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おおよそ850年前の出来事です
京都観光で嵯峨野に次いで女性に人気が有をる【大原の里】を
ご紹介 一生涯を捧げられました。その遺徳を偲びたいです。
【建礼門院徳子】 は、平家が滅びて、その追善を弔うため此処を
本堂
境内
参道の門
本堂参道の坂道
【寂光院】 (じゃくこういん) 左京区
天台宗 開基 聖徳太子 山号 清香山
建礼門院は「徳子」と言い、平清盛の娘で、80代高倉天皇の
中宮(皇后)で、81代安徳天皇の生母で、源平合戦「壇ノ浦」で
平家滅亡の際、母子ともに入水されましたが源義経に母だけが
助けられ、一時京都東山の「長楽寺」で、出家され、一説に寄れば 安住の地を求め山道を超え大原の里に辿り着かれ、
「極楽往生院」の「阿弥陀如来像 」 の優しさに触れ、
「平家一門」
の菩提を弔うに相応しいと余生を「寂光院」で静かに送られた
ということです。
中宮(皇后)・建礼門院の御陵
侍女・阿波内侍の眠る翠黛山 ご主人を常に見守っている
阿波内侍の墓
今回初めて辿り着け見つけました
翠黛山・墓地への階段参道
謎の苔道の階段初めて訪問
阿波内侍の墓は谷を経て向かいに位置する
「翠黛山」(すいたいさん) に上ったところにありました
【寂光院】庭園
千代の姫小松
枯れてしまいました
祇王寺で仏午前の舞った歌
雪見灯篭
庭園
【建礼門院庵室跡地】
湧き水
此処からは一般には入れなくなりました。
特別公開となりました。
庵室の跡の碑
奥に宝蔵庫
積み上げられた石垣は当時の姿を語ってくれそうです。
「建礼門院庵居跡地の碑」が有り、此処に入った途端、
静寂と霊気が身に染みて、「寂光院」を訪れたな、と
最高の雰囲気を味わう事が出来ます。
未だに「清水」が湧き出て当時のお住まい方が偲ばれます
建礼門院は此処で採れた生花を摘み取り、仏前に供えられたと
聞きます。
優しい大原の里人に親しく見守られながら
この庵室で静かに息を引き取られる時に、西(極楽浄土)から
紫雲がたなびき薫香が庵室に充ち空から妙なる音楽が聞えたと
「平家物語」に記されているそうです
幾多の悲しみと苦労を
体験され御歳59歳で御逝去なされました
平清盛の娘として幼くて高倉天皇の中宮として迎えられながら
栄枯盛衰平家滅亡でわが子安徳天皇を救うことも出来ませんでした
御子 安徳天皇の御陵は 壇ノ浦近く 下関に有ります
場所は遠く離れて居ても 心は母子よく通じあったたことでしょう
明日は大原三千院に参ります