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豊臣秀吉は天下人目当てに主の織田信長の葬儀も、シメヤカに営なまず。 自己誇示のための全国の諸将に号令して、総見院の前で いわゆる 【大焼香】 をしました。功績と捉えれば
この大徳寺には最も大切に菩提寺が有ってしかるべしその上
心の師匠千利休をも切腹に追いやりました。石田三成の菩提寺すら 有りながら、秀吉の菩提寺は有りません。
大焼香の前には、その横暴さに僧侶の中で 秀吉暗殺計画 もあった そうでその師匠によって未然に防止されたほどで、当時の世情が 察せられそうです。
豊臣秀吉と千利休、大仙院でお茶をかわしたとされる部屋が
ありました。美しい枯山水の庭園を眺めながら、然し秀吉には自分 より秀でる者をも疎みました。利休の弟子が「金毛閣」の二階に 師匠を崇める木像を安置、その門を秀吉に潜らしたと難癖を付け 怒って切腹を命じてしまいました。利休のことなら、
誤ってくれるだろうと信じての 戯言、でも理は通らず
お前が頭さえ下げてくれればそれで済む事じゃ。頼む」と事の重大さを 知りましたが、時は遅く利休は切腹を選びました。
1582年豊臣秀吉は、全国大名に対しての威信を保つ為、主人
「織田信長」 の葬儀を 「総見院」 で執り行いました。
いわゆる 【大徳寺焼香】 として歴史に残されています
たまたま、特別公開に恵まれ写真が撮れました。
日頃は、非公開寺院のため、中には入れません。
総見院
入り口の門
本堂
茶室
茶室
織田信長一家の墓
中央織田信長
長男信忠 そして向かって左端には濃姫も
千利休と茶道にも関係あり、利休の墓は、総見院に隣接して
「聚光院」
にあり
各塔頭には、夫々「茶室」が設けています。
豊臣秀吉に関係する緒大名が競って塔頭を建てました。
何故か「石田三成」も大徳寺法堂の向かいに墓も有ります。
石田三成の墓所
大徳寺七堂伽藍の 法堂の向かい に存在します
400余年前戦国時代の歴史的出来事が 各菩提寺の存在で語られているように
その足跡の何かと判じさせてくれているようです
明日も塔頭7回更新します