーーー。真っ赤になりながら、「ゴメン!!作りなおす!!!返して!!!」といったが、床でえびぞって泣き笑いしている高野君は「ヒッ、い・いや、これでいい!ていうか、これがいい!!ヒッ」といって返してくれなかった。結局、その「おいなり君」は、卒業まで高野君の机のフックにかかっており、私は「はみチンを作った女」という汚名を卒業まで引きずるのであった。




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