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三児の母。家庭の事情で昼は高齢者施設、夜は飲食店で働きながら、シフトを調整して時間を作り、音楽仲間とライブをする…それが当時の私であった。所属するバンドの名前は「音のタネまき一座」、地元で活動していたミュージシャンがある目的に引き寄せられるように繋がったグループである。その目的とは「我が町大阪狭山を音楽でいっぱいの心豊かな街にすること。」始めるのが難しくて、「聴く側」になりがちな「音楽」を、もっともっと「発信する側」になって楽しんでほしい…という気持ちで「音のタネまき」とつけた。2005年秋、「音タネ一座」は公民館で「シュチュエーションパフォーマンスミュージック」略して「シチュパ!!」の講座講師をしていた。1歳から72歳まで参加の楽しい講座。そんなとき、当時公民館職員だった岡田さんとお手伝いスタッフの田中さんが、なにやら、熱く語っていた。小耳にはさんだところでは、「中高生の居場所づくり」だとか「沖縄」だとか「エイサー」だとか話している……。……何かややこしそうだ。巻き込まれぬように、聞こえないふりをしよう。出来るだけ、そっとしておこうと思った。そして、「シチュパ!!」の本番。会場にはなぜか、彼女たちが熱く語っていた沖縄で中高生の舞台「肝高の阿麻和利」を手掛けているスタッフの一人、Mさんがいらっしゃっていた。(何で、私らのステージを観に来てるんだろう・・・)Mさんは、私がその舞台で演じたお掃除おばさん「きいさん」を大変気に入ってくださり、「沖縄にきてください!」とおっしゃってくれた。その言葉を聞いて田中さんがひとこと、「繋がった!よかった!」と。ん?私の頭を「思惑(おもわく)?」の一言がかすめる。「シチュパ!!」の本番後、喜びと安堵も束の間に、Mさんを交えて、「大阪狭山キジムナーの会」発足式が始まった。出席者はその活動を支えようと集まった地域の大人や先生、そして実際に修学旅行で沖縄戦と向き合い、阿麻和利メンバーと交流した中3の子供たちも来ていた。何はともあれ、お世話になった二人のため…私はひたすらラジカセにマイクをあてて音出しをしながら、気が遠のくほどの疲労感の傍ら、目の前で行われている風景をかすかな意識で認識していた。ただ…はっきり覚えているのは、当時中3だったYが、「自分たちが中学校で取り組んだものを終わらせたくない。次に繋げたい」といった、後ろ姿だった。田中さんの一言とMさんの登場で、なんとなく他人事ではない予感がした私は、後日、岡田さんを質問攻めにする。なぜ沖縄なのか、なぜエイサーなのか、なぜ中高生なのか、具体的に何がしたいのか、最終着地点はどこなのか…。今思うと、そのころの彼女にはその質問は、とても辛かっただろうと思う。わかったことは、地域の空白世代である中高生の居場所をつくりたいということ、沖縄で感動の舞台体験を通して中高生のひとづくりをしている平田大一さんの理念を継承し、そんな活動がしたいのだということ、そして…翌年の3月31日、サヤカホールを予約していることだった。。。。。困った。。。。。何が困るって、このあまりにも無謀な計画をした田中さんと岡田さんの「熱い思い」の純粋さだけが完璧で、私はそんな二人を絶対ほっとけない・・・その「ほっとけない」ことに困ったのだ。その場では、「『はじめてのお使い』のカメラマンみたいな気持ちで、とにかく『見守り隊』としてスタッフになるわな」という返事をした。まだ形が出来ていない「うどい」の準備会に十数名の子供たちが集まった。発足式で「終わらせたくない」と語ったY達である。私が最初にした作業は、彼らの「言葉集め」をすることだった。目的は、オリジナル曲づくり。さあ、何を題材にしたいのか・・・。蓋をあけると、「沖縄からもらった平和への思い」だった・・・(後に、このことが、私がうどいの脚本を書くことをためらわす一番の要因となる。)そして、それをもとに出来上がったのが楽曲『風の声がきこえる』である。そして、その6月、「表現倶楽部うどぃ」の公民館講座が始まった。講師は、この活動のきっかけになったエイサーグループ「狭山人(さやまんちゅ)」と、私の友達で琉球舞踊の先生をしているマックだった。私は、ボーカル指導と制作班の見守りスタッフ。まだ、舞台のことなんて誰も考えていなかった。8月、平田大一さん来る。土と太陽の匂いがする平田さん。宮本亜門氏監修舞台の演出家で那覇市の芸術監督という前情報に硬くなりながらも、子供たちを生き生きと指導してくださる天真爛漫な平田さんをただただ眩しくみつめていた。そのあと、スタッフと平田さんの食事会。さやかホール前のレストランに平田さんと先にいっといてと田中さん(…思惑?)。その席で、平田さんが、一言。「来年3月の舞台のことですけど、僕が出来るのは監修ですね。僕は…誰とお話を進めたらいいでしょうか」……即答できなかった。どうしよう。あの時、何を食べたかも覚えていない。その日、一睡もできず、ある決心をし…。翌朝、集合時間よりだいぶ前に公民館に行くと、早く来ていたスタッフがもう一人。イケメン大学生スタッフのコージだ。彼も、昨日、このままではいけないと感じてくれたのだった。今日、平田さんが帰られる。いらっしゃる間にこっちの体制をはっきりさせなければと。コージに話があると別室に呼び出し、矢継ぎ早にしゃべった。主婦で嫁で仕事を掛け持ちしてて3児の母である自分だけで背負いきれる話じゃない、一緒に支えてほしいと頼んだ。彼はこくりとうなづいた。そして、二人で岡田さんのところへ行った。「3月の舞台、正式に引き受けます」さあ、脚本作り。書かなければならない内容はわかっていたが、躊躇していた。彼ら彼女が「表現したい」と選んだ内容は「平和への思い」、つまり、戦争に触れなければならないからだ。一番避けたい内容だった。当時、私は、老人ホームのデイサービスで働いていた。そこで、「回想法」というものを担当しており、日常で戦争体験を生できく立場にいた。少尉の娘さん、戦闘機のパイロット、ご主人を亡くされた方、兄さんを亡くされた方、舞鶴で引き上げ船の世話役人をしていた方…たくさんの体験をききながら、戦争の捉え方は人それぞれであることも知り、ただただ寄り添い、事実を受け止めていた。そんな「戦争」の話など書けるはずがない。「この役割、私じゃないのかも。」しかし…「風の声がきこえる」の歌詞を思い出しながら思った。この歌には、人と出会い、成長していく子供の姿がある。大切なのは、「子供たちが心を動かし、自分で考え、行動し、成長していくこと」だと。テーマは、それだと。等身大でいい。何も知らないところからでいい。それなら……題材にこだわりも主張も何もない自分がいいと。題名は「風の声がきこえる」だ。そこからは、一気に書き上げた。書き上げてからも、何度もさやかホールで上演されることをイメージした。会場にあらゆる境遇の老若男女になって座り、舞台を観るシュミレーションをした。偏った見方をしていないか、知ったかぶりをしていないか、誰かを傷つける表現をしていないか、善悪をつけていないか・・・頭も心もヘトヘトになるまでその作業をくりかえし、チェックした。そして、舞台「風の声がきこえる」の脚本が出来上がった。楽曲『風の声がきこえる』、この曲はうどいの原点である。
2013年11月21日
表現クラブうどい第三回公演「風の声がきこえる」が、来週上演される。 日記には、あまり書けなくて・・・大切すぎて重すぎて眩しすぎて辛すぎてしんどすぎて真剣すぎて。 舞台を1週間後に控えたこの土日は、 言葉では表現できないのだが・・・寄り添って 叱って 話を聞いて聞いて聞いて 感慨にふけって 諭して たくさんの思いをひろってひろってひろって… 俯瞰で見て それどころじゃない時にほころびを見つけて 縫い合わせる決意をして 任せて ひとりひとり丁寧に向かい合って 背景を聞いて 驚いて 納得して たくさんの涙をみて 時々笑かして 励まして 発見して 助言して 見つめ直して わかりあって 愛おしさは半端なくまして 調整して 説得して 大丈夫と思ったら……大問題が待っていて 絶望して 地に落ちて 互いに傷ついて 吐き捨てて 外に出て 笑顔に抱きしめられて 泣いて 泣いて もらい泣きされて 笑って 真っ白になって 歯をくいしばって進行して… 涙の跡に感ずかれて 静まり返って… ただごとじゃないという危機感がはしって生まれ変わった姿を見て うねりのような感動と本気とバトルを目の当たりにして 頂点の後大切な人の悲しみに触れて 沈黙があって 言葉を探して 語って 願って 祈って……声をかけて うなずいてくれて 一生忘れない横顔がみれて 約束をして。 泣きながら気持ちを伝えに来る子。それに寄り添う子。私を心配して抱きしめてくれる子。「必ず・・・」って決意をする子。 雨降って地固まるって言うけど…まあ、うちには龍神様がいらっしゃるもんで、生半可な雨でなく、嵐というか雷雨というか… 舞台前はいつもこの「心を動かす」作業が回っては来るのだが…激しい…激しすぎる…この3年で一番激しかった。。。おばはん。。。ボロボロのヘトヘトのズタボロ。 火事場のくそぢからまで使い切って、気力で帰ってきた。 風神雷神以上の感情のジェットコースター状態にたえ、自分と向き合い、人とつながる覚悟のできた子供たちが、自分の限界をはるかに超えた状態で、4月5日サヤカの舞台で表現します!! 席、残りごくわずかです!ご一緒に感動のうねりを体験してください。
2009年03月30日
久々、楽天ブログ更新の訳は、楽しい楽しいコンサートのご報告。数年前、さくらさんのブログで読み、「ねえ、ねえ、この人たちのコンサートにいきたいねん」と、ずうっとわめいていたあこがれの人たちと・・・なんと、9月15日「音タネ一座」がジョイントコンサートしてしまった。去年、一昨年、客として見させていただいて、もう、おもろいやら感動するやら、おなかいっぱいのコンサートだった。その人たちは「ラーメンちゃんとあきらちゃん」全国で年に100ステージもされる。そのコラボで「遊び」について、ふと考えた。私は「8時だよ!全員集合」世代である。やっていたドリフに私と遊んだ自覚はなかろうが、私には確かにドリフに毎週遊んでもらったと思っている。どんなことが起ころうと、土曜日になるとドリフがあそんでくれた。「笑い」が、心を解放し、何かがリセットされてまた頑張れた。「うんこちんちん」「ちょっとだけよ」遊び心を持つ「遊びのプロ」が、日本中の子供たちを繋ぎ、見知らぬ同世代と初めて会っても「ドリフと遊んだこと」を共有できるのだ。ラーメンちゃんとあきらちゃんに会って、あの全国のお茶の間が一緒に笑ったあの時を思い出した。そうなんだ。大人が笑ってると子供も笑顔になる。大人にしかわからない笑いで笑っている大人をみると、スッとちょっとカッコいい存在にみえてうれしくなったりしたな。「ねえ、どういう意味?」っていっぱい聞いたな。とても、懐かしくて大切なものがそこにあった。以前「アポロ」を近所全員で見た日のことを書いたが、その時のことも思い出した。大人がはしゃいでいると、子どもはテンションが上がりとてもウキウキするんだ。音タネ一座も「大人も子供も音に合わせて一緒に遊ぶ」ことをコンセプトに数年前、「音の種まきコンサート」と講座を行った。それからずっと、奇跡のような出来事が加速をつけて続いている。その道に、このジョイントコンサートがあった。出演者がね、楽しくて楽しくてしょうがなかったの。出会った奇跡に感謝。舞台袖であきらちゃんの解説をききながら、同調したり発見したり。とても素敵な時間。ステージ終わりの楽屋で、「また、一緒にコラボできるように動きましょうね」といってくださったこと、とてもうれしく、そう動こうと心に誓った。帰りの車でぎんさん、ユキちゃんに話して、「そうやって、どんどん忙しく自分らでしていってるよね」と笑った。でも、うどいもこの道も一本道なんだ・・・かけがえのない笑顔たちに繋がる道。
2008年09月16日
(舞台が終わり、あたたかいご感想をたくさんいただき、出合った全ての人に、言葉には出来ないほどの感謝です。PCキーボードが故障中のため、携帯で送信し、貼り付けています。ブログに書いて下さった方、メッセージかけなくてすいません。どうしても、更新したい思いがあったので、必死こいて携帯を叩きました。)表現倶楽部うどい第二回公演「飛夢」の舞台をステージとバンドピットと客席が見渡せるバンドピットの階段で観ていた。この舞台をどうしてもみせたい人物がいたので、呼びかけてみた。それは、「6歳の私」ステージでかわいく笑っていた「ちいちゃん」よりもひとつ下。 6歳の私は、船の上にいた。なぜか財布を握り締めていた……「これからは九州のじいちゃんばあちゃんと住むんやで」物心ついてから、ずっと一緒にいた母から別れを告げられ、オバサンにつれられ電車に乗り、着いた家には、母から死んだと聞かされていた父が、若くてきれいな女の人と産まれて間もない赤ん坊とともにいた。「ここで、暮らしてもいいんやで」と父は言ったが、子供心にそれはみんな困るんだろうなと思い、首を横に振ると、次の日、九州行きのフェリーに父と乗っていた。「蛍の光」が流れる船の上で、対岸が遠くなるのを眺めながら、言い知れぬ恐怖にも似た孤独が背筋を寒くした。手には、母が「これ、おかあさんと思って大事にしてな」と、買ってくれたビーズがたくさん付いたピンクの布の財布。ぼそぼそっと、感情がかけぬける。無理だよ…おかあさん、このサイフ、きれいだけどね、ビーズいっぱい付いてるけどね…おかあさんとは思えない…だって、あったかくないもん、歌うたってくれないもん、抱きしめてくれないもん…不思議と涙は出なかった。ただ、ただ…迷子のように心細い。その時、何かが私の中で凍りついた……涙が噴出したのは、次の日のこと。九州のじいちゃんばあちゃんの家。父は、私をあずけると帰った。笑顔で私に何が食べたいときくばあちゃんに「のりとごはん」と答えた。出されたごはんをほおばると、歯にカチッと何かがあたった。口から出すと、それは小さな小石だった。田舎の自家精米の米にはよくあることである。だが、私は、その瞬間、火がついたように泣き出した。小石が「泣いてもいい」きっかけを与えてくれた。「おかあさーーーーん!!」泣いて泣いて泣きつかれて動けなくなり、きがつくとじいちゃんの膝に頭を乗せてひっくひっくと目をとじていた。寝ていたのではない。放心状態という感じだった。店をしていたので、買い物に来た近所のおばちゃんが、どうしたのかとたずねると、私が寝たと思ったばあちゃんが、あれこれ話し始めた。離婚した両親が共に再婚するため、この子をひきとったんだと……。そうか…そうなのか…口にできない感情、全身凍りつきそうになる中、手ぐしで私の髪を撫でていたじいちゃんが、祈りにも似た口調で一言いった。「こん子がむげのしてこたえん…」九州の言葉で「この子がかわいそうでいとおしくてたまらない」というその言葉が、じいちゃんの匂い、手の感触、ひざの硬さと共に鮮明にそして優しく私の心の中に「お守り」をくれた。。。。「6歳のミワちゃん」、ごめんね。待たせたね。あのとき、心を凍らせた「思い」をやっと、とかしにきたよ。しばらくしてわかったけど、あれは「ワタシハ、ナンデ、ウマレテキタンダロウ」って、ことだよね。これからもしばらく…何十年かそんなこと、考えたけど、苦しかったけど、あのじいちゃんの「お守り」が、守ってくれるからね。「こん子がむげのしてこたえん」その言葉は太陽のようにあなたにふりそそぐよ。寒かったね。待たせてごめんね。でも、今日から一緒にいられそうだね…私の中に、帰ってきてくれてありがとう。
2008年04月09日
探し物はなんですか~♪見つけにくいものですか~♪はい、とても見つけにくいです・・・1、木魚(もくぎょ)…ポクポクポク2、大きな木の樽3、わらじな!みつけにくいでしょ見つけてくださった方には、イエローが耳元10センチのところで、「千のかぁーーぜーーにーー」と、モノマネで歌ってあげよう!越路吹雪「ろくでなし」のまねでウロウロするのもいいな・・・ほんま、探しているのでご一報を!!
2007年11月02日
とめどもないう空想にふけりながら、家の大掃除をする。そんな時は、決まって、「脈略のない歌合戦」が、繰り広げられる。まあ、思いつくままに大声で歌うだけなのだが、いつもとんでもない歌が出てきて、結構気に入ってやっている。一人で!今日のラインナップ一曲目「ケアレス・ウィスパー」ワム!二曲目「かもめはかもめ」研ナオコ三曲目「乙女のワルツ」伊藤咲子四曲目「アザミ嬢のララバイ」中島みゆき・・・・やっと新聞、片付いた・・・五曲目「旅の空から」松山千春六曲目「そんなヒロシにだまされて」高田みずえ八曲目「キャンディーズ解散コンサートメドレー」←乗ってくるとこれが出る。九曲目「あみだばばあのうた」明石家さんま十曲目「恋待草」岩崎宏美おーーー、風呂掃除、おわり!十一「さよならを言う気もない」沢田研二十二「積木の部屋」布施明十三「季節が変わる前に」狩人(あずさ2号のB面)洗面台がぴっかぴか。十四「狼になりたい」中島みゆき(どーも、掃除にむいているみゆきさん)十五「SORRY(かわいそうだと言わないで)」山根麻衣(昔、ステージで歌った。この前、気付いたんだ、あの麻衣さんだって)十六「石狩挽歌」北原ミレイ靴箱も、整理整理。十七「happy valley」オレンジペコー十八「かいじゅうのうた」原由子十九「蒼夜曲~セレナーデ~」尾崎亜美二十「東京DAYS」槇原敬之最後はやっぱりマッキーでしめ!本当は、自分なりに前後の曲はつながっている…カラオケはいらない。頭の中でオーケストラがなっている。何て幸せな。。。あ、台所、まだや。。。。。。ううっ。。
2007年10月05日
デイサービスの送迎中、胸がきゅんとなる。老人が鍵を開けるとき。鍵の保管状態でまずきゆんとくる。首からパンツのゴムでつるしている人にキュン、大事そうに皮製の鍵入れに入れている人にキュン、「チリリリーン」わかりやすいように鈴をつけているひとにキュン・・・。しわだらけの手で、独居の部屋のドアを開ける。誰もいない部屋に「ただいま」って声をかけ、「かちかち」電気の紐をひく。なぜこんなに、独居が多いのだろう。「絶対無理やろ」っていう、認知症の人まで。今日も、たくさんの人が鍵を開ける。
2007年09月25日
先々週、ぶっ倒れ病院にいき、自宅療養と言われたのだがそんなわけにも行かず働いていたら、悪化して医者に怒られ、こりゃちょっくらおとなしくしとこうかとマカマカもうどいも休ませてもらった。あけて、月曜、少し楽になり、用があるといっていたよっつんに電話をすると、「家でお菓子たべててんて」と・・・・。なぁ~~にぃ~~娘が「おかあさん、家でお菓子たべてる」との情報を流したらしい。みんなはほくそえみながら、ポテトチップスの袋に頭突っ込んで食いながらテレビを見ている私を想像したらしい。「病気になってまで食い意地・・・ククク」違う!違うんだ!別に、食いしん坊キャラがいやなわけやないが、これは語るも涙の物語で・・・・うううっ。金曜の昼から食べ物が喉を通らず、病院にいき、そのまま家で爆睡。次の日、マカマカに向かう娘に、「お昼には、なんか食べれそうだから、パン一個買ってきて」と頼む。昼、娘から電話。「公民館で遊んどく」……まあ、しゃーないか。家には、何も食べるものなし。夕方、娘が帰ってきた。目いっぱい遊んで、昼ごはんのことなど忘れていた。…しゃーないか…その日、わがマンションは夏祭り。浴衣に着替えた娘に「おでんかなんか買ってきて」と頼む。しばらくして、「おでんなかった~」と帰ってきてまたすぐ行った。。。。しゃーないか。。。二時間後、帰ってきた娘にたまらず「ほんならたこ焼きでもなんでもいいから買ってきて」と頼む。どんどん、悲痛な叫びになっていく。娘が帰ってきた。「ママ、これしかなかった~」観ると、ミニミニのカップヌードルがひとつ。ミニ・・・めっちゃミニ。お湯も入っていたので、まあいいかとたべようとすると、娘が信じられない一言。「ママ、お腹すいた。私も食べたい!」え!?あん!?えーーっとぉ?このミニ・・・無邪気に笑う娘。「ええよ。全部たべて」「やったーー」食べている。一口、汁をもらう。無性にウマイ。ダメだ。涙グミそうだ…食べ終わり、バックからお菓子の袋を出す娘。「ママにもちょうだい」「いいよ~」もらったのは、8ミリほどの四角いよっちゃんイカのかけらが3つ。「おいしいね、めっちゃおいしいね」究極の空腹にしみるよっちゃんいかのかけら。それをみていた娘が、次の日、「おかあさんどうしてる」ときかれた先で、「お菓子食べてた~」などとほぞこうとは、思いもしないその日の私であった。。。。。
2007年08月28日
PC復活!何ヶ月ぶりかにキーボードたたいてます。そんな間に、うどい3期が始まり、マカマカが始まり、九州に2回帰省し、オーディションをし、新作を模索し、日々の業務と家事、雑用。この充実した日々に感謝。新作模索のこの時期、去年と同じく、たくさんの出会いが出来事がメッセージをくれる。おばかな事が大好きな私が、こんな哲学的な日々をおくるとは・・・「人生観」が変わるというか、整理されていくというか。毎日彼ら彼女らのことを考えながら、人間・自然のことを考えながら・・・自分の人生を振り返る。ないがしろにしてきたもの、見ないふりをしてきたこと、そしてなぜそうしてきたのか、ずっと問答をする。そして、空を見上げる・・・弱くて、ださくて、ずるくて、ちっぽけ。そんな自分だからみえる風景・・・感じる心の叫び・・・それを綴ろうと。舞台で輝く、あの子達を思いながら。
2007年08月17日
うどい、三期やる気オーディション2日目。たじろぐほどのやる気をみせてくれたうどい生達。思ってもみなかった「うどい効果」をたくさん教えてくれたそれを聞きながら、思い出したのは、塩の精製工場だった。瀬戸内のある場所に天然塩の精製工場があるのだが、そのそばには、たくさんの喘息やアトピー子供達が家族ごと引っ越してくる。実は、その工場から出てくる蒸気に含まれる成分がとてもアレルギーに効能があるのだそうだ。塩の精製工場の人達は、あくまで「身体に優しい自然塩をつくろう」と思っていたけなのに、知らず知らずにそんなことになっていたとのことだった。あの子たちには、そのパワーがある気がするな。。。そうなれるように…大人達、いろいろ頑張る!!
2007年05月26日
(手紙はてれるので、普通に書いとこう・・・)幼い頃から思い描いていた夢。夕暮れ時、お日様の匂いあふれる洗濯り物をとりこんで「えーと、これはとーさんの。これは、・・・」と、いとおしそうに独り言を言いながら、家族のパンツをたたむこと。結婚して、子供が生まれ、その夢は現実になるのだが、「家族」というあたりまえにあるようで自分になかったものを手に入れたとき、戸惑いを隠せない自分がいた。ガラにもなく「育児雑誌」なるものを読み漁り、理想の母像になろうと頑張り、たまるストレス。子供を育てるというより、自分を育てなくては、と気がついたとき、傍らには、ふたりの男の子。この子たちは、不安げに発展途上中の母と付き合ってくれた。ぶつかり、傷つき、抱きしめ、探りながら、支えあってきた家族。何より助かったのは、結婚した人も家族ついて模索しているひとだったこと。自分がそんな状態で育児をしていたことに自信がもてない時期もあった。「人間万事塞翁が馬」その不安を払拭してくれたのは、長男次男の成長だ。傷つき、ぶつかり、困難な道であったが為、知らず知らず「心のひだ」をたくさん持ってくれたようだ。今、長男は完全に親の保護時期を離れようとしている。次男は、旅立ちの準備段階。経験して実感して道を模索しているふたりの姿にこの上ない安堵感、達成感を覚えながらも、まだまだ終わらない道を実感している。末娘は、家族が安定して、試練に突入した時に生れた。彼女は熟成した愛情につつまれて育った気がする。満たされた笑顔をみながら、「さあ、次の試練、あかるくいってみよう!」て、声をかける。今、娘は、母に甘え付属する「子供」の時期の最後を実感し、不安を感じているようだ。それは、次のステージが近いことを意味している。私は、この「変わり目」の時期が、子供に寄り添う一番大事な時期だと思っている。他の不都合をさておき、夜の勤務をやめて、昼間の常勤にしたのも、一番の理由はそれだ。お皿をあらわなければならない状態でも他の用事があっても、その時の信号には、手を止めて優先する。いつもは、子供を信頼して答えをみつけるまで待ち、母を求めて息を吸ったときにそばにいようと。ずいぶん、省エネ的育児のような気もするが、私はそれしかできないし、子供たちも、我家に生まれた運命として、それを受け入れてくれているのでよしとしよう!育児雑誌を読んでいた頃の私の肩を叩いていってあげたい。「大丈夫!あせらなくても、そのまんまで。子供達があなたを育ててくれるからね」
2007年05月25日
このブログを書き始めたきっかけは、「子供達への遺言」のためだった。とはいっても、余命を宣告されたわけではない。ただ、友達が大好きだった祖父が何を感じて生きていたのかを懸命に探し求めているのをみて、自分がどんなことを感じながら生きたのか、子供達には知っておいて欲しいと思った。ダンダンと、おばかな日記になってきたが、それも含めて、感じて欲しいと。そんな意味でも、ひとつ書いておかなければならないことを、子供達への手紙にしたためようあらためて、書こうとすると少し照れるけど、今ありったけの感謝を込めて、書いておくね。子供達へ愛情たっぷりの貧乏世帯に生れて、たくさん苦労かけたね。父も朝早くから晩遅くまでの仕事。母も物心ついたときには働いていて・・・。母が働くことについて、いろいろな意見もあったけど、きっとあなた達は背中をみてくれる、そう信じてた。いつも、背中にあなた達を感じながら働きました。そういうと、さも子供の為に働いた様な感じだけど、実ははっきり自分自身の為でした。母は、かなり変わった生い立ちをしています。なので、小さい頃から何かあるたび、「この思いは、これから起こる何かのための準備に違いない」と自分に言い聞かせました。だから、しっかり家族ができ、足元が固まった時、それを探したくてしょうがなかった。そして、たくさんの仕事を掛け持って、馬車馬のように働くうち、その答えにたどり着きました。胸を張っておと、ライフワークと呼べる仕事に携わり、「出会えてよかった」と涙を流して喜んでくれる人達とともにいます。家族って何だろうって思ってた自分に神様はこれでもかってくらいたくさんの血のつながらない家族をくださいました。そして、たくさんの人達が、天に召されていき、母はそのたびに、胸いっぱいに宝物を「たのむね」と預けられた感じがしたんです。どうやら、「答え」だと思っていた所は、入り口だったようです。その宝を胸に、関わらせてもらったたくさんのこともあって・・・あなた達には、苦労おかけしてます。「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉がありますが、母は自分が目いっぱいしんどいことやっとくと、いっしょに家族もしんどいことに付き合わざるおえなくなって、「どっこい生きる」ということをしてくれるんだな・・・とあなた達から学びました。とーちゃんとしみじみ話しました。「貧乏したけど、子供らがよく育ってくれてありがたいね」6月から母は、常勤勤務になります。そのことを盆と正月が一緒に来た様に喜んでくれているお年寄り達とパラダイスをつくろうと思ってね。ご理解いただき、家事手伝い、よろしく。父も母もその頑張りのもとは、家族です。生れてくれて、育ってくれて、健康でいてくれて、寄り添ってくれて、ありがとう。至らぬ親ですが、これからもよろしく!!
2007年05月20日
大きな舞台が終わったあと、待ってましたとばかりにいろんな役割がまわってきた。覚悟はしていたが、今回の揺り返しは大きい。母であり妻であり子供であり○○家の一員であり○○家が実家であり……社会人であり社員である自分に、それぞれが問題を、試練を突きつけてくる。役割の数だけ、求められる私がいて、体も心もひとつずつ。今週、何時間眠れただろうか。そんな時期にたくさん一大決心をした。ひとつは、長い長いパート時代に別れを告げ、社員になること。生活を変えるのは、それなりのリスクもある。それをふまえての決心。。。んで、もうひとつ。体が引き裂かれそうに忙しくなった私は、家族に向かってこう宣言した。「あーーーーー、よし!決めた!犬飼おう!!」「え!!?何でそうなるねん??(笑)」息子達が突っ込む。「いーーぬ★イーヌ★」わけもわからず喜ぶ娘。。。「………犬か…」それもありだなと言わんばかりに、酒を飲みながらうなづく夫。行動は早い。次の日、うちの家には、ミニチュアダックスのモモちゃんがいた。5人とモモちゃん。新たな家族、新たな生活。そういえば・・・娘が生れた時もそうだったっけ…「この状態、どないすんねん」という試練の中、なりふりかまわず働いて働いてささえあって・・・どうにかこうにか越えてきたっけ。息子達はその姿を見ていてくれたからか、自分達でさっさと行動してくれるようになった。だから、今度は娘には試練かも知れないが、もっと感じてもらおう、「どっこい生きる」ってこと。モモちゃん、よろしくね。彼女の成長に寄り添ってね・・・
2007年04月22日
あーーーーーー書いてへん!!お世話になった人ひとりひとり思い出しながら、一番世話になったから、いちばんあとで書こうって思って。。。。書いてない(泣)ごめーーーんほんまにごめん!!おそい?もうおそい??よっしゃかくで!!(笑)コージへ7月末、一大決心のとき、ともに引き受ける決心をしてくれてありがとう。。。そこから、始まってるやんね。最後の最後までささえてくれてほんまに感謝感謝です!おっさんおばはん方は、コージと出会って、「最近の若いもん」観がかわりました!沖縄にもいって、架け橋になってくれて、しんどい時も「大丈夫です!」って笑顔貼り付けて(笑)くれて、「ハウス」の指導がんばってくれて、ありがとう!お互い、とても貴重な勉強をしたね。将来が楽しみやな~娘の担任。。。なったら、どんな顔であいさつしよう。。。今後もいろいろ。。。よろしく!!
2007年04月10日
空想遊びが好きな子供だった。校門の前にバス停があり、たくさんの人がバスを待っていた。それを横目に見ながらタバコ屋の角を曲がって帰る・・・気になる。もしかしたら、私が通り過ぎたあと、人間の気ぐるみを脱いで、宇宙人に戻ってやしないだろうか・・・だから、すぐ戻って、タバコ屋の角から、バスの客を覗く・・・変わらぬ姿に、「うーーん、気づかれたか」と残念そうに帰る。そんな子供だった。夜、橋を渡った向こう側の電気屋さんまで電球を買いに行くお使いを頼まれる。田舎の夜は、星明りだけ。虫の声と風に揺れる草木の音、川のせせらぎ。走るのがそれほど速くないのに、夜、その橋の上で「気」を集めると、自分とは思えないほど早く走れた・・・様な気がした。さかのぼると4歳の時、母の仕事の都合で、一日中6畳の部屋でひとり留守番の日々。テレビは、まさにエンターテイメント全盛期。シャボン玉ホリデー、ドリフにゲバゲバ60分。夢は箱の中にあった・・・空想の世界に夢を膨らませていた自分・・・現実の感情を麻痺させていた。ある瞬間、その麻痺がとけたとき、言い知れぬ寂しさと心の痛みが自分を襲った。私・・・心がこんなに痛かったんだ。。。そして、空想することをやめてしまった。でもね。。。ずっとずっと、友達だったんだ、そばにいたんだ、空想。。。まぎれもなく私の一部だったんだ!今、あらゆる痛みを感じながら、血の通った空想が、夢を育んでいる。私は、生れた時から「私」だったから今の私が存在してるんだ・・・すべてに、感謝できそう・・・そして、友達が帰ってきた。。。
2007年04月06日
愛しいうどいのみなさんへホールが拍手の嵐でうなったあの時、ステージのあなた達は何を思いました?そして、今、何を考えてますか?あれから数日、舞台の興奮さめやらぬ街で、たくさんの人からあたたかいお言葉をいただいているようですね。今、みんなにしてほしいこと、それは、しっかり自分と向き合ってもらうことです。「起きて半畳寝て一畳」大きな宇宙の中、とってもちっぽけな自分を知り、謙虚に見つめてみてください。それでも、「一生懸命はかっこいい」と頑張り、あの奇跡をおこしたあの日のあなたがいます。明日から、あなたがめざすライバルは、「あの日のあなた」です。「あれが、人生で一番の出来事だった」なんて、十代でいうのは、寂しいじゃありませんか・・・強敵ですよ、「あの日のあなた」は(笑)でもね、もっともっとあなた達の中には可能性が眠っています。 イエローは、40才から、大志を抱くようになりました。あなた達が、夢をあきらめないかぎり、すばらしい奇跡は必ずやってくると信じています。私は、本番を観ながら、次の舞台の構想で頭がいっぱいになっていました。。。さ、いくでいくで~はい、いくで~次のステージへ!!肝高く、生きる!!PS・「いやささ!!」会場に喜びと感動が染み渡りました。がんばったね。出会ってくれて・・・ありがとうね。
2007年04月05日
さあ、後編。長くなりそうなので(泣)気合い入れてかくで~うどいんジャーへほんま、今回あなた達の存在にとても助けられました。ほとんど強引に何をするかもよくわからないまま、おさそいしたことをお許しくださいませ。支えてくれてありがとうね。狭山人へやんちゃなあんちゃんからどんどん青年になっていくあなた達。すごいことになったね。でも、流されることなく、自分達の足でしっかり大地を踏みしめて、未来に向かって進んでいってください。熱血指導、ありがとう。友情出演していただいた皆様へ儀間君、口笛であんなに豊かな表現ができるなんて。。。泣きました。忙しい中、ありがとうね。世界大会、応援しています!!D君Yちゃん、よくがんばったね。かっこよかったよ。また、おもしろいこと、しようね。ありがとう。柳生さんへ、名調子・名演技ありがとうございました。平田さんも感激されてました。柳生さんは私達の目標です。ありがとうございました。とこさんへどこまでも、ささえてくださってありがとうございます。何度もいいますが、私の周りで起きている素敵な出来事は、とこさんと出会ったことからはじまっています。これからもずっと刺激的な存在でいてください。けいこちゃんへ音楽サポートでうどいに初めて来た日、「何するん?これか?」とあたりまえのように受講生にまじって龍をぬうあなたに、あなたのスタンスに、全員が感動しました。いつも、寄り添ってくれて、ときおりナイスなつっこみかましてくれてありがとうね。マックへいつも時間をかけて、大切なものとじっくり向き合うマックが大好き。「沖縄の風」運んでくれてありがとう!!じさまへじさまーーじさまーー、じさまがいるとホッとします。いじめ気味の突っ込みは、愛情だから許してね(笑)無理難題を腰痛をおしてまで、やり遂げてくれて、ありがとう!さいとーさんへ私は、ミシンが使えません。なので、布がなぜあんな衣装になんだろうと・・・ゴボウの匂いに愛を感じたのは、初めてです。ありがとうございました!ほりぷんへ本当はいちばんの専門家であろうに、素人軍団のわけのわからん「カンカンした音で」「もやーっとした音で」とかいう要求に笑顔で答えてくださって、何て懐の広い方だろうと感動!ありがとうございました!だわちゃんへいっぱいいっぱい抱きしめてくれて、ありがとうね。だわちゃんには、中の中までみられて、癒さている気がする。二弧の響きも絶品。そばにいてくれてありがとう!はっしゃんへはっしゃんとの出会わせてくれた運命に感謝!一年目は受講生の父、二年目はサポートスタッフ、いつの間にか本人の意思確認もないまま、音タネメンバーに自動更新され(笑)間髪いれずに「うどい」突入。あの…喜んで巻き込まれてると思ってもいいですか(笑)はっしゃん、ほんまにありがとう!クッチーへクッチー、いろんなことに心配りしてくれて、スムーズに進むよう配慮してくれたこと、ほんまにありがとう!なあなあ、今年中に影で練習して、「肝高」踊れるようになろうな!!な!な!ゆきちゃんへ私はゆきちゃんの感性が大好きです。「裸の王様」に「裸やん!」と叫べるような天真爛漫なところも、大好きです。今回、苦手なことまで頼んでしまってしんどい思いさせたね。ごめんね。魂のある優しい龍、作ってくれてありがとう!よつゆみへよつゆみは、よつゆみの力に気がついてますか?よつゆみには、人と人を結びつける力があります。いつも、「寄り添う」スタンスを持っていてくれて、ありがとうね。運命共同体・・・・ほんまにずっとそうなりそうやね。よっつんへ心にしみる曲作ってくれて、ありがとう!何か、こんなにたくさんの人に自分達の曲が愛されて、感動してもらって、心に残って・・・。これって、冥利につきるね。本番、バンド・・・めっちゃかっこよかった!さ!どんどん詞書くで!発注するで!覚悟して~~また、人の心にしみる曲つくろうね!!銀じいへレンジャーが困ったときに宇宙をひとっとびして現れるゾフィーのようなシルバー。クリエイチィブスペシャリストなのに、涙もろくて人情に熱い。何て、古くて新しい人なんだろうと(笑)銀じい、ほんまにありがとうね~あっこちゃんへ「T・あきこ被害者の会」一号のイエローです(笑)。このトルネードの真ん中に巻き込んでくれて・・・ほんとうにありがとうね。だから、もう謝らんといてな。この奇跡のおおもとやねんから。愉快な仲間達コンサートのとき、「どうかこれをわかってください」と込めた思いを、あっこちゃんがそのまんまキャッチしてくれたことに、とても驚きました。ずっと刺激しあって成長できる存在だと信じています。まさみちゃんへ人生の中でいろんな試練があって心ができ、それを持ち寄った愛ある人達が出会いによって化学反応を起こし、大きな奇跡につながる。。。お互いに自己の継続性を確認し、救われる奇跡でしたね。私が、「うどい」をほっとけなかったのも、まさみちゃんが思い、見据える先が、いつもぶれなく一緒であると確信していたからです。(しんどいことになりそうなので。。。なかなか決心がつかなくってごめんね)共白髪・・・ほんまにそうやね。命ある限り…一緒に走ろうね。この奇跡をプロデュースしてくれて・・・三拝云。(うどい生へは、長くなるので明日書くね)
2007年04月04日
(PCキーボードの調子が良くないので、なかなか更新できませんでした。ごめんなさい)3月31日「新龍神伝説~風の声がきこえる~」が幕をおろしました。誰かが、こう比喩してくれていました「地鳴りのような拍手」と。私はその瞬間、バンドピットの端っこにいたんですが、胸の高鳴りを表すかのような拍手の嵐にホールが揺れているのを感じました。その歓声を一身に浴びた子供達はどんなにうれしかったことでしょう。「うどい」の子供達は、この一年、たくさん笑い感動し、泣きました。思春期の彼ら彼女らは、たくさんの問題を抱えています。大人たちは、表現指導しながらもそれに寄り添うことを一番大切にしてきました。そして、いつの間にかもうひとつの大きな家族のようです。前日まであれやこれやどこそこで悩んで泣いている子供達。平田さんがおっしゃいました「ここまできたら、全部まとめて風呂敷に包んで、本番に持って行っちゃうんです」その通りでした。この感動体験のあと、子供達は「何を悩んでいたんだろう」というようなすっきりとした顔。「うどい」に関わっていただいたすべての方に感謝感謝です。ここからは、ちょっと私的なことですが、「ありがとう」と伝えたい方々に、メッセージを書かせてください。当日、観に来て下さった皆様へ温かい拍手をありがとうございました。そして、誕生の日に立ち会っていただいたことに感謝です。末永くあの子達の成長を見守ってください。はるばる遠方よりお越しいただいた皆様へこれからも強い絆で結ばれ、大きなムーブメントを共に起こす仲間でいてくださると信じています。よろしくお願いします。そして、ありがとうございました。当日スタッフの皆さんへ「会場をうどいのテーマパークにするんだ」と、素敵な空気をつくりあげてくださって、ありがとうございました。学生さんのフレッシュさと、社会人のスペシャリストな経験値があいまって、とても素敵なクルーさんだったとのアンケートがありました。纏め上げてくれたりかちゃん、モリモリありがとうね~この活動を盛り上げて応援してくれた大阪狭山市のみなさんへ各イベントでの皆様の温かいご声援とメッセージが、どれほどあの子達の励みになったことでしょう。ありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いします。さやかホールスタッフ様へ初舞台でしたので、伝達の不手際などたくさんご迷惑をおかけしたにも関わらす、プロフェッショナルなお仕事で舞台を支えてくださり、本当ありがとうございました。これからも、よろしくお願いします。きむたかキッズリーダーズの皆さんへお弁当も食べずにメイクをしてくださったり、朝一から公民館に駆けつけて作業を手伝ってくださったり、本番寸前まで衣装に名前を縫い付けてくれたり、「うどい」の子供達のメンタルフォローしてくれたり、みなさんハートの温かさと深さに驚き、感動しました。そして舞台でのパフォーマンスのすごいこと・・・どれもこれもが、うどい生達には衝撃だったようです。お別れの時に、涙して言ってくださったことは、絶対忘れません。そして、それが実現するように、大人たちは誠心誠意応援します。心から・・・ありがとうございました。知念みなみさんへ「うどい」というのに踊りのプロがいない私達のために、素敵な振り付けしていただき、感謝感謝です。何気ないしぐさ・動きのかっこよさ、しびれます。「うどい」は、これからもずっとみなみさんに携わっていただきたいと思っています。近々お会いできると信じて。ありがとうございました。森屋菜津美さんへなつみちゃん・・・ほんまにほんまにありがとう。なつみちゃんの強い思いと、経験がなければ、ここまで来ることはできませんでした。変な話ですが、私はなつみちゃんといる時、初産のときの看護婦さんを思い出していました(笑)年もずっとしたなのに、「大丈夫ですよ」と優しく声をかけてもらって、どんなに心強かったか。胸いっぱいに感謝です。平田大一さんへ土の匂い、潮の匂い、太陽の匂いのする「気」を発する平田さんにお会いして、大阪で育った子供達は、眠っていた「本能の水」が動いたのを感じたようです。大人たちもそう、衝撃と意識改革があったようで、4月1日、何か・・・みんな生まれかわったようでした(笑)私自身、一番勉強させていただきました。舞台の空気の作り方、気の集め方、時期・時間の配慮の仕方、そしてその根本は「人が好き」だということ。ダブル二十歳を過ぎて、こんな大切な学びができたことに感謝。出会ってくださって、本当にありがとうございました。。。。(後半に続く)
2007年04月02日
娘が勇んで封筒を渡しにきた。中身は、二年生のみんなからのお手紙。12月にマカマカが2時間授業をさせていただいた。歌ったり踊ったりリズム遊びやあれやこれや、楽しい時間を過ごした。その時のお礼の手紙が封筒いっぱいに入っていた。みんな、色を塗ってたり、絵を描いていたり。ちょっと紹介。「一年生にもおしえてあげてください。いまの一年が二年になってもおしえてあげてください」「そんなにうまいリズムははじめてみたし、大きなこえではっきりゆってたから、いまだっておぼえてるよ」「『チャウ』とか『しゃーないけど』とかおしえてくれてありがとう」(笑)・・・もうね、一枚一枚とってもかわいくって大感激。あみいごず、また見せるからね~楽しみにしててね!
2007年03月14日
わーーー、えーらいながいこと、更新してへん!!2月は28日しかないので、短いのはわかるが、「あれ!?」っていうまに過ぎ去った感じ。そして3月。待ちに待ったような早すぎるような・・・。去年の今頃、私は何をしてたんやろって考えるほど、この10ヶ月が濃すぎて濃すぎて(笑)中高生と共に歩んで、ガチで向き合った日々。演出より演技指導より寄り添って話をする時間がとても大切で、心配事も何十倍。でも、喜びも希望も何十倍・・・4ヶ月に一回くらい染めてた髪が、1ヶ月に一回じゃないと目立つぐらい白くなった。 そんなオバハンをよそに、どんどん輝きを増している「うどい」の子供たち。そして、広がるあたたかい人の輪。さあ、ラストスパートだね。3月31日、奇跡の感動舞台にしようね!
2007年03月09日
表現倶楽部「うどい」のプロモーションビデオが完成しました!!!Hage-Gありがとう♪いいんだ、これが!みてねーー★
2007年02月08日
マカマカ7園めぐりの6園目ライブ。もーーーかわいかったぁ~子供も大人もノリノリ★帰るときには、「いかんといて~」「また来てほしいーー」と、泣きながら手をひっぱられて・・・ありがとうね~私たちも楽しかったよ!また、きっとまた会えるよね。。。
2007年02月02日
この前の日曜、あるイベントで舞台本番と同じサヤカ大ホールでパフォーマンスさせていただいたのだが、そのときのムービーをhage-gが、アップしてくれた。感謝!!何度も何度も見直し、本番のイメージを具体化していく。。。しばらくは演出家の目で観ていたのだが・・・そのうちかーちゃんの目になり、そのうち「ええなあ、若いって・・・」とつぶやくオバハンになる。どんな人のどんな目から観ても、感動できる舞台を目指すよ~、さあ、スパート!!!
2007年01月26日
なんとなくだった。他のお誘いもあったのだが、今日だけは、家にいたほうがいいんじゃないかと思った。案の定、長男が「なあ、時間ある?」と、言ってきた。。。。やっぱり。それから約一時間、長男にカイロプラクティックを施す。足の指から頭の先まで、筋に沿って揉み解していく。姑が、その仕事をしている関係で覚えたこの技は、我家の紆余曲折に寄り添ってきた。。。。。つらい時、苦しい時、やるせない時、病気の時、大切な時。。。家族から、そして私から、「カイロしよっか?」私が病気の時、声をかけてくれる長男、明日はセンター試験。「あいよ」と、長男を揉み解していく。「明日、がんばれよ」とか、いわない母なもんで。いつも聞く事はひとつ「弁当、いるんか?」彼は、少ないお小遣いにも塾へいけない環境にも文句も言わず、行けとも言わない大学に向けて、毎日夜中の2時3時まで、ひたすら勉強していた。大学は、奨学金とバイトで行くつもりだ。何だかんだかけたい言葉はあるけど・・・キャラじゃないし、言われたほうも困るだろうから、ちょっといつもより長めにマッサージ。でかくなりやがって・・・終わらねえじゃねえか・・・お腹壊さず、風引かず、遅刻しなかったら、大丈夫だから。。。でーんとやってきな!
2007年01月19日
昔の人は、日々の生活がマンネリしないように、月に一度、お雛様やら端午の節句やらお月見やら行事ごとをつくったという。お祭もそうであろう。地域の子供たちに楽しんでもらいたいという発想で企画された祭が、新春こども祭。音たね一座がこの祭にいっちょかむことになって、3年がたった。「音のタネマキ大感謝祭」と名づけられたコンサートは、愛しいものがたくさんあつまった空間になった。こども・おとなが狭山人と一緒に踊る「肝高のうた」、すっからかん・shufushufu・マカマカあみいごずのステージ、当日ワークショップを体験したマカマカ・簡単ギター奏・歌チームが続く。最後は「CLAP YOUR HANDS!」。愉快な仲間達のおもろいコンサートを振り返りながら、つくづく思った事、一番たくさん素晴らしいものをいただいているのは、音たね一座なんだね。 一座になるきっかけも、マカマカあみいごずのきかっけも、はっしゃんとの出会いも、うどいスタッフの結びつきを作ったのも、マカマカファミリーがつながったのも、全部この祭から。本当に「感謝祭」だね。。。。「うどい」が始まって、なかなか集まれなかった「マカマカ」もたくさんのこども達が再集結して、また、去年、他のイベントで出会った子供たちも加わってくれて、うれしかったよ。マカマカ一期生の男の子が、うれしそうに「うどいワークショップ」に参加している様子をみて、イエローはホントにホントに救われた思いで、ウルウルしてしまいました。。。マカマカの女の子が一言「なあ、今度、いつ集まる?」いつにしようか(笑)でも、きっと集まっておもろい事、しようね。
2007年01月16日
今年の抱負?目標?をあれこれ考えてみた。お正月、美輪さんが番組でおっしゃっていたことを思い出した。「宿命は、変わらないけど、運命はおこない次第で変えられる。人は、前世の心のクセをそのまま持って生れ、その『心のクセ直し』をするために、試練ばかりの人生を歩く。」とおっしゃっていた。ほんまにその通り!小学校の時から、いい所も悪いところも根っこはかわっちゃいない。ぶっきらぼう。めんどくさがり。いっちょかみ。うれしがり。やりたがり。実はかなりロマンチスト。妄想癖。いじっぱり。心で『イーーーだっ』する時がある。中身は小一のまま。いい出会いがあり、感動的な経験を積むと、『癖毛直しスプレー』がかかったように、ピンと伸びて一時「なりたい自分」に近くなる。それでも、重くて痛くて疲れてくると、形状記憶しているように、癖がもどってしまう。その繰り返し。でもね、癖だらけのありのままの自分を、全部ひっくるめて愛してくれる誰かにいつも助けられ、癒されて、「私でいいんだ・・・」と自信をもらって・・・・ちょっとずつ、ちょっとずつ・・・大人になってきたんだ。。。大人になったな。。。と自分がおもったのは、3年前だったなあ(笑)だから、おとなになってまだ3才です。頭でっかちがよちよち歩いてあっちの壁やこっちのブロックにぶち当たりながら歩いています。人にもぶつかります。お気をつけ~(笑)でも、以前の自分と違うのは・・・この3才の悪ガキが、結構にくめなくて好きなこと。閉め切ったお家は、暖かくて怖くなくて安心できて居心地いいけど、空気がよどんだり、カビが生えたり・・・癖が直りにくい環境を作るから、今年は、思いっきり「風通し」をしようと思っています。昔でいう「虫干し」ですか。自分は「ナウシカ」だと妄想した悪ガキが、狭山あたりに出没します。。。
2007年01月15日
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。いやーー、PCの前には10日くらい座っておりませんでしたでしょうか。たまった家事や家の垢やら削ぎ落とし、とてもアットホームな正月を過ごしながら、1日から働いてました(笑)今年の目標は。。。あと2.3日模索します。今年もよろしく!
2007年01月09日
20の頃、何も怖いものなどなかった。自分の分だけ、傷ついて、自分の分だけ喜んで・・・。月日がたち、大切な人がたくさんいる。家族、友達、お年寄り、講座生、仲間達。。。大切な人が、100人いると、心はその分傷つく、苦しむ。トモニイキルカラ。それでも、一緒にいたいんだよね。こんなにたくさんだと、分かり合うのは大変だけど。。。それでも、一緒に、歩きたいんだよね。出会ってしまったから。自分はあまり引張るのが得意でない。少し、先を歩くことになると、後の足音の多さと純粋さに「こっちでいいんだろうか」と、不安にあることもあった。でも、ちゃんと私の前には、たくさんの先人がいて、「いいねんで」と、話しかけてくれる。そして、また奇跡のような出会いがたくさん起こり、確信する「・・・ミチビカレテル・・・。」不器用な私のために、ずっといっしょに寄り添ってくれる人もいる。アリガトウ。大切な人達は、感動というエネルギーを与えてくれる。「『思い』を集める人になろう」そう思ったら、肩の力がふわっと抜けて、等身大の自分がそこにいるだけになった。触れあって、感じて、暖めて、紡いで、繋いでいく・・・ただそれだけでいいんだ・・・
2006年12月22日
12月の始め、娘の担任に懇願され、小学校の2年生の授業をすることになった。5・6時間目の2時間。マカマカあみいごずで行ってきた。楽しいの何のって!!そうか!私たちの精神年齢はちょうどこのぐらいなのかと、変に納得した。「We will rock you」やら「ジャングルジャングル」やら「大阪弁ボイパ」に「サザエさん」リズムあそび、ケチャ、ぜーーったい、音楽の授業ではやらないことばかりやった。終わって、少女のような目をした3人の先生が、「よーかーったーですうーー!講座って、疲れた職業婦人向きの講座って、やってないんですか~いきたぁ~い♪」とかけよってきてくれた・・・いや・・・職業婦人って・・・ほんで、今日、娘の懇談で学校へ行った私を待ち受けていたのは、3教室と廊下いっぱいに貼られた「マカマカあみいごず」の絵と感想日記。あみいごずが、おどっています、うたっています。ちゃんと、4人分名前が書いてて、3人はト音記号(音タネ君)の服、モリモリはシマシマの服を着てて、一番左の人がちょっと大きめに描いてます(爆)先生が、開口一番、「みてくれました~。みんな、めっちゃ楽しかったみたいで、驚くほど良く覚えてて、たくさん描いたんですよ!『せんせい、かくとこたりひん』っていって、裏までぎっしりかいたこもおってね。私らまで、胸が熱くなりました」って。ちょっと、メッセージを紹介。「Mちゃんのお母さんは、イエローという名前だそうです。なぜなんだろう」(困らしてごめんね)「今日は、ど・どんなんをしました。」「とってもおもしろかったので、またきてほしいけど、冬休みなのできてくれないとおもいます。」「うたったり、おどったりしました。すごく、おもしろかったです。」「ぼくと同じ、モリモリというなまえのひとがいて、びっくりしました」おもしろくて、あったかくて、胸がジーンとしたよ。素敵なプレゼント、ありがとうね♪きっと、また、あそぼうね♪
2006年12月19日
創作活動は、七転八倒するぐらい喜怒哀楽が押し寄せてきて、心がとても痛い。いや、そうでないと創作できない。台本の3幕部分の詰をしているわけだが、私の場合、それは文章でなく、実際に頭の中で人が動くシュミレーションなので、戦争回想部分など・・・哀しくて仕方ない。寝てもさめてもそのことばかり考えており、「こりゃかなりタフでないともたんな」と、数々の文豪達が心を病んでいったのもわかるなと思いつつ、ドスコイな自分でよかったなどと思いつつ・・・毎朝、バイク通勤で走る道、今日も爆走していると、クライマックスの感情がいつもプール学園前の坂道でやってくる。もうその時は、我慢たまらず号泣状態なわけで・・・「いつも、プール学園前で号泣しているバイクのオバハン。。。」同じ時間に通るので、2回以上目撃し、「わ!!!またや!!!」と思っている対向車線のドライバーがいるのではないだろうか・・・『いつも、プール学園前で号泣しているバイクのオバハン。。。』という依頼で、探偵ナイトスクープが調査しにきやしないだろうかと、号泣しながら頭のどこかで自分の現状を突っ込んでいるイエローであった。
2006年12月14日
お久です。沖縄から帰ってきて4日が過ぎました。今回、ライブが入ってたり、プレゼンや勤務が入ってたり、にっちもさっちも行かない状況にもかかわらず、どうしても行かなくてはって気持ちになり、行ってきましたが、やはりこのタイミングで行ったのは大正解でした。早ければ早いで、尻込みしてそうだし、遅ければ慌てただろうし。創作活動中のため詳しく書く時間はないのですが、とにかく「肝高の亜麻和利」の舞台は、とてつもなくグレートでした。言葉が見つかりません。私の想像できる限りの最上級であるだろうと思ってはいたのですが、それを遥かに越えるものでした。これは、リピーターがたくさんいるのはよくわかります。一人一人が素晴らしく、ずっとみていたいのです。彼ら彼女らが発する素朴でピュアでそれでいて気高い「気」をずっとずっと感じていたいという気がしました。この舞台は、「感じたい」と思わせる舞台でした。だからまた、それを感じに人が集まる・・・そこにしかないその空気を味わう・・・そして、生れるのです、心の中に・・・何かをしなければって気持ちが。それが、金武町の舞台であったり、那覇人であったり、沖縄中で平田さんが携わっている舞台になるわけですが・・・狭山は、事情が違います。当たり前の話ですが、狭山には「平田大一」がいません。いや、世界に一人しか平田さんは、いないのです。あるのは、勝連と同じく、無限大の可能性を持った中高生だけ。以前、この舞台を観に来て今の活動を決意した隣でニコニコ見ているOさんに「なあ、ようこの舞台みて、うちでもしようってな、だいそれたことおもったなあ(笑)」と声をかけるとケラケラと笑うのでした・・・・・・・でも、ご心配なく。図太い神経だけには自信があるわけで・・・プレッシャーのつぶされるわけでもなく、目指す方向性が同じであったことに安心し、目標の高さに燃えてきました。平田さんって・・・いたって自然体なのに、とても不思議な力をもった方です。たくさんたくさん自然と対話してるからかなあ。。。そんな平田さんと、大阪にいるのに関わっていただける「うどい」は本当に幸せだと思います。そして、自分達だけでなく、この活動が広がりを持てる様に・・・頑張ろうね。イエローも一大決心をしました。もう、完全うどいモードに入るため、仕事をひとつ辞めました。後悔しない明日のために・・・
2006年12月08日
明日、沖縄に行く。舞台の打ち合わせと「肝高の亜麻和利」の観劇。Oさんと二人でのはずが、えーらい駄々をこねられ、娘も連れて行くことに。むこうでは、先乗りしたKOUJI君が待っている。普通なら、あれやこれやと用意して買い物でもしているはずだが、そんな暇もない。先週は、3ライブとうどいがあり、今週も出発前日の今日ライブがある。もひとついえば、大きなステージライブひとつとプレゼンをひとつ抜け出していく。普段はいてる靴を洗い、ましな下着と靴下をみつくろい、普段着をかばんに詰めて用意完了。それでも、レンタカーできくCDは抜け目なく用意している。多忙な日々に朗報。長男の高校の伝説のスーパーレディOちゃんが、見事大学推薦合格をはたし、「うどい」を手伝ってくれることになった。イエローと同じ目線でいっしょに考えてくれるとのこと。うれしいーー★さあ、ライブだよん。寒さを吹っ飛ばすものにしたいな~
2006年12月01日
私のバイト先にあるカップルが来る。彼らは、毎回驚くような見事なおしぼりアートを残してかえる。それが、とってもかわいくって、密かなファンになっていた。ペンギン、うさぎ、ねずみ、ばら・・・さあ、今日はなんだろう・・・その日は、何度もおしぼりを欲しがるふたり・・・8枚ほど渡した。二人が席をたった。「ありがとうございます!」急いで、その席に行ってびっくり!!!輪になって泳いでいるような8個のおしぼり人間。真ん中にストローの切れ端があり「ウォーターボーイズ」と書いてあった。!!!!すごいっっっ!!!これは、まさに芸術だ!おしい!写メとりたかった・・・私も挑戦してみようか、おしぼりアート。
2006年11月24日
連日繰り返される痛ましい報道を見ながら、中学校の時を思い出していた。4つの小学校から集まった中学校一年の4月、大きな事件がおきた。S小からきた生徒達が、女番長だったHちゃんを全員で無視すると決めたのだ。当然他の生徒にもそうしろと。訳をきいてみると、小学校時代、Hちゃんは相当なむごいいじめをしていたのだという。書面にはかけないほど・・・たぶん、ドラマも含めて、そんないじめはみたことがないというほどの事だった。そうなんや・・・と、事の成り行きをみていたが、ただ一つ引っかかったのは、そのクーデターを起こしたのは、Hちゃんといっしょに中心になっていじめをしていたYちゃんだということ。(うちの小学校は、女番長が力持ちで男のこには強いが、女の子の言い争いにはめっぽう弱かったので、だいたいのことが学級会で決まるという何とも平和で民主的な生活をしていた。まあ…その女番長は、私なのだが…)Hちゃんは、それでも4・5・6月と一日も休まず学校に来て、誰とも話さず前を見据えて座っていた。私は、その凛とした中に私と同じような哀しみを感じた。・・・彼女、何か哀しいんだ・・・周りにきいてみると、やはりとても複雑で孤独な哀しみを持っていた。たぶん・・・その気持ちって・・・同じような境遇の私しかわかってあげられないんじゃないだろうか・・・かくいう私だって、知らない間に誰かを傷つけていることがあるかもしれない。まず、彼女と話していない現状がそれなんじゃないだろうか。そう思ったら黙っていられなくなり、同じ小学校からきた何人かの友達と彼女に話しかけた。静かに話し始めた彼女は、やがて笑顔になり、声をあげて笑った。それをみていたYちゃんと取り巻きから、私達は呼び出しを受けた。「あんた達、Hと話すとやったら無視するばい」・・・それって、結局、ヘッドが変わっただけで、新たないじめの始まりやん!学級会で鼻息荒く戦ってきたうちの連中は、その言葉に反発心をあらわにした。「誰の言いなりにもならん!!!」7月、最初の大きな行事、キャンプがあった。前もって、私達は一番ひどくいじめられた子達に意見をきいた。「いじめたことは、とっても許せんけど、もういいと思う。それより、いっしょにいじめてたYちゃんから命令されるのはいや」おおかた、そういう意見だっただろうか・・・私達は、そのいじめをうけた子達といっしょに、Hちゃんが一人でいたテントに行った。「なあ、悪いと思うちょる?もう、終わりにするためにも、謝ろう?」彼女は、誠心誠意謝罪し、和解した。よかった・・・さあ、勝負はこれからだ!一大勢力をもったYちゃんたちに、どうやって認めさせようか・・・・そして、私達がとった行動は……「歌って踊る」ことだった。話をきいてみると、Hちゃんは、歌謡曲大好きのめっちゃミーハーだったので、その日はとりあえず沢田研二の「勝手にしやがれ」を踊りまくった。なぜそう思ったのかわからないが、無性にHちゃんを笑いのど真ん中に置きたくなった。一番にぎやかで笑い声のするテントにHちゃんがいる・・・私は、それで胸がいっぱいになった。。。そして、それからというもの、大の仲良しになったHちゃんと私は、ピンクレディコンビを結成し、学校の教壇にのって踊り狂う学校生活をおくる事になる・・・「みわ!新曲でたばい!覚えてきないよ!!」相変わらずの姉御肌の・・・でも、明るいHちゃんの声が響く。傍らには、いじめを受けていたこが笑っている。もう、伝説になるほどのおもろい中学校3年間を過ごし、一生分に近い踊りを踊る。結局、中2で誰より強い発言権を取り戻したHちゃん(笑)、高校になると5つの高校を牛耳る女番長に君臨するわけだが、弱いものいじめなどきいたことがない、バレンタインでーには後輩からのチョコレートでいっぱいになるみんなの憧れの素敵な女性になった。哀しみを優しさに変えて。ピンクレディを踊ると、ちょっと切なくて甘酸っぱい気持ちになる。みんな大切なひとり、大切な存在・・・そんなこと、考えながら思いっきり踊った「ペッパー警部」だった。
2006年11月22日
ご無沙汰ご無沙汰のブログ更新。その間に、「うどい」の第二期も始まりました。日々充実、多忙、感動・・・何度か更新しようと思ったのですが、胸が詰まるほど思いが強すぎてなかなか書けませんでした。とにかく今思うことは、こんな幸せな場所にいられることを感謝感謝。「うどい」も一人一人が、「自分にできること」を考え、チームのためにうどいのために動いてくれるようになって・・・成長著しいみんなに目を細めている講師陣。いやいや、これからだもんね!しまっていこーー!!今日は、大好きな「ワークぐみのき祭」。ワンワンを待っているってきいて、体調がよくないのを押していってきた。私服でウロウロしていると、少女が「あの。。ワンワン!?探しててん~♪会いたかった~」と抱きついてくれた。ははは。。。よくわかったね。ライブも大いに盛り上がり、誰がアーティストなのかわからないほど、前に出てもらった。いつも、ココの人達から元気やら勇気やら大切なものおなかいっぱいいただく。そして・・・待ちに待った「音のタネまき大収穫祭」CDが完成しました~初日から、たくさん買っていただきました。ありがとー♪帰ってから、出来たてのCDじっくりききました。何ていとおしい音なんだろう・・・今の大切な時や、みんなの笑顔や、夢や願いや、未来が詰まっている。。。自分が参加してて言うのもなんだが、こんな素敵なCD聴いたことがない!!(笑)ほんまにお奨めです。音たね一座の皆さんへここ2、3年何がなんだかわからない忙しさの中、よく走り続けましたね。日に日に年を重ねる体をいたわりながら、家の事情をひきずりながら・・・でも大切なものはいつも同じだったので、笑顔で走り続けてココまでこれた・・・この出会いに感謝、みんなに感謝です。これからもいろんなことと向き合いながら、すてきな時を重ねていけますように・・・
2006年11月03日
高1の次男は、朝早く学校にいく。7時に学校にいって・・・トランプをしているらしい(苦笑)なもんで、起床時間は5時半。結構、夜遅くまで起きているので、その時間は厳しいらしく、目覚ましだけでは起きられないので、起こしてくれと頼まれる。(私は、5時おき)んでもって、朝、目覚ましとともに彼を起こす。「起きや~5時半やで!!」次男「起きてる。。。でも、それ、終わり!今日は、7時おきでよくなってん。。。」「ふ~ん、そうなんや」6時半、彼は飛び起きる。「何で起こしてくれへんかったん」「○×▲・・・あんたが、もういいっていうたんやん!」「だ・か・ら~寝起きの俺を信じるな!」・・・・・なんという理不尽な言い分・・・しかし。。。これは、母からの遺伝であった。私も小さい時から、数々の寝起き言い訳伝説を作ってきた。「今日・・・振り替え休日。。。」→何の振り替えだ!?「日米安保がな。。。。」→・・・その先、どうした!?一番多い言い訳は、「起きてる!しっかり起きてる」と、寝ながら断言するらしい。結婚してから、たいがい3~4時間の睡眠でも起きるのだが、疲れがたまると、このクセが出るらしく、主人は、何度も寝起きの私から「自分は重病である」と告白されたらしい。。。そんな私の遺伝子を持つ次男は今日も私に向かって叫ぶ。「寝起きの俺を信じるな!」
2006年10月12日
三連休、うどいの説明会と全員の面接オーディションに明け暮れた。ほんまに明け暮れた(笑)一人ずつゆっくりと話をする事ってなかったのでとってもいい機会になった。多忙な時期にもかかわらず、一期生のリピート率恐るべし!みんな、いろんなこととっても頑張って「うどい」にきてくれている。ありがとうね。。。新しく入る2期生もとっても熱い個性派そろいで成長が楽しみ!書きたいことはいっぱいあるけど、出来事は、大切にしまっとくね。時には大笑いしながら、感動しながら、涙ぐみそうになりながらみていた。。。かけがえのない一人一人をお預かりするのだと、岡田・イエロー・よつゆみの面接担当は胸に染みたよ。この子達の大切な青春時代の一ページにかかわれるのだという喜びとともに、その重大さを感じ、身が引き締まる思い。でも、とっても心地よいんだよ、それが。。。さあ、土曜日からとうとう始まる!さあ、肝高くいくで~
2006年10月09日
気になっている犬がいる。名前は「コロちゃん」。利用者のSさんが飼っているものごっつい大型犬。全長は私より大きく立つと170CMくらいで、重さもすごい。ヤンチャ盛りの5才らしい。お迎えの時は「・・・どーせおいていっちゃうんでしょ・・・」と、ふてくされて出てこないのだが、送りの時は、まだかまだかと玄関で待っており、玄関ドアの高い位置でコロちゃんの爪音がする。最近、Sさんはこの時飛び掛ってくるコロちゃんに倒されてシリモチをつかれた。それ以来、用心に用心を重ねて送ることにしている。普通は、職員二人がかりで送るのだが、今日はついうっかりで私一人で送りを組んだしまったらしい。さあ、どうする。玄関前。横がガラスになっており、コロちゃんが同じ高さでうれしそうに覗いている。ドアをガシャガシャバンバン。相当うれしそうだ。想像して欲しい。無邪気なイエローが理性もなく突進してくるカンジ。怖いやろー。さあどうする!Sさんは、歩行介助必要。考えた挙句、右でしっかり介助しながら、左のお尻から「コロちゃ~ん」と入っていく。コロちゃんの前足が私の右肩にかかる。お、重い・・・牛タンのような舌で顔をベロンベロン。もう、左はよだれだらけだ。それでも、Sさんをしっかり握り、玄関かまちを上がっていく。コロちゃんは、立ったまま、見事な横っ飛びで一緒にあがる。あ!コロちゃんがSさんの方に行きそうや!あかん!私は、ラブシーンさながらにコロちゃんを抱いた。アルゼンチンタンゴの男役のようだ。右手でSさんを介助したまま、コロちゃんをエスコートして、Sさんのベットへ。Sさんがすわった。コロちゃんを開放。Sさんに飛びつくと思いきや、遊んでもらえると思ったのか、私を追いかけてくる。玄関ドアをすばやく開け、はさまれそうなコロちゃんをちょっと押し込みドアをしめる。送迎バスにもどると、その様子を見ていた運転手と利用者から大きな拍手をいただく。何かこのメンバーは、S邸で毎回おこなわれるこの格闘劇を楽しみにしており、今日は私一人だったのでどうするかとワクワクしていたらしい。「あーーあ、あんたベロンベロンや~」と、ハンカチで左の顔を拭いてくれた。S邸玄関からは、まだコロちゃんの悪あがきの音が聞こえる・・・それにしても、コロちゃんは、何の犬種だろう・・・ゴールデンリトリバーの横綱のような胴体にクマに近い耳、鼻は目の高さと同じでチャウチャウのよう・・・雑種だとしてもちょっとやそっとの雑種じゃねーなーオンリーワンなコロちゃん・・・コロちゃん、また遊ぼうねー。
2006年09月27日
木曜日、さやかホール大ホールの下見。えーらいにぎやかなメンバーでいった。顔なじみのスタッフさんも多く、和気藹々と過ごす。でも、私の中にはこの日に確認、相談しておきたいことが湯水のようにあったので、照明のS さんをひっつかまえ、ねほりはほり。一年前のコンサートの時「おもしろいコンサートですねーー。めっちゃきにいりました!」と、いってくださったSさん、覚えていてくれて、今回も親身になって相談にのってくれた。感激!それにしても、何度も上がってるはずの舞台だが、こうやってあらためてみるとすっごい広いな。。。。。そして今日、箱をふまえて、以前からあった原案を構成しなおし、脚本の下書きをしていったのは・・・・娘の運動会会場であった。これがまた、ぴったりだった。娘の応援をしながら、原稿をかく。時々、出し物に目をやる。時間が長いのでじっくりかける。子供達から元気をもらう。一生懸命踊ったり走ったりしている子供達を観ながら、思った。…罪を犯した人も。。。争うをやめない人も。。。赤ちゃんの頃・子供の頃は、キラキラしていたんだろうな。。。何処で、間違えてしまったんだろう。。。自分に向かって、喝を入れる。「おい!そこの大人!ちゃんと、この子達の未来のため、自分が出来ること一生懸命しようよ!」そんな声に背中を押されながら、さわやかな気に満ちたこの場所で、ペンを走らせた。家に帰って、パタパタとパソコンを打つ。二時間近い芝居の台本なので、しっかり6時間かかった。おーーー、完成!何度も何度も直しや変更があったりするだろうけど、描きたいものは入っている。これに、たくさんの人がかかわって、魂が吹き込まれる。作詞したときもそうだけど。。。物書きでよかったなと思う瞬間。。。また、我が子が増えた感じ。。。あーーお産が終わった~
2006年09月24日
9月18日敬老の日、うどいのメンバー、岡田さん、あこちゃん、ユキちゃん親子がデイサービスに来てくれた。玄関で出迎えると「きゃーー♪イエローさ~ん、会いたかった~」と、抱きついてくる。老人ホームに響く黄色い声。職員達がものめずらしそうに覗きに来る。(笑)何か、とってもさわやかな風を運んできてくれた。踊りの披露?いやいや、それだけなんていうもったいないことはしないよ!思いっきりレクリエーションに参加してもらう。音楽にあわせて、手を握る、語り合う、歌う、抱きつく、マッサージをする。。。。ユキちゃんキッズも大活躍!90分間、気持ちをすり合わせるかのように・・・笑顔笑顔。。。感激。感涙。。。そして、気持ちが通じ合ったところで、踊る「肝高の詩」「命水のうた」を踊る。老人ホームが揺れた。躍動感溢れる踊りに一同大感激!最後は、どちらも号泣大会になったね・・・Aちゃんは号泣しながら、「職場体験、福祉施設にしたらよかったーー、びえーーーー」と叫んでいた。Iちゃんも「迷ってたけど、決めました!介護福祉士になります!待っててください!」と手を握ってきた。狭山人もうちに就職するために、二人ほど、福祉系の大学に行きだした。・・・・何ぼほど、いっしょやねん!!(笑)イエローは、何処までも成長を見守りますよ。自分の存在を涙を流して喜んでくれる存在に出会って、彼女達も喜びと共に何かを感じたようで・・・Aちゃんが、びえびえ泣きながら、私に言った。「イエローさん、ずるい!!!「うどい」あって、ここで働いてて、家にはM(娘)ちゃんいてて・・・私も、それほしいって!!びえーーー」ほんまやね、イエローは幸せもんやね。あなた達のようなかわいい娘や息子がいっぱいいて、愛いっぱいの職場で働いて・・・その分、もっと大きな幸せがあなたたちに届くように、一生懸命頑張るからね・・・今日は、ありがとう!
2006年09月20日
長男の文化祭が日曜日におこなわれた。そこで、彼がプロデュースした「STOMP」が、並居る強豪と競り合いながら、優秀賞をいただいた。人生で一番の喜びと語る彼(岩崎恭子か!)彼は、小学校の頃、とてもおとなしく、中学校になって爆発したいわゆる「中学校デビュー組」である。S高に入学した時、彼は言った。「おとなしい高校やけど、そんなかで、リーダーシップとって、はじけた高校にすんねん!」と、一年から生徒会に入り、頑張っていた。かつて素晴らしい友達連中が自分にやってくれたように、そんな環境を作るのだと・・・頑張っていたが、文化祭は、1.2年は部活で時間がない事もあり、思うような成果が上がらなかった。3年のクラス発表から帰ってきた時、「どないしよ…えーらいおとなしい理系クラスや。文化祭、どないしよ・・・」とうなだれていた。「おまえの中心は文化祭か!!」とはいいながら、その気持ちがとてもわかるので、「なあ、stompは?」と声をかけてみた。マカマカをやっている母はその手の資料を豊富に持っており、彼もそれを日ごろから見ていたので、「!!!それ!!!」ということになった。とはいっても、「stomp]を知る人は少なく、説明するのに苦労したようだが、DVDをみると、みんな「かっこいい!!」と納得したようだ。いつも、夜のお仕事から帰ると、彼が待っており、夜中の2時まで、ビデオに撮ったそれを見ながら、ああじゃこうじゃと話し合う、めっちゃ眠い日々。そして本番。30分のショー、言葉も音楽も何もない。デッキブラシ、ドラム缶、なべのフタ、調理場、バケツ、棒のリズムパフォーマンス。すごかった!ビデオであんなに自信なさげにやっていた子たちが自信溢れる姿でパフォーマンスしていた。長男は、途中、「人をまとめること」「自分の情熱を相手に伝えること」の壁にぶつかりながらも、諦めず、向かっていった。机でする勉強より、それが何より大切な勉強。。。一生の思い出。。。よかったやん。。。やったやん。。。母も。。。お役に立てて、うれしいですわん♪
2006年09月20日
よっつんの提案で、「命水のうた」をイエローミワWith村人達でレコーディング。何か、村祭がテーマらしい。下は7才のうちの娘からじさままで、老若男女が集まった!それが、かなりの出来!雰囲気がとても出ている。これは、おもろいCDになりそうですよーー
2006年09月17日
今日、激怒した。。。前も同じ事で怒ったのだが、今日の方が激しかった。人からみたら、「何でそこなんだろう???」と、思うかもしれない。でも、私の地雷の場所ははっきりしている。人の気持ちを考えず、粗末な扱いをしていることが見えた瞬間、大爆発する。職場で、戦争映画をかけて欲しいという方、kさんがいて、それをあと一時間しかかけれない時にかけろと上司がいう。作品は2時間30分の作品。「途中でやめたらいいから・・・」・・・ブッチっ!!!あんた、ほらこれ見ろって座らされた映画辛抱してみてて、一時間たったトコで「ハイこれまで!」って、自分が言われたらどんな気分よ!!上司の指示を無視していつものレクをやる。歌って笑って語らって体操して、利用者さんはご機嫌さん。そんなトコに、また支持が・・・「20分でもかけてあげたらKさんの気が済むんやから・・・」という支持のもと、他の職員が戦争の映画をかけた。Kさんは、戦後生まれのかた・・・電気を消し、カーテンを閉め、映し出されたのは、悲惨な特攻隊の出陣シーン・・・利用者の中には、戦争で夫や子供を亡くした人もいる・・・・・目を伏せる老人たち・・・・・大・大爆発!!!!えーーーーーらい勢いで、上司に噛み付く。情けなかった。。。ちょっと、シュミレーションして考えたらわかるやろ!!!何より、この大切な時間を「時間つぶし」のような考えでやってることが許せない。「みんなの顔、覗いて!!」と、上司を現場に連れてきた。「映画は、作品として観たい人を募って、最後まで見せてあげるべき!作り手もそう思って作ってる。でも、心に傷のある人もいてるんやから、慎重に選択しな!」あんた、みんながずっと生きてるわけじゃないんやで次の日、いなかった人もたくさんいる。今日、「あーーおもろかった!」って帰ってもらうことに全力をつくさんと・・・次におこなわれたカラオケ大会で、変装に白塗りメイクで踊りまくりながら。。。心が泣いていた。。。
2006年09月11日
大感動のうちに終了した第一期うどい。自主公演の後、講師陣集まって、今期最後のミーティング、言葉にならない感慨に浸りながら、次期の打ち合わせをして、岡田さんが「最後に何かありませんか?」とたずねたが、皆胸がいっぱいで・・・。と、そこに、颯爽と手を上げたのが・・・はっしゃんだった!!!何?何やねんやろう?!期待が膨らむ!「あの・・・プログラムの僕の名前が…『はっしゅん』になってるんですけど・・・」一同爆笑。「ええやん、そっちにあわせて『はっしゅん』にしいや!」とか、好き放題言っていたが・・・『うどい』スタッフの強みはね、あほな事いいながら、喧々諤々言い争いもしながらみんなでいろんな感動場面いっしょに体験してきた仲間やということ。はっしゃんも、最初は講座生の父として知り合ったものね・・・絆を深めながら、つながっていく・・・笑顔で抗議するはっしゅ…いや、はっしゃんを見ながら、うれしくてたまらないイエローでした。
2006年08月29日

うどいの自主公演が終わった・・・・いつも、当日はクタクタでブログの更新を勘弁してもらうのだが、今日はある子と約束したので、更新するね・・・本当は、あれだけ平田さんが詰めてくれたので。「平和の集い」のプログラムをそのまま持ってこようと思っていた。でもね・・・講座の締めくくりであること、単独公演であること、お客さんの層が違うことなど、とってもたくさん考えて・・・頭がピーーーってなるほど考えて、ちょっとリカちゃんやモリモリと話したりして、「新しいプログラムで行こう」と決めたのは、先週の金曜日。ガガガーーーっと原案書いて、台本書いて、岡田さん、あこちゃん、前さんにコージ君、みんなに無理難題お願いして・・・それでもみんな寝る時間削って、必死で答えてくれた。受講生も振り付け自分達で考えたり、芝居も言葉集めて、台本から考えてくれて・・・「ちょっと長いんちゃう?覚えられへんかったら、短くするで!」といったのに「頑張る!!」と覚えて、しっかり自分達のものにしてたね。本当にすばらしい。。。よっつんも同じ気持ちだと思うが、「命水のうた」で、みんなが疾走してきたとき、鳥肌がたった。。。時間がなくて、あれほど仕上がりを心配していたのに、すんごいエネルギーの塊ができていて・・・バンド・ボーカルもいっしょになって・・・「歌に命が吹きこまれた瞬間」を見せてもらったよ・・・ありがとう・・・この3日間、公民館あく前に公民館に行って、閉門してから帰る日々。娘よ、よく頑張った!今日は、登校日だったそうで・・・母はすっかり忘れておりました(ハハハハ・・・・)みんなの涙、きれいだったよ・・・イエローはずっとウルウルしてたけど、泣かなかったよ!3月31日までとっとくの!さあ。。。ほんまにプロローグ、これからが始まり!もう、今週の土曜は、第二期「うどい」の会議・・・早っっっ!!!よっつんは「詞まだか・・・」と待ってる・・・岡田さんは「台本・・フフ・・台本・・・」とつぶやいてる。感慨に浸る暇もなく、頭はフル回転やな・・・でも、大丈夫だよ。。。素敵な。。。とってもきれいな『気』で、満ちてる場所にいるから。。。きっときっと、できる。。そうそう、誰と約束したかっていうと、受講生のAちゃん。「イエローさん、赤外線通信できる?」って、こんなんくれました。ブログにアップしたよ~ もう一枚は、フフフフ・・・・自主公演後のサプライズ企画、「CLAP YOUR HANDS!」やって、マックが手踊り踊って、おおとりのよっつんの生歌「風の声が聞こえる」で、受講生がよっつんを囲んでるとこ・・・このシチュエーションに他の音たねメンバーは感動するやらおもろいやら(笑) でも・・・感動的だったよ:::かかわってくれたすべての人にありがとう・・・あ・・・・瞼と瞼がくっついていく・・・明日から、また頑張る・・・今日は・・おやすみなさい
2006年08月27日
最近忙しさで買い物にいけない為、栄養が偏っちゃならんとおかず材料の宅配をとっている。しかし、かなり早くにメニューが届くので・・・今週、レシピの載っているそれが行方不明・・・なもんで、悪戦苦闘しながら、来たもので推理し、料理している。今日届いたものは・・・鶏肉・油揚げ・きゃべつ・インゲン・ナス・だいこん・にんじん・ねりがらし・刻み昆布・あおじそ・うめぼし・おろししょうが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「・・・・たぶん、これ鶏肉のなんちゃら焼きやねんやろなーーー・・・」といいながら、迷うことなくから揚げにする。つけあわせにキャベツ。油揚げの味噌汁、残り野菜全部と刻み昆布を千切りにして混ぜて、しょうがと酢醤油で味付け・・・と、えーーらいおおざっぱな料理にへんしーーん!!おいしかったのだが、あまりの大雑把な考えに「ぜってーー違うと思う!」と息子達。練りからしは、シュウマイ買ったときに使おう・・・あ!!梅干・・・お茶漬け♪お茶漬け♪おーーー、ヘルシーメニュー!!さ、あなたなら何作る?
2006年08月24日
とっても素敵な日だった。。。午前中は、アプリコットホームの皆さんをお迎えしてのライブ。shufushufuとイエローワンワンは、自分達が演奏しているのに、とっても癒されてしまった。。。ワンワンは、最初から最後までみんなと触れあって抱きついて遊んで・・・とってもキラキラした目でうれしくなったよ。終わってから、アプリコットホームでバーべキュー。そこで、久々の再会。私が狭山に引っ越すきっかけになったMさんと13年ぶりの再会。彼女は、「お互いに年取ったなあ」と笑ったが・・・Mさんも自分自身もダントツに今のほうが好き。。。いい年重ねてきたね。。。午後からは、暮らし屋さんのイベントで、ストリートライブ。「何にしよう~♪」と、選びながら歌って行く。最後は、チヂミ屋サンとお客さんだった高校生も飛び入り参加しての大合唱。これぞストリート!!おもしろかった♪3時からイエローは、そこから歩いて10分の岡田邸へ。「うどい」自主公演の打ち合わせ。そこへあこちゃんも到着。何故かビデオで「shufushufuと愉快な仲間達コンサート」が流れてる。まじめな打ち合わせをしながら、おバカなことをやっているビデオにむかって時々突っ込みを入れる。『私達、フツーのおばさん、なんですけどね・・・』あっこ「だ・か・ら、フツーちゃうて!!!」あこちゃん・・・私からみると、あなたこそ、フツーじゃなく見えるんですけど(笑)だいたい、今の自分がいる場所はあこちゃんにロックオンされたことからはじまっているような・・・(笑)今回は、彼女の出演を増やし、ちょっと仕返し(笑)フフフ・・・ウソやで~でも、とっても幸せな一日だった。。。今いるこの場所がこの時が仲間達が大好き。。。自分の人生が宝物になっていく。。。
2006年08月23日
ここ一年えらい勢いで作詞作曲をしてるイエロー・よっつんコンビ、今回も自画自賛の壮大なバラード「風の声が聴こえる~僕たちのプロローグ~」を生み出した・・・と、そこまでは、えらいカッコええのんだが、過程がおっさんくさい。「なあなあ、最近の若いもんは、こんな言い方するかなあ」「●●は言うらしいけど、▲▲はあかんらしいで~」と死語を確かめながらの作業。腰が痛いといいながら、乾燥した肌をボリボリとかきながら、ピュアな曲を作っているカレー好き辰年コンビであった・・・周りも例外でない。レコーディング中のshufushufu、えーらいかっこええのんだが、合間の会話で聴こえてきたのは・・・「更年期っな・・・らしいで」・・・夢のある歌を歌いながら、どんな会話しとんねん!一番のはじけキャラ・ユキちゃん。「あんな私、男の子に誘われて笑顔でかわすのんメッチャうまいねん」「でも、もう発揮できひんねん、その特技(笑)」「何?用事は紙に書いて。覚えられへん」「大きくかかな老眼やから見えへん!」「手、しわだらけやわ」「ぬくい格好しとこっと」ヤダヤダ(笑)こんな会話しながら、レコーディングやっとります。それでも、夢いっぱい詰め込むからねーーー
2006年08月21日
面白いテレビドラマには、たくさんの伏線があり、何気ないアイテムが物語の後半で重要なキーワードになる。そんな伏線になりそうなことをドラマに中で探すのが得意な私だが、実は自分の人生が、そんな伏線だらけだとは、思ってもみなかった・・・何気ないひとつひとつの出来事が、そのあと「わ!この日のための伏線だっのか~」と思うものになり、終点だと思っていたその出来事も、その後に起こるもっと大きな出来事の伏線に過ぎなかったりする。生い立ちをたどっても・・・・じじばばばかりの村で育ったこと、娯楽がなくて友達も遠くて空想にふけって遊んだこと、歌が好きで頭の中でオーケストラやらコーラス隊を作って遊んでいたこと、声優になりたくてNHK学園の通信講座を受けたこと、高校時代「ラジオ職人」をやっていて放送作家的ものの見方が身についてしまったこと、そんなとるに足らない経験まで、今総動員で役に立っている・・・・経験、出会い、化学反応・・・ありがたい。そして、私も誰かの伏線になれたらうれしいな・・・「なんや~このために、若い時、変なオバハンらと知り合ったんか・・・」
2006年08月19日
面白いテレビドラマには、たくさんの伏線があり、何気ないアイテムが物語の後半で重要なキーワードになる。そんな伏線になりそうなことをドラマに中で探すのが得意な私だが、実は自分の人生が、そんな伏線だらけだとは、思ってもみなかった・・・何気ないひとつひとつの出来事が、そのあと「わ!この日のための伏線だっのか~」と思うものになり、終点だと思っていたその出来事も、その後に起こるもっと大きな出来事の伏線に過ぎなかったりする。生い立ちをたどっても・・・・じじばばばかりの村で育ったこと、娯楽がなくて友達も遠くて空想にふけって遊んだこと、歌が好きで頭の中でオーケストラやらコーラス隊を作って遊んでいたこと、声優になりたくてNHK学園の通信講座を受けたこと、高校時代「ラジオ職人」をやっていて放送作家的ものの見方が身についてしまったこと、そんなとるに足らない経験まで、今総動員で役に立っている・・・・経験、出会い、化学反応・・・ありがたい。そして、私も誰かの伏線になれたらうれしいな・・・「なんや~このために、若い時、変なオバハンらと知り合ったんか・・・」
2006年08月19日
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