マルスの遺言

マルスの遺言

真実とは何か?



その「ありのままの真実」を誰が知りうるのか?という根元的問いに答えることは難しい。なぜなら、それは、哲学においてさえ、何千年も論争が続いているアポリア(解けない難問)だからである。

先だって放映された「華氏911」についての論争もこのことに尽きると思う。

アドルフ・ヒットラーは映画などのマスメディアを利用し、国民を操作した。我々はまず、政府など権力者によるあからさまな情報操作を回避しなければならない。これはこの近代において誰が見ても?(アメリカの一部や北朝鮮などは除かなければいけなくなるが)真実ではない。

次に、民主主義国家におけるテレビや新聞(写真や、人の噂話しでさえも)等の媒体を通しての報道にしても、必ずそこには媒介者が存在する。その媒介者は芸術的にしろ、ジャーナリスティックにしろ、あるいは下世話な営利目的にしろ(これは問題外だが)何らかの意図を持っており、その表現目的に従って真実は編集され、加工され、デフォルメされる。でなければ、媒介者にとっての表現としての自由は奪われるはずだ。そういった意味で、日常的に何気なしに流れているニュースに関しても、必ずしも我々は真実を知っているのだとは言いがたい。そこから真実を構成し直すことしかできない。

アメリカ・インディアンの伝説に、3つの顔を持つ神の話がある。
ある者は「嘆き悲しむ神の顔を見た」といい、神は悲観論者だという。ある者は「大笑いする神の顔を見た」といい、神は楽観主義だという。そしてある者は「気難しい神の顔を見た」といい、神は偏屈で理解しがたいという。
おおよそこんな様な話だったが、言いたいことは「真実にはいくつもの顔がある」と、いうことだ。そして、全てが間違いではない、真実だともいえるのだ。

これは物理学を勉強した方なら分かると思う。実験結果を立証するには、全ての条件が整った環境で世界の異なる三箇所で同じように同じことをして結果が成立しなければならないというが、そんなことは実際のところほとんど不可能なことである。科学者の方が、真実は立証しがたいものであることを身をもって知っている。

昔ある知り合いのカメラマンが外国の危険地帯で写真を撮っていた。世界的に有名な危険地帯なので、彼は恐る恐る物陰から写真を撮っていたという。そこへ、太ったおばさんが大声を張り上げて彼に向かって何か言った。彼はとっさに怒られたのだと思い、身を引いて逃げ出したそうだ。しかし、後でじっくり考えてみるとおばさんは親切に「こっちから撮った方が良く映るよ!」と、教えてくれていたのではないかと気づいて、自分の取った行動が恥ずかしくなったそうだ。

真実は人の数ほどある。同じ世界に住んでいても、人が生きる数ほど真実が、「真実の人生」があるのだ。本人の受け取り方しだいで、真実は顔を変える。そして、それを元に取った行動が、その人物の人生を変えるのだ。

世の中は恐怖によって支配されている。大げさではない。今更言わなくても外国人なら誰でも分かっていることだ。アミノ酸がダイエットに効くよ!というテレビ番組を見て、翌日薬局に駆け込んだ人は多いと思う。それもダイエット=太るよ!という恐怖を知らず知らずに植えつけられているのだ。商品は恐怖によって売れる!それが、アメリカほどあからさまではないだけだ(にもかかわらずアメリカは未だにそれで成立している)。それによってアメリカが行き着いた先はお分かりだと思う。戦争だ。全て権力者の操作によるものだ。

恐怖によって真実を捉え、間違った行動を取ってしまうと、人生を変えるばかりでなく、世の中まで変わってしまう!そうして世の中は嘘で固めた真実の世界になってしまいましたとさ。







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